愛知県美術館の鑑賞会

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 10月20日の午前、愛知県美術館の「視覚に障がいのある方へのプログラム」に参加しました。
 愛知県美術館では、たぶん20年近く前から毎年視覚障害者対象の鑑賞会を行っていて、長年名古屋YWCAの美術ガイドボランティアの方々がこのプログラムに協力しています。
 私は4年ほど前一度だけ参加したことがあって、その時は日本画を説明してもらったり彫刻作品をいくつか鑑賞しましたが、それらについてはあまり覚えていません。ただ、その時に触った乾漆像のするうっとした触感だけは今もよく覚えています。
 今回は、巻物や掛け軸に実際に触ってみたり、ゴーギャンの絵画などを鑑賞したり、ケーテ・コルヴィッツの彫刻に触れ心動かされたりで、私にとってはとても良い美術鑑賞会でした。
 参加者は視覚障害の人たち10人余で、各人に1人ずつ美術ガイドボランティアが付き添います。私はHさんの案内・解説で鑑賞しました。

 最初に、学芸員の説明と誘導で、掛け軸と巻物、そして硯に実際に触れてみました。
 掛け軸も巻物も、どちらも細長い桐の箱に入っていました。幅は、掛け軸は70cmくらい、巻物はその半分くらいでした。箱を開けてみると、中に丸い筒状に巻いた物があります。掛け軸の中心の軸は象牙だとか。薄い布に包まれ紐が掛けられています。紐を解き布から出して実際に掛けてもらいました。2mくらいの高さから床のすぐ近くまで垂れ下がっています。絹地に絵が描かれているということですが、触った感じは、裏打ちをしている紙のせいもあるのでしょうか、紙のような感触でした。画題は太公望で、釣りをしている様子が描かれているとのことです。
 巻物は、実際にどのようにして読み進んでいくのか、その方法を教えてもらいました。宇治拾遺物語の絵巻物だそうです。まず巻物を左側に向って開いて行って40〜50cmくらい広げて文や絵を読みます。それから、今度は右端から巻いて行っていったん巻物を閉じ、それを目の前まで移動して、また左側に開いて読み進み、また右端から巻いて閉じる、ということを繰返しながら読み進みます。連続して場面が流れていくのではなく、紙芝居のように、場面場面ごとに見てゆくのですね。
 次に、日本と中国の硯の表面に触ってみました。最初に、宮城県の雄勝石(北上山地の二畳紀登米層に属する黒色粘板岩だそうです)で作られた「石渠硯」というのに触りました。「石渠硯」というのは、方形の硯の周りに渠(みぞ)がめぐっているもので、他に触った硯でも同じような型のものがあったように思います。それから、木村定三コレクションの中の一品だという硯に触りました。これは、長野県産の竜渓石という粘板岩の一種?を縦に二つに割り、その片方を硯、もう片方をその蓋にしたものだそうです。そっと回りにも触れてみると、確かにごつごつした石の表面であることが分かります。中国の硯として、清の時代の3点がありました。いずれも端渓石製で、日本大百科全書(小学館)には、端渓石は「中国広東省の肇慶市に産する硯石。産地付近の西江を端渓とよぶことに由来する。古生代の凝灰岩で、石質は細粒緻密で滑らか」とあります。確かに触った感じは滑かでしたが、所々模様や線のようなのも触察できます。実用よりも、高貴な人たちのシンボルとして珍重された物だとのことで、こういう模様などもその価値を高めたのでしょうか?なお、朝鮮では陶磁器も硯として使われていたとのことで、白磁の硯も展示されていました。
 
 ここまでは学芸員の説明と案内でグループで鑑賞しましたが、この後は各自別々に、美術ボランティアの案内と解説でコレクション展などの作品を適宜鑑賞しました。
 私はまず、巻物関連ということで、日本画家・安田靫彦作の「月の兎」という題の絵巻物を解説してもらいました。「月の兎」という話は、仏教説話『ジャータカ』を起源とし、『今昔物語』などでも語られている話だとか。その話が場面ごとに、10場面くらい描かれていて、それがたぶん20m近くもまっすぐ並べて展示してあります。淡彩画ということで、全体にやわらかな印象のようです。Hさんが、最初から順番に丁寧に説明してくれました。あまり正確とはいえませんが、記憶をたどって再現してみましょう。
 猿と狐と兎が(種類が違うにもかかわらず)とても仲良く暮らしていました。昼は一緒に野原で遊び、夜になると帰ってきて一緒に小屋で寝ていました。そこに、ぼろぼろの服を着た乞食のような姿のお爺さん(実は帝釈天の化身)がやって来て、(3匹の心を試してみようとするかのように)「なにか食べ物を持ってきてくれないか」と言います。猿はすぐに山に行って木の実を持ち帰り、狐は川に行って魚を捕ってきます。兎は食べ物を探そうと野原をぴょんぴょん駆け回るのですが、どうしてもなにも見つけられません。兎はかんがえ込み、そして猿には薪を拾ってきてください、狐にはその薪に火をつけてください、と頼みます。猿がすぐに薪を持って来て、狐がそれに火をつけ、炎が高く燃え上がります。兎は端のほうで背を丸め耳を垂れ(覚悟を定めるかのように)じっと下お向いています。そして、自分の身を食べ物として捧げようと、火の中に飛び込みます。その後、お爺さんは、その兎の体を抱え、月に昇って行こうと、立っています。
 とくに、燃え上がる炎の横で背中を丸めている兎の姿は印象的なようです。私に解説をしてくれたHさんは悲しそうな声で話していましたし、また私と名古屋まで一緒に行った方は後で、「飢えた人を助けたいやさしさ」と「命を絶とうとするせつなさ」、善行への欲求と煩悩が、凝縮されて表現されているようだと言っていました。
 もともとは仏教説話ということですから、釈迦の教えをふつうの人たちに分かりやすく伝える教訓めいた話なのでしょうが、それを題材にしたこの絵巻物は、見る人たちに人間的な心の優しさや愛おしさ、そして強さをも深く感じさせるもののようです。
 
 その後は、館内をあちこち歩きながら、数点絵を説明してもらいました。これらの絵には、いずれもその立体コピー図版が用意されていて、私にはとても理解しやすく、また印象にもはっきりと残りました。(以下の絵画については、愛知県美術館のコレクション検索 も参考にしました。)
 まず、ゴーギャンのカンバスの両面に描かれた絵です。片方の面には「木靴職人」が縦長に、反対の面には「海岸の岩」が横長に描かれています(私が行った時は縦長に展示されていて、「木靴職人」が表になっていました)。大きさは、60cm×50cmくらいです。
 「木靴職人」は、画面の左端に職人が描かれ(身体の一部は画面の端で切れている)、その下に木靴が2つ描かれています。職人の腕は曲がっていて何かを持っているようですが、よく分かりません。画面中央には大きく木の幹が描かれていて、こちらのほうが中心のようにも見えます。職人と木の間の上からは赤い細い何かが垂れていますが、よく分かりません。これに比べると、裏の「海岸の岩」のほうが分かりやすかったです。手前に砂浜、その向うに大きな岩石があちこちにいくつもあり(岩の中には、表の木靴の形とまったく同じのがありました)、その間に入江が深く入り込んで波だっています。波の様子などには印象派風の筆致が見られるそうです(表の木靴職人は印象派的ではなくて、ゴーギャンの後の様式が見られるらしいです)。この作品は、1888年、ゴッホと共同生活をする直前に描かれたもので、当時貧乏な生活をしていたため、このようにカンバスの両面に絵を描いただろうということです。
 次に、モディリアーニの「カリアティード」。大きさは、高さ90cmくらいの縦長の作品。画面の両端に柱が立っており、中央に、腕を上に曲げて梁を支えるようにしている女性が立っています。女性は、顔や胸は円、胴は楕円、脚や腕は直線、というように単純な幾何学的な形を組合せたように描かれています(ネックレスのようにまっすぐに垂れている線もあった)。とても分かりやすい絵です。ちなみに「カリアティード」とは、古代ギリシアの神殿建築で、梁を支える円柱のかわりに女性像を用いた柱のことだそうです(男像柱はアトランテス)。
 私なりに格好良いと思ったのが、クリムトの「人生は戦いなり(黄金の騎士)」です。大きさは、縦横とも1mくらいあります。大きな、ずんぐりした黒い馬に、黄金の甲冑を着けた騎士がすうっと真っ直ぐに立って乗っています。馬は前脚を上げていて、その回りには花々がたくさんあり、楽園を歩んでいるようにも見えるようです。画面左下にはこれまた黄金のヘビが描かれていて、黄金の騎士の行く手を邪魔しているかのようです。この絵は日本の蒔絵の影響を受けているとかで、見てもとてもきれいなようです。
 ポール・デルヴォーの「こだま」は、見る人にちょっと奇妙な印象をあたえるようで、別題は「街路の神秘」となっているそうです。縦は1mくらいで、横長の作品です。ギリシア神殿風の建物が並ぶ道なりに、画面右から真ん中にかけて、3人のまったく同じ姿のうつろな印象の女性が描かれています。建物は遠近法的に描かれているのですが、画面の高さ近くほどもある大きさで描かれた一番右の女性に比べて、2番目、そしてとくに3番目の女性がとても小さく描かれ(10cmもない)、回りの建物の描き方とアンバランスになっていて、空間が歪んでいるようにも見えるようです。画面上には三日月があり、女性などの月影も描かれているのですが、その影も普通とは異なっているようです。この立体コピー図版では、とくに3番目の女性は小さくて分かりにくかったですが、建物のたくさんの斜めの線から、遠近法的に描かれていることは想像できました。
 ピカソの「青い肩かけの女」も解説してもらいました。大きさは、60cmくらい×50cmくらい。ピカソの「青の時代」と呼ばれる時期に描かれた作品で、青の背景に、これまた青で、胸から上の女性が描かれています。顔はちょっと緑っぽくも見えるようで、表情ははっきりしませんが、悲しいような、不安げな雰囲気が感じられるようです。この立体コピー図版は、輪郭の線がとてもクリアで触っては分かりやすいですが、触った感じはすっきりしていて、作品の雰囲気は伝わってきませんでした。
 
 最後に、ケーテ・コルヴィッツの彫刻「恋人たち II」を鑑賞しました。高さは70cmくらいで、2人の人物がぴったり合体していて最初はとても分かりにくかったですが、この作品は、安田靫彦の「月の兎」とともに、今回の鑑賞会でもっとも印象に残っている作品です。
 ケーテ・コルヴィッツ(1867〜1945年)は、プロイセンのケーニヒスベルク(現在はロシアのカリーニングラード。第二次大戦後ソ連領となる)に生まれ、ベルリンで絵を学び、1891年ベルリンの貧民街で働く医師カール・コルヴィッツと結婚。周囲のスラムの労働者たちや患者たち、また女性の苦悩を、版画や彫刻で表現します。第一次世界大戦のさい、志願した末息子のペーターが開戦1週間後に戦死、戦争や戦死をテーマとした作品も多いようです。ドイツ帝国やワイマール・ドイツの時代には高く評価されますが、ナチス・ドイツでは作品の発表も制作も禁止されます(密かに製作は続ける)。
 「恋人たち II」(1913年制作)は、膝をそろえて腰掛けた男の腿の上に、華奢な女性が男に支えられてようやく座っている感じの作品です。女性の顔は上を向き、目ははっきり開いているのか分からない感じです。男は両腕を女性の身体に回して両手のひらを女性の頭の後ろに当てて支え、顔を女性の右頬の下に埋めるようにぴったり付けています。女性の右腕は胸の前で曲がっていますが、左手はだらりと力無く下に垂れています。打ちひしがれまったく力を無くした女性に、男性が深く心を寄せ、その悲哀に共感し心を痛めているようです。
 
 わずか1時間半の鑑賞会でしたが、こんなにもたくさんの作品を鑑賞し、気が付いたらもう時間になっていました。美術館スタッフとガイドボランティアとの連携がとてもうまく行っているようで、見えない参加者も各自のびのびと鑑賞している様子でした。私にとっても、今回は鑑賞したすべての絵画について立体コピー図版がありましたし、またHさんの解説もつい引き込まれてしまうほど魅力的なものでした。美術館&ボランティアの正に「継続は力なり」を実感しました。ありがとうございました。
 
(2012年10月28日)