浮世絵も展示する貨幣資料館

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 1月20日午後に、名古屋にある三菱東京UFJ銀行貨幣資料館を見学しました。
 きっかけは、この貨幣資料館で、広重の「魚づくし」展をしているとのことで、ちょっと興味があり、また資料館に電話してみると、触れたり体感できるものも少しあるということで、行ってみることにしました。1時間弱の滞在でしたが、とても良かったです。
 展示スペースは広くはありませんが、日本と世界の貨幣や関連資料がコンパクトに展示されているようです(とくに江戸時代の展示が充実しているような印象でした)。以下、私が実際に触ったもの、体感したものを中心に紹介します。
 まず江戸時代の大判や小判などがつり下げられていて、触ることができました。
 大判:長さ15cm、幅10cm弱で、3mm弱くらいの厚さがある。重さも現物と同じで、165グラムだとのこと(持った感じはそれよりはちょっと軽く感じた)。10両に相当するとのこと。表面には、長さ1cmくらいの細かい横筋が縦に並んだ筋が5本くらいあって、なんだか小さな藁草履の表面を触っているような感じがした。何かはよく分からなかったが、円の中に文様のようなのもあった。(
 5両判:長さ10cm弱の楕円形。厚さは2mmくらい。(江戸時代に出た五両判は、天保8〜14年に発行された天保五両判金しかないので、たぶんそのレプリカだと思います。)
 1両小判:長さ5cm弱の楕円形で、厚さは1mmくらいと薄い。
 これらは金貨でレプリカだそうですが、下の2つは銅銭で本物だということです。
 天保通宝:長さ5cm弱の長方形に近い形で、厚さは2mmくらいありそう。中心に5mmくらいの四角い穴が空いている。1文銭100枚に相当したとのこと。
 1文銭:直径2.5cmくらいで、厚さは1mmくらいと薄い。中心に円い穴が空いている。小さいころにあった、大きな50円玉といった感じ。
 
 次に、実際に持って重さを体感できるものもありました。
 1億円の重さの体感:1万円札1万枚。厚さ10cm弱、横40cm弱、縦30cmくらいの四角いパックになっていて、両手で持ち上げてみた。約10kg。
 千両箱:幅45cm余、奥行25cm弱、高さ20cm弱。手前の中央上のほうに、鍵がついている(この引っ掛けるような鍵、とてもなつかしい感じだった)。上面や側面の角付近には、鉄の鋲のようなのがいくつもあった。両脇には持つための金具もついている。この金具を持って持ち上げようとしたが、かなり重かった。15kgあるとか。
 
 その他、触ったりはできませんでしたが、いくつか興味のあるものも展示されていました。
 貝貨:中国では既に殷の時代から貝(宝貝)が貨幣として使われていたとか。展示されていたのは南洋の島の貝貨。ました。
 石貨:以前に民博で触ったことのあるヤップ島の石貨(民博で学ぶ―オセアニアと朝鮮)も展示されていた。大きなものは直径2mもあり、動かすことなく村の一定の場所に置かれて、所有権だけを移転した(=石貨銀行)ものもあったとのこと。
 金のなる木:江戸時代までは、銭は鋳型を使って作られていた。まず銭の元型を粘土板ではさんで鋳型を作り、その中に、銅など銭用の金属を坩堝で溶かしたものを流し込む。冷えてから鋳型をはずすと、1枚1枚の銭が湯道でつながった状態で、まるで木のように見えるところから「金のなる木」と呼ばれたとか。この金のなる木から、各銭をタガネで叩いて切り離し、砥石で磨いて仕上げていた。
 銭刀(ぜにがたな):金入れ道中差という、財布の用をも兼ねた旅行用の刀。長旅の途中で、すりや追いはぎなどの被害を防ぐために工夫されたもの。武士や名字帯刀を許されている裕福な商人がこの脇差に金貨を入れて旅をした。鯉口(こいぐち)のところに爪をかけて刀身に平行に引き出すと金貨が2〜30枚でてくるようになっている。
 
 また、貨幣にまつわるいろいろなクイズなどもあって、親子連れが楽しんでいる様子、いい雰囲気でした。
 
 この資料館は、広重をはじめ1800展もの浮世絵を所蔵しているとのこと、広重の「東海道五十三次」を常時展示し、また年に数回テーマを変えて企画展もしています。今回は、広重の「魚づくし」展とともに、小林清親の「東京名所図」も展示されていました。
 歌川広重(1797〜1858年)は、風景版画で有名ですが、花鳥画、さらには魚まで描いていたとは、ちょっと驚きでした。今回展示されていた「魚づくし」は、天保期(1830〜1844年)に出された永寿堂版と山庄版の横大判(26×37cmほど)各10点、計20点です。各作品にはそれぞれ狂歌が添えられているとのこと。どんな狂歌なのかちょっと興味はありますが、読んでもらってもあまり意味は分かりません。また、多くの作品には、「鯛に山椒」「かさご・いさきに生姜」「ぼらにうど」「こちに茄子」「鰒(アワビ)・さよりに桃」などと題されているように、付け合わせの植物まで添えられていて面白そう。そして描かれている魚は、たんに写生ではなく、生々しくみずみずしく感じられ、この日の午前にヤマザキマザック美術館で見た生物画とはぜんぜん違うようです。一緒に行った人は、各作品の題を見なくても、何の魚なのかすぐに種類が分かると言っていました。
 小林清親(1847〜1915年)は、幕臣として明治維新の動乱を経験、その後写真術や油絵などを学び、1876年から5年間、100枚近くの風景版画「東京名所図」を出します。その浮世絵は、洋画に見られる光と陰影を用いた表現や遠近法も取り入れたもので、自ら光線画と呼び、江戸から東京へと移りゆく風俗や街並みなどを描きました。詳しくは説明してもらいませんでしたが、新橋駅、内国勧業博覧会瓦斯館、人力車や洋装の姿など文明開化を示す新しい建物や風俗、また、花見や花火、雨や雪、蛍が飛ぶ姿など、江戸情緒を思わせるものも描かれているようです。あまりデフォルメすることなく、リアルな写生のようなものも多いとか。
 最後に、東海道五十三次についての 10分ほどのビデオを見て(聞いて)見学を終わりました(東海道の起点である日本橋の様子が、 3つの版でどのように違っているのかの説明もありました)。展示会場はコンパクトでしたが、とても充実した、満足感の高い展示でした。

(2019年1月30日)