盲人文化史年表
◆2000年代
◆2000年代
2000年4月、著作権法等改正案成立、ネットワーク上での点字データの蓄積や送受信が認められる(施行は 2001年1月)
2000年4月、日本ロービジョン学会創設 (WHOは、眼鏡をかけても両眼の視力が0.05以上〜0.3未満の場合をロービジョンとしている)
2000年5月、社会福祉法成立(社会福祉事業法等の一部を改正する法律) (地域・利用者中心の制度へ。「地域福祉計画」の策定など規定)
2000年5月、「高齢者、身体障害者等の公共交通機関を利用した移動の円滑化の促進に関する法律」(通称「交通バリアフリー法」)成立(施行は11月から)
2000年6月、「働く障害者の弁護団」結成
2000年10月、日本工業規格「JIS S 0021 高齢者・障害者配慮設計指針―包装・容器」が制定される (缶ビール・缶入り酒類への点字表示、パック入り飲料への切欠き、シャンプー/リンスの識別などもふくむ)
2000年8月、金沢市の北計工業が、携帯用の色識別装置を開発、「カラートーク」として発売。認識できる色の種類は、基本色13色に、明度・彩度と色相に関する修飾語を組み合せた220通り。さらに2006年8月、レハ・ヴィジョン株式会社より、色名を音声で知らせるとともに、色相を 5種の楽器音の組み合せで表現することで色の細かい変化にも対応できるようにした「カラートークプラス」を発売
2000年9月、東京都営地下鉄三田線で「ホームゲート」の運用開始
2000年、音声で現在地がどの交差点かを知らせる「歩行者等支援情報通信システム」(PICS)が開発され、順次導入される
2000年、岐阜県美術館が、実際に触ることのできる彫刻・立体作品について『視覚障害者のための所蔵品ガイドブック』を製作 (2001年には絵画作品2点をふくむ『視覚障害者のための所蔵品ガイドブック 2』を製作)
2000年、新潟県立歴史博物館が、高田盲学校創設コーナーを設ける (算板、計算器、書写器、木製凸字、こより文字、ダンロップ師が寄贈した聖書等)
2000年12月、米連邦政府が、リハビリテーション法508条電子・情報技術アクセシビリティの改正「基準」を発表(施行は、2001年6月)
2000年、アメリカ、会員制のウェブ図書館サービス「ブックシェア・プロジェクト」開始 (出版社から許諾を得た図書を電子データ化し、会員の視覚障害者や読字障害者等に配信。2009年初現在会員約4万人、タイトル数約 42,000)
2000年「アフリカ障害者の十年」(障害者の完全参加と平等、エンパワーメントを目指した宣言に基づく地域プログラム)開始
2001年1月、文部省が文部科学省となり、初等中等教育局に特別支援教育課が設置される(旧特殊教育課)
2001年1月、日本盲人社会福祉施設協議会が、点字関係職種の専門性と社会的認知度を高めることを目的として、第1回点字技能検定試験を実施。2004年には、厚生労働大臣認定の「社内認定」として認可され、公的資格となる。
2001年2月、NPO法人全国視覚障害者情報提供施設協会設立
2001年4月、廣瀬浩二郎(1967〜.弱視だったが13歳で完全失明。京都大学文学部国史学科卒。2000年京都大学より文学博士号)が、国立民族学博物館民族研究部助手に採用される (2002年9月〜03年8月、プリンストン大学客員研究員。著書:『障害者の宗教民俗学』(明石書店、1997)、『人間解放の福祉論─出口王仁三郎と近代日本』(解放出版社、2001)、『触る門には福来たる─座頭市流フィールドワーカーが行く!』(岩波書店、2004))
2001年4月、福島智が、東京大学先端科学技術研究センター助教授に就任
[福島智: 1962〜.9歳で失明し、18歳で失聴して全盲ろうとなる。母令子さんとのやり取りがきっかけで、指点字によるコミュニケーションを開始。筑波大学付属盲学校高等部卒業後、1983年東京都立大学人文学部に入学、同大大学院で教育学を専攻。1996年7月東京都立大学人文学部助手、同年12月金沢大学教育学部助教授。同年にはまた第30回吉川英治文化賞(母令子と共)、第33回点字毎日文化賞受賞。1991年より全国盲ろう者協会 理事、93年から97年までWBU(世界盲人連合)盲ろう者活動常置委員会委員。『盲ろう者とノーマライゼーション―癒しと共生の社会をもとめて―』(1997年、明石書店)。2008年5月「福島智における視覚・聴覚の喪失と『指点字』を用いたコミュニケーション再構築の過程に関する研究」で東京大学より学術博士号。2008年10月、同大教授。2015年、第12回本間一夫文化賞受賞。なお母の福島令子は、2017年、第21回鳥居伊都賞を受賞]
2001年4月、東京で、バリアフリー映画鑑賞推進団体「City Lights(シティ・ライツ)」発足 (2016年、代表の平塚千穂子が第24回ヘレンケラー・サリバン賞を受賞)
2001年4月、バングラデシュ、「バングラデシュ障害者福祉法」が議会で可決
2001年5月、西日本の国立ハンセン病療養所の入所者(元患者)等が起こしていた「らい予防法違憲国家賠償請求訴訟」の判決が熊本地方裁判所であり、原告側勝訴 (同年6月には「ハンセン病療養所入所者等に対する補償金の支給等に関する法律」成立)
2001年5月、WHOが、「国際障害分類」(ICIDH)を改訂し、「国際生活機能分類−国際障害分類改訂版−」(ICF: International Classification of Functioning, Disability and Health)を採択
2001年6月、高知県立盲学校に、視覚障害者向け機器展示室「ルミエールサロン」が開設される (当時高知女子大学社会福祉学部助教授だった吉野由美子(1947〜。弱視。現・視覚障害リハビリテーション協会 会長)が高知県の「職員提案事業」に応募したプランが採用されて実現。視覚障害者が使いやすい機器や便利グッズの展示のほか、生活訓練指導員による説明や相談、県内各地に出向いての相談や機器展示などを行っている)
2001年6月、富山市で、触れて観賞することを中心とした展覧会「触展」が実施される (以後、毎年1、2回程度、継続的に開催されている)
2001年7月、聖心ウルスラ学園高等学校(宮崎県延岡市)の数学教師窪田巧が、視力低下を理由に解雇通告を受ける。同年9月、宮崎地方裁判所に仮処分申立。02年1月、学校理事者側が解雇撤回・休職命令通知。同年3月、窪田さん側が休職命令無効の確認を宮崎地裁に提訴。同年12月、教壇復帰で和解。
2001年8月、国土交通省が、「公共交通機関旅客施設の移動円滑化整備ガイドライン」を策定 (駅ホームのからの転落防止対策として、ホームドアや可動式ホーム柵が加えられる) (その後、2007年7月と2013年6月に「公共交通機関の移動等円滑化整備ガイドライン(旅客施設編・車両等編)」の改訂が行われる)
2001年8月、国連の「経済的、社会的、文化的権利委員会」が、日本政府に対し、障害者差別を禁止する法律を制定するよう勧告
2001年9月、村谷昌弘 没 (1921〜2001年。1944年5月、インパール作戦で両眼を負傷・失明。45年6月、大阪市内の失明軍人会館(現・日本ライトハウス)に入所し、軍需無線電信機部品加工の作業を行う。48年8月、岩橋武夫らと共に日本盲人会連合結成に参加。以後、日盲連の事務局長、常務理事、副会長、さらに1980年から2000年3月まで会長。この間、政府の各種審議会委員として多くの障害者対策の立案に関わる。1978年藍綬褒章、1991年勲三等旭日中綬章)
2001年9月、小山田みき(1978〜。未熟児網膜症のため失明。99年華頂短期大学(京都市)幼児教育学科入学、01年3月幼稚園教諭二種免許と保育士資格を取得し卒業)が、社会福祉法人四天王寺夕陽丘保育園(大阪市)に保育士として就職。2008年、大阪市の保育士採用試験の受験を申し込むが拒否される。09年10月、同試験の点字受験が認められる。
2001年9月20日、JIS T9251「視覚障害者誘導用ブロック等の突起の形状・寸法及びその配列に関する規定」制定
2001年10月、「世界盲聾者連盟(WFDB)」発足
2001年11月、「視覚障害者文化を育てる会」(4しょく会: 食・色・触・職の4つのしょく)発足
2001年11月、京都で「ミュージアム・アクセス・ビュー」(視覚障害者とともに美術作品を観賞する会)が活動開始
2001年11月30日、電磁的記録式投票特例法(電子投票法)成立 (施行は翌年2月)
2001年12月、第56回国連総会が、メキシコ提案の「障害者の権利及び尊厳を保護・促進するための包括的総合的な国際条約」決議案を採択
2001年、厚生労働省が、障害者情報バリアフリー化事業を予算化 (視覚・上肢障害の者を対象に、音声化ソフトや入力サポート機器の購入費を、 15万円を原度にその3分の2を助成。2006年3月で終了)
2001年、労働安全衛生法の規則改正で、雇用時の色覚検査を廃止(業務に困難が予想される場合は業務内容について説明するよう指導することに)
2001年、池田敏郎(1921〜。40歳過ぎで網膜剥離のため両眼失明するが、会社経営お続け、1987年には日本盲人経営者クラブ会長に就任)が、『百術一誠 谷口尚真海軍大将の生涯』を執筆
2001年、京都の株式会社タナベが、弱視者や高齢者のために、光る点字ブロック(暗くなると自動でLEDライトが2秒に1回点滅)を開発・発売。
2001年、ジャマイカ、労働・社会保障大臣にF.E.モリス(Floyd Emerson Moris: 1969年生まれ、14歳で緑内障、20歳で完全失明、1998年首相により上院議員に任命される)就任
2001年、ラオス盲人協会発足 (会長:コンケオ・トウナロム。彼女はラオスの点字も考案している)
2002年、日本ライトハウスが、毎日新聞希望のネットワーク(毎日新聞大阪社会事業団の海外支援部門)の委託により、カンボジアの視覚障害者の支援事業を開始(日本式按摩による就労支援、図書館整備、国民への啓発活動支援など)。
2002年4月、ユニバーサルデザイン絵本センター発足。UD絵本として、7月『てんてん』『でこぼこえかきうた』、2003年5月『ゾウさんのハナのおはなし』『チョウチョウのおやこ』、2004年10月『なないろのくら』『おでかけまるちゃん』を刊行
2002年4月、出版社、印刷会社、作家、点訳絵本製作団体などにより、「点字付き絵本の出版と普及を考える会」発足
2002年5月22日、「身体障害者補助犬法」が成立、施行は2002年10月1日(当初は公共交通機関や公共施設が対象。2003年10月からは民間施設にも義務付けられる)。
2002年6月、超党派の50人余の国会議員が参加して「視覚障害者の社会参加を推進する参議院議員懇話会」という議員連盟が発足
2002年6月、宇都宮美術館が「手でみる作品ガイド」発行
2002年6月、ヘルシンキで、第1回視覚障害者ボウリング世界大会が開催される(9カ国、60名参加)
2002年9月、「視覚障害者ボウリング・コングレスジャパン」発足。2004年4月、「全日本視覚障害者ボウリング協会」と改称。
2002年10月、日本視覚障害者サッカー協会(JBFA)発足
2002年10月、大阪で、「アジア太平洋ブラインドサミット会議― 新たな障害者の十年に向けた視覚障害者の挑戦」開催
2002年10月18日、第6回障害者インターナショナル世界会議札幌大会 (約100ヵ国、3000人参加)
2002年11月、薩摩盲僧琵琶の流れをくむ日向盲僧琵琶の琵琶法師永田法順が、宮崎県の無形文化財に指定される
[永田法順: 1935〜2010年。 2歳で失明。1948年、延岡市の長久山浄満寺(天台宗。1685年、延岡藩主有馬永純が琵琶盲僧のために建立)の先代住職児玉定法に弟子入り、半年後には経文・琵琶を覚えて檀家まわりをはじめる。1983年、先代の後を継ぎ住職となり、延岡市内や北方町内の檀家約千軒の檀家回りを続ける。2005年10月には、永田法順が伝承する総ての祈祷と釈文およびその檀家回りの様子などを音と映像・写真で記録した全集「日向の琵琶盲僧永田法順」(CD6枚、映像記録DVD1枚、解説付き写真集1冊のセット)が刊行される]
2002年12月、政府は、2003年度から10年間の障害者施策の基本となる新たな「障害者基本計画」、およびその前期5年間の重点施策の具体的な数値目標を定めた「障害者プラン」を閣議決定
2002年12月、「アジア太平洋障害者の10年」の延長(新十年)
2002年、国土交通省が、「鉄軌道駅プラットホーム縁端警告用内方表示ブロック」を規格化(ホームの中央側に1本の線状ブロック(内方線)、その外側に点状ブロックを配す。内方線の形状はJIS T9251規格、点状突起の形状と配置はJIS T9251規格に準じる)
2002年、学校保健法の施行規則が改正され、色覚検査が定期検診の必須項目から削除される
2002年、政治学者・竹前栄治(1930〜2015年)が、『盲導犬ネモフィラ』(あすなろ書房)を出版 (東京経済大教授で、主にアメリカの日本占領政策を研究。1980年ころ白内障と網膜変性の合併症で失明、1990年からは盲導犬を使用。2007年には『失明を超えて拡がる世界― GHQ研究者として生きる』出版)
2002年、デイジー録音再生機「PTR1」発売 (2004年、PTR1 が日常生活用具に指定される)
2002年、この年末現在で、全国の按摩マッサージ指圧師中の視覚障害者占有率は26.7%(晴眼者71363、視覚障害者25950)、鍼師の場合は20.6%(晴眼者58721、視障者15246)、灸師の場合は20.2%(晴眼者57712、視障者14595)。また、2006年末現在では、按摩マッサージ嗜圧師の場合は25.2%(晴眼者75572、視障者25462)、鍼師の場合は18.4%(晴眼者66430、視障者14931)、灸師の場合は17.9%(晴眼者65611、視障者14321)。晴眼者が増加しているのにたいし、視覚障害者は実数占有率ともに減少している。 (各年度の衛生行政報告例等より)
2002年、日本、韓国、台湾の盲導犬訓練施設が、盲導犬の繁殖協力や情報交換のために、AGBN(Asia Guidedogs Breeding Network)を設立
2003年1月、埼玉県は、ユネスコが提唱しているインクルージョンの理念および2002年4月の学校教育法施行令の改正をふまえて、障害児全員が健常児といっしょに授業を受けられるよう盲・聾・養護学校に加えて普通学級にも席を置く「2重学席」の2004年度実施を目指して検討を開始(埼玉県下の市町村教委が2001年秋に養護学校等への進学を勧めた児童生徒計671人の内、305人が普通校に進んだ)
2003年1月24日、文化庁が、ホームページ上の文章や写真などのネット著作物を、一定の条件下で、著作者に連絡を取らずに無料使用できることを表す「自由利用マーク」を制定。マークは@変更・加工なしならコピーやプリントアウト、無料配布可、A障害者のための使用、B学校教育、の3種類。Aでは、拡大や録音、リライト、さらには実費での配布や貸出、メール送信なども可能。
2003年1月、本間一夫と日本点字図書館が、第11回井上靖文化賞受賞
2003年2月21日、日本弁護士連合会が、障害や難病などで投票できない有権者について、投票機会を保障するよう求める意見書を採択(郵便投票制度につき、代筆や点字も認めるよう求めた)
2003年2月、「Kinkiビジョンサポート」発足(視覚障害者、医療・福祉関係者、ボランティア、福祉機器業者らが参加。中途失明者の社会復帰をサポートするために、各種の講座・イベント・相談などを行っている)
2003年3月9日、東京都多摩市で、第1回日本視覚障害者サッカー選手権大会開催 (視覚障害者サッカーは、2004年9月の第12回パラリンピック・アテネ大会から正式種目となる)
2003年3月、NECソフトのソフトウエア開発者・柴田隆秀(全盲)が、「リナックス技術者認定試験」に合格。
2003年3月28日、文部化学省の特別支援教育の在り方に関する調査研究協力者会議が「今後の特別支援教育の在り方について」(最終報告)を答申。LDやADHDもふくめた個別の教育支援計画、特別支援教育コーディネーター、盲・ろう・養護学校から、障害種別にとらわれず地域のセンター的な役割を果たす「特別支援学校」制度への転換などを提案
2003年3月、医師国家試験の初の特例試験に視覚障害者3人が受験、その中で、守田稔が合格。 (医師国家試験は2001年7月の法改正で視覚障害などを持つ人も受験できるようになり、厚労省の検討会が2002年11月、試験問題の読み上げなどを認める特例受験の方針を決定)
[守田稔:1975年、大阪市の開業医の家庭に生まれる。関西医科大学在学中の1999年、ギラン・バレー症候群になり両手足の障害とともに失明。2001年関西医科大学の5年に復学、03年3月卒業。同年4月末より、研修医として関西医大精神科に入局、8月医師免許公布。2008年「視覚障害をもつ医療従事者の会(ゆいまーる)」を立ち上げる。2011年、第9回チャレンジ賞受賞]
2003年4月、支援費制度スタート
2003年4月、スピーチオが国の障害者対象給付用具に指定され、購入のさい日常生活用具給付事業の助成を受けられるようになる。(スピーチオは、切手サイズに800字を記録できる2次元コード「SPコード」を読み取り、合成音声で再生する装置。2002年3月、廣済堂が発売)
2003年4月9日、産業技術総合研究所が、「高齢者・障害者配慮設計指針」としてJIS原案3件を作成、経済産業省に提案。日本工業標準調査会(JISC)の審議を経て、年内には経済産業大臣によって正式に日本工業規格(JIS)として制定される予定。
2003年4月、与党3党が、障害者差別禁止の明記を柱とする障害者基本法改正案を今国会に議員立法で提出することで合意(7月17日に与党案が提出され、民主党も対案を提出、継続審議となる)
2003年4月、米IBMは、今春以降開発されるすべてのIBMブランド製品をバリアフリー使用に切り替える方針
2003年、今年度より学校の健康診断での色覚検査が廃止される
2003年5月、大阪府立中央図書館が、近畿地区の約百人を対象に、デイジー録音された図書をインターネットで配信する実証実験を開始(2005年3月まで)
2003年6月、JBS日本福祉放送が、電話でも聞くことのできるメールマガジン「JBSクラブ」を発行(テキストデータの電子メール版もあり)
2003年6月、著作権法の一部が改正(施行は2004年1月)。拡大教科書について、一定額の補償金を支払えば(ボランティア作成の場合は免除)、著作権者の許諾を得ずに掲載できる一般教科書の特例に準じた扱いとなる。
2003年6月、国連の「障害者権利条約に関する臨時委員会第2回会合」が、「障害者の権利条約」を作成する必要があるとの認識で一致し、2004年内の条約起草に向けた作業部会を設置することで合意。
2003年7月1日、JBS日本福祉放送が、有料の会員向けサービスとして、インターネット実験放送を開始(2004年5月までのキャンペーン期間は月額500円)
2003年7月18日、改正公職選挙法が成立(施行は2004年3月1日)。上肢または視覚の障害程度が1級の重度障害者で自ら投票用紙に記載できない者につき、代筆による郵便投票が認められる。
2003年7月、バチカン美術館が、目の見えない人のために美術品の一部を「触る美術館」として公開すると発表(予約が必要)
2003年7月、日本が提案し、2001年11月にISOから発行されたガイド「ISO/IECガイド71」をJIS化した規格「JIS Z8071」(高齢者や障害者に配慮すべき点を一覧表にまとめたもの)制定
2003年7月、盲学校やろう学校の教員、研究者らを中心に、全国盲ろう教育研究会発足
2003年8月、世界のバリアフリー絵本展(17カ国、43タイトル。手話付絵本、絵文字で書いた絵本、布の絵本、触る絵本、音声付絵本、やさしく読める本など)の全国巡回始まる(2005年7月までの予定)
2003年8月、ネットイン京都が、視覚障害者や高齢者がPDA(携帯情報端末)の音声で新聞記事などを聴けるサービス「ユビキタス・ラジオ」を開始
2003年9月、都教委が、「不適切な性教育をした」として、都立盲・ろう・養護学校の教員を処分(七生養護学校事件)
2003年9月、チューリッヒで、国際点字楽譜会議が開催される
2003年、視覚障害者支援総合センターが、若い視覚障害者の社会貢献を支援するため、チャレンジ賞(男性対象)、サフラン賞(女性対象)を創設。 10月、渡辺岳(弁護士)が第1回チャレンジ賞、高橋玲子(日本玩具協会共遊玩具推進部会部長。共用品の基準作りなどで国際的にも活躍)が第1回サフラン賞を受賞
2003年、オンキヨー株式会社と点字毎日の共催で「オンキヨー点字作文コンクール」が開催される。翌年からは、国内だけでなく海外部門も設け、アジア・太平洋地域、西アジア・中東地域、ヨーロッパ地域と対象地域を拡大、09年の第7回からは北米・カリビアン地域へも対象を広げ、点字、活字併記の入賞作品集を全国の図書館等に寄贈するとともに、英語版作品集を世界186ヵ国に寄贈(2011年の第9回からは「オンキヨー世界点字作文コンクール」と改称)
2003年10月、福岡市で、第1回日本視覚障害者ボウリング選手権大会
2003年10月、日本視覚障がい情報普及支援協会(JAVIS)が、スピーチオで聞けるSPコード版「SPニュース」を週2回発行(12月末まではお試し版で無料、2004年1月からは月額千円)。また、2005年9月より、SPコードによる薬剤情報提供サービスを開始
2003年10月、障害学会(Japan Society for Disability Studies)発足。初代会長: 石川准。
2003年10月、警察庁交通規制科が、視覚障害者のための音響信号機の音を「異種鳴き交わし方式」(横断歩道の両端で「ピヨ」と「ピヨピヨ」または「カッコー」と「カカッコー」の音を交互に出して誘導する)に統一するよう全国の県警に通達。新設分より順次この方式に切り替わる。
2003年11月、カナダ盲人援護協会(CNIB)が、CNIB電子図書館を公開。1万タイトル以上の音声資料・墨字資料・点字資料と、40タイトル以上の新聞・雑誌・データベース等の一次資料のオンラインでの利用、6万タイトルを超える資料の書誌情報検索や貸出申込みができる。また、読むことに障害を持つ子どもたちのための世界初のポータルサイトである「子どものための発見ポータル」では、録音図書をオンラインで利用できる。
2003年12月、東京で、第1回アジア視覚障害者ボウリング大会開催
2003年12月、吉野美夫が、ロックアートで製作した日本と静岡県の触れる立体地図を静岡県立静岡盲学校に寄贈。以後、全国の各盲学校に、日本地図とその盲学校の所在県の地図を順次寄贈の予定。
2003年、福祉関係者・医療関係者・ボランティアや当事者を中心に、見えない・見えにくい人たちのQOLの向上、ロービジョンケア、情報提供や情報交換を目的に、「きんきビジョンサポート(KVS)」発足
2004年1月、イタリア、ウェブサイト・技術について、アクセシビリ法(プブリ・アチェッソ)公布
2004年2月、「全国働く障害者ユニオン」結成
2004年3月、「全国介助犬協会」(身体障害者補助犬法に基づく介助犬の全国規模での育成を目指す初の組織)設立
2004年3月、国土交通省が「自律移動支援プロジェクト推進委員会」を設立(街の各所にICタグを取り付けて専用の携帯端末に色々な情報を提供し、自立歩行を支援しようとするプロジェクト)。2004年10月、神戸市でプレ実証実験開始。2005年度より神戸市で本格的実証実験。
2004年3月、三重県立美術館が、視覚障害児(者)のための美術教育支援教材「触ってセット」を製作
2004年4月、カナダのトロントで開かれた「国際英語点字協議会(ICEB)の総会で、統一英語点字コード(UEBC)が採択される (2004〜5年に、オーストラリア、ニュージーランド、ナイジェリア、南アフリカが、2010年にカナダが、2011年10月にイギリスが、UEBCの採用を決定。2012年11月、北米点字委員会(BANA)が、将来のアメリカの点字としてUEBCを採用することを決める(理数記号のためのネメメス・コードは存続)。日本では、英文に限り、2016年度の中学英語教科書より順次導入。)
2004年4月、一般の小中学校に在籍する視覚障害児のための拡大教科書が今年度分から無償給付となる。さらに6月、点字教科書についても今年度後期分から同様の扱いにすると文部科学省が表明。
2004年4月、日本点字図書館と日本ライトハウスが、視覚障害者向け録音図書ネットワーク配信サービス「びぶりおネット」を開始。配信されるのは、両館が所蔵するDAISY形式の図書データで著作権許諾の得られたもの。 (2005年10月より、点字データ配信サービスも開始。2006年末現在、視覚障害利用者約900人)
2004年4月、成松一郎(1961〜)が、書籍のユニバーサルデザインを目指して、有限会社読書工房を設立
2004年4月、名古屋盲人情報文化センターが、ラージサイズの点字を書くための携帯点字器「だいてん丸」を開発・発売
2004年4月、横浜市に、「日本盲導犬協会付設盲導犬訓練士学校」(日本初の盲導犬訓練士養成学校)開校
2004年4月、(株)ワールドマンセルが、色識別補助レンズ(赤と緑を識別しやすくする)を発売
2004年5月20日、日本規格協会が、障害者や高齢者等にも使いやすいITを開発するための配慮を定めたJIS規格「JIS X 8341 高齢者・障害者等配慮設計指針-- 情報通信における機器、ソフトウェア及びサービス」の「第1部:共通指針」と「第2部:情報処理装置」を公布。さらに、6月21日に、ウェブサイトのアクセシビリティを扱った「第3部:ウェブコンテンツ」を公布。
2004年5月、第10回高齢者・障害者のモビリティと交通に関する国際会議(TRANSED2004)が、静岡県浜松市で開かれる(第1回は1978年にイギリスで開催)
2004年5月、障害者基本法改正案が成立(基本的理念に、障害を理由としたあらゆる差別や権利侵害の禁止が入れられる)
2004年6月、NPO「ことばの道案内」が、インターネットや携帯電話を活用して、最寄り駅から福祉施設や公共施設・宿泊施設・映画館などまでの道順を言葉で説明する視覚障害者向けの道案内を開始 (2009年現在約500施設へのルートを掲載)
2004年6月20日、JIS企画として、「紫外線硬化樹脂インキ点字 品質及び試験方法」が制定される。UV点字の強度や大きさ・高さ、それを評化するための試験方法が規定される。
2004年7月、全国18府県で、参議院比例区の政党公報を全文点訳した「参議院比例代表選出議員選挙のお知らせ 完全点訳版」を配布
2004年7月、「視覚障害者向け解説放送開発調査研究会」発足。8〜9月に、視覚障害者600人に解説(副音声)放送についてのニーズ調査を行う。
2004年8月、全国盲学校普通科教育連絡協議会の調べで、2003年度中に、普通校在籍の視覚障害の児童生徒が盲学校で指導を受けたのは317人(幼児34、小学生241、中学生35、高校生7)、また盲学校の教員が普通校などに出向いて指導したケースは227人。
2004年8月、中日電子が、超音波を使った歩行補助具「モールスソニック」を発売 (超音波で物体までの距離を計り、物体までの距離の遠近を振動の速さの変化で知らせ、また正確な距離をモールス符号で知ることもできる)
2004年8〜9月、日本点字図書館が、アジア太平洋地域の視覚障害青年を対象に、第1回池田輝子ICT奨学金事業講習会を実施
2004年9月、障害者のための「大阪府ITステーション」開館
2004年10月、日本点字図書館が、同図書館の創立者本間一夫を記念して「本間一夫文化賞」を創設。第1回受賞者は、阿佐博(1922〜2018年。4歳の時ダイナマイトの暴発で失明。1990〜2002年、日本点字委員会会長)。
2004年10月、日盲連をふくむ主な障害者関係11団体が連携して「日本障害者フォーラム」(JDF)発足
2004年11月、ピアニスト・バリトン歌手の北田康広(1965〜。未熟児網膜症と医療ミスで5歳で失明。筑波大附属盲専攻科音楽科を経て武蔵野音楽大学ピアノ科卒業)が「ことりがそらを」でCDデビュー
2004年11月、第32回毎日農業記録賞の一般部門で、太田徳昭(55歳。30歳ころ網膜色素変性症で失明)の「花と私〜視覚障害を乗り越えて花栽培に挑戦〜」が最優秀賞受賞
2004年12月、「特定障害者給付金法案」が成立(国民年金加入が任意だった時代に未加入のまま障害を負い、障害基礎年金を受け取れない元大学生と専業主婦の無年金障害者に、福祉的措置として税財源で手当を支給)
2004年12月、高知システム開発が、自社製品のパソコン画面につき、テレサポート・サービスを開始
2004年12月、大阪で、視覚障害者と晴眼者によるアート体験ツアー「読歩PROJECT」第1回開催
2004年、エイブル・アート・ジャパンが、全国310館を対象に、視覚障害者の美術館・博物館利用に関するアンケート調査を実施
2004年4月、韓国、チョン・ファンウォン(全盲)が、野党ハンナラ党から立候補して当選
2004年12月、第6回WBU総会で、毎年10月15日を「白杖の日」と定める。
2005年1月、「全国視覚障害児童・生徒用教科書点訳連絡会」発足(2006年8月NPO法人化)
2005年1月、韓国、「交通弱者便宜増進法」(移動権法)成立
2005年2月、全国障害学生支援センター(1999年4月発足)が、2004年6月に行った障害学生の大学受け入れ状況などについての調査のまとめを公表。全国717大学の内373大学が回答。視覚障害者の受験が可能194、不可18、未定174。(聴覚障害では可能218、不可18、未定150。以下、肢体障害では234、10、142。内部障害では190、11、185。知的障害では72、62、252。学習障害では76、59、251。)調査時点で、何らかの障害を持つ学生が在籍しているのは279校で総数1490人。その内、全盲は39校60人、弱視は75校122人。また、点字受験の実施が確実な大学は59校。
2005年2月、毎日新聞社が、「点字毎日音声版」(DAISY形式)創刊
2005年2〜3月、視覚障害者支援総合センター主催で、各地で活動中の視覚障害者音楽家によるコンサートと講演会「競い合い、助け合う コンサート ―羽ばたけ視覚障害音楽家たち―」が、名古屋・大阪・東京で開催される
2005年3月、医師国家試験に大里明弘(1955〜.東京医科歯科大学4年、23歳の時、左眼失明、右眼の視力も低下。拡大読書機を使って医師国家試験を受けるが不合格。現在は光覚)が合格。精神科臨床医を目指す (9月医師免許公布、12月より筑波大附属病院で臨床研修)
2005年3月、「インド障害者運動の父」として知られるL.アドヴァニ没。 (1922年現パキスタンのハイデラバードに生まれ、先天性緑内障のため12歳で失明。カラチの盲学校で学んだ後、理学療法士として働きながら独学で語学や歴史学を学び、1943年にボンベイで行われたロンドン大学の認定試験に合格。47年、インド文部省に入る。50年代に、視覚障害・聴覚障害・知的障害・肢体不自由の4つの全国組織の設立に関わり、インドにおける障害者運動の基礎を築く。)
2005年5月、文部科学省によると、2004年度、盲学校から一般の大学や短大へ進学した生徒の割合は約12%(10年前の1994年度は約4%)
2005年5月、日本点字図書館が、「ユニバーサルデザイン推進室(UDラボ)」を開設。触図製作及び関連事業、録音図書ネットワーク製作、DVDコンテンツの副音声製作の3事業を展開。
2005年6月、欧州委員会が、EUの総合的情報社会戦略である「i2010」を発表 (地域的、年齢的、身体的差異によるデジタルディバイドの解消、政府が調達するICT機器やサービスなどのアクセシビリティ確保の義務付けなどを含む)
2005年7月、東京で、「拡大教科書の現状と課題〜安定供給のために、いま何が必要か」をテーマに、第1回出版UD研究会開催
2005年7月、障害者雇用促進法が改正される (施行は2006年4月。精神障害者も雇用率制度に含める、在宅就業障害者に対する支援等)
2005年8月、主に視覚障害者のための理数系教育支援を目的として、NPO法人サイエンス・アクセシビリティ・ネットが発足
2005年8月、視覚障害者へのロッククライミング普及を目的に、NPO法人モンキーマジック発足(代表 小林幸一郎)
[小林幸一郎:1968年〜。16歳頃からフリークライミングを始める。28歳の時に網膜色素変性症であることが判り、失明を宣告される。2005年、国際登山プロジェクトに参加し、世界の視覚障がい者とキリマンジャロ山登頂。06年7月 第1回障害者クライミング世界選手権 視覚障害男子の部優勝。2010年12月、千葉県で開催された第1回視覚障害者クライミング世界選手権(International Federation Sports Climbing。日本山岳協会共催)を企画・運営。2012年、自伝『見えないチカラ―視覚障害のフリークライマーが見つけた明日への希望』]
2005年8月、イギリス、16ポイント以上の拡大文字による印刷物が盲人用郵便として無料となる
2005年8月、ベトナムのホーチミン市で、第1回アジア視覚障害者サッカー選手権開催
2005年9月、「日本身体障害者補助犬学会」発足
2005年9月、文部科学省の調査で、2005年1月現在、全国の小・中学校の通常学級に在籍する弱視児は1739人(小学生1255人、中学生484人)
2005年9月、青山茂(全盲)を中心に、可動式ホーム柵の普及を目指して「駅にホーム柵を! 日本会議」発足
2005年9月、韓国からの留学生全英美(チョン・よんみ。4歳で失明。清州盲学校小中学部、高等部理療科を経て、テグ大学初等特殊教育科卒業。1996年に来日し、福岡県立福岡盲学校理療科卒業。2001年筑波大学大学院教育研究科障害児教育専攻修士課程終了)が、東京大学大学院工学系研究科先端学際工学専攻を卒業、博士号を取得(テーマは針きゅう師の日韓比較。2007年『視覚障害者と鍼治療――施術における衛生保持確立は可能か?』を出版)
2005年10月、「バリアフリー資料リソースセンター」設立 (市販の本をそのままでは利用できない人たちのために、パソコンで音声読み上げしたり拡大して読書できる形式のデータを収集・製作し、原本と同価格で提供することを目的とする)
2005年10月、富山県で、言葉を通して視覚障害者とともに美術鑑賞する「ミュージアム・アクセス・とーくる」発足
2005年10月22日、携帯電話、固定電話、FAXなどにおいて、高齢者や障害者等が利用可能となるよう配慮すべき事項のガイドラインとして、日本工業規格「JIS X 8341 高齢者・障害者等配慮設計指針−情報通信における機器、ソフトウェア及びサービス」の「第4部:電気通信機器」が制定される
2005年10月31日、「障害者自立支援法案」が衆議院で可決・成立。身体、知的、精神の障害種別ごとに分かれていたサービス体系を一元化、障害程度区分を見直し、利用したサービス料の原則1割を障害者に課す。2006年4月1日より一部施行、2006年10月1日より完全施行(地域生活支援事業開始)。
2005年11月、(株)大活字が、読者の注文に応じたオンディマンド出版を開始 (同社発行の本7冊、および同社が扱う算数・英語・数学の拡大教科書につき、文字の大きさや図版の拡大率を変えたA5・B5・B4版からもっとも読みやすい物を選び注文できる)
2005年12月、EU(欧州連合)議会が、障害者の航空機および空港利用について差別を禁止する規則を採択。 (2008年までの実施を目指す。)
2005年、インドの障害者運動の父と呼ばれたアドヴァニ(Shri Lal Advani: 1922〜2005年)没 (緑内障のため10歳過ぎに失明。1934年カラチの盲学校に入学。1942年インドで初めて設けられた理学療法師の課程を受け、理学療法師として病院に勤務。英語、フランス語・歴史などを独学し、43年にロンドン大学がボンベイで行った検定試験で優等な成績をおさめる。1947年インド政府の文部省に入り、視覚障害者の教育環境整備に尽力。1950年代には、視覚障害、聴覚障害、肢体不自由、知的障害の4つの全国規模の障害者団体の結成に関わる。その後社会福祉省に移り、次官まで昇進し、1982年引退。その後も、1995年のインド障害者差別禁止法の制定・施行に寄与し、また国際的な視覚障害者団体の要職もつとめた。)
2006年3月、国立民族学博物館で、企画展「さわる文字、さわる世界─触文化が創りだすユニバーサル・ミュージアム─」開催(〜9月)
2006年3月、新潟県立高田盲学校が閉校となる (高等部は新潟県立新潟盲学校に統合、小中学部は新潟盲学校高田分校として上越養護学校内に移設される。2013年3月に、高田分校も閉校となる。)
[高田盲学校: 1886年眼科医杉本直形・大森隆碩らが「訓盲談話会」を設立、翌年「盲人矯風研技会」に改称(この年を創立年とする。京都の盲唖院、東京の楽善会訓盲院についで全国で3番目の盲学校)、1891年「私立訓矇学校」に改称、1949年新潟県に移管し「新潟県立高田盲学校」に改称]
2006年3月、全国銀行協会が、行員を対象に「銀行におけるバリアフリーハンドブック」を発行
2006年4月、全国約7500の医療法人で、SPコード付き医療情報提供サービス開始
2006年4月、オーストラリアの全盲のプログラマーMichael CurranとJames Tehが、フリーの Windows 用スクリーンリーダー「NVDA (Non Visual Desktop Access)」を開発・公開。NV Accessという非営利団体が組織され、バージョンアップと各国語への対応が行われる。現在40以上の言語に対応(日本語対応は2013年5月に実用化)。
2006年5月、東京大学が、視覚障害者2人をヘルスキーパーとして採用
2006年5月、韓国、憲法裁判所が、視覚障害者のみにマッサージ師の資格を付与する現行制度につき、視覚障害者以外の国民の職業選択の自由を侵害するとして、違憲判決 (韓国では、1973年にマッサージの盲人専業が法制化された)
2006年6月15日、「高齢者障害者移動円滑化促進法」成立 (建築物を対象にしたハートビル法と公共交通の旅客施設を対象とした交通バリアフリー法を一本化、対象となる地域・施設を拡大。2006年12月20日施行)
2006年6月15日、改正学校教育法が成立(盲学校・ろう学校・養護学校の法令上の位置付けを「特別支援学校」に一本化。複数の障害のある子供にも対応しやすくする。施行は2007年4月1日)
2006年6月、東京に、「視覚障害者就労生涯学習支援センター」開所
2006年8月、吉住寛之(1973〜.11歳の時緑内障になり目薬の副作用で失明。1993年九州大学法学部入学、99年同大学院終了)が、民間検定「ビジネス実務法務検定試験2級」に合格(点字受験ではなくボランティアによる代読・代筆)
2006年8月、東京で、第1回全日本ブラインドダンス選手権大会(主催: 日本ダンス議会)
2006年8月、第8回国連障害者の権利条約特別委員会で、障害者権利条約草案仮採択
2006年8月、ドイツ、障害者の均等処遇に関する法律が制定される
2006年9月、視覚障害者用システムのサポートや販売をしている株式会社ラビット(代表・荒川明宏(全盲)、1999年設立)が、月刊のボイスマガジン「ルナドリーム」を創刊(ネット配信または音楽形式のCDで提供)
2006年9月、本年5月に行われた法科大学院修了者を対象とした初の新司法試験で、大胡田誠(29歳。先天性緑内障、12歳で失明。筑波大学付属盲学校卒業後、慶応大学法学部、慶応大学法科大学院出身)が合格 (試験はパソコンと点字を併用。2007年12月、渋谷シビック法律事務所入所。2012年『全盲の僕が弁護士になった理由』。2017年、第15回チャレンジ賞) (なお、弟で全盲の大胡田裕も、教員採用選考試験に合格、2007年4月より静岡県立沼津西高の英語教員)
2006年9月、日本財団の支援を受け、筑波技術大学が中心となって、「アジア視覚障害者マッサージ指導者協議会設立準備会議」開催、2007年3月ラオスとカンボジアで第1回海外セミナーを開催、2007年10月「アジア医療マッサージ指導者ネットワーク」(Asia Medical Massage Instructors Network: AMIN)設立
2006年9月、国土地理院が、触地図をパソコンで簡単に編集・制作できる「触地図原稿作成システム」を公開、無償提供を開始
2006年9月、香港のグレース・チャン(Mrs. Grace Chan: 1945〜.香港盲人補導会(The Hong Kong Society for the Blind)行政総裁)が、アジア太平洋地域の失明防止と視覚障害者福祉への献身により、第14回ヘレンケラー・サリバン賞を受賞
2006年10月、千葉県で、全国発の障害者差別をなくすための条例(「障害のある人もない人も共に暮らしやすい県づくり条例」)が成立 (差別の定義、県知事による勧告など差別の解決策、裁判など紛争処理での障害者への公的助成など。2007年7月施行)
2006年10月、地方自治体が行う地域生活支援事業の一つとして「コミュニケーション支援事業」が創設され、その中に視覚障害者への点訳・音訳等による支援も加えられる (2007年1月に、厚労省の委託で日本ライトハウスが行った調査では、全国の自治体の中で視覚障害者へのコミュニケーション支援事業を行っているのは10%以下)
2006年10月、日本盲導犬協会が、静岡県富士宮市に、盲導犬の繁殖、訓練、引退後のケアまでを一貫して行う「日本盲導犬総合センター」を開設
2006年10月、日本点字図書館が、録音図書のうちテープ図書の貸出サービスを2011年で終了し、デイジー図書のみとすると発表
2006年10月、筑波大学附属視覚特別支援学校音楽科が、視覚障害児を対象に、「小・中学生のための音楽スクール」を開始 (以後毎年度開催)
2006年10月31日〜11月2日、茨城県つくば市で「経穴部位国際標準化公式会議」が開催され、361経穴部位の国際標準化が決定 (2008年6月『WHO標準経穴部位英文公式版』発行、2009年3月同日本語公式版発行)
2006年11月2〜4日、東京で、視覚障害者のための国際情報・機器&サービス総合展「サイトワールド」開催 (展示会、講演会、シンポジウム、フォーラム、映画会、意見交換会、自主研究発表会、体験会など) (その後毎年開催)
2006年12月13日、第61回国連総会が「障害者の権利条約」を全会一致で採択 (移動の障害の除去、情報へのアクセス、教育における機会平等、就職や昇進面での差別禁止、さらに条約の実施状況について国内および国際的な監視機構の設置などが盛り込まれている。2007年3月30日から署名、批准が可能となり、20カ国が批准した時点で発効。日本政府は2007年9月に署名。2008年4月批准国が20カ国になり2008年5月3日発効。日本では2013年12月批准案が国会で承認される。2013年10月現在138ヶ国・機関が批准)
2006年12月15日、著作権法の一部を改正する法律案が成立(施行は2007年7月1日)。視覚障害者の用に供するために行う録音図書の自動公衆送信が、著作権者の許諾なしにできるようになる(第37条第3項)
2006年12月、箏曲家の中塩幸祐没
[中塩幸祐: 1911〜2006年。本名:幸助。広島県生まれ。2歳の時薬の副作用で失明。1923年大阪に出て大阪市立盲学校に入学、24年菊田歌雄に入門、27年大阪市立盲学校中等科音楽本科卒業、29年東京に出、宮城道雄に作曲を学ぶ。1938年箏曙会を結成し、家元として幸祐を名乗る。演奏活動、門下生の育成とともに、200曲近くを作曲。また、古典箏曲伝承者を訪ねて録音し600曲近くを楽譜に起こして、古典箏曲や地歌の発掘・保存に尽力。1979年には古典箏曲を支えてきた盲人音楽家の三百年間の系譜をまとめた『先師の足跡』を出版。1978年第15回点字毎日文化賞、1980年黄綬褒章]
2006年、日本彫刻会の第36回日彫展で、視覚障害者のための触れる彫刻鑑賞プロジェクトが開催される (以後毎年開催)
2006年12月、アメリカ、「National Instructional Materials Access Center (NIMAC")」が、拡大文字や点字など多媒体教科書の提供を開始(各教科書出版社に定められたファイルフォーマットでのデータ提供を義務付け、それをセンターが多媒体に変換して各障害児に適した教科書を提供)
2007年2月、日本魚類学会が、「メクラ、オシ、バカ、テナシ、アシナシ、セムシ、イザリ、セッパリ、ミツクチ」の9つの差別的語を含む32種の魚類の標準和名について改名すべきと提案 (例:メクラウナギ→ホソヌタウナギ、オシザメ→チヒロザメ、メクラアナゴ→アサバホラアナゴ、セムシイタチウオ→セダカイタチウオ)
2007年2月、横浜市交通局が、地下鉄ブルーラインの全32駅で可動式ホーム柵の設置工事に順次着手
2007年2月20日、「JIS S 0022-3 高齢者・障害者配慮設計指針−包装・容器−触覚識別表示」制定
2007年3月、日盲社協の調査によれば、全国で実働している盲導犬は965頭(昨年より13頭増加。2008年3月は996頭、2009年3月は1045頭、2010年3月は1070頭、2011年3月は1067頭、2012年3月は1043頭、2013年3月は1013頭、2014年3月は1010頭、2015年3月は984頭、2016年3月は966頭、2017年3月は951頭、2018年3月は941頭。なお、国際盲導犬連盟によれば、各国の盲導犬実働数は、アメリカ8000頭以上、イギリス4656頭、ドイツ1500〜2000頭、フランス1500頭、ロシア800頭、スペイン562頭、オランダ500頭、オーストラリア493頭、ベルギー350〜400頭、スイス350頭、ニュージーランド303頭)
2007年3月、「JIS T 0922:2007 高齢者・障害者配慮設計指針−触知案内図の情報内容及び形状並びにその表示方法」制定
2007年3月、韓国、「障害者差別禁止及び権利救済等に関する法律」成立(2008年4月施行)
2007年4月、一部の盲学校が校名を「視覚特別支援学校」等に変更。また、一部の県では、他の障害種も含む「特別支援学校」に再編・統合する動きもある。
2007年4月、「JIS S 0026:2007 高齢者・障害者配慮設計指針― 公共トイレにおける便房内操作部の形状、色、配置及び器具の配置」制定
2007年4月、日本点字図書館が、視覚障害者にDVD音声解説CDの貸し出しを開始(パソコンでDVDを再生しながら人物の動作や場面などの状況解説を聴くことができる。解説ナレーションはシティライツが制作)
2007年4月、「アートリンク日米フォーラム」が、岡山、京都、東京で開催される(アートリンク: 障害者とアーティストとがペアを組んで共同制作するプロジェクト。1995年、Grace-Ann Alfieroがフロリダ州で「Creative Clay」を設立し、提唱)
2007年4月、「演劇結社ばっかりばっかり」発足 (「観る側も、演じる側も、バリアフリー」がコンセプト。全盲の役者も演じ、また視覚障害者も聴覚障害者も劇場で一緒に楽しめる)
2007年、有限会社安久工機が、見えない人が触れて確認でき描き直しもできる絵筆「触図筆ペン みつろうくん」を開発・発売
2007年6月、大阪市のNPO法人アイティーフリーが、第一回全国視覚障害者携帯ワープロ競技大会を開催
2007年6月、東京で「全国音訳ボランティアネットワーク」設立総会 (代表:藤田晶子。2012年からは、テキストデータの提供も始める。)
2007年7月、日本学生支援機構が、2006年度に行った大学・短大・高専における障害学生の収学支援に関する実態調査の結果を公表。1167校が回等。670校に4937人の障害学生が在籍(全学生数の0.16%)。内訳は、肢体不自由1751人(35.5%)、聴覚・言語障害1200人(24.3%)、病弱・虚弱877人(17.8%)、視覚障害510人(10.3%)、発達障害127人(2.6%)、重複93人(1.9%)、その他379人(7.7%)。視覚障害学生は全盲176人、弱視334人で、何らかの授業保障を受けている者は全盲145人、弱視222人。その内容は、試験時間延長・別室受験が82校(59.4%)、教材の拡大が72校(52.2%)、回等方法の配慮が67校(48.6%)、ガイドヘルプが24校(17.4%)、リーディングサービスが29校(21.0%)、ノートテイクが13校(9.4%)。
2007年7月、参議院議員選挙で、比例区の選挙公報全文の点字版とともに、カセットテープ版および音声コード付拡大文字版が制作される(選挙区選挙の選挙公報についても、一部で、同様の方式で製作される)
2007年7月、シンガポールで開催された「世界緑内障会議2007」において、3月6日を「世界緑内障の日」と定め、2008年より毎年この日を中心に世界緑内障協会(World Glaucoma Association)と世界緑内障患者協会(World Glaucoma Patient Association)が中心となって各国で啓発活動を行う
2007年7月〜9月、上野動物園で「ポケットミュージアム〜見て 触れて 感じて! はくせい動物園〜」開催
2007年8月、「2007年度学校基本調査(速報)」によれば、盲学校高等部卒業者は283人、その内進学者が109人、就職者が35人、公共職業能力開発施設入学者が6人、その他が130人。進学者109人の内訳は、大学27人、短大4人、大学・短大の通信教育部1人、盲学校(特別支援学校)専攻科が77人。
2007年8月、愛媛県で、特別支援学校再編整備計画案として、松山盲学校を松山聾学校に移転統合し、知的障害高等部を新設する案が公表される。この移転統合案に反対する「盲学校を現在地に存続させる会」が発足、9月の県議会で同会が提出した請願書が全会一致で採択。11月12日、県教委の第三者委員による検討委員会が、最終案としてほぼ従来の計画案通り県教委に報告することを決定。 (9月に発足した「ろう学校を守る会」も、県立松山聾学校・同宇和聾学校それぞれに他の障害の学校を統合する案に反対し単独校維持を求めて活動)
2007年8月、大阪府茨木市で、第1回石創画タッチ展開催(以後毎年開催) (石創画:石の粒にセメントを混ぜ、それに顔料も加えて練り合わせ、それを型に塗り込んで、乾いたあとで磨き上げて、絵を描く方法。江田挙寛(1942年〜)が1978年に開発した技法)
2007年8〜9月、「国際視覚障害者援護協会」と「ウイズ」(視覚障害者中心の授産所)が、ミャンマーの盲学校で、視覚障害者に白杖の製作および使用方法を指導
2007年9月、第2回目の新司法試験に中京大法科大学院の田中伸明(40歳。網膜色素変性症のため名古屋大学工学部在学中に視力が衰え法学部に転部して卒業)が合格(試験では点字と音声パソコンを使用)
2007年9月、内閣府が、音声広報CD「明日への声」発行開始 (ほぼ隔月刊。2010年からは点字広報誌「ふれあい らしんばん」も発行)
2007年10月、名古屋ライトハウス愛盲報恩会より『視覚障害人名事典』刊行(視覚障害者と関係者約700人を掲載)
2007年10月、総務省が「視聴覚障害者向け放送普及行政の指針」を公表。2017年までに達成すべき数値目標: 字幕放送については、複数の話者が同時に話すワイドショーやバラエティなど一部の生番組や音楽番組などを除く、すべての放送、解説放送については、NHK総合と民放で10%、NHK教育で15%の番組 (2007年現在:NHK総合で3.7%、NHK教育で8.7%)
2007年11月、セブン銀行が、視覚障害者向けにATM備え付けのインターホンによる音声ガイダンス取引きを全ATMで開始
2007年11月28日、補助犬を連れた障害者の受け入れを企業に義務づけるなどを規定した「改正身体障害者補助犬法」が成立 (2008年4月部分施行、2008年10月完全施行)
2007年12月、ブラジル、通信省が、ブラジル郵便公社が差出人の依頼により視覚障害者宛の郵便物の内容を点訳して配達するサービスを開始すると発表
2007年、イタリア議会が、毎年2月21日を「点字の日」とする法律を可決。
2008年1月、視覚障害教育の研究者たちが、「『視覚障害に対応する教育を専ら行う特別支援学校(盲学校)』の必要性に関する緊急アピール」(代表:鳥山由子筑波大特任教授)を発表
2008年1月、沖縄県教育委員会が示した盲学校と知的障害との併設型特別支援学校への移行案を受けて、沖縄盲学校の保護者・同窓生・退職教員などが「沖縄盲学校の未来を考える会」を結成、盲学校の単独維持型を求め活動開始
2008年1月、明石市立文化博物館で「遠き道展 はてなき精進の道程」が開催され、日本画を視覚障害者が鑑賞するための様々な方法(触れられる日本画、日本画のレリーフ、点図・立体コピー・樹脂による触図化、ボランティアによる鑑賞ガイドツアー、CDを使った図録、蜜蝋ペンを使った体験ワークショップ、音声ガイド等)が試みられる (同展覧会は、以降2年間にわたって、全国約20箇所のミュージアムで順次開催される予定)
2008年1〜4月、京都市学校歴史博物館で、「京都盲唖院発!障害のある子供たちの教育の源流」展開催(会期中4日間は展示物に触れられる)
2008年2月、アメリカ、ジャズピアニストのクリス・アンダーソン(Chris Anderson: 1926〜2008年)没 (半身不随、20歳で失明。ハービー・ハンコック等に影響を与える)
2008年3月19日、民主党が参議院に教科書バリアフリー3法案を提出
[教科書バリアフリー関連3法案:「標準教科用拡大図書の発行等に関する法律案」(教科書会社が拡大教科書の発行や教科書作成のための電子データを提供することなど)、「小中学校及び高等学校に在学する視覚障害を有する児童生徒等の教科用拡大図書等の使用の支援に関する法律案」(小中学校における拡大教科書等の無償措置及び高等学校における拡大教科書の購入に対する援助措置)、「特別支援学校への就学奨励に関する法律の一部を改正する法律案」(特別支援高等部専攻科の音声教科書購入費の援助措置など)]
2008年3月、厚生労働省より「平成18年身体障害児・者実態調査結果」が公表される
2008年3月、プルデンシャル・タワー(東京)の敷地内にある坂口陽史メモリアルガーデン内に、視覚障害者もひとりで香りと手触りを楽しめる「タッチ・アンド・スメル・ガーデン」オープン
2008年3月、アメリカ、デビッド・パターソン(david alexander paterson, 1954〜、民主党)が、ニューヨーク州知事に就任 (アメリカ史上4人目、ニューヨーク州では初の黒人州知事。生後3か月で感染症のため左眼を失明、右眼も強度弱視となる。両親は市内の普通学校で教育を受けさせようとするが、特殊学級でなければ受け入れられないとされたため、普通学級への通学が可能なロングアイランドに転居してヘンプステッドの公立学校に入学。1971年に地元の公立高校を卒業し、1977年にコロンビア大学から学士(歴史学)、1983年にホフストラ大学のロー・スクールから法務博士(専門職)の学位を得、クイーンズ区の地区検察局に就職。ニューヨーク州の司法試験を受けるが、視覚障害にたいする配慮が不十分なこともあって不合格、85年に検察局を退職。85年10月、第29選挙区(黒人の多いハーレム地区を含む)から上院議員に当選。その後連続当選し、2003年には院内総務となり、06年11月、州知事選挙で知事候補エリオット・スピッツァーとともに副知事として立候補、07年1月副知事就任。2008年、スピッツァーが高級売春クラブの会員だったというスキャンダルで州知事を辞職、規定によりニューヨーク州知事に就任、2010年12月末までその任にあった。)
2008年4月、『盲ろう者への通訳・介助−「光」と「音」を伝えるための方法と技術』(社会福祉法人全国盲ろう者協会編著)が刊行される(様々なコミュニケーション方法が解説されている)
2008年4月、京都の市民ボランティアグループ「ユニーズ」が、観光などの目的で他府県から京都に来る視覚障害者をサポートする「アイヘルパー」の活動を開始
2008年6月、「視覚障害をもつ医療従事者の会(ゆいまーる)」発足 (医師や理学療法士など、いろいろな医療関係職に従事する視覚障害のある人たちの会。代表:守田稔)
2008年6月10日、「障害のある児童及び生徒のための教科用特定図書等の普及の促進等に関する法律(通称 教科書バリアフリー法)」(議員立法)が、衆議院文部科学委員会及び本会議において全会一致可決・成立 (「教科用特定図書」とは拡大教科書と点字教科書を指す。教科書会社にたいして、検定教科書の電子データを国に提供することを義務付け、また拡大教科書の発行を努力義務とする等。合わせて著作権法第33条の2の一部も改正され、視覚障害ばかりでなく発達障害等にたいする配慮が明記される。施行は、2008年9月17日)
2008年6月、大阪府の職員採用試験(大学卒程度)で、点字試験に音声パソコンを併用する受験が行われる。
2008年6月、千葉県立中央図書館が、視覚障害者や寝たきりの高齢者らを対象に、ボランティアが朗読した図書の内容をデジタルデータで収録した携帯音楽プレーヤー「iPod」の貸し出しを開始
2008年7月、日本財団とアジア太平洋障害者センターが、バンコクで「視覚障害者リーダー・未来への対話――よりよいアジア社会の構築を目指して!!」を開催
2008年8月、WBU(世界盲人連合)の第7回総会がジュネーブで開催。WBU-AP(WBUアジア太平洋地域協議会)の会長に指田忠司が選ばれる(〜2011年)
[指田忠司:1953〜。高校1年のとき体育の事故で失明。東京教育大学附属盲学校を経て、早稲田大学法学部に入学し、1978年同大を卒業。1977〜91年、法律職を目指す視覚障害者の研究団体ユスティティアの会代表。1992年より、日本障害者雇用促進協会障害者職業総合センター研究員(2013年より特別研究員)。2003年より、日盲連国際委員会事務局長。視覚障害者の雇用問題、各国の障害者雇用制度、障害者差別禁止法などに関する研究をして多くの論文を発表。2016年、第34回鳥居賞受賞]
2008年8月、「大活字図書等購入費助成制度を作る会」が、3年時限の助成制度確立を目指して第1回発起人会を開く
2008年8月、東京で、視覚障害の中・高校生を対象に「科学へジャンプ・サマーキャンプ2008」が開催される (この事業は、2009〜2011年度の3年計画で「科学へジャンプ」視覚障害者全国ネットワーク構築プロジェクト(九州先端科学技術研究所提案による科学技術振興機構の事業)として継続され、全国版の「科学へジャンプ・サマーキャンプ」のほか、「科学へジャンプ・地域ミニ版」、ITリテラシー研修等も行っている)
2008年8月、大活字文化普及協会、発足
2008年9月、アメリカ、「2008年ADA改正法(The ADA Amendments Act of 2008)」成立(2009年1月施行)
2008年9月、「ふくおか視覚障害者雇用開発推進センター(キャリアセンターあい)」発足
2008年10月、びぶりおネット(点字・録音図書ネットワーク配信サービス)で、携帯電話による録音図書配信サービスが始まる
2008年10月、真っ暗な中で食事や会話を楽しむレストラン「クラヤミ食堂」が、東京・赤坂に開店 (店内は薄暗く、客はアイマスクをつけ、視覚以外の感覚で料理を楽しむ。数人の友達で来ていると、その料理がどのような素材でできているかについて互いに話し合うことが多くなるという。同様の試みとしては、東京・浅草にある緑泉寺でも08年1月から月1回「暗闇ごはん」が開催されており、08年7月には京都のイタリアレストラン「「カーラ・ラガッツァ」で「ブラインドレストラン in京都 2008」が行われた。)
2008年10月、詩人で青い窓の会主宰の佐藤浩(1921〜2008年)没 (15歳の時、鉄棒から落ちて左目失明。1939年東京歯科医専に入学、41年視力低下のため中退、帰郷して福島県根木屋国民学校の代用教員となる。46年教員を退職し創作活動に入る。48年完全失明。50年福島県立盲学校に入学、鍼灸を学ぶ。54年同校を卒業し開業するとともに、薄皮饅頭の老舗柏屋本店にコピーライターとして入社、その後営業企画の常務取締役となる。58年5月から、柏屋に毎月一篇ずつ子供の詩を飾るウィンドー「青い窓」を設け、また同年から月刊で同名の児童詩誌を発行。1992年、第29回点字毎日文化賞受賞。著書に『童顔の菩薩たち―仏教と児童詩』『子供の深い目 「青い窓」から見た子供たち』など)
2008年11月、畑村 洋太郎が、絵と言葉は置き換え可能だという考えの下、自著の『失敗学のすすめ』を、その中の写真や図も自らの言葉で説明して音訳し、そのデイジー版を全国の視覚障害者情報提供施設等に無償配布(インターネットからもダウンロードできる)
2008年、澤村祐司(1981〜。先天性の緑内障。11歳より箏を本格的に学ぶ。筑波大学附属盲学校高等部音楽科卒業後、東京藝術大学音楽学部邦楽科箏曲生田流専攻を経て、2008年同大学院音楽研究科修士課程修了)が、第2回八橋検校日本音楽コンクール部門別の一位と最高位の「八橋検校賞」受賞 (詩と音楽のコラボレーション集団“VOICE SPACE”代表、邦楽ユニット「箏七星」メンバー、宮城会、重音会、森の会会員。2013年、第11回チャレンジ賞受賞)
2008年、日本ライトハウス盲人情報文化センターが、マルチメディアデイジー製作事業、テレビ・映画への音声解説事業開始
2008年、滋賀県立盲学校が、創立百周年記念事業として、剥成をはじめ標本類や模型等触れる資料を整備し、学内だけでなく一般にも公開
2008年、福岡市のボランティアグループ「バードコール」(代表:田中良介)が、野鳥の声を録音したCDを、年1回、主に視覚障害者に送る活動を始める(「声の野鳥便り」と「道原の自然」。「道原の自然」は、全盲の山口正司が録音)
2008年、タイ、ブンタン(Monthian Buntan: 1965〜)が、上院議員選出委員会により上院議員に選ばれる (幼少期から視覚障害で、チェンマイ盲学校で学ぶ。一般の高校に進み、さらにチェンマイ大学で英語と哲学を専攻し1988年に卒業。その後アメリカに留学して、ミネソタ州のセント・オラフ・カレッジとミネソタ大学で音楽学を専攻し学士号・修士号を取得。93年に帰国、視覚・聴覚障害者向けのラチャスーダ・カレッジの開設のために働き、98年には同大の副学長に就任。研究とともにタイ盲人協会(TAB)の役職も果していたが、2003年びラチャスーダ・カレッジを退職し、障害者運動に専心、翌年にはTAB会長に選ばれる。また、2002年よりWBUのアジア・太平洋地域代表執行委員、さらにタイ政府代表として国連での障害者権利条約の審議にも関わるなど国際的にも活躍している。2011年、上院議員として再選される。)
2009年1月5〜8日、パリで、ルイ・ブライユの生誕200年を記念する国際会議開催(46カ国から400人参加)
2009年1月、富山大学が、大学院生命融合科学教育部(博士課程。認知・情動脳科学、生体情報システム科学、先端ナノ・バイオ科学の3専攻)に身体障害者の入学枠を設置 (この特別枠で、10月、鈴木淳也(ソニーで障害者などに使いやすい商品開発に携わる)が入学)
2009年2月、福島市子どもの夢を育む施設「こむこむ」で、視覚障がい者と共に楽しむ「フィーリング・プラネタリウム」というプラネタリウム番組を公開(点図と音声で冬の星空を楽しむ。以後毎年2月に開催している。)
2009年3月24日〜4月4日、伊藤泰行(1971〜)が、ニューヨークのセイラム・ギャラリーで油絵の個展開催 (2003年レーベル病のため中心部の視野を失い強度の弱視になる。同年秋から日本ライトハウスで生活訓練・職業訓練を受け、06年視覚障害者用のパソコン教室を神戸で始める。05年から独学で油絵を描き始め、07年第51回神戸二紀展と第61回関西二紀展に入選)
2009年3月27日、北海道議会が、「北海道障がい者及び障がい児の権利擁護並びに障がい者及び障がい児が暮らしやすい地域づくりの推進に関する条例」を可決
2009年3月、日本盲人社会福祉施設協議会より『何を聞かれても困らない視覚障害者のためのパソコン指導マニュアル−パソコン指導に必携の書!3つのスクリーンリーダーにも対応−』(著者:白井康晴)が出版される
2009年4月、ハンセン病問題の解決の促進に関する法律(通称「ハンセン病問題基本法」)施行
2009年4月、筑波技術大学障害者高等教育研究支援センターが、マルチモーダル(活字・点字・音声・電子)図書『宇宙と私たち−天文学入門』(京都大学の嶺重慎教授と茨城県立水海道一高の高橋淳教諭が執筆。点図51枚ふくむ)刊行、全国の盲学校や点字図書館などに寄贈
2009年4月、大活字本普及協会が、「新潮オンデマンドブックス」を大活字版で提供する活動を開始
2009年4月、京都で、障害のある人が選挙や政治に参加しやすい環境をつくることを目的に「障害をもつ人々と参政権研究会」発足
2009年4月、講談社が、「大きな文字の青い鳥文庫(22ポイント・ゴシック体の大活字版。児童向けの小説シリーズ)20タイトル35冊を、全国の盲学校に寄贈 (その後も、毎年10作以上製作し、2015年には100作を越える。読書工房から個人向けにも販売してしている。)
2009年4月、東京大学大学院教育学研究科に「バリアフリー教育開発研究センター」開設
2009年4月、韓国、韓国視覚障害者テニス連盟発足
2009年4月、米国議会図書館の視覚障害者及び身体障害者のための全国図書館サービス(LC/NLS)が、デジタル録音資料のダウンロードサービス(BRAD: Braille and Audio Reading Download)を開始。
2009年5月、「東京都盲ろう者支援センター」が開所(運営は、東京盲ろう者友の会。東京都も助成)
2009年5月、南アフリカ、強度の弱視の黒人女性ヘンリエッタ・ボゴポーン・ズルが、公共事業省の副大臣に就任
2009年6月、辻井伸行(1988〜。全盲)が、第13回バン・クライバーン国際ピアノコンクールで優勝 (1995年全日本盲学生音楽コンクール器楽部門ピアノの部第1位受賞、2000年第1回ソロ・リサイタルをサントリーホール小ホールで開催、05年第15回ショパン国際ピアノコンクールで批評家賞を受賞。2013年、第50回点字毎日文化賞))
2009年6月12日、参議院で、著作権法の一部を改正する法律案が、可決・成立 (無許諾使用の範囲が、視覚障害者のための点字や音声による方法だけから、聴覚障害者や発達障害者もふくめた多様な方式に拡大される。施行は2010年1月)
2009年6月18〜20日、フランスのクーブレにあるディズニーランドの会議場で「ルイ・ブライユ生誕200年記念国際会議」開催
2009年6月、韓国、国立大邱博物館が、視覚障害者向け「触る博物館」開催(教科書によく登場する国宝級文化財の複製を作成し、解説をしながら、視覚障害者に直接手で触れ、体験してもらおうというもの。以後毎月1回開催予定)
2009年7月、字幕や音声ガイドを付加して視覚障害者や聴覚障害者も楽しめる映画やアニメ作品を提供することを目的に、「メディア・アクセス・サポートセンター」発足
2009年8月、2008年の「保険・衛生行政業務報告」が公表される。その中から、各年の按摩・マッサージ・指圧師、および鍼師の就業者数を以下に示す。(表中「按摩」は按摩・マッサージ・指圧師)
総数 晴眼者 視障者 視障者の比率
1998年 按摩 94655 67086 27569 29.1
鍼師 69236 53247 15989 23.1
2000年 按摩 96788 69237 27551 28.5
鍼師 71551 55523 16028 22.4
2002年 按摩 97313 71363 25950 26.7
鍼師 73967 58721 15246 20.6
2004年 按摩 98148 72349 25799 26.3
鍼師 76643 61442 15201 19.8
2006年 按摩 101039 75577 25462 25.2
鍼師 81361 66430 14931 18.4
2008年 按摩 101913 76811 25102 24.6
鍼師 86208 71409 14799 17.2
2010年 按摩 104663 79439 25224 24.1
鍼師 92421 77521 14900 16.1
2012年 按摩 109309 83664 25645 23.5
鍼師 100881 85969 14912 14.8
2014年 按摩 113215 87216 25999 23.0
鍼師 108537 93610 14927 13.8
2016年 按摩 116280 89627 26653 22.9
鍼師 116007 100800 15207 13.1
2009年8月13日〜11月24日、国立民族学博物館で「点字の考案者ルイ・ブライユ生誕200年記念・・・点天展・・・」展開催
2009年8月、エクストラが、GPSを用いた視覚障害者向けの歩行支援システム「GPSナビ」を発売(音声や点字に対応するPDAとGPS測位情報を組み合わせることで、視覚障害者が現在地や目的地へのルートを確認できる。開発は、静岡県立大学国際関係学部石川准教授)
2009年8月、視覚障害支援総合センターより『先達に学び業績を知る〜視覚障害先覚者の足跡〜』発行 (雑誌『視覚障害』の連載「先達に学び業績を知る」をまとめたもので、51人の先達の業績や人となりを紹介)
2009年9月、日本眼科医会が、2007年現在の視覚障害者数は約164万人と発表 (良い方の矯正視力が0.1超0.5未満のロービジョン者が144万9000人、0.1以下の失明者が18万8000人と推計。原因疾患は、緑内障24%、糖尿病網膜症21%、変性近視12%、加齢黄斑変性症11%、白内障7%。視覚障害者は、70歳以上で半数を占め、60歳以上の人で72%に達し、また全年代において女性よりも男性の有病率が高いという。)
2009年10月31日〜11月1日、日本盲人福祉委員会と日本点字委員会の主催で、「ルイ・ブライユ生誕200年、石川倉次生誕150年記念 点字ビッグイベント」開催
2009年11月5、6日、マドリードで、休眠状態にあった世界点字協議会(WBC)の企画委員会が開かれる
2009年11月、大阪府立中央図書館が、視覚障害者にも利用しやすい「蔵書検索(スクリーン・リーダー、音声ブラウザ対応)」を公開 (開発したのは、同図書館の図書館司書・杉田正幸。杉田正幸:1971〜。中学2年で失明。埼玉県立盲学校専攻科理療科で三療の資格を得て病院勤務。1996年、筑波技術短期大学に入学。在学中に近畿大学通信教育で司書資格を取得。2000年、大阪府の図書館司書採用試験(一般枠)を点字受験、同年4月より大阪府立中央図書館に勤務。04年から盲聾者のパソコン利用支援サービスを行うなど、視覚障害者等の図書館利用のための様々なサービスを試みている。2010年、大阪府職員表彰の「活躍賞」、第8回チャレンジ賞を受賞)
2009年11月、桂福点(本名・桝川明)が、天満天神繁昌亭で初高座 (1968〜。先天性緑内障で、小学3年から大阪市立盲学校、高校のころには完全失明。1986年大阪芸術大学入学。音楽療法士として活動。1996年から桂福団治の指導で古典落語を修業、2009年9月に福団治に正式入門)
2009年11月、川野楠己(1930〜)が、日本の伝統音楽や文化の担い手として活動してきた盲人の姿を伝え顕彰するために長年努力してきた功績により、社会貢献者表彰を受ける (1952年NHK入局。1966〜90年ラジヲ第2放送の「盲人の時間」を担当、とくに視覚障害者の職業や文化に注目した優れた番組を多数製作。NHK退職後も盲人たちが伝承してきた文化を後世に残す活動を続け、1999年に「瞽女文化を顕彰する会」および「琵琶盲僧・永田法順を記録する会」を設立。著書に『人と業績 ― 盲先覚者の偉業をたずねて』『民間企業に働く視覚障害者 ― 実践記録』『琵琶盲僧永田法順 ― 現代に響く四絃の譜』『小林ハル光を求めた一〇五歳 ― 最後の瞽女』など。2008年第5回本間一夫文化賞受賞、2014年第51回点字毎日文化賞受賞)
2009年12月、文部科学省が、視覚障害児童・生徒の在籍者数や必要としている教科書についての調査結果を公表。以下に、小・中・高の視覚障害(「眼鏡等の使用によっても通常の文字・図形等の視覚による認識が困難な程度」)の在籍者数とそのうち点字教科書を必要とする者の人数を示す(括弧内が点字教科書を必要とする者)。小学校:通常学級 1547(8)、特別支援学級 693(40)、特別支援学校 1209(138)、計 3449(186)。中学校:通常学級 520(5)、特別支援学級 232(6)、中等教育学校の前期課程 2(0)、特別支援学校 787(98)、計 1541(109)。高校:高等学校 538(8)、中等教育学校の後期課程2(0)、特別支援学校 1295(116)、計 1835(124)。なお、小・中・高校の総計 6825人の内では、点字教科書 419(6.1%)、拡大教科書 2087(30.6%)、通常の教科書 2277(33.4%)。
2009年、常磐大学中村正之研究室が、さわれる天体写真(黄道十二宮物語、ワクワクわくせい、太陽系の仲間たち。カラー写真・立体コピー触図・点字及び墨字解説がセットになっている)を製作、各地でさわれる天体写真展を始める。
2009年4月、アメリカ、国会図書館の視覚障害者及び身体障害者のための全国図書館サービス(NLS: National Library Service for the Blind and Physically Handicapped)が、インターネットによる点字および音声データのダウンロードサービス(BARD: Braille and Audio Reading Download)を開始 (2013年9月からは、iPhoneやiPad、iPod Touchでも利用できるようになる)
2009年、ニカラグア、日本ニカラグア東洋医学高等研究院(2004年に八巻晴夫が首都マナグアに創設した5年制の東洋医学専門の大学)に、1年コースの視覚障害者指圧講座が設置される。