触る研究会・触文化研究会第9回報告

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日時: 2005年7月2日(土) 13:30〜15:30

場所: 盲人情報文化センター 2階ワークセンター作業場

参加者: 16名(内、全盲4名)

◆展示品
 今回はいくつかガラス作品を用意しました。ガラスと言えば、つるつるしたコップなどを連想しますが、形も感触も多種多様な表現が可能なようです。

●日本のかたち(花器。細井基夫作)
 高さ30cmほどのオブジェ風の花器。大きな膨らみと凹み、つるつるした表面と、それをあちこちで削り剥がしあるいはえぐり取ったようながたがたの部分、とても変化に富んだ作品です。見ても触ってもいろいろに鑑賞できるのではと思い、容意しました。

●ガレ風花瓶
 高さ20cmくらいの花瓶の表面に、バラとチョウが浮き出しで表現されている。バラは葉、とげのある茎、花(蕾のものから大きく開いたものまで)が表わされ、花の回りに3匹のチョウがいろいろな姿で表わされている。(チョウの触角など、浮き出しのもっとも高い部分はつるつるしている)

●タイ・チェンマイのガラス製の動物たち
 いずれも5cm内外のミニチュアサイズ。小さいが特徴はよく表現されていて、注意して触知すればよく分かる。縁取りや角、文様などは、22金で金メッキされている。
 今回はゾウ3種とチョウを用意しました。
 ゾウは、立って鼻を上げている姿、座っている姿、鼻で丸太を巻いて持ち上げている姿のものです。1種の動物について、いろいろな姿勢を触り比べてみてはとの意図です。なお、参考のためにゾウの大きな精巧な模型も容意しました。
 チョウは羽を広げた姿で、羽の文様や触角、さらに下に向いたくちばしのようなのも分かります。ガラスでこのような薄く細かい細工ができることに感心します。

●その他
 さくらをイメージしたネックレス(繰井みちる作。1cm弱の5弁の花3個と、数枚の葉)、小さな花瓶に入った5本のスズラン、鹿と雪だるまとクリスマスツリーのセットなど。
 (ガラス製品以外に、大きな革製の馬の模型、いろいろな形の5種のお面のセット、20種の虫のセットなども、いろいろな方の協力でその場で展示できました。これらにも皆さん多いに興味を持っていただけたようです。)

 以下、皆さんの感想をいくつか紹介します。

NSさん
 日本のかたち: 「はじめ私の方向からは上がふくらんで下がすぼんだ安定性の悪そうな花瓶としか見えませんでした。色も上が青で下が透明のようで、なおさら地震が来たら直ぐ倒れるかもなどと思っていました。触ってみると重量感があり、上と下の手触りも違い触りごたえのあるものでした。」
 バラの花瓶: 「これもはじめバラの絵が描いてあるものと思っていました。蝶やつぼみやとげもついていて見ても触ってもいい感じでした。」

TTさん: 「象シリーズなど、モチーフが一緒のものを触り比べするのも個人的にはとても興味深かったです。」

TNさん: 「私は「触って味わう」作業の時は、ほぼ目をつぶっているのですが、そうすると目をあけてそれを見ていたときとはまた違った不思議な感覚に襲われることがあります。今回の花瓶「日本のかたち」などは特にそうでした。」

TKさん: 「ガラす製品は、とても嬉しかったです。もっと触っていたかったです。」


◆テーマ: 視覚障害児の環境認知の特徴
 今回は、視覚障害児は、触覚や聴覚など視覚以外の感覚、あるいは残存視覚を使って、自分の身体や周囲の物や人とどのように関わりをもっているのか、というテーマを考えました。視覚障害の人には、視覚中心の環境認知とは異なった独自の方法・戦略が当然あるはずです。
 しかし、これだと内容があまりに広過ぎますので、今回はまず実際に視覚障害児の指導に関わっておられる辰己さんの報告から始めることにしました。

1 辰己恵美子さんの報告
 辰己さんは、現在ある教育大学の大学院に在籍しており、週に二日、大阪近郊の、視覚障害乳幼児生活訓練室の非常勤講師もしている方です。
 教室での子どもたちの様子を主に遊びを中心に報告してもらいました。視覚だけでなく他の障害を合せ持つ子どもたち、そして子どもたちとその親や兄弟たちとの関係なども見えてくるような報告でした。

(以下は、当日辰己さんが配布したレジメの加筆・修正版です。公開に当たって、一部省略・改変しています。)

テーマ:「子ども」と「遊び」を考える

●はじめに
 日頃身近に接している全盲や弱視の子どもたちの例を紹介しながら、私が行っている療育施設の現状をお話した上で、見えない・見えにくい子どもたちやその親御さんたちとどのように関わっているのか、また、子どもたちが教室の中でどのような遊びを好んでしているのかなどについてお話する機会をいただきました。
 視覚障害児の美術表現や幼児学について学びながら、平日に大阪近郊にある、視覚障害児訓練室で今年4月から非常勤講師をしています。
 教室では子どもたちとの遊びの中で、手指の操作や身体機能を高める動作をしたり、個々の持つ残存視力を使って見る癖をつけるようにと、思わず触ってみたくなるような面白いおもちゃや教材を用いながら、子どもたち自身の興味を引き出し、身体的な動きへと促すような関わりをしています。

●教室に来ている子どもたちの紹介
  教室自体が療育施設ですので、正規の対象児童は就学前の乳幼児となります。
 4月以降に発達相談や継続で来ている子どもたちは年齢も障害種も様々で、生後11ヶ月の乳児から7歳の盲学校小学部3年生の子どもたち合わせて11人です。障害種についてみて見ると、直接の原因を未熟児網膜症としているのは7人で全体の6割を占めています。その他には網膜芽細胞種や眼球振蕩、水痘症、盲ろう重複などを持つ子どもたちが来ています。
 また、昨今盲学校や特殊学校に就学している子どもたちの障害の重度・重複化が言われているように、教室に来ている子どもたちの特徴もまた同じことが言えます。
 以前は単一盲の子どもたちが多く、糸通しの練習やお人形を使った洋服の着せ替えや蝶々結び、点字の勉強をしていた記録がありますが、現在通っている子どもたちの中でそれらを楽しみながらできる子どもは少なくなっています。
 半数の6人が未熟児出産による脳性マヒ(CP:Cerebral Palsy)や身体的発達の遅れが見られ、見えないという状況に加えて、言葉を発することが困難であったり、指や腕、両脚に極度の緊張があり思ったまま自由に動いたり感情表現することも難しいようです。
 このように、十人十色の子どもたちとその親御さんが、理学療法や通級による教育相談と並行しながら、月1〜2回のペースで教室にやって来るという毎日です。

●ある一日のスケジュール

朝9時 出勤
 教室の掃除など行う

朝10時 教室オープン
 おもちゃの修理、教材作り
 ある盲学校の通級担当の先生が来て学校での子どもたちの様子を教えてもらうなど、教育現場と療育施設としての関わりの違いなどに気づく機会となっています。

午後1時 
 威勢のいい声と共に子ども登場!!(時には寝ていることもありますが…。)
 小学部帰りのAさんとお母さん、妹さんがやってきた。未熟児網膜症と股関節に強い麻痺のあるAさんは発声がうまくできない。Aさんのお気に入りトランポリンの上で血流循環のマッサージを行う。その合間に、お母さんから最近の様子を聞いたり、元気盛りの妹さんと遊んでいます。ご機嫌な時は「ケケケケ・・・キャッキャ」とAさんの笑う声。嫌な時は、眉間にしわを寄せて表情で示します。
 しばらくして、Aさんの大好きなおもちゃ「アンパンマンキーボード」をトランポリンの上にのせると鼻のスイッチを押して膝や胸、お尻の全身を使って音を出して遊んでいます。髪を振り上げて一心不乱にピアノを弾く(押す!?)様は、まるで一流演奏家のよう。妹が意地悪して取り上げてしまうと手こそ伸ばしはしませんが、眉間にしわを寄せて困った顔をしつつもトランポリンの振動がくるので遊んでいるつもりなのか、楽しげな表情も混ざっています。

3時頃 おやつの時間
 大好物の「かっぱえびせん」の袋を揺らすと少しソワソワ動きが大きくなって、鼻にお菓子が近づくと手でグッと握って口に放り込みます。袋から指で取り出すことは難しいので、ガサッとこぼして服もえびせんまみれになってモグモグ食べています。

3時半ごろ
 小学校4年生のBさん(弱視)とお母さん、お姉ちゃん(緑色弱)がやってくる。
 本当は対象外ですが、乳児の頃からのお付き合いということで、他の乳幼児さんが来ないこともあり、学校の勉強を見ています。数の概念の理解が難しく、指を指しながら数えることはできるけど、抽象的な内容になるとわかりにくい様子。目が見えにくいこともあって、文を構成している字に集中していると、内容を忘れてしまったり、つい先ほど読んだ字を忘れてしまったりの繰り返しでストレスが溜まってしまう。友達が解けているのに自分は読むことに手こずって…と勉強に限らず、友人関係や自信にも影響しているとの事だった。Bさんもお母さんもよく考えた末、この4月からBさんは普通学級からなかよし学級(養護学級)に席を移している。

4時半 探検タイム
 勉強も終わり、自分の足で歩ける子なら兄弟そろってワクワク館内探検に出かけます。一人遊びばっかりしていたお姉ちゃんや妹も退屈だったのか脱兎のごとく駆け回っています。

5時 教室の片づけ、戸締りをして終了。 


 このように、その子自身の「見え」や「発達」を取ってみても、まさに十人十色の子どもたちが集まる視覚障害児訓練教室となっています。子どもたちの興味に合わせて歌ったり、リズムをとって足を動かしてみたり、運動機能の発達や語彙・言葉の発達を促してゆくことを主な仕事としています。
 しかし、同じくらい大切なこととして私たちが取り組んでいることは、その子どもと毎日顔を合わせて対話し、一緒に生活しているお母さんや兄弟の心の内を感じることではないかと話しています。
・生まれてきた子どもに障害があるという事をなかなか受け容れられないお母さん。
・血縁やご主人の手助けももらえないご家族。
・双子のうち障害を持たずに生まれてきたお姉ちゃんやその兄弟。
 それぞれが色々な想いを胸に教室へやってきて関わり合っているわけで、子どもを含めた家族全体の健やかな生活を応援していくことが良い循環を生むのだろうと考えています。
 ご両親の息抜きの場でもある教室。お兄ちゃん・お姉ちゃんにとってお母さんとの距離を確かめる時でもあるこの時間。それぞれの想いを大切にこれからも関わっていきたいと考えています。

 本題でした「おもちゃ」や「遊び」について内容が薄くなってしまったので、以下に面白ワクワク新刊図書のご紹介をさせていただきます。
子どもの発達の面から考察したもの: 岡本夏木著『幼児期―子どもは世界をどうつかむか―』岩波新書
田中農夫男編『シリーズ障害者の世界3 目の見えぬ子の遊び』明治図書 (これは古いので手に入らないかもしれません)

 拙い話に耳を傾けていただいた参加者の皆様、本当にありがとうございました

(報告ここまで)

 研究会参加者には、一般の小・中学校に通っている視覚障害児の教科書を点訳している方が多いです。私もふくめ皆さんが知っている・関わっている視覚障害児は、視覚だけの障害で点字を使える人たちばかりなので、辰己さんの報告はこれまでほとんど知らなかった重複の視覚障害児の実状の一端にふれる良い機会になったようです。また、視覚障害と言えば点字とすぐ結び付けがちですが、点字や点訳絵本を使わないあるいは使えない視覚障害児の学習や遊び方などについて考え気付かさせてくれる良い機会になったと思います。

 以下、2名の方の感想です。
THさん: 「点訳の世界、しかも対象者と直接接触する機会の少ない世界しか知らない私は、「そうか、視覚障害をお持ちの方に必要なのは、点字だけじゃないんだ」と、今更ながら認識を新たにしました。」

FRさん: 「普段、あまり聴くことのできない内容の報告で、良い企画だったと思いま す。時間があれば、子供たちの好んで触るものと、触れたがらないものなど、もう少し詳細を知ることができたらよかったと思いました。」

 辰己さんの上の報告でははっきりとは書かれていませんでしたが、辰己さんがお話しになった、親と、障害のある子と障害のない兄弟たちとの関係には、皆さん心を動かされているように思いました。多くの場合親とくに母親は障害のある子に係り切りになりがち(あるいはそうならざるをえない)ですが、その場合他の兄弟たちと親の関係、また障害のある子とない子たちとの関係は、ある程度問題は分かりつつも実際なかなかどうしようもないという難しい面があるようです。言い換えれば、障害のある子は、しばしばそういう特殊な親子関係、兄弟関係の中で成長していっているということです。

 以下、私が感じたことを少し書きます。
 弱視のBさんは文字を読み取るのがとてもたいへんで、おそらくそれが障害になって勉強がうまく進まないようです。どんな文字にしろ、1字1字ゆっくり読み取るのではなかなか知識の獲得には便利な手段とはなりにくいのではないでしょうか。点字にしろ墨字にしろ、読み取りが遅くて前に読み取ったこととつながりにくい場合には、付いている人がそれまでの内容を何度でも繰り返してやる、そうするうちに、ときには推測読みもできることもあると思います。1字1字読み取るという基本とともに、私は外れてもいいから推測読みをどんどんできるようにしたほうが伸びると思いますが、どうでしょうか。
 それと、今は文字にあまりに大きく偏っている気もするのですが……。意味が分かるかどうかはあまり気にせず、同じ話を何度も繰り返すとかすることで、記憶を頼りにする力を伸ばすことはできないだろうかなど考えていました。(私なりの経験からこんなことを書いていますが、他の障害児についての実践経験のまったくない者の考えることですから、的外れかもしれませんが。)

 辰己さんの報告については、FRさんからも、時間を置いてAさんやBさんのその後の変化について経過報告をしてほしいという要望がありました。ぜひそのような機会を持ちたいと思っています。


2 研究会参加の視覚障害者のお話
 次に、この報告をふまえ、研究会に参加している視覚障害者の方数名から、自分たちの子ども時代を振り返って、主にどんな環境でどんな遊びをしていたかについてお話ししてもらいました。
 以下、当日のお話しと後からいただいたメールより、私をふくめ4名の話をまとめました。(参考のために、各人の小さいころの視力についても付け加えました。)

●小原 (当時の視力: 光覚ないし眼前手動弁。色はなんとなく明るい色と暗い色の違いのようなのが分かったような気がする。大きな物の存在は視覚でも分かっていたと思う。)
 時代は50年近く前、育った所も青森県の田舎の、戸数10軒の山間の小さな村と、今とはまったく環境が異なる。
 幼稚園など聞いたこともなく、村の子どもたちは小学校に行くまではただ遊ぶばかり。両親は私のことをとても心配していたが、盲学校の小学部に行くまでは村の子どもたちの中でそれなりに遊んで過ごした。
 でも、たぶん全部をいっしょにできなかったためだろうと思うが、家の中とか山の中でただひたすら待っていることも多かった。その待っている時も、家の中ではいろいろ探検したりひたすら柱時計の刻む音を聞いたり、山の中では手を使って這うようにしながら少しずつ動いたり、ただじっと風や陽射しの変化を感じたりしていた。
 子どもたちといっしょの時は皆といっしょに走り回っていた。もちろん落ちたりぶつかったりも多く、危険もいっぱいだっただろう。おかげで落ち方やぶつかり方はとてもうまくなったようだし、微妙なバランス感覚もよくなったと思う。
 子どもたちはときには見えないことを理由に馬鹿にし、けんかの時は目や顔をねらうなど残酷な面もあったが、子どもたちは忘れやすく、またたぶん兄や姉・妹の助けもあってかすぐいっしょに遊んでいた。
 一番好きな遊びは泥遊び。夏は川遊び、冬は竹スキーや雪遊び。けんけんやビー玉など、ルールが分からないまま、とにかくみんなのしているらしいことを真似たりときには手で教えてもらいながら付いて回っていたことも多かった。
 3歳違いの妹が私の手引をよくするようになった6歳くらいには、時々女の子の中で遊んだりもしていた。
 盲学校に行ってはじめて積木や動物のぬいぐるみなどを知った。積木は、同学年の弱視の子が家などを作るのを触って真似して遊んだりしたが、動物のぬいぐるみは形を触るというよりは毛をむしるなど壊すほうに興味があった。
 盲学校に行くようになってからは、夏休みなどときには近所の子どもたちと遊ぶこともできたが、だんだんチャンスが少なくなっていって、小学4年生くらいの夏休みにいっしょに筏を造りこわごわ川下りをしたのが最後のいい思い出になっている。

●TKさん (当時の視力: 指数弁。色の区別はだいたいでき、物の輪郭はぼんやりとだが分かったようだ。)
 近くの一般の幼稚園に入園。下駄箱の位置を分かりやすいように角にしてくれるとか、シールを張る場所を回りの園児達が教えてくれるとか、先生や園児たちの配慮がスムーズになされていたようだ。
 お母さんの顔などの絵を描くとか、積木で四角や三角など簡単な形を組み合せるとかなどしていたとのこと。
 年長さんの時、先生が園児たちの前で折紙の仕方をただやって見せるだけだったので困ったことがある。(ということは、それまではたぶん手をとって教えてくれていたのではないかとのこと。)

(以下は、TKさんがご自身の小さいころの遊びの特徴について書いてくださった文章です。)
 「今振り返ってみると、私は、小さい頃よく遊んでいたものは自分の周り、とくに手の届く範囲に留まっていたように思います。
 例えば折り紙、ビーズ繋ぎ、積み木、ままごと、それに手や指を使って遊ぶもの(綾取りとかトランプ)。
 だから手触りのいい物、触った後の手のひらの後味がいい物が好きだったのだと思います。
 もちろん匂いも重要でした。
 ボール投げや輪投げなど、結果が遠くでしかわからないようなものは、好きではありませんでした。
 周りの人に教えてもらうことはできましたが、やはり、自分で輪投げの輪がちゃんと的に達したかどうか実感できないのは、はがゆく感じていたのだと思います。
 家の外でも、手を離さなくてもいい物、ブランコや鉄棒やジャングル・ジムはすきでした。」

●FRさん: (当時の視力: 右0.01、左指数弁)
 3歳から大阪府盲の幼稚部に入学、週2回通っていたとのこと。
 ブロック、犬のぬいぐるみにコードが付いている電話、人形ごっこ、鬼ごっこ、砂場遊び(とくにいろいろな形のカップなどを使って型を作る)、チョークで地面に線を描くなど、楽しそうにお話ししていました。
 FJさんは初めての参加で、次のように書いておられます。
「小さい頃の遊び方について、みなさんにお話しするために、自分の小さい頃のことを改めて思い出し、とても懐かしかったですし、また、他の方の小さい頃の過ごし方もとても興味深かったです。」
 (私はこのように自分の小さいころのことも振り返り、自分なりの生活史・誌のようなものを編んでいくような作業はとても有意義だと思っています。)

●ADさん: (当時の視力: 左0.01、右0。大きな文字は判別できたようです。視野はとても狭かったとのこと。)
 弟さんの行くことになった園にいっしょに行こうとしたが、入園拒否された。いろいろな経緯のすえ、園外で園児と遊ぶことが事実上許されるようになったとのこと。
 よく男の子とも遊んでいたようで、自転車も乗り回すなど、かなりラフな遊び方をしていたようです。
 また、目の使い方や色の細かい違いなどについてはお母さんから丁寧に教えられていたようで、いわゆる生活視力はかなりあったようです。
 小学校はなんとか地域の学校に行くことは許されたが、「見えない」と言えば盲学校に行かされそうなので、とにかく無理をして見えることで通そうとしていたようです。本当にたいへんだったと思いますし、辛い体験も多かったようです。

 以上、今回参加した4人の視覚障害者の小さいころの環境と遊びについて、不十分とは思いつつ、まとめてみました。
 そんなに無理をすることもなく、近くの一般の幼稚園あるいは盲学校の幼稚部に通われた方、かなり無理をして一般の保育園や学校に通おうとして辛い体験をいろいろされた方、私のようにそれまでの環境と盲学校の環境のあまりの違いにすっかり不適応を起してしまった者と、まったく4者4様というしかないほどの違いが明らかになりました。
 参加者の感想も、このような違いに多いに興味をもたれたというものが多かったです。

 辰己さんの報告および視覚障害者4名のお話を通じてほとんど話題にのぼらなかったことなのですが、私は特別の遊び空間や玩具などとともに、実際の生活の中でどんな小さなことでもいいですから障害のある子も果たすような役割があること、発見してやることはとても大切なことだと思います。
 私も両親からは他の兄弟たちとは違って特別に扱われていたのですが、それでも盲学校に入る前から食器洗いをよくしていて、盲学校に入ってからも休みに家に帰るとそれが私の仕事になっていました。食器洗いはたぶん私の手の動きをスムーズにし触覚も敏感にしてくれたと思います。また、自分になにかするべきことがあるというのは、いろいろ辛いことがあるにしても自分を支えることになります。本題からは外れてしまいますが、障害の有無にかかわらず、このようなことは大切ではないでしょうか。

*今回の「視覚障害児の環境認知の特徴」については、まだまだいろいろな観点から検討してみたいテーマです。できれば今後もこのテーマの続きをしてみたいと思っています。


◆次回の予定
 今のところ、10月末ころ、靫公園での植物観察を計画しています。そしてできれば、靫公園近くのギャラリーも訪問して少し陶器などの作品も観賞できればと準備中です。
 また、展示品としては、次回には間に合わないと思いますが、布を使ったいろいろなものを用意するつもりです。

(2005年7月22日