ボランティアむかし語り&折り紙で遊ばう

上に戻る


 10月30日、対面朗読ボランティアを対象に、お話しと折紙の実演をさせていただきました。テーマは「ボランティアむかし語り&折り紙で遊ばう」、何とも奇妙な取り合わせですね。まずはちょっと経緯を書かせていただきます。
 9月中頃だったと思いますが、突然、盲人情報文化センターの対面リーディングボランティアの集まりで講師をしてもらえないかと、お2人の方が見えられました。対面リーディングをはじめ、日頃ボランティア活動について感じていることなど何でもいいからと言われましたが、私は強くお断りしました。というのも、私はもう10年近く正式の対面朗読を利用したことがないのです。もちろん大学のころは日常的にお願いしていたわけですが、その後次第にわざわざ図書館などに出かけて行ってそのための時間を取るのが難しくなりましたし、またパソコンで点訳本を読んだり、数年前からはインターネットでかなり情報も得やすくなったからです。そんなことを話し、なんとかお断りできるかなと思ったのですが、急にお1人の方が「折紙をしてもいいですよ」と言うのです。以前ボランティア交流会でほんの少し折紙(連鶴など)を披露したことがあるので、その時の事を覚えておられたのでしょう。折紙だったらできなくはないし、そこまで言うのならと結局引き受けてしまいました。
 引き受けたものの、もちろん折紙は直接には対面朗読となんの関係もありませんし、当然なにかお話もしなければなりません。それで私のこれまでのボランティアとのかかわりも振り返ってみようということで、「ボランティアむかし語り&折り紙であそばう」といいうような奇妙なテーマになったわけです。
 折紙のほうは、とにかく皆さんに楽しんでいただければと、いろいろな連鶴を作り、また皆さんにも各自実際に連鶴を折っていただけるよう準備しました。しかし、メインとなるべき話のほうは、これまでの私の経験を話すことくらいしかできないなあということで、とくに準備もしないで臨んでしまい、実際のボランティア活動に役立つような話にはとてもなっていなかったと申し訳なく思っていました。
 ところが、「対面リーディング通信「第89号(2002年11月26日発行)に今回の報告が掲載されたのですが、それを読んでみるととてもよくまとまっていて、なにかほっとした気持ちになりました。私の拙い話をこんな風にまとめてくださったことに本当に感謝しています。編集者の許可を得て、その報告をほぼ全文公開することにします。(ごく一部ですが、加筆修正した箇所があります。)また、その時十分お話できなかったことを最後に少しですが補足説明として付け加えます。

(ここから引用)

 小原さんは、幼少のころから今に至る40数年間、変わることない読書愛好家であった由で、そのご自身の読書史をふりかえりつつ、私ども対面ボランティアのあるべき姿への示唆と貴重なアドバイスをも与えてくださいました。
 以下、お話の概要をお伝えします。

 6歳で八戸の盲学校に入学。日赤の点訳奉仕団というボランティアグループの前身ともいえる団体によって点訳本が作られており、『セロ弾きのゴーシュ』をはじめとする童話を、盛んに読んだ。寮に本を読みに来てくれるひとがあって、とても楽しみだった。
 小学校5年。日本点字図書館を利用し始めて、さらに読書の世界が広がった。
 当時、同図書館から送られてくる本を読んで一番感動したのは、巻末に、本間一夫館長が点字で、点訳者の紹介と点訳者への感謝のことばを書かれていたこと。小原さんも、点訳者宛に便りをして、返事をもらったこともあった。昨今は、点訳者個人の点訳といことがなくなって、機械的になってしまったのが少しさびしい。
 中学3年。理科の先生の影響で物理学に興味を持ち、それに関する本を読みたいと熱望する。関連の点訳本がなかったので、対面朗読の必要が生じた。湯川秀樹の『素粒子』という本を、寮母さんに読んでもらい、それを点訳することにした。無理やり頼んで、なので、「ボランティア」ではなかった。同じ言葉が何度も出てくるので、自分流の略字で一旦書いておき、後で完全なものに書き直した。ギリシャ文字など、寮母さんの読めない文字が出てくるので相当苦労したが、半年ほどで読み終えた。やり遂げたいという熱望と、強い意志があったからこそできたと思う。
 高校に進んでからも、物理学に関する本を読みあさった。八方手を尽くしてようやく、微積分の本を、弘前のグループ(弘前愛盲協会)にテープに入れてもらうことができるようになる。
 高校3年のとき、盲学校から出ようと思った。外の世界を知りたいと思ったからだ。
 1970年、日本ライトハウス職業生活訓練センターに入る。「ボランティア」ということばと、その活動を実感できたのはこのころ。ここで、中途失明のひとをはじめ、いろんなひとに出会え、ハイキングやキャンプなどの楽しい体験もできた。自分がなにも知らなかったということにも気づいた。仕事だけの人生はいやだ。もっといろいろ経験したい、とのおもいから大学受験を志す。
 2年かかって、関西学院大学への入学を果たす。このとき大学唯一の盲学生だった。大学図書館は3年生くらいからよく利用するようになったが、初めは本や雑誌を思うように探してもらえず苦労した。そのうち、小原さん専属の職員が現れて、必要な図書を捜し出したり希望に沿った読みをしてくれたりして、大いに助かる。
 次の年、新たに盲学生が2人入ってきた。大学として盲学生受け入れの態勢を作るべきだと働きかけ、ボランティアを募集し、その運営には図書館が当たった。専門的な本については、あとからテープを聞いて点字に直せるように、段落、点、マル、アンダーライン、ダッシュなど、できるだけ詳しい情報を伝えられるような読みが必要。注は、段落ごとに入れる、など、自ら詳しいマニュアルを作成した。その後、何度か改定を試みる。リーディングブース2つが設置されたのも、大学側への働きかけの成果。
 生活していて感じることは、情報を得るために他人の目を借りるだけでは満足できないということ。障害のあるひと自身が自己表現できる方向に向かっていかなければ。例えば、盲学校の教育の中に、音楽はあるが美術は除外されている。これはおかしい。政治活動も宗教的意思表示もできて当然。見えないひとも、市民なのだから。見えないひとがなにかをしたい、というとき、一般のひとの援助があれば可能だ。見えないひとの希望や個性に対応できるような柔軟な考えのグループの存在を希望したい。

 道がなければ、自ら切り拓く。ほほえみを絶やさず、淡々と話される小原さんのどこにそんな情熱が潜んでいるのかと、驚くばかりです。
「いい対面とは?」の質問に対する小原さんの答え。「限られた時間内で効率的に読む。読み方は、ひととおりとは言えない。利用者の要求に適った読みを。声は大切な要素。安心して聞ける声がいい。自ずと人柄が現れる。内容がよくわかっていることも。点訳とちがって、無個性化する必要はない、などなど。
 玉手箱のような箱から飛び出したのは、翼と翼、嘴と嘴、尾羽と尾羽、大きいのと小さいの。さまざまなかたちで連なる折り鶴の群れでした。お子さんと折り紙で遊んでいて、ご自身のほうが折り鶴の虜になられた由。頭の中でこうすればこうなる、と考えて、実際に形にするのが楽しみとのこと。参加者一同も、童心に返ったひとときでした。そして、生き上手な小原さんにこころからの拍手を送ったのでした。

(引用終り)


〈補足説明)
●美術の時間
 中学・高校の時はたぶん美術とか技術家庭のような教科はあったと思いますが、ほとんど記憶がありません。でも、わずか1年間ですが、中学2年の美術の時間だけは私にとってとても素晴しい時間でした。非常勤の先生で、盲学校に初めて来て、彫刻、粘土、絵など、とにかく試行錯誤でいろいろ試みてくださいました。その時の経験は私の貴重な財産になっています。

●自己表現
 障害の有無にかかわらず、自己表現は大切です。障害がある場合、とくに周りの人たちの援助ないし時には管理下で生活することが多いので、なおさら大切だと思うのです。人とのつながり、将来へのつながりの中で、自分の内を観また世界を観る、そうした中から障害のこともふくめ自分を確認し表現することができれば――と思うのです。


(2002年12月1日)