…『ココロの消費期限』後日談…

☆999.999hitを踏んでくださった空様のリクエストで書かせて頂きました☆

 

 

「沙和乃さ〜んっ! ただいま、戻りましたぁ!」

 深まる秋。夜のとばりがしっとりと舞い降りた午後9時半。

 バタンとドアが開いて、息を切らした「物体」が弾丸のように飛び込んでくる。一日の激務を終えてきたとは到底思えない、清々しい朝の目覚めのような声。はあはあと呼吸を整えている弾んだ息が、部屋の壁に響いていく。

 どうして息なんて切らしているのか。健康管理のためにジョギングを始めたわけではない。多分、屋敷の正面で車を降りたあと、全力疾走でここまでやってきたのだろう。普通の大人の早足で5分以上は掛かる道のりだ。一応、個人の邸宅だというのに。

「沙和乃さ〜ん、どうしたんですか? もう、困りますよ。だんな様のお帰りに、若奥様がお出迎え下さらないと、心配になるじゃないですか」

 いや、言葉ほどは不安に思っていない声色。どんな顔をしているのか、そっちを向かなくても分かる。いつも付けている「ナカノ・コーポレーション専務」の能面を取り外した彼の素の顔は、心の中が丸見えになるのだから。きっと笑いを必死で噛み殺した頬をひくひくさせているはず。

「ディナーの席にもつかないで、おひとりで部屋に籠もっているって聞きましたよ? おなか空いちゃったでしょう……」

 カサカサ。そこで、言葉が途切れて安っぽいビニールを探る音がする。あ、もう気付いたのか。近所のコンビニの袋。

「ああ〜、またこんなものを食べてる! 駄目ですよぉ、食品添加物とか着色料とか保存料とか……たくさん使ってあるんだから。身体に悪いでしょう、……うわあ、何ですか! こんな大きなアイスクリームを、おひとりで全部召し上がったんですか――」

 どうも一番奥に突っ込んであった「レディー・ボーデン/500mlパック」の空容器を見つけたらしい。確かに幕の内弁当を平らげたあとに、アレを食べきるのはちょっと辛かった。途中でさすがに飽きたけど、今日の目的は「ヤケ食い」だから最後まで頑張っちゃったのだ。

「……いいじゃないのよ〜っ! 私、誰にも迷惑かけていないもの。これだって、自分で買ってきたわ。もちろん、お小遣いで」

 まだ、顔は上げない。沙和乃はキングサイズのベッドに突っ伏したまま、くぐもった声で反論した。

「――ここの窓から、木の枝を伝って、でしょう?」

 ちなみにこの部屋は二階だ。周五郎が窓際まで歩いていって、半開きになっていたそこをきっちりと戸締まりする。天井までのイタリアンレースとビロードの二重になったカーテンを閉めて、彼は振り向いた。ゆっくりと眼鏡を外す。とうとう堪えきれずにくすくす笑い。

「もう、沙和乃さんって、何をやり出すか分からないんですから。本当にびっくりさせられますよ」

 沙和乃はようやく顔をずらして、戻ってきた夫の顔を初めて見た。

 そこに立っているだけでも惚れ惚れとしてしまうすらりとした長身の身体に、仕立てのいいおしゃれなスーツを着ている。出会った頃はお近づきになりたくないくらい野暮ったい服装だったのに。いつの間にかこんなに洗練された男になるなんて。全く、騙されたもんだわと思う。

「……そうよ、どうせ」
 また、顔をシーツに埋めてしまう。今夜の彼女はどこまでも、とんがっていた。

「私は那珂野島原の立派な家風にはそぐわないわ。そんなこと、周だって最初から分かっていたでしょ? あああ、やだ。もう面倒くさいことなんて、たくさん……! 私、疲れちゃった!」

 ぶうう。こんなことを言ってはいけないってコトくらい百も承知。三十路を迎えた自分が、一人前の大人としての態度を示さないなんて情けない限りだ。でも、……でも。疲れて帰ってくる彼には悪いが、広い広い御屋敷の中、たったひとりくらいは愚痴を言える相手が欲しい。

「おやおや、……もう疲れちゃったんですか〜困りましたね。今度は何をなさったんです? 通いのメイドさんが残っていて、僕『大変申し訳ございませんでした』って言われちゃったんですけど……」

 ぎし。ベッドが少しだけたわむ。窓際から戻ってきて、腰を掛けたのだなと分かる。

 まあ、百年保証とか銘打った海外ブランドモノで、素晴らしく耐久性に優れた品だ。どんなに跳んでも跳ねても、びくともしないすごいスプリングが付いている。ただ、あまり弾みすぎると、状況によっては腰に来るのでちょっと困るが(……どんな場合にそうなるのかは内緒)。

 

 実は沙和乃は、いくら天下の「ナカノ」の屋敷であっても夫婦の寝室なんてたいしたことはないだろうと思っていた。

 だが、初めて案内されたときに仰天する。ドアを開けたら、あちら側の窓際までがとてつもなく遠い。それどころか、手前の部屋はソファーとかテレビとかが置いてあって、普通の居間の趣。やたらと広々しているなと思ってあとから訊ねたら、この場所だけで一般的な一戸建ての坪数だと言われた。さらに、どこで寝るんだろうかと思ったら、ベッドルームがもうひとつ奥にあると言うではないか。那珂野島原の御屋敷は、表から見ると純和風な様式に思えるが、中は和洋折衷。明治時代の権力者の建物を彷彿させるような雰囲気だ。

 自分たちに与えられたプライベートルームでも息切れがするほど広いのだから、屋敷の中を歩き回るだけで足が棒になる。ホテルではかなりの激務に耐えていた沙和乃ではあったが、嫁いですぐの頃は慢性的な筋肉痛であった。夜になるとふくらはぎがぱんぱんに張りつめて、仕事帰りの周五郎にマッサージして貰ったりして。

 まあ、こんなコトでへこたれていたら始まらない。何のために重大な決心をして嫁いできたのだ。そう自分を奮い立たせ、必死で頑張った。三度三度、お抱えシェフが腕によりを掛けた舌がとろけるほど美味しい食事をとりながら、新婚旅行から戻ってこっち、この3ヶ月で3キロも体重が減ったのは喜ぶべきコトか……?

 そして。

 ようやく状況に身体が適応してきたと思ったら、新たなる問題が起こってきたのだ。

 

「別に、何をした訳じゃないわ……」

 

 今日の夕方のことである。

 西日に照らされた踊り場の真鍮(しんちゅう)の手すりが、何だかいつもよりも曇った感じに見えたのだ。艶やかな金色の輝きを保っていなくてはいけないそれがこんなになると言うことは、きっと手入れを怠っているからだろう。絶えず誰かが触れる場所なのだから、特に注意が必要なのに。ここはお客様からも良く見えるし。

 一度気になりだしたら止まらない。イライラするのも何だから、その辺で後片付けをしていたひとりに声を掛けた。

「ねえ、ここの手すりはいつお掃除したの?」

 しかし、戻ってきた答えは先ほどきちんとからぶきしました、というもの。その言葉にはさすがに耳を疑った。ここで黙ってやり過ごせばいいものの、つい余計なひとことが出てしまう。

「違うわ、真鍮というのはからぶきするだけじゃ駄目。バックルームにちゃんと専用のクレンザーがあるはずよ。それをぼろ布に付けて磨き上げなくちゃ。あ、何ならやり方を教えるから、支度してこない? ビニールの使い捨て手袋も忘れないでね、手が荒れるから」

 こちらとしてはちょっとした好意のつもりだった。

 何しろそれまでずっと書斎で周五郎のお祖母様である喜代子様からご講義を受けていたのだ。今日は歴史。近代日本史なんて、高校時代にやったきり、覚えているはずないじゃない。そんな舌を噛みそうな華族の名前なんていちいち暗唱できない。ようやく解放されたのだから、ちょっと体を動かしたい気分だったのだ。

 別に沙和乃たちの結婚に影響されたわけではないと思うのだが、今年の春から夏にかけてここの屋敷では寿退職をする使用人が片手で足りないほどいたらしい。そのせいか、いわゆる「新人教育」も十分には行き届いてなくて、かなりごたついてるのが分かった。
 通常はしかるべき場所でそれなりのことを学んでから実地につくのだろうが、それすらも満足に行かないほどの人手不足である。とにかくは頭数を揃えなくては、屋敷の廊下に敷き詰められた絨毯に掃除機をかけていくことも出来ない。慣れない仕事にはとにかく時間が掛かるのだ。

 沙和乃にとってはこれくらいの作業は朝飯前。血管が切れそうにあちこち走り回っている女中頭を少しでも楽にさせてあげたいなとか思ったのだ。

 しかし、声を掛けられた方としては言葉通りに受け取ることが出来なかったらしい。はたちを少し出たくらい、ようするに沙和乃とはかなりの年の差のあるそのメイドは、むっつりと黙ったまま何の返事も返さなかった。もしかしたら、自分が半人前だという烙印を押されたように思ってしまったのだろうか。

 その後、掃除用具一式を取りそろえると当てつけのようにごしごしと手すりを磨き始めたが、こちらが何を言っても無視。

 そこでさっさと立ち去れば良かったのだが、何しろその手つきのおぼつかないことと言ったら。これなら自分でやった方がよっぽど早いし綺麗になるわと、つい手を出してしまった。やり出すと久しぶりの仕事がとても楽しく感じられる。夢中になって磨いていたら、運悪くそこを通りかかった喜代子様にばっちり見つかってしまった。

 ――その後は……まあ、ご想像通り。

 さらに「あのような出過ぎた真似をしたら、誰の顔に泥を塗ることになるか分かってるのですか? もしも、気になる箇所があるなら、まずは女中頭を通すのが道理と言うもの。彼女のプライドというものを考えてやるのが当然です」とまで言われてしまい、自分の思慮の浅さに地の底まで落ち込んでしまった次第である。

 

「ふふふ、そうですか。沙和乃さんの言い方はキツいからなあ……」

 話を一通り聞いて。周五郎は目を細めると、くすくす笑った。その態度はさすがに勘に障る。沙和乃は我慢できずに、がばっと身体を起こした。

「何よっ! 周までが私が悪いって言うの? どうしてよ、掃除の仕方がなってなかったから教えてあげただけじゃない。それのどこがいけないって言うのよっ……!」

 

 時々、こんな風に不平不満が噴き出すことがある。

 綺麗な服を着せられて、何不自由ない生活を送ることが出来て。煩わしいコトなんて、全部やって貰える。夢にまで見た「お姫様」の様な毎日。最初はすごく楽しかった。だけど、半月も経つと飽きてくる。今までの生活とかけ離れた日々がとても面倒になってくるのだ。

 御屋敷にいるたくさんの使用人とのやりとりも難しい。自分が今まで培ってきた「結婚式場のフロアチーフ」としての姿勢ではトラブルばかりが起きる。おっとりと構えて人を上手に使うなんて出来ない性分で、ああ自分でやってしまった方が早いわ! とか思えてくるのだ。

 何となく、自分がいつの間にか「那珂野島原家の若奥様」と言う鋳型にぐいぐいと押し込まれて行く気がする。それが我慢ならなかった。耐えなくてはならないのは承知の上だから、人前ではどうにか堪えている。でも、限界値を超えると今夜のように爆発してしまうのだ。

 

「……困りましたねえ」
 周五郎の方は落ち着いたもの。一度立ち上がると、さっさとスーツを脱いでネクタイを取っている。それらを軽く叩いてから傍の椅子に掛けて、こちらに戻ってきた。

「僕としてはね、どんな沙和乃さんでも可愛らしいなと思えるんですけど。きっと他の人には、沙和乃さんは本物以上に立派に見えるんでしょうね。今日のメイドさんだって、先生に叱られたみたいな気分になったんだと思いますよ?」

 柔らかく髪を撫でられて。長い指がするりと流れていく。ゆっくりと抱き起こされて、胸に包まれて。

「沙和乃さんは、十分頑張っていらっしゃいますよ。だから、肩の力を抜いて楽になさって下さい。始終傍にいて守って差し上げられないのは申し訳ありませんが、僕はいつでも沙和乃さんの味方ですよ?」

「……周……」

 何だか、上手く言いくるめられた気がする。周五郎はいつでも余計な話はしない。でも、彼の言葉を聞いているだけで、安心できてしまうのだ。最初はただ子供っぽいだけかと思っていたが、それだけでこうは出来ないはず。やはり、上に立つ者として、しっかりと一本通ったものがないと駄目なのか。やわらかな物腰の奥に、まだ沙和乃が知らないもうひとりの彼がいるのかも知れない。

「大丈夫ですよ、沙和乃さんはハッキリしすぎているところはありますが、間違ってはいませんから。きっと屋敷の皆さんと上手くやっていけるはずです。沙和乃さんが沙和乃さんのままでいらっしゃれば、それでいいのですから……だけど」

 微笑んだ瞳の奥がにわかに色を変える。

「一番仲良くして頂きたいのは、僕ですから。それだけは忘れないでくださいね……」

 

 柔らかく、やがて深く重なり合う唇。よく考えたら「お帰りなさい」の言葉すらかけてなかった。戻るなりに、愚痴愚痴言っちゃって、悪かったかなと思う。

 ……でも、今更。何か言いにくいな。

 そう思っていたら、すっと右手を差し出される。こんな時に握手? と思って、沙和乃も同じようにすると、手のひらと手のひらがぱしん、と触れ合った。え……? と驚いて見上げると、周五郎はにっこりと微笑み返す。

「……じゃ、選手交代です。今度は僕の番〜っ!」

 

 しっかりと抱かれていた腕が解かれたと思ったら、彼の頭がずるずるっと下に潜っていく。下半身はすっかりベッドに転がって、くつろいだ猫のポーズ。

「え……、あのっ……!?」

 ――これはいわゆる、「膝枕」と言う奴だ。

 太股の辺りに感じる重みが何とも言えない。こうやって見上げられると、ただですら年下の周五郎が、もっともっと子供っぽく見えてしまう。さっきまでの落ち着いた大人の彼はどこに行ってしまったのか。そして、そして……その、すりすりと頬をすり寄らせるのは……ちょっと……。

「何か安眠枕みたいですね〜、暖かくて柔らかくて。それに沙和乃さんの匂いがする。もう、最高ですっ……!」

「……周?」

 そのまま、瞼を閉じちゃったから、慌てて名前を呼ぶ。でも、彼はすぐには目を開けない。

 ぴくぴくと動くまつげは、起きてるんだなって思えるけど、でも……。一日の疲れで、少し乱れた髪。もともとのくっきりした顔立ちが、際だってきたみたいだ。目の辺りとかくぼんで、少し……やつれたかな? この頃、帰りがいつも遅いし。

 どこの企業もこの不況下で大変なんだと思う。いくら天下のナカノとはいえ、例外じゃなくて。ギリギリの綱渡りで、どうにかやり過ごしているというのが現状だろう。本当は資産家のお嬢様との縁談が決まっていたのだから、それを受けた方がどんなにか楽だったことか。

 

「ごめん、周。私、もっと頑張らなくちゃ駄目だね。……周のお荷物にならないようにしなくちゃ」

 ああ、反省。短気は損気だな〜って、実感する。頬骨の辺りに指を当てたら、それが合図になったみたいに、ふっと瞼が開いた。

「何言ってるんですか、沙和乃さんは沙和乃さんだからいいんです」

 そう言うと、また目が細くなる。心がそこに吸い寄せられるような眼差し。曖昧なふたりだった頃、この瞳に何度も揺さぶられた。さっさと切り捨ててしまいたかったのに、どうしてもそれが出来なかった。そんな自分がもどかしくてもどかしくて……どうしようもなくて。

 沙和乃が何と言葉を返していいのか思いあぐねていると、周五郎が少し身体をずらして、腰に手を回した。

 下腹の辺りに顔を埋めるから、見ようによってはすごくいやらしい。でも、今の周五郎にはそんな雰囲気は微塵もなくて。本当にちっちゃい子供が甘えてすがってきてるみたいだ。

「こうやって、家に戻ってくるでしょう。そうすると、沙和乃さんがいる。必ず沙和乃さんが待っていて下さるんだって思うから、僕は頑張れるんです。……本当に、今、幸せなんです」

「……周」

 何ていい方するんだろう。大企業の中枢にいて、何でも出来る立場にある男が。時折かいま見る、頼りない幼子のような彼が、未だに信じられない。だけど、こうやって言われたら、やっぱり応えなくちゃなと思える。少し身をかがめて、周五郎の広い背中全体を抱きしめた。

「……私、もっと頑張るね。喜代子様の仰ることを良く聞いて、周の為にきちんとしなくちゃ。泣き言なんて、言ってられないわ」

 

 ――そう。

 彼は選んでくれたのだ。おかしなきっかけではあったけど、ふたりは確かに巡り会った。息が詰まることも多いけど、自分で選んだ道なんだから頑張らなくちゃ。誰よりも、ここにいる大切な人のために。

 

 そう決意も新たにしてるのに。

 何故か、おなかにくっついた彼がくすくす笑う。すごくくすぐったくて、身をよじる。駄目、思い切り変なところに……当たってるんだけど。あんまりもぞもぞしていたら、彼はようやく顔を上げてくれた。

「ふふ、いいんです。あまり外にアンテナを向けなくても。……お祖母様にも言われてしまいましたよ、早く沙和乃さんを忙しくさせてあげなさいって」

「……?」

 そう語る瞳が何を告げているのかが分からない。きょとんとしながら、次の言葉を待っていると、ふっとウエストの辺りで何かが緩んだ。

「僕も協力しますから、ね。この頃、泊まりの出張も多いし、少し努力不足かも知れませんよ……?」

 

 え、あの……と言い返す間もなく、視界がひっくり返る。仰向けに倒れてシーツの上。案の定、視界を埋め尽くす周五郎のどアップ。

「子供が生まれれば、もう周りのコトなんて考えられなくなりますって。沙和乃さんは良く気が付くから、あちこちに気が回って疲れるんですよ」

 そんな風に言いながら、手早く自分のシャツを脱いでいく。片手でボタンを外しながら、空いた方の手は沙和乃のブラウスの裾からするりと入り込んでくる。いつの間にこんなに器用な技を覚えたのだろう。まったく、驚かされるばかりだ。

「えっ……、でも。周は、かなり疲れが溜まってるみたいだし……駄目よ、無理したら。倒れちゃったりしたら、困るわ」

 もちろん、こんな風になれば期待してしまうのだけど。ここは妻として、夫の体調管理を心配しなくてはならないだろう。確か、明日からはまた2泊の予定で九州に飛ぶんだ。朝も早いし、今夜はしっかりと睡眠を取らなくちゃ……。

「大丈夫ですよ」

 こちらの気遣いもお構いなしに、周五郎はさっさと沙和乃の身体を覆う布を剥ぎ取ってしまう。柔らかく手のひらで素肌を辿りながら、もうすっかり潤っているその場所を見つけてにっこりと笑う。あまりに邪気のない微笑みに、こちらの方が恥ずかしくなって目をそらせてしまった。

 そんな仕草が嬉しかったのか、胸に顔を埋めた周五郎が喉の奥でくぐもった笑いを漏らす。

「戻りの車の中ではしっかりと寝てきましたし。爺には内緒で、健康ドリンクも飲んじゃいました。それこそ、身体にあまり良くないとか言いますけどね〜、清宮が『これが効きます』ってチョイスしてくれましたから、絶対ですよ。もう、僕は元気いっぱいですから。沙和乃さんも大丈夫ですよね。アイスクリームの分はきちんとカロリー消費しないと、ぶくぶくと太っちゃいますよ?」

 伸び上がって。つっと、唇の端を舐め取られる。まるでそこに残った甘さを確かめるかのように。

「明日はマッサージして差し上げられませんけど……何なら一日中、寝ていてもいいですからね? だから、今夜は心おきなく……僕を不完全燃焼にさせないでくださいよ? 沙和乃さんを出張先に一緒にお連れしたくなっちゃいますから」

 

 余計なおしゃべりはそこまで。彼の全てはその後、沙和乃の身体をつま弾くものに姿を変える。指先も舌も濡れた唇も……頂きにくぼみに、いくつもの想いが降り注ぐ。そのたびに生まれる熱。

 最初は怖かった、彼に抱かれるのが。自分がかつて歩んできたどす黒い部分を彼に知られたくなかったから。どこまでも純粋で綺麗な心をくれたから、同じものを返せない己の全てがもどかしくて。

 でも……違う。

 こうして身体を重ね合うたびに、生まれ変わる自分がいる。完全に過去と惜別することは叶わなくても、それでも周五郎と出会えたあとの自分の方がずっと好きだ。いつまでも愛されたいと思う、そして愛したいと思う。

 伝う汗、それを辿る指先。離ればなれになっていた身体が心が、ひとつになる。

 

 ――やりきれなさも、憤りも。全部溶かしてしまう。月明かりの下の魔法が今夜もふたりを包み込む。時計が12時をさしても、終わらない宴。

 

「あんっ……、周――っ……!」

 ねっとりとまとわりつく愛おしさが、止まらない。このぬくもりだけが、確かなもの。他には何もなくても、ふたりでいればいいと思ったあの夜から、変わらない想いがある。

 

 その瞬間、とてつもなく大きな翼に抱かれて、沙和乃はうっとりと深い場所に堕ちていった。


了(040420)


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☆ちょこっと・あとがき☆

キリ番を踏んで頂いてから何と4ヶ月近く……ようやく書き上げることが出来ました!「膝枕」をモチーフにした「ココロの」番外編です。でもあまりリクエストが反映されていない気も(汗)。何かえちシーンも毎回同じだなあと思いつつ、番外編なのでお許し下さい、と言う感じです。だって〜、仲良ししたら→えっちへGo! ……じゃないのかしら(偏見?)。
2月に書き上げた「番外編・1」と比べたら、周五郎がヤケに大人ですよね(笑)。ここまででひとまず、このシリーズはおしまいです。ふたりが今後とも幸せに暮らしていくことを祈っていて下さい。だって、周五郎のパパ姿なんて、想像できないよ〜。(私の) 弟にお嫁さんが来たら少しは考え方が変わるかも知れないけど。

ともあれ、もう一度ふたりを書く機会を与えて下さった空さんに、心より感謝申し上げます。キリリク、本当にありがとうございました!


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