ヒルトン=バーバーの挑戦

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 ヒルトン=バーバーさんについては私はニュースで名前はちょっと知ってはいましたが、今回 "THE MATILDA ZIEGLER MAGAZINE FOR THE BLIND"というフリーの点字雑誌の2008年6月号に詳しい紹介記事“Blind adventurer refuses to accept limits”がありましたので、翻訳してみました。
  この記事は、"The Japan Times"の2007年9月27日付の記事からの転載で、原文は
http://search.japantimes.co.jp/cgi-bin/nn20071027f1.html
で読むことができます。(ただし、少なくとも私のパソコン環境では、所々に画像が入っているためだと思いますが、数箇所読めない部分があります。)
  この記事の最後の文章
"The wind doesn't determine where a boat goes," he said. "It's the sail that does."
に心を動かされ、訳しておこうと思いました。
  以下、訳文です。

「全盲の冒険家、限界を認めず」
  全盲の冒険家マイルズ・ヒルトン=バーバー(Miles Hilton-Barber)は、キリマンジャロとモンブランの両山に登頂し、11日間で中国をを横断するマラソンを完走し、さらにカタールの砂漠をまったく眠らずに徒歩で横断するといったことすべてを、最近の7年の間に成し遂げた。
  ジンバブエに生まれ、21歳のとき遺伝性の疾患のため視力を失い始めたこの58歳の男はまた、雪におおわれたシベリアでハーフマラソンを完走し、英仏海峡を超軽量飛行機で盲人として初めて横断飛行するという世界記録も持っている。
  治療可能な視覚障害を援助する"Seeing is Believing"というキャンペーンを盛り上げるために今月初めに来日したヒルトン=バーバーは、「私はごく普通の男なんですよ」と自分自身のことについて謙遜して語った。
  しかし、完全失明してほぼ30年になるが、この冒険家の人生は彼の強固な信念―人の運命は状況によってではなくその状況にたいするその人の応答の仕方によって決められる、そして「人生にたいするその人の態度が最終的にはその人生がどれだけ高く飛躍できるかを決定する」という信念を、多くの実例をもって物語るものであった。
  「見えていた時より今のほうが幸せで成功していますよ」と彼は語り、キャンペーンで間なく一千万ドルの寄付金が集められそうだと快活に報告した。
  ヒルトン=バーバーは、30歳の時にまったく見えなくなるのだが、それまではローデシア(現ジンバブエ)で成長し、空軍のパイロットに成ろうと思っていた。しかし網膜色素変性症であると診断されてからはパイロットになる夢を捨て、製薬業の仕事に従事した。
  視力がますます衰えほとんど見えなくなったため、彼はイギリスに移り住み、視覚障害者のための雇用相談員となった。
  彼は自分を被害者だと感じていた。「12年ほど前までは、パンを買いに地元のスーパーマーケットまで400メートル歩いて行くのもこわかったんですよ」と彼は語った。
  しかし、彼の兄ジェフリーによって、このような彼の態度が変えさせられた。
  同じ病気のために視力を失っていた彼の兄は、1998年、南アフリカからオーストラリアまでヨットで単独帆走することに成功した。この成功を聞いて、ヒルトン=バーバーは、人はその置かれた状況の犠牲となるのではなく、障害にもめげず自分の夢を追い求めなければならないのだと思うようになった。
  ヒルトン=バーバーはこの助言に即座に応答した。パイロットは機器だけを頼る無視界飛行の訓練をしばしばしているということを聞き知って、早速彼はインターネットで飛行機操縦のための音声出力システムを検索してみた。「盲目のパイロットのための視覚を使わない装置なんて隙間市場でしたよ」と彼は冗談をいうくらいだったが、間なく彼は必要とされる装置類および彼の操縦をアシストする副操縦士に出会ったのである。
  飛行中に一度、無蓋のコックピットの中で、視覚無しでも風景を満喫したと彼は述べている―というのも、眼下の大地に育っている生命の息吹のようなものの匂を嗅ぐことができたからである。
  この冒険家は、エジプトの紅海のサンゴ礁でダイビングしたり、マレーシアのグランプリ・サーキットで盲人ドライバーとして一周する記録をつくるなど、様々な探検旅行をしている。その中でももっとも特異な体験は、彼が言うには、南極大陸を横断する400km以上の徒歩旅行だった。
  「風が吹き止むと、そこはまったくの無音の世界です。唯一聞こえるのは、血液の回る音、心臓の音だけです。それは、宇宙の別の所にある氷の惑星の上にいるようなものです」と彼は説明した。どちらに主導権があるかはともかくとして、マラソンで走ったり広い氷原上を徒歩旅行する時は、ヒルトン=バーバーにはしばしば視覚的なガイドを与えてくれる目の見える援助者が付き添っている。
  ごく最近、2007年3月から5月にかけて、この冒険家は、副操縦士も同伴して、超軽量飛行機で大胆にもロンドンからシドニーまでの250時間の飛行を成し遂げた。このプロジェクトは、世界中の治療可能な視覚障害を緩和することを目的とした"Seeing is Believing"の慈善事業にたいする関心を高めようとする取り組みの一貫であった。
  「先天性の白内障の子供一人の治療を支援するにはわずか28ドルから33ドルの費用がかかるだけなのです」とこの冒険家は言い、さらに世界中の3,700万人の失明者のうちの75%の人々の状態は治療可能だと付け加えた。[下の訳者注参照]
  イギリスのスタンダードチャータード銀行によって組織されたこの慈善事業は、同銀行東京支店のクリストファー・ドミッターによれば、成功裏に進んでいる。2003年に始まった地域社会投資計画は、予定―銀行は2010年までに千万ドルの寄付金を集める目標を立てている―を上回って順調に進んでおり、その金額はすでに目標達成に近付いている。
  ドミッターは、「この成功の一部分は、マイルズがこの事業に大いに助力してくれたことによるものだ」と言って、この冒険家の様々な探検旅行が問題にたいする関心を高めるのに効果があったことを認め、「マイルズのお陰で我々はこの事業をすることができるのです」と語った。
  ヒルトン=バーバーは現在、意欲を掻き立てる話し手として、世界各地を回って働いており、その間は落ち着いて次の冒険のためのトレーニングはできない。意欲を掻き立てる話し手として今年だけでも30カ国以上を訪問し、人々が人生の諸問題を克服するよう力付けている。
  「小舟がどこに行くかを決めているのは、風ではありません。それを決めるのは、操船術なのです」と彼は述べた。

[訳者注]
  2002年のWHOの報告
http://www.who.int/mediacentre/factsheets/fs282/en/
によれば、2002年時点での推計で、世界の視覚障害者は1億6100万人、そのうち失明者(blind)は3700万人、弱視(low vision)は1億2400万人となっている。
  さらに、世界の失明の原因・要因は次のようになっている。
白内障 47.8%
緑内障 12.3%
加齢黄斑変性症 8.7%
角膜混濁 5.1%
糖尿病網膜症 4.8%
トラコーマ 3.6%
幼少期の失明*1 3.9%
オンコセルカ症 0.8%
その他 13%
   *1 白内障、未熟児網膜症、ビタミンA欠乏症など
   *2 onchocerciasis: アフリカ等の熱帯地方で、ブユによって媒介されるオンコセルカという細長い糸状の線虫がヒトに寄生することによって生じる風土病。皮下に大きなこぶ状の腫瘤を作る。幼虫が血液から目に入り失明する。

 これらのうち、白内障やトラコーマ、幼少期の眼病などは治療によってほぼ回復できたり衛生状態や栄養状態の改善によって回避できるものであり、WHOは世界の失明全体の75%は回避できるとしている。

(2008年6月10日、2008年6月29日追加)