ほぼ毎月1回、月曜日午前0時台のラジオ深夜便で「ようこそ宇宙へ」が放送されています。担当は、国立天文台天文情報センター 普及室長の縣(あがた)秀彦さん。毎回特定のテーマを設け、最新のトピックや基本的な事柄を解説しています。
●5月24日「月と人間」
5月26日夜8時過ぎ、皆既月食が起こる。皆既月食が日本で見られるのは、2018年7月28日以来なので、2年10ヶ月ぶりになる。
月食は、太陽、地球、月が順にほぼ一直線に並んで、地球の影に月が入って月が欠けたようになる(暗くなる)現象。その中でも、地球の影で月が完全に隠されてしまうのが、皆既月食。
今回の月食は少し特別で、今年もっとも大きな満月(スーパームーンと言われる)の日に月食が起こる。今は日が長い時期で、夕方、まだ暗くはなっていない6時45分、地平線に近い位置で欠け始める(全国どこでも同じ時間)。次第に欠けていって、8時9分ころ皆既(地球の影の中に月がすべて入る)になる。8時28分ころ皆既は終わり、その後逆に欠けた部分が徐々に減っていって、9時53分ころに通常の満月に戻る。
今回の皆既月食は、月の出のころに月が欠け始める。月食の進行の時刻はどこでも同じだが、月の出の時刻は場所によって異なり、そのため、月の出の時刻が6時45分よりも遅い西日本および北海道や東北地方の一部では、上ってくる月はすでに欠けた状態になっている。
皆既月食になった月は、ほのかに明るく赤茶けた色(赤銅色)になる。そして、皆既食の月の明るさや色合いは毎回少しずつ異なることが知られている。例えば、地球で大規模な火山噴火などがあると、地球の大気中の霧粒(エアロゾル)で太陽の光が遮られて、月の表面は注意して見なければ分からないほど暗くしか見えない。地球の大気を通り抜けていく太陽の光は屈折現象で内側に少し折れ曲がって進むことになるが、赤色側の光だけがより強く折れ曲がって(地球の影に入っている月まで届いて)月面に反射して赤っぽく(明るい時だとオレンジ色っぽく)見える。
今年は、11月19日にももう1度、完全な皆既食ではないがほぼ皆既に近い部分月食がある。これも、夕方6時過ぎから。今年の2回の月食を比較する時は、大きさに注目するとよい。月が大きく見えるのは、月が上ってくる時や沈んでいく時だが、これは視覚の錯覚によるもの(地上の物と比較して、頭の中で月を大きくしてしまう)。月の実際の大きさが満月ごとに毎回違っていることには、目では気がつかない。写真で、同じ倍率で撮影して比較して初めて分かる。
この5月の皆既月食の満月は、今年もっとも大きいサイズの満月。いっぽう、今年最小の満月は12月だが、11月もほぼ同じくらい小さい。月が地球の回りを回っていると言っても、いつも同じ距離ではないということ。月の軌道は楕円軌道で、平均すると38万kmの距離にある(地球をちょうど30個横に並べた所)。月の大きさは、直径が地球の4分の1。5月の満月の時には、月までの距離は35万7000km(近いので大きく見える)、11月のほぼ皆既に近い月食の時には40万kmくらい(小さく見える)。撮影して保存して、大きさを比較するとよい。(月はけっこう明るい天体なので、晴れていなくても、雲間を通して見えることもある。)
月や星にもっとも興味がないのは現代人だと、ふつう言われている。エジソン以降、夜も人工の明かりで生活できるようになってから、夜空を見て月や星を楽しむ機会がきわめて減った。それ以前の人たち、はるか古の時代から、太陽や月は私たちにとってもっともっと身近で大切な存在だった。
イギリスの科学ライターのデビッド・ホワイトハウスが書いた『月の科学と人間の歴史 ラスコー洞窟、知的生命体の発見騒動から火星行きの基地化まで』(デイビッド・ホワイトハウス 著、西田美緒子 訳 築地書館。原題は The Moon: A Biography)は、昨年3月に発行された大部の本で、月と人間とのかかわりについてこれほど詳しく多角的に記述した本はこれまでに例がないと思う。表紙には月面図があるが、副題にもなっているラスコーの洞窟にも月ではないかと思われるものが描かれている。ラスコーの壁画は、1万5000年以上前、後期旧石器時代にクロマニョン人たちが描いたものだが、その中に月も出ているので、2万年近く前から人類は月になんらかの関心を寄せていただろうことがうかがわれる。ラスコーの壁画で有名なのは、牛や鹿、馬などの姿だが、例えば、すばるもちゃんとおうし座の牛の肩の所に描かれている(だから、ここに描かれている牛の姿は、間違いなくおうし座であることが分かる)。いっぽう、別の壁面には馬と思われるものが描かれていて、その下に弧を描くように点点がたくさん描かれており、これは月の満ち欠けを示しているものだろうと推定されている。月の満ち欠けに合わせて、29個、黒い円いものが並んでいる。今から5000年くらい前になって、月の満ち欠けに基づいた暦が最初の暦とされているが、それよりはるかむかしに、ラスコーの壁画を描いたクロマニョン人たちは月を暦としていたかもしれない可能性がある。
月に関する興味から、世界各地、様々な時代で、古今東西の哲学者・科学者が月をめぐって様々な思索をめぐらした。また、望遠鏡が発明される以前でも、例えばダ・ヴィンチも自分の目を頼りに月の非常に精密なスケッチをしているが、肉眼では黒い部分と明るい部分(月の海と陸の部分に当たる地形の区別)しか分からない。400年余ほど前に望遠鏡が発明されると、月の表面の凹凸の様子、クレーターも分かるようになり、とくにヨーロッパの天文学者の間では、精密な月面地図をつくることがひとつのブーム、競争のようになった。これが、最初のムーンレースと呼ばれている。というのも、初めて見つけた地形には、その人の名前を付けられるから。そして2回目のムーンレースは、50年以上前の冷戦時代の米ソの月面到着の競争。その後しばらく人が月面を歩いていないとはいえ、無人の月探査衛星は次々と打ち上げられ、例えば月でも極域で水が取り出せる可能性のあることや、月にはレアメタルのような資源もあるかもしれないなどと言われるようになり、月と人とのかかわりも、暦や神話の世界、我々の生活の周期といったことのみならず、どんどんかかわり方が変化している。
日本では、「かぐや」には2つの意味合いがある。かぐや姫が帰って行った月という心情的な興味、および2006年にJAXA(宇宙航空研究開発機構)が打ち上げた月探査衛星。かぐやは、様々な月の科学、とくに月面の凹凸もふくめた詳しい地形観測をし、そのデータは月の探査で非常に大事な資料になっている。
人々の月への関心は戻りつつある。ここ10年くらい、国立天文台で仕事をしていてそう思う。スーパームーンや、毎月の満月にそれぞれ呼び名が付けられるとか、科学というよりもスピリチュアルな面、心をおだやかにするとか幸福を感じるとかで月を見るようになった。さらに、アポロ11号による月着陸から半世紀が過ぎ、2020年代に人類は再び月を目指している。日本も参加している、アメリカNASAが中心のアルテミス計画(月面を女性の宇宙飛行士が歩く)のみならず、民間のスペースXも月旅行を目指しており、中国やインドなども月に行こうとしている。日本人宇宙飛行士の募集が秋に予定されていて、月を周回する国際宇宙ステーション・ゲートウェーから日本人宇宙飛行士が地球を見つめる日も近い。月と人間の関係は、新たな時代を迎えようとしている。