東日本大震災を詠む (NHKの文芸選評より)

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 3月1日(土)のNHK第1放送の文芸選評を聴きました。今回は俳句で、テーマは「東日本大震災を詠む」。選者は俳人の高野ムツオさん。
 震災から14年、日常の生活では、原発事故以外のことでは震災のことはほとんど念頭から消えていますが、このような句にふれると、沈潜していた気持が露わになり、心揺さぶられます。
 
 まず、高野ムツオさんのお話の一部を紹介します。
 「復興」という言葉を考えると、これはもともと衰えたものがまた盛んになるという意味で、むかしのものがまた蘇ってくるかと思ったが、実はそうではなくて、被災地にはまったく新しい環境や文化が生まれるのだなあ、ということにも気付かされた。かつての小さな漁村などで営まれていた人間の絆や文化はもう元に戻らない、そう知らされた、それはとてもさびしい気持になる。また福島の原発事故は、まだ復興の目安さえついていない(今も被災が進行中ということ)。
 
 次に、高野さんの最近(2024年の「小熊座」に掲載)の震災詠2句です。
 波立てて傾く海や夜の蜜柑 (テーブルなどにある蜜柑の様子を見ていると、転げそうな気分になることがある。実際に海があって波音が聞こえるわけではないが、そういう蜜柑を見ていると、遠くの海が波立って、もしかしたら海そのものが傾いてしまう、そういうことがあるのではないかという、ふとした不安にとらわれることがある。)
 わが外套今も津波が膨れ出る (14年前の3月11日、仙台駅から外套を羽織って、自宅の多賀城市まで一生懸命歩いた。途中で津海の被災地にも出会いショック、津波で泥になった所をできるだけ歩かないようにと避けながら遠回りして家に戻った。その時の気持を、今でもコートを羽織ったように思い出す。自分のコートが壁にかかっている姿を見ると、そこからまた怖い津波がやってくるのかなと、思う時がある。)
 
 以下、高野さんが選んだ句です。(文字使いが元の句と異なっていることがあるかと思いますが、ご容赦ください。)
 汚染土の土嚢の山と夕雲雀
 甦るあの日あの時あの桜
冴返る静かな海の恐しき (冴返るは春の季語で、春さき、暖かくなりかけたかと思うとまた寒さが戻ってくること。)
双葉町更地手付かず 春浅し (双葉町は、2022年8月に一部地域(特定復興再生拠点区域)が避難指示解除)
海底の泥の臭いや土間寒し (私が一番感じ入った句です。)
春の月 忘れぬための防潮堤 (防潮堤は恐ろしい津波を忘れないためのもの)
桃の花 続いたはずの子の日記 (桃の花の季節、春に、子どもが亡くなったのでは?)
プルトニウムのことなど知らず水草生う(みくさおう) (水草生う:春になって水温が高くなってくると、水草が生え育ち始める)
瓦礫とてみなある住所 雪解風(ゆきげかぜ) (雪解風:雪解け時にふく風)
除染土のこと思い出す蕗の薹
桜より上に逃げよと津波の碑
齧られた牛車の柱 夏の月 (原発事故で避難指示が出され、家畜の移動が禁じられて、牛車に牛を残したまま避難せざるを得なかった。安楽死処分=殺処分の指示はあったが…。)
春風や 地震(ない)を知らないランドセル
デブリの行方睨むオオカミ 春寒 (溶け落ちた核燃料と回りの構造物などが混じり合ってできたデブリは、1号機から3号機まで合わせて計880トンにもなると推定されているが、これまでに取り出せたのは、試験的に回収した数グラムだけ。オオカミは、福島県飯館村にある山津見神社の祭神・大山津見神の眷属ないし化身した姿で、狼の像や天井画がたくさんあるという。詳しくは狼信仰—自然への崇拝と畏怖 第10回 東北の山津見神社
みちのくの影は覆えず春の雪
 
 最後に、司会の石井かおるさんが選んだ句です。
 球春や 震災の子の雄姿見る (作者に問合わせてみると、この震災の子は佐々木朗希投手のことだとのこと。彼は岩手県陸前高田市出身、震災当時 9歳、大津波で父や祖父、祖母を亡くしている。もちろん、震災の子は彼に限らず多くいる。)
 
(2025年3月5日)