大阪のメインストリート御堂筋には、心斎橋から淀屋橋にかけて、沿道の企業などから寄贈されたブロンズ像が30点近く設置されています。
6月18日、本町から淀屋橋に向けて、御堂筋の西側の歩道上に設置されている13点の像に触りました(最初の「二つに分断された人体」は、本町から南の方、心斎橋側に設置されている)。公園など公の場に設置されているブロンズ像は、台座が高かったり、像全体が大きかったりして、一部しか触れないことが多いのですが、御堂筋の彫刻たちは、あまり大きくはなくまた台座も低くて、像全体の形を触ってほぼ把握することができました。(11月16日午前に、大阪し主催の「御堂筋彫刻ガイドツアー」に参加し、解説付きで10点近く鑑賞しました。その記録も後に記しています。)
各作品について、まず私の触察の鑑賞メモを書き、次に
大阪市:御堂筋彫刻ストリートの中にある[講評]をそのまま引用し、その後[補足]で各作者についての簡単な解説などを加えました。私の鑑賞メモの中の各作品の大きさですが、その場で手分量でごく短時間に推測したものですので、誤差が大きくそんなに正確なものではありません。
●「二つに分断された人体」(1979年) ヘンリー・ムーア(1898〜1986年)
高さ 70cm弱、幅 1m、奥行 40cm弱。さっと触った感じは、上半身を起こして座ったような姿で、太い腿の辺でスパッと斜めに切断され、両部分は 5cmほど離して置かれている。上端のやや薄くなって少しとがっている顔らしき所に1つ穴が空いている。足先の辺は大きく3角に膨れていて、その下には台との間に3角の空洞がある。触る方向を変えてみると、この膨んだ足先のような所が、顔のようにも思えてくる。切断面は真っ平らだが、その他はとても凹凸がはげしい曲面になっている。
[講評]イギリスが誇る巨匠ヘンリー・ムーアは、20世紀を代表する彫刻家の1人である。彼の作品を抽象と呼ぶか具象と見るかはさておき、彼が執拗にこだわり続けた主題が、「横たわる人体」を始めとする具体的なものであったのは確かである。この作品も、一連の人体像の1つであり、単純化された凸面と凹面の構成によって格調高いハーモニーを奏でている。
[補足]イギリス・ヨークシャーのキャッスルフォードで坑夫の7人目の子として生まれる。1917年第一次世界大戦に一兵士として従軍、フランス戦線で毒ガスに冒され、本国に送還されたが、翌年再度従軍。戦後リーズ美術学校からロンドンの王立美術学校に進み、大英博物館を訪れるようになり、古代オリエント彫刻やプリミティブな彫刻に接して、強い影響を受ける。1933年、グループ「ユニット・ワン」の結成に参加。彼の作品には、一つの作品で、大きく切断された複数の部分から構成されているものもある。これらの多くは野外に置かれ、「もの」と空間との関係についての彼の考えをよく示している。ムーアの作品で私がこれまでに触ったことのあるのは、「横たわる人体」(静岡県立美術館のロダン館)、「母子像」(兵庫県立美術館)、「ファミリー・グループ(箱根彫刻の森美術館)。
●「髪をとく娘」(1990年) バルタサール・ロボ(1910〜1993年)
高さ120cm、直径70cm。左脚を大きく広げ、右脚を立ち膝のようにして立っている。上は大きな丸い顔で、その中央に鼻なのかぽこっとした突起がある。太い綱を編んだような髪が垂れていて、その髪を、身体を少しねじりながら両腕を後ろに回し両手を組み合わせて抱えている。とてもボリュームがあり、なにかモダンな土偶のようにも感じた。
[講評]太い縄のような豊かな髪、豊満な肉体が目をひく大胆な作品であり、原始彫刻とキュビスムが融合して発展したものである。空を見上げてゆったりと髪をとく姿は、穏やかで温かな印象を受け、バルタサール・ロボの理想である女性の豊満で優美な部分が象徴化されている。
[補足]スペイン・セレシノスデカンボスに生まれる。1939年、パリに移り住み、ヨーロッパ各国で個展。キュビスムの彫刻家として活動。(裸婦像には大別してオリエント型とギリシア型の2タイプがある。古代オリエントの裸婦像は、母性を示す豊かな乳房や骨盤を有する姿で表現され、「母なる大地」=豊饒を象徴。これにたいし、古代ギリシアの裸婦像は、乳部・腹部・臀部ともプロポーションの良いスリムな姿で表現され、「処女」=純潔のシンボル。このロボの作品はオリエント的な造形の流れを汲み、太い縄のような豊かな髪、豊満な肉体が目を引く大胆な作品で、作者の理想である女性の豊満で優美な部分が象徴化されている。)
●「アコーディオン弾き」(1962年) オシップ・ザッキン(1890〜1967年)
高さ60cm、幅30cm、奥行30cm。全体に、凸面と凹面を組み合せた直方体をいくつも合わせたようなつくりになっていて、稜がくっきりしている(ザッキンらしさを感じる)。腰かけの姿勢で、膝の上にアコーディオンを乗せ、その両側を両手で持っている。目は1つ。下腿部の前面は、一方が凸面、他方が凹面、上腕の後面は、一方が凹面、他方が凸面で、面白く感じた。
[講評]オシップ・ザッキンは、ロシア出身で主にフランスで活躍したキュビスムの彫刻家であり、アフリカなどの土着美術に影響を受けた。この作品は、1924年に制作された同名の彫刻を1962年にリメイクしたものであり、自己の造形を生み出そうとして模索していた時期の前作に対し、穏やかで物静かな雰囲気を漂わせている。
[補足]ロシアのスモレンスクに生まれ、主としてフランスで制作活動し、1921年フランス国籍を取得。代表作に、ドイツ軍爆撃による死者たちのためのロッテルダム市の記念碑「破壊された都市」(1953年)がある。私がこれまでに触ったことがあるのは、「破壊された街」(兵庫県立美術館)、「ヴィーナスの誕生」(三重県立美術館)。
●「レイ」(1980年) 佐藤忠良(1912〜2011年)
高さ80cm、幅30cm、奥行20cm。左脚を少し前にして、すっと立っている。両腕も下げて両手のひらを後ろに向けている。顔はきりっとしてかわいい感じ。胸もかわいい。
[講評]佐藤忠良は、現代女性の身体の線やプロポーションの美しさを自然なポーズの中に漂わせた作品で知られ、わが国具象彫刻界の代表的な作家である。この作品も、「モデルの素朴で健康な姿態にひかれ、この身体にことさらの演技的ポーズをさせずに彫刻してみたかった」と彼自身が語るように、人間の自然な身体をみずみずしく表現している。
[補足]佐藤忠良と言えば、日本の具象彫刻の第一人者とされ、また1981年にフランスの国立ロダン美術館で個展を開催するなど海外でも評価されているようですが、私は触ってもあまり強い印象を受けた記憶はありません(たぶん、多くの作品が人の自然の姿をとてもよく表現しているからかも知れません)。私はこれまでに、佐川美術館で10数点の作品に触れ(佐川美術館に行ったのは2002年9月、だいぶ記憶が薄れてしまいました)、また兵庫県立美術館で「若い女」、中原悌二郎記念旭川市彫刻美術館で「カンカン帽」に触れたことがあります。
●「女のトルソ」(1955年) オシップ ザッキン
高さ80cm、幅25cm、奥行15cm。上半身をやや右に曲げて立っている(トルソと言っても、全身像)。左腕は、肘を斜め上方に引き上げるようにして後頭部に回し、さらに手を伸ばして顔の右側面を押さえている。右腕は下げて手のひらでお尻に触れている。左腕と頭の間に大きな3角形、右腕と腰の間に細長い3角形の空洞ができている。右脚の前面が凸面、左脚の前面が凹面になっている。
[講評]力強く簡潔な線とヴォリューム感。この「女のトルソ」は、平面の集まりとして再構築されたキュビスムの特徴を示しつつも、厳格なフォルムから解放された自由な表現がみられる。抽象と人間の内面表現を融合させたザッキンの特色がよく現れた、彼の最盛期の作品である。
●「踊り子」(1981年) フェルナンド・ボテロ(1932年〜)
高さ70cm余、直径50cm。右脚で立ち、左脚を広げて上げ、左手で抱えている(股が広がって会陰部の溝まではっきり表現されている)。身体を反らし、右肘を斜め上方に上げてぎゅっと曲げ、右手のひらが頭の後ろ上方にある。顔を上に上げ、目は大きく見開いている。(右肘の下と、左脇に空洞がある。)全体に丸みを帯び、とても豊満な感じ。
[講評]モナ・リザも、アダムとイヴも、精悍な騎士も、フェルナンド・ボテロが描くと、太っちょのまんまるに変身してしまう。戦後の具象画家の中でも彼ほど際立ったスタイルをもつ美術家は珍しい。この作品は、他の彫刻家の裸婦像よりも肉付きがよく、ユーモラスで温かい。まさに彼の絵画の延長線上の造形である。
[補足]南米コロンビアのアンデス山中の村に生まれる。10代から絵を描きはじめ、画家を志して1952年渡欧、マドリードで絵画を学びながら、有名な画家の模写を観光客に売って生計を立てたという。1960年ニューヨークに移住。そのころには、まるまるとした肥満型の人間や動物を描く独特のスタイルを確立、ニューヨーク近代美術館(MoMA)が丸顔にデフォルメした絵画「12歳のモナリザ」を購入し、画家として有名になる。1973年にアトリエをパリに移し、そのころから彫刻家としても活動。私は、広島市現代美術館で「小さな鳥」に触れたことがあります(どこもかしこも丸丸していた)。
●「イヴ」(1883年) オーギュスト・ロダン(1840〜1917年)
高さ50cm、幅15cm、奥行20cm。うつむいた姿勢で立ち、前に傾いた頭を右腕を曲げて抱えるようにし、左腕もそれにそえられ、左手のひらが前を向いてかるく開いている(この部分は、ロダンの弟子で愛人でもあったカミーユ・クローデルの制作かもしれない)。つい「考える人」を連想してしまう。右脚に重心を置き、左脚は膝をかるく曲げて足を少し後ろの石のようなのに乗せている。腕も脚も、また腰からお腹あたりも、筋肉がもりもりしていて実際の身体の形態をそのまま表現したよう。鼻はとても高く、左右に薄くなっている。
[講評]オーギュスト・ロダンは、「考える人」「カレーの市民」「バルザック」「地獄の門」などの彫刻で知られる近代彫刻の父である。この作品は、彼の最も充実した創作活動時期のもので、その身をよじるポーズといい、量感ある肉付けといい、いかにも彼らしい骨太で存在感のある力作である。
[補足]私はこれまでに、静岡県立美術館のロダン館で十数点の作品に触れたほか、兵庫県立美術館で「オルフェウス」「痙攣する大きな手」「永遠の青春」、ヤマザキマザック美術館で「カレーの市民」の中の「ユスタシュ・ド・サン・ピエール司教」と「ピエール・ド・ヴィッサン」、および「オウィディウス『変身物語』」、愛知県美術館で「歩く人」に触れたことがあります。
ロダンに関連して、その弟子で愛人でもあった女性彫刻家カミーユ・クローデル(Camille Claudel: 1856〜1943年)について。カミーユは12歳で彫刻を始めその非凡な才能を示し、父は彫刻家の道を認めますが、母は絶対反対。しかし、1883年、19歳のカミーユに会った42歳のロダンは一目惚れして彼女をモデルに、またカミーユはロダンから彫刻を学び、めきめきと技量をのばします。ロダンも彼女から芸術上のインスピレーションも得、生活をともにするようになります。しかし、ロダンには内妻ローズ・ブーレ(1844〜1917年)がいて、カミーユはずうっと三角関係に悩みます(カミーユは20代後半にロダンの子を妊娠するが、中絶している)。このような生活が15年も続き、結局ロダンはローズのもとに帰って行ってしまいます。カミーユはその後も次々と制作を続けますが、初めはロダンのコピーなどと揶揄され、その後も世間からはまったく相手にされず、仕事でも精神的にも行き詰まり、40代になると精神に変調をきたし、48歳の時に家族によって強制的に精神病院に入れられます。その後約30年間、弟ポール(外交官で、劇作家や詩人としても有名)が数年に1度見舞うだけで、家族にも看取られることなく病院で亡くなります。カミーユの作品は、彼女自身が破壊してしまったものも多いようですが、パリのロダン美術館には彫刻作品など90点が展示されているそうです(その中にはロダンへの思いを示した作品もある)。
●「大空に」(1984年) 桑原巨守(ひろもり。1927年〜1993年)
高さ130cm、幅50cm余、奥行30cm余。少女が両手を高く伸ばして、羽を広げて今にも飛び立ちそうな大きな鳩(40cm近くもあった)を、右手を広げて持ち左手は添えている。顔は上を向き鳩のほうを見つめている。少女はワンピースのようなドレスを着て、風でその裾が大きく広がり、またたくさん襞襞がある。
[講評]流れるような体の動きが美しく、見る者の視線は、自然に空へと向けられる。高く上げた少女の手には、今にも飛び立ちそうな鳩がいて、その手の先に希望が見えるようである。
[補足]群馬県沼田市出身。1966年に二紀展で初入選、その後も二紀展を中心に発表。群馬県渋川市には桑原巨守彫刻美術館がある。私は、姫路市立美術館の庭で「姉妹」(立っている姉と腰かけている妹が互いに見合っているような作品)に触ったことがあります。
●「啓示」(1993年) 日高正法(1915〜2006年)
高さ170cm、幅70cm、奥行30cm。中央の太さ20cmほどで高さ130cmくらいの太い棒(表面は木の幹のような触感だった)の上に、長さ60cmくらいの棒が横向き(やや斜めになっている)があり、その両端から右腕は真下に、左腕は真上に伸びている(右手の先は5本指、左手の先は開いたはさみのように鋭く2本に別れている)。中心の太い幹のような身体の下にはとても小さな足があるが、その足指が向いている方向と、右手の指の並びの方向(親指が前)が反対になっている(下半身と上半身の方向が真反対)。
[講評]この作品は、天から落ちてくる「神の声」と、それを受けとめる人間を表現しており、作品では、直線と曲線、鋭角と穏やかなカーブ、天を指す手と地に向かう紡錘形の物体、密と粗など、背反する要素の組合せによって、人間を超える不可視な存在を暗喩し、「神の啓示」という宗教的なテーマを見事に具現している。
[補足]鹿児島県生まれ。東京美術学校で彫刻を学び、1936年二科展に初入選。1977年二科展にて内閣総理大臣賞受賞。
●「ヘクテルとアンドロマケ」(1973年) ジョルジオ・デ・キリコ(1888〜1978年)
高さ60cm、幅40cm、奥行40cm。2人の人物がくっついていて分かりにくかった。鎧のようなものを着け、上がとがった3角の板があちこちにくっついている。顔は卵型で、目は小さくかわいい(口や鼻などは表わされていない)。下のほうは衣の襞襞で覆われているよう。上の外周にはほぼ正3角形の位置に、直径5cmほどのリング状の突起がある。(ヘクテルは、ギリシア神話でトロイア戦争の英雄、アンドロマケはその妻)
[講評]ジョルジオ・デ・キリコは、形而上絵画の創始者で、後のシュールレアリスム運動にも大きな影響を与えた。彼の作品を貫くのは、卵型の頭、紡錘形の脚、螺旋になった腕をもった人体である。この作品も、そのような彼のスタイルが表れた作品であり、主題であるギリシャ神話も、ギリシャに生れ育った彼が得意とした題材である。
[補足]ギリシアのヴォロスに生まれ(両親はイタリア人)、1906年イタリアに移住、翌年ドイツ・ミュンヘンの美術アカデミーに入学(ここでニーチェやショーペンハウアーの影響を受けたようだ)。第1次世界大戦ではイタリア軍に従軍している。形而上絵画とは何なのか、私にはよく分かりませんが、現実の背後に隠されている第2の現実のようなのを志向しているのでしょうか。大原美術館には、同作家の「ヘクトールとアンドロマケーの別れ」という絵がある。
●「水浴者」(1980年) マルチェロ・マスケリーニ(1906〜1983年)
高さ130cm、幅20cm、奥行20cm。ほっそりとした身体。上半身に薄いタオル(布)のようなのを巻き、胸の所で腕を組んで押さえている(乳房は飛び出して露出し、とてもいい形)。頭には帽子をふわっと被り、その下から髪の束が何本も真っすぐ下に垂れている。単純な形ながら、水浴後の様子がよく分かる作品だった。
[講評]すらりと伸びた脚、布の線の動きによって暗示される両腕、はちきれそうな胸、愛くるしい顔。水浴を終え、水から上がったばかりの少女の一瞬のすがすがしい姿態が見事にとらえられている。作品の骨格が基礎的な立体で構成されているにも係らず、具象的な印象を与えるのは、マルチェルロ・マスケリーニのロマンティストとしての資質ゆえであろう。
[補足]イタリアの彫刻家。トリエステの工業学校の彫刻・装飾科で学ぶが、美術学校には進まなかった。1930年代には、ローマ、ミラノ、ベネチアの展覧会に出品して次第に注目を集めるようになった。具象彫刻でありながら、ザッキンやブランクーシ等の影響も受けて、デフォルメしたり単純化した裸婦像を多く制作しているという。
●「ボジョレーの娘」(1990年) 富永直樹(1913〜2006年)
高さ60cm、直径20cm弱。豪華な?ドレス(飾りのようなのがいっぱい付いていた)を着て立っている。頭にブドウがいっぱい入った籠を乗せ、左手をその籠にそえている。右手は腰の辺。両腿のわきに小さな鞄?かポケットのようなのがあり、口がちょっと開いている(ここに摘み取ったブドウをとりあえず入れるのかな?)。髪は頭の後ろでまとめてリボンで結び、そのリボンの先が広がっている。耳には水平の輪になったイヤリングをしている。
[講評]ワインで有名なボジョレー地方の若い女性を、頭にブドウを載せたさっそうとした姿で表現している。この作品は、華やかで親しみやすい作風で知られた富永直樹の特色のよく表れた晩年の小品である。
[補足]長崎県生まれ。東京美術学校在学中の1936年、「F子の首」が文展で初入選。人体の生命の躍動感と理想像を追求した写実的彫刻が特色。1968年日展に出品した『平和の叫び』で文部大臣賞、1972年『新風』で日本芸術院賞を受賞。1984年文化功労者、1989年文化勲章。代表作に「原爆殉難教え子と教師の像」(長崎市の平和公園に設置)がある。
●「ダンサー」(1982年) ヴェナンツォ・クロチェッティ( 1913〜2003年)
高さ80cm、幅15cm、奥行15cm。胸の前で腕を組み、顔は左を向いている。顔はとてもかわいい感じ。両唇がわずかにずれていて、にやっと微笑んでいるのかも?。脚はするうっとした手触りで細く、とても長い(全体の半分くらい)。
[講評]胸の前で腕を組み、静かにたたずむ若い踊り子。うっすらと微笑を浮かべた口もと、横を向いて何かを見つめる優しい眼差し、細く伸びた足。この作品には、叙情がみずみずしく漂っている。ヴェナンツォ・クロチェッティは、現代イタリアを代表する具象彫刻の大家であり、「踊り子」シリーズは、彼が長年にわたって制作し続けるテーマでもある。
[補足]イタリア中部・ジュリアノーヴァ生まれ。少年期に両親を亡くし、地元の工芸高校でデッサンを学んだ後、1928年美術品修復見習いとしてローマに出る。間もなくローマの動物園で動物デッサンをするようになり、彫刻にも目覚める。1938年第21回ヴェネツィア・ビエンナーレでイタリア彫刻大賞を受賞。戦後はヴェネツィア、フィレンツェ、ローマの各美術学校で彫刻講座を担当、日本人作家を含む多数の後進を育成。また、ヴァチカンのサン・ピエトロ大聖堂の5つの扉の中の右から2番目の『秘蹟の扉』を制作、イタリアの国民的彫刻家となる。日本でも生誕100年記念展など何度も展覧会が行われている。
(2019年7月6日)
11月16日午前に、大阪し主催の「御堂筋彫刻ガイドツアー」に参加しました。初めに市の関係者の挨拶がありました。御堂筋の各彫刻作品の回りにコンテナガーデン(植木鉢やプランターなどのコンテナに草花や植木、観葉植物を植えたもの)を設置し、御堂筋まちづくりネットワークの方々が整備・管理しているとのこと、御堂筋の彫刻作品が他の街にある彫刻に比べてきれいなのは、この方たちの活動のおかげだと納得しました。その後、30分ほどIさん(10年ほど前からこの御堂筋の彫刻ガイドをしているそうです)から御堂筋の彫刻作品についての概説やこぼれ話のようなものがあり(講演者のお父上は、1923年にパリに滞在し同時期にパリにいてブールデルの弟子になった清水多嘉示と親友だったとか)、その後その方の案内で、淀屋橋から本町に向う御堂筋の東側の歩道にある作品を中心に10数点の彫刻について解説していただきました。以下この日に触った御道筋の東側にある作品を紹介します。
●「みどりのリズム」(1951年) 清水多嘉示(1897〜1981年)
高さ1.5mくらい、幅1.3mくらい。2人の女性が向い合って手を取り脚を交差させるようにしてダンスをしている。向って右側の女性は左手を、向って左側の女性は右手を出して互いに握り合い、右側の女性は右腕を斜め右前上に伸ばし、左側の女性は左腕を真横斜め上に伸ばしている。全体にボリュームを感じる作品。
[講評] 手を組んでダンスをする2人の少女の一瞬のポーズを捉えている。往々にしてダイナミックになりすぎそうな題材を、清水多嘉示は、感情を抑え、厳格な構成による構築的手法で、軽快なリズムに満ちた彫刻に仕上げてみせた。それまでの近代日本彫刻が重要視しなかった構築的彫刻の代表作としても高く評価されている。
[補足]清水多嘉示は、長野県生まれ、初め洋画をして二科展に出品していたが、1923年渡仏、ロダンの助手でありながらロダンとは異なる構築的な手法のブールデルの作品に魅せられて彫刻に転じ、ブールデルに師事して彫刻を学び28年に帰国。iさんは、緑青のでかたに特徴があるなど、清水の作品は見てすぐ分かると言っていました。1980年、文化功労者。中之島の東洋陶磁美術館 前には、清水多嘉示による、御堂筋の建設に尽力した「関 一 大阪市長」像がある。
●「休息する女流彫刻家」(1906年) アントワーヌ・ブールデル(1861〜1929年)
高さ50cmくらいの、小さな座っている女性像ですが、右手で右側に丸まって横たわっているもう1人の肩あたりを押さえつけている(東洋の仏像の影響があるかもとIさんは言っていました)。横だおしの人の顔はがくんと垂れて逆さになっているような感じ。女性は髪を頭の回りに巻いていて、ドレスの縦の襞が触って目立つ。
[講評]アントワーヌ・ブールデルは、力強く男性的なモニュメント性の強い作風で知られるが、この作品のような叙情あふれる女性像も数多く手がけている。モデルは、当時の彼の助手で、後に妻となったクレオパトールであり、彼の彼女に対する暖かな視線が作品のいたる所から感じとれる。
●「座る婦人像」(1980年) エミリオ・グレコ(1913〜1995年)
この作品も高さ60cmくらい?の、上半身を前に傾け、顔はまっすぐ前に向けている座っている女性像だが、台座に接触しているのは左足と腰の部分だけで、全体に右側に傾いていて不安定な感じがする。右手を右脚に沿って膝の下までまっすぐ伸ばし指先が足の指へと続き、また左手は腰の所で肘を曲げて両腿の間に入って消えていて、この両手先のさばきかたがとてもきれいな形に感じる。顔はリアルで、鼻は細く高い。
[講評]エミリオ・グレコは、現代イタリア具象彫刻界の代表的な巨匠である。作品の形態上の特徴は、独特のポーズにある。この作品は彼の主要なテーマである「座せる像」シリーズ中の1点であるが、一見不自然とも思われるポーズをとることによって、緊張感と生命力を与えることに成功している。
●「姉妹」(1988年) 中村晋也(1926〜)
2人の女性が前後にくっつくくらい接近して立っている。前の女性は、両手を下に下げてやや後ろに伸ばし、後ろの女性は右手を肩くらいまで上げて手の甲を前の女性の背にくっつけ、また左手も肩くらいまで上げている(前の女性の背からは少し離れている)。とても親密な感じがする。
[講評]中村晋也は、このような古典的様式の女性像を得意とする作家である。すぐ後ろにいる妹に優しい視線を投げかける姉と、姉に頼るように身を寄せる妹。身体のバランスも肉付きも酷似した2人の裸婦が寄り添い、親密で暖かな雰囲気を醸し出す。姉妹の心の絆の強さが伝わってくるような作品である。
[補足]三重県生まれ。2007年、文化勲章受章。1996年、鹿児島に中村晋也美術館が設立される。
●「みちのく」(1953年) 高村光太郎(1883〜1956年)
高さ70cmくらい?の2人のまったく同じ形の女性像が向い合って並んでいる。向って左の女性はやや左前を、向って右側の女性はやや右後ろを向き、互いに左手を肩くらいまで上げて手のひらを合わせるようにしている(2人の左手の間にはわずかに隙間がある)。右手は2人とも下に下ろしている。なんかとても静かな感じがする作品。
[補足]高村光太郎の晩年の代表作である。十和田湖の自然の偉大さ、深遠さを表現した彫刻であるとともに、彼の心の中に生きていた妻・智恵子の残像を具現した裸婦像でもある。2人の女性からなるこの作品は、よく見ると全く同一の裸婦像を向い合せに置くという極めて異例の構成となっている。
[補足]十和田湖畔の休屋に設置されている「乙女の像」はこの「みちのく」を大きくした版だとのこと。若いころ現地で「乙女の像」に触れたことはありますが、高い台座の上にあって脚部くらいしか触れませんでした。御堂筋でこの像に出会い、全体の形を知ることができるとは、なんともラッキーです。なお、この像のモデルをつとめたのは、藤井照子という19歳の女性だったそうです。
●「陽光(ひかり)の中で」(2002年) 佐藤敬助(1950〜)
椅子に腰掛け、両手を椅子に突いて支えるようにし、顔を右上に向けて座っている女性。陽光をあびているような感じがした。襟のある上衣をはおり、胸のあたりが開いていて、乳房がのぞいている。
[講評]人は心満たされるとき、豊かな暖かさを醸し出すと同時に、私たちに安らぎを与えてくれるという佐藤敬助の思いが表現された作品である。
[補足]佐藤敬助は、1971年に日展、日彫展に初入選。長崎大学名誉教授。
●「ジル」(1988年) 朝倉響子(1925〜 )
これも腰掛けている女性像で、上半身をやや前に倒し顔はしっかり前を向いている。両方の肘を腿に突いて両手のひらをやや左上で合わせて組むようにしている。指の先が細く長くなっていて、一部は反り返ったようになっている。脚には編み上げのブーツを着けていて、そのブーツの前の部分がすうっと上から下へ一直線状にとがり、上端はさらに前に出て 3角形になっている。とてもクリアな形で、触ってすっきりした感じがする。
[講評]日本に数少ない第一線で活躍する女性彫刻家である朝倉響子がつくりあげる、日常生活の中のワンシーンを見るかのような現代的で都会的に洗練された女性像である。この作品は、朝倉芸術の大きな魅力である、今日に生きる女性のあるがままの姿が美しく、かつ格調高く表現されている、ファッショナブルでエレガントな女性像である。
[補足]東京生まれ。父は彫刻家の朝倉文夫、姉は画家で舞台芸術家として活躍した朝倉摂。
●「火の王No.1」(1989〜90年) フィリップ・キング(1934〜)
幅70cmくらい、高さ30cmほどの抽象作品。中央付近にトランプのキングを思わせる形があったり、貝あるいは人の手を連想させるような形があったり、何箇所か空洞になっていて、木の幹の洞を連想したり。
[講評]フィリップ・キングは、イギリス現代彫刻の代表的作家の1人である。彼の作品の大きな特徴は、まるで舞台劇のような雄弁で激情的な動きと構成にある。この作品でも、彼の持ち味が十分に発揮されている。量感のある幾何学的立体の使用、荒削りな材質感が、「火」という主題を明確にし、作品により一層の力強さと緊張感を与えている。
[補足]北アフリカのチュニス生まれ。初めケンブリッジ大学で言語学を専攻、美術に転じヘンリー・ムーアの助手になる。
その他、桜井祐一の「若い女」(胸の前でシャツ?を広げてその両端を両手で持っている)、ブールデルの「腕を上げる大きな女」(小さな頭の上に太い大きな両腕を上げて手を組んでいる)、舟越保武の「道東の四季・春」(清楚な感じの女性像。舟越はクリスチャン)、フランチェスコ・メッシーナの「ブレンダのヴィーナス」など数点の解説もありましたが、時間がなくて一瞬触ったくらいで、全体の形まではよくは覚えていません。
[追記]中之島緑道の彫刻たち
この日の午後、一緒に御堂筋の彫刻ガイドツアーに参加したMさんの案内で、土佐堀川沿いに淀屋橋から肥後橋まで続く遊歩道(中之島緑道と言うそうです)に設置されている10点近くの彫刻に触りました。大きなものも多く、私の好きな石彫もあり、なかなかよかったです。以下に、とくに印象に残っているもの数点を紹介します。
「陽だまりに遊ぶ」(藤木康成): ブロンズの作品。お母さんが脚を長めて座り、その脚の上で幼児がうつぶせの姿勢で両肘を突いて背を反らし両手を顎に当てて顔を上げている。お母さんの脚も上半身も1m以上もある大きな作品で、表面全体はつるつるで触って気持ちよい。ゆったりとした感じがする。
「くもの椅子」(石田眞利):2m近くある横長の椅子なのですが、背の部分はうねうねとなめらかに曲がりくねっている太いパイプになっている。これが雲なのでしょう。
「一対の座」(増田正和): 縦横とも1m余、高さ20cmほどの、座布団そっくりの大きな石が 2個並んで置かれている。一方は黒っぽくて黒御影石、他方は白っぽくてちょっと赤っぽい万成石(まんなりいし。岡山市万成に産する花崗岩)だとのこと。その日は陽が当たっていて石の座布団は暖かく、座ってみたくなりました。
「十魚架」(天野裕夫): 縦3m弱、横1.5mほどの十字架そっくりの形。両手を上に伸ばして立っている人を、魚が貫いている形。つい先日も訪れた民博の特別展「驚異と怪異」会場にあってもよさそうな作品ですね。
「TWO RING〜空間の軌跡〜」(堀義幸): 直径2m弱の大きなドーナツのような形。径が50cm近くもありそうな太いリングには幅30cmほどの深い円弧状の窪みが斜めに1周巡っている(メビウスの帯を思わせる)。リングの出ているほうはざらざらした手触り、窪んでいるほうはつるつるに磨き上げられている。御影石のようだが、窪み部分をこれだけきれいに仕上げるのは難しそう。このような作品を木彫で作ってみたいと思っていたので、参考になった。
「広場〜鳩のいる風景」(冨長敦也): これも石彫。中腰になって前を見ている女性?と向い合って鳩が1羽、その隣りにももう1羽。表面はつるつるの仕上げになっている。なにかあたたかな雰囲気が伝わってくる。[11月3日午後、民博で開催されていた公開シンポジウム「日本におけるユニバーサル・ミュージアムの現状と課題―2020オリパラを迎える前にー」の「彫刻を超克する―制作と鑑賞の新たな地平」のセッションで、冨長敦也さんのお話を聴きました。1961年大阪市生まれ、人型の石柱を立てたり、世界各地で石を磨く「Love Stone Project」をしているとか。来秋の特別展では、石棒を並べて音を出す?ような展示をするらしいです。]
「日溜(ひだまり)」(河合隆三): これも石彫、ざらざらした手触り。幅1mくらい、高さ1.5m近く。腰掛けているお母さんが、両腕を伸ばして赤ちゃんを仰向けの状態で横抱きしている。
「花の天女」(北田吉正): これも大きな石彫で、するうっとした手触り。ふっくらした感じの女性が両手を前に伸ばして直径が70〜80cmくらいもある大きな花(ひまわり?)を抱いている。(天女という感じはしなかった。)
この日は、午前と午後、大阪の街中の彫刻を大いに楽しみました。
(2019年11月22日更新)