10月15日、鳥取県岩美町にある「山陰海岸学習館」に日帰りで行ってきました。
ネットで調べていると、このミュージアムには各時代のいろいろな岩石や化石などがあるようですし、また砂丘の地層の剥ぎ取り標本もあるとのことが分かりました。地層の剥ぎ取り標本はどこの博物館でもほとんど触れることはできないのですが、私はこういう地球の歴史と直接対面できるような資料にはとても興味があり、どうかなと思いつつ電話してみました。そうすると、応対してくださった方は、博物館内の剥ぎ取り標本は触るのは難しいが、すぐ近くに剥ぎ取り標本の現場があって、そこには案内することができます、そこならば触って分かると思いますと言うのです。さらに、館内では鳴り砂の体験もできるとのことです。それならばぜひ行ってみようと思い立ち、学芸員のYさんと連絡を取りながら計画を立てました。
前日からひどい雨でどうなるか心配していたのですが、当日の朝にようやく小止みになりました。自宅を8時ころに出て、大阪からスーパーはくとで鳥取へ、そこから山陰線で岩美、そこからはタクシーを利用(5分余だったと思います)して、午後1時くらいに学習館に到着しました。天気予報ではまた夕方からは雨模様になるとのことだったので、まずは地層標本の現場に行ってもらうことにしました。Yさんの運転する車に乗って15分余もかかったと思います(すぐ近くと聞いていたので、こんなに離れているとはびっくりでした)。
最初に触ったのは、古砂丘の地層です。高さは3メートル近くあるようです。 5cmから10cm弱の間隔で水平に段段に重なっていることがよく分かります。さらに、全面にわたって、縦にも数mm間隔で細かい筋のようなのが走っているのも触って分かります。(Yさんによれば、この筋模様は縮緬と同じ模様だとのことです。)古砂丘層が堆積し始めたのは12万年くらい前からということです。その場所から数十メートル移動すると、火山灰層の地層になっています。古砂丘層に比べて表面は固く、粒も大きいようで、ざらざらした感じです。各層の厚さも10cmくらいから数十cmもあるようです(全体の高さは 2メートル以上あるようでした)。下のほうは茶色のようですが、上のほうは黄色だとのことです。黄色の火山灰は大山の大噴火による火山灰だとのことです(調べてみると 5万年くらい前の噴火による物のようです)。そして、最初に触った古砂丘層と今の火山灰層との間では、古砂丘層と火山灰層の境界が左下から右上に向って斜めに走っていることが、触ってもはっきり観察できます。(下の古砂丘層はちょっと湿り気があり粒が細かいのにたいし、上の火山灰層は乾いていて粒が大きいように感じます)。全体を見ることはできませんが、頭の中ではパノラマ的に地層の分布をイメージできるような気がしました。
火山灰層の上にはさらに新砂丘層があるわけですが、せっかくだから新砂丘層(現在の砂丘)も体験してみようということで、観光客も来る砂丘のあたりまで連れて行ってもらいました。近くでは観光客らしい人たちの声やラクダの鳴き声も聞こえます。砂丘の上をどんどん歩いて行くと、とても静かな感じになります。障害物も何もなく、見えない人が一人で歩き回るのには格好の場所のようです。砂を触ってみると、細かい粒のそろった砂ばかりで石など余分の物は何もありません。砂地の所々にはしっかりと植物も根付いていました(その中にはコウボウムギというのもありました。最近は砂の供給量が少なくなっていて草が生えやすく、ボランティアが定期的に除草をしているそうです)。砂丘は起伏もけっこうあり、100メートル余を往復しただけですが、良い運動になりました。
30分くらい砂丘を見学してから学習館に戻り、今度はFさんというスタッフの方の案内で館内を見学しました。学習館は小ぢんまりした感じで、実際展示室も十数メートル四方くらいで小さかったですが、中身はかなり充実しているように思いました。また、点字で詳しい解説書もあり、これもとても参考になりました。
まず、展示室に向かう途中に水槽があり、磯や砂浜の生き物たちが見られるようです。
展示室に入って最初に、山陰海岸ジオパークの地形模型に触りました。京都府から兵庫県、鳥取県にかけての日本海側の地形模型です。横幅(東西)は 2メートル近く、縦は60cmくらいでしょうか、山や谷、平野などがとてもよく分かります。模型の中央付近に扇の山(おうぎのせん。兵庫県と鳥取県の県境だそうです)があり、谷の様子もよく分かります。扇の山の右下には鉢伏山があります。その右上には平地があり、豊岡辺りの盆地だとのことです。さらにその右には京都府の日本海側の入り組んだ海岸線が続いています。扇の山の左側には大きな平野があります。千代川の中下流域に発達した鳥取平野で、その海岸に近い辺りが砂丘地になっています。さらにその左には山がちの地形が続いていました。
次は、日本海の形成の過程、そして山陰海岸がどのように誕生したかの展示で、ここが一番充実していたように思います。まず、プレートテクトニクスについて説明するコーナーがあり、そこにはプレートの動きを単純化して示した模型がありました。ハンドルを回すと、海嶺の部分から両側に向って反対向きにベルトコンベアーのようなプレートが動いて行きます。左端には大陸があって、動いて来たプレートが大陸の下に消えて行きます。しばらく回していると大陸が持ち上がり、さらに回していると大陸が沈んでいって元の位置に戻ります。原理としては良いのですが、もうちょっと具体的な形が伴っていれば良いと思います。
日本海の形成過程は次の5段階に分けて説明されていました。
@7500〜5000万年前:日本海はまだまったくない時代で、現在の日本列島(一部)が大陸の端にくっついていた時代です。壁面に描かれている地図を指でなぞらせてもらいましたが、現在の北海道南部から九州までがほぼ真っ直ぐだいたい南北方向に位置しているようでした(現在の日本列島の形とは大きく違います)。その当時の岩石として、矢田川流紋岩(7000万年前)、黒雲母花崗岩、石英斑岩(6000万年前)が展示されていました。流紋岩は、マグマの流れたような紋様があることから命名されたということで、目ではその流れたような模様がよく見えるそうです。私もなんとか触ってその模様が分からないかといろいろ試してみましたが、所々斜めに走る平行な筋が確認できるくらいで、はっきりしたことは分からずじまいでした。石英斑岩は変った形で、直径10cmほどの硬い柱か木の幹のようでした。磨かれた横断面には、いくつも小さな穴のようなのがあちこちにあります。これは何を表しているのでしょうか。
A2500〜1900万年前:大陸東岸の内陸に細長い盆地ができて、その一部は湖になり、これが現在の日本海の始まりになったようです。その湖の周りでのことだと思いますが、兵庫県の香住付近で約2000万年前の足跡化石が発見されており、そのレプリカが展示されていました。右から順に、鰐、鳥、鹿、犀、象の足跡が並び、その向こうには鹿の歩いた跡も展示されていました。鳥の足跡は、前に3本、後ろに1本指の跡がはっきり分かるもので、大きさも20cm近くもあり、かなり大きな鳥のものだと思いました。鹿のはちょっと変った形でしたが、それは前足の跡に後足の跡が重なっているものだとのことでした。犀の足跡はちょっとしたすり鉢のようにかなり深くなっていて、重さを感じました。これにたいし象の足跡は全体が少し盛り上がっています。象の重さで足の部分が回りよりも固められてその部分が残ったからではないかとの説明でした。大きさは20cmくらいで、象としてはかなり小さいのではと思います。
B1900〜1100万年前:細長い湖部分が広がり海水が流入して日本海が出来た時代です。壁面に描かれた地図をなぞらせてもらいましたが、西日本が九州を中心にして下向きに回転し、また東日本も北海道南部を中心にしてちょっと外向きに回転したようです。こうしてできた広い窪みが日本海になったとのことです。当時の気候はかなり温暖で、熱帯・亜熱帯性の植物や動物の化石が多く見つかっているようです。
C500〜250万年前:日本海岸周辺で火山活動が非常に盛んな時代です。約300万年前、大きな火山噴火により直径17kmもある照来(てらぎ)カルデラが出来たそうです。現在そのカルデラに堆積した地層からはいろいろな植物や昆虫の化石が多数見つかり、新温泉町には「おもしろ昆虫化石館」があって何十種もの昆虫の化石が展示されているとのことです。(Fさんは昆虫化石館に行ったことがあり、軟らかい泥岩の中からハエやクモなどいろいろな昆虫の化石が見つかるとのことです。)
D250万年前〜現在:扇の山、玄武洞、神鍋山の火山群が活動した時期であり、また氷期と間氷期が繰り返してしばしば日本列島と大陸がつながった時代でもあります。玄武洞の柱状節理(幅60cmくらい、厚さ20cmほどのほぼ六角形)、神鍋山?のスコリアや火山弾(典型的な紡錘状のものや球状のものなど)が展示されていました。また、近くの浦富海岸の石として、花崗岩、安山岩、流紋岩、松脂岩(しょうしがん)、砂岩、泥岩、凝灰岩、凝灰角礫岩が展示されていました。松脂岩は、黒曜石と同じくガラス質の緻密な火成岩ということですが、触った感じは黒曜石のようにつるつるした部分や独特の形をした割れ目がなく、塊状です。後で訪れた渚交流館で黒曜石と松脂岩がいっしょに展示されていて、係の方が、その黒曜石は水分が3%なのにたいし松脂岩は10%だと教えてくれました。調べてみると、水分2%以下が黒曜石、5%以上が松脂岩、その間の2〜5%が真珠岩としている資料もありました。
近くには鳥取砂丘の地層剥ぎ取り標本も展示されています。本当は触れられないのですが、特別にということでちょっとだけそっと触ってみました。表面が何かで固められているようで、現地で触ったほどにはよく区別ができないようです。ただ、この地層標本では火山灰層と新砂丘層との間に黒ぼく層というのがあるそうです。黒ぼく層は腐植土の一種のようですので、砂丘が一時期草原のようになった時の地層なのでしょう。
展示室の中央には、日本海の大きな海底地形模型があり、その上に上がってガラスヲ通して地形模型を見られるようになっています。中央部の大和堆など、よく見えるようです。この模型付近の天上からは日本海に生息する大きな魚たちの模型もぶら下がっているとのことです。
このほかにも、山陰海岸の陸地・砂浜・磯・海中に住むいろいろな動植物の剥製・標本・レプリカが数多く展示されていますが、これらはいずれも触れることはできませんでした。
最後に体験学習コーナーがあり、ここではいろいろな貝殻やウニなどに触ったり、鳴り砂の体験ができました。鳴り砂として、京都府網野町の琴引浜、鳥取県の東浜、井出ヶ浜、青谷浜の鳴り砂がそれぞれ陶器製の器に入っています。それらを順に棒で叩くように押してみると、琴引浜の砂はすぐに「くっくっ」と大きな音で鳴ります。その他の 3つの砂は、何度か押し方を工夫してみるとようやく少し鳴りました。琴引浜の砂は、砂粒の大きさが他の3つに比べて明らかに大きかったです。
学習館を見学して、日本列島の形成の過程が少し具体的にイメージできるようになりました。言葉ではなんとなく聞きかじってはいましたが、地図で位置がどのように変ったかを指でなぞったり、それに関連した展示物を触りながら説明してもらったからです。
帰りの時間までにはまだだいぶあったので、すぐ隣りの渚交流館に行ってみることにしました。ちょうど、兵庫県立人と自然の博物館の企画した山陰海岸ジオパーク関連の各種のイベントが行われている期間中で、学習館のFさんと交流館の係の方の案内でいろいろ面白い展示物に触れることができました。波の荒い日本海と静かな瀬戸内海の違いを表している物として棘だらけのサザエと棘のないサザエ、実物大のエチゼンクラゲのビニル模型(2メートル余のかさの部分に太さ20cm、長さ1m近くの足があり、さらに数メートルの触角?もある)、ゴホンダイコクコガネムシの1メートル余もある巨大な模型(実際は2cmもないような小さなコガネムシのようです。真ん中に1本の長い角とともに頭のやや後ろ辺りに2対の角があります)、日本海岸に流れ着いたココヤシの実、大きな松ぼっくり、砂地に育つ植物(コウボウムギ、ハマゴウ、ハマボウフウ、ハマヒルガオ)の種、さらに山陰海岸の魚の標本や石の標本などいろいろありました。魚の標本は、本物の魚の水分や脂肪分をシリコン樹脂で置き換えて保存処理したいわゆるプラスティネーションのようです。ミズダコ、ホタルイカ、カレイ、ヒラメ、ノロゲンゲ(地元では「ドギ」と言うそうです。10数cmの小さな魚ですが、ゼリー状のぬるぬるした物でおおわれ、そのヌルヌルがたまらなく美味しいとか)などに触りました。ちょっと湿り気があって生っぽかったです。石の標本では、上に述べた松脂岩と黒曜石のほか、普通の安山岩とガスの抜けた安山岩(ガスの抜けたほうは水に浮かんでいた)などがありました。
今回の訪問は、学習館の配慮により、砂丘を体感し、さらに渚交流館まで見学することができました。本当に充実した訪問になりました。Yさん、Fさんはじめ、皆様ありがとうございました。
(2011年10月18日)