【東京マラソン2012、バッハ、ハイレ・ゲブレシラシエ 天気 晴れ 2012年2月26日(日)】


フル 公認コース

 東京マラソンの受付は当日にはできないので、前日の土曜日にビッグサイトに出向いた。その日は朝5kmだけ走ってから、バッハのコンサートが15時に横浜みなとみらいホールであるので、10時すぎに到着して受付をする。こんな早い時間でも人の数がすごい。
 マラソンEXPOの出店数は多いけれども、特に興味をひかれるものがないのですぐに出てきた。すぐに横浜に移動して昼食を食べてから演奏会場に向かう。曲はバッハの「マタイ受難曲」で、これを聖トーマス教会合唱団とゲヴァントハウス管弦楽団で演奏する。指揮者はゲオルク・クリストフ・ビラー。
 クラシックは学生時代から聴いているが、この「マタイ受難曲」はクラシック音楽のなかでもっとも好きな曲のひとつである。こうして演奏会に足を向けるのも実に久しぶり。昔はよくいっていた。特に1994年10月14日、サントリーホールで聴いたクラウディオ・アバドがベルリン・フィル・ハーモニーを率いて演奏したマーラー交響曲第9番はすごかった。
 演奏が終わった後、間髪入れずに聴衆の一人が拍手をしたが、指揮者のアバドは片手を上げたまま目を閉じて余韻を楽しんでいた。1人で拍手をした人もすぐにやめてまた静寂に包まれていく。聴衆もオーケストラもみなただ一人を見つめている。目を閉じていたのがわかったのは、サントリーホールで指揮者の顔が見える席に座っていたからだ。じつにゆっくりゆっくりと片方の手が下ろされていく。そして落ち切ったところで堰をきったように割れんばかりの拍手が鳴り響いた。それは演奏が終わってから実に3、4分はたっていたと思う。演奏が終わってからしばらく、あれほどの緊張感が張り詰めていたコンサートはあれ以来出会っていない。あの感動は自分のなかで今でも宝物として息づいている。
 あの時代から仕事で忙しくなるたびになかなかいかなくなってしまった。最近、初心にもどってまた通い出してみようと思ったわけだ。
 聖トーマス教会合唱団は800年ほどの歴史をもっており、いま聴こうとしているバッハもそのカントール(教会の音楽監督)として27年間もその地位にあった。だから非常に正当的、伝統的なバッハということもできる。合唱団員はとても小さな少年たちもいて可愛らしい。
 演奏が始まる。一番大好きな冒頭部。やはり実演は音がすばらしくて最初の出だしの音を聞いただけでゾクッとする感覚に襲われる。やがて合唱団の少年たちが歌い出すと、そのきれいな歌声と歌っている姿をみて何故だか涙がこぼれた。3時間以上の大曲だが、むしろあっという間に終わってしまうほど集中して聴くことができた。明日の東京マラソンもこのくらいあっという間に終わるほど集中できればよいのだが。走っているときに長さを感じるときはだいたい調子が悪く苦しみながら走っているときだ。


 東京マラソン当日。新宿に7時過ぎにつき、着替える前にトイレに並ぶ(マラソン大会のトイレは出る・出ないに関係なく並んですませておくことにしている)。もうすでにどのトイレにも10人ほど並んでいる。トイレをすませ、ミールサービス(バナナ、栄養食品(SOYJOY)、水、アミノバリュー)をうける。さすがにこうしたスタート前のサービスレベルは並みのマラソン大会ではできない。これから走るこのマンモス大会がどれほどのものかと想像するだけでワクワクする。
 着替えをすませ、ストレッチを入念にやり早めに荷物を預けることにする。とにかく人がおおくて何事も早め早めに済ませておくことが重要だと感じる。
 ランナーのゼッケンにはスタートブロックのアルファベット記号が印字されている。案内書にはA〜Kまであるようだが、僕はCであった。とにかく仮装率がかなり高く、いたるところで仮装ランナーがいる。多くはかぶり物だが、本格的な人もいっぱいいてみていて楽しい。Cブロックのところにウルトラマンにでてくるカネゴンの着ぐるみがいた。そして密集しているCブロックの中で僕は並んでいるのだが、その両脇にも着ぐるみランナーである。なぜかこの両脇の着ぐるみの人たちだけには負けたくないと思っていた。

 やがて開会式等がはじまり、石原都知事が挨拶しだした。この挨拶が結構適当だった。
「頑張らなくてもいいぞ。頑張って死んだら何にもならんからな」といっていた。周囲からちょっと笑いがでていた。
 招待選手の紹介が行われる。当然姿なんて見えない。ハイレ・ゲブレシラシエ選手と川内優輝さんあたりが紹介されるとさすがに拍手の量が違う。僕はハイレ・ゲブレシラシエ選手を尊敬している。

 スタートする。前面でおびただしい紙吹雪が吹きあがるのが見える。少しして歩くスピードで集団が動き出した。そのまま歩きながらスタート地点までいく。スタート地点には、石原都知事と河野洋平氏(日本陸上競技連盟会長)がいた。また有森裕子さんがとても大きな声で来賓席からランナーにたいして声援をおくっている。
 紙吹雪はすべてハート形をしていることを知った。掃除しなくても融けるようにでんぷんでできているらしい。

(さあ、お祭りだ)

と思って走りだした。

 本日の目標は「歩かないこと」とした。これすらも高いノルマだと思う。なぜなら相変わらず仕事が忙しくて満足に走れていないからだ。最後の平日は最終電車とか、あるいは帰れずにホテル泊とかまでしていたからだ。さらにその前の土日は出勤。猛烈な忙しさの真っただ中である。こうした状況だったので、土日だけのジョギング練習では絶対に歩かずに走りきることができないことは経験でわかっていた。だからこのノルマを課したのである。
 都庁前を少し走り、ヒルトン東京を右に折れていく。すぐに新宿ガード下を通り歌舞伎町を過ぎていく。もうすでに沿道の人垣がすごい状態だ。やがて5km地点に入ると飯田橋になる。5kmのラップは24:48秒(ネット)。飯田橋のあたりで会社の知り合いが応援するよ、といっていたが見つけることができない。沿道もランナーも人で埋まっている。
 やがて皇居の横を走っていく。ここで皇居ランをしているジョガーがいる。彼らも本当は東京マラソンを走りたかったはずだ。公式HPをみるとフルマラソンの応募数が282,824人である。走っている人が36,000人であるので、約24万人以上が落選しているはずだ。このあたりで10kmトップランナーの人たちがかなりのペースで追い抜いていく。フルマラソンと同じコースを共有しているので、10kmのトップランナーたちとはペースが合っていない。むしろ蛇行したり、抜くにも人が多すぎてなかなか抜けない姿をみていると可哀そうだ。日比谷のあたりで10kmのゴールがあるが、もう少しフルマラソンと10kmのコースを別にすることはできないのだろうか?
 10kmは48:42秒。この5kmは23:54秒できている。「いかん、早く入りすぎている」と思った。気分がたかぶっているのだろう。今の練習量では絶対後半もたないはずだ。
 11キロ〜12キロのあたりで先頭集団とすれ違う。先頭は予想通りすべて黒人選手だけになっていた。どこかに尊敬するハイレ・ゲブレシラシエ選手もいることだろう。それにしても同じ人間とは思えないスピードである。少し遅れて日本人選手が1人頑張っている。すぐに素通りしていったので誰だかわからないが川内選手ではない。「日本人選手頑張れ!」と心の中で応援する。さらに遅れて日本人の集団が追いかけていた。前方のランナーが大声で「川内頑張れ」と声援していたから、どこかに川内選手がいることだろう。
 15キロあたりで「3:30」の風船を背負ったペースメーカーが少し前にいることに気付く。ペースメーカーさんは4名いたが、1人が遅れ気味になっていた。まずあれにしばらくついていこうと思う。15kmは1時間12分43秒。15kmを少しすぎると品川で折り返しとなる。
 18km地点でエネルギーが不足しているのを実感し、ランニングポーチにストックしているジェル補給(カーボショッツ)を投入する。しかしエネルギー切れというよりも、練習不足からくる足の重みをだんだん感じるようになってきた。20km地点は1時間37分05秒。この5kmは24分22秒かかっているのでペースダウンが顕著だ。ハーフ地点では1時間42秒33秒。ペースメーカーさん、悪いけど「3:30」よりも早すぎる!これではゴールタイムが3時間25〜26分ほどじゃないか。
 ハーフを過ぎたあたりで「3:30」ペースメーカーについていけなくなるほどの足の重さを感じるようになりペースメーカーからだんだん離されていった。しかしまだ歩くほどではない。ハーフを過ぎると銀座である。銀座を走れるのはやはり魅力的だ。ここも沿道の声援がすごかった場所のひとつだ。

 給水所は2〜3kmごとに置かれているので非常に快適である。しかもどの給水所も非常に長いので手前で取れなくても奥の方にいけば結構空いている。給水所の人たちはみな元気にランナーに声援を贈ってくれる。さすがにこれだけのマンモス大会になるとすべてが洗練されていると感じる。
 
 走りつづけているとき、「フリーハイタッチ」と白い手作りのポスターを両手にもって、笑顔で高々と掲げている若い女性の姿が目に映った。そして彼女の後ろには、若い男女の集団がいて、手に30cmくらいある大きなスポンジ状のウエーブハンドをしていてハイタッチしている。こうしてハイタッチを誘導しようとするアイデアが斬新でいいですね。
(君たちみたいな斬新なアイデアをもった方と一緒に仕事をしてみたいね)
と思いながら通過していく。なぜかこのフリーハイタッチの人たちがとても印象に残った。

 沿道の人たちの仮装率も高い。こんな沿道の人たちまで仮装をしているあたり、本当に楽しんでいるなぁと思う。また給水場にいるボランティアさんたちもノリがいい。このあたりは第一回の大阪マラソンとくらべても場馴れしていると感じた。つまり同じくらいのマンモスマラソンであるが、東京マラソンのほうがはるかにお祭りといった感じをありありと感じさせてくれる。まあ大阪マラソンもまだ最初だし、大阪人のほうがお祭り好きだと思うので、これから東京マラソンとは違った大阪独自のお祭りの雰囲気作りをしていくのだろう。

 さて。浅草橋のあたりで足の重さがひどくなり苦しくなりはじめた。ペースもかなり遅くなってきた。かなり身体が厳しい中で「ああ、もうちょっとで浅草だ」と思うといくらか元気が出てくる。蔵前で僕は新入社員から4年間を過ごした。終電がなるなるまでよく仕事をしていたが、そのときアパートのあった押上まで、ライトアップされて人通りがほとんどない雷門や隅田川をみながら歩いたことを覚えている。僕の社会人における青春のひとコマだった。そこを通ることをどんなに楽しみにしていたか。蔵前で昔働いていたところを通過し(もうほかの会社のビルに変わってしまっているが)、「駒形どぜう」や「むぎとろ」の店の前を通過する。雷門がみえる。沿道の声援がすごい。人垣が5重、6重にも連なっているような感じだ。雷門を右折し、正面に東京スカイツリーをしっかりみてからまた右折し、また蔵前・浅草橋方面を目指す。
 たしか浅草橋の前後だったと思うが、初音ミクのコスプレをした小柄な女性仮装ランナーに抜かれた。けっこう軽快な走りである。仮装ランナーをする人はけっこう実力者が多いので、初音ミクに抜かれても悔しさはなく、むしろ地獄を味わっている時間のなかで少しだけ楽しい気分にさせてくれた。できれば、もっとペースをおとしてペースメーカーになってほしいくらいだ。
 25kmから30kmのラップは26:30。そして30kmからさらにペースが遅くなって、35km手前で走行をストップせざるを得なかった。とうとう残り7kmが踏ん張れなかった。心の中では「うおーーーーー」と吠えていた。自分自身にたいして罵声を浴びせたのだ。別に吠えたからといって何も状況は変わらないわけだが。
 走りながら、仮にストップしても今回はそこから歩かないことに決めていた。足が硬直している。何故だか両腕の先がしびれたような感覚があり、初めて経験する症状だ。1分ほど攣りそうな足をなだめすかすようにしてストレッチをしてから再び走りだした。30kmから35kmは27:59秒もかかっている。
 その後、もう一度ストレッチ休憩をいれてから、職場である豊洲(38km地点)を過ぎていく。職場のビルがみえている。「誰か仕事している人いるのかなぁ」とか考えてしまう。その先にあるイオンの手前にある何てことのない橋であるが、登りの部分で走りきれない。ものすごく長い急坂にみえている。また止まってストレッチ。もう残り3kmほどであるが、とても苦しい。普段の練習では3km走ることくらい実に造作もないことなのに、フルマラソンの後半ではとてつもない長さに感じる。
 35kmから40kmの間のラップは32:13秒。何回かストレッチをしたから、おそらく走り的にはキロ6分くらいというところか。不甲斐ない走りで嫌になる。しかも最初に走行ストップしたときよりも、脚の状態は悪化する一方だ。
 40kmを通過し、ラスト1キロの看板がみえるところで後ろのランナーの邪魔にならないように道路脇によけ走行を止めた。ガチガチに固まった足を少しでもほぐすためにストレッチを続け、いうことの利かない脚をコブシでたたき続ける。その間、視線はずっと先を見据える。下を向くと気持ちがネガティブになるからだ。走行を止めてからずっと沿道の若い男性があきらかに僕に向かって「あと1kmだぞー。ここでやめたらすべてがむだになるぞ。がんばれー」と声をからしてずっと応援し続けてくれている。言葉では伝えられなかったが、涙がでてきそうになるくらい嬉しい。すでに書いた「フリーハイタッチ」の女性とこの地点で応援してくれた若い男性が東京マラソン2012で忘れられない応援となった。
 
 ゴールにある電光掲示板は3時間45分台を刻み続けている。その時計を眺めながらゴールをした。
 
 ゴール後、満足できない走りで落ち込みながら更衣場所に向かっていたが、途中でスタッフのジャンパーをきた高校生くらいの若い男女がたくさん並んで笑顔で選手たちとハイタッチしている。僕もそこに並んで笑顔で「ありがとうございました」とか「ご苦労様です」と挨拶を返す。
 せっかく完走したのに浮かない顔をするもんじゃないぜ、と励まされているような気がした。実際その通りなのだ。東京マラソンはゴールしてからもすばらしいもてなしを用意してくれていた。やはり東京マラソンはすべてにおいて日本一のマラソン大会だと思った。


(番外)
 家に戻ってから録画した東京マラソンをみた。ハイレ・ゲブレシラシエが後半失速して不本意な記録で終わった。本人は腰が痛くなったからと答えていたが、正直もう引退は近いと思われた。
 5000m、10000mで走れば優勝ばかりするほど群を抜く強さで「皇帝」と呼ばれていた。その彼がフルマラソンに転向してからも、その高速スピードを適用していった。
 2007年、ベルリンマラソンで2時間4分26秒(世界新)。
 2008年、ベルリンマラソンで2時間3分59秒(世界新)。前人未到の3分台突入。
 大きなストライドでダイナミックな走りをする。僕ら一般ランナーからみるととても美しいフォームをしているが、やはりこうした走りはアフリカ選手特有のものかもしれない。靴を開発したアディダス シニアプロダクトマネージャーの萩尾氏は2008年のベルリンマラソンでハイレ・ゲブレシラシエ選手と会うがここで驚く光景をみた。箱から出したばかりの、初めて足を通す新品のシューズなのだ。アディゼロ・ジャパンという黄色いシューズ。後このシューズは、ハイレ・ゲブレシラシエ選手の「Haile marathon 2:03:59」という直筆サインが書かれて、アディダスのドイツ本社に展示されることなった。
 普段から履きなれているシューズだから、新品でも問題がないのだという。そうして走り始めたラップはすさまじく速いスピードで刻まれつづける。これはWikiに書かれているのでそちらをみてほしい。
 ハイレ・ゲブレシラシエのWiki

 どれほど速いのか。雑誌「ランナーズ」2008年12月号では次のように書かれている。

 今回のレースは、中間点の通過が1時間2分5秒、後半が1時間1分54秒と、5kmごとの出入りはあるものの、ほぼイーブンの理想的な展開。ちなみに、昨年のハーフマラソンの日本ランキング2位のタイムが1時間1分59秒。日本のトップクラスの選手が2人でリレーしても、ゲブレセラシエに勝つのは至難の業ということになる。
                      (「ランナーズ」2008年12月号)

 なおハーフの世界最高はゼルセナイ・タデッセの58分23秒。ハイレ・ゲブレシラシエのハーフのベストは58分55秒(2006年1月15日)であるが、日本人のベストは佐藤敦之さんの1時間00分25秒(2007年10月14日)。だから、ハイレ・ゲブレシラシエのフルマラソンの中で刻む1時間2分5秒、1時間1分54秒というのは本当に速いスピードということが理解できる。
 その皇帝ハイレも、2011年ベルリンマラソンでケニアのパトリック・マカウと同じ場で走り目の前を走られたばかりか、自身の世界記録を破られた。そのときのマカウの記録は2時間3分38秒(ちなみに彼のハーフベストは58分52秒)。フルマラソンも群雄割拠の様相となっていて、いつ2時間2分台がでてもおかしくない状況となっている。
 この東京マラソンで、ハイレは2時間8分17秒であり、ロンドンオリンピックのエチオピア選考を兼ねていただけに非常に厳しい結果となった。もとより、明言はしていないが次のフルマラソンの結果次第ではリタイアを視野に入れているのではないか?と個人的には想像している。
 すでに2004年に出版された「THE GREATEST The Haile Gebrselassie Story」にも次のような記述がEpilogue(エピローグ)に見られる。

 "I am already preparing for the day when I can't run at the top," he says. "Maybe I'll do more business, or just become a jogger. I expect it to come, though---but perhaps not until 2012, that would be my fifth Olympics! But you know, it's only something normal for a sportsman to retire. You cannot cotrol the whole world forever. People soon forget you because another champion comes along. But I will still have a long life to lead, and I want it to be a happy and healthy time. So with my family and my friends I have to plan for my life after sport. Believe me, I have already accepted the fact that one day not so far away the world will forget about Haile Gebrselassie."

(管理人訳)
 「私はすでに走ることの頂点から退く準備がでてきている」とハイレはいった。「おそらく、今以上に仕事をしているか、ジョガーになっていると思う。そうなる日がくることを期待しているけれど、たぶん2012年まではリタイアしないだろう。だって5度目のオリンピックがあるからね。ご存じの通り、スポーツマンにとってリタイアすることはごく普通のことなんだ。誰もが永遠にすべての世界をコントロールすることはできないからね。人々はやがて新しいチャンピオンがやってくると過去のチャンピオンのことなんて忘れるものなんだ。しかし私はリタイア後にやらなければならない長い生活が待ち受けているし、その生活は幸せで健康な時間であってほしい。そのようなわけで、スポーツの後の私の人生は家族や友人と一緒に過ごす計画を練っている。信じてほしい。ある日、それもそんな遠くない日に、世界はハイレ・ゲブレシラシエについて忘れることがあるという事実を。私はすでにそれを受け入れているんだ。」


これを書いている時点ではまだ引退していないけど、とても偉大なスポーツマンとして、ひとりの人格者として影響を受けました。ありがとう、ハイレ・ゲブレシラシエ!東京マラソンを走ってくれてありがとう!


youtubeより〜ハイレ・ゲブレシラシエの2008年ベルリンマラソンのゴール前の走り。
これが2時間3分台のペースですが、相変わらず美しいフォームで走っています。
なお最後のフィニッシュがないのは、おそらくベルリンマラソン側の指摘で片っぱしから
削除しているようです。この大会後はたくさんあった動画もいまでは、フィニッシュが
映っている動画がすべてなくなっています。


 【公式記録】
グロスタイム: 3時間45分34秒
ネットタイム:  3時間43分06秒

順位   4786位 (27340人中)

通過点 5K 10K 15K 20K ハーフ
通過タイム
(グロス)
27:16 51:10 1:15:11 1:39:33 1:45:01
ラップタイム --:--:-- 23:54 24:01 24:22 --:--:--
通過点 25K 30K 35K 40K ゴール
通過タイム
(グロス)
2:04:44 2:31:14 2:59:13 3:31:26 3:45:34
ラップタイム 25:11 26:30 27:59 32:13 14:08


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