【チェンライにつく】

 朝7:00のモーニングコールで目覚め、シャワーを浴び、身じたくをして8:15分にチェック・アウトするために部屋を出る。途中出会ったホテルのメイドに20バーツづつのチップを与えると「コップン・カー(ありがとう)」といってくれワイ(合掌)をしてくれる。4泊5日で3400Bであった。3500Bを渡し、おつりの100Bをチップとしてあげてしまう。
 歩いて200メートルほどにある「エアポートバス乗り場」まで歩くが、道がでこぼこなのでトランクケースを運ぶのに苦労する。なおかつ「地球の歩き方」に乗っている情報では15分おきくらいにエアポートバスが走っているはずであるがなかなかやってこない。すぐ横では犬が寝転がっている。バンコク全体なのかはよく分からないが、スクンビット通りは犬が多い。これが日本だと猫なのに、と思う。ハトの集団に出会うこともある。これは日本と同様、人間が近寄ってもなかなか逃げない。そうそう、スズメもいるね。
 話が脱線してしまったが、30分くらいしてようやくエアポートバスがやってくる。タクシーを止める要領でバスを止めると、バス停よりも10メートルも手前で止まっている。仕方ないのでトランクケースを引きずりながら乗り込み、乗務員のお姉ちゃんに70Bを支払う(いまは値上がりして100Bだった。←2000年5月時点)。

 ドンムアン空港はでかいのでどこで降りたらいいか分からない。するとエアポートバスが止まりドアがあき、サングラスをかけた運転手がミラー越しに僕を見つめている。バンコク初日と同様に運転手はただ僕を見つめるだけだ。おそらくここは国内線ではなく国際線だろうと思ったが、とっさに「国内線(Domestic)」という言葉が出なかったので仕方なく降りることにする。案の定、国際線であった。
 「チェンライにいきたいのですが、どこに行ったらよいですか?」を2回きいてまわり、長い長い通路を横切ってようやく国内線の方にたどり着く。
 バンコクの空は慢性的に混雑しているのだろう。飛びたつために滑走路へと向かう飛行機が渋滞をなしている。僕らの飛行機の後ろには4機ばかりの飛行機が滑走路上に待っていた。
 バンコクは曇り空であったが、バンコクを上昇する飛行機から外をみるとそれは巨大な積乱雲であることがわかる。飛行機はその積乱雲の間を突き抜け、雲の上に達する。そうだ、雨の話をしよう。
 バンコクの雨季には毎日雨がふる。僕がいった9月は一日のうちに2時間くらい激しい雨がふる。さっきまで晴れていたのに急に雲の厚みがましてくるとどこかに非難することを考えなくてはならない。ドカドカとふってきて、雷がゴロゴロ。夜にこれに遭遇すると、それはそれはきれいなものだ。空が絶え間なく雷で青く光る。場所によっては5分もしないうちに道が雨水で覆われる。もう洪水みたいだ。それなのに、数時間後、雨があがるとウソのように晴れわたる。一度、これは経験してみるといいと思う。

 バンコクをでてから約1時間後にチェンライに到着する。飛行機から見るチェンライの風景は"ド田舎"であることは覚悟していたが、はっきりいって何もない。しかも暑い。バンコクよりも暑いと感じる。
 空港の外にある空港タクシーを利用する。予約しておいたINN COME ホテルにいきたいと告げると150Bだという。いつ料金を払うのか分からないままに駐車場に連れていかれる。はっきりいってタクシーというよりもワゴンである。細かいお金がなかったので、500Bを払うと運転手は受け取ってそのままお釣りはくれない。「う〜む」と思ったものの、黙ったままにしていた。しかし、途中ガソリンスタンドに立ち寄り、ただ両替だけをしてからお釣りの350バーツをくれた。どうやら、細かいお金を持っていなかったらしい。それにしても両替だけのためにガソリンスタンドを使うところがすごい。バンコクでタクシーを利用していたときにも、近道をするためにガソリンスタンドを突っ切ったり、Uターンするためにガソリンスタンドを利用している運転手に会ったこともある。日本ではちょっと考えにくいが、マイペンライ精神というやつか?

 田舎道を突き抜けようやくホテルにつく。やれやれ、と思って「昨日、予約していたものですが」といって領収書を見せると、何とここはWANCOME ホテルであった。運転手はインカムとワンカムを聞き間違えたらしい。
 INN COMEホテルはどこにいったらよいですか?ときくと、ホテル専属の運転手の車に乗せてもらえることになった。やはりワゴンである。INN COMEホテルはWANCOME ホテルの近くであった。仕方ないので、この運転手に100Bあげたらとても喜んでいた。無駄な出費だった。
 チェックインするためにレセプションにいくと、ちょうど欧米系の団体旅行客の集団とぶつかったので少し待たされた。やっとの事で、レセプションのお姉さんのところにいくとこれがビックリ仰天するくらいの色白美人。ウチらの会社の受付嬢にこんなレベルの高い人がいればいいのに。

 案内された部屋は結構きれいであった。鏡台の引き出しを開けたらコンドームが2セット入っていたので連れ込み宿も兼ねているらしい。
 タバコを一服してから、外を散策することにした。玄関の外にトゥクトゥクが2台とまっていたが、運転手の1人は昼寝、もう一人は僕をみても客引きをしようともせず日陰で暑さをしのいでいる。バンコクのように日本人とみれば「ヘイ、マッサー」、「アタミ(日本人お得意様のタイ式ソープランドの名前)」などといっている奴らとは大違いである。
 僕はとりあえず自分の足でこの街を歩いてみようと思っていたのでトゥクトゥクは使わなかった。しかし参ったことにこのホテルは「地球の歩き方」の地図の外にあったので、よく位置がつかめない。とりあえず大きな通りを歩き続けた。しかし、暑さとなかなか目的地につかないことから気分的に滅入ってしまってセブンイレブンでジュースをとったあと、タクシーかトゥクトゥクに乗ろうとするがそれらしい乗り物がこない(チェンライでは普通のタクシーがないのだ)。仕方なくカンカン照りのなか汗だくになりながら歩き続けていると、チェンライ・ホスピタルについた。ここには人力車やトゥクトゥクがいっぱいいたし、さすがに外人と見ると客引きをしてきた。僕は客引きをしていたトゥクトゥクを無視して、順番待ちの先頭にいる初老のトゥクトゥクを利用することにした。
 「英語は話せますか?」ときくと、親父さんはニッコリとしながら若い運転手に「へーい相棒、この外人は何をいってんだい」というふうに話をしていた。若い運転手はどこに行きたいかを僕に尋ね、僕は「ここと、ここと、ここ」、と「地球の歩き方」指さしながら答えた。「オッケー、150バーツ」といってきた。僕は暑さでグロッキー状態だったので値切ることもせずにトゥクトゥクに乗り込んだ。

 チェンライはバンコクとは違って道路は渋滞していない。そのかわりにタクシーらしきものはないし、たまにトゥクトゥクを見かけるくらいだ。人力自転車もキコキコお客をのせて一生懸命走っている。本当に田舎である。僕にはなぜにこんな街をめざして旅行者が集まるのかは分からなかった。トレッキングの拠点というだけの理由だろうか?
 とりあえず、ワット・ムーンムアン、ワット・プラケオ、メンラーイ王像をまわることにした。ひとつの見所をまわる度に親父さんに「地球の歩き方」のタイ語の部分を見せる。親父さんはコックリとうなずくだけである。しかし、なぜかこの白髪混じりの親父さんは愛嬌があって憎めないし、日本の若い女性たちはきっと「かわいい」というであろう親父さんなのである。
 メンラーイ王像を見終わったときに、栄養ドリンクを買ってあげたら親父さんは喜んでいた。この笑顔がタイ人のいいところなんだよなー。
 ホテルまで送ってもらい、シャワーを浴びた。はっきりいって、チェンライ市内は半日あれば観光が終わってしまう。なんにもないのだ。仕方ないから夕方6時から始まるという「ナイト・バザール」が始まるまで睡眠をとることにした。
 18:00頃にナイトバザールに出かけた。しかし、ナイトバザールはまだ準備中で当分はじまりそうにない。困ってしまって、ぶらぶら歩いていたらトゥクトゥクのおっさんが客引きをしてきた。片言の英語だ。時間がつぶせそうな場所がないかといったら、「レディ・ショップにいくか」といってきた。おもしろそうなので、「いってやれ」と思いOKをした。ただし、こういう知らない場所にいくときには注意をしなければならない。トゥクトゥクは大通りから横道にそれて、なんてことのない民家の前でとまった。そしてその家のまえでトゥクトゥクを止めて、ついてこいといって裏庭へと歩いていく。
 結局のところレディ・ショップというのは置屋のことである。こんな民家が置屋である以上、一般の旅行客は絶対にわからないと言っていい。
 中は3段の雛壇になっていて、女の子が奥の部屋から来てその雛壇に座る。僕は部屋の奥の一角にある椅子に座って女性をみていた。ピンクの妖しげなライトに照らし出された女性たちはどうみても未成年であった。主人、おそらくこの家の主婦であろう女性に年齢をきくと19とか20という。しかし、この言葉が明らかに嘘だということは誰でもわかる。どうみても中学生くらいだ。女の子たちは無表情である。バンコクのゴーゴーバーのように愛想をふりまいて気に入られようと一生懸命になっている女性たちとは違うのがすぐにわかる。
 トゥクトゥクのおっさんがあの娘はどうだ、とかいってくるが僕は「ソーリー」といって50Bを主人に渡してその場をでた。かりに買春を目的にきたとしてもだ。ぼくはあいにくロリコンじゃない。しかし、外にでたときにせめて彼女たちと話をしたいな、と思った。僕はトゥクトゥクのおっさんに「他にもあるかい?」と聞いたら「OK」と快くいう。たぶん、連れていくとバックマージンがもらえるのだろう。
 次に行ったところはこじんまりとした売店であった。その横のドアから入り、雛壇がある部屋にいく。相変わらずピンクのライトだ。そして相変わらず中学生みたいな女の子たちだ。ここの店主(家の主婦らしいが)は片言の日本語をしゃべったので僕も日本語でしゃべった(ということは日本人もよく来るのだろう)。2時間貸してくれということで、一人の女性を1300バーツで連れだした。たぶん、女の子の取り分は300バーツくらいだろう。この世界は搾取がはなはだしいからね。ところで、おっさんはどのくらいもらうのだろう。
 トゥクトゥクのおっさんと2人でシンハ・ビールを飲みながら待っていると、やがて女の子がやってきた。おっさんに何か食事を食べてから、ナイトバザールに連れていってもらうようにお願いする。このおっさんはビールを飲みながら運転をしていた。たったこれだけのことで僕はこのおっさんをとても気に入った。

 女の子は英語をしゃべれなかったので、トゥクトゥクの後部座席でビールを飲みながらおっさんに彼女の年齢や名前、出身地をきいた。名前はチップ(ティプといったかもしれない)、年齢は21(どうみても15前後にしかみえない)、出身地はミャンマーだという。この答えから、おそらく置屋にいた女の子の大半はミャンマーとか地方の田舎からきた女性だろうと想像できる。たぶん極貧で家計を助けるためにタイへと不法できているのだろう。
 トゥクトゥクのおっさん、チップという置屋の女の子、それに僕で食事をする。おっさんがかまわんよ、というので2人して缶ビール片手に入っていった。あいかわらずアバウトな国だ。おっさんがトム・ヤン・クンを食べたことがあるかと聞いてきたので、「ないんだ。それを食べよう」と答える。しかしトム・ヤン・クンは辛かった。最後まで食べきれなかったのに、おっさんとチップは平然として食べていた。
 その後、ナイトバザールにいきチップに民族帽子と靴を買ってあげる。チップはとても喜んでいた。不覚にもこのとき急に下痢になった。辛い食べ物ばかり食べていて便秘気味だったので下剤を飲んでいたのが今頃きた。仕方ないので、トゥクトゥクのところまでいきしばし待ってもらう。近くのデパートに入り男性の店員にトイレの場所を聞くが英語が通用しない。小便の真似をすると上を指さす。結局トイレは3階にあったが、トイレの前に机をおいて座っているおじさんがいる。彼はいったい何のためにトイレの前で机を並べて座っているのか意味不明である。もしかしてトイレに入るのにお金がいるのかと思い、トイレに入るそぶりをすると何もいわない。
 大便用の扉を開けて愕然とした。トイレットペーパーがないのはもちろんのこと、水洗ではなく水が満タンに入ったバケツしかない。しかし考えている余裕がなかったので、有無もいわさず用を足した。ティッシュペーパーがあるからよかったものの、なかったら手でやらないといけないことを考えるとゾッとした。しかし、どうやってこの黒い物体を流すのだろう?とりあえず、柄杓でザーッと流してみる。これがおもしろいように流れて行くではないか。ただ、参ったのは水をバケツにいっぱいにするときのこと。蛇口をまわすと水が四方八方に飛び散ってズボンにかかるし、四散するばかりで下に流れる水がわずかだからいっこうに満タンにならないし・・・(なんなんだこの蛇口は!)。

 女の子を返し(彼女は僕をジェントルマンと思ったのか、それともただのアホだと思ったのかは不明)、ホテルの前まで送ってもらい、明日の12時におっさんにメーサイ(タイとミャンマーの国境の町)に連れていってもらうために、朝の10:00に来てもらうように頼んで別れる。
 
 ホテルの外を歩いていて気付いたのだがINN COMEホテルには玄関を出て横にカラオケがあって、外にはバンコクのタニヤ通りのようにミニのタイトスカートをはいたお姉さん方がたくさんいた。入りたかったが、タニヤではないので日本語や英語が通用しないだろうと思って入らなかった。おそらく、部屋にコンドームがあったことや、カラオケのお姉さん方の派手さをみても売春を兼ねているのだろう。



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