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… 「片側の未来」☆樹編 ・本編終了後・夏休み明けのお話…

    

   

 ――ほら、今あの角を曲がった。

 何だ、まだあんなところをのろのろと歩いてるのか。しっかりしているようでいて、やっぱどこか読みが甘い奴。

 ウチの学園は中高一貫の学校だけに校舎が何棟にも分かれているし、それらを連絡する通路もかなり複雑。中央通路こそは高等部の棟から中等部の棟まで、間に専門棟と教員棟を挟んでぶち抜かれているわけだが、両端にある南通路と北通路は、2階までしか行き来が出来ない。しかも2階の通路は吹きっさらし。雨の日には封鎖されてしまう。さらに、今は中央通路の1階部分の内壁が補修工事中でそこも通り抜け禁止だ。

 全く、また考えなしに歩き出したな。ただですら、あいつは外部受験で高等部からの編入組。高等部2年生も半ばとは言っても、まだ学園内を自由に闊歩出来るまで成長していない。だからもう少し頭を使えといつも言ってるのに、あの馬鹿ときたらこっちが親切に助言することにいちいち突っかかるんだからな。本当にやりにくいったらない、だいたい図星だから腹が立つんだろうが。

 そんな風にこっちが考えているうちに、……ほら見ろ、戻ってきたぞ。何やら難しそうな顔をしながら、ぶつぶつ言ってる。ぱんぱんに膨らんだ学園指定の学生かばんに、もうひとつショルダーになったスポーツバッグをさげて。そんなにがに股になると、骨盤が開くぞ。踏ん張りたいのは分かるが、少しは人目を考えて取り繕え。だいたい、何が入ってるんだ、そんなに大量に。だから、女子のすることは分からない。

 

 開け放たれた生徒会室の窓。そよそよと9月の風が吹き込んでくる。暑くもなく寒くもなく、名残惜しい夏服の袖が心地よい。あと数日も経てば、この部屋は後期生徒会役員選出の準備でごった返すだろう。

 ま、実のところ、そんなのもただの余興みたいなものなんだがな。

 ここは知る人ぞ知る天下の「西の杜学園」だ。地元では他の追随を許さないエリート進学校としてその名をはせている。もちろん大学への進学率は100%、しかもその進学先には超有名な大学名がずらりと並ぶ。そのそうそうたる顔ぶれは、さながら有名進学予備校並みだ。
  そんな学園に入ってくる生徒たちは、例外なく「神童」と呼ばれた過去を持つ輩ばかり。何も分からないガキの頃から、何をやらせてもクラスでトップが当たり前だった面々だ。そんな奴らなんだから、どいつを引っ張ってきて会長の椅子に座らせても適当に上手くやりのけてしまうだろう。教員の側だって、生徒たち本人だって、それは重々承知の上だ。

 じゃあ何で、わざわざお膳立てまでして選出なんてやるのかって? おいおい、そんなの決まっているだろう。誰でも分かるような当然のこと、説明させないでくれ。

 確かにどいつを引っ張ってきても「適当に」やりのける。だがな、このシーズン真っ最中海水浴場芋洗い状態でも、全部が全部同等じゃない。それを「僅差」と呼ぶ奴もいるだろうが、やっぱりいるんだよ。ぴっかぴっかに光り輝く特上品が。

 いわゆる「頭のいい人間」の中には、変な知恵が働くのも多いからな。いるんだよ「生徒会なんかやったって、面倒なばかりで得がない。内申が良くなるとか何とか、そんなの馬鹿らしいね」とか鼻で笑う奴。スカして格好付けてるつもりなんだろうが、こっちとしては「馬鹿はどっちだ」と思い切りこき下ろしてやりたい気分になる。
  あいつら、絶対にろくな大人にはならないぞ。いいとこ、文句ばっかり言って自分じゃ何も出来ない低俗な政治家どまりだろう。そうなったところで、あれこれ上手いこと自分を弁護する口実は並べ立てるんだろうが、間抜けとしか言いようがない。いくら取り繕ったところで、結局は自分が怠慢なだけだろうが。言い訳考える暇があったら、さっさと動けよ。

 ……あ、話が少しずれたか。

 まあようするに、誰が選ばれても不思議じゃない状態で、あえてレースを展開することに意義があるんだよ。それにただ選出されることだけが最終目標じゃない、その役目をしっかりとこなすことでリーダーとしての真価が問われるんだ。評価する側もぼんくらじゃないからな、なかなか高いハードルだとは思う。だが、困難が大きいほど、乗り越えたときの気分は爽快だ。文句たれの奴らにはそれが一生分からないんだろうな。

「若いうちの苦労は買ってでもしておけ」っていうだろ? 妙ななれ合いや上下関係やその他もろもろのしがらみ。そんなものと無縁でいられる学生時代にこそ、学んでおくべきなんだ。それなのにどうすんだ、ちんたら怠けていて。今そんなふうにしていると、あとで取り返しが付かなくなるんだからな。努力は日々の積み重ね、それが分からないからあいつらは「凡人」で終わるんだよ。

 

 ――で、まあ。ひと月後に生徒会の引き継ぎを行うときに、あの一番上座にある席に座るのは俺だって決まってるんだけど。

 


「信じられないっ、本当にあんたって性格悪いっ!」

 今の話と似たようなやりとりをついこの前したとき、あいつはすぐさまそんな風に切り返してきた。まあ、どんな風に反応するかはほとんどの場合事前に見当が付いている。というか、予想を付けて話をしてると言った方が正しいかも知れない。

「あのね、本当に偉い人はそんなふうに人のことを見下したりしないんだよ? いつだって感謝の気持ちを忘れずに謙虚な態度でいなくてどうするの。今に痛い目を見るからっ、……知らないからね!」

 そう言いつつ俺を睨み付ける目は、本気で怒っている。あーあ、身体の脇で握り拳まで作っちゃって。本当に分かりやすい奴。最初に会った頃は人生を捨ててるみたいに無反応で無表情な女だったはずなのに、よくもまあここまで変わるもんだと感心してしまう。

「はいはい、……分かりましたよ。全く、薫子には敵わないな。謙虚ね、謙虚。この通り肝に銘じましたから」

 もう少し遊んでやろうかと思ったけど、あんまり真剣にぶつかってくるから早々に退散することにした。だが、素直すぎる態度がかえってあいつに疑惑の念を与えてしまったらしい。先ほどの怒りに満ちた眼差しが変化して、探りを入れるような色に変わる。

「……何よ、人のこと馬鹿にして。本当は全然分かってないくせに」

 そう言いつつ、つんとそっぽを向く。高校受験のために一度は辞めたバレーボールを夏休み前に再開してから、顎のラインがすっきりしたようだ。横顔が引き締まって、いい女になったなと思う。まあ、こんなこと口に出して誉めてやらないけど。バレー部仲間のヘアサロンにもきちんと通っているようだな。やっぱ、きちんと手入れしないと素材が生きてこないから、頑張って貰わないと。
  正直、ここまで化けるとは期待してなかった。この辺りは嬉しい誤算という感じ。今までは最初からもう頂点まで達しちゃっているような極上品ばかり相手にしていたから、こんな風に徐々に女が育ってくるのを眺めているのも悪くない。

「分かっているって」

 人目があるところで、いちゃついて見せつけるのもいい気分だ。だけど、こんな風に飾りっ気なしにふたりだけで楽しむのもまた格別。学園の回りはごくごく普通の住宅街なのに、人通りの少ない穴場はいくらでも存在する。
  俺の敵は一般人の視線だけじゃないんだ、隙あれば盗撮に盗聴とくるストーカーがいたりするんだから。悪いがまだ、そいつらを楽しませてやるほど人間が出来てないんでね。こうしてひっそりと楽しませて貰ってる。

「俺って本当に愛されているんだな。そんなに思い詰めた目をするなよ、……やりたいのか?」

「――はぁ……?」

 綺麗にかたちを整えた眉が、きりりとつり上がる。

「何で、そういう方向に話が吹っ飛ぶのよ? 信じられないっ、もう!」

 その時、俺たちが座っていたのは公園のブランコだった。何しろこの高架脇の小さな公園ときたら、このメインの遊具の他にはシーソーと砂場しかない。ベンチすら設置されていないのだ。もしかすると古タイヤを半分埋め込んだそれがその代用なのかも知れないが、それはいくらなんでも遠慮したい。

 ふたつぶら下がってるその一方から、彼女は勢いよく飛び降りた。学校の帰りだから、ふたりとも当然制服姿。どこにいてもよく目立つラベンダー色のお揃いだ。入学案内のパンフレット、未だにあのお気楽姉貴がモデルで映ってるんだよな? それを思い出したときだけ、少しげんなりしてしまう。

「図星だからって、腹を立てるな。見苦しいぞ」

 怒り肩になった背中が、くるっと振り返る。

「悪かったわねっ! どうせ、私は可愛くありませんよっ!」

 今にも溢れ出しそうに潤んだ瞳、それを見たとき「完敗だ」と思った。

 

 彼女は想いを胸に押し込めるクセがある。

 自分でもそれがもどかしくてならないようだが、どうしても素直になれずにブレーキが掛かってしまうようなのだ。大抵の場面において、それはプラスに作用する。「あっさりしていて、小さいことを気にしない」と勝手に解釈されるからだろう。

  どうにかして本心を告げようとすると、こんな風にけんか腰になってしまう。まあ、ここまで気をたかぶらせるように持っていく俺にも原因があると思うのだが、この張りつめた部分にこそ彼女の一番大切なものが詰まっている気がするんだ。

 

「何、言ってるんだよ……馬鹿」

 猫の額ほどの公園、彼女が車止めをすり抜ける前にすばやく後ろから抱きしめた。こういう時の瞬発力も大切だと改めて思う。ここでのろまな奴は幸運ごと取り逃がしてしまうんだろうな。

 身をかがめて、耳元に顔をすり寄せる。ああ、そんなふうにびくびくっと反応するんだから、困るんだ。そんなつもりがなかったときでも、かなりの確率で欲情してしまう。しかし、ここは抑えるべきだ。少し腕を緩めて、大きく深呼吸。

「お前ほど可愛い女は、世界中探してもいやしないよ?」

「また、……そんな風にやりこめようとするんだから」

 小さくて消えそうな声。実は強がってギリギリのところで生きているんだってことを思い出させてくれる一瞬だ。周囲の奴らからは、姉御肌の彼女に弟気質の俺というカップルに見られているんじゃないかな。まあそれもある意味正しくて、俺自身もだいぶ甘えているなと思う。

 ……だって、そうじゃないか。

 こんな風に俺のことを本気で心配して怒ってくれる存在が、身内の他にいたか? いや、身内だって、ここまで体当たりで臨んできてはくれなかったと思う。俺はいつだって、ライバルである「奴」を越えることだけを目標にしてきた。思えば家の中ですら、粋がっていた気がする。
  上から見下すのではなく、下から見上げるのでもなく。同じ目線で相手のことを大切に思える存在が、こんなにも有り難く貴重なんだってこと、長い間気づけずにいた。

 

「俺、お前が誇りに思えるくらい、立派な会長になるから」

 短いキスの後、そう言ったら。恥ずかしそうに俯いてしまった彼女が小さく呟いた。

「……辛くなったら、いつでも言って。絶対にひとりで無理しないでね」

 


 ――よしよし。今度は順調なようだな。

 俺は物思いをしてる間も、抜かりはない。階段を下って2階の北連絡通路まで辿り着いたあいつをすぐに確認した。
  生徒会室と言う場所は、やはり学校全体をよく見渡せる場所に造られているものなのだろうか。俺は遠視がかっているくらい視力が良くて、遠くまではっきりくっきり見える。まあそれもいいとこばかりではなく、度の強すぎるめがねを始終掛けているのと同じような状況であれこれ不具合も出てくるんだが。たとえば肩こりとか。パソコンの画面なんかも、長い時間は辛い。
  それでもこれだけ離れた距離にいる彼女を、手に取るように確認することが出来ることに素直に感動する。このときばかりは、あの憎い父親のDNAにも感謝しなくては。この分だと、あと3分以内にはここまで辿り着くだろう。全くもう、こっちが時間指定をしたというのに、どうしてあんなにのろのろしてるんだ。もう少しで催促のメールを送るところだったぞ。

「データ処理が間に合わない。放課後に1時間だけ手伝え」

 そう言ったら、ふたつ返事で引き受けてくれた。これには彼女のやさしさよりも、自分の演技力に感動する。え、……何のことかって? まあ、それは……。

 

 ――あれ?

 

 思わず緩んだ口元を、きりりと元に戻していたら。どこに行ったんだ、あいつ。……おいおい、全然さっきから前進してないじゃないか!

 慌てて視線を動かしていくと、――あ、いたいた。……ええっ!?

 思わず身を乗り出してしまい、自分が窓の桟に腰掛けていたことを思い出す。特別棟には普通教室のようにベランダが設置されていないのだ。いくらこの部屋が2階だとは言っても、バランスを崩して中庭に落下するのはヤバイと思う。

 ようやく体勢を立て直し、改めて問題の地点を確認する。そこにいたのは、学生かばんとスポーツバッグをさげた彼女と……それから。

「あれって! 体育教師の、鹿島じゃないか……!」

 思わず舞台俳優のように声に出してしまった。何だよ、ふたりで楽しく立ち話なんかしてるんじゃない! そういや、鹿島はバレー部の顧問をしていたんだった。だからといって、何かなれなれしくないか……?
  いや、もともと。鹿島は彼女に何か微妙な視線を向けていると思っていたんだ。編入してきたときからその気はあったけど、……まさか。

 何しろあの頭が筋肉で出来ている教師、彼女が短期間のうちに見違えたのを自分の手柄だと勘違いしているのだ。いい大人がそんな間抜けなことをするか? と最初は話半分に聞いていたが、先日の保護者会でも自慢げに話していたと言うから腹が立つ。
  そりゃあさ、あんたは確かに生徒指導だし、彼女のような「落ちこぼれ」がいれば、気を配るのは当然だと思う。現に廊下ですれ違うときなどにも、マメに声を掛けたりして貰っていたと聞いている。だが、そうかといって具体的に何をしたって言うんだ。彼女がここまで伸びてきたのは、紛れもなく本人の努力だぞ。あんたが自分の手柄にして、どうする。

 で、何だ? まさか今度は「禁断の道」教師と女子生徒の恋愛に走ろうともくろんでるんじゃないだろうな。あんた自分の顔を鏡で見たことがあるのか? しかも体育教師だというのに、その出っ腹は何だ。

 気付けば、奥歯をぎりっと噛みしめていた。何だよ、人が待っているというのに、薫子の奴。楽しそうに何話してるんだ、いい加減にしろっ! それに、人の通行の妨げになるのを避けているとは言っても、ちょっとくっつきすぎだぞ……!

 こっちが必死でオーラを送り続けていると言うのに、あいつらときたら全く気づきもしない。鹿島に当たるように石でも投げてやろうかと思った瞬間に、ようやくふたりはそれぞれの進行方向にと歩き出した。

 ――馬鹿野郎っ!

 こうなったら迎えに出て、首根っこを捕まえて来ようかと立ち上がり、ギリギリのところで思いとどまる。いやいや、彼女が戸を開けるまであと1分。あまり取り乱しては、良くない。……冷静に、冷静に。

 

 パソコンの電源をオンにすると、俺は隣の暗室のドアを開けた。片手にはファブリーズ。

 この前の時には「少し汗くさい」とか言われてしまったからな。今回は空気の入れ換えもばっちりしたし、ソファーも日に当ててあり抜かりはない。今日は湿度も低いし風もあるから、それほど汗もかかずに済むだろう。
  何しろ、あの父親。俺がチケットをくすねているのに気付いたらしく、冷蔵庫の扉に貼り付けるのをやめてしまったのだ。それを指摘することも出来ずに、こっちは泣き寝入り。全く立場が弱いというのは情けないばかりだ。

 だがしかし。捨てる神あれば拾う神ありと言うことで。

 夏休みに帰省してきた姉貴の婚約者が、心づくしの「プレゼント」をくれたのだ。「彼女を大切にするんだよ?」と包容力のあるコメントと共に、ひと箱封も切らずに……! そうだよ、やっぱり男はこうじゃなくちゃ。一度にひとつ、しかもセロハンテープでぐるぐる巻きのブツを渡してくるようなみみっちい奴とは器が違うというものだ。
  彼はあのへなちょこ姉貴の面倒を一生見ることを決意した強者ではあるが、さすがに人間が出来ている。生まれたときからずっと憧れ尊敬していた存在だが、今回また惚れ直してしまった。

 ――ありがとう、お義兄さんっ! 夏休み明け、どうにか落ち着いてきた今日この頃。謹んで使用開始とさせて頂きますっ……!

 まずは、30分くらい真面目に仕事を片づけよう。それで頃合いを見て、何となくそっちの方向に……。

 

 この特別棟の2階は、ここ生徒会室以外は放課後人通りもまばらになる。

 だが、油断は禁物だ。職員会議が招集される時間まで、念には念を入れ待機しよう。ああ、これも薫子がごねるから。ウチなんか親が不在のことが結構多いんだから、気軽にふたりきりになれるのに。何で、あんなに嫌がるんだろう。

 だいたいな、この間のバーベキューの時だって、何だよあれ。あのときのことだって、俺はまだ許したわけじゃないからな。今日はその辺もいたぶってやらなくては……!

 

 ぶつぶつと、最終チェックと今後の段取りをしていると、廊下の向こう側から響いてくる足音。さりげなくパソコンの前に座った俺は、次の瞬間、ハッと気付いて右手のファブリーズを足下に隠した。


 

おしまい♪(050909)
あとがきっぽいもの >>

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