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☆100万hitを踏んでくださったはると様のリクエストで書かせて頂きました☆
どんよりと立ちこめた雲は低くて。その下にあるのは荒れ狂う太平洋。これまた鉛色。ビュービューと吹きすさぶ海風がまるで恨みでもあるかのように打ち付けてくる。目の前に広がるのは、とても午後2時の風景ではない。 ……まあ、こんなことじゃないかとは思ったけどさ。 沙和乃はノースリーブのワンピースの上から掛けたショールを、もう一度腕にしっかりと巻き付けた。何しろ、関東を直撃する台風とか言うのが、もう紀伊半島の沖まで来ているんだ。これから明日の朝にかけて海は大しけになると言う。ラフにまとめた髪がどんどん乱れてきて、嫌な感じ。多分、この場所が切り立った岸壁だったら、これから自殺する女に見えるに違いない。 「うううっ、沙和乃さんっ、寒いですぅ〜〜〜っ!」 「だからぁっ、浜に出るのはやめようって言ったでしょ? 人の忠告をきちんと聞かないからこんなことになるのよ」 引っ越しの時に飼い主に置き去りにされた犬のような目で見つめられても、もはや心が揺らぐことはない。いつもは敏腕上司としてテキパキとエベレストのような仕事量をこなしていくはずの男が、こんな小学生でも分かるような簡単な状況判断がつかないなんて。 「ううう、だってぇ。せっかくのバカンスなんだから、海に来たらまずは泳がなくちゃ……でもっ、何か寒いしっ……写真と違うし……」 未練がましくまだぼやいている。まあ、そりゃそうだ。彼のお抱え運転手兼、この頃では専属秘書候補まで昇格しつつある清宮氏が手渡してくれたパンフレット。ホテルの窓から見える風景は真っ青な海だった。あの写真と丁度同じ角度で岬の灯台が確認できる。でもとても同じ場所とは思えない。 「だいたいねえ〜、もうお盆過ぎたんだから、海に来て泳ごうと思う方が間違ってるわよ。スパ・リゾートじゃないんだからね、ここは本物の海。どうしても入りたいなら入りなさいよ、クラゲにぶちぶちに刺されて今夜は眠れないからねっ!」 さぶんさぶんと打ち寄せる波打ち際まで進んでいって、海水が足にかかって「ひや〜っ!」と戻ってくる男。これでも、自分の夫だったりするのだ。そう思うと情けなさは倍増だ。自分が人生の判断を誤ったのかとすら思えてくる。 「でもぉっ……、せっかくの休みだったんですよ〜。ずーっと休日返上で働いてっ、さ、沙和乃さんと一緒に過ごせるのは夜だけでっ。せっかく結婚したのにっ、そんなのって……だから、休みが取れるなら、思い切って楽しみたいなって――」 寒いのだろうか、それとも本当に泣いているのだろうか。とにかく、ぐしぐしと鼻をすすり上げ、それでも垂れてくるらしいそれを袖口でごしごししてる。 「まあねえ……あんたの気持ちも分かるけど」
何しろ、6月の大安吉日に盛大な挙式披露宴を行い、その後「ナカノ・コーポレーション」が企画した豪華客船クルージングの旅に出かけた。これが新婚旅行と言うわけだ。まあ、周五郎が言うにはこの旅行だって、半分は仕事がらみだったと言う。 乗船しているのは全て「ナカノ」と切っても切れない縁のある多種多様な政界財界人やその家族。となれば毎晩のディナーショーやダンスパーティーなんて場面は格好の社交場となる。その全ては「ナカノ」の将来を担う周五郎とその夫人となった沙和乃のために、頭取であり周五郎の祖父である那珂野島原周四郎氏がセッティングしたこと。 もちろん、船を下りたあとは更に多忙な日々が待っていた。 そして、沙和乃にとっても試練の始まり。何しろそれまではチェーンホテルの従業員だった自分が、大会社のお偉いさんの妻になってしまったのだ。周五郎はまだまだ駆け出しのぺーぺーで、実権のほとんどは頭取が握っているから……などという甘えは許されない。那珂野島原の御屋敷に戻った日から、連日が教育の日々だった。 それだけじゃない。「ちょっと、観劇に行きましょう」と言われれば、きちんと身なりを整えて臨まなくてはならない。しかもその日の舞台を前もって勉強して理解しておかなくては。あとで主演俳優が直々に挨拶に来るなんてことも当然の場面なのだ。 こうなってくると、夜に周五郎を出迎える頃にはもうふらふら。シャワーを浴びてちょっと横になってみたら朝が来ていたなんてことも、一度や二度じゃない。そんな生活なのに周囲の人々が二言目には「おめでたはまだか」なんて言い出すんだから嫌になる。そんなにおめでたして欲しいなら、少しは協力して欲しいというものだ。 8月も後半になって、どうにかスケジュールが都合出来そうな週末が出来た。でも今日だって本当は接待ゴルフの予定が入っていたのだ。それを、清宮夫婦に押しつけ、どうにか脱出に成功。でもよくよく聞けば、そのゴルフは北海道だと言うじゃないか。あそこは今回の台風の被害もなくて、ぴーかんのお天気マークが付いている。絶対にあっちの方が良かった。 久々にふたりっきりの時間を満喫できる。そう思えば、台風が来ようと巨大隕石が落ちてこようと譲歩しなくてはならないかも知れない(いや、後者はやはりまずいか)。
とりあえずは冷えた身体を温めようと、風呂に入ることにした。ごつごつと岩肌を見せたワイルドな露天風呂がここの売り物で、それは台風のせいで利用が禁止されていたが、屋内にも10種類の様々な効用のある風呂がある。レモンや花びらの浮かんだ女性好みの湯には時間が早いせいか人影はまばらで、まるで貸し切り状態。いつもはカラスの行水と言われている沙和乃も身体がふやけるくらい楽しんでしまった。 ホテル備え付けの浴衣に着替えて部屋に戻ると、周五郎が先に来ていた。不思議なこともあるもんだと思う。何しろ毎晩、いつ出るんだろうと思うくらいの長風呂なのだ。このせいで、夫婦生活に亀裂が入っていると言っても言い過ぎじゃないかと思うくらい。一緒に入ろうとも言われるが、彼のペースに従っているとこっちがのぼせてしまう。 周五郎は窓際の籐の椅子に座って、ぼんやりと荒れ狂う海を見ていた。180度に広がる海岸線を臨めるのが売りなのだろうが、この天気じゃ形無しだ。彼は沙和乃の気配に気づくと、唇をとがらせた表情で振り向く。そして、ぽつんと言った。 「……何でここ、混浴じゃないんだろう。それに清宮は、家族風呂も頼んでくれなかった。温泉なんて、ひとりで入ってもつまらないですよ」 本気でいじけているらしい。拗ねる顔がおかしくて沙和乃がくすっと笑ったら、なおむくれてしまった。 「何言ってるのよ。そんな言い方したら、清宮さんに失礼よ」 「昨日の夕方になって、いきなりどこかに泊まりに行きたいなんて言いだして。それでも、ナカノのホテルならすぐにどうにかなるのに、わざわざ全然関係のない所に泊まりたいって。清宮さん、そこら中に電話してようやくキャンセルがあったここを見つけてくれたのよ? しかもゴルフまで代わりに行って貰ったんじゃない。文句を言うなんて失礼だわ」 口ではそんな風に言ってしまうが、周五郎の言い分もよく分かる。 そりゃ、ナカノが経営するホテルなら、直前でも部屋を用意してくれるに違いない。だが、そんなところに泊まったら、また周りに気を遣うことになる。いくらお忍びできたんだと言っても、ナカノの専務である周五郎とその夫人が泊まっているとなれば、普通にしろと言うのが無理な話だろう。 朝から晩まで「ナカノ、ナカノ」と追いまくられてきたのだ。たまには頭の中を空っぽにしてみたいと思うのも当然だ。 「ほら、周。お茶がはいったわよ。こっちに来て飲まない?」 綺麗な若草色のお茶が揺れるのは、丸くて薄い湯飲み茶碗。備え付けの最中とおかきも美味しそうだが、これを食べてしまうと夕食がきつくなるかも知れない。 「うー……ん」
「何言ってるのよ、そんなにしょぼくれてると、あっという間にお休みなんて終わっちゃうわよ? お天気はどうにもならないんだから、仕方ないでしょ?」 自分の前だから、甘えてくれるんだってことは分かっている。周五郎は祖父母に対しても、お付きの「爺」こと田所氏にも、穏やかに品良く接している。清宮氏に対してだって同様だ。沙和乃の前では最初から砕けていたから、そっちの顔の方が信じられなくて最初はとても戸惑った。 「だってぇ……」 「せっかく、僕がプレゼントした新しい水着。沙和乃さんはまだ着て見せて下さらないじゃないですか。きっと良く似合うと思うんだけどな〜、すっごく楽しみにしてたのにっ」 「え……?」 だいたい、周五郎がくれたのは真っ赤なビキニである。マイクロ……とまでは行かないまでもハイレグで。エステに行って肌を磨き、ついでにむだ毛処理は完璧にしてあると言っても、あれを身に付けて人前に出るのはちょっと……年齢を考えて欲しい。 「僕、沙和乃さんをみんなに見せびらかしたいんです。たくさんの人が注目する女性を、エスコートするのが僕なんですよ? すごく嬉しいじゃないですか、想像しただけでワクワクします」 あああ、また。その夢見る少年の瞳はやめて欲しい。どうして、この男というのは普通の人間が恥ずかしくて絶対に言わないようなことをあっさりと言ってのけるのだろう。そのたびにこっちは赤くなったり青くなったりしてしまう。 「もっ……もうっ! いい加減にしなさいよねっ! 日本茶で酔っぱらってるんじゃないでしょうねっ!」 実際の所は、結構お酒には強くて、顔に似合わずザルだと言うことも知っている。でも、そんな風にして茶化さないとやってられない感じ。沙和乃は自分の湯飲みのお茶を一気に飲み干した。 「水着じゃなくたって、いいじゃない」 「浴衣姿の私は? ……似合ってない?」 一気にそう言ってから、ゆっくりと顔を上げた。いつの間にか降り出した雨が窓硝子に飛び散っていく。周五郎が驚いた顔でこちらを見ていた。
……そりゃあさ。台風で残念だよ。泳げなくたって、真っ青な空と海の方がどんなにか気持ちいいか知れない。波打ち際でぱちゃぱちゃするだけでも楽しかったかな。――でも、大切なのはそれだけじゃない気がする。 いくら、全てを承知の上で結婚したとは言っても。やはり那珂野島原の御屋敷での生活はすごく大変だ。今はそれでも喜代子様が仕切ってくれているからいい。将来、あの家やナカノの社員の家族をまとめる重責を自分が背負うなんて、本当にそんなことが出来るのだろうか。 ――そろそろ、心を元に戻さないと。振り切ったままだと、どうにかなってしまいそうだ。自分でも気が付かないうちに、限界が来ていた気がする。 だから……今回の周五郎の提案は嬉しかった。ふたりっきりで浜辺のホテルに泊まるんだ。あまり派手派手しくない、普通の家族が泊まるような施設。沙和乃にとってくつろぐには丁度良い場所。嬉しかったんだから。 もっと楽しもうよ。お天気がどうとか、お風呂がどうとか。そんなことでいちいちいじけていてどうするの?
「もちろん……良くお似合いですよ?」 「やはり、女性の和装はそそられますね? 知らないうちに誘われてしまいそうです」 ゆっくりと、長い腕が伸びてきて。いつの間にかふんわりと抱きしめられる。それだけで体を覆っていた緊張が解けていくようだ。普段は自分の方がだいぶ年上だから、どうしてもお姉さんぶってしまう。駄目じゃないのとお尻を叩いて、ハッパをかけたりして。そう言う生活も楽しいんだけど、そればっかりだと疲れてしまう。たまには……甘えさせて欲しいな。 柔らかい唇が落ちてくるのを待っていると、その落下点は思っていたよりもだいぶ下の方だった。 「えっ……!? ちょっ……、ちょっとぉっ!! 待ってってばっ……!」 周五郎が嬉しそうに微笑みながら言う。 「あ〜、駄目ですよ。和装の時はこういうのって、無粋です。良くありませんね?」 一瞬背中を撫でられた気がしたら、次の瞬間にはぷつんと束縛が外れる。湯上がりで、ほんのり色づいた肌。そこにいくつもの花びらが舞い降りてくる。桜吹雪のように、だんだん前が見えなくなって霞んで行くような。体中に吸い付いた熱に、次第に支配されていく。 「やあっ……! ねえ、ここはホテルなんだよ? いつ、係の人が布団を敷きに来たりするか分からないでしょ? 夕食だって、運んでくるんだよっ……!」 初めて抱かれたときは、あんなにぎこちなかったのに。今では半年前のそれがとても昔のことのようだ。周五郎の動きには無駄がなくて、一気に違う世界に誘い出されてしまう。 「そうですね……、じゃあ場所を変えましょう?」
……え? 何でもう布団が敷いてあるの!? 確か、お風呂に行く前にはなかったはずなのに――?
「何でもね〜新婚さん仕様なんだそうです。お互いに気まずいのは良くないから、夕食もこちらが連絡してから並べに来てくださるそうです。至れり尽くせりでたまりませんね、こういうの……」 周五郎は嬉しそうにそう説明すると、沙和乃をゆっくりと布団の上に降ろした。そして、自分の着ている浴衣を肩から落とす。その仕草があまりにも艶めかしくてぞくぞくする。和装がそそられるのは何も女性だけではないようだ。 「お天気が悪いのは、かえって幸いかも知れないですね。もう、思う存分――あ、そうだ。ここ、部屋に付いてる内風呂も結構大きかったですよ? あとでふたりで入りましょうね〜」 きれいに洗ってあげますからね、隅々まで……そんな風に耳元で囁かれたら、もうどうしたらいいんだろう。さっきまでしょぼくれて泣いていたカラスが、もう笑ってる。周五郎は沙和乃の浴衣の裾からするりと手を滑り込ませた。すぐにはその場所に行かずに何度も何度もじらすように股の内側をさする。それだけで、もうのぼりつめてしまいそうな感じだ。 「やっ……駄目っ、もうっ、いやあっ……!」 中途半端に浴衣が身体にまとわりついたままで、何だかとてもいけないことをしているような気になる。別に時間なんてたっぷりあるんだから、そんなの慌てることなんてないのに。背後から迫ってくるような何かに追い立てられる。 「ふふ、沙和乃さんっ。何かいつもとは違う匂いがしますよ〜、そんな風に誘わないでください。僕、もう待てませんよ……!」 周五郎はいきり立ったものをやわらかな花びらに押し当てると、一気に腰を進めた。ずずっと沈み込んでいく……何に、どこまで。辛そうに、はあっと息を吐いたら、そのまま唇を塞がれた。自分を狂わせてるのはこの男なのに、でも止まらない。愛しくて、切なくて……守りたくて、守られたくて。 膝を肩に抱えられて、そのまま絶え間なく突き上げられる。束縛を解かれた両腕が、白い海を掴んでは引きはがされる。 いつの間にか窓を打つ雨音も消えた。窓の外に広がる風景の激しさよりも、自分の身に起こる嵐に翻弄される。こんな風でいいのかな、と思う刹那の戸惑いを全て取り去るように。ふたりきりの時間に心が自由に戻っていく。 ここは大海原。自分たちは荒れ狂う海に投げ出された小舟。もう、水底まで引きずり込まれてもいい。そこから上がれなくなってもいい。 もう、これ以上は駄目――そう思う一瞬にだけ感じる光がある。どうしたら、辿り着けるの? それに届きたくて、必死で腕を伸ばす。 全部が、白くなって、消えた。
「馬鹿ねえ……疲れてるのに、頑張りすぎだよ」 まだ、日が暮れない。少しだけ寝ようかなと、沙和乃も瞼を閉じた。
――明日、この先の屋内プールで一泳ぎするのもいいかも。周、喜んでくれるかな? 恥ずかしかったけど、ちゃんとあの水着は荷物に入れてきた。お疲れモードな王子様を、思い切り喜ばせてあげるのもいいかも知れない。 広い背中に腕を回して引き寄せ、とろとろと眠りに落ちていく瞬間に、沙和乃はぼんやりと考えた。
了(040224)
Novel Index>ココロの消費期限Top>とびきりの君へ ☆ちょこっと・あとがき☆ 「ココロの消費期限」で、二人が海に行くところなど見てみたいと思います……というのが、今回頂いたリクエストでした。多分、イメージしたものとはだいぶ違ってしまったと思うのですが、もう周五郎と言ったらやはりこんな風にちょっと間抜けな感じになってしまうようです、私の中で。本編終了後、ふたりがどんな風になったのか、きちんとゴールインできたのかとご心配下さった方々もいらっしゃいましたが、まあこんな感じです。幸せそうですよv ☆はると様のサイト……「HARUTO studio」 爽やかな青春小説を中心に発表されてます。 |
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