兵庫県美の「美術の中のかたち」展

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 12月5日、兵庫県立美術館で開催されていた小企画「美術の中のかたち―手で見る造形 ― 中谷ミチコ 影、魚をねかしつける」を見学しました。30年以上前から毎年経続して行われているこの「美術の中の形」展、今年も楽しみにして行ってみました。ただ、大きな作品でしたが1点だけで、ちょっと物足りない感じがしました。でもコレクション展などにはちょっと引き付けられる作品もありました。
 まず、最寄りのJR灘駅を出て間もなく、「溢れる」というインスタレーション?に触りました。10cm四方くらいの網目の金網が設置されていて、その網目のあちこちに、直径10cm、長さ20cmくらいの、水がぱんぱんに入ったゴム風船のようなのが入れ込んであります。触った感じはまず冷たい(その時の気温は10度余だったと思う)、そして軟らかさはあるがしっかり内部からの弾力を感じて面白い触感。このゴム風船は透明で、回りの景色が水に写っているとか。夏など季節が違えば、あるいは時刻が違えば、水に写る景色も変わるし、ゴム風船の触感もかなり変わると思います。
 美術館に入って、小企画「美術の中のかたち」展の部屋までの途中、コレクション展を少し回りましたが、いくつか気になる作品がありました。
 アメリカの彫刻家で、しばしばポップアートとの関連も指摘されるジョージ・シーガル(George Segal: 1924~2000年の「ラッシュアワー」(1983年)が展示されていました。石膏による等身大の6人の群像(黒っぽく着色されていて見た目ではすぐ石膏像とは気付かないようだ)で、歩道上に、前に1人、真ん中くらいに2人、後ろのほうに3人が配置されていますが、整った列ではなく各自相手と関係なくそれぞれ歩いているようです。やや年取った人や中年の男女が、みな帽子はかぶらず厚めの服を着込み、ポケットに手をつっこんでいる人も多いとか。眼を閉じていることもあり表情はよく見て取れませんが、みんな疲れたような感じだとか。ニューヨークなど大都市の道を、偶然ただもくもくと歩いている人たちの群れのようです。労働者階級の孤独が伝わってくるような作品です。シーガルは、服を着た身体全体を医療用の石膏(ギプス)包帯で巻き、その包帯を開き外して型とし、それからこのような石膏像をつくったそうです。
 明治期の洋画家の作品が何点も展示されていて、一緒に行った家内が数点に見入っていました。
岡田三郎助(1869~1939年)の「萩」(1908年)は、秋を思わせる庭とそこにたたずむ和服姿の女性が描かれ、おだやかな色調と雰囲気で心落ち着く作品だとか。
白瀧幾之助(1873~1960年の「老母像」(1911年)は、だいぶ年老いた母ですが凛とした姿もうかがわれ、母への思いやり・慈しみのようなものが感じられるとか。(白瀧は兵庫県生野町出身、黒田清輝に師事、1905~11年アメリカとフランスへ。)
 私も興味を覚えたのが、神中糸子(1860~1943年)の「はるの像」(1894年)。白いエプロンを着けた幼い少女(神中の姪のはるの)がたどたどしい足取りでお茶?を運んでいるところのよう。なぜだか、軍帽や軍刀も見えているとか。調べてみると、神中糸子は明治期には稀な女性画家で、父は紀州藩士・陸軍士官学校教官、母は紀州藩御用絵師の娘。1877年、父の勧めで日本初の美術教育機関である工部美術学校に入学(画学科はイタリアから招いたアントニオ・フォンタネージが担当。神中のほか、山下りん(1857~1939年。正教会に改宗、1880年サンクトペテルブルクに留学、イコン画家となる)等6人の女子生徒が入学したが、神中も1880年に中退するなど、女子では終了者はだれもいなかった)、その後小山正太郎に師事。1887~94年明治女学校、1907年から私立日本女子美術学校、1910~14年東京女子高等師範学校で教える。しかし、理由は分かりませんが、50代後半からは画業を離れ短歌などを創作しています。「はるの像」が描かれたのは1894年で、日清戦争時。軍人家族の何気ない日常の様子が愛らしい幼女の姿を通して描かれているのだろうと思いました。
 
 ようやく、小企画「美術の中のかたち―手で見る造形 ― 中谷ミチコ 影、魚をねかしつける」の部屋へ。作品は、「影、魚をねかしつける」という大きな石膏の作品1点。横幅10m以上もある、ゆるく扇形に広がっている壁面に、凹の立体のかたちで作品が展開しています。壁面も含め全体が石膏で、真っ白のよう。向って左端に、長さ150cm近もありそうな大きな魚と、それに片脚をまたがるように乗せ腕で抱きかかえるようにした人が、ふつうの立体作品とは凹凸が反対になった形であらわされています(凹の形であらわされた、魚の多数の連なる細かい鱗や、人の足先や指先など、とても正確でリアル)。魚を抱きかかえるようにしている人の右側には、ずらあっと十数人、いろいろなポーズの人たちが右端まで続いています。正面を向いたり、横を向いたり、そっぽを向いたり、背中をこちらに向けたり、互いに手を組んでいたり、ほとんど倒れた状態だったり、様々です。人物では、とくにそれぞれの髪の毛が1本1本分かりとてもきれいに感じました。ただ、全体としてこれらの人物たちがどのような関係になっているのかはよく分かりませんでした。(私はこの作品を、ふつうの立体作品を触るのと同じように、凹の部分を細かく触って鑑賞しているわけですが、見た目では凹の部分は回りの白の部分とは異なる暗い部分として見えていて、凹の細かな部分までは見えにくく、触察とはだいぶ違いように思う。)
 参考品として、この作品のマケット(彫刻作品制作のための小さな雛型ないし試作品で、下絵のようなもの)も置かれていました。10分の1のスケールだということで、長さ1mほどあり、両手で一度に触るのには適した大きさでした。全体の配置が簡単に分かってよいとは言えますが、鱗や髪の毛、指先など細かい部分まではほとんど表現されていなくて、この作品の触ってよいと思うところはあまりあらわされていないように思いました。
 中谷ミチコについて調べてみると、1981年生まれ、2005年多摩美術大学美術学部彫刻学科卒業、2012~14年文化庁新進芸術家海外研修員、2014年ドレスデン造形芸術大学 マイスターシューラーストゥディウム修了。まず粘土による塑像を作り、それを原型にして石膏型(雌型)を作り、それを作品としているようです。現在、多摩美術大学美術学部彫刻学科准教授。2014年より祖父が住んでいた三重県の空家に引っ越し、工場を改装した「私立大室美術館」で毎年敬老の日限定で一日限りの個展を開催しているとか。
 
 その後、これまでにも触って鑑賞したことのあるブロンズの彫刻4点を改めて触ってみました。ロダンの「オルフェウス」は、オルフェウスの左肩の後面に、たぶん妻エウリュディケーの手首から先がくっついていて、その4本の指が肩甲骨辺りに食い込むようになっているのが印象的。レームブルックの「トルソ」は、マイヨールの「コウベのディナ」と比べて触ってみると、その体つきや顔など、若いコウベのディナに比してだいぶ年取っているように感じました。ジャコメッティ「石碑 Ⅰ」(1958年)は、以前はあまりよく触察していなかったようです。幅7cmくらい、奥行5cmくらい、高さ150cmくらいの四角い柱の上に、高さ45cmくらいの胸部から上の像が載っています。胸部はやや前後に、頭部は左右に圧縮されたようになっていて、その間に7~8cmくらいの細長い頸があります。前後あるいは左右に圧縮することで、その特徴、とくに内部に潜む特徴までもあらわれてくるのかもと感じました。
 
(2025年12月31日)