ヘレンケラー第2章(2)

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第2章 夜明け (2)

 髪は乱れ、陰気で反抗的な表情をした、なかば野性の子供のようなヘレンは、先生にはそれほど期待していませんでした。にもかかわらずサリバンノ方は、ヘレンに面会するのを待ちきれないほどでした。アーサー・ケラーが公式の歓迎のあいさつをしているのを遮って、サリバンは屈みこんでヘレンを腕の中に包み込みました。ヘレンは、母親が自分を抱きしめているのだと思いました。でも、それがだれか別の人だと判ると、彼女はもがいて逃れました。サリバンは後年次のように回想しています:「この飼い慣らされていない小さな生き物が私のキスを手荒に拒否し、私の包容から逃れようとはげしく抵抗したのには、まったく絶望してしまったのを覚えています」
 サリバンはまた、ヘレンの外見にも驚いたことを回想しています。彼女はソフィア・ホプキンズへの手紙の中で、次のようにのべています:「私は活気のない、繊細な子供に会うだろうと予想していました。しかしヘレンには、そういった陰はみじんもありませんでした。彼女は大柄で、強そうで、血色がよく、まるで若い雄馬のように、動きは勝手気ままでした。」
 ヘレンの気分は急にぱっと変わりました。彼女が新しい先生の包容から逃れた次の瞬間には、ヘレンは再び先生に近づいて行って、まもなくこの若い女性の顔の上に指を走らせたのです。それからヘレンはサリバンのハンドバッグをひったくって、キャンディを求めてそのバッグを調べはじめました。母親がそのバッグを取り上げると、ヘレンは癇癪を起こしてしまい、地面を転げ回って泣きわめきました。サリバンが気を紛らそうと懐中時計をあたえて、ようやくヘレンは泣きやみました。子供の好奇心のようなものが刺激されたのです。
 あとでキャンディをあげるかもしれないというサリバンのメッセージを、ヘレンがすぐに理解したのには、とても勇気づけられました。サリバンはホプキンズ宛ての手紙の中で、そのことについて次のように述べています。「玄関ホールに、私のトランクがありました。私はヘレンをその場に連れて行き、身振りを使って、私がトランクのような物を持っていて、その中には何かとてもおいしい物が入っていることを伝えようとしました。ヘレンはそれを理解しました。というのは、彼女は両てを口元に持っていって、何か大好きな物を食べている仕種をやり通し、それからトランクと私を指さして、大きくうなずいたのです。」

 翌朝、サリバンは大きな希望を持って最初の授業を始めました。その授業は、ハウがブリッジマンに行った初期の教授法にならったものでした。まず、ヘレンの手の上に聾唖者用の指文字で単語を綴り、それから、その単語の意味を実際の物や行動で示すのです。最初の単語は「Doll (人形)」で、それをサリバンは、パーキンス学院の盲児たちからの送り物をヘレンに渡すことによって、具体的に示しました。ヘレンはこの新しい《ゲーム》を気に入り、すぐにサリバンの仕種をまねしました。
 ゲームはある意味では成功でした。――しかしそれは、その本来の目的を達成したものではありませんでした。ケラーは後年つぎのように回想しています。「私は、自分が単語のスペルを綴っていることも、ましてや単語というものが存在することさえも、知らなかったのです。私はただ、猿のようにまねて、指を動かしていたのです。」

 何週間もヘレンは、指の動きと単語の間に関連があることをまったく知らずに、指を走らせていたのです。厭きたり疲れたりすると、ヘレンは癇癪を起しました。そんな時には、自分の新しい人形を床にたたき付けて、ばらばらに壊したりもしました。彼女は後に「私は人形が好きではありませんでした。私が住んでいた沈黙の、闇黒の世界には、強い感受性とか敏感さはありませんでした」と述べています。
 サりばンはホプキンズ宛ての手紙の中で次のように書いています。「私が解決すべき最大の問題は、心の平静さを失わせることなく、ヘレンをいかにして躾、操るかということです。私は、最初は急がずに、着実に、必ずやヘレンの愛をかちえます。」サリバンのこの断固とした、それでいて優しい対処法は、結局のところ功を奏することになるのですが、その取りあえずの結果は、けっして喜ばしいものではありませんでした。サリバンがホプキンズに自分の計画を伝えてから1週間後、彼女は、ヘレンが怒りを爆発させたさいに打ちのめされて、前歯を2本失ってしまいました。

 ケラー夫妻は、痛ましいほどのハンディを持った娘をどのように扱えばいいのかまったく分らず、彼女を躾けようなどとは一度も思いませんでした。ヘレンはいつも、何事につけ自分の思い通りにしました。もし彼女が風呂に入り身繕いするのに抵抗すれば、体は汚れ髪はぼさぼさのままでした。もし夜中に朝食をほしがれば、家族の者は月明りのもとでベーコンエッグを作りました。家族の食事の時には、ヘレンは、だれの皿からでも自分の好きなものを何でも勝手に取ることが許されていました。
 サリバンはこのような子育ての仕方――あるいは子育て法の欠如――は重大な間違いだと考えましたが、そのことでケラー家の人たちと議論しようとはしませんでした。けれどもサリバンは、もし躾けをしなければ、ヘレンにはけっして何の進歩もありえないということを知っていました。ある朝、切迫した事態が起こりました。
 その日、ヘレンが先生の皿の上の食べ物に手を延ばすと、サリバンはヘレンの手をぴしゃりとたたきました。びっくりしたヘレンは、もう一度試みました。彼女はもう一度たたかれました。ケラー家の人たちは先生の厳しい態度に動顛しましたが、サリバンの自論を試すために、渋々ながらも食堂から出てゆきました。ホプキンズ宛ての手紙の中で、サリバンはその場面を次のように書いています。

 「私は食堂のドアに錠をかけました。そして、食べ物でむせそうになりながらも 再び朝食を食べ続けました。ヘレンは床に横になって、蹴ったり泣きわめいたり、私をいすから引きずり下ろそうとしたりしました。ヘレンはこんなことを半時間も続け、それからようやく私がなにをしているのか理解しました。私はヘレンに私が食べているのを観させはしましたが、皿に手を入れさせたりはしませんでした。
 ヘレンは私を抓ました。私はその度に彼女をぴしゃりとたたきました。それからヘレンは、そこにだれがいるのか観るために、テーブルの周りをぐるっと回りました。そして、自分以外だれもいないことを知って、途方に暮れたようです。数分後、彼女は自分の席にもどり、指で朝食を食べ始めました。私が彼女にスプーンを手渡すと、彼女はそれを床に放り投げてしまいました。私は彼女を無理矢理いすから立たせ、スプーンを拾わせました。
 やっとのことで私は彼女を再びいすの所に連れもどすのに成功しました。そして手にスプーンを持たせ、スプーンで食べ物を取るように強要しました。・・・・さらに、ヘレンにナプキンを使わせるのに、もう1時間かかりました。・・・・思うに、私が彼女に教え得るただ二つの事柄、すなわち従順と愛とを彼女が習い覚えるまでには、このような闘いを何回もしなければならないでしょう。」

 ヘレンの家族はいつも、文字通り彼女の好きなままにさせていたので、《従順》を教えることは、けっして楽にいくものではありませんでした。サリバンはホプキンズに書いています:「髪をといたり手を洗ったりブーツのボタンをとめたりといった、もっとも簡単な事をさせるのにも、強制的にさせなければなりませんでした。そしてその時はもちろん、あの悲惨な場面が起こるのです。家族の者たちは当然中に割って入ろうとします。とくに父は、ヘレンが泣きわめくのを見るのに耐えられないのです。」
 ついに、このような神経を磨り減らすような危機的状況に耐えられなくなって、サリバンは断固とした行動に出たのです。サリバンはケラー家の人たちに、私とヘレンが2人とも、母屋から出て、しばらくの間家族から離れて生活しなければ ならない、さもなければ私はここを立ち去る、と告げました。ヘレンの父は、娘を躾けようというサリバンの主張に反対でしたし、彼女のこの新しい提案も気に入りませんでした。彼は妻に、「いっそのこと、あのヤンキー [3] 娘をボストンに帰そうと思う」と告げました。

 [3] ヤンキー (Yankee):一般にはアメリカ人を指す俗称だが、元々は北部諸州、とくにニュー・イングランド地方の人たちを指す言葉である。この言葉には当時の南部人の北部人に対する屈折した感情がうかがえる。

 けれども最終的には、アーサー・ケラーといえども、ヘレンの教育に関してはサリバンに自由裁量を与えなければ、これまでの計画はすべて水泡に帰すだろうことに目をつぶる訳にはいきませんでした。彼はサリバンの提案に同意を与え、ヘレンと先生は、ケラー家の農場の小屋に移り住むことになりました。そこでは、直ちに先生と生徒の関係が好転しました。

 引っ越ししてから1週間後の3月 20日、サリバンはホプキンズへの手紙で次のように書いています。「私の心は今朝喜びに高鳴っています。なんと、奇跡が起こったのです!・・・・2週間前までは飼い慣らされていない小さな生き物であった者が、一人の穏和な子供に変身しているのです。ヘレンは、落ち着いた幸せそうな表情で、鉤針を使ってスコットランド産の赤い毛糸で鎖編みをしながら、こうして手紙を書いている私の傍らに座っています。彼女は今週編み物を習い覚え、その成果をとても誇りにしています。」
 さらに手紙は次のように続きます。「今彼女は、私がキスするのをすなおに受け入れています。そして、とくに穏やかな気分の時には、1、2分間私の膝に座ろうとします。・・・・大きな一歩、重要な一歩が踏み出されたのです。あの小さな無作法者は、従順さについての最初の授業を習い終えました。・・・・いまや、子供の魂の中に芽生え始めた優雅な知性を導き形成していくことが、私のたのもしい仕事になっているのです。」

 ヘレンは相変わらず先生の手のひらに単語の綴りを書いていました。それは彼女には楽しいゲームではありましたが、単語と、それが示す対象とをまだ結び付けてはいませんでした。「彼女は、すべての物が名前を持っているということに未だ気が付いていませんでした」とサリバンは書いています。
 ある日、ヘレンの父が、ベルという名のセッター種の飼い犬を小屋に連れて来ました。ヘレンはベルの首に抱きつき、犬の足で遊び始めました。サリバンは後年その時のことを次のように書いています。「ヘレンがなにをしているのか、一瞬思いつきませんでした。しかし、彼女が自分の指で 'd-o-l-l' と文字を書いているのを見て、彼女がベルに綴りを教えようとしているのが判りました。」
 あの《従順さについての最初の授業》から2週間後、ヘレンは、彼女の人生で最初の、偉大な洞察力を与えられました。 1887年4月5日、その日はヘレンにとってもサリバンにとっても決して忘れられない日であり、また教育の歴史においてよく知られるようになる日です。その日、ヘレン・ケラーは、彼女を取り巻いている暗黒の世界を脱したのです。彼女は人間の言語を発見したのです。

 ヘレンと先生は朝の厳しく辛い授業をしていました。ヘレンは我慢できなくなって、怒り始めました。ついにサリバンは あきらめ、ヘレンを散歩に連れていくことにしました。彼等は井戸小屋のポンプの方へ向いました。ヘレン・ケラーはその時のことを、『私の生涯』という自著の中で、次のように記述しています。
 「だれかが水をくんでいるところでした。先生は私の手をその水の吹き出し口の下に置きました。冷たい水が片方の手の上をほとばしり流れている間、先生はもう片方の手に
water》という単語を、始めはゆっくりと、次には速く、綴りました。私はじっと立って、先生の指の動きに全神経を集中させました。突然私は、なにか忘れていたものについての微かな意識、わくわくするような思考のよみがえりを感じました。そして、どういうわけか、言語の持つ秘密が私に啓示されたのです。
 私はその時、 w-a-t-e-r という綴りが、私の手の上を流れている、この素晴しい、冷たい物を意味していることを知ったのです。この生き生きとした単語が、私の魂を目覚めさせ、光と希望と喜びを与え、(暗黒の世界から)解き放ったのです。実のところ、まだ越えなければならない障害はありましたが、その障害もやがては取り払われるはずのものでした。
 たまらないほど勉強したくなって、私は井戸小屋を去りました。すべての物が名前を持ち、各々の名前が新しい思想を産み出すのです。家に戻ると、私の触るあらゆる対象が、まるで生命に溢れてうち震えているかのように思えました。」

 先生も生徒と同様にわくわくしていました。その日のホプキンズ宛ての手紙の中で、サリバンは、ヘレンが water という単語を数回綴った後、「彼女は地面にばたっと横になってその名前をたずね、ポンプとトレリス(格子垣)を指差し、それから突然私の方に向き直って、私の名前をたずねました」と書いています。サリバンはその時ゆっくりと t-e-a-c-h-e-r とヘレンの手のひらに綴りました。その瞬間から、サリバンは、ヘレンにとって、そして世界中の人々にとって《teacher(先生)》となったのです。
 ヘレンがいったん学び始めると、止まるところを知りませんでした。乳母がヘレンの妹ミルドレッドを井戸小屋に連れて来たとき、ヘレンは勝ち誇ったように《baby》と綴り、乳母の方を指差しました。その日が暮れるまでには、ヘレンは、《door》 《 open》 《 shut》 《 give》 《 go》 《 come》を含め、30の新しい単語を覚えた、とサリバンはホプキンズに知らせています。
 翌朝、サリバンはホプキンズに、ヘレンは「まるで光り輝く妖精のように」跳ね起きて、いろいろな物から物へと飛び回っては、それらあらゆる物の名前をたずね、その度にうれしさのあまり私にキスするのです」と報告しました。
 ヘレンは5年間孤独な暗黒の世界で過ごしました。タスカンビアにサリバンが着いてからわずか1ヶ月余りしか経っていないのに、今ヘレンは新しい日の夜明けを感じ始めているのです。

【キャプション】
 ・ケラー家のポンプ小屋は、今もタスカンビアに立っている。1887年、ここで、ヘレン・ケラーは言葉というものの概念を初めて把握した。その瞬間のことを、ケラーは後に「私の心が歌い出した」と書いた。
 ・ヘレンが、ジャンボというケラー家のセッター犬の上で、指文字を書いている。いったん言葉[の素晴らしさ]を発見すると、この少女は、やむことなく〈話し続けた〉。
 ・ヘレン・ケラーは、その障害にもかかわらず、外向的で魅力的な少女だった。1891年のある報告で、マイケル・アナグノスは、彼女は「美しい茶色の髪で、その愛らしい肩までふさふさした巻き毛が垂れている」と書いている。
 ・ミルドレッド・ケラー(右)が、姉のヘレンにあまえるように寄りかかっている。もっとも初期の手紙類の一つの中で、ヘレンは「ミルドレッドはかわいい妹で、私たちは一緒に楽しい時を過ごした」と書いている。

(以上で第2章終り)