【第29回篠山ABCマラソン 天気 晴れ 2009年3月1日(日)】

フル 公認コース

 この大会は僕にとって一番楽しみにしていた大会だったが、不本意な結果に終わった。いろんな理由がからんでいる。それを明確にして今後の対策としなければならない。
 肉離れの療養が長引いたこと、および今年から猛烈に仕事が忙しくなったことは前回の犬山読売ハーフマラソンのときも書いた。そう、その仕事の忙しさとは、前回の読売犬山ハーフマラソンが終わってからすぐに会社に行かなければならなかったほどだし、その週は相変わらず最終電車まで仕事をするか、帰れずにホテルに泊まりこみの生活が続いた。しかも2月25日から26日は風邪の症状で意識朦朧としながら仕事をしていた。なお、今ようやく3/10日にこの文章を書き上げることができた。まったく満足に文章を書く時間すらないほど忙しい。まったく走れていないどころか、ストレッチすらできていない生活。2月28日の土曜日も出勤。この日は遅くなる可能性も考慮して、バッグにマラソンで必要なものをすべて詰め込んで車で会社にきていた。
 仕事が終わったのが夜の11時。この時間から兵庫県の丹波市(旧柏原市)まで行かなければならない。会社のある名古屋市伏見はタクシーでごったがえしており、なかなか進まないのでイライラする。本日宿泊するホテルから電話がかかってくる。17時くらいのチェックイン予定としていたため、確認の電話がきたのだ。何時ごろ到着するかの質問に「3時くらい」と答えたら「さんじ!!!」と叫んで絶句していた。ドアは開けておくけど、呼び出しベルの後ろに部屋番号のキーをおいてくれているので、それで宿泊してくださいとのこと。
 名古屋高速から名神に合流し、かっとばす。
 兵庫県の丹波市は僕にとってとてもなじみ深い土地になる。2002年1月から3月まで仕事で滞在していた。車をもちこみ、柏原駅の近くのホテルにとまり、夜遅くまで毎日仕事をしてすごしたところだ。仕事を通して丹波の人たちとの交流はとても印象に残っている。ここの風土、人が大好きだ。そしてその近くで開かれる「篠山ABCマラソン」はとても楽しみにしていた。

 ほんとうは、前日ははやく篠山市にはいって、この土地ならではのおみやげを買いたいと思っていた。しかし仕事の激務でそれもかなわない。目的のホテルについたのは、深夜2時15分ごろだった。予定よりも45分ほど早い。携帯の目覚ましを明日の朝6時半に合わせて、ビールを飲んですぐに寝た。4時間寝ることができれば御の字だ。
 翌朝目覚めて時計をみると7時15分だった。「なにぃ〜〜〜!!!」と思わず叫んだ。何故目覚ましがならないのだ?いや確かに目覚し機能は正常だったのだが、マナーモードにしたままだったので、目が覚めなかったのだ。不覚!
 ダッシュで着替えて、ホテルに来る前に買っておいたおにぎりを車で食べながら駐車場へいく。30分くらいで着いたが、すごい車である。近くの駐車場がどこも満車で、遠くの駐車場に誘導される。結局、コーナンの臨時駐車場まで案内された。ここから受付まで結構歩くことになる。

 受付をすませてトイレにいく。臨時トイレは結構備えられており、並んでいる列がスムーズに動く。大きなほうを済ませてすっきりして、着替える場所を探す。1万人くらいきているから、どこも人で埋まっている。ようやく開いている場所をみつけて着替える。吉本興行のかつみさゆりとかいう人が来ていて、僕が着替えている10mほど手前で撮影をはじめた。みんな携帯とかで撮影しているが、あまりテレビみないし、吉本に興味がないのでどうでもいいや。
 スタート時間よりはやめにみなさん並びだすので、しばらくしてBブロックに並ぶ。ここの待ち時間が長かった。舞台では有森裕子さん、市橋有里さんがでてトークをしている。僕らは並んでいる場所からみていた。
 
 僕ら一般ランナーが参加している陸連未登録者は10時50分のスタートである。せめて10時にはスタートさせてくれないかな?はるばる愛知県からきていると帰りの時間がつらい。
 スタートしてからしばらくはまったく動かない。僕の位置からスタートラインにいくまでに2分30秒ほどだった。相変らずの混雑。しばらくは流れに沿って走りながら、たまに歩道を利用して前に進む。まだ風邪が完全になおっていないのか、呼吸を深く吸い込むと咳がでる。あんまり体調がよくないようだ。4キロほどで膝に少し痛みを感じ始めたが、走行に支障をきたすほどではない。大会側が用意している最初の給水ポイントは10km地点であるが、この大会のすばらしいところは私設の給水所を用意している人たちがいることである。6〜7kmあたりで最初の私設給水所にであった。しかもかなり本格的だ。
「ありがとう」とお礼をいって水をいただいた。近くにチョコや飴をたくさん箱に入れて沿道に立っている親子を見かけるようになる。後から振り返ってみると、このチョコや飴をもって沿道に立っている人たちは意外と多いように思う。僕もチョコはいくつかお世話になりました。ありがとうございました。
 10km地点の標識を見逃してしまったけど、最初の給水所(10キロ地点)で時計をみると48分40秒ほどほどである。スタートしてから時計を図っているので、スタートラインからだと46分10秒くらいできている。少し早いかもしれない。しかも10キロ過ぎからだんだん右膝の痛みが強くなってきていた。13キロ地点から少し走行に支障をきたすような感じだった。まだ13キロでこれである。
(今日のフルマラソンは地獄をみるかもしれないな)
と覚悟した。
 しばらくいくと少年たちが右側にならんでいて、「イエーイ」といいながらランナーたちとハイタッチしている。僕も「イエーイ」などといってハイタッチする。とても気分がいい。感謝です。
 右膝の痛みと戦いながら18km地点に到達する。このころから脚が重いと感じるようになる。先週のハーフのときも15km地点で足の重さを感じていたが、どうも僕のスタミナはまだまだフルを走りきるレベルではないらしい。だいたい練習が足りなさすぎるし、我ながらフルマラソンを舐めている。いまはそのツケがまわってきたのだ。19kmあたり?で車とテレビカメラが前方にいるな、と思っていたら市橋有里さんがいて、ランナーとハイタッチしている。僕もハイタッチした。そのまましばらく走っていると20kmの標識があり、少しして今度は有森裕子さんがハイタッチしている。有森さんともハイタッチした。彼女たちはともにスタートラインからここまで走ってきて、くるランナーたちとハイタッチしているのだからすごいと思う。特に市橋さんはとても小柄な人ですが、こんな小さい身体のどこにそんな力があるのだろう、と不思議におもってしまう。

 応援の人たちも書いておこう。何km地点か覚えていないが、中学生によるブラスバンドの応援で爆風スランプの「Runner」を演奏していました。この曲好きです。あと、着ぐるみで応援されている女性の方とか楽しかった。沿道で椅子にすわりながら応援しているお年寄り達もいました。きっと29年このマラソンを見続けているのかもしれない。これからも長生きしてこの大会を見続けることができるといいね。

 さて、僕の走りは20km過ぎから右膝の痛みとの戦いとなっていて、もう走りきれないことは自分の身体のことだからよくわかっていた。どこで歩こうかなどと考えているほどだ。もうペースがかなり落ちていて、5分30秒/キロ当たりになっていたと思う。どんどん抜かされているのがわかる。こういう状態になると1kmがとても長く感じる。
 24km地点でこの大会の名物・しし汁があったので、はじめて走行を止めていただくことにする。止まると両足がしびれたようになっていて、感覚がなかった。脚が硬直したようになっている。しし汁をすばやく食べて、2〜3分ほどストレッチをした。走り始めるが、すごく脚が重い。右膝の痛みがよけい強くなったような気がする。止まるんじゃなかったと思った。案の定、ここからまともに走れなくて歩いたり走ったりを繰り返す。脚が重いのはどうにでもなるが、右膝の痛みが耐え難いまでになっている。だんだん歩く時間が長くなって、とうとう27km地点で走れなくなった。
 このころには、歩道を歩いている人もちらほら見かけるようになっている。歩道を歩いている人たちはだいたい何らかの故障が発生しているようだ。一人ゼッケンをはずしながら歩道を逆向きに歩いてくる人がいる。リタイアしたのだ。僕は自分の意思でリタイアすることはできない相談だった。関門を制限時間に通過できない限り、このまま歩いていこうと思った。そしてここからがとても長く辛い時間だった。たとえ故障があるにせよ、それがどんなゆっくりでも走っている限りまだ幸せだった。しかし走れないとこれほど辛いことはない。何度も「惨めだなぁ」と思いながら歩いていた。
 30.6km地点で折り返しとなる。ここの仮設トイレで小便をした。ここまでで約3時間だった。あと約12キロを歩くと制限時間ギリギリだな、と思った。頭の中では、登山をするときに、上高地から横尾までの約11キロほどを早歩きで1時間50分ほどだったことを思い出していた。
 ここからが歩きをしている人が目立つようになる。トコトコLSDのようなスピードの人にすら抜かれていきながら、まるで戦場の敗残兵のような人たちがたくさん歩いている。なんらかの故障をかかえているのだろう。こんなに大勢の人が歩いていることに驚いた。それでも沿道の人たちはやさしかった。歩いている僕らにもハイタッチをしてくれた子どもたち。「そのウォークで頑張れ」などと励ましてくれた人もいた。沿道では相変らずチョコや飲み物を用意してくれている人たちがいる。ほんとうにありがたい。僕も歩いている状態だが、みかんやお茶などをいただく。篠山の人たちの温もりはとても気持ちよかった。
 ずっと歩いていき、あと2kmほどの地点になったとき、制限時間内にゴールできることがほぼわかり安心した。最後になると沿道の声援が多くなるので、ゴール手前200mほどだけ激痛でびっこをひきながら走った。こんな惨めな状態でもゴールしたときは嬉しかった。ボランティアの中学生が完走メダルをかけてくれる。ランナーのために靴に取り付けた計測チップをはずして、さらに靴紐を締めなおしている中学生たちもいる。君たちはすばらしいね。僕からすると、いくら疲れているからといってそこまでしなくてもいいのに、と思う。靴紐ぐらい自分で締めなおせよ、と思う。僕は申し訳ないけど、自分ではずして自分で靴紐を締めなおした。

 ゴール後は出店でおみやげを買って完走うどんを食べて帰ることにした。駐車場まで歩くのがとても苦痛で、ビッコを引かないと歩けない状態になっていた。
 帰りは交通費を安くするために、下道を利用しながら京都縦貫道経由で京都まで行き、京都東ICから名神に乗った。途中、強烈な睡魔に襲われたので、パーキングエリアで20分仮眠をとってから家についた。

 沿道の人たちの優しさが印象に残った大会であった。きちんと完走できるととても気持ちいい大会になることだろう。来年も参加したい。

【時間】
グロスタイム: 4時間51分06秒
ネットタイム: 4時間48分32秒


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