2月22日、三重県立美術館で開催されていた「ライシテからみるフランス美術: 信仰の光と理性の光」に、 Kさんと一緒に行き、3時間ほどKさんの案内・解説で多くの作品を見て回りました。国内各地の美術館からこのテーマにそって選ばれた多くの作品が展示されており、内容も濃く充実した展覧会です。私自身実際に作品を見ることのできない者にとってはなかなか理解するのが難しかったですが、興味をそそられる内容でした。
「ライシテ(laïcité)」は、フランスにおける国家と教会の分離、すなわち、国家の宗教的中立性・無宗教性と個人の信教の自由の保障を表した原則だとのこと。フランス独自のもので、最近は「政教分離」などと訳されるよりも、そのまま「ライシテ」と記されることが多いようです。ライシテは具体的には国家と教会などの関係を規定する法制度などとしてあらわれますが、芸術家=表現者からすれば内なる心の世界(フランスの場合は信仰と理性)をあらわすことになります。そういったことも念頭にみてゆきたいと思います。
以下私が説明してもらった作品を、 Kさんの説明を中心に、一部読んでもらった展示キャプション、各所蔵館の作品解説等も参考にしながら紹介します。作品の詳細なデータは、作品リストに依っています。(なお、私たちが行った時は展示の後期で、展示替えのため前期だけに展示されていたものもあり、注目していた作品の中には数点見られなかったものもあります。)
第1章は「二つのフランスの争い」。フランス革命から第一共和制、ナポレオンが秩序を回復しようとして(1801年にローマ教皇ピウス7世との間で、カトリック教会と国家を結ぶ宗教協約「コンコルダート」を結ぶ)第一帝政となりますが、1815年に失脚、その後、復古王政、七月王政、第二共和政、第二帝政と政治体制は大きく変化し続けます。この間、革命の精神を受け継ぎ時代を前に進めようとする立場と、カトリック教会を主柱に据えた体制に戻そうとする立場のせめぎあいがずっと続きます。この章には、小見出として、「自由をわれらに」「フランス革命と宗教」「ナポレオンと宗教」「聖堂の保存と復興」が設けられていました。
まず、作者不詳《1790年2月16日の修道会の廃止に関する国民議会の政令》(18世紀末 エッチング・手彩色、紙 22.0×31.6cm 専修大学図書館)。1789年8月末に「人と市民の権利宣言」が採択され、翌年2月に修道誓願の禁止と修道会の解散を主内容とするこの政令が発せられ、修道士や修道女は修道会から解放されます。この絵は、自由になった男女(修道師と修道女)がいそいそと結婚式に出かけ、男女が互いに仲よくしている様子が描かれているとのこと。
ナポレオンをテーマにした絵も数点ありました。
ジャック=ノエル=マリー・フレミー(1782~1867年)《皇帝ナポレオン1世と皇后ジョゼフィーヌの戴冠式(ジャック=ルイ・ダヴィッドの作品による)》(1804~1809年頃 油彩、カンヴァス 25.0×35.0 東京富士美術館)。フレミーはダヴィッドのもとで学んだ画家で、この作品はダヴィッドの代表作でルーヴル美術館に展示されている巨大な《皇帝ナポレオン1世と皇后ジョゼフィーヌの戴冠式》に基づいた作品(複製画?)。ダヴィットの作品では、ナポレオンは自身ですでに冠を被った後、跪く皇后ジョゼフィーヌの頭上になんと戴冠用の小さな冠を両手で持ち上げて授けようとしているようですが、フレミーの絵では、ナポレオンが右手にヨーロッパ大陸の地図を持ち、女神アテナの胸像を見つめているそうです。
エミール=ジャン=オラース・ヴェルネ(1789~1863年)《墓からよみがえるナポレオン》(1840年 油彩、カンヴァス 64.0×53.0 東京富士美術館)。この作品は、1840年12月にパリで行われた百万人もの人々が集まったという大イベントに関連した作品です。1821年にセントヘレナ島で亡くなったナポレオンの遺骸は厳重に三重の棺に納められていました。1840年、7月革命(1830年)後の不安定な社会状況のなか、ナポレオンの絶大な人気を利用しようと、彼の棺が10月に発掘され、イギリスからフランスに移送されて、パリのアンヴァリッドのドーム聖堂の地下に安置されます。この作品では、闇夜のなか、柳の木が覆いかぶさる墓の石の蓋をナポレオンが右手で開けて、オリーヴの枝を左手に持ち階段を上がってくる姿が表わされ、頭部に光が当てられているとのこと、キリストの復活も連想させる絵のようです。
ギュスターヴ・モロー(1826~1898年)《ピエタ》(1854年 油彩、カンヴァス 75.0×96.0 岐阜県美術館)。画面中央に十字架が立ち、その手前に、石?のようなものの上に白い布に包まれたキリストの遺体、その頭部をマリアが支え抱いています。頭上には白い鳩が数羽見えています。マリアに寄り添うように共に嘆き悲しむ女性、キリストの足元にものぞき込むようにして嘆いている人も見えます。背景にはゴルゴタの丘も見えています。全体は暗い感じですが、マリアとキリストにスポットライトが当てられ、とくにマリアの衣装の襞など、とても精緻にきれいに描かれているとのこと。マリアの表情は嘆きを表わしているというより、とても静かな感じだとのこと。この絵は、ピエタという典型的な図像ですが、色彩や光の効果などから、鑑賞者の目を魅くものになっているようです。
アリ・シェフェール(1795~1858年)《戦いの中、聖母の加護を願うギリシャの乙女たち》(1826年 油彩、カンヴァス 65.0×55.0 国立西洋美術館)。この作品は、1820年代に起こった、オスマントルコからのギリシア独立戦争をテーマとしたもので、女性たちが戦火を逃れて洞窟に避難し、岩壁に掛けられたイコン(東方正教会の聖画像)に向かって祈っっている場面が描かれています。暗い洞窟の中、イコンが輝き、彼女たちの不安や恐怖の表情もよく表現されているとのことです。入口近くの女性は、外の様子を気にして振り返りながら、左手をイコンのほうに伸ばしているとか。オスマントルコからのギリシアの独立という政治的テーマが、キリスト教の信仰心と結び付けられてあらわされています。
J・J・グランヴィル(1803~1847年)とウジェーヌ・イポリット・フォレ(1808~1891年)《カラスどもに好き勝手にされるフランス(『ラ・カリカチュール』紙50号より)》(1831年10月13日 リトグラフ・手彩色、紙 18.0×25.5 町田市立国際版画美術館)。グランヴィルは風刺画家で、1830年の7月革命後成立したルイ=フィリップの立憲君主制にたいする風刺画のようです。鎖を手足につけた女性(たぶん自由を求めるフランスの象徴)にカラスたちが群がり突っつき、三色旗を踏みつけています。
ウジェーヌ・ドラクロワ(1798~1863年)《聖母の教育》(1852年 油彩、カンヴァス 46.0×55.5 国立西洋美術館)。老年の女性(聖母マリアの母アンナ)と幼い少女(マリア)が並んで座っています。女性は青いドレスを着けて頭には白っぽいベールをまとい、膝の上に本(旧約聖書)を広げていて、横の少女が熱心に本をのぞき込むようにしています。足元には犬(忠誠の象徴)が座り込んでいます。背景には緑の木々などおだやかな風景が描かれているようです。ドラクロワと言えば、有名な《民衆を導く自由の女神》や《キオス島の虐殺》など歴史的・政治的事件に取材したはげしい劇的な画面を連想してしまいますが、この作品はそれらとはまったくことなり、幼いマリアが母の聖アンナから聖書を読む教育を受けるという、伝統的なキリスト教の主題を、全体にとてもおだやかで、親密さも伝わってくる静かな作品になっているようです。(なお、この作品の2人の女性は、女流作家ジョルジュ・サンド邸の使用人の農婦とその娘だそうです。)
ジャン=フランソワ・ミレー(1814~1875年)《無原罪の聖母》(1858年 油彩、カンヴァス 79.0×45.0 山梨県立美術館)。この作品については、山梨県立美術館で一度解説してもらったことがあります。この作品は、ローマの鉄道省は、教皇ピウス9世(在位1846~78年)のお召し列車の礼拝室を飾る聖母マリア像・無原罪の聖母の制作をミレーに依頼して描かれたもので、当然崇高なマリア像が期待されていたはずです。(「無原罪の聖母」は、聖母マリアが原罪なくして宿ったこと=無原罪の御宿り)伝統的な図像に従い、聖母マリアは青いマントと赤い服をまとい、純潔の象徴である三日月の上に立ち、エデンの園で人類を堕落させた蛇と智恵の実リンゴを踏みつけています。頭上には星々の輪も見えるとのこと。背景は暗い空と大地(農村?)で、その大地に聖母マリアが降り立っているという感じのようです。 Kさんはこの聖母像を一見して、田舎の少女っぽいこと(鼻はまるっぽいし、肌も白くないし…)にびっくりしていました。また、踏みつけられている蛇は、口を大きく開け血を流しているとか、そのリアルな表現にも驚いていました。崇高な聖母像とは言えないでしょうが、大地に生きるそぼくな人たちが聖母として描かれることで、宗教画がより多くの人たちを魅了するものになっているように思います。
三重県立美術館所蔵の、ロドルフ・ブレスダン(1822~1885年)の版画が数点ありました。
《死の喜劇》(1854年 リトグラフ、紙 22.0×15.2)は、深い森の中、木々の間にフクロウ?やコウモリ?などいろいろなへんな動物たちや精霊?が見え隠れし、地面や木々の間に肋骨や頭蓋骨など骸骨があちこち散らばっており、それらを動物や精霊が見ているのかも。キリスト教の文脈を離れて、死後を直視させられるような絵は、当時としてはかなり珍しかったのではと思います。
《善きサマリア人》(1861/1867年 リトグラフ、紙 56.4×44.4)は、これも、植物が繁茂する森のなか、中央に荷を積んだラクダ、その足元に身ぐるみ剥がされて倒れている人、その人をラクダから降りた人が手を差し伸べ助けようとしているようです。この作品は、1861年「キリスト教徒を救うアブド・アルカーディル」と題されサロンに出品されたとのこと。アルカーディルはかつて抗仏運動を展開したアラブの指導者で、1860年のシリア内戦時にキリスト教徒を保護したことがフランスで広く知られるようになり、隣人愛を説くキリスト教の主題=「善きサマリア人のたとえ」を描いた作品とされるにいたったそうです。
《鹿のいる聖母子》(1871~1878年 リトグラフ、紙(エッチングによる原画を転写) 25.1×19.9)は、マタイによる福音書(2章)などにある、ヘロデ王の迫害を逃れてエジプトに避難するヨセフ、マリア、幼子イエスの聖家族をテーマとしたものです。これも、深い森の中、2頭の鹿をはじめ多くの動物や小鳥たちに囲まれて憩う聖家族が描かれ、 Kさんは森の楽園?みたいと言っていました。とても細かく描かれ、幻想的な印象のようです。
第2章は「敗戦からの復興」です。1870~71年の普仏戦争での敗北とパリ・コミューンの瓦解(71年5月の血の1週間では3万人以上の市民が犠牲になったという)、その後第三共和政の時代です。この時期、初等教育の無償化と義務化・世俗化を規定したフェリー法(1881~82年)が実施されて、それまで教育において主要な担い手だった司祭と教会の役割が大きく制限されます。また、「ラ・マルセイエーズ」が国歌として採用され(1879年)、7月14日が建国記念の祝祭日とされる(1880年)など、カトリック教会とは別の国民統合の新たな象徴がつくられてゆきます。小見出として、「『恐るべき年』: 普仏戦争とパリ・コミューン」「支柱を求めて」が設けられていました。
まず、オノレ・ドーミエ(1808~1879年)の版画集で、普仏戦争のパリ包囲戦期間中に描かれた『包囲アルバム』(1871年刊 神奈川大学図書館所蔵)の中から、次の4点が展示されていました。「ナポレオン広場」「1870年のある風景」「この遺産に打ちひしがれる」「哀れなフランス!…幹は稲妻に打たれているが、根はしっかりと大地をつかんでいる!」。それぞれ何が描かれているのかよく分かりませんが、最後の作品については、すごい風に煽られ木の幹が途中で折れ、そこにギザギザの稲妻が落ちていますが、木の根はしっかりと地をつかんで残っているとのことです。エドゥアール・モワズ(1827~1908年)の《コミューンの快い思い出》(1871年 エッチング、紙 23.8×15.8 町田市立国際版画美術館)についても、どんな作品なのか分かりませんが、画家のモワズは、フランスにおけるユダヤ人の歴史や彼らの生活をテーマにした絵を描いたそうです。
ギュスターヴ・モロー(1826~1898年)《聖セバスティアヌスと天使》(1876年頃 油彩、板 27.0×15.0 岐阜県美術館)。太ももあたりに矢を射られたセバスティアヌスが、高い樹に縛られて立っています。その後ろ上方に天使が青っぽい翼を広げ、その両翼の間、セバスティアヌスの頭上に星々が配され、光輪のように見えているようです。聖セバスティアヌスは、3世紀末キリスト教徒を弾圧したディオクレティアヌス帝の軍の一員でしたがひそかにキリスト教に改宗、それが露見して殉教したと伝えられる聖人で、しばしば絵画や彫刻の主題とされることが多く、Wikipediaによればモローは同じタイトルで10点近くも描いているとのこと。(私は20年ほど前、メノウのカメオで浮彫りされた聖セバスティアヌスの像を触ったことがあります。身体の右側に矢が4本突き刺さり、樹に綱で縛りつけられて、しっかりと立っていました。)岐阜県美術館所蔵のこの作品では、殉教の残酷さがおさえられ、幻想的な表現になっているように思います。
ピエール・ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ(1824~1898年)《聖ジュヌヴィエーヴの幼少期》(1875年頃 油彩、カンヴァス 52.0×102.3 島根県立美術館)。この作品は、パリのパンテオンに描かれた壁画《聖ジュヌヴィエーヴの生涯》(1876~79年ころ)の場面の一部の下絵として描かれたもので、5世紀前半の聖人ゲルマヌスが神の啓示で少女ジュヌヴィエーヴを見出す場面を描いたものだとのこと。白い服を着た幼いジュヌヴィエーヴの頭の上に、ピンクのローブをまとった聖ゲルマヌスが手を乗せています。ジュヌヴィエーヴの後ろで両親?が見守り、回りには村人たちが集まっています(聖ゲルマヌスに視線が集まっている)。また、後ろの建物からは病人?が運び出されているようです。背景には空や山々、川などの風景が淡い青っぽい色で描かれており、全体におだやかな、幻想的な印象を受けるようです。聖ジュヌヴィエーヴ(422頃~502年)は羊飼いでしたが、聖ゲルマヌスに導かれて入信、15歳で修道女になります。451年アッティラ率いるフン族の襲来にさいして人々を鼓舞し勇気を与え、その後のフランク族の包囲時も飢餓から人々を救ったと伝えられ、9世紀ころからパリの守護聖女として崇められるようになったとのこと。また、パンテオンは、もともとは18世紀後半に建設されたサント・ジュヌヴィエーヴ教会でしたが、1791年国民議会によってフランスの偉人たちを祀る墓所とされ、19世紀以降国家的な功労者や偉人を祀る場となったものです。この作品は、このような国家的施設に人々の信仰心を結びつけることで国民統合の象徴的な意味を持っていたのかも知れません。
ロダンなどの彫刻作品もいくつか展示されていました。
エメ=ジュール・ダルー(1838~1902年)《乳を与えるパリの女》(1874年 ブロンズ 47.5×23.0×36.2 静岡県立美術館)。背もたれのない椅子に、ゆったりとした襞のある服を着けた女性が足を組んで座り、授乳している姿です。モデルは妻のようですが、当時の母親の日常の姿を写実的に表わしたものとして評価されたようです。ダルーは、1861年サロンに初出品、パリ・コミューンでルーブル美術館の作品を守る任務にあたったため1870~79年イギリスに亡命していたとのこと。代表作に、パリの国民広場のために制作した《共和制の勝利》があるとのことです。
オーギュスト・ロダン(1840~1917年)《カレーの市民(第2試作)》(1885年/1977年鋳造 ブロンズ 68.5×140.0×110.0 ポーラ美術館)。《カレーの市民》は、1884年カレー市から百年戦争のさいの市民の英雄的な行為をたたえる記念碑の依頼を受けて制作されたものですが、ロダンが制作したものは死地におもむく市民の悲壮感を感じさせる群像でした。カレーは北フランスのドーバー海峡に臨む都市。1347年カレー市を包囲したイギリスのエドワード3世は、市民の代表が町の城門の鍵を持って降伏する事を条件に攻撃をやめることを宣言、これに応じて身をもって市を救った長老をはじめとする6人の市民を表わしています。
この第2試作よりはだいぶサイズが小さいですが、私は20年以上前静岡県美術館のロダン館で第1試作を触ったことがあります。以下、その時の触察記録です。「 前に3人、後ろに3人が、いろいろな方向を向き、手を組み合ったり綱のようなので結ばれたりしている。前の右側に位置する長老が、城門の鍵を持ち、右手を伸ばして一行の行くべき方向を指示している。前の左側の人は綱をかけられ無理矢理引きずられていくよう。後ろの右端の人は、片手は頭の後ろに回し、片手は顎を支えるようにして、ううんと考え込んでいるような、悲痛な感じ。後ろの左端の人(若者)は、足を蹴り出そうとする姿勢で、一行を力で行かせようとしている感じ。」この作品は、フランスの愛国心・犠牲審を表現している作品と言えるでしょう。
《カレーの市民》関連の作品が2点展示されていました。
《ユスタシュ・ド・サン=ピエール司教(縮小像)》(1960年鋳造 ブロンズ 46.8×26.6×21.0 ヤマザキマザック美術館)。この作品は、以前ヤマザキマザック美術館で触ったことがあります。以下、その時の触察記録です。「長いガウンのようなのを羽織っていますが裸足です。両足をやや開き、右足はかかとを上げて、これからやむなく踏み出そうという感じでしょうか。髭をはやし、背はやや丸くなり、かなり高齢のようです。顔は斜め下を見ているようです。両手は下げて軽く握っていますが、たぶんこの人が《カレーの市民》の群像では(前列右端の)右手に城門の鍵を持っている人でしょう。」
《ウスタッシュ・ド・サン=ピエールの頭像》(1884~1886年頃 ブロンズ 36.4×21.2×23.3 埼玉県立近代美術館)。頬がこけ、目が窪んでするどい目つきで、苦悩を感じさせるような表情のようです。
オーギュスト・ロダン《「ラ・フランス」習作》(1904年 ブロンズ 50.0×43.0×31.0 静岡県立美術館)。きりりと引き締まった、滑らかでおだやかな女性の顔(モデルは、ロダンの優秀な弟子で愛人でもあったカミーユ・クローデル)ですが、それに荒削りの肩や胸、頭の被りものが加えられています。被りものは、兜、あるいは、フランス革命以後自由のために戦うフランスを象徴するようになったフリジア帽かも知れないとのこと。女性の姿が、共和制フランスの象徴、愛国的な女神?のようなものになっているようです。
リュック=オリヴィエ・メルソン(1846~1920年)《エジプト逃避途上の休息》(1880年 油彩、カンヴァス 75.5×133.2 島根県立美術館)。この作品も、先のブレスダンの《鹿のいる聖母子》同様、エジプトに逃避する聖家族をテーマとしたものですが、だいぶ変わった印象を受けました。星空の下、荒涼とした砂漠に大きなスフィンクスの石像があり、その足元で、イエスを抱いた聖母マリアがもたれかかるように眠っています。近くの地面にはヨセフが横たわって眠っています。砂漠や石像が茶色っぽいなか、イエスは真っ白に輝いていて、とても印象的だとのこと。伝統的なキリスト教美術の主題である聖家族と古代エジプトのスフィンクスの組み余わせは、当時流行の異国趣味?(1878年に第3回パリ万博が開かれている)かも知れませんが、もしかすると、異なった文化や宗教の融和・共存といった第3共和制の理念ないし理想のようなものが反映しているのかもと思ったり…。
ジョルジュ・ビゴー(1860~1927年)《熱海の海岸》あるいは《熱海にて、日本の漁師たち》(1888年頃 油彩、カンヴァス 72.9×162.1 宇都宮美術館)。浜辺に漁師たち3人(ちょんまげを結っている人もいる)が魚のいっぱい入ったかごの回りに集まっています。犬も座ってそのかごを見ているようです。海岸には漁から戻ってきた小舟と鉢巻き姿の男たちが見えます。海上の遠くには蒸気船が見え、それを舟に寄りかかった着物姿のビゴー自身がなにかさびしそうに見ているとのこと。ビゴーは、ジャポニスムとくに浮世絵に興味を持って1882年に来日、その後1899年まで日本で生活、各地を旅行したりしながら、当時の人々の生活ぶりや風景を多くの風刺漫画や絵画に描いたとのことです(中には、1888年の磐梯山の噴火や1896年の明治三陸地震などの災害、日清戦争のスケッチなど、貴重な資料も多い)。この作品では、漁師たちの満ち足りたような旧来の日本の生活ぶりへの親近感と、迫りくる文明・近代化への否定的な感情の両方が示されているようです。
オディロン・ルドン(1840~1916年)『ヨハネ黙示録』(1899年刊 リトグラフ、紙 三重県立美術館)。新約聖書の最後の「ヨハネの黙示録」の幻想的?な世界を描いた12点セットの版画集です。その中から、以下のものが展示されていました。
「…そして、それに乗っている者の名は『死』と言った、」(6章8節) 青白い?馬に乗った髑髏(死)が剣を下に向けてやって来ます。(侵略、戦争、飢饉、殺戮を象徴する4名が馬に乗って出現するが、ルドンは「死」だけを取り上げ、骸骨で表わしている。)
「御使、香炉を手に持って、」(8章5節)背に翼のある天使が右手にしずく形の香炉を持って祭壇の前に立ち、香炉からは煙が上がり、ゆらぎ広がっているようです。天使はとても優雅な立ち姿で、瞑想しているように静かでおだやか、煙や空気の動きも繊細に幻想的に描かれているようです。
「また、もうひとりの御使が、天の聖所から出てきたが、彼もまた鋭いかまを持っていた。」(14章17節) 白い服を着け頭に布のようなのを被っている天使が、右手で大きな刃の鎌を下向きに持ち、ゆっくりと歩いてきます。背後には岩壁?が見えているようです。
「またわたしが見ていると、ひとりの御使が、底知れぬ所のかぎと大きな鎖とを持って、天から降りてきた」(20章1節) 真っ暗闇のなか、両翼を大きく広げ、太い長い鎖を両手を広げて持った天使が、天から舞い降りてきます。
「またわたし、ヨハネは、聖なる都、新しいエルサレムが、神のもとを出て、天から下って来るのを見た。」(21章2節) 画面上方に光の束のように輝く四角い建物群、画面手前に山、天から新しい都が降りてくるようです。
「これらのことを見、かつ聞いた者は、私、すなわちヨハネである。」(22章8節) これが作品の最後。長い髪とひげのヨハネが、俯きかげんで手を合わせています。内省的な感じのよう。
ポール・ゴーギャン(1848~1903年)の『ノアノア』(ポーラ版 1921年刊)から、数点の木版の挿絵が展示されていました。(『ノアノア』は、ゴーギャンが1891年から93年、原始の楽園?を求めてタヒチに滞在した時の紀行文集。)以下私がちょっと説明してもらったものです(いずれも東京国立近代美術館)。
《ノア・ノア(かぐわしい)》(1893-1894年 35.0×20.5)は、タヒチの女性が、棒に荷物をつるして担いでいます。(ゴーギャンがタヒチに着いた時、現地の女性たちからかぐわしい香りを感じたと言う。)
《ナヴェ・ナヴェ・フェヌア(かぐわしき大地)》(1893-1894年 35.0×20.3)は、画面右側半分に全裸の褐色の肌のたくましい女性、背景には植物が繁茂する大地が見えます。この女性の側にトカゲのようなもの(翼がある?)が見えます。調べてみると、大原美術館にはゴーギャンの同じタイトルの大きな油彩画があり、その作品解説によればこの女性は「タヒチのイヴ」だとのこと。そうだとすれば、トカゲのようなものは、イヴを誘惑した蛇なのかも知れませんし、さらにサタンの象徴としてしばしば描かれる悪竜かも知れません。
《マルル(感謝)》(1893-1894年 20.5×35.5)は、画面右側に椅子?に座った4頭身くらいの巨大な女性が見えます(このような女性像は現地の精霊のような存在なのかも)。背景にはタヒチの自然が見え、手前のほうには舟?や小屋、人々も見えているそうです。
第3章は「『「政教分離(セパラシオン)』と『神聖同盟(ユニオン・サクレ)』の時代」です。ドレフュス事件をきっかけに、左右両派が対立、急進的なコンブ内閣のもとで1905年末、国家の非宗教性(公的部面からの教会の徹底した排除と教会への国家支出の禁止など)を定めた政教分離法が成立、今日まで続くライシテの時代になります。しかし、第1次世界大戦が始まると、ドイツからフランス国家を守るために、各党派や各種団体が意見の違いを越えて挙国一致の体制=神聖同盟をつくり、教会もまたその一翼を担うことになります。小見出として、「世紀転換期のカリカチュア」が設けられていました。
ライシテの時代の始まりですが、まず宗教画が並んでいました。
ジョルジュ・デヴァリエール(1861~1950年)《ミサを捧げる司祭》(1903-1905年頃 油彩、厚紙 105.0×72.5 個人蔵(岐阜県美術館寄託))。司祭が聖杯のワインを口にしようとする瞬間を描いた作品。カトリックのミサの聖餐で、聖杯に入ったワインが聖別されてキリストの血になるという、カトリックの典礼で極めて重要な面で、それが光と陰などの効果で印象的に描かれているようです。ジョルジュ・デヴァリエールは、当初は肖像画や風俗画を描いていましたが、1900年代になって宗教画を描くようになり、1919年モーリス・ドニとともに「アトリエ・ダール・サクレを創設、宗教美術復興運動を推進したとのことです。
同じくジョルジュ・デヴァリエール《キリストとマドレーヌ》(1905年 油彩、紙 241.5×99.8 大原美術館)。赤い服を着ていばらの冠を被せられたイエスを、長い髪のマドレーヌ(=マグダラのマリア)が支え抱きかかえるようにして立っています。イエスのいばらの冠は、磔刑の場面を連想させます。またマグダラのマリアは、福音書によれば、罪深い女性でしたが、悔改めてイエスに付き従い、イエスの復活後最初に会った女性です。
ジョルジュ・ルオー(1871~1958年)《法廷》(1909年 油彩、厚紙 75.0×105.3 パナソニック汐留美術館)。画面中央に大きく3人の裁判官、左下に弁護師、右上に被告が描かれています。裁判官は赤い服を着け、顔には黒い太い線が数本引かれていて表情などまったく分からないとのこと、全体的に、感情などない、残酷そうとも思える冷たい雰囲気が伝わってくるようです。
モーリス・ドニ(1870~1943年)《聖母月》(1907年 油彩、カンヴァス 115.3×147.2 ヤマザキマザック美術館)。この作品は、全体にやわらかな色彩と光にあふれ、 Kさんのお気入りの作品のようでした。聖母月は、キリスト教で5月、ヨーロッパでは草木が芽吹き花々も咲きほこる春。そんな風景のなか、画面中央やや左に裸の幼子を抱いた聖母が立ち、右側に少女が4人(この少女たちはドニの娘たちがモデルになっているとか)、左奥に女性(聖女)3人、足元に少女3人。淡い青の空、淡い緑とピンクの花も咲く畑、淡い青の川、降り注ぐやわらかな光…、春いっぱいの風景。
エミール・アントワーヌ・ブールデル(1861~1929年)《わが子を捧げる聖母》(1920年代 大理石 H. 67.5 ポーラ美術館)。聖母マリアが、幼子イエスを顔の高さくらいまで抱き上げています。イエスはやせた細身の姿で両手を広げており、まるで十字架のように見えるとのこと。将来を暗示しているようです。
ジョルジュ・ビゴー(1860~1927年)《アルザス・ロレーヌの人々のダンス・パーティー、「ラティエの店」のダンス・ホールにて》(1919年 油彩、カンヴァスボード 34.7×23.7 宇都宮美術館)。軍人とドレスを着た女性が踊り、その後ろで演奏している楽団員も軍服を着ているとのこと。(アルザス・ロレーヌは、普仏戦争後1871年ドイツに割譲されたが、第1次世界大戦後1919年ベルサイユ条約でフランス領に戻っています。)
ジョルジュ・ルオー(1871~1958年)の銅版画集『ミセレーレ』(1948年刊)から数点展示されていました。("Miserere" は、ラテン語で「憐れみたまえ」の意。『ミセレーレ』は、「ミセレーレ」(1~33)と「戦争」(34~58)の2部構成の、計58枚の銅版画集。)私が説明してもらったのは以下の3点です(いずれも岐阜県美術館)。
「汝ら、互いに愛し合うべし」(1922年 59.0×42.6) これは、磔刑の場面で、十字架上でイエスが磔にされ、その回りに3人の嘆く人たちがいます。(ルオーは、イエスがすべての人間の苦悩と罪とを一身に背負って受難するこの場面にを、「汝ら、互いに愛し合うべし」と題したわけです。)
「母親に忌み嫌われる戦争」(1927年 58.4×44.1) 女性(母親)が、膝の上に子どもを向かい合わせで抱きとめています。女性は目をふせ、愁いの様子が見てとれるようです。(聖母子像のようにも見えるかも。)
「深き淵より…」(1927年 43.3×59.8) 仰向けに寝ている人の目から涙が出ています。上の壁にはキリストの顔。向こうには背を向けた男性とこちらを向いた男性が見えます。(タイトルの「深き淵より…」は、旧約聖書の詩篇130篇の冒頭にある言葉です。)
ジョルジュ・ルオー《キリスト磔刑》(1939年頃 油彩、紙(カンヴァスで裏打ち) 62.7×47.1 三重県立美術館)。この作品の構図は、上の『ミセレーレ』の「汝ら、互いに愛し合うべし」とほぼ同じでだとのこと。画面に大きく描かれた十字架上で、キリストが両手を広げています。十字架に向かって左側に、ひざまずいて手を合わせているマグダラのマリア、右側には、天を仰いで立っている聖母マリアと俯きかげんの使徒ヨハネが描かれています。各人物の輪郭は黒い太い線で示され、内側の色彩が目立つようです。
モーリス・ユトリロ(1883~1955年)《旗で飾られたモンマルトルのサクレ=クール寺院》(1919年 油彩、カンヴァス 81.0×60.0 埼玉県立近代美術館)。サクレ・クール寺院は、パリ・モンマルトルの丘に建つ白亜の教会堂で、40年ほどかけて1914年に完成しますが、一般に開放されたのは第1次世界大戦後の1919年。この作品では、手前のベランダから大きな教会堂をながめている構図で描かれていて、白の教会堂は、塔の先から窓々にいたるまで、大小様々の無数ともいえるほどの赤・白・青の三色旗=フランス国旗で飾られています。この絵には人々のすがたはまったく見えませんが、その静けさのなかに、第1次大戦で祖国を守り平和を得て、教会も国民も国家も一緒に祝っているというような印象が伝わってきます。
エティエンヌ・ディネ(1861~1929年)《モスクからの帰り》(1918年 油彩、カンヴァス 162.0×131.0 国立西洋美術館)。土壁の家々が並ぶ道を、強い陽光のもと、男性たちがゆっくり歩いています。遠くにはモスクの塔が見え、礼拝からの帰りなのでしょう。男性たちは、褐色の肌、白い服やフード付きのマントのようなもの(ブルヌスと呼ばれる)を着けています。中央やや右の男性は小さなヒツジ(かヤギ?)をやさしく抱えています。エティエンヌ・ディネはパリ生まれのオリエンタリズムで知られる画家ですが、20代でアルジェリアの調査に参加、現地の文化に魅了されて、40歳過ぎアルジェリアのブー・サアーダに家を買って住むようになり、後にはイスラム教に改宗したそうです。この作品も、ブー・サアーダの信仰部会人々の様子を描いたもののようです。
モーリス・ドニ(1870~1943年)《ラ・クラルテの聖堂》1917年油彩、カルトン(裏から木枠で補強) 50.0×37.0 国立西洋美術館)。教会の内側の手前から、窓やステンドグラスから入ってくるやわらかな光に照らされて見える教会内部の様子が描かれているとのこと。壁や柱、アーチ状の天井、中央には祭壇とその上の十字架、聖母や幼子の像、花、しずかに祈る人たちも見えます。この教会はブルターニュ地方の村の小さな教会だとのこと。この作品が描かれた1917年は第1次大戦末期で、たぶん疲弊した生活環境のなか、人々のよりどころとしての教会や信仰心があらわされているのでしょう。
同じくモーリス・ドニ《行列》(1919年 油彩、カルトン(裏から木枠で補強) 50.5×75.4 国立西洋美術館)。緑の木々や花も咲く庭園のような所を、白い服を着た女性たち(花を持っている人もいる)や子供たちが、旗を立ててしずかに歩んでいます。聖母に関連した祝祭などに行く途中なのでしょうか(第3章の初めのほうで鑑賞したドニの《聖母月》と雰囲気がちょっと似ているように思う)。第1次大戦が終わって間もない時期、人々に根付いている信仰心がよく表現されている作品なのでしょう。
ラウル・デュフィ(1877~1953年)《ピエール・ジェスマール氏の肖像》(1932-1938年頃 油彩、カンヴァス 115.8×89.0 宇都宮美術館)。室内の中央の椅子に、鮮やかな青のスーツと赤いネクタイ姿のジェスマール氏がゆったりと座っています。回りの壁面には、たぶんデュフィ自身のものと思われる絵画が数点見え、窓から遠くの風景も見えているようです。建物の上にはフランス国旗も見えています。ジェスマール氏はデュフィの作品のよき理解者でパトロンでもあったとのこと。ジェスマール家はアルザス地方にルーツをもつ名の知られたユダヤ系の家系で、ピエール・ジェスマール(1885~1949年)は、ユダヤ人のフランス社会への同化や奉仕を呼びかけたそうです。
マルク・シャガール(1887~1985年)の版画集『聖書』(1956年刊 宇都宮美術館)から数点が展示されていました。シャガールは、ロシア生まれのユダヤ系、主にパリで活動していますが、1931年この『聖書』制作のためにパレスチナ、シリア、エジプトを旅したそうです。以下私が説明してもらった作品です。
「ヤコブの梯子」(29.5×24.5)( 画面中央に大きく梯子が描かれ、天使たちが昇り降りしています(右側には天から落ちてきたような男の子?も)。手前には男性(ヤコブ)が仰向けに寝ていて、天まで続く梯子を見ているのでしょう。(創世記28章関連)
「ラケルの墓」(23.9×30.5) 画面奥に、ドーム状の四角い建物(ヤコブの最愛の妻ラケルの墓)が見えます。墓の上には天使の姿が見え、手前には木々が生い茂り、右下には悲嘆にくれているようなヤコブ(Kさんはラクダ?のようにも見えると言っていました)が見えます。(創世記35章関連)
「出エジプト」(24.1×32.0) 荒涼とした地を、多くの人たちが荷を負ったりして急ぎ足で歩いています。追手の影や希望の光のようなのも見えるようです。(出エジプト記 12-14章関連)
「エルサレムへの約束」(32.0×22.0) 幻想的・抽象的ではっきりしませんが、天使なのか神なのか、大きな布のようなもの(たぶんエルサレムの街あるいは聖殿?)をふわっと抱いているような感じだとか。(ミカ書4章など)
第4章は、「もうひとつの聖性: ライシテの時代の美術」。美術は、長らく教会や国家あるいは貴族などに依存しその権威の下で行われていましたが、ライシテの時代、それらから自立して、美術固有の価値を生み出し、ときには新たな聖性を帯びるということで、そのような作品が展示されていました。小見出として、「シュルレアリスム: 潜在意識の発露、あるいは聖性の転用」が設けられていました。
クロード・モネ(1840~1926年)《ラ・ロシュ=ブロンの村(夕暮れの印象)》(1889年 油彩、カンヴァス 73.9×92.8 三重県立美術館)。この作品は、モネの作品では珍しく、暗い画面のようです。画面いっぱいに大きく岩山のようにも見える岡が逆光で描かれています。たなびく雲は赤く染まっていて、夕日が沈んだ後のようです。丘の上には家々のシルエットが見え、画面右下にはよく見ると風にゆれる木々などが見えているようです。この作品もそうですが、モネの作品には確かに神や聖人、英雄などは出てきませんね。
パブロ・ピカソ(1881~1973年)《修道院》(1910年 銅版、紙 20.0×14.1東京国立近代美術館)。この作品は、マックス・ジャコブの著書『聖マトレル』のために制作された版画の1枚で、マトレルが現世への愛=レオニー嬢を振り切って入会し死を迎える修道院を描いたものだそうです。とは言っても具体的に何が描かれているのかははっきりとはせず、建物の屋根や窓、壁など、回りの木や庭?など、少し判別できるくらいのようです。風景がばらばらにされて、多数の線や三角などの集まりになっていて、いわゆる分析的キュビズムの手法なのだと思います。
マルク・シャガール(1887~1985年)《静物》(1911-1912年 油彩、カンヴァス 65.9×82.0 宇都宮美術館)。テーブルの上に、花瓶、りんごなどが乗った皿のほか、ランプやろうそく、眼鏡なども見えます。しかし、形が途切れて分解されていたり、別の視点からのものと組み合わせられてゆがんで見えたりするそうです。シャガールのごく初期の作品で、当時注目されていたキュビズムの手法が使われていて、後の幻想的な作品とはまったく違うようです。
サルバドール・ダリ(1904~1989年)の版画集『マルドロールの歌』(1934年 (1974年刊) 町田市立国際版画美術館)から、no. 29, no. 30, no. 31 の3点が展示されていました。原作は19世紀のフランスの詩人ロートレアモンの散文詩で、1930年代のシュルレアリストたちに高く評価され、ダリはこの散文詩から連想するイメージを連作版画にしたとのことです。3点とも、何が何だかわからないような奇怪な作品ですが、なんとか説明してもらいました。no. 29:木?(あるいは杖または傘のようなもの)に切断された身体の各部のようなのがぶら下がっている。no. 30:ばらばらになった身体ないし肉塊?のようなもの、引き出しのようなものも見える。no. 31: Kさんの言葉そのままを引用)「たらこの先に男の顔、たらこの背中に溶けた時計。赤ちゃんのお腹をくわえて引っ張り、頭にドリルが当てられ穴を開けられている。」ダリ自身のイメージ・意図したものからはまったくかけ離れた説明になっているでしょうが、いずれにしても、異常としかいいようのない心の状態が表出されているようです。
第5章は、「アヴァン=ギャルド」の向かう先: 美術と国家、美術と宗教」。この章の意味合いはもうひとつよく分かりませんが、ライシテの時代、美術が新たに担うようになった宗教的あるいは社会・政治的な役割についてのようです。
ジョルジュ・ルオー(1871~1958年)《秋の夜景》(1952 年 油彩、紙(麻布で裏打ち) 74.8×100.2 パナソニック汐留美術館)。画面中央やや右奥に教会?のような建物(モスクのようにも見えると言っていました)、その左に木々があり、日が沈んでゆく風景です。教会のような建物の前に、建物から帰って行く母と子供、さらにその手前に2人の人物。これら数人の人物たちは、静かで祈りのような雰囲気を感じさせるようで、聖書に出てくる人たちを思わせるかも知れません(子供を祝福しているようにも見える人物は、キリストのようだと言っていました)。画面は全体に厚塗りで、濃い青?が基調となり、その中に鮮やかな赤や黄が目立っているようです。宗教画のような風景画と言ってよいかも知れません。
パブロ・ピカソ(1881~1973年)《スカーフ「平和のための世界青年学生祭典(東ベルリン)」》(1951年 シルクスクリーン、リネン 79.0×80.5 個人蔵)。スカーフの中央に、オリーブの枝をくわえた大きな白い鳩、その回りに、異なる肌の色の顔が4つ描かれ、いずれも中央の鳩のほうを見ています。中央の鳩および鳩がくわえているオリーブの枝は、平和の象徴。回りの4つの顔は、それぞれ異なった人種をあらわし、人種の違いを越えて世界中の人たちが平和のために団結することを象徴しています。1944年のパリ解放後、ピカソは共産党に入り、戦争と平和をテーマとした作品を多く描き続けました。
マルク・シャガール(1887~1985年)《箱舟の鳩(『聖書』より)》(1956年刊 エッチング、紙 31.5×23.8 宇都宮美術館)。旧約聖書の有名なノアの方舟をテーマにした作品です。(第3章に展示されていた『聖書』の中の1点ですね。)画面中央上部に長いひげのノアが立ち、明るい外の鳩を見つめています。その側には幼児を抱いた女性が寄り添っています。画面下のほうには、ノアとともに助かったいろいろな動物たちが見えます。全体的には青系などおちついた色が基調のようですが、暗い室内の窓から光で明るい外をのぞき見るような構図で描かれ、静かさの中に希望が感じられるようです。
以上、当日メモした作品をほぼすべて書き並べてしまいました。どの作品についても言葉だけの説明でしたし、私にとってはよく理解できたという作品は残念ながらほとんどなかったのかも知れません。(やはり立体コピー図が一部でもあったり、あるいは説明してくれる方が数人いるとだいぶ理解が深まると思いました。)それでも、国内の各地の美術館所蔵の興味を持っていた画家たちの作品にふれられましたし、またまったく初めての画家もいて、よい機会になりました。特別展のテーマのライシテに照らして作品を見ることはあまりできませんでしたが、絵を絵としてだけでなく、宗教や政治・社会・歴史などとの関連で見てみることは私にもできることです。今後もそういう観点もふくめてまたたまには美術館に行けたらと思います。
(2026年3月26日)