10月14日、民博のMMPの方々や友人たちとともに、神戸市垂水区にある五色塚古墳を見学しました。全行程にわたって、小さいころ五色塚古墳のすぐ近くに住んでいたというIさんが丁寧にガイドをしてくださり、また1時間ほど、教育委員会の方(学芸員?)に五色塚古墳を説明・案内してもらいました。
五色塚古墳は、JR垂水駅から歩いて10分余くらいの所でした。道沿いはずうっとマンションや高級住宅街のようでしたが、急に大きな丘のようなのが現われ、大きな古墳がほぼ復原されていました。階段を上って塚頂部まで行くことができ、とても天気がよかったので、瀬戸内海、淡路島、明石海峡大橋など眺望もよく、皆さんよく写真を撮っていました。
五色塚古墳は、瀬戸内海に面して(南西向きに)築造され、大きさは、墳丘長約194m、後円部径約125m、前方部幅約81m、前方部の高さ11.5m、後円部の高さ18mとなっています。管理事務所(ここには本物の埴輪とともに、いろいろな発掘品も展示されていました)近くの壁面にこの古墳の小さなレリーフがあって、それでも全体の形を確認できますが、前方部が細長く、それに比べて後円部が大きい形(古墳の形の変遷では前期の形)です。築造時期は、4世紀末のようです。なお、すぐ西には、直径70m近くの小壷古墳という円墳が見えているようです(説明してくださった方は陪塚と言っていましたが、五色塚古墳より少し古いらしいです)。
古墳の大きさでは、全国では40番目くらいだそうですが、兵庫県下では第1位、また、同時期の古墳としては、奈良県北部の佐紀古墳群の大きな前方後円墳と同規模の最大級のものだとのことです。この地は、海・陸の交通の要所で、当時の畿内の勢力(大和政権?)の最前線に位置しており、外の勢力(岡山の吉備勢力など)にたいしてその威力を誇示し防御する役割を持ったのではということです。
古墳は3段築成で、斜面は全面葺石で覆われているそうです。そして、その葺石面に何本も縦の線が見えているとのこと。私は斜面の一番下辺りの葺石を触ってみました。10cm前後の石が並べてありますが、確かに3、4mくらいの感覚で上の方に向って縦の区切り線のようなのを確認できました(そこに、持っている杖を当てて動かしてみると、すうっと杖が抵抗なく上の方に動いて行きました)。この縦線は、各作業チームの分担範囲を示しているとのことでした。
埴輪は、各段のテラス部にも置かれていたそうですが、今の復原では前方部から後円部にかけて塚頂部にずらあっと並んでいました。私が触った辺りでは、鰭付き円筒埴輪が4本並んだ次に鰭付き朝顔形埴輪が1本並ぶ、というのが繰返されていました。鰭付き円筒埴輪は、高さは70cmくらい、直径40cm余で、両側に10cm幅くらいの板状のものが突き出しています。鰭付き朝顔形埴輪は、下の部分は鰭付き円筒埴輪と大きさも形もほぼ同じで、上が広がって直径70cmくらいになり、高さは全体で1m余です。そして、これら鰭付き埴輪は、手前の埴輪の鰭がその次の埴輪の鰭と重なるように並べられていて、各埴輪の間にまったく隙間がなくなっており、しっかり通せん坊をしている感じでした。私は鰭付き円筒埴輪に触ったのは初めてで、このような使われ方をするのに感心しました。なお、各円筒埴輪には突帯が4本あり、一番下の突帯近くまで土中に入っていました。また、側面には、三角や円の透し穴もありました。
塚頂部を歩いてみましたが、前方部から後円部に向って緩やかに傾斜しており、後円部の高さがより際立って見えるようになっているようです。階段で後円部に上ってみると、そこは平坦な地になっています。その広さを確かめるために、周囲の埴輪列の内側をぐるうっと歩いて一周してみました(直径30m弱でしょうか)。後円部は溝を掘って部分的に発掘しているだけで、石室部分については未調査だそうです。もしかすると、私たちが歩いた地の下には、大和政権の意を体した、あるいは関係の深かったこの地方の有力者が眠っているのかもしれません。
五色塚古墳見学後は、舞子ビラと舞子公園に立ち寄りながら帰途に着きました。舞子ビラの庭園では、皆さんきれいに手入れされた松に見とれ、また目の前に大きく見える明石海峡大橋に見入っていたようです。
舞子公園には、舞子浜遺跡がありました。舞子公園の砂浜からは、埴輪棺がこれまでに十数基見つかっているそうです。埴輪棺とは、円筒埴輪などを連結し、蓋(きぬがさ)形埴輪でふたをしたものだとのこと。その埴輪棺の一つには、壮年の男性の人骨が入っていたそうです。この埴輪棺に使われている円筒埴輪と五色塚古墳の円筒埴輪とは、同じ職人によって作られたらしいです(円筒埴輪の表面をきれいにするのに板を使いますが、その板の同じ年輪の跡が両方の埴輪から見つかっているそうです)。舞子公園の埴輪棺には、五色塚古墳を作った有力者に服属して働いていた人たちが収められていたのでしょうか。
(2013年10月17日)