空へ1

 重力に逆らって空を自由に飛べるために進化してきた生き物―――鳥。もちろん空を飛べずに地上で生活する鳥もいる。彼らは与えられた環境の中でもっとも適合するように進化してきた。そして僕はこの場でもっとも高度を飛ぶ鳥について書きたいと思う。その鳥はアネハヅルという。ツル15種の中で一番小さなツルであり、秋になると越冬のためヒマラヤを越えてインドなどへ越冬しに来る。日本でもまれに鹿児島県の出水平野で迷い鳥が確認されている。

 エベレスト。この名前の由来は?
 1852年、イギリスの植民地であったインドで一人の男がこういった「世界最高峰を発見した」と。それは海抜8840メートルである、と。現在の衛星を使った測定法ではエベレストは8848mであることがわかっているが、当時の三角測量でもわずか誤差8メートルというのは十分許容範囲のすぐれた測量だと思う。そして1865年、前任の測量局長官のサー・ジョージ・エベレストに敬意を表してこの山にエベレストという名前をつけた。エベレストはチベットとネパールの国境に位置しているが、エベレストという名前がつく以前から、この付近に住んでいたチベット人たちはチョモランマ(世界の母なる女神)と呼び、ネパール人たちはサガルマータ(大空の女神)と呼んでいた。どちらも素敵な名前である。
 僕はこれからの文章でエベレストとは呼ばずにチョモランマとかサガルマータという言葉を使用することにする。それは昔エスキモー(「生肉を食らう人たち」という意味の差別的な言葉)という言葉を改めてイヌイットと正式な名称で呼ぶことと同じ感覚である。山は神であり、正しい神の名前があるならそれを正しく呼ぶことが山に対する敬意なのだ。

 日本山岳会が当時未踏のサガルマータ南西壁を狙ったのは1970年プレ・モンスーン期(春)である。しかしやはり南西壁は難しく、南西壁を狙ってはいたが何としても日本人として初めての頂上を極めるという重い課題をもって東南稜からも攻めた。困難な南西壁は結局小西政継の健闘むなしく登頂を極めれなかったが、東南稜からは日本人初の登頂がかなった。その登頂者の中に冒険家として名高い植村直己がいた。
 その後、日本山岳会の南西壁失敗のニュースを受けて立ち上がったのが第二次RCC(ロック・クライミング・クラブの略)であった。先鋭的なクライミング集団として奥山章を中心にして結成された岩登り専門の猛者ばかりの集団である。日本登山史を学ぶものにとっては奥山章はビッグネームであるが、この著名な登山家は第二次RCCがサガルマータを攻めたときすでにこの世にいなかった。ここでは彼の詳細については触れない。
 この第二次RCC隊による遠征は「日本エベレスト南西壁登山隊」という正式名称で、愛知学院大学助教授の湯浅道男を登攀隊長に、一匹狼の森田勝、そして森田の紹介で長谷川恒男も今回の遠征メンバーに加わる。この長谷川恒男という男はこのサガルマータ体験から単独登攀者に変わり、アルプス三大北壁(マッターホルン、アイガー、グランドジョラス)を冬季に単独で登攀する世界的な快挙を成し遂げるにいたる。サガルマータで単独登攀者に転向した経緯については後で触れる。また森田勝は後に長谷川恒男をライバル視し、グランドジョラス北壁冬季単独登攀の栄冠を巡って激しく争い、壮絶で超人的な生還を果たした後、二度目のグランドジョラスで800mを墜落して死んだ。機会があればこれに触れるが今は先を急ぎたい。
 そして後に春・秋・冬のチョモランマ三冠を達成した加藤保男もいた。このとき加藤保男ははじめてのチョモランマであった。
 1973年8月に南西壁の攻略を開始する。ベースキャンプBCを出て、危険なアイスフォールを通過し、第一キャンプC1、仮の第二キャンプTC2が高度6500メートルのウエスタン・クウム(クウムは盆地の意味)につくられる。そして加藤保男はここで不思議な光景を目撃する


 第二次RCCのエベレスト遠征の時のことだ。ぼくは6500メートルの仮C2で雪の上にシーツを敷き、上半身裸になって日光浴をしていた。すると頭上を何かきらきら光るものがV字型になって飛んでいる。近くにいたシェルパに「あれは何かね」と聞いたら、彼は「スワン(白鳥)だ」と答えた。そして、あれは先発隊で、二、三日後に大群が同じコースをやってくると教えてくれた。
 それ以来ぼくは、ヒマラヤの、しかもエベレストの上空を飛ぶ白鳥に強い関心をもっていた。そして、人にもよくその話をしていた。ところが最近になって、それは白鳥ではなく鶴であって、モンスーンの前後に二度、天候の安定した日にヒマラヤ越えをすることが明らかになった。(加藤保男著「雪煙をめざして」〔中公文庫〕)


 鳥というのは不思議な生き物である。鳥の羽は上側がカーブしていて、下側がへこんでいる。上側のカーブしたところでは空気が早く流れるために気圧が低くなるが、逆に下側では気圧がそれほど変わらないようになっている。この気圧の差が上昇するための揚力になる仕掛けだ。さらに空に向かうための進化には優れたものがある。鳥の骨は建築学でいうトラス構造である。つまり骨の内部は三角形の構造で空洞がたくさんある。このため骨は非常に軽量にできている。他には効率のよい肺とそのまわりに空気を蓄えることが出来る気嚢(きのう)がある。気球ではガスを入れるおおきな袋も気嚢とよぶが、鳥も同じように空気をたくわえて飛ぶのを助ける役割を果たしているのだ。
 また鳥がV字で飛ぶには訳がある。それは先行者の鳥の羽ばたきがつくる空気のスリップストリーム(後流)にのることで、単独で羽ばたくよりも少ない負担で飛ぶことが可能なのだ。従って長距離の移動をする鳥などは、よくこのV字形で飛び、先行者が疲れると楽をさせてもらった鳥が入れ替わるようになっていて組織的に飛ぶことが知られている。しかしそのなかでもキョクアジサシは毎年、北極と南極を旅してそれぞれの夏を過ごすのだから旅行のプロだ。彼らは経済的に飛ぶことをよく心得ているだろう。

 加藤保男がチョモランマでみた鶴はいまではアネハヅルであることがわかっている。確かNHKの「地球・ふしぎ大自然」だったと思うが、ヒマラヤのマナスル(8156m)という山を超えるアネハヅルの映像を見たことがある。それにしてもNHKの取材力にはすごいなぁと感心する優れたものが多い。
 アネハヅルの集団が越冬するためにマナスル越えを開始する。第一回目の攻撃は失敗する。下降気流に押されヒマラヤを超えられない。そしてその大集団は再びマナスル超えに挑戦するが、また失敗する。アネハヅルのような大自然で生きる強い生き物たちでもヒマラヤの壁は高い。そしてアネハヅルたちは生きるために再度挑戦する。たぶん成功するまでは死ぬまで止めないのではないか、と思う。どのみち超えられなければ死ぬのだ。いさぎよく体力の続く限り挑戦して死んでいく姿もまた美しい。
 三度目にアネハヅルは超えた。マナスル山の山すそから立ち上る強い上昇気流に乗って優雅に超えていった。とても美しくて神々しい映像だった。
 8000メートルを飛ぶということがどんなにすごいことか!平地に住んでいる人間がいきなり高度8000mの高さにいったら死んでしまう。それほど空気が薄いのだ。だから人間は高所順応をしていかなければ8000mの世界に無酸素で登頂することすらできない。そしてそのような希薄な空気で飛ぶというハードな運動をする生き物の存在が素晴らしすぎる。ネパールのシェルパ族の人たちはこの鳥を<神の使い>と信じていたりするのではないだろうか?一度会って聞いてみたいものだ。

 加藤保男が第二次RCCのとき、仮第二キャンプでみたチョモランマを越えていく鳥たちもアネハヅルだった。アネハヅルは越冬地目指して冒険旅行を続ける。そしてそのチョモランマではこれから激しい人間の冒険が始まろうとしていた。それは決してキレイごとではない、人間として極限状態におけるありのままの姿をみるようなドラマだった。このドラマを機に、先述した長谷川恒男は単独登攀者に転向し、ヨーロッパ・アルプスへと向かい、前人未到のアルプス三大北壁冬季単独初登攀という大偉業を達成する。そして森田勝は長谷川に強いライバル意識をもち、グランドジョラス北壁での冬季単独初登攀争いへと向かい長谷川に破れたばかりか劇的な生還劇を果たす。そして二度目のグランドジョラスで800mを墜落し山男らしく死にきった。また加藤保男はチョモランマ3冠を目指し、冬のチョモランマ初登頂者となるが下山中にジェット気流の吹き荒れるチョモランマの8000mの世界で交信が途絶えたまま姿かたちもなく消えていった。チョモランマの中に埋もれたのか、アネハヅルのようにヒマラヤの山を飛んでいったのか今ではわからない。

 そんな男たちのドラマを追い求めていこう―――


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