…その後のおはなし…
ぼんやりと広がる空は春霞。 ぽかぽか陽気にフライングして咲き始めた桜が、早くも満開を迎えようとしていた。その並木の下、ざらざらと通り過ぎていく袴姿たち。彼らの背後には、TV中継などでもよく見かける年代物の校舎が見える。よくよく見れば、そこには男性陣の姿もあった。が、やはり華やかな女性の陰で何となくぱっとしない。 ――ともあれ。皆晴れ晴れと、新しい旅立ちの日を迎えていた。
「あ〜っ! やっと終わった! 話には聞いていたけど、どれもこれも長い祝辞ばっかだったね。肩凝っちゃったわよ、まったくもう」 「ホントよねえ〜、こっちは連日会社の研修が続いてげんなりしてるって言うのに。なまじっかお偉いどころの卒業生が多いとこうなっちゃうのよね。いくら有名人だからって、嬉しくも何ともないのにね」 「まあね、……まあ過ぎてみればあっという間の学生生活だったわ。これでとうとう社会人か〜、実感湧かないなあ。――あれ?」 「……ねえ、由貴ちゃん。なんか、足りない気がしない?」 訊ねられた方の彼女も、足を止めて辺りを見渡す。ふわりと舞い上がった袖に、桜吹雪。 「そういえば、……そうねえ」 ざわざわざわ。通り過ぎていく人の波。モデルのように長身な矢絣の彼女はとてもよく目立つので、通り過ぎる人がみんな左右に避けていく。それにしても変だとふたりは思っていた。講堂を出て記念写真を撮るまでは一緒だったはず。それなのに、一体どこに消えたんだ。あり得ないぞ。
ふたりが互いに顔を見合わせたとき、急に背後に一筋の道が拓けた。 「いや〜ん、待って、待ってっ! もうっ、ふたりとも歩くの速すぎ〜!」 ばたばたばた、ものすごい草履の音を立てて、イノシシの赤ちゃん「うり坊」が突進してくる。……いや、袴姿のイノシシはあまりお目にかかれるものではないか。 「嫌になっちゃう、どうしてこの大学ってこんなに広いの? もうちょっとで迷子になるところだったわよっ!」 ――おいおい。4年間も通い続けてそれはないだろう。だいたい、人の流れにくっついてくれば、迷いようがないのに。どうもコイツは道なき道を歩くのが好きで困る。 「……あのねえ、ゴンちゃん」 「いい? 明日からはもう由貴ちゃんも私もいないんだからね。そのお間抜けな性格を少しは改めないとやっていけないよ。ホント、大丈夫かなあ……」 その言葉に、由貴と呼ばれた彼女の方もうんうんと大きく頷いている。だが、当の本人だけが、要領を得ない感じなのだ。 「……ほえ?」 くりくりした瞳を動かしながら、ふたりを交互に見つめる。それにしても信じがたい、これで本当に成人してるのか。見るからに幼稚園の学芸会か七五三のような袴姿だ。ぽよぽよのポニーテールは今日も頭の後ろで踊っている。 「そう考えると、寂しいねえ。でも、悲しまないで! 私はふたりのこと、絶対に忘れたりしないよ。離れていても友達は変わらないからっ!」 そう言うやいなや、両手でふたりの手を取るとぶんぶんと振り回す。この物体がどこか外れた思考回路を持っていることは、何も今日に始まったことじゃない。突っ込みたいのはやまやまであるが、ここはぐっとこらえて手をほどく。 「はいはいはい、とにかく腹ごしらえでもする? この着物もせっかく一日レンタルしたんだもんね、このまま戻るのはもったいないよ。ちょっと街中を練り歩いてみたい気分だわ、注目されること間違いなしよ」 これだけの人数が一気に吐き出されたのだ。丁度お昼時でもあるし、お店はどこも満席に違いない。少し足を伸ばして大通りの向こうまで出た方がいいだろうという結論に達し、一同は歩き出した。
*** 三人が初めて顔を合わせたのは、入学してすぐのオリエンテーリングの時。学生番号が並んでいたため、同じグループになったのだ。専攻が一緒とはいっても、講義の取り方はひとりひとり違うのが大学。それなのに、卒業を迎える今日まで何となくつるんでいたのが不思議と言えば不思議である。由貴はあっさりとした性格で元々気の合うタイプだから分かるのだが、もうひとりは……何だろう。 とにかく彼女は最初から外しまくっていた。 だいたいこの大学は名前を挙げただけで誰もが「ほほぉ」と感嘆の溜息をつくような有名伝統校。しかもただ名前が知れているだけではない。入るまでだって、入ったあとだって滅茶苦茶大変だった。現役で合格した同級生なんてほとんどいない、中には三浪とか四浪とかいたりして。同じ一浪経験者と言うこともあり意気投合したはずだったのだが……、やはりどこかが違うのだ。 まずはあのちんまい幼児体型。自己申告で身長は155センチだとのことだったが、それよりかなりつぶれて見える。頭が普通のバランスよりもかなりでっかいのでそう見えると言うのもあるんだろう。 ともあれ、それも今日でおしまい。何でも来月からは母校のお嬢様学校に勤務すると言う。とりあえずは講師からだと言うが、きちんと勤まるのか他人事ながら心配でならない。あ、この場合心配なのは「うり坊」の方ではなく、一緒に仕事をする他の教職員や生徒の方だ。
***
急に思い出したらしく由貴が問いかけると、ぽよぽようり坊はきょとんとした表情になった。 「オカダくん? ええとね、このあと何かあるって聞かれたから、あるよって答えておいた。で、じゃあ、ばいばいって」 のほほんとした答えに、由貴はこりゃ駄目だと首をすくめる。それから、何かを言いたげに向き直った。 「あんたねえ……そんな風ににぶちんだから駄目なのよ。どうしてオカダくんの気持ちを分かってあげないの。あれは天然記念物ものだよ、いや特別重要文化財かも。うーん、彼には同情するわ……」 そうなのだ、三人と同じゼミにいた同期生の「オカダ」はここにいる「うり坊」にひそかに想いを寄せていた。いや、最初は本当に「ひそかに」だったのだ。だけど、「うり坊」が全く気付こうとしないので、次第に誰もが分かるようなあからさまな行動に出るようになった。 それに、である。 いくら外しまくりのうり坊でも、恋のひとつやふたつも経験すればまともになるのではないか。オカダひとりに全てを託すのは少し無責任だとは思うが、性別が女である自分たちでは恋愛対象になり得ない。いや、なってもいいのかも知れないが、個人的には遠慮したいというのが本音である。
まったくもう、オカダもオカダだ。男ならもう少し気張れよ、と後ろからどつきたい。ええい、ここは一肌脱ぐしかないか……!
矢絣の彼女がごそごそと携帯を取り出したとき、突如うり坊が奇声を発して走り出した。 「うわあああっ、先生っ!! どうしたのっ、わざわざ来てくれたんだね〜!」 ばさばさと袴を揺らしながら彼女が突進していく場所には、ひとりの男性が立っていた。 ……先生? 先生って……ウチの大学にはあんな人はいなかったよな。どうでもいいが、大相撲で土俵下に控えている審判員の人たちみたいにどっしりと羽織袴を着込んでいる。似合っているけど……ちょっと怖い。 「……媛」 意外なことにその人は至極まともな反応をする。道行く人が振り返っていくのを恥ずかしがって、うり坊に「もう少し静かにしなさい」とか注意しているみたいだ。 でも、誰だろう、あれ。「先生」って、……先生なのか? 確かに「いかにも」って風に見えるが。振り向くとやはり由貴も要領を得ない表情をしていた。だが、このまま突っ立っている訳にもいかないだろう。ふたりは頷きあうと、桜の木の下に近づいていった。 「あ〜、先生。圭子ちゃんと由貴ちゃんだよ、いつも話してるでしょう?」 そばに寄ってみると、想像以上にその男性はでかい人だった。まあ身長自体はそれなりなんだけど、横幅があるし、何かのスポーツで鍛えているのが羽織袴の上からでも分かる。 「やあ、……それはそれは。大変だったでしょう、色々と……」 一歩進み出て、礼儀正しくお辞儀をされて。こちらまで恐縮してしまう。 それにしても、だから何なのだ、先生って……先生? あまりにも親しげなので一瞬身内かと思ったが、どこをどう見ても「お兄さん」って感じには見えない。とはいえ、「お父さん」と言うには若すぎるぞ。 そんな空気が伝わったのだろう、彼は何気ない口調で続ける。 「自分は媛の亭主です、妻が大変お世話になりました」
――はあっ!? はあああああっ???
矢絣の彼女・圭子は、危うく携帯電話を落っことすところだった。横目で見れば、由貴も口をあんぐりと開けたまま立ちつくしている。……いや、でもそれはないだろう。この人って真面目な顔に見えるけど、実はとんでもないコメディアンなのかも知れない。さもなくば、今日をエイプリルフールと間違えているか。うり坊の知り合いなら、それもあり得る。 「でもどうして、先生まで卒業式してるの?」 相変わらずのほほんとうり坊が聞いている。 違う、私たちが知りたいのはそんなことじゃない。だって、この人言ったじゃない、「亭主です」って。「ティッシュです」の聞き間違いじゃないよ……多分。 「いやあ、お義母さんがな。媛が袴なら俺もそうしろって。朝、媛が出掛けてから電話が掛かってきて、それでどうせならと家族総出でやってきたんだ。あれ、途中で会わなかったか? 頭取なんて金ぴかの着物で喜んでいたぞ。あまり恥ずかしいから、俺はここで隠れていたんだが……」 ――それって、……マツケン? そう言えば講堂を出たところに奇妙なほどの黒山の人だかりが出来ていたっけ。面倒だから通り過ぎてしまったが、もしかしてその中に……。怖〜、ここでいつまでもぼんやりしてたら、そいつがやってきたりする……!? でも「頭取」って言うのも何よ、「先生」よりも訳分からない。 だいたいさ、百歩譲って「うり坊」が目の前のこの男性と結婚してるとしてだよ。いつの間に出来ちゃったっていうの? だって、ゴンちゃんは最初からゴンちゃんだったよ? もしかして、夫婦別姓とか言ったりする……!? 最初に学生名簿を見たときに、すごい名前だって思ったよ。「権藤嶺媛子」なんて習字で書いたら真っ黒になっちゃうみたいな画数の多さだもの。
信じないから、ぜえええったいに、何があっても騙されないんだからっ……!
「あのー?」 酸欠金魚のごとく口をぱくぱくとさせながら、怒りの握り拳を今にも振り上げようとしていた圭子。その濃紺の袴を何かが引っ張った。 「は……?」 振り向くと、そこには。同じ顔をした幼稚園児とおぼしきふたりの子供が立っていた。おそろいの上着にチェックのスカートとハーフパンツ。足下の靴下も革靴も同じ。不思議そうにこちらを見上げる眼差しには、何となく見覚えが……。 「あら、あなたたちまで来てくれたの? うわ〜、可愛いの着せて貰ったね……!」 七五三もどきの赤い小梅模様の袖を翻し、うり坊が駆け寄る。小さなふたりはにこにこ笑いながら言った。 「これは母上様、ご卒業おめでとうございます。この服はお祖母さまが着せてくださいました。今日の祝賀パーティー用に仕立ててくださったそうです」
……………………!?
今度の今度こそは、うめき声すら出なかった。すっかり血の気が引いて顔が真っ白になった友人ふたりを前に、うり坊・媛子が元気いっぱいに紹介する。 「この子たちね、真(まこと)と心(こころ)って言うの。すっごく、可愛いでしょ?」
――ちょっと待て。どう考えても、おかしい。 だって、ここにいるのはどう見ても昨日や今日生まれたような赤ん坊じゃない。いくら何でも育ちすぎだぞ。それに……それに。何というか、……もう混乱しすぎて、思考も働かなくなっている。これでも田舎の高校では「才女」と呼ばれていたのに……! えへへへ、といつもの笑顔でそう言われても、もはや返答は出来ない。とりあえず、お約束で頬をつねってみたが、とても痛かった。 「高校3年生の時にね、センター試験の結果がすごく良くて、もう志望校ばっちりだって言われたのよね。そしたら、何だか盛り上がっちゃって、先生もしばらく我慢してたからとか言って夢中になるから……国立二次を受ける直前に妊娠判明しちゃったの。 「はあ……」
詳しく聞いたら、何と弱冠16歳(しかもなりたて)の幼妻だったと言うじゃないか。 その上相手は担任教師……!? 出来ちゃった婚とかならそれもあり得るけど、そうでもないみたいだし……あああ、訳分からない……!!!
「これでようやく卒業したし、早くふたりに弟か妹を作ってあげないといけないね。……って言うか、もう仕込みが終わってるかも知れないけど。だって先生、この頃春休みで楽なせいかすごいのよ〜。今日も実は腰が痛くて痛くて……毎晩寝不足だし、もう大変っ! でも、頑張らないとね〜」 ……世にも不思議な物語、だ。こんな怪奇現象、TVでだって見たことないぞ。
「ええと、お二方?」 双子がまた袴を引っ張る。 ……ああ、分かった。何がおかしいって、この言葉遣いの丁寧さだ。浪人中に生まれたと言ったら、今年の誕生日で5歳になるはず。どうやって育てたら、こんな風になるんだ。だいたい、母親がこれだぞ。絶対にあり得ない……! 「これから、久我のお屋敷で母上の卒業祝賀パーティーをするんです。良かったら、お出でくださいませんか? 他のお友達もたくさん誘ってください。ご馳走はたくさん用意してありますし……たくさんいらした方が賑やかで宜しいかと思います。ご承知くださるようでしたら、すぐに車を用意させますけど」
さらさらと降りしきる花吹雪。現代版キョンシー・ゴンちゃんと過ごした学舎をバックに圭子は携帯電話を振り上げた。 「いいわよっ、行きましょうっ! これからゼミのみんな全員に連絡入れるから。もう、しこたま食って飲んで、騒ぐわよ〜〜〜っ!!!」
実はその会場には、懐かしい顔ぶれもすでに集まり始めている。新旧入り乱れた媛子をめぐる人々。今日のパーティーがいつまで続くか、それは誰にも分からない。 折から桜。この、めでたき良き日に。
おしまい♪(050414)
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