TopNovelてのひらの春・扉>その髪に印を付けて

 

…てのひらの春・番外…

余市視点・都に上がってからの青春編(笑)。

 

 

 柚羽は可愛い。本当に可愛いのだ。だから、こうして遠くからでもすぐに姿を見つけられる。

 衣の裾にまとわりつく幼子たちに声を掛けながら、お部屋に飾る花を摘んでいる。ああ、またあんな風に無造作に髪を結んで。あれではせっかくの飾り紐が役に立ってないじゃないか。
 さりげない振りをして渡したが、あの紐を選ぶのにはとても苦労した。どんな色にもしっとりと馴染む黒や茶の髪に比べ、自分たち西南の民の髪はまとう衣や髪に結ぶ紐の色を選ぶのだ。なかなか気難しいので注意が必要だ。何度も鏡の前で自分の髪に当ててみたりしたので、とうとう店の者がくすくすと笑い出した。そんな恥ずかしさですら、柚羽のためなら何でもない。

 表の侍従としてのお務めには色々なものがある。時間ごとの御館周辺の見回りから、地方から来る官僚たちの案内。王族の方が他の土地に行かれるときにはその護衛として奥の侍従共々赴くことになる。
 そんな中で、余市が一番嬉しいと思うのが、この南所の御庭の見回りだった。こちらには次期竜王と誰もが認める亜樹様が正妃・沙羅様と共に住まわれている。お二人の間には姫君と若君がお生まれになり、健やかにお育ちになっている。御子様のお声が聞かれるようになった御庭は前にも増して華やいでいた。

 木陰から覗くそんな至福な時。たまに下世話な同僚から「水浴びの盗み見に行こう」なんて誘われることもあるが、余市にとってはそんなことよりも今のこの瞬間が素晴らしいと思った。薄衣を濡らしながら若い娘たちが川原で水遊びをするその様がたまらないとか言う奴の気が知れない。

 

「どうしたんだよ、こんなところで立ち止まって」

 ふいに肩を叩かれて、ハッと我に返る。振り向くと、同僚の満鹿がにやにやと笑っていた。その意味深な表情に何かを感じ取ってムッとする。案の定、彼は楽しそうにしゃべり出した。

「そっか〜、あっちの柱の影にいるのって、この前からお前にしつこく言い寄っている女子(おなご)だろ? あ〜、向こうの顔にも見覚えあるっ! 何だぁ、素っ気なく断ったと思ったのに、実は気があったのか。嫌になるよな〜、余市と同室だと、言付けばかり頼まれて。俺なんて情けないばっかだよ」

 ああ、うるさい。そんなことはどうでもいいのだ。それよりも……あ、見たことか。この一瞬の隙に彼女の姿が消えてしまった。何しろ他の侍女よりもだいぶこぢんまりとしている。出来るだけ、表側に出てきてくれないと姿を見ることが出来ないじゃないか。

「あ〜、あれっ!」

 またかよ、いい加減にしろよと思いつつ。それでも満鹿が指さす方向を見てしまい――そこで、余市は身体が硬直して動けなくなった。

「あれって、お前と同郷出身の柚羽さんじゃないっけ? だよなあ、あの赤髪であのサイズは彼女しかいないよ。で……誰だぁ、隣にいるの。お前、知ってる?」

「ちょっと、黙っていてくれ」
 とうとう、そう言ってしまった。南所の表の出口の近く、なにやら仲睦まじく語り合う男女がいる。男の方は木の陰になっていて顔がよく見えない。だが、こちらに向いている女子の方はよく分かる。分からないわけはないのだ、だって――。

「えんじ色の下重ねだから、あれは東所の侍従じゃないか? ほら、書庫にいる者はあの衣を身につけることになっているじゃないか。重要な文書を扱ったりするから、わざと目立つようにしてるって」

 こちらの焦りなど、とんと伝わってないらしい。ぎちぎちに張りつめた気持ちでいるのに、となりの友は相変わらずのほほんとしていた。でも、言われてみればそうである。そうか、だからあまり馴染みがないんだ。

 それにしても。

 何を話しているんだ、何を。用件だけ終えたら、すぐにそれぞれの仕事に戻るべきだ。何を油売っているんだ、仮にも竜王様の御館に務める身だというのに。こちらからでは会話の内容まで分からない。ああ、読唇術を身に付けておくべきだったと後悔する。

 柚羽が口に手を当てて、嬉しそうに笑っている。信じられない、何だよあれ。あんなに楽しそうに自分に接してくれることはこのごろないというのに。他の者には出来て、どうして出来ないんだ。どうしようもないことなのに、無性に腹が立つ。
 都に上がって、こうしてそれぞれ新しいお務めに就いて。以前のように三度三度の膳の上げ下げに顔を合わせたり、弓の稽古に付き合って貰ったりという時間がなくなっていた。それだけでもとても残念に思っているのに。

 この地に辿り着いて驚いた。何しろ、周囲の者たちが余りにもあけすけにしているのだから。西南の雷史様の御館にいた頃は、夫婦(めおと)でもない男女が肩を並べて睦まじく表を歩くなんて御法度だった。そんなことが知れたら、あの女好きの御館様からなんと言われるか分かったもんじゃない。余市と柚羽が親しくするのは、同じご主人様にお仕えする身として当然ではあったが、それでもふたりとも周囲の目は気にしていた。

 西南にいた頃は、周りは全て西南の民であった。この者たちはとても自尊心が強く、海底国で自分たちが一番優れていると信じている。確かに体格も良く、堂々とした風格ではある。でも、そんな風に驕るのは大人しい余市の性格には合わなかったのだ。こちらに来て、正直ホッとした気分になっている。
 都には海底の様々な土地から、選りすぐりの民たちが上がってきている。皆、里にあってはそれなりの家柄の実家を持ち、数年を竜王様の御館でお仕えして戻れば、高級官僚としての将来が待っている。学に優れ、武術に長けたものたちが集結したエリート集団なのである。

 竜王様にお仕えする侍従にはそれぞれ部屋を与えられる。所帯を持てば、小さいながらも独立した居室を提供されるが、余市たちのような独身者は東所から少し表に出たところにある寮を使う。ちなみにふたり部屋で、先ほど声を掛けてきた満鹿が同室だ。寮に暮らす者たちが交流できる談話室もあり、そんなところで気の置けない仲間と話に花を咲かせるのもそれほど面倒な時間ではなかった。

 独身の男ばかりが集まれば、話は自然と女子のことになる。男たちがエリートなら、御館にお仕えする侍女たちも華やかだ。まさか顔で選んでいるんではないかと疑ってしまうくらい、綺麗どころが揃っている。しかも、皆それぞれに才媛で 、芸のいくつまで身に付けていると言うのだ。

「西所の、南峰の女子。あれ、いいよなあ。明るくて、気だてが良くて」

「ああ、野脇さんだね。あれは駄目、里にちゃんといい人がいるんだよ。南峰の女子はあれでいて身が固いからな〜ちょっと無理なんじゃないの?」

 そんな風に名指しで話し出す者もいる。そのたびに、余市は内心びくびくしていた。いつ、柚羽の話が出るだろう、彼女の話になればきっと自分の方に質問が来る。もしも訊ねられたら、どう答えたらいいのだ。自分には……言葉が見つからない。

 幸い、柚羽はどちらかというと余市たちの仲間よりも、御館の中で働く文官たちに好まれている様子だった。おっとりとして穏やかな気性なのでそのように思われるのだろう。でも、それはそれで気がかりだ。身近で起こっていることなら注意も出来るが、知らないところで根回しがされていたら。

 最初のうちこそ周囲に気兼ねをして、お互いの存在を確認しても会釈したり軽く手を挙げたりする程度で済ませていた。だが、そんな風では誰にも気づかれない。次第に余市は大胆な行動に出るようになった。柚羽を見かければ、どんなに離れていても声を掛ける。そして、足早に近くへ行き、時間の許す限り話をするのだ。遠方に出向くことがあれば必ず土産を買ってきたし、珍しい菓子などが手に入れば真っ先に届けた。

 ――しかし、である。

 彼のそんな努力もむなしく、一年が過ぎた今でもふたりは「同郷の幼なじみ」のままである。そればかりではない。柚羽の方は話しかけてみても何となく歯切れが悪く、以前のように会話が弾まないのだ。こちらが嬉しくて仕方なくて駆け寄っていくのに、彼女は視線を落としたままで、ぼんやりとしている。もしも、頬を染めて見上げてくれたら、少しは格好が付くのに。あんなじゃ、皆がふたりの関係を認めてくれなくても仕方ない。

 柚羽も柚羽だ。どうして同僚の侍女に聞かれるたびに、自分たちの関係を否定するんだ。そんなことをするから、あれこれと面倒なことになる。こちらの女子は何だかとても積極的で、何かにつけて衣や身に付ける小物を手渡そうとする。西南では男の身の回りのものを用意するのは妻の役目だとされていた。特別の関係でもないのに、そのようなことをするのははしたないことだったのだ。

「それは、受け取れないから」
 いちいち断るのも面倒なのだ。だって、見知らぬ女子とふたりでいる場面を見られたら、それだけで話の種になる。ここは人の話が伝わることの早さもすごいのだ。これだけ気軽に男女の仲が持てるのだから、くっついた離れたの噂もあっという間に広まってしまう。

 都に来て嬉しかったのは、もしかしたら柚羽との関係が自分の望む方向に向かうかも知れないと思ったからだ。里にいた頃は、どんなに願っても叶うことがないと思ったことが、この地でならどうにかなるかも知れない。仲間の何倍も働いたし、面倒なことを押しつけられてもどうにかこなしていった。
 だけど、肝心の柚羽がああではどうにもならない。そのためにこの一年、必死で努力してきたというのに。

「へえ……何だかいい感じだね。柚羽さんももう15なんでしょう? これから夏にかけては官僚の入れ替えもあるし、地方へ戻る者も多いだろうからね。そろそろ皆、必死になる頃だろうな」

 ……え?

 満鹿の言葉が、途中で聞こえなくなった。柚羽に寄り添っていた文官が、おもむろに美しい赤髪に触れた。二言三言声を掛けて離したが、その手つきが余りにもいやらしくて、見ているこっちの全身に鳥肌が立った。

「うひょーっ! 大胆っ! ……あ、あれっ、……おっ、おいっ! 余市っ!?」

 友の声を背で受け止めながら、余市はずんずんと前に進んでいった。

 

◆◆◆


「あれ? ……余市、どうしたの?」

 こんな建物の端近まで来るのは珍しいと言いたいのだろう。柚羽は余市の姿を見つけると大きく目を見張った。揺れる濃緑の瞳がこちらに向けられていると思っただけで胸がいっぱいになる。先ほどの男はもうどこかに行ってしまっていた。

「なあに、お方様に何かあった? 今日もお務めは休まれて、朝から伏せっていらっしゃるのよ。ご懐妊はおめでたいけれど、お方様はお身体があまり御丈夫でないから心配だわ」

 こちらの心中など知るはずもなく。ふたりの共通の話題を話し出す。そんなこと、今聞きたい訳じゃない。あ、もちろん、お方様が心配じゃないと言うわけではないが。

「あー、あれ? 先ほどまでここに誰かいなかった? 柚、話をしていたみたいだけど……」
 ここは単刀直入に行かなくてはと悟った。もしも何かきな臭いことがあれば、すぐに対処しなくてはならないのだから。あの男に何かまずい動きがあるなら、こっちとしても体を張って立ち向かわなければ。

「え? 伊織(イオリ)様ね。なあに、余市は伊織様を知っているの?」

 きょとんとして、当たり前みたいにこっちが知らない男の名を出してくる。通りすがりじゃなかったんだな、まさかもうあっちは色々と手を回しているんじゃないだろうな。潔い男ばかりではないんだ。特に文官なんてものは根回しばかりに長けていて良くない。上司から話をして貰うようにし向けたりするそうだから。

「え……あ、いや。別に知ってるとかそう言うんじゃないけど――」

 ああ、困った。どうやって、切り出そう。頭が上手く回らない。こちらが困り果ててしまっていると、柚羽の方が何でもないように話し出した。

「伊織様ね、ここで私と一緒にお務めしている有里(あり)様のお兄様なのよ。だから、良くいらっしゃるの」
 こちらが気にしすぎなのだろうか。何となく相手の男に対し、柚羽が好感を持っているような気がしてしまう。

「ふ、ふうん。何だか、親密そうだったけど? そんなに親しいの?」
 あ、何なんだ。ちょっとまずい訊き方だったか。こんな風に根掘り葉掘り聞かれたら、さすがの柚羽も嫌になるんじゃないだろうか。

 どぎまぎしてしまうが、柚羽はそれほど気にもしてないようだ。

「え〜、そうかな。よく分からない……ただね、今度見せ物小屋に行ってみないって誘われたわ。他ではあまり見ない珍獣が来てるんですって。物見の札を頂いたから、ご一緒にどうですかって。どうも有里様がご都合悪いようなのよね」

 おいおいおい。ちょっと待て。そんなのは誘いの常套句だろう。何だって、真に受けるんだっ! やめろよ、もうっ!

 余市は喉から言葉が飛び出しそうになって、慌てて飲み込んだ。どうも柚羽は警戒心がなくて困る。この前も「相談事があるから」とか誘われて、危ない目に遭いそうになったじゃないか。本人は気づいてないんだ、でも余市は人づてに話を聞いて、慌てて追いかけた。見れば、下心見え見えの男。何なんだ、あれは。許せないぞ。
 まあ、その時は木陰から警戒していたら、柚羽の同僚が急な用事で呼びに来て、未遂に終わったのだが。客座の扉番であるあの男が柚羽に気があるのは知っていたから、もう少し注意しなくてはならなかった。

「あ、でも断っちゃった」

 こちらの叫びが通じたかのような言葉にホッと胸をなで下ろす。そうかそうか、柚羽も少しは勉強したか。そうなのだ、都には誘惑も多いし、危険もたくさんある。柚羽のような可愛い女子だったら、どんなにたくさんの男から狙われていることか。

「だって、その日は春霖様と天寿花のお花見に行くことになっているんですもの。若様はこのごろまた、ご機嫌が悪いわ……だから、きちんとお世話をして差し上げなくっちゃ」

 ――そっちか。

 余市は心の中でがくんと脱力した。あの我が儘若様、また柚羽を困らせているのか。まあ今は若様と張り合う時ではない。一応は会話の内容も分かり、大事がないことを確認した。だが、問題はもうひとつ残っている。

「かっ……髪にっ! 髪に触ってなかったか、あの男」
 また、そんないい方をしてしまって、ハッとする。これでは……どう見てもそうだろう。何で、もっとすっきりと訊ねることが出来ないんだ。だんだん余裕がなくなってきている。

 柚羽の方は「何でそんなことを聞くの?」と言うように不思議そうな顔をしている。

「え〜、あのね。葉っぱが付いていたんだって、取ってくださったの」

 ――また、そんな。初歩的なことを。頼むから、もう少し身構えて欲しい。男に髪を触られるなんて、特別なことだとは思わないのか。……無理か、だって、彼女の髪にむやみに触れていたのは余市自身だ。それにより、彼女の警戒心がなくなってしまったのかも知れない。

 あああ。ここまで来て、とても情けない気分になる。何なんだ、これではまるで娘の素行を気にする父親ではないか。自分は柚羽の父親になりたい訳じゃないのに。でも、こんな風に無邪気に微笑む顔を見ていると心配で心配で仕方ない。

 こんなことなら、と思う。あの、西南での出来事。柚羽が都に上がりたくないと自分にすがりついて泣いたとき。どうして、あの時に自分のものにしてしまえなかったのかと。

 そんなことを、柚羽が願っていたとも思えないが。何しろ、雷史様の側女(そばめ)にならなりたいと、頬を染めて告げた女子である。あんなご立派な方と自分とを比べることなんて出来るはずもない。柚羽がそう望んでいるのならと、自分ならどうにか出来そうな機会が何度もあったのに、とうとう願いを叶えてやれなかった。こんな腹黒い自分を知られてしまったら、きっと軽蔑される。

「……その紐、使ってくれてるんだ?」
 出来るだけ、静かな声でそう言った。柚羽を他の男に取られそうになったときに、いつも心が暴走しようとする。自分を押しとどめるのはもう限界に来ていた。

「うん……でも、上手く結えないの。これもするするって滑っちゃう」

 やっとのことで、こうしたのよ、と蝶結びを見せる。その少しとがった唇を愛おしく思いながら、余市は木陰にと手招きした。

「待って……すぐだから」
 表を歩いている同僚から見えないように、自分が影になる。幸い御庭には誰の姿もなかった。余市は手早く簡単な結びを整える。髪を結い上げるまでの時間はない。あの男のように目の前の髪に触れたら、きっともう手放せなくなってしまう。

 今はまだ、面と向かってこの気持ちを伝えられない。でも……もしも、彼女に知られないように、ひっそりと想いを宿すことが出来たなら。

「あっ、……ありがとうっ。じゃあ、私、もう行かなくちゃ……!」

 柚羽は足早に御館に戻っていく。その背中を見送ってから、余市はきびすを返した。

 

◆◆◆


「あっ、余市っ!」
 どこに行っていたのだろう。満鹿が東の方から走ってくる。

「表の侍従長様が、お前を呼んでる。何でもな、衣をきちんと改めて来るようにって。俺も手伝って来いって言われたんだ」

「え……?」

 彼が先ほどまでの場所にいないから、変だなと思っていた。そうか、侍従長様に呼ばれたのか。……でも、どういうことだろう。

「東所に行くらしいよ。竜王様への謁見なんだって――なんだろう、直々に。心当たりでもあるか?」

 思わず首をかしげてしまう。自分たちのような下々の者が竜王様にお目に掛かる機会などまずない。不思議だなと思いつつ、彼は着替えのために寮に向かった。

 

 心地よく流れる春の気。くすぐる指先に、遠い日のやわらかな髪の感触を残しながら。


了(040222)

 

 

Novel Indexてのひらの春・扉>てのひら番外・その髪に印を付けて
Copyright(c) Kara 2002-2013, All rights reserved.