いつでも鑑賞できる美術館――岐阜県美術館の先進的な取り組み

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 3月2日、岐阜県美術館に行ってきました。経費節約のため新幹線は使わず東海道線を乗り継いで行ったので、待ち時間も多く片道3時間半くらいかかるかなりハードな旅になりました。でも、これまで出かけたいくつかの美術館の中では視覚障害者への対応としてもっとも優れたサービスで、十分に楽しむことができました。
 岐阜県美術館では、1998年から視覚障害者の美術館利用について本格的に取り組んできたとのことです。解説員が鑑賞のガイドをし作品について説明する、触ることのできる彫刻などを用意する、視覚障害者の鑑賞ツアーを行い立体コピーにより作品の図版を提供するなど、近くの視覚障害者生活情報センター岐阜などの協力も得つつ、いろいろ試みてきたようです。そしてまず彫刻・立体作品 8点につき「視覚障害者のための所蔵品ガイドブック」を製作、さらに、中途失明者の中に絵画鑑賞を望む人たちがかなり多くいることにも応えて、彫刻3点と絵画2点につき「所蔵品ガイドブック2」を製作しました。このガイドブック2には、それまで行ってきた鑑賞ツアーなどの経験も生かして、彫刻と絵画の鑑賞の仕方についても解説しています。これは視覚障害者にはもちろん、ガイドしたり解説するボランティアや美術館スタッフにとってもとても役に立つものです。長くなりますが、まず初めに「視覚障害者のための所蔵品ガイドブック2」より、彫刻と絵画の鑑賞の仕方について引用します。

◆彫刻の鑑賞(手で触れて鑑賞)
●姿の把握
 作品に触る前に、ガイドが作品の位置、大きさ、台座、突き出た部分などを知らせる。作品の大きさを伝えるさいに、身体や日用品と比べると分かりやすい。
 作品の全体の大きさ、ボリュームをとらえる。
 ガイドが作品の全体の姿を簡単な言葉で伝える。
 作品の全体のだいたいの姿をとらえる。そのために、片手を上のほうに置き、それを基準にして、もう片手で全体をなぞる方法がある。人物像の場合、身体の主な線、例えば肩や手足をたどるのも有効。
 作品の部分の姿を個々に読み取っていく。そのさいに、全体にたいする部分の位置関係を・識する。
 作品の姿をとらえるために、また造形を味わうために、手と指の様々な使い方がある。静かに触る、動かしてなぞる、掴むなど、様々な触り方がある。

●作品の鑑賞
 人物像の場合、身体の姿勢や動きをとらえ、それに関する感覚や感情を感じ取る。そのために、作品のポーズを真似してみる方法がある。
 作品の姿の特徴や、現実との違いを意識する。例えば人物像の場合、顔や身体のどこがどんな風に変っていて、強調されているかに注意する。
 作品の姿の特徴と、感情などの表現から、作品全体の意味やメッセージをつかむ。題名を参考にする。
 抽象的な作品の場合、その形や姿から具体的なイメージを自由に連想したり、素朴に様々な感覚を感じ取る。そこから作品のメッセージを考えてみる。
 作品の造形について、様々な形をそれぞれに、また比較して味わう。とくに線や面の微妙な変化に注意。
 素材の様々な感覚を味わう。色について知る。
 作品に関する情報を参考に、鑑賞を深める。例えば、作品にまつわるエピソード。作者の経歴、価値観。作者の製作方法、表現意図。作者を取り巻く美術の特徴。時代と地域の文化、社会の文脈。
 鑑賞者自身の経験や価値観から鑑賞を深める。

◆絵画の鑑賞(言葉を通しての鑑賞)
●イメージの把握
 作者名、作品名、制作年、素材と技法などを知る。
 作品の大きさ、形、また額装などの装丁を知る。作品の大きさと、描かれたイメージの大きさは、ガイドが身体や手、日用品と比べると分かりやすい。
 画面に描かれた全体的なイメージを把握する。
 描かれた情景の空間的な特徴を捕える。どの視点からどの方向に見た情景かを理解する。遠近について、ガイドが移動の時間に例える方法がある。また、光と陰、明暗を気温に例える方法がある。
 中心的なイメージや、重要なイメージを把握する。それが画面の構図の中のどこにあるかを理解する。ガイドは場所を向って右などとはっきり言うこと。
 あちこちに部分的に描かれているイメージを把握していく。ガイドが中心的な物と関係付けながら、並ぶ順番に、部分を語っていくと分かりやすい。

●作品の鑑賞
 造形の特徴、例えば色、線と形、筆触などの特徴を捕える。まず全体的な特徴をつかみ、その後に部分の特徴をつかんでいく。ガイドが色を具体的な身近な物の色で語ると分かりやすい。
 イメージの描き方に注意する。現実を丁寧に再現しているか、あるいは、現実の一部を強調したり、変えたりしているかに注意する。
 イメージから感情、雰囲気などを感じ取る。
 描かれたイメージ、その描き方、感情などから、作品のテーマ、メッセージについて思いめぐらせる。
 抽象的な作品の場合、とくに造形面とその描き方に注目する。また、描かれた形などから、具体的なイメージを自由に連想して、楽しむこともできる。
 作品に関する情報を参考に、鑑賞を深める。例えば、作品にまつわるエピソード。作者の経歴、価値観。作者の製作方法、表現意図。作者を取り巻く美術の特徴。時代と地域の文化、社会の文脈。
 鑑賞者自身の経験や価値観から鑑賞を深める。

(引用ここまで)

 このような鑑賞法をすべてこなすのはもちろん至難なことですし、そんな必要もないでしょう。実際には鑑賞者の視覚の状態、経験や好み、疲れの程度などに応じて柔軟に対応すればいい訳ですが、どのようにガイド・解説していいのか分からない人たちには大いに参考になるはずです。
 また、このガイドブックで採られている絵画の触図化の仕方は注目してよいものです。熊谷守一の「ヤキバノカエリ」では、まず全体図を示し、次にそれを人物と風景に分けて示しています。このような触図化の方法は地図などでも使われてはいますが、絵画の触図化のためにも有効な方法だと思います。

 この美術館の視覚障害者対応で私がもっとも優れていると思うのは、連絡をすればいつでもガイドと解説をしてもらえることです。触ることのできる展示を用意する美術館もありますが、それは多くの場合特定の時期に限られています。また視覚障害者対象の鑑賞ツアーが企画されることもありますが、その機会を逸すればもちろん参加できません。岐阜県美術館のように、視覚障害者個人が自分の都合に合せて、連絡をすればいつでも、ガイドをしてもらいながら触って鑑賞できまた言葉によって作品解説をしてもらえる美術館は極めてまれだと思います。
 視覚障害者にたいするこのような人による対応は、美術館スタッフの仕事の調整など実際にはかなり無理をしているのかもしれませんが、そのためのボランティアを養成するなどしてでもぜひこれからも続けていただきたいサービスです。

 次に、私が実際に鑑賞した作品について順に感想などを書きます。

◆彫刻・立体作品
 彫刻・立体作品は彫刻担当のOさんにガイド・解説してもらいました。Oさんは上のガイドブックの編集・執筆もした方です。

●エミリオ・グレコ(イタリア、1913〜1995): 「マリア・バルダッサーレ」(1967年、ブロンズ)
 肩くらいから上の女性像。あまり若さは感じられない。鼻は高く彫りは深いが、目はしっかり開いておらずぼんやり斜め下を見ている感じ。全体の中で目立つのは、後ろに向って幾重にも流れている髪の毛と、台からすっくと上に向って伸びて耳の後ろ当たりで頭部を支えている片腕。髪の毛の流れでは、縦方向に続く大きく深い2、3本の窪みが印象的。腕には筋肉の盛り上がりのようなのが触れられ、力を感じる。ともに、垂直方向の動きを連想させる。
 よく触ってみると、顔の一面には縦や横の細かい線が無数に刻まれ、また首の下のほうには小さな丸い粒のようなのがたくさんある。これらはたんなる幾何学的な模様のようにも思えるが、人の持つ内部のエネルギーないし葛藤のようなのを表そうとしているのかとも思った。

●アウグスト・ペレッツ(1929-2000): 「大きなケンタウロスの胸像」(1973〜74年、ブロンズ)
 上半身の男性像。全体につるつるした手触りだが、どこもかしこも凸凹していてゴツゴツした感じ。その中には筋肉の隆起のようにも思われる所もあるが、大きな痼(しこり)ないし何かの鬱積のようにも感じられる。全体としては、何かに耐えかねて身体を波打たせいびつにくねらせているようだ。
 顔は小さめですこし斜め上に向いて、上下にちょっとつぶされているような寸詰まりになっている感じ。腕は肩の高さで左右に伸ばし、指先は欠けている。右の指は上に向き、左の指の付け根は下に直角に曲げられ、強い緊張を感じさせる。

●佐藤慶次郎(1927-): エレクトロニック・ラーガ (1980年、ステンレス球、電子回路)
 台の上にちょうど肩幅くらいの間隔で金属の半球があり、その上に同時に両手を乗せると、身体を通って電気が流れ、電子音が出るようになっている。手の当て方や触れる面積の違いで音がいろいろに変化する。「ラーガ」とはインド音楽の音階・旋法のことだそうだが、少し慣れてくるとある程度自分の思ったように旋律をコントロールでき、私の好きなシタールの演奏を連想した。
 これは他の作品とはまったく異質で、とてもよい息抜きになる。大いに楽しませてもらった。

●ヴァレリアーノ・トルッビアーニ(イタリア、1937〜): 「夜の番人」 (銅・アルミニウム、1980年)
 この作品は、ふくろうと人間が合体したなんとも奇妙な作品。円筒形の胴体の上にふくろうの頭部、胴体の両側に大きなふくろうの羽、ふくろうの首の下当たりから前に20cmくらい円筒が突き出しその先に人間の顔、胴の下部はスカートのように広がりその下に人間の脚が4本。ふくろうの首、人間の顔、胴の腰には金属のベルトのようなものが填められそれを締め付けるかのようにネジ付きの取っ手が付いている(実際にその取っ手を少し回してみるとベルトが弛んだり締まったりする)。胴体など円筒形の部分はすべて大きな竹かごの編み目のような縦・横の模様で被われている。
 ふくろうの目は見開き、睫に触れるときゅるっと動いて、人間よりもしっかり番の役をしているようだ。胴体の両脇の羽はまるでバードカービングで彫られる羽のように精巧に作られ、さらに開閉できるようになっている。また人間の 4本の脚は革靴とソックスを履いているが、靴ひもからソックスの模様まで本物そっくり。作品全体の面白さ・怪異さとともに、作者の技術の素晴しさに感心する。

●ジャン・アルプ(フランス、1887〜1966): 「紙おもちゃから」 (ブロンズ、1960年)
 大きな楕円形の丸みをおびた塊が台の上に置かれている。 3点で台と接しているだけだが、とても安定している。左右の両端がややとがっていて、大きな卵を連想させる。全体に手にやさしい丸みの曲面だが、少し上側に湾曲していて小さな子どもが身体を丸めているようにも感じられる。
 真ん中に上下方向に大きな穴が空いていて、穴の手前側の断面が垂直の平面になっている。こういう穴はいろいろとイメージを喚起してくれるものだが、題名の「紙おもちゃから」の意味するところはよく分からないままだ。

●天野裕夫(1954〜): 「ティオティワ亜カン」 (石・ブロンズ)
 天野さんは岐阜県瑞浪市出身の作家。瑞浪市と言えば、私の趣味でもある鉱物や化石でも有名な所で、一度ぜひ訪れてみたいばしょです。今回の鑑賞でもっとも印象に残っている作品です。
 この作品は床に置かれていて、その第1印象は大地にしっかりと根付いている感じ。四方に広がった 4本の足の指がしっかと大地に食い込み掴んでいる。
 胴体部分には川から拾ってきたという大きな丸い自然石が使われている。
 手前のほうに、平板でつるっとした顔らしき部分、これはライオンの顔だとのこと。顔の回りには鬣を表しているというぎざぎざの筋が多数取り巻いている。その顔の奥のほうには、たくさんの四角のブロックを積み上げさらにその上に円柱や角柱の塔のようなものが並んでいる。これは中世の城とか、以前触ったことのあるアンコールワットの模型を連想させる。また自然石とブロンズの境界が識別できないほどに精妙に連続しており、自然と人工を知らぬ間に行き来しているようだ。
 題名の「ティオティワ亜カン」だが、メキシコに「ティオティワ・カン」という先住民の遺跡があるとのこと。またこの作品は初めは「饅頭型獅子神殿」と名付けられていたとか。こちらの題名は作品の形をよく表わしている。
 古代的なイメージ、ないし人間と自然や動物とが分断されずに生き生きと結び付いていた時代を髣髴とさせる作品である。

◆絵画
 絵画はFさんが解説してくださいました。と言っても、私は視覚的には光の記憶が少しあるだけで、色や形についてはぜんぜん分からないので、なるほど分かったという風にはなかなかなりませんし、かと言って、私のほうからいろいろ質問して自分なりにイメージを組み立て納得できるほどの力ももっていません。
 まず、フランスのオディロン・ルドンの作品を中心に、それに関連した作品も集めた展示室を案内してもらいました。ルドンは岐阜県美術館の主要なコレクションということです。ルドン(1840〜1916)は象徴主義の画家として有名で、絵にちょっと興味のある人ならだれでも知っている画家のようですが、私は今回が初めてでした。
 「所蔵品ガイドブック」に図版が載っている「眼をとじて」から解説してもらいました。これは図版を触りながらですので構図などよく分かりました。画面中央に濃い茶の髪と茶色っぽい服の女性、右上が空を思わせるブルー、左下が深い水を連想させるグリーン、左上から右下にかけて様々な色彩鮮やかなたくさんの花が散っている、という構成のようです。女性は首を少し左に傾け眼を閉じていて、何かを思いめぐらしているようだがそれははっきりとは表面には出ていないようです。全体としては、いろいろな色が使われとてもきれいだが、現実とは違った、幻想的な感じのようです。
 次に、この作品と同時期(1900年ころ)に描かれ、大きさはやや小さめだが構図はほぼ同じという「オフィーリア」を解説してもらいました。オフィーリアは、シェークスピアの『ハムレット』中の登場人物。恋人であるハムレットから尼寺に行くよう言われ、さらにハムレットに父のポローニアスを殺され、狂乱し、川に身投げしてしまう、という女性です。(当日はFさんに説明してもらってもよく思い出せなかったのですが、その後ようやく17、8歳のころ『ハムレット』をはじめシェークスピアの劇をいくつか見たことを思い出し、記憶が少しよみがえってきました。)絵の中では、女性と水を思わせるグリーンの間に水しぶきらしき白が描かれているが、女性の表情からは傷ましさ・悲しさといったものは読みとれないようです。
 どちらの絵でも、現実の風景や人の感情などを具体的に伝えようとするのではなく、幻想的にそれとなく描くことで、かえって見る人に描かれている人の内面に想いを馳せらせることになっているのかもしれません。
 ルドンがこのような色彩豊かな絵を描くようになったのは50歳くらいからで、それまでは黒中心の木炭画や石版画を描いていたそうです。その中から、「大きな樹」と「曲りくねった樹」を解説してもらいました。どちらも暗い感じで、樹のもつ気味悪いともいえるほどの生命を感じさせるようです。とくに「曲りくねった樹」のほうは、その稲妻にでも割かれたような樹の様子といい、回りの鬱蒼とした感じといい、私はヨーロッパの呪的な力を持つ森を連想してしまいました。こういう表現には、ルドンの幼いころからの境遇も関係しているようです。

 最後に、当日開催中の企画展「日本近代洋画への道」をざっと案内してもらいました。
 幕末期から昭和の初めまでの、高橋由一、山本芳翠(岐阜県出身)、原田直次郎、黒田清輝、木村荘八、熊谷守一(岐阜県出身)など、多くの画家の作品が展示されていました。西洋の油絵に接し絵の具など手作りで描いた時期、渡仏し必死に真似した時期、明治中期の排外的な風潮のなか苦労した時期、ようやく洋画が認められるようになった時期とたどれるようでした。実際のところ私にはほとんど分からなかったのですが、ただとにかく手法を吸収しようとする意欲、そしてまるで写真と思えるほどに丁寧に描く技術などは伝わってきました。

◆おわりに
 今回の岐阜県美術館の訪問は、触っての鑑賞、言葉を通しての鑑賞いずれについても、とても満ち足りたものとなりました。絵画については私は絵そのもので直接感動するという訳にはいきませんが、少しずつでも美術史的なことも知り私なりに鑑賞できるようにしたいと思っています。
 私の鑑賞を支えてくださった美術館スタッフには本当に感謝しています。また機会をつくってぜひ訪問したいと思っています。

(2006年3月7日)