■2003年10月のある土曜日
「ばっかじゃないのっ! …もうっ、いい加減にしなさいよねっ!!」
どうしたら2日足らずでこんなに散らかるんだと突っ込みたいリビングに仁王立ちして、この部屋の主のひとりの私、小此木改め寺嶋日和は大声でわめいていた。
綺麗にセットした髪に造花の髪飾りが付いたまま、加えて身につけているのはサテンとオーガンジーをふんだんに使ったパーティードレスだ。このような無駄なモノを私が持っているはずもなく、もちろん近所のレンタルショップで借りたのではあるが。これを借りる時にだって、田舎の小さなショップで、内心プチプチしていた。
どこをどうしたら、こんな時代遅れのヒラヒラフリフリのデザインばっか並んでるのよっ! 今、ちまたではかっちりしたデザインとフェミニンなデザインがミスマッチする絶妙なバランスのファッションが流行してるんだからねっ! こんなドレス、大学の謝恩会の時だって着なかったわよっ!!!
まあ、こんな田舎暮らしを受け入れてしまった自分にも責任がある。だから、むかつきながらもどうにかマシなデザインのドレスを選んだ。土台が良ければ、多少ぼろを着ても平気だ。情けなくて涙ぐんだ自分に、そう言い聞かせた。
「ううううう…、日和っちゃん、怖い……」
ふたり分のベッドの上。真冬でもタオルケット一枚で寒くないと豪語している男が、私の羽毛布団とダブルの毛布を被ってガクガクと震えている。これは彼の体調から来ているもので、断じて私におののいている訳ではないのだ。
ふんっ! そんな風に泣き真似したって、絶対に許してやんないんだからっ!! 少しは反省すればいいのよ。本当に何を考えてんのかしら、この「頭の中が万年リゾート」な男は。
「だいたいね〜、いい大人が自分の体調管理くらい出来なくてどうすんのよ!? あんた、立派な社会人じゃないのっ。サラリー貰って勤めている人間は、高熱出したって仕事に行かなくちゃいけないんだからね。だいたい、私たちの仕事は自分でこなさないとあとで大変なことになるんだからっ…!」
まあ、そんな罵声を浴びせながらも、一応妻の務めはしなくちゃね。羽毛布団の巨大イモムシになってる男のそばによると、布団ごとぐいっとこちらに引っ張った。ああ、ガタイばっかりでかいんだから、重いんだよ、本当に。
「……っわっ…、熱いっ…!」
おでこに手を当てたら、じゅわんと音を立てるほど熱を帯びていた。見れば、色黒の顔が赤黒になっている。赤鬼色、と言うところだろうか。10月の気持ちのいい季候だというのに、身体から湯気が出ている気がする。蒸気機関車か、コイツは。
「うううう、嘘じゃないんだよっ。本当なんだからっ…! これで分かってくれただろ、ハニー」
情けない声を出して、ついでに涙と鼻水まで出して、こっちを見ている。
「日和っちゃんがいなくてっ、本当に心細かったんだよ〜! 呼び戻して悪かったけど、分かってくれよぅ〜〜〜!! 」
――泣く子と何とかには勝てない、とは言うが、この場合「泣く子」が今年26歳の男でも可能なのだろうか。そんなことをぼんやりと考えながら、ふと気付く。おなか空いたな〜、今夜は食べて飲んで盛り上がるはずだったのに。ああん、地酒に手羽先っ。味噌カツ、味噌煮込みうどんに台湾ラーメンっ…まだ観光だって残ってたんだからね〜〜〜っ!
泣きたいのはこっちなんだからっ! そう叫ぶ気力も残ってなくて、私はラメのストッキングがピリピリ言うのを感じながら、その場にへなへなと座り込んでいた。
◆◆◆
久しぶりの楽しい週末になるはずだった。
体育祭やら文化祭やら。学校という職場は、秋にはいろんな行事があって忙しい。もちろん非常勤講師の私に直接それらの仕事が回ってくることはないんだけど、他の先生方が忙しければひとりでのんびりしているわけにも行かないでしょう? 不安定な立場にあるんだから、来年も雇って欲しかったら少しでも印象良くしておかないとね。
同僚の先生はクラス担任してるから、それこそ校内を飛び回ってる感じで。しかも、家庭科室は生徒たちが入れ替わり立ち替わり、連日大入り満員だ。鍋が足りない、調味料が切れた。ついでにミシンの糸調子がおかしい、針が折れた、などなど。授業が終わってからも、エネルギーを吸い取られ続けて、だいぶ参っていた。それが時間外労働だと思えば、疲れも倍増する。
これでひとり暮らしだったら、戻るなりバタンキューと出来る。だが、悲しいかな。今の私にはもうひとつ大切な役目があるんだから。
結婚式はまだなんだけど、私は正真正銘の人妻だ。1年間の同棲生活を過ごした元同僚の男とめでたくゴールインした。…あ、この辺りは前の話を読んでね。いちいち説明してるとキリがないし。
まあ、そんなわけで。毎晩、疲れた身体を引きずりながらも八百屋や肉屋を回って買い出し。そして、普通の人のゆうに三倍は平らげる化け物の餌をせっせと作る。そして、化け物が汚した洗濯物を洗い上げ、散らかした部屋を片づける。一応、風呂掃除は奴の担当だが、それくらいだもんな〜。
もちろん、夜だってゆっくり寝かせて貰えるわけはなく……ううん、なんと言ったらいいのやら。まあ、これは私だって嫌じゃないし、いいんだけどね。出来れば「おかわり」はやめて欲しいけど。
そんなこんなで睡眠時間以外は働きづめ。そりゃ、好きでやってるんだし、充実してるし、楽しい。だけど、たまには息抜きだってしたくなるわ。だから、私は楽しみにしていたんだ。この10月半ばの土日の名古屋行き。
学生時代の友人が遠距離恋愛を経て、嫁に行くことになった。それで結婚披露宴と二次会に仲間たちで出席することになったんだ。実家が貸しビル経営してるお金持ちの友人だったから、ホテル代もあっち持ち。駅ビルのホテルでの結婚式で、そこに金曜の夜に前泊、土曜の夜に当日泊して、週末を遊び倒す予定だった。
久々に懐かしい友人に会えるんだし、積もる話もエベレストより高く大気圏を突破しちゃうくらいあるし、きっと弾けちゃうだろうな〜とか思っていた。もちろん、雄王は訳もなく反対したし、自分も付いていくと駄々をこねたわ。でも練習試合があると泣く泣く諦めていたわ。当然でしょう、戸籍上の夫婦とは言え、お互いのプライバシーは尊重しなくちゃ。
金曜の仕事を終えて、そのまま電車に飛び乗った。名古屋で前泊組の友達と合流して、そのメンバーはお酒が駄目な子が多かったので、ホテルの部屋にお菓子とかケーキを持ち込んでおしゃべりした。
私たちくらいの年頃と言ったら、みんな恋に花咲く頃。その上、仲間の先陣を切って、玉の輿に乗る友人がいるとくりゃ、盛り上がるわよ。結婚する子は大会社の社長の息子を射止めたのだ。やっぱ、なんだかんだ言っても憧れるわよね、優雅な生活。結婚式もすごい規模だと言うから、わくわくだ。フリーの友達なんて、目がらんらん。すごい張り切ってる。社長の息子の友達は、金持ちが多いだろうって。
みんなすごいなあ〜、やる気満々。そのために今回ドレスを新調したとか言う子も何人もいる。それなのに、私は田舎のフリフリなレンタル。ああ、惨めだ。せめてもと、ホテルの美容院で綺麗にセットして貰ったけど。
また、結婚式がすごいの何のって。実は私も12月に披露宴を控えて、少しは参考になるかと思ったのよね。ところがどっこい、なるもんですか。スモーク、ゴンドラ、シャンパンタワーは当たり前。御駕籠に乗ってお色直しをしたかと思ったら、次は馬車(馬ははりぼて)!! ライトアップも七色だし、一体何がどうなってるのよっ。驚くばかりで食事の味が分からないじゃないの。
……まあ、いいか。ひな壇の上の友人はとても幸せそうだ。この世のきらめきを全部集めたみたいな笑顔で、座っている。そうなんだな〜、結婚式って夢のような出来事なんだわ。ううむ、魔法みたい。
新郎新婦がまき散らす幸せのきらきらを浴びていたら、こっちまで何だかぽやや〜んとしてきた。おおしっ、元気が出てきたぞっ! 今夜は思う存分、飲んで騒いで、盛り上がろうっ! 当日泊のメンバーは底なしに酒豪なメンバーだしっ!! ――と、思っていた。
……それが。
披露宴が終わって、これから二次会。友人たちはパウダールームで念入りに戦闘準備(…もとい、メイク直し)と言う頃。いきなり、私の携帯が鳴り出したのだ。
『ひっ…日和ちゃんっ…! 俺、死にそうっ……、もう駄目っ、最後に一目会いたいよ……』
はあっ!? と、最初は思った。何なのよ、この芝居じみた呻きは。もうちょっと上手くやらないと駄目でしょっ、あんたもいい大人なら、少しは自分で…。でも、そのまま会話は途切れた。何なのよっ! 掛け直しても出ないし。一体どうしたのよ、何があったのよっ!!
スーパーマンやウルトラマンじゃないんだから、すぐさま空を飛んで行くことは出来ない。仕方なく、アパートの近所にある八百屋のおばちゃんにSOS
した。そして、待つこと15分。電話を掛けてきた馬鹿男が高熱を出して倒れていることが分かったのだ。
◆◆◆
馬鹿は風邪ひかないって、言うじゃないの。だいたい、この男と知り合って1年半。コイツが病気というモノをしたのを見たことがなかった。
そりゃ、軽い二日酔いくらいはある。ただ、それが普通の人間と違うのは、しこたま飲んで、ぐてんぐてんで天も地もひっくり返って見えるほど酔った時だけ……ということだろうか。元気すぎるくらい元気で、体育祭で走り回ったその夜もしっかりとやることはやろうとするくらい強靱な男。
「日和っちゃん…、俺、腹減った。いつものみそ味の卵の入った雑炊が食べたい。ネギも入れて」
いつになく弱々しい声で訴える。高熱にうなされながらも、しっかりと空腹は感じるらしい。まあ、食べる気があればすぐに回復するだろう。最悪の事態も考えながら、戻ってきたからやっぱホッとする。新幹線の中、本当に心臓が止まりそうだったもん。
ダンナがぶっ倒れたと聞けば、妻として戻らなくてはならないだろう。雄王の両親は今、南アメリカにいるらしい。いつかはアフリカだったのだが、また移動したようだ。アルゼンチンから看病に来るよりは、名古屋から戻る方が時間もお金も掛からない。着替えるのも面倒くさいので、時代遅れドレスの上から薄手のコートを羽織り、友達に理由を告げておいとました。
昨日、金曜の夜。同僚の先生としこたま飲んで、家に戻ってシャワーして、こともあろうにそのまま寝てしまったらしい。何故か網戸になっていて、朝方の涼しさにやられてしまったと。まああ、本当に馬鹿っぽい。イマドキの小学生でももうちょっと気付きそうだ。しかも、オールヌードで寝ていたというのだから、始末に負えない。もしも強盗が家に入ってきたら、災難だっただろうな。びっくりして気絶しちゃうわ。
お昼頃、目を覚ましてみると身体が火を吹いていたと。全く、そうなる前に気付きなさいよね。いきなり枕も上がらない重病人になってしまった雄王は、何と私の携帯にメールを10件も送っていた。もっとも、式の最中で全然、気付かなかったけどね。
「ああ、生き返るよ〜。良かった、本当にあのまま身体中の水分が抜けて、干上がってしまうんじゃないかとおもった」
戻りがけにスーパーで買ってきたポカリスエットをストローで飲んで、雄王は言った。台詞だけ聞くと、いつもと変わらないようだけど、やっぱよろよろしてるし上半身も起こせない感じ。曲がるストローを買っておいて正解だったわ。いつもはペットボトルから直接飲んじゃってるから、コップも使わないのよね、この男。
「馬鹿ねえ……大袈裟なんだから。もう」
相変わらず、顔は真っ赤。ぷすんぷすんと音が聞こえそうな感じに身体中が煮立っている。とりあえず買い置きの風邪薬を飲ませ、おでこには冷えピタ。ついでに八百屋のおばちゃんが貸してくれたという氷枕に、魚屋のおじさんがくれた氷を入れた。イマイチ魚臭い気はするが、まずは冷やさなくちゃ。まだ10月、悪質なインフルエンザが流行っているとも聞いてないし、ただの寝冷えだと思うから。
でっかい赤ん坊は、そこまでやってやると、ガーガーと眠ってしまった。薬も効いてきたんだろう、今のうちにそこら辺を片づけて、雑炊でも作るか。ひとり暮らしの長かった雄王は、私と暮らし始める前はほとんど外食で済ませていたらしい。それじゃなかったらコンビニの弁当とか。そんな偏った食生活でよくもまあ、今まで丈夫で来たもんだ。内臓を調べてみたら、ぼろぼろと欠陥が見つかるかも知れないけどね。
……んもう。本当、驚いたんだから。
同僚の先生が、出張の当日に必ず子供が熱を出す、とぼやいていた。何かそれと似てる気がする。今回の名古屋行きだって、まあ多少ごねたものの、そこは一応社会人。最後は快く送り出してくれた。それなのに、この始末だ。悪気があったわけではないと思うけど、やっぱちょっと口惜しいなあ。
脂汗の滲んだほっぺた。ぐぐっと指でつついてみる。雄王はううん、と呻いて横を向いて、それでも目覚めることはなかった。私は唇を尖らせて、行き場のない憤りを、このごちゃごちゃになった部屋とお風呂の掃除で発散させようと決意した。
本当に、嫌になる。そうだ……、何よりもむかつくのは、こんな風にこの男のことを心配して、あれこれ世話を焼いてしまう自分。情けなくて、でも幸せだなとか思っちゃうコトだ。
◆◆◆
「上手いっ! 日和っちゃん、本当に上手いよ〜。俺っ、感激っ!!」
お鍋一杯の雑炊を平らげて、雄王は満足そうに言った。ああ、また少しいつもの調子に戻っている。ハイポーション使用でヒットポイント1000回復、と言うところかな。
「はいはい、じゃあ少し熱も下がったみたいだし。次は着替えをして。汗かいたのそのままにしておくと、冷えちゃうわ。お湯を用意してあげるから、身体も拭こう」
元友人である兄嫁から、入籍祝いに貰ったお揃いのパジャマ。一度も袖を通したことがなかった。夏はTシャツにトランクス。冬はぶかぶかのスェットスーツが定番の雄王だから、一生使わないかと思ったけど。今日くらいはいいんじゃないの?一応、寝具用に作られた服だから、きっといいとこあるはず。
「ええ〜、拭くなんて面倒じゃん。頭からシャワーをざざっと浴びたら駄目? その方が早いじゃん」
大袈裟にのけ反る身体。見た目は元気そうだけど、まだまだ熱がある。身体を冷やしたら大変だ。体力は極力温存して、回復にまわして欲しい。
「馬鹿ねえ、あんた病人でしょ? そう言う時は言うこと聞くのっ! ほらほら、脱ぎなさいってばっ!!」
ああん、コイツが寝てるうちにせっかくシャワーも浴びたのに。こんなコトしてたら、また汗かいちゃう。私はひったくるみたいに、奴の着てるTシャツを引っぺがした。
「うわんっ! 日和ちゃんの、えっちぃ〜〜〜〜!!」
……何を今更。いつもは注意しないとオールヌードで家中を歩き回るくせに、よくもまあこんな台詞言えたもんだと呆れてしまう。乙女チックに胸を押さえて、うずくまるポーズが格好悪いよ。
「ほぉら、拭いてあげるからっ! 静かに寝てなさいっ!!」
「――えええっ!?」
雄王はまた素っ頓狂な声を上げて、今度は斜に構えてほっぺに手を当ててる。何、ぶりっこポーズしてるのよ。気色悪いわっ!!
「ひっ、日和っちゃんっ!! もしかして、快感マッサージっ!? ソープごっこしてくれるのっ!?」
――ボケっ!! 濡れたタオルで顔を叩いたら、ようやく馬鹿も大人しくなった。
ガタイがでかいから、表面積も多い。お相撲さんの付き人になった気分だ。髪の毛を地肌からごしごしと拭き上げて、首の付け根まで綺麗にする。一度、すすいで顔を拭いてやった頃には、もう筋肉痛になりかけてた。
「う〜〜〜〜んっ、もうちょっと左っ! そ、そうっ、その辺……」
何勘違いしてるんだ、この男はっ。床屋じゃないんだからねっ、いい加減にしなさいよっ!! 上半身を表から拭いて、裏に返してまた拭いて。……それから。やっぱり、その部分は避けて、脚の方に行く。ああん、毛むくじゃらだ。やだなあ、野蛮人。もうちょっとシティー感覚にライトになれないものかしら。まあ、この男にそれを求めるよりも、新たな相手を探した方が楽だろうな。
「うっ…んっ……っ!」
うがっ! 何悶えてるのよっ、病人なんでしょ、あんたっ! 見ないようにしても、つい目がいく。その部分。トランクスの前あきの部分を押し開きそうに……その、あのっ、盛り上がってるのは……だろうなあ。万年さかり男だから、仕方ないか。でも、どうしよう。やっぱ拭いてあげるべき? いやいや、どうして私がそんなことまで。
太股の辺りをごしごしと拭きながら、悶々と考える。雄王がふううっと、辛そうに呻いた。
「な……んかさっ、ムード出ないよなあ。こう言う時は日和ちゃんも脱いで脱いで、胸なんかぶるんぶるんさせながら、奉仕して欲しいよなあ…」
「……えっ…」
こっちもおかしなことをいきなり言われて、どっきりしてしまう。違うってばっ、そんなじゃないもの。何考えてんのよ〜〜〜〜っ!
「…ねえ」
いきなり、がしっと腕を掴まれた。タオルを持っている方の右手。ちょっと待ちなさい、そんなことはするつもりないんだからねっ! うわわ、引っ張らないでよっ!!
「いやあぁああっ! 離してっ…! この変態っ!!」
いくら、1年以上も馴れ合ってるとは言え、まだそんな風にまでなってない。種馬みたいにえっち大好きの雄王は私が何かしてあげるまでもなく、いつでもスタンバイオッケー状態だ。気を抜くと、前戯ナシでそのまま突っ込まれたりするから大変だ。時々、冗談みたいにお願いされたけど、かわしてきた。
思い切り腕をぶんぶん振って、束縛から逃れようとした。すると、意外なことに雄王はあっさりと腕を離したのだ。
「えっ…、離せと言われれば、離すけど。そのタオルだけ、貸してくれない?」
「――へ…?」
当然すごいことを要求されるんじゃないかと思っていた私は、間抜けに切り返していた。目の前の男の頬が、熱の為じゃなくて赤くなってる。
「いい……、あとは自分でやるから、あっち行ってて。日和ちゃんに、そんなことさせられないし…」
――あっち行ってて…って? タオルをひったくられてしまった私は急に仕事がなくなって、ぼんやりと立ちつくしていた。私の視線に気付いたのだろう。雄王は恥ずかしそうに一度こちらを振り返ると、毛布を腰の辺りに掛けて、ごそごそとやり出した。何か、見てるとこっちまで恥ずかしくなる。食器と鍋をトレーに乗せると、私は片づけるためカウンタ越しのキッチンに入っていった。
◆◆◆
少しして戻ってくると、雄王は言われた通りにきちんと着替えて、また羽毛布団にくるまっていた。部屋の電気を落とすと、寝顔をチェックする。もったいないけど、今夜は布団を貸してやるか。高かったんだけどな〜、この羽毛布団。私が押入を開けて布団を出してると、寝てたはずの男がごそごそと動いた。
「あ、ごめん。起こしちゃった?」
私が振り向くと、彼は置き去りにされた捨て犬みたいな目をしてこちらを見ていた。
「日和ちゃん、……一緒に寝てくれないの?」
――はぁ? 何を言い出すんだ、コイツは。私は切ない視線を冷たい目で跳ね返していた。
「何言ってるのよ〜いくらダブルのベッドだからって、あんたは普通の人間の1.5倍くらいでかいんだから。ただでさえ狭いの。病人なんだから、ゆっくり休んだ方がいいよ?」
「ええええええっ! ……そんなぁ…っ!」
敷き布団と掛け布団を抱えて、さっさとリビングに行こうとしたのに。悲痛な叫びに引き留められる。
「やだよぉっ! 日和ちゃんがいないと、寂しくて寝られないっ! なああ、隣で寝てくれよっ! 行かないでよ〜〜〜っ!」
うわわ、もう深夜なんだよ。それなのに、どうしてこんな風に駄々をこねるかな? いくら窓を閉めてあっても、近所迷惑なんだから。集合住宅は音が響くんだよっ!
それにさ……私だって、疲れてるんだけど。昨日の晩だって、随分遅くまでだべっていた。そしてあのクラクラの披露宴に、挙げ句の果てがとんぼ返りよ。ついでに部屋の掃除も大変だったし。もう、ぐったり。どーっと熟睡したいのよ。駄目かなあ。
「ひっ、日和っちゃんがいないとっ…、ひとりぼっちで寂しいんだよ〜。このままずうううっと、このままだったらどうしようって、不安で不安で仕方なくって……。なぁ、頼むよ〜〜〜っ!」
「雄王……」
何を言ってるのよ、子供みたいに。おんおん泣きながら、訴えなくたっていいじゃない。仕方なくベッドの隅っこに腰掛けると、布団についた手をぎゅううううっと握られてしまった。汗を拭いたはずだけど、また何だかじっとりしてる。
まだ、熱いなあ。ああ、いつでも私よりは体温が高いけど、それよりもさらに上昇中って感じ。
「あんたねえ、病人なんだから。手足をゆったりと伸ばせるところで寝た方がいいと思うけど?」
「そっ、そんなぁっ! 捨てないで〜〜〜っ!」
……ああああ。そんな風にえぐえぐ泣かないでよっ! もう、こんなに騒いだら、もっと熱が上がるよ? まあ、朝になったら、日曜当番医にでも連れて行こうと思ってるけど。でも……私、ペーパードライバーだしな。…どうしよう。
「はいはい、分かったからっ! もうそんなに、泣かないのっ! 馬鹿ねえ、いくら慣れない病気だからって、何そんなに弱気になってるのよ」
何か最後は、ほだされてしまった。ああ、私も甘いよな。ひとりで寝た方がよっぽど熟睡出来るのに、結局ベッドに潜り込んでしまった。
「うううっ、日和っちゃ〜ん…」
すぐに雄王の腕がぬううっと伸びてきて、私は火だるまに包まれていた。何か、いつもに増して息苦しいんですけどっ、熱いよ〜。……というか、こんなに密着したら、こっちに風邪がうつるじゃないっ!
「もうっ……、何よ〜」
そんなことを思いつつも、私ってば奴の背中に腕をまわしてさすってやっていた。何だか、でかい赤ちゃんみたい。見た目ばっかり立派で、全然中身が伴ってないんだもん。いつまでも子供みたいで、嫌になっちゃう。でも、これが私の夫だったりするんだよなあ。
「良かったぁ、日和ちゃんだ〜。日和ちゃんがいるっ、嬉しいよぉ〜〜〜!!」
ずるずると鼻をすすり上げる音。うあ、べたべたに濡れた頬を押しつけないでっ! せっかくトリートメントしたのにっ!! 今日は髪が傷んだと思って、いつもよりも高いの使ったんだからねっ!
私を抱いた大きな赤ん坊は、しばらくしくしくと泣いていた。そうされちゃうと、腕を振り解くことも出来なくなっちゃう。だって、こんなに心細かったんだな〜なんて思ったら、やっぱ可愛い奴、とか思っちゃうもん。私もおめでたいなあ。
――まあ、ね。たまに考えたりするじゃない? もしもいきなり、交通事故とかあって死んじゃったりしたら、誰が一番悲しんでくれるかなとか。ほら、冬に母親の方の祖母が亡くなったし、その時に思ったのよ。そりゃ、親とか、お兄ちゃんとか悲しんでくれるかも知れないけど、そうじゃなくて。
……でもさ、きっとこの男は泣いて泣いて、水分が全部抜けて、よろよろになるほど泣いてくれると思う。そう思えるから嬉しい。私が生きていて、存在価値があると思えば何かじーんと来るよ。何か、変なたとえだけどね。
「ひ、日和ちゃ〜ん…っ!」
すりすりすり、ごろごろごろ。もうっ、くすぐったいな……。こんな風にじゃれ合うのも珍しい。いつもだったら、もう、すぐによからぬ行為に突入しちゃうもんね。でも今夜はそんなこともないし……って!?
「……いやぁんっ! やだっ、どこ触ってるのよっ!!」
うわっ、気を抜いてたら。いきなり手つきが怪しくなってるっ!! ちょっとぉ〜、いい加減にしてよっ!
「え〜っ、……だってぇ…」
きゃああああっ! 首筋に吸い付かないでっ! 変なところにキスマークが付いたらどうするのっ! 熱に浮かされて何となくいつもに増して理性が飛んでるみたいだし、困るわっ!
「う〜ん、気持ちいいなあ。この手触り……」
さわさわと急に元気になった手のひら。片っぽは胸を包みながら揉んで、もう片っぽはお尻から……きゃああああっ!!!
「やだっ! 駄目よっ…! あんた病人でしょっ、熱がある時くらい大人しくしなさいっ!!」
「えええ〜、いいじゃんっ。やろうよ〜、俺っ、もうガンガンでこのままじゃ寝れないっ……!」
うわっ! 一瞬、おなかの辺りに感じた熱の塊は何っ!? ちょっとぉ、離しなさいよっ……!
「あんたねえっ、さっき自分で抜いたんじゃなかったのっ!! もういいでしょっ!」
やだ、思わず言っちゃった。恥ずかしいわ、全く。……でも、そうでしょ? そうじゃないのっ!?
「え〜、抜いてないっ……というか、抜けなかったっ! ああいうのって、やっぱさ、ばっちりエロイ妄想がないと出来ないんだけど、頭が朦朧として駄目なんだよ〜。いくら頑張っても無理だったから、諦めたんだからっ! ああん、でもっ、今度は大丈夫っ! 日和ちゃんの中に入れて、ぐちゃぐちゃにかき混ぜたいっ……!!」
ぎゃあっ、…もうっ!! いきなりパジャマのズボンを脱がせようとするんだからっ! 駄目っ……疲れてるし。それに雄王だって、そんなことしたら、また熱が上がっちゃう。お医者に行って「原因は何ですか?」 とか聞かれたら、困るじゃないのっ!
「いやあっ! そんなことしたらっ、本当にあっちの部屋に行っちゃうからねっ!! 馬鹿者っ! いい加減にしてよっ……!」
ぐるん、身を翻して。我ながら華麗な動きだわ。ベッドから降りて、睨み付けてやる。こちらを見上げてる奴はこの上なく情けない悲しそうな目をして、ひくひくと唇を震わせた。
「ええっ…、だってっ…、いいじゃんっ…!」
ああん、本当に辛そうだな。我慢するのも体に良くないか、男性はこう言う時に無理がきかないっていうしね。でもなあ……、困ったなあ。
「――分かったわよ、…やってあげるから。だから大人しくして」
大きくため息付いて、気がついたらこう言っていた。私だって、不本意だわよ。でもさ、今この男に無理させるわけにはいかないし。かといって、このままじゃ収まりがつかないみたいだし……だったら、仕方ないわ。
「えっ…!? えええっ!? そんなっ、いいよっ!」
熱に浮かされながらも、ギリギリの理性で抵抗する。まあ、コイツにはしたことなくても、以前の男となら経験あるし、どうにかなるだろう。
「馬鹿ね、今更なによ。恥ずかしがることないでしょ?」
さっさとやっちゃえ。布団を脚の方からずりずりと巻き上げて、その部分を出す。やっぱ恥ずかしいから、おなかの辺りにたくし寄せて、視界を遮った。何度も洗濯して、柄もかたちも覚えている下着をこんな風に触るのも初めてだ。何か、自分がすごくいやらしい気がするなあ…。
「…うっ…、うわっ…ふうっ…!」
覚悟を決めてブツを取り出した。そして、片手で柔らかくしごきながら、先っぽのところを口に含む。もうそれだけで、雄王のそれは生き物みたいにびくびくんと波打って反応してる。
ふふ、可愛いの。そりゃ、見た目はグロいしさ。いつもはふにゃふにゃなのに、こう言う時は急に大きくなったりするのも不思議だなと思う。でも……なんて言うのかな? 普通だったら触るのはおろか、見るのだって嫌だと思うわけ。それが好きな人のだと、平気なのよね。
「日和っちゃんっ……上手いよ、上手すぎかも知れないっ…! こんなっ…、うわぁあっ…!」
男のくせに。腰を揺らして、身もだえて。かすれた喘ぎ声を上げる。いつもはさ、何となく「ヤられてる」って感じじゃない? それがさ、こうしてみると私が主導権を握っていることになる。灯りを落とした部屋の壁に、微かな水音とかすれたうめき声が響き渡った。
最初は躊躇しても、だんだん勢いが付いてくると平気になってくる。更に張りつめたものを口に入れていく。うわ、全部はとても入らないわ。こういうのって、大きさが色々なのねえ……とか計測したりして。きっとこういう商売をしてる人はいつもこんなことを考えているんだろうな。
口をすぼめて、上下させる。舌を裏側にそわせて刺激しながら。すると、雄王はもうたまらない、と言った感じで「はぅんっ!」と鳴いた。AVのお姉さんみたいにシーツを握りしめて。
わざと音を立ててすすり上げる。その方が何だかいやらしくていいよね。角度を変えながら、どれくらいやっていただろう。悶えるので精一杯に見えていた雄王が、ふいに言った。
「ひ、日和ちゃん……もういい、ありがとうっ……」
「…え?」
何? 変なの……最後までしなくていいの? そうなの? 男の真意が分からなくて顔を覗こうと口を離した。途端に、奴はぐるっと私に背中を向けると、小さく「ううっ…」と呻く。何をしてるのか、察しの付いた私は黙ってティッシュの箱を差しだした。
「あ……ありがと」
すごく恥ずかしそうに、消えそうな声でそう言う。とても、私と目を合わせる気にはならないらしくて、あさっての方を向きながら。なによう、馬鹿ねえ……こっちはそんな中途半端な羞恥の態度がおかしくて仕方ない。小さくため息を付いて、がばっと股間に顔を埋めた。
「うわっ……何っ!? ひっ……日和ちゃんっ…!」
奴が慌てるのも構わずに、まだかたちを立派に保ったものを口に含む。そして、残っているものを吸い出した。何とも形容しようのない複雑な味が口の中に広がったが、唾液と共に飲み込む。
「気持ちいいでしょ?」
全てを終えると、私は余裕な声でそう言った。ああ、久々にやると口が疲れるわ。結構重労働なのよねえ、これ。
「うっ……うんっ…」
服の乱れを直して、もう一度寝の体勢に入る。雄王はまだ呆けているみたいだ。どこか意識の飛んでる様な返事をする。また少し汗くさくなったパジャマの胸に顔を埋めると、いつもよりもふわっと優しく抱きしめてくれた。
「な……なんか、信じらんない。夢を見てるみたいだ……日和っちゃんって、本当にすげー女なんだなぁ。俺、驚いたよ」
「満足した?」
こくこく、と頷くのが振動で伝わってくる。どくんどくんと速い心音。疲れ果てたところに、更に一山終えて、もうぼろぼろ。すぐにでも眠れそう。
「俺さっ! ……体調が良くなったら、日和ちゃんのこと、ばんばんやるからなっ! ここまでして貰ったら、もう御礼返し100発ぐらい行かなくっちゃ……!」
――おい。どうしてそんな風に話がまとまるのかなぁ〜、本当にスケベなんだから。頭の中、それしかないのっ!? 本当に下半身の男なんだから〜〜〜!!
「ほら……ゆっくり、休みなさい。明日も仕事休んで、すっきり治さないと駄目だよ?」
その返事も聞けないまま。私はすうううっと眠りの中に入っていった。
■2003年10月・翌日の日曜日
朝……が、来たんだろうか? 何となく、辺りがまぶしい気がする。でも、目が開かない。だよなあ、結局色々やっていて、寝たの1時過ぎてたから。今日は日曜日だし、もうゆっくりしていよう。どうせ、雄王だって、休みなんだし……?
もう一度、とろんとろんと眠りに落ちていきそうになって。でも何となく違和感を覚えて、ハッと我に返る。ぴちゃぴちゃ、ぴちゃぴちゃ……。何か、遠くで水音がする。――遠くで? ……え!?
「いやぁあんっ!! ……ちょっとぉ! 何してるのよっ!!」
自分の上に掛かっていた布団をぶわんと払い落とした。すると……そこにあったのは、そう、そうなのよっ!
「モーニン、ハニーっv」
ぎゃあああああっ!! あのねえっ! わっ、私の股の間から、にこやかに朝の挨拶する馬鹿がどこにいますかっ!
「ゆっ、雄王っ!! あんた、熱はっ!? まだ具合悪いのに、何してんのっ! やめなさいっ……!!!」
「んんん〜〜〜?」
ぺろぺろと、こう言う時だけマメな男は、すごくおいしそうなものを舐めてるみたいに舌を動かす。その動きに寝起きでなまっている身体が徐々に反応していくのが、さらに許せない。
「熱、計った。36度3分っ!! 平熱でっす! なんかさ〜たくさん汗かいて、溜まってたもの出したら、すっきりしちゃってさ。もう、俺、嬉しくって。早速、御礼に入ってるから。あ……いいよ、眠いなら寝てて。勝手にやってるから」
……っんなこと、言ったってっ!! こんな風に好き放題いじられて、寝てられるわけないでしょっ! もう馬鹿っ! 熱下がったって、まだ油断しちゃ駄目だって。……もうっ! 必死で腰を引こうとしたけど、がっちり押さえ込まれていてそれも出来ない。
「ねえっ! 具合が良くなったなら、今日は練習試合なんでしょ? 仕事行きなさいよっ、仕事っ!」
「へへへ、その心配はありませ〜ん」
雄王は不敵に笑いながら、私の脚を舐める。だから、いやらしいのっ! その動きがっ!
「監督がね、今日は出なくていいから、ゆっくりと休みなさいって。だから〜、今日は丸々一日、日和っちゃんとらぶらぶだからね〜〜〜!」
「きゃああああっ! やだっ! もうっ、やめてってばっ…っ!」
窓の外はすっきりと晴れ渡った秋の空。洗濯日和に布団干し日和。それなのにっ……、このままだったら、何も出来ないじゃないのっ! ああっ、戻ってくるんじゃなかったっ。放っておいたって、勝手に復活出来たじゃないのっ、もう二度と駆けつけてやらないっ! こんなのっ、嫌ぁあ!!
私の週末はまだまだ終わりそうにない。それどころか、次の一週間がとてつもなく長く感じそうな悪い予感。……そして、自分の選んでしまった男がどこまでも原始的な単細胞であることに、改めて気付かされる。いつでも自分が世界の真ん中みたいな人間と暮らしていくのは大変だと、改めて悟った。