愛知県美術館の「ミロ展 ― 日本を夢みて」 ミロに少しだけお近づきになれたかも?

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 6月23日、愛知県美術館で開催中の「ミロ展 ― 日本を夢みて」関連で、テストケースとして行われた視覚障害者対応の鑑賞プログラムに参加しました。愛知県美術館では、開館間もないころから30年近く、年に数回、視覚障害者対応のプログラムを実施してきました。しかし、コロナのため、視覚障害者向けの対面での鑑賞ツアーはできなくなりました。できれば今年秋以降に、対面での鑑賞ツアーも実施できるよう準備するために、今回のごく少人数による鑑賞会をテストケースとして実施したということです。
 私は、これまでミロの作品にわずかですがふれたことはあります(今回のプログラムの2日前に知り合いと大山崎山荘美術館に行ったが、偶然にもミロの彫刻が6点展示されていて、少し説明してもらった。また、2年近く前、国立国際美術館で、1970年の大阪万博のガスパビリオンに展示されていたという陶板の巨大な壁画「無垢の笑い」を見学したことがある。もう10年以上前になるが、兵庫県立美術館で彫刻に触ったり、三重県立美術館で立体コピー図版(「女と鳥」)に触ったこともある)。しかし、なんだかよく分からない、ずうっと宙ぶらりんな感じでいました。今回のミロ展に行っても、どうなんだろうか?なにか分かったと思えるようなことがあるのだろうか?と思いつつ、それでもせっかくの機会なのだと思って申し込んでみました。募集人数はわずか3人、申し込み期間も短かったのですが、申し込んだのは私1人だけだとのこと、ちょっと躊躇してしまいました。
 午前10時過ぎに地下鉄の栄駅に到着、すでにアートな美のMさんが迎えにこられていて、途中簡単な昼食を買ったりしながら、10時20分くらいには愛知県美術館へ。懐しいアートな美のボランティア数人のお声を聞きました。参加者は、私と、アートな美の方々が6、7人、それに主催者の県美のスタッフがお2人、計10人くらいでした。
 10時半に開始。初めに、県美のスタッフより、このプログラムの趣旨(今後の対面の鑑賞プログラム実施のための課題をさぐる)と注意事項の説明があり、消毒、検温、手洗いなどを済ませて、早速Mさんの案内で会場へ。Mさんに数点の作品についてゆっくり説明してもらい、時々県美のスタッフの方に詳しく説明してもらいました。(他のアートな美の方々は、少し離れた所から見守っていたようです。)
 入口を入ってすぐ、大きなたぬき(たぶん信楽焼き?)を見上げているミロの写真。ミロ(1893〜1983年)は、若いころから浮世絵など日本のアート・文化に興味を持ち、身の回りにも収集品を置いていたとか。1966年、日本でミロの回顧展が行われたさいに、73歳にしてようやく初来日、2週間ほど滞在し各地をめぐったようです。写真は、その時のものでしょうか?
 続いて、立体コピー図版も触りながら、「絵画」(1925年)。この立体コピー図版を触って、私は一瞬、2人の子どもがシーソーのようなのに揺られながら空中に浮いているような印象を受けました。縦1m、横130cmほどの大きな画面。水色の背景に、細い黒い線で、半円を少しずつずらしながら1回半往復するように一筆書きで、絵の輪郭全体が描かれています。一筆書きで絵の輪郭を描いてしまうとは、すごいと言うか、単純過ぎると言うか!。輪郭の左上と右上には、白い顔らしきものと、細長い木の葉の形のような赤いくちびるがあります(右上では、白い顔から黒い線で赤いくちびるがぶら下がっている)。具体的にはなんだかよくは分かりませんが、絵の表現の本質のようなものを追及しようとした試みのように思えなくもないと思ったり…。
 展示室の中央には、「大壺」(1966年)という陶の作品が置かれているとのこと。直径80cm(上の口の部分は30cm弱で小さくなっている)、高さ1m余の大きな作品。粘土紐を10段くらい積み重ねてつくっているようです。表面は、粘土の色というより、抹茶色(と言われても私にはよく分からない。ちょっとくすんだうすい緑?)で、そこに濃い抹茶色(濃いグリーン、紺色?)で、円っぽかったり四角っぽかったり、目のように見えたり、音符のようにも見えたりするような、いろいろな模様が描かれているとか。この作品は、ジュゼップ・リュレンス・イ・アルティガス(1892〜1980年)との共作です。アルティガスは、早くから中国や日本の陶芸に興味を持ち研究していたとかで、1940年代からミロはアルティガスと共作していたようです。ミロは、初来日した時も、信楽や瀬戸の窯元なども見て回ったようです。
 次に、立体コピー図版で「女、星」(1942年)。この作品は、この展覧会の前期のみの展示で、今は展示されていないとのこと(類似の作品は展示されていると言っていました)。縦長の画面で、女の人が3人並んで描かれ、右上に星のようなものがあります(この星は、中心から上下にそれぞれ3本の線が伸びていますが、これと同様の3本線が、各人の頭の上などにも見られる)。3人の顔の部分は、楕円で示され、その中に頬らしきものや口などが配されています。顔の下の体幹部は、左の人と右の人では、円錐のような形で示され、中央の人では、大きな楕円で示され、その楕円の両肩にあたるような所に三日月の形が乗っています。また、それぞれの人の2本の足の片足の先には小さな円がついているのですが、この円のある足と各人の顔の方向が一致しています(左と右の人は右向き、中央の人は左向き)。中央の人の輪郭は、ほぼ一筆書きでたどることができ、頭の先と顔、顔と体幹部が、1本線でしかつながっていません。さらに、右の人では、もっと分解したようなかたちで描かれているように思います(顔の上に、見えていない側の顔?、体幹部の横に、それがまとっているような着衣?、そして脚部は体幹部から離れてある)。この絵、なにか触り飽きることはありませんでした。なにか、絵の表現法、身体を中までふくめてどのようにあらわすかなど、研究的というか挑戦的な作品のようにも思えました(考え過ぎ?)。
 次は、上の作品とは打って変わった「絵画」(制作年はよく分からない)。一瞬触った印象は、長ーい虫がゆらゆら歩いているような感じでした。横長の画面で、縦1m弱、横3mくらいもある大きな画面です。その画面に、左から右に向って、太い黒い線が2回湾曲しながら描かれています(画面の左端は少し空いているが、右端は伸びてきた線が途切れていて、さらに画面外に続いていることを予想させる)。太い線の中央よりやや左と中央に縦線が2本通り、中央の縦線は右側にぎゅっとはねています。太い線は中央より右側でいったんターンしてから右に伸びているのですが、その上あたりに赤い円があり、その回りは星形に黒く塗られています。またこの赤い円の左上にも、黒くくちゃくちゃと塗りつぶしたような円っぽいものがあります(これらは目のように見えるかも)。太い線のきわや、縦線の端はかすれたようになっていますし、太い線に接してにじみのようなのも触って分かります。私は書道をほとんど知りませんが、おそらく書道の特質もよくあらわされていると思います。
 次も、これまた変った「人、鳥」(1976年)(これは立体コピー図版はなかった)。画面の下地は黄色っぽい?、よく見るとざらざらのサンドペーパーの表面だとか。そこに黒い線が描かれているのですが、その真中あたりは破りとられたようになっていて、そこにサンドペーパーを裏返したものが木と釘で張り止めてあるとか。そのサンドペーパーの裏には印刷文字が見え、24番?とかペーパーの番数が書いてあるよう。そしてそこにも黒い線が見え、なにか文字のような、漢字の「鳥」のようにも見えるとか。ますます自由な表現になっているようです(これを書きながら、昨年春にちょっと見学した同じくスペインの現代のアーティスト、ミケル・バルセロの表現方法にこだわらない奔放な作品を思い出した)。
 ミロ展で鑑賞したのはこれくらいですが、陶芸や書道など日本文化の影響にとどまらず、遠近法や光と影とかいった伝統的な絵の手法とはまったく関係なく、幾何学的な形や記号のようなもの、文字なども取り込んで、とにかく絵の本質、あるいは表現したい物の本質を求めて長い間歩み続けたらしいことの一端にふれることができたように思います。
 
 その後、コレクション展の作品も数点鑑賞させてもらいました。
 まず、ジョルジュ・ミンヌ(1866〜1941年、ベルギーの彫刻家)の「聖遺物箱を担ぐ少年」(1897年)。高さ1m余の台の上に、高さ60cm余くらいでしょうか、膝立ちの姿勢ですっと立っている細身の少年の像です。首をやや右に傾け、左肩の上に長方形の箱を乗せ、その箱をなにか大事そうに両手でおさえています(箱の前にそれぞれ4本の指を、箱の両側に広げた親指を当てている)。お尻や背中の筋肉をぴんと引き締め、体が前に倒れないようにしっかり姿勢を保っているようです。台上で後ろに伸びる下腿部の筋肉の流れ、その先の足裏や、箱を支える両手指の微妙なしわのようなもの、頭部の髪の波のように繰り返す曲面など、よく表現されているように思います。表面の手触りはさらさらしていて、石の堅さはあまり感じられず、なにか心のこもった作品のように伝わってきます。
 次に、ロダンの「歩く人」(1900年)。(これは、以前1度触ったことがあるように思う。)60cm余ほどの舟形のような台上に、右脚を大きく踏み出して立っているトルソで、高さは70cmくらいでしょうか。右脚を大きく踏み出しているためなのか、左脚に比べて右脚が長く、バランスを取るためなのでしょう、右足首の後ろには垂直に棒のようなのが入っていました。腰から上の胴部はちょっとねじれて、貧弱な感じがします(腕や首をきれいに切断したのではなく、無理やりもぎとったような感じ?)。後で、頂いた資料の中に、この作品の形を切り取った紙があることに気付きました。トルソの像の形とともに、それから予想される全身の姿もありました(右腕を振り上げ、左腕は体側に付けている)。このような簡単な資料でも、美術館で鑑賞した作品を後で振り返ってみるのに役に立ちます。
 最後に、この美術館の最大の名品?とも言うべき、クリムトの「人生は戦いなり(黄金の騎士)」(1903年)。この作品については、これまでに何回か説明してもらったことがあり、また立体コピー図版などでも触ったことがあります。今回は、布や金属、皮などを使って制作した、60cm四方ほどの大きさの立体的にあらわした版で、これを触りながら以前の記憶をよみがえらせていました。新たに教えてもらったのは、画面左下に横向きに描かれている蛇の頭は、最初公開されたころは、蛇が鎌首をもたげ上に伸びていたということ。邪悪と戦うというこの絵のテーマの1つが、より明確に表現されていたのでしょう。
 
(2022年6月27日)