11月9日、現在梅田画廊(大阪市北区梅田3-4-5毎日新聞ビル)で開催中の「末冨綾子展」に行ってきました(11月16日まで)。
末冨さんと知り合ったのは、もう10年くらい前のことだったと思います。当時すでに視力は光覚に近いくらいまで落ちていて、僅かに残る視力と指先で絵を描き続けておられ、京都のお宅にうかがって、多数の絵に触らせてもらったことを覚えています。
末冨さんは、高校生のころ、夜になると物が見えにくくなり、診察してもらうと、将来失明する可能性が高いと診断されます。にもかかわらず、好きな絵の道を選択して、武蔵野美術大学へ。1988年同大大学院修了後、89年にフランスへ。90〜94年、フランス政府給費留学生として、パリ国立高等美術学校・パリ国立高等装飾美術学校で絵画・壁画を研究。95年までパリの画廊・フランス国内の美術館に多数出品し、また各種の賞も受賞。パリで数学者・塩田さんと出会い、結婚。このころから視力低下と視野狭窄が進んだようですが、以後も、年の半分はパリで絵画制作に専念し、日本で個展を開催しています。
2001年に、ポーラ美術振興財団からの助成およびリベラシオン新聞社保育所・パリの協力により出された絵本『MA POUSETTE ET MOI (乳母車と私)』に添えられている文章の中で、末冨さんは
「進行性の視覚障害でありながらプロの画家としての作品の質を保ちつづけることは、射撃手のような強度の緊張と集中力、金細工職人のような繊細さや気が遠くなるような根気を必要とします。そのなかで私は、わずかに残された網膜に映し出されたものへの執着と画面上での筆の触覚の繰り返し、この二つの感覚の高まりを調律していくことを学びました。遠近法の消失と空間恐怖症的に埋めつくされた画法は、私の見え方の真実であり、自然に到達した画風なのです。」
と書いておられます。
私は、これまでに、2005年6月16日〜6月22日、阪神百貨店の阪神美術画廊で行われた「末冨 綾子 絵画展」、および2007年9月27日〜10月6日、梅田画廊で行われた「第3回末冨綾子展」に行きました。
視力の低下とともに、色鮮やかにパリの街並みなどを細かく描いた作品から、石膏の上に黒の顔料を塗り彫刻刀で削ったり、石膏やしっくいを下地に蜜蝋で描いたりしたモノクロームな作品に変わっていったようです。全盲になって一時は行き詰まったようですが、2005年くらいからは、まずパネルに綱や糸で輪郭やその中の細かな形を貼り付け、それから全体に背景となる色を着け、さらに浮き出している綱や糸の部分に指やスポンジのような物で色を着けるという手法で描き続けています。最近はグリーンやピンクなど鮮やかな色も使っているようです。
生活面でも、7年前から盲導犬と一緒に暮らして歩行もだいぶ楽になったようですし、見えない世界にも慣れてそこから十分に創作のテーマやヒントも得ているようです。11月7日の読売新聞の[顔]欄で末冨綾子さんが紹介され、その中では 「暗闇の中にいると誤解されますが、私の頭の中は色や形であふれている。閉じ込められているこの世界を皆に伝えたい」「毎日が映画監督みたい。創作の引き出しが増えた」と語っておられます。
今回の展覧会では、末冨さんと親交のある作家の方々をはじめ、梅田画廊の協力も得て、手で触れて鑑賞できる作品も賛助出展されていました。このような形で展覧会を企画したのには、末富さんがプロとしてフランスで活動を始めた頃ルーブル美術館にさわれる作品の展示スペースが設置され、またポンピドゥーセンターにも近年同様のスペースが設置されるなど、見えない人たちにも美術館の門戸を開く積極的な姿勢に彼女自身とても勇気づけられたという背景があってのことのようです。
私は、まずこれらの賛助出品作から触りました。久野和洋作でブロンズの「K氏の頭像」と「女の頭像」、小杉小二郎作でレリーフの「薔薇と果物」(右からイチジク・薔薇の花2つ、桃、洋梨?)、堀井聰の「丹頂遊魚図」(水を示すラインがあり、頭の辺が赤くてつるうっとした感じで尾鰭などが多数の細い線で示されている金魚が、向こうからこちらに向って泳いでいる)、佐藤泰生作で木彫の「古代の馬」(これは手袋を着けて触った。頭と身体だけだが、表面の多数の彫りを触っていると毛や鬣を連想した)、ジェローム・グリセンシュタインの「小さな骸骨」(ジャガイモを頭蓋骨そっくりに中まで彫り抜いた作品。眼球の穴や下顎などはよく分かった)と「オレンジ・オレンジ」(オレンジの皮を切り開いて伸ばして固定し、表面に線でなにか浮き出しのようなのがあった)、天江竜太の「三陸の石」(見た目は本当の石が数個置かれているだけで見逃してしまいそうだが、触ってみると表面はざらざら・さらさらしていて軽石のようになんか弱そうな感じで、そうっと持上げてみるとスポンジのようにとても軽い。あの大津波の瓦礫を材料にしているそうだが、中身のない抜け殻を触っているような感じだった)です。
末冨綾子さんの作品は30点以上展示されているようでしたが、私が触ったのは3点でした(プロの作家として作品は売物ですので、当然、だれでもすべての作品を自由に触ってもらうという訳にはいきません)。「言葉に香り」は20cm四方くらいの小さな作品。大きなクロワッサンが紐で描かれ、その上に“croissant,”の文字、左側から下にかけて“内包された言葉の香る」の文字が糸で書かれています。末冨さんの作品にはこのように、絵に言葉が添えられているものも多いようです。「三つのクロワッサン」は、もう少し大きい横長の作品で、左に大きなクロワッサン、右にかごに入った小さなクロワッサンが2つあります。「街のにぎわい」は、横120〜130cmくらい、縦60cmくらいの大きな作品で、パリの街並みが描かれているようです。数軒の建物が描かれ、その煉瓦壁や屋根、半円形の出窓が3つありました。画面右側はカフェの様子で、椅子に座った女の人にワインを出しているようです。お盆に乗った3つの小さなグラスはかわいかったです。左側には大きなピアノと、それを弾く人、そしてピアノの下には犬が描かれています(このような構図は私にはなかなか想像できないものだなあと思いました)。
私には末冨さんの作品の全体的な雰囲気や色などが分からず、その良さを感じ取れていないと思います。一緒に行ったKさんは、構図からも色彩からも、描く喜びのようなものが感じられて、見ているほうも楽しくなってくるような作品に思えました、と言っていました。また、Mさんは、画廊にあった末冨さんの画集を見ながら、作品は当然以前とは異なっているが、雰囲気は共通している、病院や保育園などに置くと、きっと子どもたちに喜ばれるだろう、と言っていました。明かるく前向きな末冨さんの感性が、その作品にずうっと表われているのだと思います。
追記:2014年6月より、「点字毎日」(毎日新聞社発行の週刊の点字新聞で、点字版だけでなく活字版もあり、見える方々も読むことができます)で、末冨綾子さん執筆の「パリとハーネス」という連載が始まっています。6月8日付の1回目では、パリの様子も織り込みながら、高校生のころからパリ留学のころまでが、すっきりしたくったくのない文体で書かれていました。これからが楽しみです!
(2013年11月11日、2014年6月16日追加)