神奈川県立近代美術館鎌倉別館のコレクション展「これもさわれるのかな?—彫刻に触れる展覧会Ⅱ—」

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 9月17日午前、神奈川県立近代美術館鎌倉別館で開催中のコレクション展「これもさわれるのかな?—彫刻に触れる展覧会Ⅱ—」を見学しました。ブロンズの彫刻をはじめ、いろいろな素材の立体作品、レリーフのような平面的な作品たちが数十点も並んでいて、充実した内容でした。これらの作品はすべて露出展示されていて、来館者はだれでも美術館が用意した手袋を両手に着けて触ることができるということで、私も手袋を着けて触りました。質感などを細かく味わうのにはちょっと難しい面もありますが、手袋を着けても形は問題なく把握できました。点数が多く全部を触ってはいませんし、触ったものの中にもほとんど印象に残っていないものもあり、以下は私が触り印象に残っているものたちの紹介です。
 
 いくつかのコーナーに別れており、まず「人のかたち」のコーナー。最初に、ブールデル(1861~1929年)の「帽子を被った自刻像」(1929年)に触りました。高さ60cmくらいでしょうか、肩から上の像です。全周につばのある大きな帽子を頭の後ろ側にほぼ垂直に被っています。鼻は高く鼻筋も長くて、両目を大きく開き、しっかりと表現された瞳はやや上を向いているようです。この作品は、ブールデルが亡くなる数ヶ月前に注文に応じて制作されたものだとか。最晩年でもなお作者の自信と強い意志が伝わってくるようでした。
 続いて、佐野繁次郎(1900~1987年。大阪出身の洋画家)の彫刻作品(いずれもブロンズ)が2点ありました。「男の頭部」(1954年)は、高さ40cmくらいでしょうか、両目とも大きく開いて中の空洞へつながり、顔は頬をはじめぼこぼこの盛り上がりが連なった感じ、下顎から耳にかけても細かい皺皺が並んでいます。年取った顔のように思いますが、それまでの人生の変転を凝縮したよな表現にも思えました。「女 (5)」(1953年)は、手足が細長く、いくつかのパーツをつなげたかのようにぐにゃぐにゃと折れ曲がっています。上半身も細く前に倒れ、頭部はほぼ水平になって下を向いていて考え込んでいるような感じ。女性の不自由な、なにか厳しい状況を反映しているようにも思いました。
 吉田芳夫(1912~1989年)の「演技者G(孺子)」(1975年、ブロンズ)は、高さ4cmくらいだったでしょうか、たぶん幼児のようです。右脚を上げ、前に傾けた大きな顔の横付近に両手を上げ、頭の上からは左右に1対と後ろに1本、なにか分かりませんが羽や角を思わせるような突起が10cm弱伸びています。(吉田芳夫は、演技者シリーズを多く制作しているようです。)
 飯田善國(1923~2006年)の「HITO」シリーズの2点(1962年ころ?、ブロンズ)は、もっと抽
 
 次に「動物のかたち」のコーナー。まず、柳原義達(生没年 1910~2004)の「長寿の鳩」(1981年、ブロンズ)は、長さ40cmくらい、くちばしをぎゅっと左に曲げ開き、羽は閉じがたがたした感じ(台座には台名の隣りに (13歳)と書いてあるとのこと、モデルは飼育していた13歳の鳩なのでしょうか。この作品は以前兵庫県立美術館で触ったことがある。)
浜田知明(1917~2018年。熊本県出身の版画家・彫刻家。海外でも版画家として知られる)の「恐竜とそのひ孫たち」(1997年、ブロンズ)は、興味深い作品でした。長さ30cmくらい、高さ20cmくらいの細長い箱の中に、大きな恐竜の身体部分(肋骨、背骨から尾までの小さな骨が並んでいて、まるで恐竜の骸骨みたいな感じ)が前後ぎちぎちに入っていて、頭部だけが箱の左面から外に出ています。この恐竜の子孫なのでしょう、長さ10cm前後の、4足の尾の長い動物たち(猿のようなのもあった)が3匹。2匹は恐竜の入った箱の上の後ろのほうに恐竜と同じ方向を向いて並び、もう1匹は大きな恐竜の頭部と向かい合って互いに顔が接触するくらい近づいていて、なにか対話でもしているかのように感じました。この作品、数億年前から現在までの時間、そしてその間の紆余曲折を連想させるようにも思いました。
 同じく浜田知明の「悩ましい夜」(2000年、ブロンズ)も面白い作品でした。高さ30cmくらい、幅50cm、奥行30cmくらいの三角屋根の大きな家の屋根の天辺に、2匹の猫がそれぞれ天辺の両端から中央に向かって向かい合うようにとまっています。1匹は尾を高く立て、もう1匹は尾をくるっと巻いていて、互いに顔をくっつきそうなほど近づけて、けんかしているのか興奮しているのかニャアニャアと鳴き合っているかのようです。この大きな家は、玄関や裏口の扉やいくつもの窓などきれいに配置されていて、実際に住みたくなるような感じ、きっとこの家の住人は猫たちの鳴き声を聞かされているのでしょう。
 江口週(1932~2024年。京都出身の木彫家)の「獣頭の碑」(1966年)は、樺の木彫作品。丸太の一部を利用したと思われる30cm角ほどの立方体から、数箇所大きく割り取ったような感じで、ノミ痕もよく分かりますが、いったい何をあらわしているのかよくは分かりませんでした(大きく口を開けているようにも思いましたが)。
 
 続いて、「物語に触れてみよう」のコーナー。 ここにも、浜田知明の作品「鏡」(1993年、ブロンズ)がありました。長さ25cmほどの細長い洗面台の手前に、男?の人(鼻がとても高く伸びている)が洗面台に手をついてやや前かがみになって目の前の鏡を覗き込んでいるようです。鏡にはかなり平面的になった像が映っていますが、もとの像よりはだいぶ華奢な感じがして、もとの像と厳密に同じなのかなと思いました(鏡を見ている男の人も、自問しているかも)。
 藤原吉志子(1942~2006年。東京出身のブロンズ彫刻家)の「風景 にっちもさっちも」(1994年、ブロンズ)は、一触して心動かされた作品でした。両側に高さ20cm余の木が育ち、その2本の木にはさまれて、三角屋根の家が宙に浮いています。家の両側に生えてきた木のために家がせりあがってきたのかも。そして、家の左右の壁は木によって内側に押しつぶされ、また家の前後と屋根は少し膨らんでいます。なんとも面白い風景でしょう、そして使われなくなった人工物と植物の力関係など連想させます。
 同じく藤原吉志子の「キャベツ畑で飛ぶ練習をした。うまくいかない・・・ (G.G. マルケス『翼を持った老人』より)(1986年、ブロンズ)も、よくはわかりませんが、示唆に富んだ作品。広い畑にできたキャベツがごろごろと点在し、キャベツ畑の片端に、高さ20cm余の老人が力なく立っています。老人は古い服を着け、顔をややうつむけ、手をだらりと下げ、両肩からは10cmくらいもある細長い薄い翼が伸びています。(ガブリエル・ガルシア・マルケスは、コロンビア出身の有名なラテンアメリカ文学者。この小説では、羽の生えたみすぼらしい姿であらわれた老人は、最初は村人たちから天使かもと期待されるが、なんらそれらしい素振りはなく、そのうちみんなから忘れ去られてしまうが、最後には急に空へ飛び立っていってしまう。)
 
 次は「レリーフに触れてみよう」のコーナー。土方久功(1900~1977年、彫刻家・民俗学者)の「まひるの夢」(制作年不詳)は木彫で、横70cm余、縦50cm弱ほどのかなり大きな、分厚いレリーフ作品です。両側に堂々とした感じで女性が座り、その間に草木が生い茂っています。この女性たち、以前ゴーギャンのタヒチの女をモデルにして制作したというレリーフに触ったことがあって、姿といい雰囲気といいそれとよく似ていると思いました。また、草木は縦にずんずん伸び、葉が重なり合い蔦なども繁っているようで、なにか熱帯の生命力のようなのを感じます。土方は、パラオに図工教師や南陽庁の職員として長く暮らし、各島の民俗調査もしたとか。
 シルヴィア・ミニオ=パルウエルロ・保田(1934~2000年。イタリア生まれ、彫刻家の保田春彦と結婚後も家事や育児の合間に敬虔なクリスチャンとして多くの彫刻や絵を残す)の「預言者エリヤ 1」(1980年木の原型制作、2000年鋳造)は、横30cm、縦25cmくらいの分厚いブロンズのレリーフです。分厚い木の板の中から大きな顔だけが出ています(木の板は膨らんでいるので、体の部分は木の板の中に隠れているのかも)。鼻は大きく、目は閉じ、額は広く、顎あたりにはたるみのようなのも感じられ、年取った男が木の中で眠っているような感じがしました。(エリヤは、前9世紀中頃の古代イスラエルの預言者で、バール信仰の多くの預言者と対決してヤハウェの一神教を確立したという。私にはこの作品の意味合いはよく分かりません。)
 
 次は、「動かしてみよう」のコーナー。ここでは、実際に作品を手に取って、いろいろ試すことができます。
 吉村弘(1940~2003年、横浜市出身の環境音楽家)の「サウンドチューブ」(原作は1981年、展示されているのは作家没後の再制作)。これは、長さ30cm、直径7cmの両側が閉じた円筒です。持ってみるとけっこう重たく、表面はつるつるの手触り。中には水とともになにか小さな球のようなのが入っているのでしょうか、傾けると水のぼこぼこ・つぶつぶといったような音がし、手にもその振動が伝わってきます。傾け方を変えると、音も変化し振動の感じも変化します。なかなか面白いものです。吉村さんはこの他にもいろいろな音具を制作し、またそれらを使った演奏などもしているようです。
 作家名など詳しくは分かりませんが、「3つの直方体」は、3つの直方体が互いに直行するように配され、その3つが集中する根本の所は斜めに大きく切り取られて平面になっています。この切り取られた面を下にして置くと、3つの直方体はバランスよく斜め上に向かい、とても安定した姿になります。
 
 続いて、「いろいろな素材・材料に触れてみよう」のコーナー。堀内正和(1911~2001年。京都出身の彫刻家)の「半分落ちそう」(1973年、ブロンズ)は、不安定と言うか宙ぶらりんと言うか、印象に残っている作品です。高さ20cm、直径15cm弱くらいの円筒の上に、直径30cm弱の半球が2個平らな切断面でぴったりくっついた状態で乗っているのですが、その切断面は斜めに傾いており、しかも上の半球は下の半球から5cmくらい斜め下にずれた状態になっています。円筒の上に球体が乗っていることもですが、とくに2つの半球が斜めにずれた状態で重なっているのは、なんとも不安定で心が落ち着きません。このような状態がどのようにすれば可能なのか重力やバランスや摩擦などのことを考えたり、あるいは崩れ行く途中の一瞬を表したいのか…。表面は全体につるつるの金属そのものの感じで、このような単純な幾何学的な組み合わせなのに、インパクトのある作品でした。
 米林雄一(1942~。東京出身の彫刻家)の「Cubic Castle」(1991年、ブロンズ)は、全体の形は1辺30cmくらいの立方体。なんといっても表面のつるっつるっの手触りが印象的。そして、いくつも斜めや階段状に切り取られているのですが、その切断面もつるつる、角や辺もとてもシャープです。階段にはふつうに上下に上り下りできるものもありましたが、逆さになっていて(段面が下面ではなく上面になっている)ふつうにはけっして上り下りできないものもありました。とにかく幾何学的にシャープな作品でした。
 北川太郎(1976~。姫路市出身の石彫家)の「時空の種子」(2022年、花崗岩)は、長径30cm余、短径30cm弱、厚さ10cm余の、楕円形の硬そうでつるつるした石の塊。5mmから1cmくらいの間隔で多数の横線が感じ取られ、また所々に、小さな結晶が取れた跡なのでしょうかあるいは空隙なのか、5mm弱ほどの小さな穴があります。この作品は、花崗岩をまず5mmの厚さで切断し、その多数の切断片を接着して、さらにその表面全体を磨いてつくったものだとか。全体としてとにかく存在感があります。(私は以前、北川太郎の「時空のピラミッド」に触り、また石を磨くワークショップにも参加したことがある。)
 建畠覚造(1919~2006年。東京出身の彫刻家)の「WAVING FIGURE -95」(1989年、合板、木、ウレタンコーティング)は、50cm余四方ほどの大きな作品。上面には、幅5cmくらいの波打つように起伏するするうっとした手触りの板がずらあと並び、それぞれの板の波が少しずつずれて配置されていて、全体として波の動きや変化を体感できました。
下川勝(1950~。大分県出身、東京や群馬などで活動するアーティスト)の「遊歩行ノートより💨みかも -2」(1973年、ブロンズ)は、幅70cmくらい、奥行30cmくらい、高さ10cm弱、ゆるやかに起伏していて、触った時の第一印象はなにか地形模型のような感じでした。よく触ってみると、表面全体になにかつぶつぶのような細かな凹凸があり、また所々には細い溝のようなのや橋のようなのがあります。この作品は、空き缶?やペットボトルなどを溶かして原形にし、それからブロンズにしたとか。細い溝の間の橋のようなのは、缶の縁だったりするの?と思ったり。(下川勝は、古くなった日常の品々や廃品などを利用して制作しているとか。なお、タイトルにある「みかも」は、栃木市藤岡町にある道の駅。)
 このコーナーには、その他にも渡辺豊重の「さまざま」(木版を利用)や江口週の「漂流と原形」(クスの木)など、まだまだたくさんあったようです。
 
 最後に、さわれる絵もありました。萬鉄五郎(1885~1927年)の油彩画「田園風景」(1912年ころ)をもとに制作した触知図です。大きさはB4サイズくらい、スチレンボードにインクが盛り上げられていて色も分かるようです。筆使いもたぶんそれなりに再現しているのでしょう、細い短い直線や点が連なったような感じです。触っただけで見てもらっていませんので原図とは違うかも知れませんが、左上に家ないし家並らしきもの、右上に木々の並び(森?)、下部には広く野(田園)が広がっているようでした。
 
 特別出品として、佐藤忠(1966~。彫刻家)の耐候性鋼板を組み合わせた立体作品が4点ほどありました(耐候性鋼は、微量の銅・クロム・ニッケルなどを加えた鉄合金で、表面に錆の層ができて空気中で腐食しない)。表面はするするしたような手触りで、鉄の冷たい感じはしません。大きいものは長さ2mくらいはあり、四角柱で中央が細く両端に行くほど膨らみ端の面に半球の窪みがあるもの、根本が太く先端に向かうほど細くなって壁に立てかけているもの、直角三角柱が横向きにいくつも並んでいるものなど、幾何学的なかたちの変化を楽しむことができそうです。
 
 今回のコレクション展、多様・多彩で面白かったです。これまでに知らなかった作家さんたち、そのいろいろな表現方法にも接することができました。そしてとくに、さわる展示についても美術館の可能性を再確認できました。次の機会を楽しみにしています。
 
(2025年9月22日)