三重県立美術館で開催されたスペイン美術展

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 9月1日午前、三重県立美術館で開催されていた「果てなきスペイン美術―拓かれる表現の地平」を見学しました。この展覧会は、スペイン美術をとくに収集方針にしている長崎県美術館と三重県立美術館のコレクションを集めて行われたもので、まず長崎県美術館で5月末から7月初めに、そして三重県立美術館で7月20日から9月29日まで開催されていました。
 美術館に到着したのは午前10時前、なんと学芸員のSさんが、台風10号による荒天のなかでの見学ということで心配して、出迎えてくださり、さらにその後1時間半くらい展覧会会場を一緒に回って解説までしてくださいました!本当にありがたいことです。しかし、いろいろな事情があって、展覧会のまとめを書くのが1ヶ月も経過した10月初めになってしまい、記憶も印象もだいぶ薄らいできましたし、それに当日は点字のメモ用紙が途中でなくなってしまい、見学の後半はまったくメモをとることもできませんでした。なんとも心もとないまとめになってしまうと思います。(その後もいろいろあってまとめは遅々として進まず、さらに1ヶ月も経ってからようやくアップすることになってしまいました。)
 
 この展覧会の特徴だと私が感じたのは、スペイン美術を例えば時代別とか画家別のような単純な分類で紹介するのではなく、独自のテーマ別による章立てになっていたことです。
 
第1章は、「宗教—神秘なるものへの志向」。スペインは、中世イスラム教徒に対する長いレコンキスタを行い、国民の間に強いカトリック信仰も育まれたのでしょう。第1章のテーマその1は、「スペイン・カトリック美術」で、カトリック信仰を示す板絵などが展示されていました。トラルバの画家の「洗礼者聖ヨハネ」(1430年ころ)とペレーアの画家の「洗礼者聖ヨハネ」(1500年ころ)はいずれも板絵(板にテンペラで描く)で、ほとんど構図は同じだとのこと、聖ヨハネが羊(キリストの象徴)を指差しており、光輪の円い輪はいくつもの穴をあけて示している(パンチング)そうです。(これらの絵の作者は、具体的に人名は分かってにない。
ペレーアの画家はバレンシアで活躍したという。ペレーアの画家の絵のほうがサイズがだいぶ大きく(160cm×100cmくらい)、背景も金地で、修復もされていて見栄えがいいようだ。)作者不詳の「聖アンデレ」(15世紀中ころ)も板絵で、手にX型の十字架を持っているそうです。
 以降は油彩画です。「聖ロクス」(作者不詳、スペイン、17世紀)は、ペストの守護聖人とされる聖ロクスについての縦2m近くもある大きな作品で、中央に膝に傷のあるロクス、向って右にパンをくわえている犬、向って左に天使が舞い降りているようです。伝承では、13世紀末?にフランスのモンペリエの裕福な家に生まれたロクスは、若くして財産を貧者に施しローマに巡礼に行きますが、途中ペストに罹った多くの人たちを看病し自らもペストに罹ります。森に入って死を待ていると、犬がパンをくわえてきて食べ物を与え膝の傷もなめて癒し、天使も降り立って助けたとのことです。
 バルトロメ・エステバン・ムリーリョの「アレクサンドリアの聖カタリナ」(1645~50年ころ)は、これまでに数回三重県美で解説していただいたことのある作品です。フアン・カレーニョ・デ・ミランダの「聖アンナ、聖ヨアキム、洗礼者聖ヨハネのいる聖母子」(1646~55年ころ)も、縦2mくらいもある大きな絵で、聖母マリアが幼子イエス・キリストを抱き、頭の上には天使が見え、回りにはマリアの母のアンナと父ヨアキム、それに少し幼いすがたの洗礼者ヨハネが配されているそうです。作者不詳の「聖母と眠れる幼児キリスト」(1600年ころ)では、マリアは金色の王冠を着け、冠の上は広がりいろいろな貴石が見えるとか。その他、「悲しみの聖母」「慈悲の聖母」「キリストの磔刑」など続きますが、最後に現代の宗教画?らしきものもありました。アントニ・クラベの「埋葬」(1949年)は、細かく分割された色面に細長くデフォルメされた人物が幾人か見え、よく見るとそれらは亡くなったキリストとそれを囲んでいる人物たちのようだとのこと(クラベはピカソの影響を受け、また私にはよく分からないがその人物像には中世からの影響も見られるとか。)
 
 第1章のテーマその2は、「物質に宿る神秘」。宗教画そのものではないが、身近な物に神的ないし神秘的な象徴のようなものが認められる作品のようです。アントニ・タピエスの「ひび割れた黒と白い十字」(1970年)は、板の上に土や砂を厚く塗り固めて全面に黒い塗料をかけていますが、ところどころに斑点が見え、画面左上には深く十字のえぐり跡があるとのこと。同じくタピエスの「綱と十字の刻印」(1981年)は、陶板の上に、綱や十字、ハンマーや釘の焼き付の痕が見えるとのこと(イエスを捕らえてから処刑までの過程を連想させる)。
アルフォンソ・サンチェス・ルビオの「苦み」(1989年)は、布?の上に星々の繰り返しが見えるとのこと(これは、ヨハネ黙示録にあるニガヨモギという星の話と関係ありそう)。同じくルビオの「エンジョイ・ゴルゴタ」(1989年)は、縦60cmくらい、横40cm余の板(布が張られている)を4枚横に並べた作品で、一番左の板には、3本の釘が打たれ(イエスの十字架刑での両腕と脚の位置を連想させる)、少し湾曲した文字列が書かれており、(たぶんラテン語でエンジョイ・ゴルゴタ)、また3枚目の板には十字の形の布が張り付けてあるとか。
 ビセンス・ビアプラナの「トリプティク」(1989年)は、3枚のパネルからなる作品(triptych は、中央と両翼の3枚からなる中世の3連作の祭壇画)。3枚とも黒の地で、左には上から上へ白線(空に昇る霊?)、右には上から下に白線(空から落ちる星のよう?)、中央には水平の層が見てとれるようです。
 
 第2章は「現実なるものへの視線」。そのテーマ 1は「此岸に立つ」。きびしい現実を直視した作品たちのようです。まず、フランシスコ・デ・ゴヤの版画集『戦争の惨禍』(1810年以降)より「私は見た」「ある女の慈善」「茶椀一杯が何になろう」の3枚(小さなサイズで細かく描かれていて説明してもらうのは難しそうだが、残忍さとともに暗い闇のようなのが表現されているようだ)。続いてリカルド・バローハの油彩画「記念日」(1928年)は、なにかの祝祭日で食事をもらうために集まった人々の列が描かれているようです(バローハはゴヤの『戦争の惨禍』から強い影響を受け、またピカソとも交友があったとか)。モデスト・ウルジェイの「共同墓地のある風景」(1890年代)は、横長の大きな画面で、手前に枯草?など見える荒野、そこに丘の墓地に向かう道があり、夕日にぼうっと墓地の入口と塀が浮かび上がるように見えているとか。なんともわびしそうな絵のようです。ここに、三重県立美術館で何度か説明してもらったことのあるパブロ・ピカソの「ロマの女」(1900年)もありました。
ホセ・グティエレス・ソラーナの「アスファルト作業員」(1930年)は、アスファルト舗装のために、炉の中でアスファルトを熱し、蒸気が立ち上るなか溶けたアスファルトを手に手に長い棒を持った人たちがかき回しているそうです。労働者たちのたくましさ・力強さとともに、きびしさも伝わってきます。同じくソラーナの「軽業師たち」(1930年ころ)は、顔を白く塗り変った衣装を着けた2人の軽業師が皿回し?のようなことをしているようですが、狭い鏡張りの空間に閉じ込められているようで、サーカスのようなにぎわいはまったく感じられず、なにか不気味な感じがするとか。そして、軽業師たちは実際の人というよりもなにか機械仕掛けの人形のような感じだとか(ソラーナはしばしば蝋人形や仮面をモティーフとし、現実と虚構ないし生命と死のはざまあるいは両義性を表現しているらしい)。
 
 第2章のテーマその 2は、「現実を超えて」。まず、サルバドール・ダリの作品が並んでいました。「パッラーディオのタリア柱廊」(1937~38年)は、2年ほど前に三重県立美術館で説明してもらったことのある作品ですが、劇場の舞台の後ろの開口部に向かう通路の両側に並ぶいろいろなポーズの人物たちが描かれていますが、なにを表現しているのかは分かりません。「海の皮膚を引きあげるヘラクレスがクピドをめざめさせようとするヴィーナスにもう少し待って欲しいと頼む」(1963年)は、何が描かれているのか尋ねてみると、この長いタイトルに書いているままのことが見て取れるようです(とくに引き上げようとする海の皮膚が膜のように見えるとか)。その他、『抜録 ドン・キホーテ』の挿絵(1957年。リトグラフ)より「原子力時代」と「風車への攻撃」が展示されていました。
 続いて、ジョアン・ミロの作品たち。「女と鳥」(1968年)は以前にも三重県美で説明してもらったことのある作品ですが、はっきりとしたイメージは持てなかったものです。「枝の上の鳥」(1981年)はブロンズの立体作品で、中央に鳥が配されていますが、木の枝や剪定ばさみなど実物そのものを形取ってつくられているようです。「アルバム13」(1948年。リトグラフ)より3枚が展示されていました(何が描かれているのか分かりませんが、子どもっぽい?ということでした)。他にも、ホセ・エルナンデスのエッチングの作品「ガカナル」(1975年。この英語のタイトルは Bacchanalia で、酒の神 Bacchus を称える祭という意味)と「黒の葛藤」(1973年。人間と動物が組み合わさって骨格標本のようになっているとか)をはじめ、幾人かの画家の作品が展示されていました。
 (点字のメモはここまでです。ちょうど全体の半分くらいでメモ用紙がなくなってしまいました。以下、印象に残っているものをいくつか書いてみます。)
 
 第3章は「場と空間」。作品を取り巻く空間にも注目させるような作品たちのようです。そのテーマ 1は「モティーフとしての空間」で、彫刻家として知られているエドゥアルド・チリーダ(1924~2002年。鉄や石・テラコッタを使用した巨大な抽象的なモニュメント彫刻で有名)の作品が展示されていました。ただし展示されていたのは彫刻ではなく、「開く」や「並外れた XVI」など版画作品が主でした。これらの版画作品は、直線や曲線、円や四用など幾何学的な要素を組み合わせて複雑な抽象的な世界を生み出しているようです。1点だけ、「重力 CH-91/GT-56」(1991年)という立体作品とも言えるものがありました。数枚の紙片を互いに隙間を空けて糸でつなぎ合わせ、その糸を上から吊り下げているようです。いろいろな傾きになった紙片から奥行のある光と影の世界がつくり出されているようです。
 テーマ 2は「現実空間へのひろがり」。ここには、まずラモン・デ・ソトの鉄の彫刻?「沈黙の建築」(3点組)と「連絡階段」(いずれも1997年)が展示されていました。階段や門、あるいは橋のようにも見えるものたちが配されているようです。2年ほど前に三重県美で説明してもらったことのあるミケル・ナバーロの「歩哨都市」(1993~97年)というインスタレーションも展示されていました。ホセ・マリア・シシリアの「衝立 小さな花々 IV」(1998年)は、縦 2m以上、横 1m以上の大きなパネルの全面に蜜蝋を塗り、その上に分厚く絵具で多数の小さな花々たちが色彩豊かに描かれているようです。小さな花々は乳白色の蜜蝋の地から浮かび上がっているように見え、また画面を越えて回りにまでひろがっているように見えるとか。
 
 第4章は「光と影」。画面に実際にあらわれている光と影とともに、社会に見られる明と闇もあらわしているようです。そのテーマ 1は「薄闇の世界を描く:ゴヤの創意」で、フランシスコ・デ・ゴヤのエッチングの四大版画集から多数の作品が展示されています。
まず、『ロス・カプリーチョス(気まぐれ)』(1799年。社会や人間を風刺的に描いた80点の連作)から「理性の眠りは怪物を生む」。男が机に突っ伏して眠っているのにたいし、後ろのほうでは猫やコウモリ、ミミズクといった夜の動物たちが見えているそうです。理性を持った人間が眠っている間に得体の知れない怪物たちがあらわれることを示しているとともに、解説によれば、男の人はゴヤ自身で、ミミズクが版画を刻む針を差し出しており、理性を超えてこそ創造的な芸術が可能だということもあらわしているとのこと。『戦争の惨禍』(1810年以降)から「もう助かる道はない」「健康な者と病める者」「真理は死んだ」の3点。『闘牛技』(1815~16年ころ)から「名高きマルティンチョ、身をかわしながらバンデリーリャを刺す」「角先を木球でくるんだ牡牛から身を守るため、驢馬を盾にするモーロ人たち」「ペペ・イーリョの死(第3構図)」の3点。『妄』(1816~19年ころ)から「カーニヴァルの妄」「几帳面の妄」「畜生の妄」の3点。画面が暗いこともあって何があらわされているのか判然としないようですが、闇の中に怪しげな姿の動物や怪物、人物たちがうごめいているとか。
 テーマ 2は「明暗をよすがとして」。ここには、これまでの章で登場していたバローハ、ソラーナ、シシリア、ビアプラナの作品などが展示されていました。バローハの「仮装行列」(1928~31年)、ソラーナの「怪しげな仮面」(1925年ころ)と「仮面たち」(1940年ころ。酒を飲んでいる老婆の仮面)、シシリアの「蜜蜂の巣箱 Ⅲ」(1993年。以前三重県美で説明してもらった)と「消えゆく光」(2002年。これも蜜蝋地に描かれているようだ)、ビアプラナの「光の記憶」(1990年)です。
 
 第5章は「伝統と革新」。この章では、人物像と静物について表現方法がどのように変ってきたのか、素材や技法もふくめて展示されているようです。ただ本章で取り上げられているアーティストたちの中で私の知っているのはごく一部で、その範囲での紹介となります。
 5章のテーマ 1は「肖像:身体のイメージ」。肖像画は宗教画などとともに西洋の絵画の一大ジャンルで、10人ほどの画家の作品が展示されていましたが、私がなじみがあったのはゴヤとピカゾくらい。ゴヤはベラスケスなどと同様長く宮廷画家として肖像画も多く描いており、「アルベルト・フォラステールの肖像」(1804年ころ)が展示されていました。アルベルト・フォラステールは軍人で、顔がとてもよく描かれており、その表現からは内面の性格のようなものまでにじみだしているようにも見えるとか。ピカソの「ふたつの裸体」(1909年)は、葉書大のドライポイントの版画作品で、確かに二つの裸体は分かるが、一部部分部分が切り離さればらばらになったりしているようです。キュビズムへと向かう試行的な作品のようです。以前三重県美で説明してもらったことのあるミケル・バルセロの「人物」(1982年。段ボールの切れ端を数枚つぎはぎしたようなものに地面に這いつくばるような姿の女性が描かれている)も展示されていました。
 テーマ その2は「静物画の変容」で、ここにはピカソの作品が 2点ありました。「静物」(1924年)は、よくは覚えていませんが、板に油彩でコップ?かなにかを描いていますが、板をテーブルに見立て立体的に見えそうにしているとかでした。「鳩のある静物」(1941年)は、ちょっと印象的な作品でした。テーブルの上に、瓶や薔薇の花?とともに、死んだ鳩がお腹を上にして体の一部がテーブルからはみ出しずり落ちそうな状態で描かれているとか。当時ピカソは、ナチ占領下のパリで作品発表など外で活動する自由を奪われ、自宅に引きこもってただ描いているだけの時期。平和の象徴とされる鳩もこのようにしか描けなかったのだ!と思いました。
 テーマ その3は「素材と技法の探究」。この展覧会全体を通じてになりますが、現代になるほど様々な素材や技法により多様な表現がされるようになったことをいろいろな作品を通して見てほしいようです。例えば銅版画も、初めは直接版面を彫るエングレーヴィング、続いて防食剤を塗った銅版を針で線刻して酸で溶かすエッチングが主流ですが、ミロの「岩壁の軌跡」(1967年)は、炭化ケイ素の粒子と樹脂を混ぜたものを銅版に塗って起伏のある版をつくるカーボランダムという手法を使っていて、印刷された作品は原版と同様立体感があり色の濃淡もあるようだとか。その他にも、砂や石粒を使ったもの、シルクスクリーンなどもありました。
 
 Sさんには全体を案内していただきましたが、とくに後半部についてはよく分からず、私の手に負えないという感じでした。それでも、以前から気にしていたスペイン美術、なにか深い熱源のようなのがあって、しばしば煮えたぎるような異才・異彩があらわれるというような思いを新たにしました。
 
(2024年11月4日)