6月5日午後、愛知県美術館で開催された「2025年度第1回 視覚に障がいのある方との鑑賞会」に参加しました。参加者は、視覚障害の方が8名、アートな美の方々が十数名、それに主催した愛知県美術館の学芸員が4名、さらに見学の方もおられたようで、総勢30名くらいはおられたと思います。
同美術館では6月8日まで企画展「どうぶつ百景―江戸東京博物館コレクションより」が開催されていて、今回の鑑賞会でも動物をモチーフとした作品を多く用意したとのことでした。今回も、視覚障害の方とアートな美の方が組になり、それぞれ個別に各作品をみて回り、適宜美術館学芸員の方が説明を付け加えたりするという形式でした。私は10点くらい鑑賞しましたが、作品は多様でそれぞれ異なる印象を受けました。以下、私の印象に合せて作品を紹介してみます。
まず、どきっとした、あるいはちょっと驚いたと思った作品たちです。
吉本直子(1972~)の「白の棺」(2005年制作)。これは立体作品で、大量の古着の白いシャツを糊で固めてつくられている作品だとか。長さ2m以上、幅1mほど、高さも70cmくらいもある大きな作品(実際の棺よりも大きいかも)。(つくる時は、大きな四角の箱にたくさんの古着の白いシャツを入れて糊でぱりぱりに固め、その後枠になっていた箱は取り外しているとのこと。)シャツの袖は内側に伸びていて、作品の中央では両側から多くの袖が伸びているとのこと。古着には汚れや染もあるようで、実際に人が着たもの。それを着用した過去の人の腕が、互いに相手を求めているようにも感じます。生きてきたいとなみを凍結し、遺物のように保存している作品のようです。(調べてみると、吉本は古着のシャツなどを材料にした作品をいろいろ発表しているようだ。)
木村充伯(1983~)の「祖先は眠る(2匹の猿)」(2015年制作)。これも立体作品で、板の上に油絵具を高さ20cm近くも盛り上げて、木漏れ日の中で気持ちよさそうにおだやかに眠っている2匹の猿が造形されているとのこと。それぞれの猿の大きさは40~50cmくらいもあるようで、油絵具で描くというより、油絵具を粘土のように大量に使った彫刻作品で、なんとも贅沢な、とも思ってしまいます。1本1本の毛がちくちくとした感じで毛波まで細かく表現されているようです。また、1匹の顔の表情はちょっと人間っぽいかな、と言っていました。
ルーチョ・フォンタナ(Lucio Fontana: 1899~1968年。アルゼンチン生まれの、イタリアの彫刻家・画家)の「空間概念」(1960年制作)。フォンタナのキャンヴァスを切り裂くという話は何度か聞いたことはありますが、鑑賞するのは初めてでした。実物は縦1m、横80cmくらいの黒っぽいキャンヴァスでもちろん触れませんが、その3分の2ほどの大きさで複製?したものに触りました。キャンヴァスに縦に3本40cm弱ほどの長さの切れ込みの線が走っています。真っすぐな垂直線ではなく、わずかに左側にカーブしています(右利きの人が刃物で縦に切り裂くとこのような曲線になるだろうと思う)。切り裂かれた両側の布は内側にわずかに曲がり込んでいて少し隙間ができ、キャンヴァスの下の同じような手触りの布に触ることができます(色も同じく黒っぽいとか)。一番右側の切れ込みは面的に切り取られていて、始点と終点は共通の1点ですがゆるい弧状に切り取られ中央は1cm余の隙間になっています。絵が描かれるはずのキャンヴァスに切れ込みを入れることで、絵の向こうに広がる空間、表面の2次元からその内部・奥に広がる3次元を喚起させ想像・創造させようとしているのでしょう。とにかく、切り裂くのがキャンヴァスだったので、強いインパクトがあったのでしょう。
次に、子どものころの生まれ故郷の風景を連想させ懐しさを感じさせるような絵もありました。
池田遙邨(1895~1988年 日本画家)の「稲掛け」(1981年制作 紙本着色 162.1×112.1cm)。これは、立体コピー図版が用意されていました。画面のほぼ上下いっぱいに、途中で「く」の字に曲りながら、稲架(はさ)が連なり、そこにずらあっと稲束が干してあります(稲架は、刈り取った稲を脱穀までの間適度に乾燥させるために掛けておく棒)。画面上端近くの稲架の稲束の下から、狸が前足を上げて顔を出しています。上から見下ろすように描いているようで、刈り取りが終わった広い田(画面左下には少し草のようなのがある)と、その上に遠くまで続く実った穂を付けた黄緑?の稲束が続いているようなイメージです。池田は岡山出身だとのことですが、稲を乾燥させる方法は地方によって異なっていたのでしょう。私が小さいころ(昭和30年代初め)の十和田では、3つくらいのやり方がありました。まず、刈った稲束をその場で両側から穂を上にして三角形に立てかけ、それが並んで三角形のトンネルのようになります。また、3本の棒を三角形に配置して立てその頂点を一つにまとめ、棒の間に短い横棒を渡して、そこに穂を内側にして稲束を掛けます(これは「の」(一般には「にお」)と言った)。さらに、田んぼの周辺などに、5、6m間隔くらいだったでしょうか、長い棒を立て、その間に3段ないし4段くらい長い横棒を渡してそこに稲束を掛けておきます。脱穀は、初めは足踏みの脱穀機も使っていましたが、電動の脱穀機が導入されはじめていました。
与謝蕪村(1716~1783年)の「薄に鹿図」(江戸時代中期 絹本着色 129×60cm)。これも、立体コピー図版がありました。縦に長い掛け軸のようで、両側をすすきにはさまれた細い道が開きかけた所に、鹿が大きく描かれています。鹿は、脚が細く、後脚はそろえて地に垂直に立ち、左脚だけを少し踏み出していて、急に立ち止まったという感じ。太い胴部には模様(鹿の子紋?)があり、顔は少し上を向き、3本くらいに別れた短い角があり、雄鹿のようです。画面右側のすすきは、画面右上からさらに左上のほうまで伸び垂れていますが、画面左側のすすきは中央部くらいまでしか伸びておらず、画面左側は中央から上は空白になっていて、鹿はこの空間に出て驚き、そして何かを見つめているのでしょうか?蕪村は俳画もよくしたと言いますから、俳句でも一首あればと思ったり…。
朝見香城(1890~1974年 姫路市出身、名古屋で活動 日本画家)の「柳影」(1925年頃 紙本着色 169.5×365.0cm)。横長の、6曲1隻の屏風のようです。水辺の風景のよう。柳の木の陰で黒い大きな牛がよだれを垂らしながら休み、その牛に若者がもたれて休んでいるようです。水面には柳の影が映じ、蛇籠(竹などで粗く編んだ大きな籠の中に石などを入れたもの)が見え、その上にはアヒルもいるとのこと。小さいころ、近くの川岸には、蛇籠と言えるのか分かりませんが、水流を弱くするためなのか、長方形の大きな籠状のものに石など入れたものが沈めてありました。水草?も生え、魚などもよくいたような気がします。
その他、我妻碧宇(あづま へきう 1904~1970年 日本画家)の「群鶴」(1940年頃 紙本着色 173×178cm)も屏風で、左隻に3羽、右隻に2羽の鶴が描かれていて、頭が赤いのでタンチョウヅルのようですが、左隻の右上の鶴は頭が白くてマナヅル?かもと言っていました。
最後に、実際に触れて鑑賞できる彫刻作品も3点ありました。
三沢厚彦(1961~)の「Animal 2008-01」は、ライオンの木彫です。三沢は2008年から、クスノキを彫刻し油絵具で彩色した動物像「Animals」シリーズを開始し、クマやワニ、ゾウなどの大型動物から、ウサギやコウモリなどの小型動物、さらにユニコーンやペガサスなど架空の動物も制作、そしてその作品名は Animal の後に制作年と制作順の数字を並べているとのこと(この作品は 2008年の最初に制作したものということになる)。このライオンは、長さ3mくらい、長さ160~170cmくらい、幅も1mくらいもある大きなもので、私はもちろん本物のライオンは触ったこともないしよくは分かりませんが、実物よりだいぶ大きく、敏捷そうで恐ろしそうといった印象はなく、どっしりと静かに立っているという感じでした。4本の足はほぼ真っ直ぐ地に付け(左前足と右後ろ足はほんの少し踏み出していそう)、指は丸くてふっくらした感じ、口も閉じています。目立つのは、頭から背にかけてたくさんの房のように広がっているたて
がみと、いったん垂れてから U字型に反転して元の高さまで戻っている尻尾(先端は房のようになっている)でした。
後藤白童(1908~1998年)の「七面鳥」(1961年)も木彫で、金泥・銀泥で薄く彩色されているとか。静岡県生まれの後藤は、1923年の春東京に出ますが、同年9月1日の関東大震災で被災、以前から聴力が衰えつつあったようですが、翌年には完全に失聴し、不安のなか、故郷の寺で見た観音像に魅かれて仏像を彫りはじめ、23歳のとき再び東京に出て朝倉文男などから彫塑を学び、1936年に文展に初入選、翌年から名古屋の陶器会社で原型師をしながら木彫を続け、その後日展でも何度も入選します。この「七面鳥」は、長さ 1m余、20cmくらいの台座も含めて高さ80cm余、太さ50cm弱もあるかなり大きな作品ですが、実際の七面鳥の雄は全長120cmくらいもあり、これでも実物より一回り小さいとのこと。全体に、鑿痕もふくめ、触って心地よかったです。背中側は四角い羽が多数重なるように連なり、尾羽のほうは同心円が少しずつずれて重なり、胸のほうは丸っぽいぼこぼこが並ぶなど、規則的な繰り返しが多かったです。頭部は少し左を向いていて、くちばしのようなのを下に向けて羽繕いをしているような感じ。また首には4、5個もこもこしたような塊があって何だかと思いましたが、これは皮膚の弛みのようなもので、興奮したり緊張したりすると、この部分が赤、青、紫などに変化し、七面鳥という名の由来になっているとか。脚部を触ると、左脚と右脚の間に、葉の繁った木の枝のようなのが地面から生えていて、大きな体をしっかりと支えていました。
柳原義達(1910~2004年)の「風の中の鴉」(1982年)。これはブロンズの像。長さ 1m近くもある大きな鴉。くちばしから尾までほぼ真っ直ぐで、30cm近くもある太く長いくちばしを閉じて前に伸ばしています。両脚で岩のようなのをしっかり掴むようにして立ち、たぶん左側から強い風を受けているのでしょう、羽は全体に右側のほうが少し高くなっています。風に負けず、堂々と前に突き進もうとするような印象です。
(2025年6月29日)