ふれる博物館の「石を感じる」展

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 昨年末の12月23日、日本点字図書館のふれる博物館で3月18日まで開催されている第11回企画展「石を感じる」を見学しました。静岡県富士宮市にある奇石博物館の全面的協力によって行われているものだとのこと。奇石博物館は、岩石や鉱物に触れるほか、石の採集体験のようなこともできるなど、ぜひ一度は行ってみたいと思っていた博物館でした。また私は若いころは一時石に夢中ウニなったことがあって、よく鉱物屋さんに行ったり、石の展示即売会、さらには子どもたちの石の採集会に参加させてもらったりなどして、大いに石を楽しみました。今回の企画展、久しぶりに石と触れ合って幸せな時を過ごせるのではとワクワクしながら行きました。以下に当日触った展示品を紹介します。帰りに頂いた点字の冊子は、各展示品について詳しく解説されていて、これも大いに参考にしました。なお、記述は展示されていた順ではなく、私なりにグループ分けして説明しています。
 
●花崗岩とその造岩鉱物たち
 花崗岩は20cmほどの大きさで、表面はざらつき堅そうな手触りで、縁にはかなり鋭利な所もありなにかまだ新しそうな感じがします。この石は、2011年3月11日、東日本大震災の際に倒壊した茨城県鹿島市の鹿島神宮の大鳥居(高さ13m?もあり、国産の花崗岩の鳥居としては日本最大)の石材片だということです。鹿島市で震度6弱の本震で大鳥居の根本部に亀裂ができ、30分後の大きな余震で全体が倒壊し、その鳥居の上の水平な部分の破片がこの展示されている花崗岩だということです。この花崗岩は茨城県笠間市の稲田地区に産するもの(稲田石と呼ばれる)で、6千万年以上前に地下深部でできたもので、日本の花崗岩としては古いもののようです。日本は火山の国ですからほぼどこにでも花崗岩は分布しており(地球全体でみても、大陸地殻の主要な岩石は花崗岩)、日本各地には、稲田石のほかにも、兵庫県六甲山の本御影をはじめ、香川県高松市の庵治・牟礼地区の庵治石、岡山県笠岡市の北木島・白石島の北木(きたぎ)石、岡山市万成・岩井地区の万成(まんなり)石、岐阜県中津川市の蛭川石、茨城県桜川市真壁地区の真壁石など、石材として使われる花崗岩の産地があります。
 稲田石は、主に石英、正長石、黒雲母から成っていて、とくに長石が多いことから白っぽく見えるようです。そしてこれら3種の鉱物が展示されていました。
 石英(SiO2)は大きなきれいな結晶で、水晶と呼ばれるもの。高さ20cm弱、太さ4〜5cmほどで、六角柱の上に六角錐が乗った形です(六角柱の根本付近にはとがった小さな結晶が10個近く付いていた)。上の六角錐の各三角形の面はまるでガラス面のようにとてもつるつるです。六角柱の縦長の各面は完全な平面ではなくわずかに波打つように凹凸があり、真横に細い線が密にたくさん走っています。この線は条線と呼ばれるもので、結晶がゆっくり成長してゆくことに伴って生じるものです。展示されていた水晶は向こう側が透けて見えるほど透明だということで、混じりけのないほぼ純粋な二酸化珪素の結晶なのでしょう。水晶には、含まれる微量な成分や鉱物などによって、黄水晶(シトリン)、紅水晶(ローズクォーツ)、紫水晶(アメシスト)、煙水晶、黒水晶、草入り水晶などがあります。
 これらの水晶の中で、アメシストが展示されていました。径が6〜7cmくらい、表面がざらざらした石の内側が大きな空洞になっていて、その空洞の内面に1cmにも満たない六角錐や五角錐のようなとがったつるつるのきれいな結晶がたくさん並んでいます(触って痛々しかった)。アメシストが紫色に見えるのは、結晶中の珪素(Si4+)の一部が鉄(Fe3+)に置き換わって電気的にバランスをくずしたことから生じる結晶構造の欠陥が原因で、この欠陥部が光のスペクトルの黄色の部分を吸収するため、その補色である紫色に見えるのだそうです。
 次に、正長石(KAlSi3O8)。10cm余のごろっとした感じの石で、表面には小さな粒粒は分かるものの結晶なのかどうかはよく分かりません(私は正長石の4〜5cmくらいもある直方体のような大きな結晶に触ったことがある)。長石にはいろいろな種類があり、典型的なものとして、この正長石(カリ長石とも言う)とともに、曹長石(NaAlSi3O8)、灰長石(CaAl2Si2O8)があり、正長石と曹長石を端成分とする固溶体をアルカリ長石、曹長石と灰長石を端成分とする固溶体を斜長石と総称します(固溶体:2種以上の物質が互いに溶け合って均一な結晶を形成したもの)。長石類は火成岩ばかりでなく、変成岩や堆積岩にも多く含まれ、さらに粘土も岩石中の長石が風化してできたもので、地殻の岩石のなんと64%が長石だとか(石英も18%)。正長石に微量の鉛が含まれたものは青緑色で、アマゾナイト(天河石)として珍重されます
 次に、雲母。展示されていたのは黒雲母ではなく、白雲母(KAl2AlSi3O10(OH)2)でした。数点置かれていましたが、この石の特徴はなんと言っても薄くはがれること!実際にサンプルを手ではがしてみると、どんどん薄く、紙よりもずっと薄くはがれ、しかもセルロイドの下敷きのように、手で曲げるとぐにゃっと曲がり、手を離すと元に戻ります!(雲母の結晶構造は、六角形が隙間なく平面的に連なったものが多数積み重なったような構造になっていて、そのためいくらでも薄くはがれるようです。)ずっとむかしは雲母の剥片はガラス窓のように使われていましたし、電気絶縁性や耐熱性が高く今でも一部の成品に使われているようです。白雲母のほか、絹雲母、リチア雲母、クロム白雲母、黒雲母、金雲母などがあります。私のコレクションには、水晶の結晶が付いた、輝くようなリチア雲母があります。
 
●火山の石たち
 先に紹介した花崗岩は地下の深い所でマグマがゆっくり冷えてできたもので、深成岩と呼ばれます(深成岩には花崗岩のほか、閃緑岩や斑糲岩などもある)。これにたいし、マグマが地表あるいは海底まで上がって来て結晶する間もなく急激に冷え固まったのが玄武岩などの火山岩です(火山岩には、玄武岩のほか、安山岩、デイサイト、流紋岩などがある。海洋地殻の大部分は玄武岩)。
 富士山の玄武岩が展示されていました。20cm弱ほどの大きさで、かなり堅そうで、花崗岩のように粗い粒粒のようなのはなく、緻密な感じがします。持ってみるとかなり重かったです(たぶん花崗岩より重い)。見た目は黒っぽいそうです(鉄分やマグネシウム分が多いため)。富士山は10万年ほど前から何度も噴火を繰り返していますが、この玄武岩は、5200年ほど前、富士山の南西麓にある天母山の標高520mに位置する奇石博物館のすぐ近くを流れた溶岩だそうです。(富士山の3D模型も展示されていて、それで奇石博物館の位置を確認してみると、山頂の北東にある、1707年の宝永の大噴火の火口から時計回りにちょうど90度くらいの所にありました。)
 次は、ずっしりとした玄武岩とは対照的な軽石です。1914年の鹿児島県桜島の噴火のさいのものだということです(この噴火で桜島は対岸の陸とつながった)。直径6cmくらいのほぼ球形で、表面はサラサラ・カリカリした手触りで、持ってみるとせいぜい卵1個分くらいの重さしかありません。当然水に浮きそうです(2021年夏に小笠原諸島付近の海底火山が噴火し、そのさいの軽石が千数百キロ離れた沖縄など日本各地に漂着して問題になった)。マグマが地表付近まで達すると、急に圧力が下がって中に閉じ込められていた揮発性のガスが発泡して無数の空洞ができ、その状態で冷え固まるとこのような軽石になります。この軽石はやや白っぽいようです。桜島の軽石はどちらかと言うと珪長質が多く、岩石としてはデイサイト(化学素性としては花崗岩に近い)に属するようです。鉄分やマグネシウム分の多いマグマの場合は、軽石は黒っぽかったり少し赤っぽい?ようで、スコリアと呼ばれるそうです。
 
●河原の礫や砂、そして堆積岩類
 身近に石を見つけられるのは、河原です。河原にある石は、主にその河川の上流域から流れてきた石たちです。石は流れている間に削られるので、上流ほど大きな角張った石が多く、下流では角のとれた丸っぽい小さな石が多くなります。石ころは、その径によって、礫、砂、泥に分類されます。径が2mmより大きいものが礫、2mmから16分の1mmの間のものが砂、16分の1mmより小さいものが泥とされています。流れている石ころたちの沈降速度は径が大きいものほど速いので、同じ場所では径の大きいものから順に堆積しますし、また下流に行くほど径の小さい砂や泥の割合いが多くなります。これらの石ころたちが集まって岩石化すると、礫の部分は礫岩、砂の部分は砂岩、泥の部分は泥岩となります。
 これらは主に河川のはたらきでできる堆積岩(砕屑岩と呼ばれる)ですが、主に海で生物の遺骸などが堆積してできた堆積岩(生物岩と言う)もあります。サンゴや貝殻などからできるのが石灰岩で、主に炭酸カルシウムから成っています。遠海に運ばれ深海に降り積もった放散虫や珪藻などからできるのが硬いチャートで、主に二酸化珪素から成っています。(堆積岩には他にも、化学的作用による沈澱でできる化学岩もある。)堆積岩の1つの特徴はしばしば化石が含まれていることがあることです(火成岩や変成岩では化石は含まれない)。
 展示されていたのは、まず礫と砂。礫は砂利のような感じで、砂はやや粗い砂粒でした。また、数cmくらいあるいろんな形の河原の石もありました。そしてちょっとすごいなと思ったのが、伊吹山の麓で採取したという「石灰質角礫岩」。20cmはある大きな塊なのですが、4〜5cmくらいもある大きな石から1〜2cmくらいの小さな石まで、いろいろな大きさや形のたくさんの石たちがまるで接着剤を流し込んで固めたように大きな1つの塊になっていました。展示では「さざれ石」という名が付けられていました。「さざれ石」は本来は細かな石のことなのですが、君が代に「さざれ石の巌となりて」とあるように、小石も寄り集まれば大きな巌にまでなるということで、このような大きな角礫岩は各地の神社などで大切にされているようです。
 滋賀県と岐阜県境付近にある伊吹山には広く石灰岩も分布しています。(この石灰岩は、私も行ったことのある岐阜県大垣市の金生山の石灰岩と同様、今から2億5千万年以上前、古生代ペルム紀の南の海のサンゴやフズリナなどが起源です。)石灰岩の地形は浸食されやすく、また断層も走っていて、頂上近くからいろいろな大きさの石が斜面や崖を転がり落ち、それら麓に落ちてきたいろいろな礫に水に溶け出した石灰分が沈着して、それがいわばセメントのような役割をして、お互いの礫をくっつけ合い1つの大きな石の塊にしているようです。
 次に、「鳥巣(とりのす)石灰岩」。高知県の中央部に位置する佐川町の鳥巣地区に産する石灰岩で、1883年と85年にこの地を訪れたお雇い外国人でドイツの地質学者エドモンド・ナウマン(1854〜1927年)が「Torinosu limestone」と名付けて報告したもので、彼はこの石について、ハンマーでたたくと石油臭がすることが特徴だと紹介しているそうです。この石灰岩は、1億5千万年くらい前ころ、中生代ジュラ紀後期の南のあたたかな浅海の、サンゴ礁が発達し多種の生物群が繁栄していた環境で形成された石灰岩で、多くの造礁性のサンゴや層孔虫類をはじめ、多様な石灰藻、貝類や腕足類、アンモナイトやウミユリ、ウニなど(鳥巣動物群と呼ばれるらしい)が含まれているそうです。そして、同様の石灰岩は、九州から四国、関東、さらに福島県や北海道までの太平洋岸に点々と分布しているとのことです。展示されていたのは10数cmほどの大きさの石灰岩で、実際に小さなハンマーで何度かたたいてみました。なにか独特のにおいはするものの、それが石油臭なのかどうかは私にはよくは分かりませんでした。
 次は、「ストロマトライト」。ストロマトライトと言えば、私は博物館で20数億年前に発達したストロマトライトの断面に何度か触ったことはありますが、今回展示されていたストロマトライトは触って観察するのにとても良い標本でした。直径5cm余、高さ7cmほどのドームのようなきれいな形です。トームの表面はさらさらしたような手触りで、ゆるやかにぽこぽこしたようなふくらみもいくつかあります。そして、ひっくり返して底面を触ってみると、中心部が凹み、それを中心に同心円状に数個のリングが内側から外側に並んでいることが極めてはっきりと分かります(私がこれまでに触った標本では、同心円状の筋のようなのが微かに触って判別できる程度だった)。
 ストロマトライトは、シアノバクテリアという微小な単細胞の原核生物の生命活動によってできた石だとされています。シアノバクテリアは浅海域の海底などに生息し、昼は太陽の光エネルギーを使って光合成(二酸化炭素と水から有機物と酸素をつくる)を行い、夜は休眠して海底に降り積もる砂泥を周囲に分泌した粘液で固定します。この過程を延々と繰り返すことででき上がったのが、ストロマライトの同心球体状のドーム構造だということです。この標本を触っていると、中心から、内側から外側へ、下から上へと成長していく様が想像できます。シアノバクテリアは35億年前の地層からその化石が見つかっており、30億年前以降海中で繁栄し、大量にあった二酸化炭素を吸収しほぼ無酸素だった環境に酸素を供給して地球環境を大きく変えます(それまで海中に多量に溶けていた鉄イオンがこの酸素と結び付いて縞状鉄鉱層になるなど)。展示されていたのはモロッコ産の中生代白亜紀のものだそうです。先カンブリア時代に繁栄していたシアノバクテリアは古生代以降急減しますので、この標本は珍しいものだと思います。ちなみに、現生のシアノバクテリアによるストロマトライトも、オーストラリアなどでごくわずかですが見つかっているようです。
 
●金属とその鉱石たち
 アルミニウム、鉄、鉛の地金と、それぞれの金属の鉱石である、ボーキサイト、磁鉄鉱、方鉛鉱が展示されていました。アルミニウム、鉄、鉛は、同じ大きさ(長さ20cm余で7cm四方くらい)で、重さが比較できるようになっていました。鉄はアルミニウムに比べてはるかに重く、鉛は鉄よりもだいぶ重くて片手でようやく持ち上げられるくらいでした(たぶん10kg以上あったように思う)。ちなみに、それぞれの密度は、アルミニウム 2.7、鉄 7.87、鉛11.34です。
 アルミニウムは、地殻中には、酸素、珪素に次いで3番目に多い元素(7.6%。金属では第1位)ですが、その存在が知られるようになったのは19世紀になってからで、単体としてのアルミニウムが得られたのは1827年のことだそうです。これまでに紹介した長石や雲母をはじめ珪酸塩鉱物には多くの場合アルミニウム(酸化アルミニウム)が含まれていますが、珪酸塩と結び付いたアルミニウムを取り出すのは難しく、アルミニウムの鉱石として使われるのはボーキサイトです。ボーキサイトは、酸化アルミニウムと水が結び付いた数種の水酸化アルミニウム(Al(OH)3、AlO(OH)、Al2O3・H2O)から成っており、熱帯地方で、アルミニウム分も含む土壌が長年の強い日光や風などで風化されると珪酸がアルミニウムから離れて、アルミニウム分などが濃集してできるもののようです。展示されているボーキサイトはインドネシア産で、触ってみるとがさついたような塊状で、持ってみるとかなり軽く感じました。このボーキサイトを水酸化ナトリウム溶液で処理するなどして酸化アルミニウムを取り出し、それを氷晶石や蛍石と一緒に電気炉で熱して比較的低温で融解させ、電気分解を行ってアルミニウムを得るそうです。このさい多量の電力を使うため、アルミニウムは「電気の缶詰」と呼ばれるとか
 これにたいし鉄は、宇宙から地球にやってくる鉄隕石(鉄とニッケルの合金)のかたちで古くから知られていて、すでに紀元前3000年ころにエジプトやメソポタミアで鉄隕石が使われていたようです。鉄鉱石を使った鉄の生産は紀元前1700年ころのヒッタイトに始まり、各地に普及して鉄器時代になります。日本には前3世紀ころに鉄器が伝わり、弥生時代末ころから国内でも鉄の生産が始まったようです(岡山県総社市の遺跡からは、6世紀後半の製鉄炉跡4基、製鉄窯跡3基が見つかっているとか)。
 展示されていたのは、釜石の磁鉄鉱(Fe3O4。鉄は、2価の鉄が1個と3価の鉄が2個)です。5cm余とそんなに大きくはありませんが、けっこう重くて、磁石を近付けるとあまり強くはないですが吸いつけられ、磁性を持っていることが分かります。落雷などで磁鉄鉱に大電流が流れるとそれ自体が磁石となり、他の鉄を引き付けます(私は以前鉄のふしぎ博物館で、天然の磁石を体験したことがある)。天然の磁石は紀元前の中国やギリシャで知られており、とくに中国では南北を明確に示すものとして珍重されたようです。磁鉄鉱は花崗岩をはじめ火成岩中にごくふつうに含まれている鉱物で、それらの岩石が長い間に風化されて河川水などで流されると重い磁鉄鉱などが寄り集まります。それが砂鉄と呼ばれているもので、日本では以前は砂鉄から鉄製品をつくっていました。釜石の鉄鉱山は19世紀になってから開発され、幕末に鉄鉱石を使って日本最初の本格的な洋式高炉による精錬が始められ、明治時代には釜石は日本の鉄生産の中心の1つになります(釜石の鉄鉱山は1993年に閉山)。ちなみに、英語では磁鉄鉱はマグネタイト、磁石はマグネットと言いますが、これらの名前については、天然磁石を産した小アジアあるいはマケドニアのマグネシアという地名からという説と、天然磁石のはたらきに気付いたギリシアの羊飼いのマグネスに由来するという説があるようです。
 鉛は、融点が低く(327.5℃)鉱石から取り出しやすくて、紀元前から世界各地で様々な用途に使われていました。古代ローマでは、羊皮紙に鉛の棒で文字を書くことがあったようで、それが鉛筆の語源だとも言います(鉛筆の芯は鉛ではなく、黒鉛=炭素です)。
 展示されていたのは、秋田県阿仁町(現在は北秋田市)の方鉛鉱(PbS)です。そんなに大きくはありませんが、持ってみるとずっしりと重いです。方鉛鉱は立方体の結晶になりますが、表面にはいくつも四角の結晶面の一部を確認することができました。方鉛鉱は、日本では秋田県北部を中心に黒鉱鉱床中で閃亜鉛鉱(ZnS)や黄銅鉱(CuFeS)など硫化鉱物と一緒に産出することが多く、銅や亜鉛などとともに大規模に採掘・精錬されていました。ちなみに、以前ラジオの受信機として使われていた鉱石ラジオでは、方鉛鉱が検波器の役を果たすものとして用いられていたとか(私が小さいころ(1960年代初め)は鉱石ラジオの組立てキットがあって、それではゲルマニウムが検波に使われていた)。
 
●体感してたのしむ石たち
 触覚ばかりでなく、音やにおいでも体感できる石たちが展示されていました。
 まず、葉蝋石(Al2Si4O10(OH)2)。触るとするうーっと滑らかな感じで、蝋を引いた板を触っているような感じです。手で数回こすっていると、手のひらそれ自体がするするになった感じがします。葉蝋石は、蝋石という岩石の主要鉱物だそうです。蝋石と言えば、私は河原沿いの土手を歩いていて偶然何枚もの板状になった蝋石を拾ったことがあります(工事などに使うための石材の運搬中に落としていったのでしょうか?)。その蝋石も、同じようにするするした手触りでした。葉蝋石は、珪長質の火山岩が酸性の熱水による変質作用を受けてつくられることが多く、また、強い圧力下でできる結晶片岩中にも紅柱石(Al2SiO5)とともに産することがあるそうです。蝋石は、以前は細長く切り出して石筆とし、鉛筆代わりにそれで粘板岩などの黒い石板に文字を書いたそうです。
 次は、音を楽しむ「カンカン石」。幅50cm近く、厚さ2〜3cmくらいのかなり大きな滑らかな手触りの薄い石が紐でつり下げられていて、それを細い木の棒でたたくと、カンカンとすんだきれいな音がします。たたき方やたたく場所を変えると音が少しずつ変化し、面白いです。私は、このカンカン石をドレミの順に並べた楽器の演奏を聴いたことがあります(その音はYoutubeでも聴けますサヌカイト(カンカン石))。ここでもまた、エドモンド・ナウマンの登場です(ナウマンは1875年に来日、1885年7月に離日するまでの10年間、本州から四国、九州各地を訪れ地形図を作成、フォッサマグナやナウマンゾウなどの発見で知られます)。カンカン石は地元では知られていたわけですが、彼は1885年に発表した論文の中で、この地域に産する火成岩の中にはたたくと高い音が出る特異な性質を持っているものがあると、カンカン石という日本語とともに紹介します。その石を、1891年、ドイツの岩石学者・地質学者のエルンスト・ヴァインシェンク(1865〜1921年)が、特殊な安山岩だとして Sanukit(英語では Sanukite。サヌカイト、讃岐岩)と命名しました。
 サヌカイトは、日本列島が出来始めた1400万年前ころ、現在の瀬戸内地方周辺での火山活動でできた古銅輝石安山岩と呼ばれるものです。富士山の玄武岩などと同様にマグマが地表に噴出してできた火山岩ですが、粗粒の結晶は含まず、緻密なガラス質で、この緻密な構造のために、打撃による振動がそのまま岩石中を伝播してすんだきれいな音が出ると考えられるそうです。さらにサヌカイトは、ガラス質で堅く割れ口が鋭利になるので、2万年以上前の旧石器時代から、鉄器が入ってきた弥生時代ころまで、西日本各地で石器の材料としてとても重要なものでした(私は博物館で何度もサヌカイト製の石器に触れたことがある)。
 次は、島根県仁摩町の鳴き砂です。四角い箱に、底から6〜7cmくらいまででしょうか砂が入っていて、それをやや太めの木の棒で垂直に強く押しつけてみます。しかし、残念ながらキュッキュッ というような音は聞こえてきません。(展示していた最初のころはちゃんと音が出ていたそうです。)仁摩町の琴ヶ浜では、音の出る砂浜が1km以上続いているそうです。石英の砂を70%以上含み、そのサイズがほぼ均一で形も丸っぽく、ゴミなどで汚れていないこと、また湿度なども関係しているようで、音が出る条件をクリアできるのはなかなか難しいようです。そのため、動植物同様に、鳴き砂も環境指標の1つとされることもあるそうです。(泣き砂の音は、島根・琴ケ浜の鳴き砂)その他日本では宮城県気仙沼市大島の十八鳴浜(くぐなりはま)や牡鹿半島の鳴浜、能登半島の泣き浜(ごめきはま)、丹後半島の琴引浜,島根県邇摩郡の琴ヶ浜などが知られているようです。また中国の敦煌付近には、東西40km、南北20km、高さ250mにもなる鳴沙山という巨大な砂山があり、風が吹くと砂が音を立てるそうです(『史記』には「天気がいいときは、音楽を奏でているようだ」とあるとか)。
 今度はにおいを感じる石です。まず、黄鉄鉱(FeS2)。黄鉄鉱と言えば、立方体、八面体、十二面体、さらには車輪型?のようなものまで、その結晶の形が多様ですが、展示されていたものは触ったては結晶はほとんど分かりませんでした。7〜8cmくらいだったでしょうか、やや平べったい塊を小さなハンマーでたたくと、はっきりと、マッチを擦って火が燃え上がった時のようなにおいがします(マッチの頭には硫黄も使われているので、そのにおいだと思う。直接硫黄のにおいを嗅いだこともあるが、もっと鼻につんとくるようなにおいだった)。黄鉄鉱は何度も触ったことはありますが、たたくと硫黄のにおいがするとは、初めてでした。同じく鉄の硫化鉱物である磁硫鉄鉱も、たたくと硫黄臭がするそうです(帰ってから、手元にあった西脇の鉱山跡地で採集したという磁硫鉄鉱は、割れ口の辺りから落ちる微粉ははっきりと硫黄のにおいがしました。ちなみに、黄鉄鉱は磁石に反応しませんが、磁鉄鉱は磁石にくっつきます)。また、硫砒鉄鉱(FeAsS)は、ニンニク臭がするとか(でも砒素が含まれているし、あまり試してみたくはない)。
 次は、スパー石(Ca5(SiO4)2(CO3))と言うかなり珍しい石です。化学式から分かるように、珪酸塩鉱物でありながら炭酸塩でもあります。日本では岡山県備中町(現高梁市)の布賀鉱山の露頭で見つかるもので、地下深部で石灰岩に高温の火成岩が陥入してできる高温スカルン鉱床に産するものだとか。5〜6cmほどの大きさで、上面は切断したようなつるつるの面になっていて、その面を汗ばんだ手でこすると酸っぱいにおいがするとかで、実際に手でこすってみましたが、なにかにおいはするもののはっきりとは分かりませんでした(その時は私の手は汗ばんではいなかった)。このにおいの原因について、奇石博物館では、汗に含まれる乳酸や尿酸がスパー石をわずかに腐食して、酸っぱいにおいのする酢酸や酢酸エチルを生じさせるためではないかと推測しているそうです。なお、布賀鉱山からは、スパー石以外にも珍しい鉱物や新しい鉱物がいくつも見つかっているそうです。
 
●その他
 まず、宝石にもなるルビーとサファイア。どちらも鉱物としてはコランダム(Al2O3)です。コランダムはモース硬度 9で、ダイアモンドに次いで硬く、結晶は(私がこれまで触ったのは)六角柱状です。今回触ったルビーは、径が3cm余、高さが2cm余の六角柱、サファイアはそれより一回り小さい六角柱で上面より底面が狭くなっていました。ルビーとサファイアの違いは色で、赤色のものがルビー、それ以外の色のものがサファイアとされます。ルビーの赤色は、コランダムに含まれるクロムによるものだそうです。サファイアの中では濃い青のものが珍重されるようですが、この色は少量含まれる鉄やチタンによるものらしいです。サファイアには、黄色や淡紅色、透明などいろいろあるようです。今では、ルビーもサファイアも広く人工的に合成されています。
 アンモナイトの化石とオウムガイが展示されていました。ともに軟体動物の頭足類に属し(イカやタコと同じ仲間ですが、殻を持っている点が異なる)、形も似ていますが、アンモナイトは絶滅した化石動物、オウムガイは細々とですが現在も生息していて「生きている化石」とも言われるものです。
 アンモナイトの化石は、直径20cmほど、厚さ4cmくらいで、中心部は窪み、そこから外側に向ってぐるぐると巻きながらだんだん太くなって行きます。巻く方向と直角に多数の肋も走っていて、触ってもとても分かりやすい標本でした。触っているのは殻の表面だけですが、殻の内部は奥から順に隔壁によって仕切られて多数の小さな部屋に別れており、その中の空気を出し入れすることで浮力を調節し浮き沈みしていたようです。また、触っては分からないのですが、この隔壁と殻との接合部は縫合線(suture line)として殻表に見えていて、進化とともに多様化する各種類に応じてこの縫合線も多様な模様を呈しているそうです。アンモナイトは、古生代デボン紀前期(約4億2千万年前)に出現しっ、その後数度の生物大量絶滅期を乗り越えて世界の海で繁栄しますが、白亜紀末、6550万年前に恐竜なとともに姿を消します。
 オウムガイは、化石と現生の殻が展示されていました。化石は、直径が10cmほどでそんなに大きくはありませんが、厚さは7cmくらいはあったでしょうか、表面は滑らかなつるつるで、持ってみるとずっしりと重かったです。(オウムガイの化石に触るのは初めてでした。その重さや表面の手触りから考えて、これはもしかすると黄鉄鉱化したものかもと思ったりです。)現生のものは、直径10cm余、厚さ3cmくらい、殻だけですのでとても軽いです。表面はつるつるで、ちょっと軟かそうな手触りです。そして、これを水平に切断して断面にした標本も展示されていました。これだと内部も触ってよく分かり、とてもよかったです!中心部は5mm余の大きさの小さな多数の部屋に別れて数回巻いており、それぞれの室の間にはごく小さな穴があります。中心部の巻いている部分と外側の殻の間には、弧を描くように湾曲した細長い部屋が連なっており、その湾曲度は殻口に近づくほどだんだん小さくなっているようです。オウムガイ類があらわれたのはアンモナイト類よりも古く、古生代カンブリア紀後期(約5億年前)で、続くオルドビス紀に繁栄し、デボン紀以降は次第に衰え、中生代に入ると現生に似た種類のみになったそうです。オウムガイ類は、出現したころは真っすぐ伸びていて、その後角(つの)状に曲がり、さらに今のように巻くようになったとか。現在は、フィリピンからオーストラリアまでの太平洋の水深200m前後の海底に数種が生息しているそうです。
 最後に、南極の石ラングホブデ島の片麻岩です(これは「石を感じる」展の冊子には載っていなかった)。ラングホブデ島は、日本の南極観測基地・昭和基地のすぐ近くの島のようです。片麻岩は、比較的高い温度で広域変成作用を受けてできた変成岩で、縞状に明暗の模様が見られるのが特徴のようです。展示されていたのは、20cm余四方くらいのやや平べったい塊で、表面は堅そうですがなにかがさついたような感じで、数箇所にえぐられたような窪みがあり、縁がちょっと鋭くなっていました。長年の強い風で風化したためのようです。この標本の隣りには、この片麻岩が風化してできたという砂粒が展示されていました。粗い堅そうな砂粒で、その中にはたくさんの赤い粒が見えているそうです。これはざくろ石だとのこと。そして、展示されている片麻岩をよく見ると、赤い粒も見えているとか。この片麻岩はざくろ石片麻岩のようです。昭和基地周辺には広くカンブリア紀以前(6億年くらい前)の岩体が分布しており、その原岩の中には20億年以上前の古い大陸にさかのぼるものもあるようです。
 
 今回の「石を感じる」展、出品点数もそれほど多くなさそうだしどうかなと思っていましたが、行って触ってみると、やはり石は面白い!触っている石は小さいですが、そこから世界各地、さらに大きな地球、できてから今に至る地球を、ごく一部ですが直接感じられるのです!むかしのことも思い出しながらの楽しいひとときでした。
 
[補足1] ツリテラアゲート
 見学終了後帰りには、様々なきれいな石(40種以上もあるとか)の中から好きなものを選んで持ち帰ってくださいということで、私はツリテラアゲート(Turritellaagate)を選びました。ツリテラという小さな巻貝がメノウ化したというもので、長さ1cmくらいの三角錐のような形です。表面はつるつるなので触ってはまったく分かりませんが、巻貝の模様がきれいに見えているそうです。実は、メノウ化しているのは海生のツリテラではなく、実際は絶滅した淡水生のカワニナ科の巻貝エリミアテネラ(Elimia tenera)だそうです。ワイオミング州のグリーンリバー累層に産するものだとのことです。
 
[補足2]ふれる博物館に行く時に、参考になるかもと思って、手元にある触って面白そうな石3点を持参しました。4×3×3cmくらいの大きさの、6面がすべて平行四辺形の透明方解石、1辺が3cmほどの正八面体の蛍石、それに、三葉虫が入った直径7〜8cmほどのノジュウールです。どれも気に入ってもらったようで、会期中展示していただいているようです。「石を感じる」展の冊子の解説の仕方も参考に、これら3点についてキャプションを書いてみました。以下にその文章を記します。
●方解石(英名: Calcite 素性: CaCO3(炭酸カルシウム))
 方解石は石灰岩をつくっている主な鉱物で、その大き目の結晶が集まったものが大理石です。貝殻も炭酸カルシウムでできていて、もっとも身近な鉱物の1つと言えるでしょう。方解石は典型的な劈開(一定の方向に割れる性質)の例として有名で、このサンプルのように、マッチ箱をひしゃげたような形、6面とも平行四辺形の形になります。「方解石」という名は、方形(六面体)に割れることからのようです。
 また、不純物を含まない方解石は無色透明で、複屈折が大きいので、文字が二重に見えたりします。微量のマンガンを含んだ方解石はきれいなピンク色をしていて、しばしば販売されてもいます。
 方解石の結晶の形は、板状、柱状、菱面体(菱形の面6個からなる)、さらに犬の牙のようにとがったものが何本も集まった形など、いろいろあって面白いです。
 
●蛍石(英名: Fluorite 素性: CaF2(フッ化カルシウム))
 蛍石は、結晶の形は立方体のことが多いですが、このような正八面体の形でよく販売されています。これも劈開によるもので、斜めの割れ目の方向に正確に合わせてハンマーでたたいてつくられたものです(実際はかなり熟練が必要)。
 正八面体の形を触って確認するのは意外と難しいです。石を持って、両側から両手指のそれぞれ4本ずつを各面に当てて確かめてみてください。
 蛍石に紫外線や強い日光を当てると、蛍光を発するようになります。「蛍石」の名はこれに由来します。
 
●ノジュール(nodule, concretion とも)
 ノジュールは、日本語では団塊と言っています。丸っぽい堅い石の塊です。中に化石が入っていることがたまにありますが、基本何が入っているかは、割ってみなくては分かりません。
 小さな化石やちょっと異質な粒など核になりそうなものがあると、その回りに堆積岩中から特定の成分(炭酸カルシウムや酸化鉄など)が集まってきて、中心の核から放射状に外側に向って成長し、多くはほぼ球形の団塊になるそうです。小さいものは直径1cmくらいのものから、大きなものだと1mを越えるものもあるとか。ノジュールは回りの岩石よりも堅く、ノジュールに化石が入っている場合、化石を取り出すのはけっこうたいへんだということです。
 
(2023年1月10日、1月15日更新)