資料2 関連年表

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 1904年、東京盲唖学校訓導・大森ミツが、国定教科書「地理書」に挿入する『内国地図』を亜鉛版に打ち出し発行(発の触地図。さらに同訓導は翌 1905年8月『外国地図』を発行)
 1929〜1934年、文部省が盲学校用に特別に編集した『盲学校初等部用国語読本』(全12巻)を学年進行で発行するが、各巻に数点の点図の挿絵が入れられる(例えば、巻2には、木の葉、雪だるま、うさぎ、飛行機、ちょう、うぐいす、梅の花など)
 1931年4月、熊谷鉄太郎が、秋葉馬治、中村京太郎らと共に、ニューヨークで開催された国際盲人会議に参加、大会終了後、メトロポリタン・ミュージアムを訪れロダンの彫刻に触れる
 1933年9月、大月美枝子(全盲)が、自由学園塑像科の正規の学生(前年より聴講生)となり、第10回工芸美術展に頭像を出品
 1950年、福来四郎が神戸市立盲学校で視覚障害児に彫塑の指導を開始
 1955年、藤原雄(強度の弱視)が父藤原啓に師事し備前焼を始める。(1996年人間国宝となる)
 1957年、日本ライトハウスが、『社会科地図帳』初版発行(2001年3月、18訂版)
 1964年、東京で第1回盲学生美術展開催(絵画、工作、手芸、デザインなど約200点出品)
 このころから、レーズライターの使用始まる
 1965年4月、日本点字図書館が、アメリカからサーモフォームを輸入
 1967年3月、鈴木敏之(2歳の時左眼を失明、画家を志すが21歳の時右眼も失明、一時文学に転向するが、1961年より作画を開始)が、東京丸の内大丸百貨店画廊で「鈴木敏之作品展」を開催
 1974年、日本にオプタコンが導入される(オプタコンは、カメラで読み取った文字の形をピンの振動に変換して触知できる装置。1971年アメリカで開発)
 1980年ころ、西村陽平が千葉県立千葉盲学校で図工の時間に粘土による造形を指導しはじめる。美術作家として活躍しながら、触覚を生かした造形表現のワークショップを国内だけでなく、ネパールのアート・センターやアメリカの大学等で行う。
 1980年、松本油脂製薬株式会社とミノルタ株式会社が“立体コピーシステム”を共同開発
 1981年、桜井政太郎(当時岩手県立盲学校理療科教諭)が、盛岡市の自宅に視覚障害者のために私設の触る博物館を開設。生物標本や化石、レプリカ、太陽系や建築物の模型等、現在3000点以上を展示し、無料で開放している。
 1981年、日本視覚障害理科教育研究会発足(実験や観察の方法に関する事例研究等)
 1981年12月、名古屋市博物館に「触れてみる学習室」が開設
 1983年、日本児童教育振興財団が、手で見る絵本「テルミ」の製作・発行を開始
 1983年、桜雲会が、日本児童教育振興財団の助成を受け、『触察図譜』研究会を始める。その成果として、1988年『触察解剖図譜』、1991年『触察生理学図譜』、1993年『触察病理学図譜』、1995年『触察臨床医学総論図譜』を完成し、全国の盲学校に点字・墨字版を無料配布
 1984年3月、日本盲人社会福祉施設協議会点字出版部会点字地図記号研究委員会が、「歩行用触地図製作ハンドブック」を発行
 1984年、村山亜土・治江夫妻が東京渋谷に「手で見るギャラリー・TOM」を開館。視覚障害者をはじめ、多くの人たちに彫刻や工芸作品を“手で見る”機会を提供するとともに、盲学校の生徒たちの作品を紹介する展覧会を国内外で開いている。
 1984年、岩田美津子が、点訳絵本を製作・貸出する「岩田文庫」(現・ふれあい文庫)を開設
 1985年、点友会(1962年から京都を中心に活動しているボランティアグループ)が、サーモフォームにより、世界地図や日本地図を製作・頒布、数年ごとに改訂している
 1988年、日本自然保護協会が「ネイチュア・フィーリング自然観察会」(障害者とともに五感を使って自然を楽しみ観察する)を提唱、その普及活動を開始
 1988年9月、「手で見る美術展」が有楽町アートフォーラムおよび尼崎市つかしんホールで開催される(日本で活躍する芸術家36人による「手触りの異なる素材を用いた作品」を40点余り展示)
 1989年4月、名古屋市美術館が、「触れる喜び−−手で見る彫刻展」を開催。以後隔年で、主に視覚障害者の便宜を考慮した展覧会を実施
 1989年、兵庫県立近代美術館がこの年以降毎年「美術の中のかたち」展を開催(2001年まで)
 1993年、名古屋YWCA美術ガイドボランティアグループが活動開始(視覚障害者とともに絵画や彫刻を鑑賞)
 1994年6月、日本障害者芸術文化協会設立(2000年6月「エイブル・アート・ジャパン」と改称)
 1994年11月、「手で見るバチカン美術館への旅」の一行が、ローマ訪問。触地図などのワークショップにも参加
 1995年3月、神奈川県小田原市に「県立生命の星・地球博物館」が開館。「だれにでも開かれた博物館」を掲げ、隕石・化石・剥製など多数の手で触れることのできる標本の展示や、視覚障害者等に対するバリアフリー化を推進。
 1995年、光島貴之(全盲、9歳ころ失明)が、フラービオ・ティトロ(全盲の石彫作家)のドローイングにヒントを得て、レトラライン(製図用テープ)とカッティングシートを用いて「触る絵画」の制作を始める。1998年のアートパラリンピック長野展で、陶芸作品「らせんの手掛かり2」が大賞に選ばれる。さらに1999年には、触覚連画(CGアーティストと互いの絵に手を加えることで作品を創り出していくコラボレーションアート)をインターネットで公開。また、2002年12月〜2003年3月、兵庫県立美術館で「美術のなかのかたち〜手で見る造型〜」展開催
 1995年、アクセス・ヴィジョンの会結成(ミュージアム利用の可能性を拡げることを目指して、視覚障害者が展覧会を定期的に観賞する活動などをしているボランティア団体)
 1996年6月、環境庁が、残したい「日本の音風景100選」選定
 1997年4月、大阪府営箕面公園昆虫館が、視覚障害者をふくむ障害者対応を開始
 1999年10月、東京でミュージアム・アクセス・グループ「MAR」が活動開始
 1999年11月、東京で第1回ダイアログ・イン・ザ・ダーク(日常生活のさまざまな環境を織り込んだまっくらな空間を、聴覚や触覚など視覚以外の感覚を使って体験する、ワークショップ形式の展覧会)開催
 2001年5月、橿原市昆虫館が、生きたチョウを触って観察する試みを始める
 2001年10月、点訳グループ「麦」が『新訂図解動物観察事典』(地人書館、1993年)の点訳を完成し、データをCD-ROMに収めて全国の盲学校に寄贈。全41巻約3,500ページで、エーデルで作製した点図963点をふくむ。
 2001年10月、環境省が、「かおり風景100選」選定
 2001年11月、京都で「ミュージアム・アクセス・ビュー」(視覚障害者とともに美術作品を観賞する会)(第1回)
 2001年11月、視覚障害者文化を育てる会(4しょく会)発足
 2002年2月、日本盲人社会福祉施設協議会点字出版部会「点字サイン標準化のための研究会」が、2001年7〜8月に点字使用者でひとり歩きをする視覚障害者200名以上を対象に行った「点字サインに関するアンケート調査」の結果をまとめる
 2002年4月、ユニバーサルデザイン絵本センター発足。UD絵本として、7月『てんてん』『でこぼこ えかきうた』、2003年5月『ゾウさんのハナのおはなし』『チョウチョウのおやこ』を刊行
 2002年9月、KGSが点図ディスプレイ「ドットビュー」を発売(72mm×96mmの画面に768個(縦24×横32)のピンの凹凸で図形情報を表示。高速スクロール、表示画像の拡大・縮小が可能で、静止画だけでなくかんたんな動画も表示できる。なお、この4倍の大きさの大型点図ディスプレイは2年前から試作されている。)
 2002年10月、京都ライトハウス点字出版部が、カラークリスタルやシルバーメタルをシャツ・ハンカチ・ネクタイ・靴下などの布製品に接着させて、点字や識別マークを表現する「ドット・テイラー・サービス」を開始。さらに、翌年7月、同様の方式で、折り畳んで持ち運べる布の触地図(京都市内全図、洛中、嵯峨野・嵐山の3枚1組、A3サイズ)を発売
 2003年4月、触る研究会・触文化研究会
 2003年7月、バチカン美術館が、目の見えない人のために美術品の一部を「触る美術館」として公開すると発表


(2003年11月11日)