11月25、26日に日本ライトハウス情報文化センターの4階会議室で、わろう座「手で観る仏像展」を開催しました。(「わろう座」は、2009年9月から情報文化センターが始めた企画で、これまでは主にバリアフリー映画会が開かれています。)
以下は、情報文化センターの利用者向けの月刊誌「読書」掲載の案内文です。
わろう座「手で観る仏像展」のご案内
寺院を拝観しても、直接触れることの難しい仏像。そんな仏像13体を集めて、手で触って観ていただける展覧会を開催します。仏像は彫刻家の方が一体一体丁寧に木彫りされた、高さ30cm程の小型の作品。如来、菩薩、明王など、さまざまな仏像を、解説付きで、触って観ていただけます。定員がありますので、急いでお申し込み下さい。
日時 11月25日(金)、26日(土)。
各日とも、1回目=10時30分から、2回目=13時から、3回目=14時30分からの3回
場所 日本ライトハウス情報文化センター4階会議室
定員 各5人(定員になり次第締切)
(引用ここまで)
13点の仏像を、A〜Fの6テーブルに分け、各テーブルには解説をするボランティアを配置し、来場者は順に各テーブルを回って解説付きで鑑賞してもらいました。(Aテーブルの2点は大和正信さんが、その他の11点は太田博さんが制作したものです。)
まず、10月26日に、解説するボランティアを対象に、仏像を触ってもらう時の方法について勉強会をしました(参加者7名)。また、解説ボランティア向けの資料を作成し、ボランティアの方々に事前に勉強してもらいました。さらに、11月16日には、解説ボランティアの方々に出展作品全部を実際に見て触ってもらいながら、太田さんと私が各作品について解説のポイントを説明しました(参加者8名)。
11月25、26日の仏像展には、計22名の見えない・見えにくい方々が参加され、皆さんじっくり丁寧に仏像を触り、背景などもふくめていろいろと話し込んでいる方もおられました。
以下に、ボランティアの方々に配付した資料をもとに、より詳しく各作品について解説します。
Aテーブル
●阿弥陀如来立像
大和さんが佛像制作を始めてもっとも初期に彫ったという作品。
高さ5cmほどの蓮華の台の上に高さ20cm余の阿弥陀像があり、その像全体を大きく後ろから包むように、先のややとがった大きな光背があります。(これら3つの部分を別々に触ってもらう。)この光背は1枚の蓮の花弁を大きくかたどったような形をしていて「蓮弁型挙身光」と呼ばれ、また舟を立てかけたような形をしているので「舟形光背」とも呼ばれます。
*光背:仏像の背後にあって、仏身から発せられる光明を象徴したもの。後光、御光とも言う(キリスト教では光輪)。頭部の光明の象徴を頭光、身体部の光明象象徴を身光、両方の重なったものを挙身光と言う。
この作品の素材は、イチイ(地方によっては「オンコ」とも言う)で、見た目だけでなく触っても木肌がとてもきれいです。とくに阿弥陀像の肩付近はつるつるになっていますし、また衣のひだなどもとても細かくきれいに表現されています。
阿弥陀像の頭の上は少しだけ盛り上がっていて、髪を束ねてあるようです。髪は紐で一束に結んだ単髻(たんけい)と呼ばれる髪型で、正面および左右に渦を巻いたような模様があります。そして、髪の結び目の正面に、つるうっとした丸い小さな石のような飾りがあります。眉間には、小さな丸い白毫があります。
*白毫: 如来像の特徴の一つ。眉間にある右回りに縮れたごく細い白毛で、これが光明を放って三千世界を照らすとされる。
手は、親指と人差し指で輪を作り、右手は掌を上向きに立てて前に向け、左手は掌を下向きにして前に向けています。この手の形は阿弥陀如来に特徴的な印相で、来迎印と呼ばれます(詳しく言うと、右手は施無畏印、左手は与願印)。
阿弥陀如来は、西方の極楽浄土で説法していて、人々の臨終の時に極楽浄土から迎えに来てくれるとされる仏です。来迎印は、人々にどうぞ安心して極楽浄土に来てくださいということを示しています。
●弥勒菩薩半跏思惟像
京都・太秦の広隆寺にある「宝冠弥勒」と通称されている弥勒菩薩像がモデルになっています(広隆寺には「宝髻弥勒」と呼ばれる弥勒菩薩像もある。いずれも国宝)。
素材はカツラです。表面はちょっとさらさらしたような手触りで、全体にゆるやかな曲面で構成されていて、ほとんどかどのような所はなく、触ってとても心地よいです。
台座と像が一体になっていて、高さは30cm余です。台座に腰かけ、左足を下げて右足を左腿の上に乗せ(片脚だけがあぐらの姿勢なので「半跏」と言う)、右膝の上に右肘をついて右手の親指と薬指で輪をつくり薬指で右頬に軽く触れています(思索=思惟の姿)。上半身はやや前かがみになっていて、背中から腰にかけてゆるやかなカーブになっており、触ってとてもきれいに感じます。
頭の上には円形のシンプルな宝冠があり、大きな耳が垂れ下がり、顔もなんだかやさしいような感じが伝わってきます。
この半跏思惟像を触っていると、ロダンの「考える人」の像を思い出します。
弥勒菩薩は、今は兜率天にいますが、遠い未来(56億7千万年後)に下界に降って仏となり、釈迦の救いに漏れた人々を救うとされる菩薩です。この半跏思惟の姿は、人々をどのように救ったらよいのか、思いにふけっている弥勒菩薩の姿のように思われます。
なお、半迦思惟像はすでに2、3世紀にガンダーらで、その後中国で、釈迦が悟りを開く以前のシッダールタ像として作られていましたが、それが朝鮮で弥勒菩薩として作られるようになりました。6世紀には弥勒菩薩半跏思惟像が朝鮮から日本に伝えられ、飛鳥、奈良時代に制作されました(平安時代以降は菩薩ではなく如来として制作されるようになる)。今年6〜7月には、東京国立博物館で、韓国の半跏思惟像と中宮寺の半跏思惟像を比較する「ほほえみの御仏―二つの半跏思惟像―」展が開かれていました。
Bテーブル
● 薬師如来座像 (カツラ、高さ16cm)
新薬師寺の薬師如来がモデルです。(新薬師寺は、目を患っていた聖武天皇の目の回復を願って、光明皇后が建立。新薬師寺の薬師如来は眼がとくに大きく作られているが、光明皇后の願いの現れかもしれない。)
高さ16cmの座像です。あぐら(結跏趺坐)の姿勢で、左足を右膝の上に乗せています。左の掌を膝の上に置き、掌の上に薬壺(やっこ)を持っています。右手は掌を立てて前に向けています。
頭は盛り上がり、小さなぶつぶつがたくさんあります(肉髻と螺髪)。また耳も長いです。(如来の特徴)
●伐折羅大将
新薬師寺では、本尊の薬師如来を守るように、十二神将と呼ばれる12体の像が薬師如来の回りに外外に向いて円形に配置されています。伐折羅大将はその1つで、薬師如来の左前方に位置します。
*薬師如来と十二神将の配置を示す点図を用意しました。薬師如来の左前方の伐折羅大将から、時計回りに、あに羅(あにら)、波夷羅(はいら)、毘羯羅(びぎゃら)、摩虎羅(まこら)、宮毘羅(くびら)、招杜羅(しょうとら)、真達羅(しんだら)、珊底羅(さんてら)、迷企羅(めいきら)、安底羅(あんてら)、因達羅(いんだら)の計12大将です。迷企羅大将以外はすべて武器を持っています。
高さ29cmの立像で、素材はラオス産ヒノキだそうです。
鎧のようなものを身に着け、左腕は、下に伸ばし、力を込めて手の平を広げています。右手には、左手のやや下方に向けて斜めに剣を持っています。
髪の毛は炎のように逆立たせて(炎髪と言う)、目をつり上げ、口を大きく開けています。
左足を外向けにやや広げて、踏ん張るように立っています。
Cテーブル
●聖観音菩薩
高さ23cmの立像で、素材はヒノキです。
観音菩薩には、十一面観音、千手観音、馬頭観音など様々な姿がありますが、聖観音菩薩(正式には、観世音菩薩)が基本の姿とされます。
衣をまとい、両腕からその裾が長く垂れ、首や胸・腕には小さないろいろな飾りがあります。頭の上には冠があります。
右手は下げて掌を前に向けています。左手には蓮華のつぼみを掲げるように持っています。
*聖観音菩薩の外観は、貴人の姿をしていて、釈迦の王子時代をモデルにしているとされ、ふつう、宝冠、ネックレス、イヤリング、腕輪などの装飾品を身に付けている。
*蓮華:煩悩を汚濁から取り去り、仏の心を開くという理想を象徴したもの。
●持国天
立像で、高さは36cmです。素材はイチイで、薄茶色で艶のあるすべすべした木肌です。
持国天は四天王の1つで、東方を守るとされます。(持国天は、「国土を守るもの」の意。四天皇はそのほかに、西に広目天、南に増長天、北に多聞天。)
鎧のようなものを身に着けています。お腹のあたりにベルトのようなものをしていますが、ベルトの前に小さな顔があります。左手を上げて、先が三つに分かれた長い矛を下向きに持ち、右手にも、肘を内側に曲げてお腹の前あたりで、小さな武器を持っています。
左足で邪鬼を踏みつけています(邪鬼はうつ伏せで顔は右を向いています)。
Dテーブル
●婆藪(ばす)仙人
立像で、高さは36cmです。触った時の第一印象は、全体に痩せさらばえた感じを受けます。素材は、ラオス産のヒノキで、木目がきれいだとのこと。
モデルは三十三間堂の二十八部衆の中の婆数仙人です。
上半身はほぼ裸で、左肩から斜めに条帛をかけているだけです。その表面には、肋骨が幾本もずらあっとしっかり浮き出、また背中の中央にもぼこぼこした背骨が伸びています。修行で痩せ衰えた姿のようです。あごひげをたくわえて頭巾を冠り、少し前かがみで、右腕を左脇に曲げ右手で杖をついています。そして杖を持った右手首の上に左肘を乗せ、左手に握った経巻を前に差し出しています。
足も裸足で、腰から下は衣のようなものが3枚重なっていて、2枚めは動物(鹿?)の薄い皮のようなのが垂れています。そしてその皮には、眼のような小さな窪みが2個あります。
私は、この像を触って、釈尊が若いころ厳しい苦行をして痩せ衰えた時の姿を連想しました。でも、婆藪仙人は、元々はヴァシシュタと呼ばれるバラモンの聖仙で、殺生の罪で地獄に墜ちたが、仏門に入り釈尊に救われたといわれています。釈迦の苦行時代の五人仲間の一人で、釈迦の教えを最初に理解した人、ということです。「私は読み終えたので、どうぞあなたも・・・・」と経巻を差し出して、仏道に入ることをすすめているようです。
また、婆藪仙人は、二十八部衆と言われる千手観音の眷族にも名を連ねています。二十八部衆は、東西南北と上下に各四部、北東・東南・北西・西南に各一部ずつ、計28部が配されるとされます。二十八部衆が具体的に何かについては文献によって異なるようですが、『面白いほどよくわかる仏像の世界 仏像の種類・歴史から鑑賞のポイントまで』(田中 義恭著)によれば、次の28が挙げられています。
密迹金剛力士(みっしゃくこんごうりきし)、摩醯首羅王(まけいしゅらおう)、那羅延堅固王(ならえんけんごおう)、金毘羅王(こんぴらおう)、満善車王(まんぜんしゃおう、摩和羅女(まわらにょ)、毘婆迦羅王(ひばからおう)、五部浄居天(ごぶじょうごてん)、帝釈天(たいしゃくてん)、大弁功徳天(だいべんくどくてん)、東方天(とうほうてん)、神母天(じんもてん)、毘楼勒叉天(びるろくしゃてん)、毘楼博叉天(びるばくしゃてん)、毘沙門天(びしゃもんてん)、金色孔雀王(こんじきくじゃくおう)、婆藪仙人(ばすせんにん)、散脂大将(さんしたいしょう)、難陀龍王(なんだりゅうおう)、沙伽羅竜王(しゃからりゅうおう)、阿修羅王(あしゅらおう)、乾闥婆王(けんだつばおう)、迦楼羅王(かるらおう)、緊那羅王(きんならおう)、摩侯羅王(まごらおう)、大梵天王(だいぼんてんおう)、金大王(こんだいおう)、満仙王(まんせんおう)
●布袋
立像で、高さは、台も入れて30cmです。素材は、ラオス産のヒノキです。
背中の後ろに大きく膨れた袋を背負い、首の後ろあたりでその袋の紐を交差させるようにして蝶結びのようにし、その紐の結び目に長い棒を斜めに通して、棒の先を右脇腹にはさみ右手で持っています。左手は、首のあたりに巻かれた帯のようなのをつかんでいるようです。
着ている衣は前が開いていて、ぽっこり膨んだお腹と胸が露出しています。そのお腹の真ん中で帯を結んでいます。
七福神は、置物として誇張したデフォルムで作られることが多いようですが、太田さんは布袋さんを、実在人物らしく、しかも下町で見かけられるような親しみのある姿をイメージして作ったとのことです。
また、太田さんは布袋さんのこの大きな袋について、「サンタクロースの袋のようでもあり、お経や衣服の他、鍋釜や食糧などの生活用品まで、何でも入る摩訶不思議な袋です。困っている人の悩みや恐怖なども終い込んでくれる、慈悲の袋でもあります。」と言っています。
*布袋は俗称で、本来の名は釈契此(しゃくかいし)。唐末(9世紀)の浙江省あたりに実在した僧とされる。素材のラオス産ヒノキは、古い建物に使われていた柱材を入手したものとか。年輪が細かくきれいらしい。
Eテーブル
●大日如来と不動明王の一心同体像
立像で、高さ37cmです。素材はヒノキです。
これは、太田さんのオリジナルの作品です。空海によりもたらされた密教の世界観では、大日如来は宇宙の真理・実相を表す根本仏とされ、すべての如来や菩薩・明王は大日如来の化身とされます。不動明王も大日如来が変身した姿であるという考えのもと、大日如来と不動明王が背中合わせになった一心同体像を制作したとのことです。
(このような作例はないので、まず小さな雛形を制作し、それも展示。)
大日如来は蓮華座に立っています(大日如来はふつうは座像で、立像の例はほとんどない)。左肩から右脇に向って斜めに衣を着け、胸や腕に飾りを着けています(如来は衣を1枚だけまとい装飾品を付けないのがふつうだが、大日如来はすべての仏と菩薩を兼ねていると考えられたため、他の如来と異なる姿であるべきとして、着飾っている)。手は胸の前で智拳印を結んでいます。頭には冠を着け、その冠の側面には大日如来の分身である5人の如来を表す梵字が彫られています。頭の後ろには円形の光背があります。
*智拳印:金剛界の大日如来の結ぶ印。胸の前で、両手とも親指を拳の中に握り、左手の人指し指を立てその第一関節までを右手の小指で握り、右拳を上にして重ねた形。右手が仏、左手は民衆(衆生)を表し、仏と民衆が一体であることを表している。
反対側の不動明王は、岩座に立っています。右手に悪を断ち切る剣を持ち、左手には羂索(綱の一端に重り=独鈷を、他端に鐶=環が付いた投げ縄のようなもので、これで悪魔を捕えたり苦しんでいる人々を救い上げたりするとされる)を持っています。顔は怒りの表情です。頭の後ろには炎が燃え上がったような形の光背(火炎光背)があります。
Fテーブル
このテーブルには、京都・東寺の講堂の向って左の部分にある五大明王のうち、中央の不動明王、右手前(東)の降三世明王、左奥(西)の大威徳明王が展示されています。
*東寺の講堂にある立体曼荼羅の簡単な配置図を用意した。中央に五智如来、向って右に五菩薩、向って左に五大明王、両端の4隅に四天王、その四天王の間に梵天と帝釈天の、計21の仏像が配されている。このうち、五智如来・五菩薩は実際の北西方向を北として、五大明王・天部は実際の北東を北として配置されている。五智如来は、中央の大日如来を中心に、東(右奥)に阿シュク如来、西に阿弥陀如来、南に宝生如来、北に不空成就如来。五菩薩は、中央の金剛波羅密多菩薩を中心に、東(右奥)に金剛薩タ菩薩、西に金剛法菩薩、南に金剛宝菩薩、北に金剛業菩薩。五大明王は、中央の不動明王を中心に、東(右手前)に降三世明王、西に大威徳明王、南に軍荼利明王、北に金剛夜叉明王。四天王は、東(右手前角)に持国天、西(左奥角)に広目天、南(左手前角)に増長天、北(右手奥角)に多聞天で、持国天と多聞天の間に梵天が、増長天と広目天の間に帝釈天がある。
●不動明王座像
台座と光背もふくめて、高さ46cmで、素材は座像本体がクスノキ、台座と光背がヒノキです。
段をいくつも組み合せたような瑟々座という台の上に、両足裏を上に見せるあぐらの姿勢(結跏座)で座しています。肩幅が広く堂々とした体躯です。
*瑟々座:角形の材を井桁状に積み重ね、立面中央がしぼられた形にしたもの。岩の堅固さ・磐石を象徴し、不動明王に用いられる。
右手に剣を持ち、左手には重りの付いた投げ縄(羂索という)を持っています。目を開き、下唇を上歯で噛み(牙が下向きに出ている)、憤怒の表情のようです。髪は一束にまとめて左肩に垂らしており、また頭の上には蓮華の形の冠(頂蓮という)が乗っています(羂索で救い上げられた民衆は、髪まで垂れた髪の束をよじ登って、仏の世界を表す頂蓮にまで導かれるという)。
像の後ろには、炎が燃え上がりたなびいている形の大きな火炎光背があります(光背をはずして触ってみると、像の頭の後ろ辺に鳥=迦楼羅?のくちばしらしきものがある)。
●降三世明王
高さ25cmの立像で、素材はクスノキです。
「3つの世界(過去・現在・未来の三世、あるいは欲界・色界・無色界の三界)を降伏(ごうぶく)させるもの」という意味から降三世明王と言われます。起源は、ヒンドゥー教の破壊と創造の神シヴァ神のようです。
3面8臂(ひ)のすごい形です。顔は正面と左右にあり、正面の顔には両目のほかに額にも目があります。髪は逆立てています。4組ある手のうちの1組は、胸の前で左掌を前に向けた状態で右手首を左手首の後ろにして左右の小指をからませるという独特の印を結んでいます。その他の手には、左側の手は上から鉾、弓、白蛇(索)を、右側の手は上から三鈷、矢、剣を持っています。
さらに、左足で大自在天(シヴァ神)を、右足で烏摩妃(シヴァ神の妃のパールヴァティー。シヴァ神とともに、仏教に反抗したとされる)を踏みつけています。大自在天と烏摩妃は、ともに仰向けになり顔が外側になっていて、大自在天は口をぎゅっと閉じ、烏摩妃は口を大きく開けてなんだか喜んでいるようにも感じます。
●大威徳明王
高さ27cmで、なんと大きな水牛にまたがっている像です。さらに、6足、6手、6面の異様な姿です。(正面の顔には眼が3つあります。足が6本もあるような像は大威徳明王だけで、六足尊とも呼ばれます。
閻魔をも打ちのめす大威力を持った明王というような意味で、大きな水牛にまたがり、水牛が泥水の中を自由に歩き回るように、あらゆる障害や悪を乗り越えて進んでいくことを表す姿です。
3組ある手の1組は、胸の前で左右の中指を立てた状態で手の平を組み合わせた印を結んでいます。その他の手は、左側の手は上から、鉾、白蛇(索)を、右側の手は上から剣、宝棒を持っています。
(2016年12月24日)