近つ飛鳥博物館の充実した対応
11月17日、大阪府立近つ飛鳥博物館(大阪府南河内郡河南町)に行ってきました。
私は最近、全国の博物館や美術館について、視覚障害者、とくに全盲にとっても利用でき楽しむことができるような所を、各館のホームページを見たり直接電話取材したりして、調べています(そのうち、少しずつでもその結果も公開しようと思っています)。
そうした中で、近つ飛鳥博物館のホームページを見てみると、次のような一連の文章がありました。
「申し出により、係員による展示品の案内をします。」
「展示室内での展示についての質問がありましたら、ML(ミュージアムレディ)に申し出て下さい。」
「専任の相談員が常駐し、展示資料や文化財についての質問や相談に答えます。 」
「須恵器の実物資料53点と三角縁神獣鏡の復原模造品や埴輪の複製品などを展示し、相談員の指導で直接手にとって触れることができます。」
「音声解説ヘッドホンを300台用意しており、無料でご利用いただけます。赤外線による方式のもので、チャンネルは、3チャンネル(日本語・英語・より詳しい日本語)を準備しています。」
「目の不自由な方には、音声解説ヘッドホンでより詳しい解説のチャンネルを設けております。また、一部点字パネルによる解説もおこなっています。」
見えない人たちにとって役立つと思われる対応を選んでみましたが、これらはもちろん館を訪れる様々な人たちにも役立つでしょう。
これだけの内容がホームページ上に掲載されていることはかなりめずらしいので、私の家からはかなり遠いのですが、とにかく1人で行ってみようと思いました。
念のため電話をして「全盲で1人で行くつもりですが、館内の案内をしてもらえるでしょうか」とたずねたところ、すぐに「はい案内します」という答えが返ってきました。ふつうは「係の者と替わります」とか「調整してみて後で連絡します」とか言われることのほうが多いので、これも心地よい対応のように感じました。
ちなみに、博物館の名前になっている「近つ飛鳥」ですが、都(難波)に近い飛鳥の意味で、今の大阪府羽曳野市飛鳥付近に当たるとのことです。これにたいし「遠つ飛鳥」が今の奈良県明日香村飛鳥付近になるそうです。(同様の表現で、「近つ淡海」が琵琶湖を、「遠つ淡海」が浜名湖を意味します。)
近つ飛鳥博物館は、一須賀(いちすか)古墳群を中心とする群集塚を開発から守るために設けられた史跡公園である「風土記の丘」の中にあり、ちょっとした森の中におさまっているという感じでした。博物館への出入りの通路は反響音が独特で、古墳への出入りをイメージさせるように設計してあるのではとも思われました。
以下、学芸員のTさんに説明してもらいながら実際に触って観察することのできた展示品について紹介します。
◇聖徳太子墓
大阪府太子町の叡福寺にある聖徳太子の墓とされる古墳の横穴式石室を復原したもの。
宮内庁の陵墓に指定されているため今は調査はできないが、明治の初めころに中に入った人が描いた絵図から再現したとのこと。
入口は、幅1,5m、高さ2m弱の狭い通路になっていて、横壁を触ってみると、模造だが縦横1,8mくらいの大きな石が並べられていることが分かる。中はかなり広い空間になっているような感じ。手では届かないので杖の先で軽く触れてみると、1m近くある石の台のような物の上に木製の棺が置かれていることが分かる(木製といっても、木の上に漆を塗り麻布を張ることを何回も繰返すいわゆる夾紵という方式で作られたものだとのこと)。
◇鬼瓦
7世紀の仏教文化に関連したコーナー(そのためなのかこのコーナーではちょっとお香の匂がした)には各種の瓦も展示されていた。その中で私はとても立派な鬼瓦に触れることができた。
高さ50cmくらい、幅40cm弱くらいの大きさで、裏側には割れ目のような痕が触って確認できるが、表側にはそのような痕は確認できずほぼ完全な形で出土したと思われる。太い眉毛、開いた目、ちょっと横にひろがった鼻、口の両側の大きな牙のようなものなど、とてもクリアに触察できた。回りには丁寧に飾り模様なのも施されていた。ふつうの瓦というよりは、ちょっとした芸術品のように感じた。
◇水鳥の埴輪
埴輪が多数展示されているコーナーに移動すると、それまでとはまったく違った、土ないし泥のような匂がした。私はその中で、1メートル近くもある大きな水鳥埴輪に触れることができた。
長く伸びた頸とその上の頭部、太い円筒形の胴部、その上に屋根のようにひろがる翼、その後ろの尾、そして胴部の横には下に脚が伸びその先は3本の指になっていた。全体に左右対称の幾何学的な形でよくできていたが、よく触ってみると多数の断片が繋ぎ合わされていることが分かる。この埴輪はほとんど潰れた状態で発見されたとのことで、おそらく百個くらいはありそうな断片からこれだけ大きな物を正確に組み立てたことについ感心してしまう。
水鳥の種類についてたずねてみたところ、これは白鳥を象徴しているのではとのこと。鳥は古代人にとって憧れのものだったろうが、とくに白鳥は死者の魂を運ぶものと考えられていたようだ。
◇石棺
縦横1メートルほどで、長さは2メートル半くらいあるという石棺。片側が開いていて、石の壁の厚さを確かめてみると7、8cmくらいもありそうだった。上部はちょうど屋根のようになっていた。
触った感じは、花崗岩などよりは軟らかそうな感じで、竜山石(流紋岩質溶結凝灰岩。火砕流の厚い堆積物が溶け固まった物)で出来ているとのこと。竜山石の産地は播磨地方(加古川下流域)で、そこから百数十キロ離れた所まで運ばれてきたことになる。
◇修羅
これはまったく触ることはできなかったが、その大きさはだいたい想像できた。長さ8メートル以上、幅は1,5メートルくらいはあり、形については私が馬橇のようなものなのかと言ったところ、ちょうどそのような形だとのこと。
修羅はそれ自体3トン以上の重さがあり、これで30トンから50トンの石を運んだらしい。多数の人を集めてコロ(転)を使って動かしたようだが、けが人もかなり出たらしいとのことで、古墳などを造る作業のたいへんさが少しわかるような気がした。
◇三角縁神獣鏡
直径20cmくらいで、表面は凸面鏡のような形でツルツルになっていた。裏面はとても精巧な幾何的な浮出し模様になっていて、私はこちらのほうに興味を覚えた。
「三角縁」という名前から、私はこれまで三角縁神獣鏡の縁は三角のぎざぎざになっているのだろうかなどと想像していたが、これはまったくの大違い。縁の断面が三角形になっているところからこの名前で呼ばれるようになったとのこと、実際に触って十分に納得できた。
裏面は、まず中央に半球状の高まりがあり、その回りに4個の小さな円錐(小山)、その外側に4個の大きな円錐(大山)があり、この2種の円錐の間に8個の神様のようなものが頭部を中央のほうに向けて放射状に配され、さらにその外側に、鋸歯のようなぎざぎざ・二重の波線・鋸歯のようなぎざぎざの三重の輪が取り巻いている。私は曼荼羅に描かれるような大日的な世界はまったく見たことも触ったこともないが、もしかして(といってもたぶん的外れだと思うが)この浮き出し模様は大日的ないし仏教的な宇宙観と関連しているのではなどと勝手な想像をめぐらしもした。
◇須恵器
数段の棚に須恵器の実物が数十点並んでおり、それを一つ一つ手にとって触察できた。高坏のようなもの、グラスのようなもの、お椀のようなもの、壺のようなもの、さらには水筒のようなものまで、縄文や弥生の時の土器と比べて、用途に応じていろいろな種類のものが作られるようになったのだと思った。
展示されていたほとんどの須恵器はよく触ってみるといくつもの断片を繋ぎ合わせたもので、一部欠けたままのものもあった。このような状態の物を触ると時には壊れてしまうようなことはないかKさんにたずねてみたところ、「最初から壊れるものだと思っている、つなぎ目ではよく壊れるのでその都度接着している」とのことだった。きっと断片の出土品はたくさんあるのだからできることかもしれないが、壊れても復元しやすい物については、このような考え方に立てばたいして問題なく触って良いことになる。一つの卓見だと思った。
以上、Kさんの説明で実際に触察できた物を中心に紹介しました。Kさんは見えない人にたいする説明に少し慣れておられるようで、おそらくこの博物館の学芸員の皆さんは見えない人たちへの対応についての研修を受けていると思います。
今回は触れる物が中心で、常設展示全体についてはあまり把握できませんでした。次回は詳しい音声解説も利用しながら、触れない物もふくめ展示内容をもっと全体的に理解するようにしたいと思っています。
(2007年11月26日)