触覚を通じてみた世界(改訂版)

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◆はじめに

 昨年10月末から今年3月初めまで、計10回にわたって「視覚障害者とのパートナーシップをめざして」と言うテーマでボランティア連続セミナーが日本ライトハウス盲人情報文化センターを会場に開催されました。これは、その第9回目(2月23日)に私が行なった講演の要旨です。
 このセミナーの講師陣は、私を除いて、例えば東大先端研の福島智さんなど多くの実績を持ちまた経験豊かな方ばかりです。私のような非力者がこのような機会を与えられることはめったに無いことなので、ついできるだけ多くの事を話そうと思い準備しましたが、時間に追われて十分意図が伝わらなかった部分もあったように思います。そういう点もふくめ、当日のレジメに大幅に加筆して公開することにします。

*この改訂版は、講演当日には時間がなくてまったく述べなかった実例、講演後に調べて明かになった事などを加筆したものです。

◆目次

1 私の紹介
2 視覚以外の感覚への注目
3 触覚の特徴
4 触覚を通じて見た世界
5 まとめ
資料
各感覚で楽しむ芸術ないし様式
関連年表
主な参考文献とURL

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1 私の紹介

 まず初めに、これまでの私の歩みを振り返りつつ、触覚に注目する私の立場をそれなりに明かにできればと思います

●生れた環境
 私は昭和26年、青森県十和田市の市街地から10数キロの谷間の戸数10軒ほどの小集落に生れました。
 両親は生後3ヶ月で私の目の異常に気付きほとんど恐慌状態になりながら、何とか治療しようとあれこれ試みたようです。私の記憶にあるのは、光の明暗と、なんとなく明るい色・暗い色が分かった程度です。見えない事は私にとってはごく当たり前のことで、親は目のことを心配して私の行動をいろいろ制限しようとしたようですが、私は道を自由に走り回り、豊かな自然の中で近所の子供たちとも遊んだり喧嘩をしたりしていました。喧嘩の時は、しばしば「めっこ」(「めくら」のこと)とからかわれたり、たまには目をやられたりして、そんな時はほんとうに悔しい思いをして、石を投げたりして対抗しました。でも全体としては、自由に振る舞うことのできた、明るい子供時代でした。
 とくに印象に残っているのは、走り回っている時に急なスピードの変化で身体に感じる力とか、ハンドル付きの橇でカーブしている坂を滑り下りる時に感じる外側への力とか、そういう身体に感じる慣性力とか遠心力とかで、そういう感覚へのあこがれは今なお潜在しているようです。

●盲学校
 私は学齢の6歳で盲学校に入り、それから12年間寄宿舎で生活することになりました。
 盲学校に入る前と後とでは、私にとっては、表現がおおげさかも知れませんが、「光」と「闇」と言えるほどの大違いでした。
 寄宿舎では当初、20畳余りの部屋に20人くらいが一緒で、その多くが私よりかなり年上でした。それまで兄妹や近所の子供たちの中でかなり自由に振る舞い喧嘩もしてきた私は、すること全てを制限されました。さらに、どういう訳か夜尿症や吃音がかなりひどくなり、そういうマイナス面も加わってとても厳しい抑圧的な状況に置かれました。(もちろん私は例外的なほうで、多くの人は寄宿舎でもそれなりに明るく過ごしていたように思います。)
 そして1年くらいすると、私はほんとうに「音無し子」になってしまいました。ただ独り半日くらいじっと座っているとか、一人で本を読んだりあるいは校庭などを這い回っては草や石やいろいろな物を触って過ごしました。こうして、一方では内部の世界に閉じこもり、他方では周りのいろいろなものを触っては心を和ませていたように思います。
 一時期叛逆的な行動に出たこともありますが、結局は盲学校で過ごすしかありません。中学のころには、宇宙や原子、光といった、現実の自分とは懸け離れた、そして何となく美のようなものを感じさせる世界に興味が集中するようになりました。

 以上のように、私の子供時代を振り返ってみると、身体的な感覚の記憶、触覚を使った周りの世界とのふれあい、異世界への憧れ等が重要な要素になっているように思います。

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2 視覚以外の感覚への注目

 現代の視覚にあまりにも依存した社会・文化において、見える人たちの中にも視覚以外の感覚に注目する人たちが増えています。

●ダイアログ・イン・ザ・ダーク
 日本語の定訳はまだ無いようですが、「暗闇の中の対話」と言うのでしょうか。まったく光の無い空間の中で、見える人たちが、杖を持ちながら聴覚や触覚を頼りに視覚障害者の案内で森や街や砂浜などを再現した環境を体験することで、ふだんはあまり表に出てこない視覚以外の感覚に気付き、視覚中心の世界の把え方等を改めて問い直してみようというような企画です。
 1989年にドイツのアンドレアス・ハイネッケ(全盲)が提案し、これまでに世界で100回以上開催されています。日本でも1999年から今までに4回開催されています。
 私がとくに興味を持ったのは次のふたつです。
 2000年からハンブルグで3年間におよぶ長期のプログラムが行われていますが、その第一の目的は、職に就いていない視覚障害者の彼らの特質を活かすことにより、新たな雇用を創出することだそうです。視覚障害者の特質のすばらしい活用法ですね。
 それから、ダイアログ・イン・ザ・ダークの参加者の多くは、十分予想されることですが、少くとも初めは方向感覚や距離感がまったく取れず、恐怖を覚えるのが普通のようです。ところが、そんな中にあって、長年音の定位の研究をしていたという方は、周りの世界が感じられなくなるというような感覚・恐怖感はまったくなかったと言っています。これは、視覚以外の感覚について、見える人と見えない人との違いは、ただその有効な使い方にどれだけ気付いているか、ということだけだということをよくかたっているように思います。

●音風景
 ここで言う「音風景」とは、音を聴いて頭の中で描くことのできる空間の広がりやその配置状況を言います。
 「音風景」と言うと、最近、と言っても1996年ですが、環境庁が選んだ「日本の音風景100選」を思い出す方もおられると思います。この場合の「音風景」は「全国各地で人々が地域のシンボルとして大切にし、将来に残していきたいと願っている音の聞こえる環境」のことで、カナダの作曲家M.シェーファーの「サウンドスケープ」の概念に由来しているようです。ですから、私が今ここで考えている「音風景」とはだいぶ意味合いが違うのですが、ただこのような選定の動きにも、いわば目映いばかりの視覚中心の人工的と言える世界が肥大化する中、ともすれば忘れ去られがちな地域の文化・生活環境に組み込まれてきた〈音〉への注目を見て取ることができます。(昨年環境省が選定した「かおり風景100選」も、同様の動きだと言えるでしょう。)
 音風景については、何と言っても三宮麻由子さんの『そっと耳をすませば』がお奨めです。音から知ることのできる世界のひろがりと豊かさに、皆さんきっと魅了されると思います。
 残念ながら私は音には鈍感なほうで、私の音風景は三宮さんのものとは比べるべくもありません。それでも、例えば近くの川原を散歩している途中立ち止まって耳をすますと、水の流れ、向こう岸で遊ぶ子供たちのざわめき、向こうからこちらへ高くあるいは低く飛んで来る鳥の鳴声や時には羽音、大きな水鳥がたまに飛び立ったり着水する音、土手の斜面に生えている背の高い雑草の風にそよぐ音、前方の陸橋を通過する電車の音など――そういった様々な音から、空の高さも空間の広がりもものの動きも十分感じ取ることができます。
 ここで、神奈川県立生命の星・地球博物館の学芸員たちが行った実験を簡単に紹介します。
 川の源流から河口にいたる各地点の音などを見える人たちと見えない人たちに聴かせて、その音の出ている環境を推測してもらう実験です。見えない人たちのほうが成績が良いだろうと予想していた訳ですが、結果はかなり違っていました。当然と言えば当然なのですが、見える・見えないよりも、各人の経験の差のほうが大きく影響しているようでした。
 私がこの実験で興味深かったのは、見える人たちの中に、滝の音のように、音からだけだとその環境を正しく推測できなくても、映像とセットだと正しくその音を聞き分けることのできる人がいることです。これは、いろいろな感覚の中で視覚優位の統合が行われている例と観ることができます。この人たちは潜在的には音を聞き分けている訳で、たとえ見えなくなっても、ちょっとした訓練で音から正しくその環境を推測できるようになるはずです。

●触覚への注目
 最近一部の哲学者(中村雄二郎等)や彫刻家(佐藤忠良等)が、人間の基本的と言うか本源的で基層的な感覚として、広い意味での触覚に注目しています。また、「関連年表」を見ていただいてもおわかりのように、1980年代から日本の美術館や博物館も、触ることにも配慮したいろいろな試みをするようになりました。もちろん見えない人たちのことが念頭にあるわけですが、より深くと言うか、見える人たちのものの見方を問い直してみようという明確な意図も見て取れます。
 ここでは、皆さんご存知の河合隼雄さんの文章(資料1)を読んでみましょう。[私が実際に読みました]
 改めて説明するまでもありませんが、心と心の触れ合いといった、人間存在のより深い部分で触覚の果たす重要性が述べられています。

●常識を疑う

1)視覚障害者の触覚は優れているのか
 見える人たちはしばしば見えない人たちは自分たちよりも触覚が優れているだろうと思っているようで、実際私もそのように言われたりします。しかし、見えない人のほうが優れているとすれば、それは、生理的・物理的な意味で触覚そのものではなく、触覚を利用した認知力=触知能力です。
 これもまた生命の星・地球博物館の学芸員たちが行った実験なのですが、ごく簡単に紹介します。見える人たちと見えない人たちを対象にしたアンモナイト(レプリカをふくむ)の触察実験です。実験結果によれば、最初の触った感じ(触感実験)では両者にあまり差は見られませんでした(見える人たちの触覚は予想に反して良かった)が、化石の立体的な細かい構造などについては見えない人たちの触知能力の良さが認められています。
  触知能力は、手や指の動かし方、部分と全体との関連付け、記憶力や構成力、連想や推理や論理的能力、言葉の理解力やそのイメージ化、視覚的なイメージ化等を総合した多面的で高度な能力で、見えない人たちは経験や訓練を通じて時間を掛けてこうした能力を身につけて行くわけです。
 同じようなことが、いわゆる「障害物知覚」(壁などの存在を少し離れた所から知る能力)についても言えます。これは見えない人に特有の、ちょっと不思議な能力と思われがちですが、途中で見えなくなった人たちの中にも、数年ないし十年もすればこのような能力を身につけている人がかなりいます。見えなくなったからといって聴覚そのものが良くなった訳ではありませんから、これまでまったく気が付かなかった音波の利用の仕方を修得してきたからだと言えます。
 なお、見える人たちがこれは触覚でとてもよく分かるだろうと思うような場合でも、実際にはかなり識別しにくいことがあります。たとえば、ごく細い線で彫られた文様などです。同じ線でも、触覚では凹よりも凸のほうがずっと分かりやすいです。

2)先天盲には視覚的なイメージを理解できないのか
 まず「先天盲」という言葉についてですが、文字通り生まれつきまったく見えない人たちだけを指しているのではありません。先天盲の定義にも幅がありますが、だいたい4、5歳くらいまでに全盲になった人たちは先天盲に入れていいようです。視覚経験の記憶をまったくもたない、あるいはごく限られた視覚経験の記憶しかもたない人たち、と言っていいでしょう。私もこの部類に属しています。
 このような人たちが目の見える人たちの視覚の世界あるいは視覚的なイメージの世界をどんな風にまたどの程度理解できるのか、私ははっきりした答えを持っていません。ただ、見える人の中には、初めから見えない人に色や景色の話をするのはたいへん失礼なことではないでしょうか、とおっしゃる方がたまにいます。私は、そんなことはありません、と応えて、いろいろ周りの景色などについて説明をもとめています。
 もちろん私は見える人たちと同じようには色や景色を理解できません。でも、景色の説明から頭の中で空間的な配置や動きをある程度思い浮べることはできますし、色についての話からも私なりの色のイメージやコントラストなどを少しは想像できます。そして何よりも大切なことは、私が見える人たちのこのような視覚で把えた世界についての話から私なりに視覚的イメージを理解する方法を学んできた、ということです。先天盲であっても、その人なりに視覚的なイメージにアプローチできると思っています。
 もう20年ほど前の研究ですが、中学生を対象に、目の見える人と見えない人(全盲および弱視)がそれぞれ〈自然〉をどのように概念化・イメージしているかについて、連想法を用いて調査した研究があります。〈自然〉に関連した20の語について、それぞれどんな語を連想するかを自由に書いてもらい、それを詳しく分析しています。結果をごく簡単に言いますと、見えない人たちは見える人たちに比べて、まず連想する語数が少なく(とくに色などに関連した視覚語が少ない)、その連想した語も刺激語の内包に当たるもの(鳥にたいして羽・巣など)がほとんどで外延にあたるもの(鳥にたいして木・山など)は希だということです。結論として、見えない人たちは〈自然〉を1つの連続的な風景ないしは構造化された総体としてイメージできていない、イメージするのは難しいのではないかとされています。(なお、全盲群と弱視群との違いについてはあまり述べられていません。)
 このような結論について、それが自然をいわばパノラマ的にイメージできるかどうか、ないしはイメージし易いかどうかというような限定された話としてなら、私もかなり納得できます。しかしそうだからと言って、見えない人、とくに視覚経験のまったくない者には、空間のひろがりやその中での動きや形を理解するのは困難だろうなどとはけっして即断してほしくありません。
 私は、空間のひろがり、3次元空間の表象・イメージといったものは、基本的には、見える・見えないといったことにはあまり関係ないのではと考えています。イメージと言えばどうしても視覚的なものを考えがちですが、もちろん他の感覚、聴覚や触覚・嗅覚等に発するイメージもありますし、イメージには本来そうした多くの感覚に由来する複合的な要素がふくまれているはずです。
 とくに私は、空間イメージ発生の基盤のようなものとして、身体そのもの、身体の姿勢・運動といったものがとても大切なのではと考えています。たとえば実際の手や足の動きを可能にしている身体の構造や機能、さらに、重力などそういう身体の動きなどを制限している物理的な力・性質に由来していると考えています。私の場合、空間概念やその中での様々な運動や形について今ではよく数学的な手法に頼ったりしてしまいますが、その背景には、小さいころに体験した身体の激しい動きや衝撃、またそれに対応した様々な姿勢、また手の細かな動きや感触といった、いわば〈身体の記憶〉があるように思います。

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3 触覚の特徴

●定義(狭義から広義へ)

1)(狭義の)触覚=圧覚
 皮膚表面の機械的変形によって生じる感覚です。生理学的には触覚受容器として、メルケル盤、毛盤、ルフィニ終末、マイスネル小体、毛包受容器、パチニ小体が区別され、順応速度の違いなどによりそれぞれに適当な機械的刺激に反応していると理解されてきましたが、最近ではパチニ小体を除いてこれらの受容器の存在やその機能について異論もあるようで、なお十分には解明されていないようです。大まかに言えば、これらの受容器が多い所が触点(圧点)になっているようです。触点の分布密度は身体の場所によって大きく異なり、そのため2点弁別閾(2点を2点として感じることのできる最小距離)も、舌先の1mmや指先の2mmくらいから、手指、顔面、足指、腕、大腿部と大きくなり、背中では60mm以上になります。
 舌先はもっとも鋭敏なのですが、実際の触知ではちょっと使うわけにはいきません。でも、細かく彫られた模様を確認したり、鉱物の小さな結晶を確かめるのに、私はそっと舌先を使ったりしています。
 ところで、2点弁別閾に関連して私は以前から不思議に思っていることがありました。それは、指先での弁別閾はどの本をみてもふつう2mmくらいとされていますが、経験的に言ってもっとずっと小さいのではと思うからです。例えば、点字の1の点と4の点の点間は2mm強(2.3mm)ですが、私たちはそういう点字を楽々と高速で読むことができます。また私はよく1mm刻みの目盛まである30cmの物差しを使っていましたが、それを使ってほぼ1mmの精度まで測ることができました。
 このことについて、最近なるほどと思える実験報告に出合いました。見えない人たちの2点弁別閾は平均すれば1mmほどなのですが、よく観察してみると、無意識に指を細かく、いわば痙攣的に動かしているというのです。そして、この無意識の運動を強制的に止めさせて調べると、見えない人と見える人との閾値の差は無くなるのだそうです。
 もちろん2点弁別閾と言えば普通は完全に静止した状態での閾値と考えられているわけですが、見えない人たちは、2点識別のような課題において、点字の触読などで身に付けた触知の方法、運動と組合せた方法を応用しているのです。このことはまた、触覚が適切な運動と結び付くことでその閾値を低くできることを示すよい1例だとも言えます。

2)皮膚感覚
 これは、触覚のほか、痛覚や温覚・冷覚(温度感覚)を合せた感覚です。
 皮膚感覚は「感覚の母」ともよばれ、胎児期の最初に発達します。「触感」と言われるものは主にこの皮膚感覚によるもので、服を身に着けている時の肌触りの好さとか、何かを触った時の心地好さなど、皮膚感覚には感性的な面もかなりあるように思います。
 皮膚は体表面全体を覆っている知覚器官だとも言うことができ、その意味で生物としての自己を感じまた保っていくのにとても大切な役割をしているように思います。もしも皮膚感覚がまったく無くなったらと思うと、私はほんとうに恐ろしさを感じます。実際のところは分かりませんが、たんに痛みや熱が感じられなくなるだけでなく、どこまでが自分の身体なのか、また今自分の身体に何が起っているのかまったく分からなくなるだろうと思うからです。

3)皮膚感覚と深部感覚を総合した感覚
 深部感覚は、四肢の位置や関節の曲り具合や運動、筋肉の力の入れ具合などを感知するもので、筋・腱・関節にその受容器があります。筋・腱・関節など自分の身体内部の状態を知覚しているので、自己受容感覚とか固有感覚とか呼ばれたりします。
 実際の触知においては、手指の動きをうまく調節したり、またそれによって物の全体的な形状や材質・重さ等を知るときにも、この深部感覚がとても重要な役割を果しています。
 さらにこれに、内臓感覚と平衡感覚を加えて、「身体感覚」ないし「体性感覚」としてもいいでしょう。体性感覚は、今自分の身体(内臓等もふくむ)がどんな状態・姿勢になっているかを知らせてくれます。さらに、その人の元気さとか気怠さといった感覚にも大きく影響しているように思います。
 体性感覚と言えば、私は、たぶん皆さんの中にも経験済みの方も多いと思いますが、子どもが小さかった時の事を思い出します。生後4、5ヶ月のころ、夜中に泣くので胸の上に抱いて寝かしつけます。すっかり寝入ったと思い、そうっとシーツの上に下ろしかけると泣き出します。やむなくまた胸の上に抱いて……を繰り返します。体性感覚はふだんは表立ってはあまり意識はされませんが、とても敏感な面もあるように思います。

●特徴
 他の感覚と比較して触覚の特徴を考えてみます。

1)直接性と間接性
 触覚・味覚は、直接接触しなければ感じられない(注)。そのため、接触できない物(星や月などのような遠い物、高温だったり電流が流れていたりして危険な物)は直にはまったく感知できない。また、接触は対象物の状態を変えてしまう可能性が高いため、本当の姿を確認できないことがある(生物、シャボン玉や花など)。
  (注) 温度や震動は、赤外線や空気の震動などを介して、離れていても皮膚や身体で感じ取れる。また、触覚は極めてわずかな圧の変化をも感知できるので、空気の流れを敏感にとらえ、それを利用して通路の方向や曲り角や空き地なども知ることができる。
 視覚・聴覚・嗅覚は、離れた所から何かの媒介物(光、音波、化学物質)を介して感じる。したがって、少くとも日常的なレベルでは、知覚活動が対象物に影響をあたえることはない。

2)能動性と受動性
 上の特徴と関連して、触覚や味覚は、こちらから能動的に対象に接触しないと何の情報も得られないことが多いが、視覚・聴覚・嗅覚はこちらからの積極的な働きかけがなくても情報は入ってくる(もちろん、実際にそれが何であるかを認知するには、選択や注意が必要)。

3)散在と局在
 触覚は、体表面全体に散在する(身体感覚との関連)。
 視覚・聴覚・味覚・嗅覚は、特定の感覚器官に局在する。

4)時間特性と空間特性
 触覚は、部分的・継時的。
 視覚は、全体的・同時的。(比較が容易)
 触覚(および聴覚)は時間的特性に優れていて、刺激の発生から認知までの時間が短く、いわば瞬間的といえるほどの刺激を継時的につなぎ合せてひとつのまとまった情報として読み取ることができます。
 これにたいし、視覚は空間特性に優れていて、精密さはもちろんのこと、遠近や広がり(視野)においても素晴しい能力を持っています。例えば、目の分解能は2点について1′ということですから、30cmの距離だと約0.1mm離れた2点を識別できることになります。ただこのような能力が発揮されるためにはやはりある程度時間が必要で、瞬間的な刺激の変化にたいしては触覚や聴覚ほどには十分に対応できないようです。
 最近私は視覚と触覚の違いについて「なるほどそうなのか」と思えるような例を知ることができました。それは、見える人たちが活字の本を読む時の目の使い方と、見えない人たちが点字の本を読む時の手の使い方の違いです。
 目で本を読む時の視線の動きを詳しく分析してみると、0.3秒くらいの比較的長い停留と、その10分の1くらい(数十ミリ秒)の素早い移動(跳躍、サッケード)とを繰り返しながら読み進んでいるそうです。連続的に視線を動かしているのではありません。(連続的に動く像は、ある程度速くなると、読めないようです。)このような停留と跳躍の繰り返しという視線の動かし方・目の使い方は、文章を読む時だけでなく絵などを見る時にも基本的には同じだとのことです。
 点字の読み方はこれとは大いに異なっています。中には点字を1字1字確認しながら読んでいると思っている方もおられるようですが、点字を読み慣れた人は、指を水平方向に左から右へと滑らかに運動させながら読んでいます。その時は、縦3点横2点の点字1字分を1度に触知しているのではなく、縦3点(点字の半マス)が1セットになって、それが指の運動とともに次々と移り変わっていっているのです。
 点字の読み速度を1分間に1ページとして計算してみると、指は1秒間に約5cmの割で運動していて、その間に約20個の縦3点のセットを処理していることになります。1セット当たり約0.05秒で触知していることになり、これは上で示した視覚で本を読む時の停留時間(認知時間)の0.3秒に比べてはるかに短いです。
 もちろん、空間的にどれだけ詳細な情報を得られるかで比較してみると、視覚のほうが圧倒的に有利です。点字を読む場合、1度に処理しているのはわずか縦3点のそれぞれの点が出ているかいないかだけですが、目で本を読む時は1度にいろいろ複雑な形をした数個の文字を見分けているのです。


●「さわる」と「ふれる」

 「触」は「さわる」と「ふれる」の2様に読まれますが、そこには触知覚の異なった様相を見て取ることができます。
 ふつう物体の携帯や性状を触察する時には、指や手を様々に動かし、押したり摘んだり握ったり持ったりと、極めて能動的に働き掛けます。私はよく「さわりまくる」と言っています。
 しかし、たとえば花のようなものを触察する時は、まずそっと「ふれる」ことから始めます。また、思いがけず何かに「ふれて」しまい、時には手を引っこめたりします。さらに、人の手のぬくもりや想いを感じ取ろうとする時、また彫刻作品などを鑑賞する時は、じっと時間を掛けて「ふれる」ことも大切です。
 普通「触知」とか「触察」と言う時は、上の「さわる」面が強調され、手指の運動も含めて「触=運動感覚」と呼ばれたりしているようです。触知ではこのような「さわる」面が中心になっていることは確かですが、私は時間を掛けまた心を込めて「ふれる」ことの大切さも指摘しておきたいです。

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4 触覚を通じて見た世界

 ようやく今日のお話の本題にたどりつきました。
 見えない人たち、とくに先天盲ないしそれに近い人たちが、触覚お通して世界をどのように把え、また構成して行くのか――こういう主題について私だけのことなら下準備をしなくてもある程度お話できると思いました。でも、せっかくの機会ですから、私のことも含めより広い観点から―と言っても、実際にできたことはまったく大したことないのですが―お話できるように準備してきました。

●方法
 まず、そのための方法として次の2つを考えました。

1)視覚障害者の書いた文章
 視覚障害者自身の書いた文章からなんとか手掛りを見つけようとしました。しかし実際に探してみると―もちろん私がざっと読むことのできた本などの量がごく限られていたこともありますが―本当に少なかったです。周りの世界・環境を知るのはやはり音中心ですし、触覚についても、点字を通して新しい世界が開けたというような経験が中心になり、触覚による観察などの記述は希でした。
 ここでは、なんとか探し当てた次の2つの資料について検当してみましょう。
 資料2を読んでみましょう[全文私が読みました]。
 熊谷鉄太郎は1883年北海道南西部のニシン場の大家族の中に生れます。3歳半の時天然痘で失明(少くとも5歳くらいまでは色くらいは見えたようです)します。その幼年時代の生活環境はすさまじいとしか言いようがありません。結局お祖父さんに育てられ、生活のため北海道や青森を転々とします。私がもっとも驚いたのは、3歳半以前の見えていた時の記憶をいくつも(20くらい)かなり鮮明に覚えていて、書いておられることです。10歳過ぎに青森で鍼按を習い、その後当時できたばかりの盲学校に入ろうと1人で札幌に行き、そこでキリスト教と出会います。それから、憧れの東京盲学校に進み、卒業後短期間盲学校教師をしたのち、関西学院の神学部に入学します。牧師としての仕事とともに、旧来の伝統に捕われない様々な発言・活動をし、また岩橋武夫ら後輩のことにも力を尽します。
 では、熊谷鉄太郎はロダンの彫刻に何故こんなにも感動できたのでしょうか。ひとつには、彼は鍼按業を習い実際にその仕事をする中で、身体の構造だけでなく、筋肉もふくめ実際の身体の様々な状態を正確に触知できるようになっていたと思われます。さらに、その深い信仰心から、客観的な観察に留まらず、作品に刻み込まれた思想性をも十分読み取ることができたのです。
 実は私も、深さの点では上の熊谷鉄太郎の例と比すべくもないのですが、類似の体験をしたことがあります。それは、昨年兵庫県立近代美術館で開催されていた「美術の中のかたち」展でザッキンの「破壊された町」という作品に触れた時のことです。 両手を高く空に突き上げ、顔を空に向けて何かを訴え叫ぶかのように口を大きく開き、胴体にはえぐれたような大きな穴が空いていて、私の身体にもなにか衝撃がはしるのを感じるほどでした。作品のタイトルを知らずに触っていたにもかかわらず、作品に込めた作者の意図をインパクトを持って感じ取ることができました。視覚に関係無くうったえかけてくるその作品・作者の表現力のすごさを実感しました。
 触知では、各部分部分の触感から全体の形状や材質についてのまとまったイメージを構成していくことが基本となります。しかし、それはたんに客観的観察の寄せ集めというよりも、各人の経験や知識・思想と参照させながら意味を読み取ったり与えたりする〈解釈〉活動だと言うことができます。

 次に資料3を読んでみましょう。
 光島貴之さんは1957年生れで、私より少し若い世代で現在活躍中の美術作家です。小さいころから強度の弱視だったようですが、10歳ころに失明します。盲学校卒業後大学で哲学を学び、その後鍼灸院を開業します。10年ほど前から陶芸作家(当時は千葉盲学校の教師)の西村陽平氏に師事して造形を始めます。1995年からは〈触る絵〉と呼び得る作品を発表し始め、最近は「触覚連画」と言う対話型のシリーズ作品を手掛けています。
 光島さんの文章からは、見えない人の触覚による形のとらえかた、また頭の中での形のイメージの仕方がよくわかります。各部分の触覚から全体を構成していくことで、対象をいわば丸ごと、ある方向から見ただけでは見えない部分もふくめて(時には内部の構造までふくめて)、しっかりとした存在感を持ったものとして把えています。
 このような把え方は、次に紹介する私の行ったインタビューでも確かめることができました。

2)調査やインタビュー
  次に考えたのは、先天盲ないしそれに近い人たちについて実際に調査をしてみることでした。
 もちろん、調べてみるとこれまでにも視覚障害者の触覚や空間認知などに関する研究は多くあり、それらをうまく利用することも考えられますが、ひとつには時間や労力の問題、さらに、それらの研究にはかなり専門的・個別的なものが多くて、今の私ではそれらを十分使いこなしてそれなりの全体像をつかみ、皆さんにお話しするだけの力はありません。とりあえず、私の力でできる調査を考え、私なりにある程度まとまった理解が得られればと思いました。
 では、私が今回行った調査、インタビュー形式による調査を簡単に紹介します。[詳しい内容については、すでに私のホームページ上で「触知の方法について―インタビューに基づく考察―」として公開しています]
 被調査者は私をふくめ6人です。いずれも10歳くらいまでに失明し、点字を10年以上は常時使っている人たちです。
 視覚経験の記憶の程度から被調査者を、いちおう、視覚経験の記憶をまったく持たない者、光と色程度の記憶のある者、物の形や遠くの景色まで記憶している者の3グループに分けて考えることにしました。
 調査の目的としては、次の4つを考えました。
@点字を効率的に読む方法
A触図(平面図)の触知の方法およびその理解とイメージ化
B立体的な物の触知の方法およびその理解とイメージ化
C視覚経験と上記@ABとの関連

 まず、点字の触読では、6人ともなんらかの仕方で両手を使っていました。が、その使い方はいろいろで、次の3つに分けることができるようです。
@上の行の後半部を片方の手で読んでいる間に、もう片方の手で次の行の初めの部分を読み始めている(同時並行読み)
A上の行の行末を片方の手で読み終ってすぐ、別の手で次の行の初めを読み始める。
B片方の手は、次の行への行移り(および行頭の確認)だけに使われる
 両手を使った同時並行読みは、点字の速読ばかりでなく、点字の表や図の効果的かつスピーディな読み取りにもとても有効だと思います。なお、偶然かも知れませんが、同機並行読みをしていたのは、視覚経験の記憶のまったくない者ともっとも少ない者の2人でした。

 次に、触図についてですが、点訳グループ「麦」が制作した『新訂図解動物観察事典』中の、エーデルで作製した2枚の図を実際に触ってもらいました。[皆さんにもその図を回覧しながら説明しました]
 ひとつは、蝶(アサギマダラ)を上から見た図で、「頭を上にし、左右対称に翅を広げた図」という説明文もあり、6人みなにとってとても分かりやすかったようです。それは、蝶という身近な存在で、視覚経験の記憶のまったくない者も少しはイメージできるもののようでしたし、また予め説明文から左右対称ということがわかっていたため、触察も容易だったようです。とくに、蝶を実際に見たことのある人たちは、説明文を読んだだけでおおまかな視覚的イメージを持ち、それに合せて触察していたようです。
 もうひとつはアゲハチョウの図で、夏型・春型を左右に並べて対比しやすくするためだと思いますが、それぞれの左側だけを図示したものです。「夏型、春型のアゲハチョウの胴体と左の翅を示し、右の翅は省略」という説明文はあるのですが、蝶のはっきりとした視覚的イメージをもっている人たちはこの図にとても大きな異和感を持ちました。視覚的イメージからすれば、あまりにも人為的すぎるのでしょう。視覚経験の乏しい人たちは、説明文に照らして図を理解しようとし、右の翅の部分も左の翅と左右対称ということでそれなりに想像できていたようです。
 また、地図を例に、一つの図を属性別に幾つかの図に分けた場合、それらを1つの図として関連付けて見る方法についてもインタビューしましたが、これについては時間もないので割愛します。ただ、この例もふくめ、触察における手・指の動かし方はほんとうに各人各様で、私自身もとても参考になりました。

●イメージ化の3タイプ
 今回のインタビューを通じて得られたもっとも重要な成果は、立体の触察から構成されるイメージ化に関して3つのタイプを確認できたことです。
 蛍石の正8面体の劈開を何の説明も加えずに実際に触ってもらい、触った感じ、全体の形の確認の仕方、手を離した時に頭に残っているイメージについて尋ねました。[皆さんの前で各被調査者の蛍石の形の確認の仕方を私が実演して見せました]
 正8面体の形を、両手の4本ずつの指を使って、ある人は左右から、またある人は上下から確認しました。また別の人は、蛍石を手の上に置いた状態(底面が3角形)で触察し、全体の形を把えることができませんでした。触察においては、触る方向もとても大切なことがわかります。
 さらに、手を離した時頭に浮んでいるイメージについては、次の3タイプを想定することができるようです。
@ある方向から視覚的に見た形
A物そのものの(実質をふくめた)全体の形
B点・線・面の組み合せとしての幾何学的な形
 まず、実際の触知においては、このイメージ化の3タイプは、互いに排他的な関係にあるのではなく、あるタイプが他のタイプに比べて優勢に表れているといった程度のものであることに注意してください。私の場合は、もっとも簡単にイメージするのはBの幾何学的な形ですが、その気になればAのように触感もふくめ物体そのものが空間に浮かんでいるようにもイメージできますし、また、実感の伴わない論理的な操作にすぎませんが、単純な立体なら@のようにある方向から見た投影図を思い浮べることもできます。
 また、この3タイプと視覚経験の記憶との関連ですが、視覚経験が豊かなほど@のほうがイメージしやすく、視覚経験が乏しいほどBのほうに傾くようです。先に挙げた光島さんのイメージ化はAに属していると思われますし、また私のインタビューでも視覚経験が色を識別できる程度に限られている者はAが優勢になっています。
 @の場合は、とりあえずは直接触覚から得られる感覚像を総合してその全体的な形を確認しながら、頭であらためてそれをイメージ化するときは、自分の慣れ親しんできた視覚的方法に依っているのでしょう。例えば、「コップを触ったとき円いと感じるが、それを頭に思い浮べると手前から見た視覚的な形になる」とも言っています。多くの中途失明者のイメージ化もこのようなものなのかも知れません。
 Aの物体を丸ごとイメージするやり方は、ものの存在・本質にもっとも近付き得る方法なのかも知れません。自然の観察の仕方としてもまた芸術的な想像力のためにも、このイメージ化のタイプには注目していいと思います。

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5 まとめ

●見える世界との断絶と連続
 見えないあるいは見えなくなった状況にどのように対応するかについて、かなり大雑把な2分法ではありますが、〈断絶〉と〈連続〉という相反する方向性があるように思います。
 〈断絶〉とは、主に中途失明者がしばしば経験するように、これまでの自分の世界全体が無になってしまった感じ、あるいはこれまでの見える世界とはまったく別の世界に落ち込んでしまったような感じから始まり、いわば新たに生れ変る=「再生」によって、これまでの世界とは別の世界で見えない人として生きて行くというような経緯を指しています。主に私より上の世代の視覚障害者の中には、このような「再生」の体験を出発点として、明確な使命感の下素晴しい業績を残した方々が多くおられます。
 ただ私も受けたような以前の盲教育では、暗黙にしろこの〈断絶〉の方向性が前提になっていて、これには資料4にはっきり示されているような息苦しさと言うか限界があったように思います。資料4の草山さんの気持には私もとても共感します。私もずうっと見える世界との接点を求め続けてきたように思います。
 このような生き方に対し、視覚喪失はもちろん大きな障害である訳ですが、それは取りあえずは機能的な問題であって、技術的な手段や訓練・教育によって見える世界との橋渡しをし、それまでの見えた経験も生かして見える人たちの中で活躍されている方々も、とくに若い世代ではますます多くなっているように思います。これがいわば〈連続〉の方向性で、その範囲は家庭や仕事にとどまらず、スポーツや趣味など多方面に及びます。
 (私はどちらの方向性が望ましいかといったことには拘りません。〈連続〉の方向性のほうがいわば現代風だとは言えますが、それでもなお、自分をどのような存在として同定(アイデンティファイ)するのか、ちょっと短絡的な言い方ですが、障害者として生きるのか、あるいは障害はあるものの単にふつうの人間の1人として生きるのか、といった問題は残ります。)
 最近日本でも視覚障害者のサッカーが注目されるようになりましたが、これは最初、サッカー選手が失明した時、なにか直ぐできるスポーツはないかということで考えられたそうです。見えていた時にしていた事を見えなくなってからもそのまま続けまた生かすことができれば、それは大きな自信となり力強く生きてゆく支えとなります。
 また最近とても印象的な場面に出くわしました。
 2月10日、第2回目の「ミュージアム・アクセス・ビュー」(その当時は「ふたりで見て楽しむ美術鑑賞会」という仮称でした)に参加して、京都の国立近代美術館で開催中のシエナ美術展に行ってきました。この会は見えない人と見える人がいっしょに美術を楽しもうということで、実際には1人の見えない人に2人以上の見える人がいろいろ説明してくれます。
 今回見えない人の参加は5、6人くらいでしたが、その中に見えないお母さんとその見えるお嬢さんがおられました。そのお母さんが、シエナ美術展とは関係ないのですが、柳原義達の道標と言うブロンズの作品(大きなカラスを具象化したもの)を観て、というか触って、「これは木に留まっているところですね」と言いました。それを聞いていた周りの見える人たちがなるほどと首肯いている様子を知って、彼女は満足気に「想像力は見えていた時と比べて衰えていないようだ」というようなことをつぶやいておられました。さらに、美術展を見た後喫茶店で参加者が印象などについて語り合ったのですが、その時お嬢さんは「母は見えていた時しばしば美術館に行っていました。こうして今2人でいっしょに美術を楽しむことができるなどとは思ってもみませんでした」とほんとうに感激しながらおっしゃっていました。お母さんにとってもその家族にとっても、美術を触ってあるいは言葉による説明で観賞できるという経験は、希望と力をあたえてくれるはずです。

●触る環境の整備と触る技術の普及
 見える人たちが主に視覚によってほぼ自由に情報を得、また観察・鑑賞しているのと同じように、見えない人たちも、聴覚や触覚など視覚以外の感覚によって、できるだけ制限されることなく、情報を得、また観察・鑑賞できるような環境が大切です。触覚による認知も、見えない人たちにとっては、いわば「知る権利」の重要な構成要素だと言えます。
 日本でもようやく20年ほど前から一部の博物館や美術館で、見えない人たちへの配慮から、あるいは視覚以外の感覚による観賞というより広い見地から、触って観賞できる企画を、まだまだ限られてはいますが、しばしば行うようになってきました。
 私は、見えない人たちが触って観賞しやすくするための方策として、とりあえず次の2つを提案します。
 ひとつは、見えない人たちをガイドしいっしょに観賞しまた説明してくれるボランティアのグループです。
 名古屋では、すでに1993年からYWCAの美術ガイド・ボランティア・グループが、また95年からは「アクセス・ヴィジョン」の会が活動しています。東京では1999年末から「MAR「(Museum Approach & Releasing)が、また京都でも昨年から先にちょっと紹介した「ミュージアム・アクセス・ビュー」が活動を始めています。
 全国各地でこのようなグループができて、見えない人たちが安心して十分に美術を観賞したりまた自然や動植物と触れ合い知ることができればと思います。もちろん、そのためには美術館・博物館の理解と協力が必須です。
 もうひとつは、触ることのできる立体模型の製作です。触察の場合、建物など大きな物は全体の形を把握するのが難しいですし、また小さな結晶や微生物などは小さすぎて形が分かりません。大きな物は小さく、小さな物は大きくして、触察に適したてごろな大きさの模型を作ってもらえればと思うことがよくあります。私はまだ行ったことはありませんが、京都の竜安寺には石庭の枯山水のミニチュアが設置されているそうです。
 最近いろいろな施設でその建物の触地図を見かけることがあります。でも、場合によっては触地図よりもミニチュアの建物の模型のほうがずっと良いのではと思うことがあります。
 実は、娘が幼い時私はシルバニアの家を真似て粘土で家を造ったことがあります。その手作りの家はちゃんと、1階部分、2階部分、屋根裏部分と分れるようになっていて、それぞれの内部も、部屋や廊下や階段や窓、さらには天窓まであって、構造もわかるようになっていました。このように、1つの建物がいくつかの部分に分かれて、その内部の構造まで触ることができるようにすれば、平面的な触地図よりもずっと良いと思うのですが、どうでしょうか。そして、見えない人もふくめて、そういう模型を作るワークショップのようなものができればなどとも思っています。

 さて、美術館や博物館で自由に触ることのできる常設の展示がなかなか増えないのには、十分な理由があります。ひとつは、壊れやすかったり危険なものは直接触るのには適していませんし、また、貴重で高価な物は盗難のおそれもありなかなか自由に触ってくださいとは言えないと思います。さらに、いろいろな事を考慮しまた工夫してせっかく自由に触ることのできる展示を行っても、展示品がよく破損していることがあります。触り方が問題なのです。見えない人はもちろんですが、見える人たちにも触る教育が必要だと思います。
 現代は、映像をはじめ視覚があまりにも突出しています。そういう中にあって、見える人についても幼い時から触覚お通して文字通り直接的な観察力を養うことはとても大切だと思います。視覚だけでは分からないものの性質があります。また、指や手の器用な動き、さらに心の安らぎといった感性の面でも有効だと思います。私はこういう点でモンテッソリ教育にも注目しています。

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◆資料

●資料1 河合隼雄 「触れる」

 人間は、五官によって外界を認知する。
 見る、聴く、嗅ぐ、味わう、触れるなどによって外界を知り、自分との関係も明らかになる。
 これらの感覚を洗練させることによって、われわれの感受性もひろくなってゆき、人生も豊かになる。
 人間は「眼の動物」と言われたりするだけあって、視覚を特別に大事にしている。
 考えてみると人間が得る大半の情報は視覚情報である、といっていいほどである。
 活字と映像が、他に比較にならぬ量の情報を人間に提供する。
 これに比して人間にとっておそらくもっとも未分化な感覚は、触覚であろう。
 なにかについて善悪、美醜などの判断をくだすときに触覚に頼ることは、極めて少ない、と言っていいだろう。
 しかし、人間が深く自分の存在を確かめたいときに、触覚が大事になるのではなかろうか?
 死んでいく人に対して黙って手を握りしめることは実に大切である。
 そのくせ、日常生活においては、われわれは、触覚の重要性を忘れていることが多いと思われる。
 ただ「触れる」だけではなく、心の接触がともなっていると、心が動かされる。
 本当に「触れる」よさを知るためには、焦りは禁物である。
 心が触れるまで「待つ」ことが大切だ。

(河合隼雄『しあわせ眼鏡』海鳴社、1998より)

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●資料2 熊谷鉄太郎 (ニューヨークのメトロポリタン・ミュージアムを訪問し、ロダンの作品に手で触れた時の感想)

 ロダンの彫刻をぎっしり陳列してある大広間の入口に一つの大きな裸体像が寝かしてありました。「これを足の方から触っていってご覧なさい」と言われるままに両手で触れて見ると、どこもかしこもだらりと下がった筋肉のだらしなさ、とくに下腿後側の筋肉や大腿部の筋肉等、まるで生きた人間とは思われないのです。「まあ、なんてだらしないんでしょう「と言えば、「まあ、ずっと終りまで触ってご覧なさい」と小室牧師は言います。―腰から上のほうはだんだん仰向けの姿勢になっています。胸から喉の辺りまで来た時、「ああ、これは死人ですね」と思わず叫びました。
 「そうです、これはロダンの傑作の一つで『殉教者』という名高いものです」と説明してくれます。さらに、その顔の辺りを触れていると、この冷たい金属を通して何かしら熱いものが伝えられて来るようです。言うまでもなく、殉教者の燃えている信仰の炎なのです。私は触覚にまで訴えるロダンの芸術の力に強い感動を覚えたのです。私の発明した「触覚芸術」という言葉は、この経験から出たものであります。

(『薄命の記憶――盲人牧師の半生』熊谷鉄太郎、平凡社、1960より)

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●資料3 光島貴之

 見えない僕の触覚による形の認織はどうなっているのか。それは遠近感や表、裏という視覚による認識ではなく、頭の中で形を再構成し、存在そのものへ近づこうとする行為だ。視覚的にそれ瞬時にとらえることはできないが、一つ一つ触って部分から全体を想像していく。すると正面から見た平面的な形のイメージではなく、立体としての存在そのものが実感できる。

(『毎日新聞』「世の中探見――美術鑑賞の方法」より)

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●資料4 草山こずえ 「世界は私にふれる」

 私は「心の眼で見る」という言い方はごまかしだと思う。私が通っていた盲学校の校歌に「心眼更に明けよ」と言う歌詞があり、私はそこだけいつも口をつぐんで歌わなかった。2歳で失明した私には、「見る」ということがどういうことなのか、実感としてわからなかった。……それなのに、見えないということを直視し、世界の探究の 仕方を教える代わりに、「君たちには心の眼がある」と言うのは嘘だ。

(『彫刻に触れる時』協力ギャラリー・トム、用美社、1985より)

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◆各感覚で楽しむ芸術ないし様式

 触覚だけで楽しむ確立された様式は今のところない
 (触覚芸術について考える)
 (仕事の中では、三療業、診察における触診)

 視覚→美術
 聴覚→音楽
 味覚→グルメ、利酒
 嗅覚→アロマセラピー、調香、香道
 (私の場合、触覚→鉱物にふれる)

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◆関連年表

 1929〜1934年、文部省が盲学校用に特別に編集した『盲学校初等部用国語読本』(全12巻)を学年進行で発行するが、各巻に数点の点図の挿絵が入れられる
 1931年4月、熊谷鉄太郎が、秋葉馬治、中村京太郎らと共に、ニューヨークで開催された国際盲人会議に参加、大会終了後、メトロポリタン・ミュージアムを訪れロダンの彫刻に触れる
 1933年9月、大月美枝子(全盲)が、自由学園塑像科の正規の学生(前年より聴講生)となり、第10回工芸美術展に頭像を出品
 1950年、福来四郎が神戸市立盲学校で視覚障害児に彫塑の指導を開始
 1955年、藤原雄(強度の弱視)が父藤原啓に師事し備前焼を始める。(1996年人間国宝となる)
 1964年、東京で第1回盲学生美術展開催(絵画、工作、手芸、デザインなど約200点出品)
 1974年、日本にオプタコンが導入される(オプタコンは、カメラで読み取った文字の形をピンの振動に変換して触知できる装置。1971年アメリカで開発
 1980年ころ、西村陽平が千葉県立千葉盲学校で図工の時間に粘土による造形を指導しはじめる。美術作家として活躍しながら、触覚を生かした造形表現のワークショップを国内だけでなく、ネパールのアート・センターやアメリカの大学等で行う。
 1980年、松本油脂製薬株式会社とミノルタ株式会社が“立体コピーシステム”を共同開発
 1981年、桜井政太郎(当時岩手県立盲学校理療科教諭)が、盛岡市の自宅に視覚障害者のために私設の触る博物館を開設。生物標本や化石、レプリカ、太陽系や建築物の模型等、現在3000点以上を展示し、無料で開放している。
 1981年、日本視覚障害理科教育研究会発足(実験や観察の方法に関する事例研究等)
 1983年、日本児童教育振興財団が、手で見る絵本「テルミ」の製作・発行を開始
 1983年、桜雲会が、日本児童教育振興財団の助成を受け、『触察図譜』研究会を始める。その成果として、1988年『触察解剖図譜』、1991年『触察生理学図譜』、1993年『触察病理学図譜』、1995年『触察臨床医学総論図譜』を完成し、全国の盲学校に点字・墨字版を無料配布
 1984年、村山亜土・治江夫妻が東京渋谷に「手で見るギャラリー・TOM」を開館。視覚障害者をはじめ、多くの人たちに彫刻や工芸作品を“手で見る”機会を提供するとともに、盲学校の生徒たちの作品を紹介する展覧会を国内外で開いている。
 1984年、岩田美津子が、点訳絵本を製作・貸出する「岩田文庫」(現・ふれあい文庫)を開設
 1988年、日本自然保護協会が「ネイチュア・フィーリング自然観察会」(障害者とともに五感を使って自然を楽しみ観察する)を提唱、その普及活動を開始
 1988年9月、「手で見る美術展」が有楽町アートフォーラムおよび尼崎市つかしんホールで開催される(日本で活躍する芸術家36人による「手触りの異なる素材を用いた作品」を40点余り展示)
 1989年4月、名古屋市美術館が、「触れる喜び−−手で見る彫刻展」を開催。以後隔年で、主に視覚障害者の便宜を考慮した展覧会を実施
 1989年、兵庫県立近代美術館がこの年以降毎年「美術の中のかたち」展を開催(2001年まで)
 1993年、名古屋YWCA美術ガイドボランティアグループが活動開始(視覚障害者とともに絵画や彫刻を鑑賞)
 1994年6月、日本障害者芸術文化協会設立(2000年6月「エイブル・アート・ジャパン」と改称)
 1995年3月、神奈川県小田原市に「県立生命の星・地球博物館」が開館。「だれにでも開かれた博物館」を掲げ、隕石・化石・剥製など手で触れることのできる標本の展示や、視覚障害者等に対するバリアフリー化を推進。
 1995年、光島貴之(全盲、9歳ころ失明)が、レトラライン(製図用テープ)とカッティングシートを用いて「触る絵画」の制作を始める。1998年のアートパラリンピック長野展で、陶芸作品「らせんの手掛かり2」が大賞に選ばれる。さらに1999年には、触覚連画(CGアーティストと互いの絵に手を加えることで作品を創り出していくコラボレーションアート)をインターネットで公開。
 1995年、アクセス・ヴィジョンの会結成(ミュージアム利用の可能性を拡げることを目指して、視覚障害者が展覧会を定期的に観賞する活動などをしているボランティア団体)
 1996年6月、環境庁が、残したい「日本の音風景100選」選定
 1997年4月、大阪府営箕面公園昆虫館が、視覚障害者をふくむ障害者対応を行なう
 1999年10月、東京でミュージアム・アクセス・グループ「MAR」が活動開始
 1999年11月、東京で第1回ダイアログ・イン・ザ・ダーク(日常生活のさまざまな環境を織り込んだまっくらな空間を、聴覚や触覚など視覚以外の感覚を使って体験する、ワークショップ形式の展覧会)開催
 2001年5月、橿原市昆虫館が、生きたチョウを触って観察する試みを始める
 2001年10月、点訳グループ「麦」が『新訂図解動物観察事典』(地人書館、1993年)の点訳を完成し、データをCD-ROMに収めて全国の盲学校に寄贈。全41巻約3,500ページで、エーデルで作製した点図963点をふくむ。
 2001年10月、環境省が、「かおり風景100選」選定
 2001年11月、京都で「ミュージアム・アクセス・ビュー」(視覚障害者とともに美術作品を観賞する会)(第1回)

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◆主な参考文献とURL

●参考文献

『光の中へ―視覚障害者の美術館・博物館アクセス―』ジュリア カセム著、菅原景子 他訳、小学館、1998
『五感喪失』山下柚実著、文藝春秋、1999
『そっと耳をすませば』三宮麻由子著、日本放送出版協会、2001
『手で見るかたち』西村陽平著、白水社、1995
『触ることから始めよう』佐藤忠良著、講談社、1997
『ネイチュア・フィ−リング からだの不自由な人たちとの自然観察』日本自然保護協会 編・監修、平凡社、1994
『感覚生理学第2版』Robert F. Schmidt編、岩村吉晃他訳、金芳堂、1992
『視覚障害と認知』鳥居修晃編著、放送大学教育振興会、1993
『眼は何のためにあるか』山田宗睦ほか共著、風人社、1990
『視覚障害心理学』佐藤泰正 編著、学芸図書、1988
『先天盲開眼者の視覚世界』鳥居修晃・望月登志子、東京大学出版会、2000
「視覚障害者と健常者における聴覚と環境認識の関係」新井田秀一・小出良幸・平田大二(『神奈川県立博物館研究報告(自然科学)』 30, pp.27-31, 2001年)
「アンモナイトを利用した化石の触覚実験とその地球科学教育的意義」山下浩之・田口公則・小出良幸(同上, pp.41-47, 2001年)


●URL

ユニバーサル・ミュージアムをめざして―視覚障害者と博物館―(生命の星・地球博物館開館三周年記念論集)

エイブル・アート・ジャパン(この中に、MARのページや「美術館におけるバリアフリー情報等に関するアンケート調査」の報告がある)

ミュージアム・アクセス・ビュー

中途視覚障害者の触読効率を向上させるための総合的点字学習システムの開発

触覚伝達機器の設計支援情報

* 私のホームページから
 「点字とのつきあい」「触図について」「触知の方法について―インタビューに基づく考察―」「多様な触る環境を」「橿原市昆虫館を訪ねて――動くものを理解することの難しさ」「バードカービングを観る――見えない人にも楽しい博物館を」「〈美術の中のかたち〉展を観る」

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(2002年4月9日、2002年7月20日改訂)