【第31回読売犬山ハーフマラソン 2009年2月22日(日)】

ハーフ 公認コース

 2回目のマラソン大会参加である。そして初ハーフマラソンになる。去年11月末の肉離れから回復が結構長引いていてほとんど走れていない。しかも仕事が今年になってから猛烈な忙しさで土日のどちらかは出勤。平日の残業がすごくてまともに走る時間もないくらいだ。なんとか2月8日から走り始めたが、この大会前に2月の月間走行距離がようやく40キロ程度という惨めな状態。しかも今年に入って一番長い距離が12キロ程度なので、ハーフを走りきれるか全く自信がなかった。おまけにこの読売犬山ハーフマラソンは制限時間が比較的短めでハーフでは2時間5分で打ち切りなのだ。なんだか走り始めるまで負のオーラを引きずっていた。

 大会当日は5時50分に起床。6時40分頃自宅を出発。7時35分ごろに成田山の駐車場に到着。この頃にはまだ駐車場の空きはあったが、埋まるスピードが速く8時前には満車状態になっていたように思う。臨時トイレは名証運動場にかなり設置されていたが、それでも出発20分前くらいには相当な長蛇の列(およそ100mくらい)になっていた。なお、臨時トイレは女性と男性は別々に作られているので女性に配慮してあるのは良心的だ。
 運動場の隅っこで荷物をおいてストレッチとかしていると、アナウンスで本日のゲストの中山竹通(たけゆき)さんと北京五輪英国代表のマーラ・ヤマウチさんが舞台で挨拶をしだした。慌てて近くによって見てみる。若い人は知らないと思うが、僕らの世代以上は瀬古敏彦、宗兄弟、そしてこの中山竹通さんといえば、それはそれはすごい選手たちだった。当時、日本は世界のマラソン界でトップを争っていた。その中でも中山竹通さんは異色のランナーであり、ストレートに言いまくる過激さは当時から物議をかもしていたし、それ以外にも走り自体がすさまじかった。僕も大学生のときに夢中でテレビにかじりついて見ていた1987年の福岡国際マラソンでの走りは伝説的である。
 実は前日の2月21日にこの大会のトークショーが開催されていて、そこに中山竹通さんとマーラ・ヤマウチさんがきていた。非常に楽しみにしていたのだが相変らずの仕事でトークショーに参加できなかったのだ。しかし今舞台上に、実物の中山さんがいたのでちょっと興奮した。もう50歳か〜。しかし50歳とは思えないほどすばらしいのは、10キロで本大会に参加するが、1キロ3分20〜30秒で刻む予定だというのだから恐れ入る。
 マーラ・ヤマウチさんもスピーチをするが、この人は元駐日外交官だけあって日本語はペラペラでした。今時の若者と比べるときれいな日本語を流暢に話します。なお、マーラ・ヤマウチさんはハーフに参加しました。あと、中京テレビのアナウンサーが3名参加されるため舞台で挨拶していたが、僕は女子アナとか興味がないしホノルルマラソンの安田美佐子の影響だかしらないが、安田美佐子ともどもどうでもいい。テレビとかそんな力を借りないで黙って走れ。

 大会は10キロが最初にスタートし、ハーフの公認が10時にスタートし、その5分後に僕らのハーフ一般がスタートする。スタートは記録申告順ではなく、ゼッケン順に並ぶ。僕のゼッケンは3800番台であり、中間くらい。とにかくスタートラインは密集している。10:05分に号砲がなる。動き出すまでに20秒ほどかかる。スタートラインを通過するまでに2分ほど要した。走り始めから3キロほどはとにかくすごい人でまともに抜けない。距離表示が置かれているとのことだが、しばらくは全くわからない。以後、6キロ過ぎでようやく黄色の距離表示が確認できた。それは高さ1mほどの逆V形の看板が左側歩道側の地面に置かれているが、これだけの密集でしかも人を抜くために一番右側を走っていたので、わからないままどんどん通過したのだ。そんなわけで、最初の6キロまでは距離が測れなかった。

 話を戻す。確か2キロ過ぎくらいで若い女性ランナーがコンビニに駆け込んでいくのがみえた。そしてそこから100mもいかないうちに、前のランナーを抜くために一番右側を走っていると急に「○○くん」と僕の名前が呼ばれた。そこには会社の先輩が応援してくれていたのだ(実は彼の家の近くであり、この大会にでることを宣言していたので)。ちょっと意外だったので「お〜っ」といって手を振った。
 いったいどれほど走っているかわからない状態だが、給水所がきた。確か最初の給水所が5キロだったはずだ。ということはこのあたりが5キロ付近か〜、なんだかいつも走る5キロよりキツイなとおもっていた。しばらくしてハーフの先頭集団が反対側の道をやってくるのがみえる。すごく早い。やはり彼らは別世界の人たちだ。そのまましばらくして41号線とぶつかる道を左折し、工業地をぐるりと迂回して来た道を戻っていく。トイレの標識があり、一人の若いランナーがトイレにいくのがみえた。
 7、8キロあたりから膝にかすかな痛みを感じた。「あっ、やばいかな」という負のオーラがチラッと脳裏に浮かんだが、しかししばらく行くと痛みは消えていきゴールするまでもってくれた。
 10キロの標識でラップを刻む。45分44秒である。「ええっ〜」と驚いた。これは前回の東浦マラソンの46分03秒(手元の時計)よりも速いペースである。どうりでなんかキツイなぁ、と思っていたわけだ。10キロにくるまでが長く感じられたし、この時計をみて、残り約半分をこのまま押し切れるとは思えなかった。
 とにかく10キロの給水所で水をとることにする。前にいたおじさんが給水所で急激にスピードダウンして水をとるのであやうくぶつかりそうになった。どうも給水所というのは、テレビの一流選手のように走っているスピードを殺さずに取るのではなく、こうした市民大会レベルではほとんど止まるようなスピードで取っている人が多いように思う。
 少しだけペースをおとした。一番下にラップを書いておいたが、10〜11キロの間で少しペースを落としたことがはっきりわかる。わずか「6秒/キロ」落としただけでもずいぶん楽に感じる。
 12キロあたりで左折すると商店街のようなところで沿道の声援がすごかった。本当に感謝感激である。この場をかりて「ありがとう」といいたい。何度も手を振って応える。そして木曽川の堤防沿いの道に突入する。ここから沿道の声援は急に少なくなる区間となる。すぐに4羽程度のカモが飛んでいるのが見えた。このあたりでは日本で越冬するカモなどが多数滞在している。近くではカンムリカイツブリが越冬している場所がある。そういえば最近見に行ってないなぁ、と思った。なんだが気分がほのぼのとした気分になる。
 この堤防沿いは犬山城を背にして走るが、折り返し地点では犬山城を目にしながら走ることになる。ただレースに夢中になっていると犬山城の姿が目に入らないかもしれない。堤防沿いに入るとかなりスピード感が似た人ばかりなのでそれほど抜けない。抜いた人数分、さらに抜かれていく感じだ。15キロあたりで足が重く感じてきた。あんまり練習をしていなかったからなぁ、と少し負のオーラが漂いはじめるが、気持ちが折れたらダメだと思い、ペースだけは落とさなかった。ここでペースを落としたら絶対ガクッとなる。17キロあたりで道路脇の木からシジュウカラの鳴き声が聞こえる。姿は見えなかったが、僕にはとても励みになった。
 あと2キロの表示で少し気力をふりしぼってペースアップを図る。どれほどだったかな?あと1キロほどだったと記憶しているが、若い母親と小さな子どもが飴を手にしてランナーに手渡している姿が見える。取ろうとしたが、前のランナーが同じように右に移動し、子どもから飴を受け取っていた。そのすぐ後ろにいた僕はペースを落としたくないために、その受け取っているランナーの左を通過してその母子から飴を受け取れなかった。お母さんのほうとアイコンタクトをとって、「飴をください」とアピールしていたので残念だ。でも気持ちだけ受け取ります。ありがとう。
 少しして右折してそのままゴールまでまっすぐ走る。もうみんなスパートしていて、抜いたり抜かれたり。誰か沿道の若い女性が「あと少し、ガンバレー」などとランナーたちに大きな声で叫んでいる。感謝。

 そしてゴールした。ものすごい充実感が押し寄せてきた。そのまま参加賞を受け取り、アミノバイタル(粉末タイプ)やスポーツジュースで疲れを癒す。しかし何といっても美味しかったのは「おしるこ」である。ごちそうさまでした。


【手元の時計の記録〜表示のないキロは標識見落とし】
6キロ        27分28秒
7キロ        32分01秒   4分33秒
9キロ        41分10秒   9分09秒
10キロ       45分44秒   4分34秒
11キロ       50分24秒   4分40秒
12キロ       55分01秒   4分37秒
13キロ       59分33秒   4分32秒
14キロ   1時間04分05秒   4分32秒
15キロ   1時間08分37秒   4分32秒
16キロ   1時間13分13秒   4分36秒
ゴール    1時間36分44秒  23分31秒

【大会側の正式な記録】
1時間36分40秒(ネット)
1時間38分23秒(グロス)
順位 994/3182位


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