【マラソンをする理由】


 そして、考えてほしい。
 あなたは、なぜ、走っているのかを。
              「マラソンの真髄」(瀬古利彦、ベースボールマガジン社)

と瀬古利彦は著書の「はじめに」の欄で書いている。人それぞれに走る理由というのはあるはずだ。健康のため、記録を出すため、大勢の中で走るのが楽しいから等。僕にとってはおそらく今に至るまで誰にも存在しない理由で走っている。それは「鳥の渡り」を自分の身体を使って体験したいというものであった。過酷な「鳥の渡り」のきびしさを人間が追体験するためには、自分自身が長距離を走ることによってしか、しかもそれはフルマラソン以上の距離をすることが適切だと判断した。「渡る」距離は人それぞれによって違ってくる。42.195KMや100KMウルトラマラソンかも知れないし、ギリシャで開催されるスパルタスロン(約246kmの道のりを、36時間以内で走破する過酷なマラソン)や24時間走の人もいるだろう。あるいは年齢や体力によっては10kmや1kmもあるだろうし、足に重度の障害を負っている人はわずか1mが渡りに匹敵する距離かもしれない。それぞれの人がそれぞれにできる「渡り」をすることで鳥の渡りというものを自分の体を使って理解することはできる。
 鳥の渡りは飛ぶ行為だけど、マラソンは走る行為でしょう?そもそもその点からして「鳥の渡り」そのものを理解するなんて無理じゃないの?というお叱りが聞こえてきそうである。「飛ぶ」という動作と「走る」という動作は確かに異なるものなので、それを言われると一言もない。でも鳥にとっては羽ばたくという同じ動作を長時間繰り返すという行為を人間に求めるなら、走るという同じ動作を長時間繰り返すという行為が(強引だが)もっとも近いものであり、なおかつ体内のグリコーゲンを消費していき、それを使い切ると脂肪を燃焼させてエネルギーに変えて運動し続けていくいう点で同じである。その「体にとって負荷のかかる同じ動作をひたすら繰り返し、強力な心肺機能を活用し、体内エネルギーを利用してある目的達成のために継続し続ける」という類似性だけでよいのだ。

 トップランナーが走っているときの感覚は選手によっても違ってくるが「私は一陣の風」になったようだという。金哲彦さんの本には「背中に羽がはえたように」という表現を使う。シドニーオリンピック金メダリストの高橋尚子さんはその著書で「風になった日」というものがある。僕ら一般の市民ランナーでは味わえないだろうが、トップランナーはそういう感じなのだろう。とても気持ちよさそうだ。トップランナーたちの走りは足や手だけを頼りに走ってはいない。体幹をつかって全身の力をうまくつかって走るのだ。この体幹を使うというキーワードはマラソン関連の本にはよく出てくる。そういう走りをしないと、中距離まではごまかしがきくが、長距離になるとたちまち故障がでたり、足が動かなくなって走れなくなってくる。


 体幹を鍛えておかないと、いいフォームで走れない。走るという動作は、体幹が支えているからだ。
(中略)
 フォームも同じで、体幹を鍛えてどっしりとさせないと、足と腕はうまく動かない。もっといえば、推進力を生む役割の大半を担っているのは体幹で、足と腕は、体幹のお手伝いをしているものだといっていいかもしれない。
               「マラソンの真髄」(瀬古利彦、ベースボールマガジン社)


 加えて、マラソン練習を始めてからしばらくして20キロ以上走るようになって故障した自分の経験からいうと、左右のバランスが崩れていると怪我をしやすい。それは長距離走れないということになる。鳥の世界では渡りができなくて死んでしまう世界である。サラリーマンなど鞄をもって長い時間の通勤をすることもあるが、このときに鞄をもつ手がかたよっていたりすると知らずに背骨のズレ、筋肉のつき方のアンバランスなど体の左右のバランスが崩れていく。10キロほどではごまかしもきくが、毎日20キロ以上走るようになってこのわずかなバランスの崩れがごまかせなくなってきた。右足に負荷がかかっている走りをしており、じきに右足に肉離れをおこした。
 鳥の渡りもまた、強力な胸の筋肉を利用して羽ばたいている。もちろん、長時間同じ姿勢でブレないことも渡りを成功させる重要な要素になる。左右のバランスが均等に取れていることもまた大切なことである。
 体幹や左右のバランスだけではなく、長時間の渡りを実現するスタミナもまた必要である。渡り鳥などは必然的にこうした能力を先天的に身につけて生れてくる。従って、巣立ちを迎えるころにはある程度の距離を飛べるようになっていて、数ヵ月後の春秋の渡りの時期には実際に渡りをしていくのだ。しかし人間はかなり練習を積まないとフルマラソン以上走るのは無理である。実にシンプルな動作を長時間続けるだけということなのに、その能力を身につけることは難しい。そしてこれを書いている時点ではまだ、フルマラソン以上走ったことはないが、その能力を身につけた人をみていると憧れのようなものを感じる。
 渡りの途中は何が困難になるのだろう。それは呼吸が苦しいからではない。渡り鳥は渡りの途中、ずっと呼吸がハァハァと息切れしていることはない。ペットのセキセイインコは10秒くらい飛び回っていた後でハァハァいっていたが、ペットのセキセイインコは渡りをしないうえに、野生のセキセイインコよりもはるかに運動不足である。話は少し脱線したが、鳥にとっては人間のジョギングをしている感覚のスピードで飛んでいることだろう。人間のマラソンも、記録をもとめるシリアスランナーのようにスパートをしているときは別だが、一般的に走っているときには、それほど息は苦しくないのだ。10分、15分ほどのジョギングで息切れがする人もとりあえず継続して欲しい。人間の体とは不思議で、だんだん息切れしない体にかわってくるのが実感できるはずだ。それは高所登山をするときに、高所順応することで息苦しさが解消されていくことと同じだ。
 では何が障害になるかというと、息が苦しいよりもまず足がいうことをきかなくなってくるとか、エネルギーが切れてガス欠になることが問題になる。人間にとっても、鳥にとってもまず渡りを完遂するだけの心肺機能とスタミナをある程度身につけておく必要がある。とにかく、僕にとっては<体幹>、<左右のバランス>、<スタミナ>、<心肺機能=呼吸>というのが「渡りをするための」キーワードだと思っている。

 結局、人間にとっても身にまとうべき最高のブランドとは、健康、(鍛えたれた)脚や腕、体力、心肺機能、・・・結局そういった、もって生まれた機能を最大限に生かせる己自身である。これ以上のブランドはほかに存在せず、外に求めるだけ無駄である。人間たちのつくったブランド商品を身にまとって悦に入っている行為自体がすでに笑止千万だ。鳥もそう。鳥の翼、羽毛の構造をはじめ、高度なナビゲーション能力、特殊な心肺機能、体重を軽くするための特殊な骨の構造・・・全身すべてがブランドである。鳥にかかわらず動物たちの存在それ自身が最高のブランド自身である。人間も自分の存在それ自体をブランドにしてみよう。ただし人間の場合は<強い精神>がさらに必要になってくる。

 渡りのプロである鳥も、彼らが行うそれぞれの渡りは決して楽なものではない。次の文章をみてみよう。


 ミシシッピ州沖合のホーン島の海岸を歩いていて、メキシコ湾を横切ってきた数十羽の渡り鳥の死体を発見したのである。(中略)死体のほかにも、波打ちぎわに残されたり、寄せる波に浮かぶ羽もみつけた。(中略)数メートルの範囲に、翼の羽(風切羽)が1000枚以上も見られる場所もあちこちあった。かけ算して数百キロにおよぶメキシコ湾岸沿い全体を考えれば、このおびただしい羽から、毎年メキシコ湾を横切っている際に数百万羽が死んでいることになる。
               「鳥の渡りを調べてみたら(ポール・ケリンガー、文一総合出版)」


 渡り鳥の死亡率についての報告では、イスラエルの地中海沿岸で調べられたものがなによりもみごとである。イスラエル自然保護協会の代表の一人によって、少なくとも12種、1000羽あまりのワシ・タカ類が一日の間におぼれ死んだことが報告されているのである。
               「鳥の渡りを調べてみたら(ポール・ケリンガー、文一総合出版)」


 フロリダ半島の南西沖のドライトートゥガス群島で、毎年バードウォッチャーたちが何千羽もの弱った渡り鳥を保護している。研究者たちも、春の渡りの時期に、ルイジアナ州やミシシッピ州にかなりたくさんの衰弱した鳥がたどり着くことも記録している。渡りのための脂肪を蓄えて、正常なら体重が30〜35グラム以上のチャツグミ類が、これらの州にたどり着いたときには、22〜24グラムしかない。(中略)横断して生き残った鳥の体重が軽いことから、この渡りで多くの鳥が衰弱したり、命を奪われたりしているものと思われる。
               「鳥の渡りを調べてみたら(ポール・ケリンガー、文一総合出版)」


 テレビなどでマラソンをみていても、よくリタイアする場面をみることができる。集団から脱落してすでに完走だけ目指せばよい状態になっている走りのプロたちでも、あのようにリタイアすることを想像すると「完走する=渡り切る」ということが困難であることがわかる。しかも鳥は渡りができない場合、それはほとんど死を意味している。さすがに人間の渡りの場合はそこまで深刻でない。鳥であろうと人間であろうと、渡りの途中でリタイアしない工夫が必要になってくる。瀬古利彦は次のように書いている。


 一人だと、自分でペースをつかんで最後まで追い込まなくてはいけないから、一人で速く走る力を養うことができると考えていた。だからこそ、レースは人が引っ張ってくれるから、楽に感じるようになる。
 「マラソンの真髄」(瀬古利彦、ベースボールマガジン社)

 練習はいつも一人で走っていたので、誰かについて走ることはとても楽だった。
 「マラソンの真髄」(瀬古利彦、ベースボールマガジン社)

 このことを考えると、鳥が集団で渡りをするのもこうした渡りを楽にするという理由が大きな要素にあるのではないか?特に体温の上昇を抑えるために夜に渡りをするものが多い。昼間のように密集して飛べないため、ある程度の距離を保ちつつ飛ばなければならない。しかしそのときでも、鳴きあいながらお互いの位置を特定していることが知られている。これは集団のほうが適切な方向を見出すことができるという利点以外に、目で姿を見えなくても声で存在を知ることによって引っ張っていってもらうことも兼ねているはずだ。姿を目視できなくても声が聞こえるだけで引っ張ることの役割は十分果たせるだろう。そして、そのことが体力の消耗を少しでも防ぐことになる。
 人間もおそらくマラソン大会などで集団のなかで走ると、そして時には沿道からの声援を受けることによって完走する率が向上すると思われる。実際、本当は歩きたかったのだが沿道からの声援がすごかったので歩くことができずに走りとおした、という体験談はけっこう聞く。
 こうした集団での走りは、自分の限界を超えて力を出すことを可能にするように思われる。それは実際に参加したことがない人にはわからないすばらしい体験になるだろう。そう、結局鳥の渡りを体験したい、ということを書いたが、それはたった一人でするよりも集団で励ましあって乗り越えていくということが重要だと思える。小鳥が集団で渡りをするように。

 密かにヌーや、雨季のオカバンゴを求めて砂漠を歩くゾウの群れ・・・サケやウナギなどの生き物のマイグレーションなどいろいろな動物の命がけの大移動の光景が脳裏に浮かぶ。結局、人間にとってそれぞれのマラソンを走るというのは、動物のマイグレーションを体験する一番の近道なのだと思う。


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