9月30日、滋賀県近江八幡市のボーダレスアートミュージアム No-Maで11月6日まで開催されている企画展 「絵になる風景」を、スタッフの方の案内と解説で見学しました。今回の企画展でも、全回同様、すべての作品について視覚以外の方法でも鑑賞できる方法を工夫しているということで、どんな作品に出会えるのか、とくに今回の企画展ではモンの人たちの刺繍の作品に触れられるのではと期待しながら出かけました。(10月30日午後にもNo-Maに出かけて、モンの作品を中心にもう1度鑑賞しました。)
7名の作家さんの絵が展示されていますが、私の印象ではふつう「風景画」と呼ばれているものとはちょっと違って、各作家の心に残っている風景、記憶の断片を絵にとどめたものと言えるでしょうか。
最初に触ったのは、畑中亜未さんの明かりや光をテーマとした作品の立体コピー図版。5、6点はあったでしょうか、傘の大きなむかしの電気スタンド、中央下のランプから上に伸びる光の炎のようなものとその光に照らし出される?両側の木、むかしの白熱電球、縦に走るジグザグのやや太めの稲光のなどが描かれていました。光にこだわっていることはよく分かりますが、なにか心寂しいような感じを持ちました。
福田絵理さんの「部屋とひとがた、その他のなにか」は、作品のタイトルからしてなにかよく分かりませんが、目で見ても全体にグレーのわずかな濃淡で描かれていて、奥にある窓?から光が入ってきているようでぼんやりと室内であることは分かりますが何が描かれているかは分からないとのこと。この作品では、触図ではなく、絵の雰囲気を伝えようと、作家さんとも相談の上、立体の箱が用意されていました。箱の手前から中に両手を入れると、箱の内側はすべてふわふわの毛のようなもので覆われ、箱の中央と回りに数個の円錐形の毛のかたまりのようなのがありますが、なんだか分かりません。奥まで手を入れると、左奥に2つの小さな孔があって、そこは毛を突き抜けて指が出そうになって、窓のようなものになっていることが分かります。触図にしようにも、形がはっきりしないものは触って分かるような図にはしにくいので、絵の雰囲気をこのようなかたちで伝えようとする試みも面白いです。もう1点、対応する触図などはありませんでしたが、「ボルゾイまたは野犬」というタイトルの作品もあって、これはぼんやりと目のようなものが見えてきて、なにか生き物らしきものとは分かるらしいです(ボルゾイは、ロシア原産の猟犬で、長毛の細身の体で姿がきれいだとか)。心の中にある2つの記憶を合わせた表現になっているのでしょう。
三橋精樹さんの作品は、立体コピー図にしたものが10点近くありましたが、具体的にどんな絵だったのか、あまりよく覚えていません。大部分の作品は画面全体が黒1色で塗りつぶされていて、よく見ると、塗りつぶす筆圧の違いで、表現しようとしたものがぼんやりと見えてくるようです。各作品の裏面にはそれぞれの絵についての作家自身の詳細なテキストが記されていて、それを点字と音声でも確認できるようになっていましたが、それを読んだり聴いたりしても、面的に描かれた触図を触って理解することはできませんでした。私が記憶しているのは、線も使って描かれている絵2点です。1点は若草山を描いたということで、急な斜面や草など分かりました。もう1点は、触ってちょっと異質と言うか驚きを感じたもので、画面右端上に小さな飛行機が数機あり、その中の3機の飛行機からそれぞれ細い線が伸びて左側の山のような所に円い大きな弾が当たっています。これは、テキストによれば沖縄戦の場面のようです。作家の三橋さんは1943年?生まれなので、直接の体験ではなく、テレビなどの映像が心の風景になったものなのでしょう。
古久保憲満さんの「3つのパノラマパーク 360度パノラマの世界『観覧車、リニアモーターカー、ビル群、昔現未、鉄道ブリッジ、郊外の街、先住民天然資源のある開発中の町』」は、長さ10メートルもある絵巻物のような作品で、別棟の倉の内側の壁面をめぐるように展示されていました。高校1年の時から5年以上かけて描き続けたものだとかで、とても細かく大量のモチーフが描かれているようです。その巨大な画面の中のごく小部分の3箇所をかなり拡大した立体コピー図版が3枚用意されていました。1枚は円い観覧車の図、その他の2枚には、線路と電車、多くの車、道の両側の店舗を示すいろいろなマーク、細い塔のような建物など、細かくたくさん描かれていました。ごく小部分の3箇所だけでもこんなですから、全体が見えるとなんか目が回りそうと思ったり…。
衣真一郎さんの「横たわる風景」は、画面中央に横幅いっぱいに、真横から見た大きな前方後円墳(後ろが小山のように高く丸く盛り上がっていて、その前がくびれて低くなり、そこから前へ少し高く水平に伸びている)が描かれています。画面上のほうには家らしきものが見られ、画面下のほうには、畑?やビニールハウスのようなもの、さらにその下には道沿いなのでしょうか、いくつかの車や店の看板のようなのもあります。ここに描かれている大きな古墳は、作家の生まれ故郷の群馬のものだとのこと、調べてみると、群馬県には、東日本最大の墳丘長210mの太田天神山古墳をはじめ100m前後の古墳がいくつもあります。古里の特徴がよくあらわされた風景なのでしょうか?
古谷秀男さんの作品は、立体コピー図版で10枚近くありました。今回触った触図の中では、風景の絵だなと自然に感じられるものでした。左右対称と言うか、均衡のとれた作品が多く、触っても分かりやすかったです。花がたくさん描かれ、しばしば太い幾本もの枝を横に大きく広げた樹もあります(なんか熱帯を感じる)。印象に残っている作品は、野原に寝そべって片手に花を持っている女性、家族4人で大きな船に乗り人々に見送られている様子(ブラジルに渡る時なのでしょうか?)、牛の回りに多くの人たちがいる様子(闘牛?)です。古谷さんは1941年生まれ(私より10歳上)、1957年、16歳で開拓移民としてブラジルに渡り、1990年ころに帰国、1997年から奈良県にある福祉施設に入所、60歳を過ぎた2005年ころから絵を描くようになり、開拓移民として30年以上過ごしたブラジルの記憶を主に描いているそうです。
最後に、私のお目当ての作品、タイに住むモンの女性ドゥ・セーソン(Du Sae Song)さんの刺繍によってつくられた大きな作品たち。これらの作品は、手をよく洗って、直接触って鑑賞することができました。最初に触ったのが、「メコン川を渡って 〜戦争からの逃避〜」(2010〜2017年)という作品で、幅2.5mくらい、高さ150cm余のさらさらした手触りの布にとても細かく刺繍で描かれています(輪郭線を縫っているだけでなく各モチーフの面全体を埋め尽くすように刺繍しているので、気の遠くなるような根気のいる作業だったと思う)。題材は、モンの人たちが経験し世代から世代へと伝えられてきた記憶で、それを時系列的にたどることができました。
モン(Hmong)の人たちは、もともとは中国の少数民族ミャオ(苗)族のサブグループで、長江の南の湖南・湖北・江西といった地域に住んでいたようです。18世紀以降、清朝の支配が強まりまた漢族も多数入ってきて、しばしば抗争を起こしますが鎮圧され、より南の雲南省など、さらに19世紀には一部の人たちはベトナム、ラオス、ミャンマー、タイの山地に移動します(彼らは山地で焼畑による移動耕作をしていたので、生活の場を変えやすかったかも知れない)。1950年代以降のインドシナ戦争、ベトナム戦争では、ラオスのモンの人たちはフランス、次いでアメリカに協力し、とくにベトナム戦争時にはロンチェン米軍基地で訓練も受けて、北ベトナムから南ベトナムへの補給路だったホーチミンルートの破壊工作を担った人たちもいるとのこと(北ベトナムにもモンの人たちがいたので、同じモンの人たちが敵味方に別れて戦うこともあったかも)。1975年のベトナム戦争終結とともに、ラオスのモンの多くの人たちは北ベトナム軍に追われ、メコン川を渡てタイに入り、一時バン・ヴィナイ難民キャンプで暮らします。そのままタイに留まり暮らし続けている人(多くは都市部ではなく山地でひっそりと暮らしているようだ)、タイからアメリカやフランスなどヨーロッパ諸国、オーストラリアなど各国に移住する人、ラオス本国に帰った人たちもいます(ドゥ・セーソンさんは、タイの難民キャンプで生まれ育ち、本国に帰れるのではと期待しながらも、タイでの生活を続けています。しかしお兄さんはアメリカに移住したとのこと)。
このようなラオスのモンの歴史が、この大きな刺繍の絵で表現されていました。メコン川が画面の左上から左中央、そこから右に折れて少しずつ川幅を広げながら画面右端まで流れていて、その回りに特徴的なシーンが描かれています。画面左上(メコン川の向って左側)には万里の長城が見え、馬に乗った人に追われてモンの人たちが移動しているようです。その右側(メコン川の向って右側)には、ラオスの山での平和な?生活が描かれています(キビのような作物を育て、薪を積み上げて鍋でなにかを似ていたり、記憶がはっきりしませんが、牛や犬のような動物も描かれていた。また、メコン川には船も見えている)。その右では、ベトナム軍に追われている様子が描かれています(モンの人たちが手を上げて行列になり、一番後ろの人に銃が突きつけられていたり、両脇を兵士にはさまれて連れて行かれたり)、メコン川をはさんで画面右下には、タイの難民キャンプの様子です(女性が天秤棒のようなもので水を運んでいる)。そして、画面左下には、バンコクの空港なのでしょう、大きな飛行機が描かれ、海外に行こうとする人たちが乗り込もうとしています。まるで絵巻物のような歴史画を見ているような感じがします。
この絵のように、ストーリー性のある話を生地に刺繍で描いたものを、ストーリー・クロスと言うそうです。そしてストーリー・クロスは、タイの難民キャンプでは外に出て仕事をすることが禁じられていたこともあって、NGOの協力を得て、モンの女性の間で受け継がれてきた縫いの技術を生かして販売用に製作されたものだとのことです(ストーリー・クロスの下絵は男性が描くこともあったとのこと。なお、モンの刺繍はもともとは衣装を装飾するもので、身近な動植物を象徴するような文様が多かったようだ)。
ドゥ・セーソンさんのストーリー・クロスが、このほかにもう3点展示されていました。いずれも幅70cmくらい、高さ150cmほどで、モンに伝わる民話を描いた作品2点と、正月前後に行われる祭りなどの風景を描いたものです。「二羽の鳥の夫婦」はスズメの夫婦のお話で、自分たちの巣が炎に包まれて夫婦は死んでしまうのですが、生まれ変わった第2の生で2人は最後には結ばれるというハッピーエンドな話でした(燃え立っている炎は触って印象的だった)。「ヌーブライとジャー」は、夫のヌーブライと妻のジャーの旅のお話で、途中で2人は別れ、妻がトラに誘われてその背中に乗っていなくなり、それを夫が探し当てるという話でした(トラは触って少し分かった)。正月はモンの村の人たちにとって大切な祭りで、正月前後の風景を描いた作品では、棒の回りを人々が回っていたり、いろいろ料理していたり、キビのようなのを収穫していたり、闘牛を観たり、結婚式の場面などで、とくに男女が手を上げて鞠を投げ合って結婚相手を探すという場面が印象に残っています。
モンの人たちは文字を持たなかったそうですが、このように絵に描くことによって、過去から受け継がれてきた民族の記憶をだれにでも容易に分かるように表現できているようで、絵が文字以上の力を持つこともあるのかと実感しました。
(2022年10月3日、11月8日更新)