兵庫県立美術館の「美術の中のかたち」展

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 兵庫県立美術館で、11月18日まで開かれている『美術の中のかたち 手で見る造形 山村幸則「手ヂカラ 目ヂカラ 心のチカラ」』展に行ってきました。
  この「美術の中のかたち」という企画展は、1989年以来、前身の県立近代美術館の時代から毎年継続して開催されてきた展覧会で、今年で18回目になるとのことです。今年の展覧会はとても興味深くまた楽しく鑑賞できました。

 まず、展示会場に入る前に来場者全員にアイマスクが手渡されます。そのアイマスクには、今回展示されている作品の4人の作家(ロダン、ミロ、柳原義達、山村幸則)の中の1人の目が印刷されています(たぶん、アイマスクでただ目を塞ぐのでなく、印刷された作家の目を通して見るという意図があるのでしょう)。
  来場者は展示会場に入る前にそのアイマスクを着け、係員の案内で展示会場に入り、点字ブロックに沿って巨大な作品の所まで導かれます。そして、その巨大作品の側面に手を触れながら、その作品の周りを歩きます。作品の周りを一周してからアイマスクをはずし、全体を眺めます。
  私も一般の方と同じようにアイマスクを着け、作品の側面に手を触れながら回ってみました。色々な手触りの布のような物(合成皮革)が掌を次々に通り過ぎ、歩く方向も何度も大きくUターンします。また途中では数個の彫刻にも触れました。私は結局全体を2周し、巨大作品の上に置かれていた彫刻作品は何度も触り直しました。
  その巨大作品は、山村幸則の『手』という作品でした。高さは 2メートルくらい、幅は 5メートル以上、長さは 7メートル以上もある、大きな大きな手です。ウレタンフォームの原型を、色々な大きさ・手触りの多数の合皮を縫い合せた物で覆った作りのようです。縫い合せは、手に見られる様々の紋様や皺なども表わしているようです。
  全体の形は、右手を掌を上にして置いた状態を極めて正確に再現しているようです。大きな各指の先には縫い合せにより指紋がくっきりと表現されていました(指紋はふつうは触ってはぜんぜん分からないので、これは私にとってはとても新鮮でした)。また親指の外側面やその他の指の下面にはちゃんと爪の部分も触察できました。
  さらに、この巨大な手の人差し指の付け根の上にはじょあん・ミロの『人物』が、中指の指先の上には柳原義達の『道標・鳩』が、また薬指と小指の間の付け根の上にはロダンの『永遠の青春』が置かれています。
  以下に、これら3作品について私の感想を書きます。

●ジョアン・ミロ『人物』 (ブロンズ、51×47×38cm)
  全体に滑かな曲面を組み合せた、手触りの良い抽象作品。頭から肩くらいまでを表しているように思う。とくに、肩の当たりの、光輪を想起させるような円形の庇様の部分が印象的だった。
  画家として有名なミロの作品については、これまでに『太陽の前の人と犬(逆立ちした人物)』と『女と鳥』について説明してもらったり触図版で触ったりしたことはあったが、形は抽象的で分かりにくくはっきりした印象は持てていなかった。このような彫刻作品だと、しっかりしたイメージを持ち続けることができる。

●柳原義達『道標・鳩』 (ブロンズ、47.8×26.5×50.8cm)
  柳原義達の作品は三重県立美術館で数度鑑賞したことがあり、今回も「また会いましたね」という感じ。顔を左に向けくちばしを開いている。全体にゴツゴつ・ガサガサとした感じは彼の作品らしさを思い出させる。

●オーギュスト・ロダン『永遠の青春』 (ブロンズ、64×53×53cm、1884年)
  男女がキスをしている姿。女性は、両膝をついて、両手をひろげて上半身を後ろに思い切り反らしている。その左側から、ごつごつした台のようなのに座った男が上半身をねじってキスをしている。女性の腹部から胸にかけての表面はとても張りがあるように感じる。女性は右手を横に伸ばし男性は左手を斜め前に伸ばして、若い男女が身体を思い切り開放しつつ一体化しているような印象だった。
  実際には永くは続けられそうにない無理な姿勢のように思えるが、それがかえって作品に力・エネルギーを感じさせるのかもしれない。

 この後、学芸員のHさんの案内で、別の展示室で開催中の「近現代の彫刻 さまざまな人間像」を鑑賞できました。
  たぶん20点くらいは展示されていましたが、その内7点を触って鑑賞できました。以下、その感想です。

●ジャン・フォートリエ(1898〜1964年、フランス) 『トルソ』 1928年 ブロンズ 65×30×22
  全体に細かい凹凸だらけのゴツゴツした岩のような感じ。胴体と思われる部分の上に、斜め上を向いた小さな頭と思われる部分が乗っている。抽象的というか、特定の形を成さない、いわば非定型・非幾何学的と言っていいかもしれない。

●ヴィルヘルム・レームブルック(1881〜1919年、ドイツ) 『女性のトルソ』 1910-14年 ブロンズ 116×50×35
  大腿部の付け根から上の、女性像(肩から先はない)。上の作品とは打って変わって、全体に滑らかな、どっしりと均整のとれた女の姿。顔もつるっとした手触り。頬のふくらみはあまりなく、髪を後ろに流しているためもあってでしょう、額がとくに広くなっていた。あまり若くないように感じた。
  右脚の付け根の右側面には、水平に緩やかな凹凸がある(衣服の襞かもしれないし、あるいは皮膚に直接表われている凹凸かもしれない)。左脚の付け根には帯のようなのが巻かれ、股間には布を丸めたようなのがあった。

●アリスティド・マイヨール(1861〜1944年、フランス) 『コウベのディナ』 1943年 ブロンズ 123×41×35
  膝下から上の女性像。左脚を前に出し、その脚しか固定されていないとのこと。全体に滑らかで、かつ、首の筋肉や臀部の皺など、細かい所まで表現されているように思った(ロダンの直接の弟子ということがなるほどとうなずけた)。
  上の『女性のトルソ』とは対照的に、肩幅が狭く肩から腕にかけてはとても華奢な感じ。顔はやや左下向き加減で、編まれた髪の毛がぐるりと頭全体を輪のように囲っていたのが印象的だった。
  『コウベのディナ』というタイトルについてたずねてみたところ、この作品を兵庫県美が購入した時、この作品のモデルとなったディナ・ヴエルニーが神戸に来られ、このように命名したとのことである(ディナはマイヨールの晩年の約10年間ずっとモデルを勤めた)。

●シャルル・デスピオ(1874〜1946年、フランス) 『アッシア』 1937年 ブロンズ 87.5×25×20
  全体に細身の感じの、やや抽象的な女性像。顔などはシンプルに削ぎ落とされている感じだが、身体のあちこちにまるで骨や筋肉(例えば肩甲骨や前脛骨筋など)を思わせるようなぺたぺたとした貼り付けがあって、それがかえって生々しいというかリアルさを感じさせた。

●柳原義達(1910〜2004年) 『ロダン、バルザックのモデルたりし男』 1957年 ブロンズ 43.5×25×29
  この作品は、以前に三重県立美術館の柳原義達記念館で鑑賞したのと同一作品。でっぷりしたお腹が印象的。また、ロダンやマイヨールなどの作品と比べて、表面がざらざらしているのが特徴のように思った。

●ヘンリー・ムーア(1898〜1986年、イギリス) 『母子像』 1978年 ブロンズ 58×35.2×22
  平面などを組み合わせたような抽象作品で、タイトルを教えてもらわないと、何を表わしているのかよく分からなかった。「母子像」というタイトルを聞いて触ってみると、左側に飛び出した三角形の頂点の部分が赤ちゃんの顔になっていて、それに向い合った所に母親の顔と思われる部分があることに気付く。そう思って鑑賞してみると、とても落ち着いて安らかな作品のように思えてくる。
  この三角形の部分など数箇所に空隙があり、また何本もの平行に走る凹線も触って心地よかった。(以前静岡県立美術館のロダン館で鑑賞したムーアの「横たわる人体」でも、空隙が重要な意味合いを持っていたことに思い当たる。)

●オーギュスト・ロダン(1840〜1917年、フランス) 『オルフェウス』 1892年 ブロンズ 142.5×76×125
    右膝を深く曲げて膝頭を地に着け、左膝は直角に曲げて立てるようにして、背を反らして顔を上に向けている。なんとも不安定そうな姿勢で、左側にあるごつごつした岩のようなのに寄りかかっているようだ。岩のようなものの上には大きな四角の塊(竪琴を表しているとのこと)があり、左腕を後ろから回すようにしてその四角の塊を上からぎゅっと手で支えている。右腕はまっすぐ斜め前上に伸ばし、手のひらを下にして軽く握っている。
  竪琴の上背面をよく見ると、人の手首から先(たぶん右手)がべたあっと張り付いていて、4本の指が真っ直ぐ下に伸び、強い力でめり込んだようになっている。これは、妻エウルディケーとの永遠の別れを物語っているとのことである。
*オルフェウス: ギリシャ神話に登場する、トラキアの詩人・音楽家。オルフェウス教の創設者とされる。アポロンから与えられた竪琴に合わせて歌う彼の歌は鳥獣・山川草木をもひきつけたという。アルゴー号の遠征に参加。死んだ妻エウリュディケーを冥府から連れ戻そうとしたが、冥府の王ハデスとかわした約束を破って後ろの妻を振り返ったため永遠に彼女を失う。ディオニュソス祭の狂乱の中で、トラキアの女たちに裂き殺され、竪琴は星となったという。(『大辞林』より)

(2007年10月22日)