【第23回青島太平洋マラソン 天気 晴れ 2009年12月13日(日)】


フル 公認コース

 12月12日に飛行機をつかって宮崎県にきた。実に久しぶりである。小学校の4、5年生のときにきたっけ。確か親に連れられてフェリーで神戸から宮崎にたどり着いたことを覚えている。親の実家が鹿児島であり、親戚が宮崎にいたために、フェリーで宮崎によりながらきたことを覚えている。ああ、少しずつ思い出してきた。夜の六甲山から眺める神戸の夜景、はじめてのフェリーでの旅、鹿児島で食べた鹿児島ラーメンがいやにおいしかったことを覚えている。親の実家で親戚一同で霧島の温泉にいったっけ。林田温泉のホテルに泊まったが、とても広い温泉だった。いまでは売られていないだろうがホテルのロビーで売られていた100円のノコギリクワガタ、さらに希少なミヤマクワガタが200円で売られていた。僕はノコギリクワガタ、兄はミヤマクワガタを買ってきて家で飼育したなぁ。とてもいい時代だった。小学生はいまから思い出してもとても幸福な時代だった。
 そんな思い出が詰まっている宮崎県に空路で降りたった。夕方に中部国際空港をでたので、すでに暗い。JRに乗り換えるが、改札が自動ではなく、駅員さんが切符を確認する昔ながらの改札にとても新鮮さを覚えた。やはりこういうアナログ的なものがほっとする。
「宮崎駅までいきたいんですけど」
「この電車にのって。1から3号車が自由席です」
「ありがとう!」
このとき、中島みゆきで一番好きな曲「ホームにて」を思い出した。

 明日青島太平洋マラソンにでる。この大会は県外からたくさんの参加者がでるのでJTB宮崎が航空券とか宿泊をとりまとめして手配している。僕はそれに乗って、指定されたホテル「スカイタワーホテル」に泊まった。ゼッケン、大会プログラム等はここのフロントで交換してもらえる。ここはとてもすばらしいホテルであった。
 夜、繁華街のあたりを歩いてみたが少し横道にはいると大人の街になり、客引き等がいっぱいたっている。観光客の目から見るとこのあたりは飲食店街と住み分けをしたほうがよいかもしれない。

 12月13日は朝5時40分におきて、6時からはじまる朝食をとる。飯を食べながらこのホテルだけでもかなりのランナーが宿泊していることがわかった。朝食のバイキングはけっこう種類があってなかなかサービスがよいと思う。
 6時50分にホテル前からサンマリンスタジアムまで直行するバスに乗り込む。大会会場ではとても人が多く熱気を感じた。2階スタンドが一部開放されているので、ここで着替えをしてストレッチをすませ、ipodで音楽を聴きながら過ごす。
 スタート30分前頃に、荷物を預ける。荷物預けは500円取られるが、貴重品を失わないための保険と思えば安いものだ。さて、スタートラインに並ぼうとすると、ゼッケン番号のブロックごとに分けられている。僕の1000番台はけっこう前のほうになっている。ファンランにする予定だったので1000番台の一番最後尾につけた。スタート10分前ほどになって隣にいた女性が「この靴はきやすいですか?」と僕に話しかけてきた。これを機会にお話をする。東京からきているそうだ。クラブに所属しているそうだ。猫ひろしも同じクラブにいるといっていたな。彼女の本日の目標タイムは5kmを26分30秒ほどで刻む予定だという。
 スタート5分ほど前になって、隣のあたりがさわがしいなと思ったらゲストランナーの「ノッチ」が5m横にきた。僕はほとんどテレビをみないし、見てもお笑い系はまず見ないので、ノッチとか今回はじめて知ったくらいだ。数分すると今度は東国原知事までノッチの横に来た。女性に「しばらく知事と一緒に併走します」といってお互いの健闘を伝えてスタートする。
 いつもの大きなマラソン大会でおきまりの拍手がわく。知事とノッチが横からスルスルと前のほうに行くが、僕らは密集につかまって前にでれない。ノロノロペースでも1kmもすると広い道路にも助けられてスムーズになる。このあたりで併走している知事とノッチを捕らえたので、後ろについてしばらく併走する。僕以外にも一般市民ランナーの取り巻きがたくさんいて大きな集団となっていた。
 国道220号を走る。とても走りやすくて、アップダウンもゆるやかでそれほど気になるほどでもない。3kmほどで知事、ノッチさんのペースがとても遅いと感じるようになり、先に行かせてもらうことにした。
 干支や季節柄、トラやタイガースのはっぴをきた仮装ランナーやサンタの帽子をかぶった仮装ランナーが散見された。途中で1968年メキシコオリンピックの銀メダリストである君原健二さんが走っておりました。マラソン王国・ニッポンを築いてこられた立役者の一人でもある。向こうは当然気づいていませんが、抜くときに敬意をこめて会釈をした。
 青いジャンパーをきた地元の高校生ボランティアなどがいたるところで応援してくれ賑やかである。まず5kmを25分37秒ではいる。最初の渋滞を考えるとまあまあ。ペース的には問題ない。最後までこのままで押すことができると思っていた。その調子で10kmの標識がみえたので記録をとると48分44秒である。この間、23分7秒である。少し速いと思うがペース的にはとても楽である。調子がいいのか気分が昂ぶってオーバーペースになっているのかよくわからない。このあたりで大会ボランティアのブルージャンパーをきた女子高生たちや野球部と思われる男子高校生たちとハイタッチをする。
 大淀川の橋を越えるといよいよメインストリートの橘通りに入る。このあたりから沿道の声援がすごくなる。ホームページや大会パンフレットに使われている写真の光景がみえてくる。「ああ、ここか〜」と思いながら、左手に市役所をみながら通り過ぎ、少し過ぎたところでいったん右折し、県警本部や宮崎県庁の前をとおる。この道を5〜600mほど走って折り返す。再び宮崎県庁の前を通り過ぎて橘通りに合流し右折する。ここからまた沿道の声援をたくさん浴びながら宮崎神宮を目指す。
 橘通りに合流してから少し走っていると、ツバメが一羽上空を飛んでいるのが見えた。時期的に越冬ツバメだ。この時期、日本でツバメに会えたことがとても嬉しかった。宮崎神宮の手前で太鼓の演奏がある。走っていると太鼓のリズムというのは攻撃的になってきて心地よい。しかしまだ20km手前から攻撃的になると自滅するので、ペースはそのままである。宮崎神宮前のロータリーで折り返す。折り返してしばらく走っていると、東国原知事が向こうからやってくるのがみえた。東国原知事のすごいのは沿道の声援にたいして、手を振りながら走っていることだ。これをずっとやりながら走るのは正直しんどいだろう。それでも沿道に視線をちゃんとむけて手をふるところがすばらしい。知事と僕の差は1.5kmほどの差があった。約8分くらいというところか。
 来た道をサンマリンスタジアム目指して戻っていく。県庁の前を通り過ぎて20km地点である。この前の15km地点ではタイムをおすのを忘れていたが、ここではきちっとラップをとる。1時間34分46秒。したがってこの10kmは46分2秒である。ハーフの地点で1時間40分3秒。仮にこのペースを維持すれば、ゴールは3時間20分6秒となる。う〜む、やはり少しはやいかもしれない、と思う。しかしペースはとても楽で、自分にとってはまったく無理していないペースだった。これ以上落とす必要はないと思われた。ハーフマラソンならおおよそペース配分はわかっているが、いまだにフルマラソンのペース配分がわからないのだ。こればかりは経験を積むしかない。
 橘通りをとおりすぎ、大淀川をこえると沿道のにぎわいは減っていく。ただし給水所は不規則だが、2.5〜3キロおきくらいにはあり、そこで高校生ボランティアの声援・ハイタッチがもらえる。高校生の応援は終始ランナーにとって、頑張るためのエネルギーになる。25kmあたりから、やや足が重くなってくる。やはり休日しか走ってないので、練習不足である。仕事が忙しくてなかなか走る時間もないが、平日も最低でも週に2日ほど走る時間さえあれば、と思う。早朝とか寝る時間を割いてまで走れなくはないが、仕事に支障がでてしまうのが怖い。なかなか両立が難しい。
 28km手前で阿部直美さんに追いついた。視覚障害者マラソン大会も兼ねていて、そのゲストランナーである。彼女のタイムははやくて、2006年霞ヶ浦マラソン大会で3時間23分で走っているほどだ。現在は3時間20分切りを目指して頑張っている選手だ。障害者のランナーは手と手をひもでガイドランナーと結びついて走る。阿部さんのサポートランナーは同じく女性である。そして、いかにも2時間台なんて余裕で走りますみたいなオーラをもった男性ランナーがさらに横でフォローしていた。
 ガイドランナーはよほど実力がないと務まらない。そもそもきちっと歩かず完走できなければお話にならない。そればかりか、前にいるランナーたちをぬくときに、「左(右)を空けてくださ〜い」とか障害者ランナーに「これからゆるやかな登り(下り)。○mくらい」とかいろいろと細やかに指示しなければならないからだ。
 阿部さんの後ろをついて走った。とても一定したペース配分で、その走り自体が心地よいリズムを奏でているようだった。
(あっ、なんかこれ気持ちいい!)
と素直に感じられた。一般ランナーも僕以外に4、5名ついていた。みなこのころから失速する人たちが多くなり、阿部さんたちのペースは一定していてそれら失速者をどんどん捕まえて抜いていた。そのためまだ余力のある一般ランナーたちは、このペースがとてもすばらしいのを感じて後ろについていたようだった。僕も足の重さがきえて、ただただ走りに没入していった。ほんとうに気持ちがよくて、何も考えずにただただ走りそのものになっていたような気がする。「阿部直美」という固有名詞のゼッケンと、遠くにサンマリンスタジアムだけが視界に入っていたことだけ覚えている。それ以外のことは何をみたか、何を考えていたかまったく覚えていない。
 どれくらいだったろうか?確か31kmだったような気がしている。やや高架道路状になっている220号からサンマリンスタジアムへと至る一般道へ降りるための下りの道に入る前に、ガイドランナーが阿部さんにペースを少し上げるよう指示しているような会話が聞こえ、ほんの少しだけペースがあがった。そのほんのわずかのペースアップに僕は対応できなくて、ズルズルと落ちていった。と、その時。急に足の重さがよみがえってきた。
(あれっ、こんなに足が疲れていたんだ)
と思うと、どんどん鉛のように感じていった。もう阿部さんたちからどんどん離されていく。僕のペースが急に落ちたことは明白だった。僕はここからが地獄だな、と感じながら
(それでも温もりだけは残ったよ。ありがとう)
と小さくなっていく阿部さんたちを見送った。
 失速するととたんに苦痛の旅となる。とにかく歩きたいがサンマリンスタジアムの近くで急に沿道の声援が増えたので、なんとか頑張る。しかしそれを越えた33km地点で止まった。もう限界だと思われた。少しストレッチを交えて歩いて行った。トロピカルロードは海岸沿いを走るのが素晴らしい。沖ではこの季節なのにサーファーが波乗りをしている。
 少し走ったり歩いたりを繰り返して、36.9km地点の日向夏ゼリーステーションにたどりつく。この地点にしか置かれていない日向夏ゼリーをボランティアの女子高生からいただき試食する。とびきりおいしいものではないような気が。。。ゴメンナサイ。少し走ったが、足がどうにも言うことをきかなくて39km地点で歩いていた。するとノッチが追い越していくではないか。他の一般ランナーに抜かれても何とも思わなかったが、ノッチに抜かれたときだけ「ようし付いていく!」と決めて、ノッチとその取り巻き3,4名の集団についていった。ノッチさんはとても苦しそうだったが最後の気力で頑張っていた。応援しているボランティアの女子高生たちが携帯で撮影したりしている。僕も遅いペースだったが、ノッチさんもかなりグロッキーだったようでペースが遅いと感じるようになり、40km地点を越えたあたりで先に行かせてもらう。41km地点あたりでも、「あっ、ノッチがきた」とか沿道がいっているところをみると、それほど差が開いているわけでもなさそうだった。もう後ろを振り返るほどの気力も残されていない。これがあと5kmほどもあるとしたら絶対、心が折れて歩いていたが、あと1kmとわかればなんとか折れそうな心にムチをうって走り続けることができた。
 サンマリンスタジアムの外周にはいり、「まだか、まだか」と思いながらヨレヨレとゴールした。フルマラソンではそれぞれのガッツポーズを決めてゴールする人たちが多い。歩きが入ってもいい、ふがいない記録で終わってもいい、たとえ4時間かけようが、5時間かけようがみな一生懸命に頑張って完走したのだ。それぞれの人が主人公であり最後に一番の輝きをもって終える瞬間。その瞬間こそ是非とも両手をひろげて笑顔でゴールインしてほしい。
 青島太平洋マラソンは沿道やボランティアの応援といい、風景といいとてもすばらしい大会である。ホノルルマラソンと同日開催であったが、僕は時間とかお金が許すならこの大会に毎年出てもいいと思っている。


ノッチさん: 3時間38分12秒
http://ameblo.jp/nochyingmachin/entry-10410934315.html

猫ひろしさん: 3時間24分18秒
http://blog.oricon.co.jp/neko_hiroshi/archive/3808/0

東国原知事: 3時間41分20秒
http://ameblo.jp/higashi-blog/entry-10410261064.html


 【公式記録】
グロスタイム: 3時間39分03秒
ネットタイム:  3時間37分39秒

総合順位   917位 (6339人中)
種目別順位 272位 (1338人中)
通過点 10K 20K ハーフ 30K 40K ゴール
通過タイム 48:44 1:34:46 1:40:03 2:23:00 未計測 3:37:39
ラップタイム --:--:-- 46:02 5:17 42:57 1:14:39


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