9月25日、日本点字図書館(以下日点と表記)のふれる博物館で9月30日まで開催されていた
第6回企画展 日本点字図書館と触図の試みを見学しました。(展示内容については、上記ホームページで丁寧に説明されています。)
私が日点を利用するようになったのは、今からもう60年近く前、小学校高学年からです。中学の終わりころから、原子や宇宙について夢中になり、日点の図書目録をひたすら読んでごく少数ながらも関連のありそうな本を探しては読んでいました。高校の終わりころ、早稲田大学の点訳サークルが点訳した、書名は忘れてしまいましたが、おそらく大学レベルの物理の教科書のようなのを読みました。数式はアメリカで用いられていた記号が使われていて、解読するようにして読みました。そして、その本では多数の図も、糸や紙を張ったり、ルレットで数種の線を描き分けたりして、手作りで作られていました。それまで盲学校の算数や理科の教科書で簡単な点図には触れていましたが、その手作りの図の分かりやすさはとても印象に残っています。
地図は、小学4年生のころ盲学校で配布された社会科用の薄い地図帳が最初です。それは点図ではなく、通称プロセス印刷と呼ばれていたもので、染め物で使う生地に手で穴を明け、それにインクを流しこんで固めた物のようでした。海岸線など細かい所までは十分に表現されてはいませんでしたが、点図よりはかなり鮮明で(ただし、紙に張り付いている点を指で強くこするように触ると、点が取れてしまうことがあった)、この地図で私は初めて日本や世界各地の形を頭に描くことができるようになりました。高校の終りころ、日本点字図書館からサーモフォーム(原版の上にプラスチック製のシートを乗せて加熱して軟化させ、空気を抜いて原版とシートを密着させることで、原版の凹凸を極めて正確にコピーする方法)による日本地図などが販売されるようになり、私も東京都や箱根・伊豆などの地図を買った記憶があります。サーモフォームの地図はとにかく細かい所までよく表現されていますし、また、建物や道、川などが、高さの違いとしても表わされていて、実感ともフィットします。
その後、仕事で発泡印刷や立体コピーの地図の校正にも携わり、また20年くらい前からは、主に点訳ボランティアによるエーデル(点図ソフト)を使った図の製作にも協力してきましたが、なかなか満足できる触地図・触図にはたどりつけていません。
前文がすっかり長くなってしまいました。日点がふれる博物館を開設したのは、2018年4月、ずうっと行ってみたいと思いながら、今回が初めての見学でした。
高田馬場駅から歩いて10分弱、マンションの2階の1室でした。入ってすぐ、私の好きな地球儀。直径70cmくらいでしょうか、陸部分は立体的に表現されています。私は、海部分も海溝や海嶺などが分かるように立体的になった地球儀があればと思うのですが…。
次に、バキュームフォーマー(イギリス製の真空成型機。数センチの高さまで原物をそのまま立体的に表現できる)による作品に触りました。モナリザの人物の部分だけが、2cmくらいの高さで立体的に表わされていて、服の襞など細かい所まで精巧に再現されていました。ただし、これだけ細かい凹凸があると完全に空気を抜くのは難しいようで、一部に余分な細い鋭い凸線が入っていました。また、この装置を実際に動かして、その原理を説明してもらいました(原物は魚の模型で、その上に、熱したプラスチック板の代わりにゴム膜を置き、下から空気を抜くと、ゴム膜が魚の模型にぴったりとくっついて魚の形の完全なコピーになる)。
その後、今回の企画展関連の展示です。最初に触ったのは、この企画展に合わせて新しく製作したという、高田馬場案内図。建物、道、川、鉄道などが、高さや手触りや形の違い(鉄道は2本線)で表わされています。ふつう点図などでは、道や川や鉄道などは凡例を示す必要がありますが、このような手作りの半立体の図だと、とくに凡例がなくても触った実感で分かります。
次に、1980年代以降、駅などの公共施設に設置されるようになった各種の触知案内図が並んでいました。初期には、まず手作りで原図・原版を作り、それをシリコンで型取りし、それを基に実物を作っていました。シリコン型では原版と凹凸が反対になっていて、点字も凹点になっていました。このシリコン型にいくつか電極を付け、銅イオンの水溶液に浸しておいて、シリコン表面に銅を電着させて作ったそうです。
その後、原図は手作りではなくデータを使用するようになり、エッチング方式、ステンレスホーロー方式(触感はよかった)、アクリル象嵌方式(点字の点などがとがって鋭いような感じがした)、さらに最近はUv印刷などで製作されるようになり、それらのサンプルがいろいろ展示されていました。
次に、お目当てのサーモフォームによる日本地図や世界地図。これは、1960年代後半から日点の点訳奉仕者後藤良一さんが製作したものです。さらに1972年には後藤さんを中心に触図研究会が発足、後藤さんが集めた触図製作のためのさまざまな道具や研究成果などもたくさん展示されていました。ごく小さいものから大きなものまでいろいろなルレット、小さな十字型や四角や三角や円などのパーツ、糸などが整理されていました。また、同じ図やグラフを数種の異なる手法で描いたものもありました。1984年に製作された『指で読む世界地図帳』(全3巻)は、このような長年の準備と研究の成果と言ってよいものでしょう。私も以前この地図帳を触って、その正確さに感心したものです。久しぶりに触って、経緯線が必ず示されていて、たまにその線が触読の妨げになることもありますが、位置を正確に頭に入れるためにはとても良いものだったなあとあらためて思い出しました(私は経緯度を言われると、だいたいその位置が想像できるようになりました)。
私が点字の仕事を始めて間もないころしばしば参考にした『「視覚障害者のための公共交通機関利用ガイドブック」作成マニュアル』なども展示されていました。多数の発泡印刷のサンプルも含まれていますが、細かい所までよく表現できるものの、点図やサーモフォームに比べてやはり鮮明さは劣るなあとあらためて感じました。
その他、私にとって目新しいものに、モフレル(Mofrel)で印刷された、東京オリンピックとパラリンピックのエンブレムが展示されていました。いずれも3種の四角形(細長い小さな四角形、正方形、大きめの長方形)をすきまを空けて配置したもので、オリンピックのエンブレムはそれらを直径15cm余ほどのリング状に配し、パラリンピックのエンブレムは同じくリング状ですが、上が開いた形になっています(開いて上に伸びている部分には主に細長い四角形が使われていた)。またパラリンピックのエンブレムでは、リングの左下に長さ4cmほどの3個の弧型が方向を変えて配されていて、私はこの独特の形が気に入りました。このモフレルによる印刷はかなり高く盛り上がっていましたが、表面はつるうーとしていて、とても触感がよかったです(立体コピーや最近のイージータクティクスでは、高く盛り上がった部分の表面にはしばしば細かく割れたようにシワのようなのができて、触り心地はあまりよくない)。
触図関係はこれくらいの展示でしたが、すばる望遠鏡の小さな模型などもあって、私は心踊りました。すばる望遠鏡は、下の部分は水平に回転し、上の部分は垂直方向に回転(ただし片側90度の範囲だけ)して、この2つの回転を組み合わせて全天のどの方向も観測できるようになっているようです。また、下の部分の中には細い棒がたくさんあって、それが三角形にいろいろな方向に組み合わされています(多くは 4面体のようになっていたと思う。これが、重い構造物を支えるトラス構造なのだと納得しました)。隣りにはガリレオが作ったという望遠鏡(凸レンズを使った屈折望遠鏡)の模型もあり、立体コピーで屈折望遠鏡と反射望遠鏡の原理を説明する図もありました。反射望遠鏡の図では、上から入った光が下の凹面鏡で反射され、上に向った光が斜めに置かれた副鏡で水平方向に転じて、それを横から見ていることが分かりました。
帰りには、いろいろな原図の中から好きなものをサーモフォームで印刷するサービスがあって、私は「重要文化財 旧商家 丸一本間家 間取り図」をコピーしてもらいました。
今回の企画展、後藤さんの触図にかけた情熱とその成果にふれることができました。今はエーデルという使いやすい点図ソフトと、それを打ち出すプリンタで多くの点訳本が作られていますが、それは触って分かりやすい図の可能性を狭めているようにも思います。触図についてはやはり、もっと深く考えなおさなければと思いました。
(2020年9月29日)