あるセキセイインコの死から学んだこと

 2003年10月28日、家で飼っていたセキセイインコが死んだ。鳥はたくさん飼ったことがあるが、いままで飼っていた鳥の中でもっとも愛した鳥だった。

  僕がもっとも好きだったセキセイインコ

 愛するからには理由がある。このセキセイインコは4年間の東京生活から実家に帰省した次の年に、鳥のいない生活に退屈さを感じて衝動的に買いに行って手に入れた。このとき二羽のセキセイインコと一羽の小桜インコを買ってきた。セキセイインコは青色と黄色である。どちらも生後一ヶ月くらいだったから馴れるかなと思ったが、鳥同士団結してあまり懐いてくれなかった。それでも籠の外に放し飼いにしていた。
 鳥の間で誰が強いかをしきりに争っているのだと思うが、しまいには小桜インコとセキセイインコが喧嘩をするようになって、体が大きく噛む力が強い小桜インコはしだいに有利になり攻撃もエスカレートするようになった。インコの本にも小桜インコやセキセイインコを一緒に飼うと、セキセイインコの足を噛んで折ってしまうことがあると書いてあったが、これに近い行為をうちの鳥同志でもやってくれた。青い色のセキセイインコの左足の指を爪の根元から食いちぎりやがった。写真でもみてわかると思うけど、爪の根元から失われている。この事件があってから、寝るときには籠をわけて小桜インコは別に寝るようにしていた。しかし、たまたま青いセキセイインコが籠に入っている小桜インコのところに飛び移って遊びにいっているときに、小桜インコは籠の外に張り付いている青いセキセイインコのくちばしを思いっきり噛んで砕いてしまった。
 そのときは誰もその光景を見ていなかったが、大きな鳥の鳴声がして見に行ってみると血を吹き出させているセキセイインコがいた。口を閉じていても舌が見えるほど上のくちばしが失われていた。ただごとではないことがすぐにわかったが、僕らには動物病院に連れて行くしかどうしようもできない。
 次の日からビタミン剤を与える日々が続いた。食事をとることはできるのだが相当に食べづらそうだったし、すりつぶして食べることができないために、飴をなめるような感じで口でコロコロ転がしながら丸ごと食べているようだった。
 生命は強かった。もう数日には死ぬかもしれないな、と諦めていた生命の躍動が止まることがなかった。ものの一日で出血も止まったし、おそらく相当に痛かっただろうが情けない人間のように泣き叫ぶ弱さもなかった。ただ黙って食べて寝てのくり返しで力強く生き続けてくれた。数ヶ月すると大部分失われたくちばしも本当に少しずつ伸びてくるようになった。それでも3mmくらいだけ伸びてくちばしの成長は止まったが、なんとか食事をするには様になるような長さになったことがわずかの慰めだった。
 セキセイインコのオスは鼻が青みがかるが、メスの場合は青みがからないためにすぐに性の判別ができる。僕らのセキセイインコは青がオスで、黄色がメスだった。オスメスのセキセイインコはくちばしを失くす事件があってから僕の部屋に置かれるようになり小桜インコと会わせないようにした。
 鳥の朝は早い。夏なんかだと朝の5時過ぎからさえずり始める。元気なのはいいのだが、僕のほうまで目が覚めてしまう。
「頼むから静かにしておくれ。少しでも寝たいんだ」
といっても取り合ってくれない。でも人間の特性としてある程度のことには慣れてしまう。セキセイインコの元気なさえずりくらいは僕の脳の中で無視してよい音として処理され始め、本来おきるべき時間までは目覚めないように変わっていった。これならどんなイビキがうるさい人とでも一週間で問題なく生活できそうだ。鳥好きな人間にとって鳥との共同生活はとても実りある楽しみになる。

 愚かなる者と道を共にするは長途(みち)に憂いあり
 愚かなるものと居(すまい)を共にするは
 怨敵(かたき)と共にすむがごとくまことくるしみなり
 されど賢き人と共に住むは
 親族(したしきもの)と相遭うがごとくまことたのしみなり
                     (法句経 「安寧」より)

 あしき友と交わるなかれ
 いやしき人をも侶(とも)とせざれ
 こころ清き友と交わるべし
 上士(まされる)を侶(とも)とせよ
                     (法句経 「賢哲」より)

 旅にゆきて自己(おのれ)にまさり
 また自己にひとしき人に遭うことなくば
 むしろ独り行くことに心をかためよ
 おろかなるものを伴侶(とも)とすべきにあらず
                     (法句経 「闇愚」より)

 僕は思う。鳥からたくさんのことを学ぼうと努力することだ。鳥に限らず動物は賢い生き物だ。学ぶところが本当に無限といっていいくらいにたくさんある。その存在は清く清浄だと思う。
 かつて趙州(じょうしゅう)真際大師は60歳のときにこういった
「たとえ百歳の老人でも、自分よりも劣っていたら、私はその人を教えよう。たとえ七歳の子供でも、私よりも優れていたら、私はその者に道を問おう」
 法句経にも似た言葉がある。

 人もし生くること百年(ももとせ)ならんも
 智慧おとりてこころ静けさをえざるは
 智慧をそなえて思い禅(しずか)なるひとの
 一日生くるにもおよばざるなり
                     (法句経 「述千」より)

 僕も同感だ。相手が人間でなくても自分より優れた生き方をしていると思うなら、喜んで道を問おうと思う。一服の茶が道となり、一輪の花が道となり、一本の剣が道となるのである。かつてそのように一つのことに専心し道を見つけた人々がいた。鳥の生き方も迷いのない道である。自然そのものの存在が道である。それならばどうしてひとりの迷える人間が道にならないことがあるだろうか?

 青のセキセイインコを「青すけ」と正式な名前をつけた。あだ名として「あお」と言っていた。「あお」はオスなのにメスのセキセイインコにいつもイジメられていた。というかこの「あお」はけっして怒ろうとしない。ただ迷惑そうな声だけ出して逃げ出すだけだ。
「あお、情けないな〜。おまえいつもつつかれてないで自分からつつき返してみな」
と思っていたのだが、なんだかこのいつもイジメられていても全然気していないように毎日が静かにそしてたまに一人で楽しそうに遊んでいる姿に共感を覚えるようになっていった。自分の生き方を動物に強制することは無意味なことだと思う。彼らの生き方の強さに学ぶことはあってもこちらが教えるようなことはあるのか?彼らは自分自身をよく知っている。

 おのれこそおのれのよるべ
 おのれを措(お)きて誰によるべぞ
 よくととのえしおのれこそ
 まことえがたきよるべを獲ん
                     (法句経 「自己」より)

 おのれあしきを作(な)さばおのれけがる
 おのれあしきを作さざればおのれ清し
 けがれと清浄とはすなわちおのれにあり
 いかなるひとも他人をば清むる能(あた)わず
                     (法句経 「自己」より)

 上の法句経の「自己」よりで紹介した二つの文章は少林寺拳法をやる人なら誰でも知っている言葉である。少林寺拳法をするにあたりまず覚えさせられる聖句である。僕も高校一年から2年間、少林寺拳法をやったがこの言葉には影響を受けた一人である。ゴーダマ・シッダールタ、後に釈迦と呼ばれる男が産み落とし、後世に釈迦が想像もできなかったと思われるほど発展拡大された原始仏教の教えは「おのれ」を徹底的に追求することからはじまった。
 もし上の二つの文章を頭の中だけ理解するのではなく、論理を超えたところで理解できる人はかなり優れた人だと思う。この文章は相当に深い。頭の中だけで論理的にわかっているだけでは理解したとはいえない。必ず言葉だけではなく自然な行動として無意識のうちに反映されなければならない。だから「あの人は優れた人だ」というとき、その人の言動をよく観察していれば本当に優れているのかそうでないのかはすぐにバレてしまう。

 「あお」はよく食べたものを戻していた。満足にエサを噛めないだけに、胃に負担があったのだろうと思う。戻したものを眺めてみると、粟が消化されないで原形をとどめている。やがて便秘気味になりよく肛門のまわりに便が固まって大きな玉となっていた。その都度手で捕まえてはその便の玉を取り除いてきれいにしてあげないといけない。食べたエサを吐いているときも苦しいはずなのにまったく苦しそうな表情すらしない強い鳥だったが、この便秘気味のときによく消え入りそうな声で「ク―――」と鳴くときだけは僕も辛かった。こうしたことが何度かあったがそれでも「あお」は強く生きていた。
 僕がプーケットから帰ってきたとき、親から動物病院に連れて行ったことを教えられた。夏だというのに丸々と毛を逆立てている姿をみて堪りかねて連れて行ったのだ。ビタミン剤をもらって帰ってきたが、ビタミン剤を与えるとけっこう元気になっていき、普通のセキセイインコのようにスマートな姿に戻っていった。
「そうかビタミン不足だったのか」とわかったとき、栄養失調で死なせたオカメインコの姿を思い出した。あのとき死ぬほどゾッとしたじゃないか、と思った。
「無知とは罪である」
もう一度繰り返そうというのか?鳥から勉強しようとしたはずなのに、いったい今まで何を学んできたんだい?自問自答する。人間って大したことないな、と思えるくらい脆い存在のような気がした。

虚空(そら)にあるも海にあるも
また山間(やまはざ)の窟(あな)に入るも
およそこの世に死の力のおよびえぬところはあらず
                     (法句経 「悪行」より)

子も父も親族(やから)も救護者(すくいて)にはあらず
死に捉えられたる者を親族(したしき)もすくう能(あた)わず
                     (法句経 「道行」より)

 2003年10月28日、「あお」は死んだ。仕事から帰ってきたら「あお」が死んでいたことを知らされた。セキセイインコは手乗りではなかったが、「あお」は死ぬ1ヶ月くらい前から手乗りになった。何故か手を出しても素直に乗ってくれるようになっていた。そのかわり満足に飛ぶこともできなくて、10cm以上高い場所に移ることもできない。もうこうなったら長くはもたないな、というのは今まで鳥を飼ってきた経験からわかる。
 死というのは生を受けたものにとっては避けて通ることのできない道である。それは生命の一つのセットとしてなくてはならないものだ。死後の世界というものは僕にはさっぱりわからない世界だ。それがあるのかないのか。ないというのであれば、それはそれでよろしい。今ある生においてとにかく自分自身を追及しながら生きていくのみだ。もっとも自分らしさを感じる生き方を求めて。たとえ死んでからも世界が続くにしても同じことだ。ただこの世では自分自身を追及していき、その後の世界でも自分自身を追及するのみ。僕がこの世に生を受けて知りたいのはただ一つ。
「自己(おのれ)とはいったい何ぞや?」
 今ある生が精神的なものと物質的なものに密接に連動して生きていかなければならない以上、そうした生き方をしていかなくてはならない。物質的なものと関連する際に、自分にはこの世に受けている時間的な制限や肉体的・体力的な制限もあるからすべてのことにかかわっていることもできない。だから自然・動物を相手に自分との係わりあいを通して自分を見つけていこうと決めた。身近な音楽・絵などの芸術、あるいはマラソン・水泳・野球・サッカーなどの運動に自分を関連付けていってもよい。しかしそれらは自分をみつけるための正道ではないと判断した。このあたりは人によってそれぞれ違ってくるだろう。
 その自然・動物といった係わりあいの中で家で飼っている鳥、特に「あお」とは密接な関係にあった。だから当然最後まで面倒を見てあげなければならないし、その死を逃げてはいけない。動物を飼い始めたけど嫌になったから捨てて、あるいは里親に育ててもらうというのは僕の求める道ではない。どんなに辛くても常に最後まで面倒をみること。これができなければ飼うことをしてはならないと思う。
 死は誰も見ていないところで起こった。すっかり手乗りになっていた「あお」を外に出したまま、「あお」はもう一羽のセキセイインコ(こちらは懐いていないので籠の鳥)と鳴き合いながら、ちょこちょこ歩いていた。そのまましばらく部屋を不在にしていたあとで戻ってみると「あお」はもう一羽のセキセイインコには見えないような場所で死んでいた。
 何度も書くけど、死後の世界があるかどうかは僕にはわからない。ないのであればそれはそれで結構。あるのであればそれはそれで結構。どちらにしても今の自分自身を追及するのみ。これだけで手一杯なほど忙しいのだ。禅者がよく言うように
<現在・此処・自己>
だけが問題なのだ。
 動物たちも同じような生き方だと思いたい。もし死後があるのであれば、その新たな生き方も自己を追求することにだけ専心して欲しい。この世に未練などさらさらもってはいけない。そういう意味では僕は人一倍クールな思想をしていると思う。どれほどこの世で仲よくても一度この世の生を終えて、もし来世があるとすれば再び会いましょうとかいう考えがない。ただ孤独の旅になろうとも往けるところまで往け。

 おろかなる者と往くなかれ
 ただひとり往くこそよけれ
 ただひとり行くともあしきをばなさざるべし
 かの林中(はやし)の象のごとく求むること少なかるべし
                     (法句経 「象」より)










 2003年11月8日、木曽御嶽山(3067m)に向かった。「あお」の写真をもって山に登り、3000mの山の世界を見せてあげるために登るのだ。この時期、雪が何時積もっても不思議ではない季節だが、前日に木曽駒ヶ岳ロープウェイが提供している宝剣岳の写真をみて雪が付いていないことを確認した。場所的・高度的に宝剣岳の様子がそのまま木曽御岳の様子だと思ってもそう違いはない。
 静かな登山となった。登る人も少なくて快適だった。王滝山荘から最後の頂上までが台風並みの強風にさらされてガスに覆われていた。ここでストックを取り出し防寒具をきて強風・防寒対策をする。単独峰であるから、吹き付けた風が斜面を駆け登ってきてこの王滝山荘〜頂上の間を通り抜けようとする。したがって風がさらに集まってきて強くなっているのだ。このとき斜面をかけあがってきて高度を一気にあげて急激に冷やされた空気中の水蒸気が、飽和量許容範囲を上回って微小な水滴となる。だからこの付近が真っ白なガスに覆われる。高度をあげることによる気温の低下と強風による体感温度の低下で冬並みの寒さである。一番強く吹きつけているときはもうまともに歩けないのでストックと両足で簡単な耐風姿勢をとりじっと耐える。煽られてふらつき足を捻挫したり骨折したりしたら一大事になるからだ。無理はしない。
 風だけ注意して防寒装備がしっかりしていればあとは普通の夏山登山の範疇だ。2時間5分で頂上に到着した。自分でもかなり早いペースでこれたなぁと思う。来年は2時間切れるかもしれない、などと思ったが別に時間の競争をしているわけではないから「そんなことどうでもいいじゃん」、と自分で突っ込みをいれた。安全に登って安全に帰ることだけに集中するんだろう?と自問自答する。
 頂上でザックをおろし休憩する。ガスによって真っ白で強風が吹きつける山頂には誰もいない。「あお」の写真を取り出し「着いたよ」といった。
 僕は冷たい強風が吹きつける誰もいない山頂でただただ楽しかった。写真に向かって「今までありがとう」と言ったとたん涙が頬を流れた。

 ひとり坐し、ひとり臥し、ひとり遊行してうむことなし
 ひとり自己をととのえ林間(このま)にありて心たのしむ
                     (法句経 「雑」より)



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