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… 「片側の未来」☆樹編 ・姉弟そろい踏み?…

    

 

「こ〜んにちはっ! おっ邪魔しま〜〜〜すっ!」

 その声は立春を過ぎたばかりにしては珍しいぽかぽか陽気の風景を突き抜けて、かなり遠い場所から聞こえてきた。もしかすると、まだ庭先の門まで辿り着いていないのかも知れない。

 

 久しぶりの上天気に庭中に洗濯物がはためいている。世の中にはこういう「生活臭」を排除しようとする動きもあるが、我が家の場合は敷地内で一番日当たりのいい一等地に物干し台がセッティングされていた。寸分の乱れもなくぴっちりと干されたシーツの白をほれぼれと眺めつつ、少しまどろんでいたらしい。気が付けば、テーブルの上のコーヒーがすっかり冷めていた。

 普段は手が足りていることもあり、それほど積極的にやることもないが、俺はいわゆる「家事全般」が嫌いではない。工夫すればどんどん効率よく行える作業だから面白い。ほとんどアイロンの必要もないほどの仕上がりを見れば、心地よい達成感も味わえるのだ。

 

「やっほ〜っ! ……あれ、樹だ。珍しい〜」
 
 ――全く、相変わらずな奴。

 リビングの扉からぴょこんとのぞき込んでいるのは、満開のひまわり。季節外れとかどうとか、この際関係ない。家族の中で一番背が低くて、その上ものすごい童顔。今でもウチの中等部の制服を着せれば、ばっちりはまりすぎだと思う。ぽよぽよのひよこ頭、桜色のニットスーツを着ている。一応、新妻風にしているらしいが、全くそうは見えないのが嘆かわしい。

「そっちこそ何だよ、その荷物。もしや、とうとう愛想を尽かされて追い出されたのか?」

 俺はここの住人だ、いちゃ悪いか……という台詞は省略した。余計なひとことを挟むと、コイツとの会話はどんどん主題を離れていく。絶対に思考回路がどこかで配線を間違えていると思うが、今更指摘したところでもはや修正は不可能だろう。

 だが。俺の言い分は正しいと思うぞ。何だよ、その季節外れのサンタクロースのようなでかい袋は! まさか……まさかと思うが、これを担いで電車を乗り継いで来たんじゃないだろうな。ああ、コイツならやりかねない。ただですら目立つんだから、もう少し大人しくできないものなんだろうか。

「え〜〜〜っ! 樹、ひっど〜いっ! そんなはずないもん、岩男くんは学会の準備があるって今朝向こうに戻ったの。アパートにひとりぼっちは寂しいから、遊びに来ただけだよ〜っ!」

 そして、いきなりVサインを出してくる。だからっ、何なんだよ! そのネジがぶっ飛んだハイテンションは。こっちは学年末の詰め込み授業でへろへろになっているんだからな。たまの休日をのんびりと過ごしたいのに、何で邪魔するんだ。デリカシーのない奴。

「樹こそ、どうしたのよ。薫子ちゃんだっけ、あの可愛い彼女。もしかして、振られちゃったとか? ……かわいそ〜、あんたにしては珍しく熱を上げていたのにね」

 ……おいおい、勝手に話を作るな。いい加減にしろよ。

「お生憎様、今日は部活の仲間と出かけるんだってよ。俺の方は体育館が床の張り替え作業で使えないから休みにしたんだ、オフシーズンだしな」

 

 一応、俺は所属しているバスケ部の花形選手だ。どうして部長にならないのかというと、単に生徒会をやっているからで他意はない。まあ、部員の信頼は確実なものにしているからな。俺の考えですべてが決まるのだ。真の支配者みたいで格好いいだろ?

 薫子は……まあ、バレー部の女たちに負けたのはちょっと悔しいが、ここは物わかりのいい彼氏になってやろうと思う。いつもべったりと一緒にいるばかりが能じゃない、離れて初めて分かる部分もあるんだからな。そういえば、風邪気味だといったが大丈夫だろうか。

 

 だが、色々と含みを持たせた台詞はまったく通じず。一番日当たりのいいソファーを猫のようにキープした脳天気は百年の恋も冷めそうになる姿でほざく。

「はああっ、疲れた〜っ! ねえ、お茶入れてよ。ホント、お休みの日って電車の本数が少ないのねえ。だから車で来ちゃおうと思ったのに、岩男くんってば出かける前にキーをどこかに隠しちゃったの。ひどいでしょ、ムカつく〜〜〜っ!」

 ――それは、賢明な選択である。

 俺は近い将来「お義兄さん」という立場になるその人に心から賛同した。確かに、目の前にいるコイツは普通車の免許を持っている。都心までの通勤圏に入るとは言っても、この辺は車がないと何かと不便である。坂道の多い土地柄、自転車ではかなり厳しいものがあるのだ。だが、どこにコイツにハンドルを握らせようとのたまう命知らずがいるだろう。きっとそいつは鋼鉄の心臓を持っているはずだ。

 

 コイツは一応、俺の姉貴だったりする。学年にして5歳年上、年齢的には6歳近く離れている。だから、小学校も中高一貫教育だった学園でも丸一年しか顔を合わせずに済んだ。これは不幸中の幸いと言えよう。実際に味わってもらわないと分からないと思うが、コイツの近くにいるのは大変だ。始終、びっくりしたり慌てたりしなくてはならない。そんなのはまっぴらである。
 だから、分からないのである。どうしてコイツなんかを生涯の伴侶に選ぼうと思えるのかと。近々結婚が決まっている相手は、俺もよく知っている人である。正確には生まれて間もなくからの長い付き合い。コイツと同級生だった彼は、ちょくちょくウチに遊びに来た。俺は姉貴ふたりだったから、彼の存在は本当にありがたくて、すごく懐いていたっけ。正直、今でも父親以上に尊敬している。

 いつでも悠然と構えていて、浮ついたところなど少しもない。感情をあらわにすることもほとんどないし、でも自分をしっかり持っている人。あれだけの器にはなかなか出会えるものではない。

 それなのに……、何を血迷ったのやら。いくら他のことが上手くいっても、配偶者の選択を誤るほどの不幸はないと思う。なのになのに、俺にひとことの相談もなく付き合いだしたと思ったら、予想を裏切って長続きしたのだ。彼ほどの人間なら、他にいくらでもいい相手はいると思うのに。わざわざ苦労を背負い込むなんて、どうかしてる。

 

「……あれ、お姉ちゃん。いらっしゃい、久しぶりね」

 吹き抜けのリビングから二階に伸びている階段上から、もうひとつの声がした。同じ姉妹とは思えないほどのしっとりと落ち着いた語り口。とんとんと静かな音を立てて、階段を下りてくる。

「うっわ〜〜〜っ、梨花だ! ねえねえ、梨花ももしかしてオフ? デートじゃないの? すご〜いっ、こうやって揃うのは久しぶりだねっ!」 

 後から現れた方の姉貴は、まだ寝起きのような感じ。昨日も遅くまでなにやらパソコンを使っていたようだった。大学が春休みの間だけと家庭教師のバイトを新たに引き受け、今はその準備に追われているらしい。一応、パジャマからは着替えているようだが、けだるい雰囲気がとにかく色っぽい。

「うん……聖矢くんは予備校でバイト。今日は一日じゅう模試があるんだって」

 さらさらの黒髪をかき上げる仕草が何とも言えない。実の姉貴にときめくなんてどうかしていると思うが、こればっかりは好みの問題だ。彼女は進行方向にででんと構える先ほどの荷物の前で立ち止まった。

「うわ、……何これ。お姉ちゃんてば、またパパにクリーニングさせるつもり? それにしても大量ね……」

 小さく首をすくめると、それを避けるようにキッチンの方へと向きを変えた。

「――あ、いいよ。お茶は俺がやるから。梨花姉は座ってて」

 さっと立ち上がって、その行く手を遮る。ああ、何とも気の利く俺だ。そこでだらりんとしている奴とは人間が違うんだから。

「……あら、悪いわね。ありがとう、樹」

 ふふん、そうそう。この控えめな態度だよ、態度。だいたいな〜、やってもらって当たり前みたいにふんぞり返ってるようじゃ駄目だよな。全くなあ〜「おうちクリーニング」くらい、自分でしろよ。もう半分、主婦してるんだろ? ホントにその辺の自覚がないんだから、困るよ。

 

 ――どうでもいいことだが、ここにいるふたりの姉貴。後から出てきた方が実は年下だったりする。でも、それを見ただけで判断できる人間はいないと思うけど。身長からして後の姉貴の方が高いし、何と言っても落ち着いてるし、とにかく気が利くし。

 ほにゃらほにゃらの弟だと言われるのはちょっと嫌だが、下の姉の弟と呼ばれるなら誇らしい気分になる。まあ、そんなことはこっそりと腹の中で考えているだけで、わざわざ口にすることじゃないけどな。俺だって、それくらいはわきまえてる。

 

 まあ、ほにゃほにゃ姉貴の言うとおり。こんな風にくつろいで姉弟が顔を合わせるのはかなり久しぶりだ。今も同じ家に暮らす下の姉貴ですら、朝夕の食事に一緒にテーブルに着くことも珍しいことになってしまっている。ガキの頃は当たり前だったことが、だんだんそうでなくなるとは、何とも不思議なことだと思う。

 リビングから聞こえる姉貴たちの明るい話し声を聞きつつ、俺は特に念入りに紅茶を入れた。

 


「……ところで、パパとママは? お店もそろそろ開店の時間でしょ」

 ティーポットとカップを乗せたトレイを手に戻ると、初めて気付いたように姉貴1が言った。実家に戻ってきたというのに、まず親の所在を確認しないあたり、どうかしている。思わず突っ込んで虐めたくなるが、そうするとまた面倒なことになるからぐっとこらえる。ああ、弟って大変だ。

「今日は臨時休業でいいんだって。ふたりで観劇に出かけたよ、知り合いの方にチケットをもらったとかで。帰りにもいくつか用事を済ませてくるって」

 実は今日は商品チェックの仕事を頼まれていたりする。棚卸しはまだ先だけど、その前にきちんとリストと照らし合わせておおよそのところを把握したいんだと。何しろ父親は自分がやりたくて店を始めたのに何かと多忙で落ち着かない。母親もおよそ販売なんてやりそうにないようなおっとりした人だから、店主に代わって切り盛りしようというつもりもないらしい。
 こんなで経営が成り立つのか不安になるが、このところの不景気にもかかわらずに黒字続きだという。これはすでに怪奇現象だと思うぞ。

「へええ、いいなあ。変わらないわねえ、ウチの親たちも」

 姉貴1はフランス人形みたいに長くてくるりんとしてるまつげを震わせてそういうと、「あ、そうだ」って呟いて荷物をごそごそする。なんか、洗濯物以外の荷物も信じられないくらい大量だ。本当に人類大移動の有様で。

「じゃあ、三人で食べちゃおうよ。ほらほら、駅前のケーキ屋さんで新作がいっぱい出てたのっ! 片っ端から注文しちゃったからすごい量よ」

 

 ……確かに。

 箱の中にぎっしり詰まって、一体いくつあるんだ。ひぃふぅ……6×5で30個? いくら一切れが小さいプチケーキだとはいっても、手土産にはあり得ない数だ。

 

「あの……、お姉ちゃん。私まだ、朝食も食べてないんだけど。……いきなりケーキ?」

 さすがの姉貴2も驚きを隠せない様子である。だが、好物を前にして早くも顔を崩した姉貴1にはそんな声に含まれた困惑の想いも届かない。

「いいのいいの、朝に食べたものは全部消化されるから太らないし。どんどん、行っちゃいましょ〜! ……ねえねえ、最初はどれにする?」

 もしかしてコイツも朝食抜きで来たのかと思ったら、そうではないと言う。もうすぐダンナの「彼」を送り出すために早起きして、ふたりでしっかりと食べたらしい。それも使い切れなくて残っていたからと、朝っぱらから頂き物の松阪牛でステーキだったと言うから呆れる。今頃、彼は新幹線の中で胃もたれを起こしていないだろうか。この上なく心配である。

 じゃんけんで勝った彼女は、大きなイチゴがでーんと乗っているのを選んだ。このあたりもお子様の嗜好だ。俺はショコラ、姉貴2はスフレチーズをケーキプレートに乗せる。……おいおいおいっ! 口の端にクリームが付いてるぞ! 綺麗にメイクしてあるんだから、それくらいは考えろ。

「あ〜〜〜っ、おいしい! やっぱり、ここのケーキは最高ねっ! アパートに引っ越しちゃって何が悲しいって、このお店から遠ざかっちゃったことよ。今の街でも色々発掘してるんだけど、なかなかコレというものに出会えないわ」

 そう言いつつ、早くも2個目のケーキをキープ。今度はスミレの砂糖漬けの飾られたレアチーズだ。実はコレ、姉貴1の大好物。俺も結構好きだけど、一巡目ではどうしても手を出せなかった。多分、姉貴2も同じだと思う。

「ふふふ、これもおいしい〜っ! ああ、幸せ。疲れなんて吹っ飛んじゃうわ!」

 

 ――何というか、なあ……。

 俺は久々に味わうこの状況に、早くも少しへばっていた。今日は一日のんびりと過ごすはずだったのに、なんか雲行きが怪しい。この分だと、腹がふくれたら買い物に付き合わされそうな嫌な予感。
 確か、コイツが入居したアパートは家具や家電が揃ってるモデルルームのような部屋だ。でも、だからといって手ぶらで良いと言うわけではない。キッチンの隅に置く小さな棚とか、靴べらとか。あ、そうそう石けん置きとか。いつもは全く意識していないようなものを買い足さなくてはいけない。さらに、コイツは選ぶのに時間が掛かりすぎ。荷物持ちに付き合わされる方はたまったもんじゃない。

 それでもな。コイツがいなくなった当初は、何だか落ち着かなかった。

 5人だった家族が一人減っただけ。もともとがちんまい奴だし、いてもいなくても大差ないと思っていた。だけど、違うんだな。
 ぱたぱたとけたたましいスリッパの音、他の住人とはオクターブ違う声。ちまちまとよく動く口と手足。改めて驚いた、とにかくものすごい存在感なのだ。
 思えば、物心付く前からコイツには驚かされっぱなしだった。何をするにもどこかずれていて、だけどまっすぐにその方向に突き進むから、見ているこっちは気の休まることがない。さらに、この姉貴1の行動には、いちいち父親が過剰反応するのだ。そうなると相乗効果で、二倍どころか四倍にも八倍にも騒ぎが大きくなる。新しい嵐が吹き荒れるたびに、あとの3人は静かにそれが通り過ぎるのを待っていた。

 

 西の杜に一緒に通ったのはたったの一年、さらに中等部と高等部は特別棟を挟んで左右に分かれている。普通にしていればそれほど接点もないはずなのだが、姉貴1の場合は違っていた。とにかく、どこにいても何をしていても目立つ。視界に入れないようにしようとしても無駄で、記憶から消し去ろうとしても不可能だった。その上、奴の周りはすごく賑やかなのである。

「何、へらへらと愛想を振りまいているんだよ。……馬鹿じゃないの?」

 一度、いよいよ腹に据えかねて言ってしまったことがある。あの馬鹿っ面を見ていたら、我慢ならなくなったんだ。何しろ、多感な思春期だったしな。もう時効と言うことにしてもらいたい。だが、当の本人はナイフのような言葉をものともせずに、きょとんとした表情で不思議そうに呟いた。

「え〜、そんなことしてないよ。あたし、普通だもん」

 どうしてそんな言葉が出てくるのよ、とでも言わんばかり。こちらとしても、まさかそんな反応が戻ってくるとは思わなかったから面食らった。
 その時まで、俺は信じて疑わずにいたのである。姉貴1は周囲の人間に気に入られようと媚びを売って生きている、そんな浅ましい人間なんだって。あんな風にちやほやされて、いい気になっているなんてどうかしてる。弟としてこのまま放っておけないと思った。

 そういえば。同じような理由で、俺は父親のことも毛嫌いしていた。腰が軽くて、付き合いが良くて、いつもにやけている。そんな奴の息子だと周囲の人間から認識されるのは我慢ならなかった。生きることに余計なエネルギーを使う必要なんてないのに、何故頑張る輩がいるんだろう。

「樹こそ。そんなにつまらなそうな顔をしてると、つまらない人間になっちゃうよ。ほら、に〜〜〜っと笑ってみなよ。その方がずっと可愛いのに」

 ――可愛いって、言うな。

 胸の奥から湧いてきた言葉は、そのまま飲み下した。すげー、ムカつく。万年脳天気にそんなことを言われたくないぞ、馬鹿にするな。……だけど。

 

 実はそのころ俺は悩んでいたのである。中学に進学して離ればなれになったかつての友人に言われた言葉が心の中でいつまでもくすぶり続けていた。

「お前みたいな奴を『八方美人』って言うんだぞ。一番嫌われるんだからな、そういうのが」

 今になって考えれば、小学生にしてはあまりにも出来すぎた台詞だ。多分、その友人はドラマかマンガで聞きかじった言葉をそのまま引用したのだろう。だけど、その瞬間から、俺は猛烈に悩みまくることになった。
 思うままに行動しては『八方美人』と認識されてしまう、そうならないためにはもっともっと周囲に気を遣わなくては。そんな風に頭で考えると、どんどん難しくなってくる。これでは『八方美人』ではなくて、『八方塞がり』じゃないか。

 

 ……何だよ、そんなに簡単に言うな。どうしてお前はそんなにお気楽なんだ。

 その瞬間に、肩の力が抜けていたんだと思う。考えるだけ、悩みまくるだけ馬鹿馬鹿しいと思えてきた。世の中にはこんな風にのほほんと好き放題にやっている奴もいるじゃないか、どうしてそんなに小難しく考える必要がある。だいたい、考えたところで上手くいくわけでもないし。

 もしかして、コイツには一生敵わないんじゃないだろうか……? そんな恐ろしい予感が俺の胸をよぎった。

 

「あら、チョコが山積みになってると思ったら……来週はもうバレンタインなのね。うわあ〜、仕事に追われてすっかり忘れてたわ。……って言うか、この日はまだ岩男くん戻ってこないし。つまんないなあ〜」

 ――ほら、まただ。

 どうにかしろよ、その呆けっぷりは。あのな、バレンタインって言ったら、一番盛り上がるイベントだろうがっ! 何で忘れてるんだよ。父親なんて、今年のカレンダーに取り替えたときから、花丸を付けて楽しみにしてるぞ。

「ねえねえ、梨花とかどうするの。もしかして、手作りしちゃうとか? なら、練習してみなくちゃね。何だったら、試食してあげてもいいよ」

 ……おいおい。いきなり話をふられた姉貴2が面食らってるじゃないか。空気を読めよ、空気を。

「え……まあ。でも、材料を買ってないから今日は無理だと思うわ。パパに見つかると、大変だし」

 それでもさすがに偏差値70の姉貴2は立ち直りが早い。突っ込む隙を与えないように、きちんと理由を付けて切り返す。ああ、早くここまで辿り着きたいものだ。

「ふうん、……でもばっちり上手くいってるんでしょ。聖矢くん、元気かな? 岩男くんも会いたがっていたよ」

 ほらほら、やめろよ。あからさまに聞くから、姉貴2が真っ赤になってるだろ。ふうん、でも意外だな。姉貴2もこんな顔をするんだなあ……いつもは彼氏がいることすら忘れそうになるのに。心の窓全開な姉貴1とは対照的で、姉貴2は自分のことなんてほとんど話さない。こっちが訊ねたときもぽつりぽつりって。そんなあたりが、好感もてるんだよな。

 

 控えめといえば……、薫子は今頃どうしているだろ。あいつも怒らせないと本音を言わないような奴だからな、扱いには苦労する。普通の女が喜ぶようなことを言ってやっても、何だか反応良くないし。

 バレンタインもな、それほど期待できないと思ってる。あいつは周りが盛り上がると途端に白けるんだから。俺のために派手な演出を考えてくれるような感じではない。でもな、やっぱな。初めてのバレンタインなんだから、何か思い出に残るようなことをしてみたい。そんな風に考えて思い切って家族の出払ったこの家に呼ぶことにした。だが、そのことをまだ彼女に切り出せずにいる。

 ――ああ、そうだ。ブルーベリーのタルトは薫子の好物だったよな。ここは俺が代わりに食っといてやるか……。

 

「樹、……にやけてるよ?」

 あと、タルトまでフォークの先が1センチというところで、急に話がこちらに向いてきた。突然のことに驚いて顔を上げれば、相変わらずのほにゃほにゃ笑顔。

「また、彼女のことでも考えていたんでしょ。樹って、すぐ口元に本音が出るんだよね。目が笑ってなくても、全部分かっちゃう。ね〜、梨花もそう思うでしょ?」

 あ、……待て。そのタルトは俺のだぞ。どうして、自分のプレートに乗っけるかなっ!?

「え……ええ、そうかしら……?」

 ほらほら。姉貴2も困ってるじゃないか。どうせ口から出任せなんだろ? 全く、今度は何を言い出すのやら。

「ねえねえ、薫子ちゃん。あの子、あたしと梨花の服、どっちが似合うかな? なんかね、さすがにこの年になると辛いなっていう服がいっぱいあるんだ。ほとんど着てないのもあるから、もらって欲しいんだけど。……うんうん、今度連れてきて! 直接試着してもらっちゃおっ!」

 

 ――おいおい。

 知らないだろ、姉貴1。薫子は、控えめな奴なんだからな。あんたらみたいな人間に囲まれたら、それだけでエネルギー切れになるんだぞ。だいたい、人の大切な彼女をなんだと思ってるんだ。着せ替え人形か何かと勘違いしてるだろ、いい加減にしろよな。

 

「おっ、お姉ちゃん……無理強いはいけないよ。それにそんな着古しをあげたら、彼女だって迷惑だと思うし……」

 姉貴2も必死に取りなしてくれているが、もはや奴の暴走は止まらない。その日のランチはどこで食べようとか、そんなところまで話がぶっ飛んでいた。どうなることかと見守っていたら、急に真顔になってこちらを見る。

「分かってるよ、彼女を独り占めしたいんでしょ? 貸し出ししたくないって、顔に書いてある。 ……欲張りなんだから、樹は」

 

 思わず、口元に手をやっていた。何だ、何なんだ。本当に、……本当に!?

 背中をだらりと冷や汗が流れていく。まさか、そんなはずは。俺は今の今まで完璧なポーカーフェイスと言われていたんだぞ。腹の中で何を企んでいようが、完璧にやり過ごしていると信じていた。顔の筋肉はほとんど動かしていない。それだけは断言できる。だけど……もしかして、とんだ猿芝居だったとか!? 何なんだ、コイツ。本当に何者なんだ……っ!?

 

「あ〜、おなかいっぱい。じゃあ、ちょっとお昼寝しようかな? あたしのベッド、ちゃんとそのままになってるよね〜っ!」

 けたたましいスリッパの音が階段を上っていった後。俺はトレイを持って立ち上がる。

 散らかったケーキの残骸を片づけつつ振り向けば、姉貴2が大量に残ったケーキの箱をのぞき込んで溜息をついてた。こちらの視線に気が付いたのか目が合って、どちらからともなく苦笑い。

 

 ――何なんだろうな、全くもう。

 

 朝っぱらからやってきた、突然の竜巻。リビングも心の中もごちゃごちゃになっていく。……まあ、そうだな。これからは、口元にだけは気をつけよう。何か特別なことがあるときは、なおさらに。

 あんなプチ台風と末永く付き合っていこうと考えている仙人のような「もうすぐお義兄さん」に心からの敬意を表し、俺は腕まくりをすると皿洗いを開始した。

 

おしまい♪(050317)

 

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