伊吹山文化資料館―多彩な展示に魅了される―

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 5月1日、伊吹山文化資料館に行ってきました。最寄のJR近江長岡駅周辺はなんとも物寂しい感じでしたが、バス乗り場とタクシー乗り場があり、私はタクシーを利用し、10分たらずで到着しました。
 中に入るとなんか小ぢんまりした感じで、受付の方もとてもいい感じです。廃校になった小学校の分光を利用していて、各教室が展示室になっているようです。早速学芸員のTさんが案内してくれて見学を始めましたが、間もなくボランティアの方が来られその後はその方に説明してもらいながら1時間半ほどかけて多岐にわたる展示品をいろいろと見て回りました。この資料館は初めは町立だったそうですが、現在は伊吹山ろく青少年事業団が運営し、さらに26人の熱心なボランティアが資料館の活動を支えているとのことです。多くは高齢の方のようで、私を案内してくれた方はなんと85歳!時々説明に詰まりながらも熱心に説明してくれました。
 1階には、伊吹山麓の人たち(この辺りには、春照(すいじょ)、小田(やないだ)、間田(はさまだ)、曲谷(まがたに)など、難読の地名が多い)が使用していた様々な生活用品や、農業や養蚕などのためのいろいろな道具が所狭しと展示されており、大部分は直接手に取って触ることができます。火熨斗、石臼、縄ない機、足踏みの脱穀機など、よく知っている物もありましたが、私にとっては初めての物もいろいろありました。
 まず「ばんとこ」。これは布団の中で暖をとる道具だということです。一辺が30cm弱の陶器製のような立方体の入れ物で、その側面の四面には窓のようなのが開いていて、そこから、炭火に灰をかぶせたものを入れた円い入れ物を出し入れできるようになっています。窓が開いているので直接暖かい空気が動いてほかほか暖かいとは思います。でも、こんな物だと火傷をしたり火事になりそうな気もしますが、どうなのでしょうか。もちろん、もっと安全そうな湯たんぽなどもありましたが。
 次は、石工細に使ったいろいろな道具。曲谷という地区には石を加工する人たちが住んでいて、石臼をはじめ、石塔や墓石のようなのも作っていたそうです。その道具として、いろいろな大きさ・形の石の鑿や槌、熱くした石を押えたり掴んだりする道具などがありました。石目などをよく見て加工するのでしょうが、やはりたいへんな仕事だと思います。
 伊吹山は植物の種類が豊富で、江戸時代から薬草、とくにもぐさで有名だそうです。その伊吹もぐさを作る課程も展示されていました。もぐさの原料はヨモギで、そのヨモギをまず小さく切って乾燥させ、それをもっと細かく磨り潰したり選別したりを何度も繰り返します。初めはただ葉っぱをちぎったようなものだったのが、次第に細かく軟らかいものになって行き、最後には綿のようにふわふわした感じのもぐさになっていく課程を手で触って確かめることができました。
 その他にも、むかしのトイレのミニチュアとか、作り物の牛に耕作具を引かせた模型とか、子どもの人形が脱穀している所とか、なかなか見て触って面白そうなものもありました。また、蚕の繭や蚕棚など養蚕関係の道具、麻の繊維や麻織物など、この辺りの人のむかしの生活を思わせる品々もいろいろありました。小学校の社会の「むかしの暮らし」の学習で、シーズンになると近隣の学校からたくさん子どもたちが来るとのことです。
 
 2階ではまず、私の好きな岩石や化石が展示されています。大部分はガラスケースに入っていましたが、一部はケース外にあって触れました。
 伊吹山は大部分石灰岩で出来ていて、その石灰岩の中にはフズリナやサンゴやウミユリなどの化石がよく見られるそうです。ということは、この辺りはずっとむかしは海、南方の海だったろうと推測されます。ちょっと調べてみると、伊吹山は古生代ペルム紀(約2億9000万年前から2億5000万年前)に赤道付近の海山頂上にあったサンゴ礁の名残らしいとのことです。伊吹山もふくめ滋賀県から岐阜県にかけてのこの辺りは、西日本から関東地方にかけてのかなりの地域と同様に、中生代ジュラ紀(約 2億年前から 1億4000万年前)の活動で出来たいわゆる付加体だということです(注)。伊吹山の地質構造については、地質で語る百名山「伊吹山」 によると、「伊吹山の上半分は主に石灰岩(ペルム紀)でできていて、下半分の砂岩、泥岩(ジュラ紀)、チャート(三畳紀−ジュラ紀)からなる地層の上に断層で重なっています。」とのことです。
 私はこれらの岩石にほぼ触ったことになります。いくつかあった石灰岩の中には、小さな豆粒大のふくらみをいくつも触って確認できるサンゴ(以前に触ったことのある四方サンゴの仲間かも知れません)や、全面に小さなぶつぶつが並んだようなウミユリの化石もありましたし、また石灰岩地帯で出来るという、鍾乳石もありました。石灰岩といっしょにしばしば出てくる苦灰岩(ドロマイト。石灰岩のカルシウムがマグネシウムに置き換わったもの)もありました(触っても石灰岩との違いはよく分かりませんでした)。その他、硬そうなチャート、砂岩などもありました。名前の表示はありませんでしたが、薄い層が重なった泥岩か粘板岩のようなのもありました。「輝緑疑灰岩」と表示された石もありましたが、これはおそらく、というかほぼ確実に輝緑凝灰岩のことだと思います。黒っぽいと言っていましたが、触ってはあまり特徴はつかめませんでした。海底火山の玄武岩質の噴出物が固まったもののようです。
 
 (注)付加体:海洋プレートは、その上にいろいろな堆積物(その中には海嶺での噴出物や海山等も含まれる)を乗せたまま移動するが、大陸プレートの下に潜り込む時、上の堆積物は軽いので、陸側のプレートによって海洋プレートから剥ぎ取られて、陸側のプレートに順次くっついて成長してゆく。
 
 2階には、岩石のほかにもいろいろと興味をひくものがありました。伊吹山周辺に住んでいる動物の剥製も展示されていて、私はカモしかに触りました。角は10cmくらいで小さく、表面は硬くはなくて、ふくろのようなのをかぶっている感じでした。鹿の頭蓋骨や角、猪?の頭蓋骨もありました(猪?の歯が大きかったです)。
 戦争関係資料も展示されており、私はその中の「真綿」に触りました。真綿と戦争とは私の中ではまったく結び付きませんでしたが、真綿は防弾チョッキ用として供出させられたそうです。実は私は「真綿」といえば木綿の綿の上質なものかと思い込んでいましたが、そうではなく、生糸の原料に向かない蚕を灰汁などアルカリ性の薬品も入れて煮て不純物を取り除き、広げたものだそうです。実際に触ってみると一見軟らかそうですが、繊維が密でとても切れにくそうで、防弾用としてもそれなりに役立ったのかも知れません。
 この地域で行われる太鼓踊りなどの祭の資料も展示されていました。太鼓踊りは、雨乞いの返礼として行われる祭で、一時途絶えていましたが、近年5年に1度行われるようになったそうです。伊吹山は雪がたくさん降ることで有名なのに(1927年2月には、旧伊吹山測候所で、有人測候所での積雪世界記録11.82mを観測している)、なぜ「雨乞い」なのかと不思議に思いましたが、伊吹山は山腹から山頂にかけてはほとんど石灰岩で、樹木は育たず草ばかりで保水力がなく、また山麓は扇状地になっていて水のほとんどは伏流水となって地下を流れ、そのため小さな谷の水が涸れることもあったそうです。
 展示されている太鼓や鉦に触りちょっとたたいてみました。鉦は直径30cm近くあり、鋳鉄製だということで、5、6kgはあるでしょうか、とても重いです。鉦のつるつるの面を撞木でなでるようにたたいてみると、コーンコーンと、とてもすんだ、きれいな音がします。また、伊吹山頂で雨乞いとして行われる千束焚き(せんばだき)というお火焚きの祭で使われる、一種のたいまつのようなものにも触りました。人形が、背に背負子のようなのに固定された、長さ2m近く、直径10cmほどの何本もの竹を並べて筒にしたような物(中には燃えやすい杉葉が入っているそうです)を背負っています。実際には一人の人が山頂までこのたいまつのようなのを背負って駆け上がり、火をつけるとのことです。なかなか勇壮な感じがします。
 2階には歴史資料もいろいろ展示されていましたが、その中でとくに、現在放送中の大河ドラマ「江〜姫たちの戦国〜」との関連で、戦国時代に盛えたという京極氏が築いた上平寺城や館跡をいくつか模型を触りながら説明してもらいました。詳しい歴史のことはよく分かりませんでしたが、伊吹山中に広がる城や館の様子が少しイメージできたような気がします。
 それから、直径1mほど、高さ70〜80cmくらいの大きな常滑焼の瓶がありました。近くの村から掘り出された物のようで、多数の破片がつなぎ合わされたものです。よくは分かりませんが、この瓶は、各宗派・檀家ごとに、集団で納骨するためのものだったとの話です(納骨といっても、埋葬してから数年後にごく一部を納めただけのようですが)。
 
 最後に、玄関に展示されている、私の来館の目当ての一つでもある円空仏2点にも触れました。いずれも樹脂製のレプリカですが、形ばかりでなく重さも実物と同じだということで、触ってみると表面の木の感触もうまく表現されていました。
 1点は、関市の鳥屋市(とやいち)不動堂にある尼僧像です。これは、1ヶ月ほど前に岐阜市で行われた「触って味わう文化展」で触ったものとほとんど同じものでした。体の前にある切れ込み画、この樹脂製のほうが、木製のレプリカのよりもちょっと小さいような気はします。
 もう 1点は観音像です。北海道の洞爺湖中島観音堂にあった物だとのことです。高さは50cm弱でしょうか、20cmくらいの台座に乗っているようです。顔は整った感じで、唇はやや下向きになっているように思います。顔の上には冠のようなのがあり、さらにその上にとても小さな観音らしきものがのっています。手は、記憶がはっきりしませんが、胸の前で組み、その上に珠のようなのが乗っていたように思います。この像の背中側には、触ってもはっきり分かるような字が刻されています。読んでもらうと、「うすおくのいん小島 江州伊吹山平等岩僧内 寛文6年丙午7月28日 始山登」と読み取れるらしく、「円空」の花王もあるそうです。
 実は、資料館のすぐ近くの春照の観音堂に、以前太平寺にあった円空の十一面観音が保管されているということで、事前に予約すれば拝観できるということです。桜の木の一本造りで、高さ180cmもある大きな物です。触ることはできなくても、どんな観音なのか一度対面してみたいと思いましたが、その日は予約してなかったので無理でした。
 
 これでようやく、1時間半くらいかけてボランティアの方に説明してもらいながらの館内ツアーは終わりです。まだまだ触れられる物もあったようですし、触れられないからということで素通りしてしまった展示も数多くありました。この資料館は、自然、歴史、宗教、生活用具や産業など、本当に多彩な展示があり、またそれぞれに興味をそそる展示物も多いように思います。もう一度来て、今度は別のボランティアに案内してもらっても良いなあと思うほどです。
 
(2011年5月10日)