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… 「片側の未来」☆樹編 ・バレンタイン小話?…

    

 頭の上には確かに青空が広がっているんだけど、吹き抜ける風はかなり冷たい。地下鉄の階段から見上げながら、私は思わず身震いした。ついでに慌ててポケットから手袋を取り出す。

 こんな日はやっぱり「こたつでみかん」がいいのよね。それは分かってるんだけど、半分義務のような気持ちで出かけてきた。こんな寒いのに、ミニスカートで来いとか言うんだから嫌になっちゃう。思わず分厚いカラータイツをはいちゃったけど、きっとこれも「おばさん臭い」とかチェック入るんだろうなぁ。

 ここはいくつかの路線が交差しているちょっと大きな街。名前の知れてる予備校とかもたくさんあるし、だいたいのものは揃ってる。映画もショッピングもアリだし、少し足を伸ばせば海の見えるレジャー施設まであったりして。……ほらほら。通りに面してガラス張りのハンバーガーショップは、人待ち顔の若者で満席になってる。

 ――11時38分。ああ、ちょっと遅れちゃったか。

 慌てて交差点を渡って、左に折れた。しばらくは銀行やら大型スーパーやらの建物が続いて、細い通りをひとつ過ぎたところで目の前が開ける。
 どこにでもある、グリーンのフェンス。その向こうに都会のオアシスを思わせる木々が立ち並んでた。日曜日のお昼時で、中からは子供たちのはしゃぎ声が聞こえてきてる。 車止めを避けながら中に入って、ぐるっと敷地内を見渡した。アスレチックコースまである広い公園だから、人捜しも大変だ。

 ……いた。

 時計の下、待ち合わせによく使われるベンチに座ってる。足でリズムなんか取っちゃって、また音楽でも聴いてるのかしら? こっちに半分背中を向けて、余裕いっぱいな感じ。それにしても……、何だか今日はやけに分厚い上着を着てるわね? 何というか……もうスキージャンパーみたい。身体の体積が一気に2倍くらいにふくれあがって見える。すらりと伸びた足が、とても違和感。

「ごめん、お待たせ」

 やっぱ、怒ってるのかなあ……。コイツって自分が遅れた時は余裕こいてるくせに、人が1分でも遅くなろうものならもう大変。その日一日、ねちねちと嫌みを言われちゃう。頭の中でそんな風に考えていると、奴はようやくイヤホンを外して振り向いた。向き直ったその姿に私の視線は釘付けになる。

「……え?」

 何なのよ、その馬鹿でかいマスクは。それほど大きくない輪郭の半分以上が隠れちゃう感じ。もしかして、花粉症? ……にしては、マスクのかたちが違うか。目も充血してないしね。ぽかんと口を開けたら、目の前にずいっと白いものが突きつけられた。

『遅い!!!』

 マジック書きで書かれていたのは、男のくせに妙に綺麗な文字。彼が手にしているのは、ぐるぐるの針金で綴じられてる小型のスケッチブックだった。

『お前のためにわざわざ忙しいスケジュールを調整してやったんだ、もう少し気を遣え』

 ぱらりと一枚めくると、また違う言葉が書かれている。マスクのフチから見え隠れする視線の冷たいこと、何よそんな。こっちだって、色々あるんだからね。

「何っ!? たかが10分の遅刻で、話もしたくないほど怒ってるの? 嫌ね、本当に気が短いんだから。いいわよ、別に。こうしてわざわざ外で会わなくたっていいんだから。どうせ、同じ学校に通ってるんだしね。明日になれば、嫌でも教室で再会するわ」

 ああ可愛くないなあ、私。そりゃ、待ち合わせに遅れたのは悪かったと思ってる。昨日は夜更かししちゃったし、ついでに春休み中の兄には出掛けに捕まるし。どうしても愛用の一眼レフを片手に追いかけてくるって言うから、説き伏せるのに苦労したんだから。
 ……でもでも。でもさ、今日の予定を言い出したのはそっちじゃないの。「久しぶりに部活もないし、映画でも行かない?」なんて試写会のチケットを出してくるから、従ったまでよ。たまには普通に「彼女」するのもいいかな、って仏心を出したらこの始末。ちょっと、むかつくかも。

『そんな鬼みたいな顔してると、シワが増えるぞ』

 奴は一枚紙をめくると、またさらさらと書き進めてる。

『実は、風邪をひいて声が急に出なくなったんだ。仕方ないだろ?』

 ……え? 声が?
 私がびっくりして見つめ返すと、彼は喉の辺りを指さして見せた。

『だから、悪い。今日はこうやって会話するしかないということで』

 よいしょ、と勢いを付けて立ち上がる。そうすると初めて分かるのよね、想像以上に身長が高いって。それだけ足が長いと言うことを証明してるみたいで、毎度のことながら腹立つけど。

「え……? ちょっと、どこ行くのよっ!」

 何も言わず(いや、正確には言えず、かな?)すたすたと歩き出すから、慌てちゃう。コンパスの差を感じながら駆け寄ると、またもや新たな言葉。

『どこって、とりあえず飯喰って。試写会、1時からだろ? 急がないと』

 私が読み終えるまでの間、こっちを見てる。そして、時々コンコンと咳をして。

 ……なんか辛そうだよなあ、これってヤバイんじゃない? 先週は建国記念日があって一日少なかったけど、明日から始まる1週間は、ばっちり詰まってる。さらに土曜日には模試もあるんだよね? これから映画見てたら、帰りはさらに寒くなるよ。

「ね、ねえっ! 無理しちゃ駄目だよ。風邪なら、そう言ってくれたら予定をキャンセルしたのに。今からでも、いいわ。今日は帰って、あったかくして寝てよ。試写会なんて、またのチャンスにすればいいじゃない」

 彼はちょくちょく、いろんな優待チケットを貰ってくる。雑貨屋さんをしてるお父さんが顔が広くて、あちこちで使い切れないほど集めてくるんだって。テーマパークだったり水族館だったり、こんな風に映画のチケットだったり。結構、助かってたりする。だから、今回を逃しても別に大丈夫って知ってるんだ。

 それなのに。彼は、ぶんぶんと首を横に振る。そしてまた、ずんずんと歩いていくから、私は慌ててもこもこ上着の袖を掴んだ。

「駄目だよっ、私だって責任感じちゃうでしょ? あんた、生徒会長でしょっ! これから忙しくなるのに、寝込んだら周りに迷惑を掛けるじゃないっ……!」

 ――そうなのだ。去年の秋の改選で、槇原樹はめでたく(?)生徒会長になった。まあ、なるべくして……って感じよね。ウチの学校の生徒会は前期後期に分かれていて、9月と3月に校内選挙がある。でも、もう一期やるのは間違いなさそうだな。これから予餞会に卒業式に……イベントはいくつも続く。今年の風邪はしつこいから、早く治さなくちゃ駄目だよっ(……実は、私は2月の頭に経験済み)。

『やだ』

 ぎゅうぎゅうと食い下がったら、そんな文字が頭を叩く。それから、ぺらんとまた一枚めくって。

『薫子と一緒にいたい、帰りたくない』

 思わず、見上げちゃったじゃないの。うわあ、どうしようっ! すっごい切ない瞳。顔半分がマスクで隠れているというのに、ものすごい臨場感だ。やめてよ〜、こんな人通りの多い日曜日の街角で、ときめいてる暇はないんだから……!

「そっ、そんな。……そんなこと言ったって、駄目。あんたが帰らないなら、私がひとりで帰る。ねえ、言うこと聞いて。無理しちゃ駄目だって」

 もう、駄々っ子にならないでよ。こうしてる間も、私たちは注目の的になってる。だって、相変わらずのことだけど、とにかく目立つんだもん、コイツ。私という彼女がいても、全然人気が落ちないってどういうこと?

『やだ』

 ……あ、今のはズルしたな。さっきのページに戻ってる。

『やだ』『やだ』『やだ』『やだ』『やだ』『やだ』『やだ』『やだ』『やだ』

 そして、ぱたぱたと開いたり閉じたりしながら、何度も同じページを見せてくる。もうっ、やめてよ。洗脳されちゃうじゃない。いつもは頭の切れる隙のない男なのにね、時々ふっと見せる子供っぽい一面がある。そんなときに「ああ、弟くんなんだな」……と思うわ。

「……はいはい、分かったわよ。仕方ないわね」

 私は大袈裟に溜息をつくと、まっすぐに彼を見た。

「家まで送ってあげるから、だから帰ろう? その時間だけ、一緒にいられるでしょ」

 

 

 いつもとは反対側のホームから乗り込んだ昼下がりの電車は、まあまあの乗車率。三人掛けのシートに少し離れて座ってる。目の前の見慣れない風景を眺めながら、やっぱり隣が気になってた。

 閉め切ったガラス張りの空間は、ぼんやりとした空気に満たされてる。目の前のカップルが手すりにつかまっていちゃいちゃしながら、時々こっちをちらっと見てるのよね。ううん、あのふたりだけじゃないよ。あちらこちらからの視線が身体中に張り付いてる気がする。ふーっ、降りる駅までは20分くらいだったよなあ。それまでは仕方ないか。

 別に私が注目されてる訳じゃないのよね、それは分かってる。だけど目立つ人間の隣にいれば、どうしても視界に入っちゃう。絶対にチェックされてるんだよ、「何であんな女が一緒にいるのよ!」とかね。そうは言ってもなあ、前に較べたらかなりマシになったと思うんだけど。それでも比較する対象がコレじゃあ仕方ないか。張り合おうと思うだけ、無駄よね。
 こんな「見せ物パンダ」状態もそろそろ慣れっこにならないと神経が衰弱しちゃうわ。べったりと肌にまとわりついてくる視線、コイツって何で気にならないのかなあ……。前に思いあまって訊ねたことがあるんだけど、その時にあっさりと言われたわ。

 

「何言ってるの、母親の腹の中にいる頃からこういう感じなわけ。胎教で鍛えられたんだから、最強だぞ」

 ――とかね。まあ、すごい納得しちゃったけど。

 

 何考えてるんだろう、窓の桟に頬杖なんて付いちゃって。顔のこっち側半分だけ日差しが当たって、もともと茶色味が強いまつげが金色く輝いてる。伏せ目がちになると、あまりの密集度に瞳が見えなくなるほどよ。
 頬に掛かる影。地毛のまんまだと言う髪の毛は、触れるとぞくぞくするくらい柔らかい。私から「触りたい」なんて言うことはまずないんだけど、それでも……まあねえ。時と場合によっては、その気はなくても無意識のうちに触れていることもあるわけで。嫌だ、何考えてるのよ、こんな時に……!

 ……でもなあ、本当。具合が悪いなら、メールでそう言ってくれれば良かったのに。声出なくたって、それくらいは出来るでしょ? 手間の掛かる筆談をわざわざやろうなんて思うくらいなんだからさ。これが「織り姫と彦星」みたく、一年に一回の貴重な逢瀬……とか言うなら分かる。でも、同じ学校に通ってるんだよ? それに少なくともあと1ヶ月半はクラスメイトだったり。

 

 未だに信じられないことだけど、付き合い始めて半年以上過ぎてるのよね。

 まあ、どの辺からが本物の「彼女」だとお互いが認識したのかは疑問だけど。まあ、……それなりにえっちなこととかしてるのに「彼女じゃない」ってことになったら、その方が嫌かも。他の人はどうか分からないけど、少なくとも私は心と身体を切り離すことは出来ないわ。――あ、ちょっと待って。そんなに回数こなしてる訳じゃないわよ!
 今となっては周囲は当然のことのように認定してるし、私設ファンクラブのいくつかが改名をしたことも知ってる。そのひとつが『樹くんと薫子ちゃんを励ます会』とか脱力する名前になっていたと聞いて呆れた。何よ〜、それって。やめようよ、インターハイ出場の壮行会じゃないんだからさ。

 西の杜の多忙なスケジュールをこなしていれば、月日の流れるのはあっという間。改めて時間の経過を確かめることもないまま、気が付けば年明け。そして2月。暦の上ではもう春だ。

 

 そんな風に感慨深く浸ってたら、ずいっと白画面が目の前に。

『何だ、そんなに見とれるなよ。パワーをぐんぐん吸い取られる気がするぞ』

 ……この口の悪さも相変わらず。私にしか見えないようにスケッチブックをかざすから、もう容赦ないったら。周囲に聞こえる心配がないから、口調もきつくなってるみたい。

「みっ、見とれてなんていないものっ! こっち向きだとまぶしくないから、こうしてるだけよ」

 ひどいでしょ、とても「彼女」に対する言葉とは思えない。こんな偏屈な可愛くない奴と付き合ってる私って、本当にすごいと思うよ。ふた言めには「馬鹿」だの「ボケ」だの言うし、いちいち揚げ足ばっかり取られてチェックの嵐。こっちが無視し続けても、全然めげない。全てがこの男のペースで進んでるし、口では絶対に敵わないし……。

『お前、また目つきが悪くなってるぞ。何かこの頃、やけに突っかかるよな。――生理前か?』

 まっ、まああああっ! ひどい、何を言い出すのよっ!!! うら若き乙女にそんなストレートな質問をしていいと思ってるのっ!? ――もう、いいっ。直射日光だって、構わないもんっ!

 くるんと向きを変えたら、途端にスカートをつんつんされる。ちょ、ちょっとっ!? シートに座ったためにただですら少したくし上がってるのよ? その方向に引っ張られたら、大変なんだけど。

『照れるなよ、降りるぞ』

 ――かっ、顔が赤いのは陽が当たってるせいよっ……! すぐにそう反論しようとしたのに。立ち上がった男はそのまま振り向くこともなく、さっさと電車を降りていった。

 


 あのさ。こっちはわざわざ送ってあげてるのよ? それなのに、どうなの。こんな風に他人行儀に距離を置いて歩く必要がどこにあるのっ!?

 普通に歩いてたら、目に見えるスピードで開いていくふたりの距離。知らないうちに早足になって、息が切れていた。背中を向けたまんまの槇原樹は、そんな私にはお構いなし。何かな〜、一緒にいたいとか言ったのは、どの口? 信じられない、馬鹿にするんじゃないわよ。――それなのに、私が立ち止まると一緒に足を止めるのよね。何なんだろう、訳わかんない。

 ふたりっきりになると、容赦ないのは最初からだったわ。人通りの多い場所では「らぶらぶ・べったべた」って感じなのに、一本裏道に入った途端に豹変する。それに戸惑っていたあの頃の自分が懐かしいわ。今じゃすっかり順応していて。人間って、すごい生き物なのね。

 だ〜け〜どっ!!!

 今日は何なのよ、電車の中でも降りてからも。さながら「半径1メートル以内には入らないで下さい」状態になってるよ。こんなのって、初めて。ちょっと焦っちゃうかも。一度、腹が立ってバリアを強行突破してみたら、顔面をスケッチブックで叩かれた。

『うつるだろ、側に寄るな』

 何よ〜、だって私もう一度掛かってるもん。免疫が付いてるから、ちょっとやそっとじゃどうにかならないと思うよ。それにさ、試写会とか行くつもりだったんでしょ? 隣の席に座れば、うつるもうつらないもないはずだわ。何? 帰れって言ったこと、根に持ってるの……!? ああ、やだ。コレじゃあ何のために付いてきたか、分からないじゃないの。

 ほら、たまにだからさ。しおらしくしてる男を気遣ってやろうかなとか思ったのよね。自分が女らしくないことは自覚してるし、「彼女」というポジションでは至らない点も多いだろう。だってさ〜、何だか気恥ずかしいんだもの、コイツの隣。素直に甘えられるわけないじゃない。優しい言葉を掛けるには、それなりのきっかけが必要なのよっ!

「も〜〜〜っ! 訳わかんないっ!!! あんた、何様のつもりなのっ!?」

 なだらかな坂道をゆっくり登る。こちら側に延びてきた影の頭の先っぽがようやく足下に来る位置。人通りが少なくなってきたのを幸いに、とうとう叫んじゃったわ。

『あんたって、呼ぶな。俺にだって、名前はある』

 全然、見当違いの返答が戻ってきて、また脱力。やっぱりさ、微妙にすれ違ってるよ、私たち。だけど、負けないもん。余計に掛かった電車賃、往復420円が惜しい訳じゃなくて。

「じゃあっ、槇原樹っ!! もう、ここまで来ればすぐでしょ。……私、帰るからっ!」

 そうよそうよ、情けなんて掛けようとした私が馬鹿だった。そんなもん、期待されてないんでしょ。分かってるってばっ……! ひとりで帰して途中で倒れちゃったらどうしようなんて、一瞬でも不安になったんだからね。だって、声が出ないって、ヤバイじゃん。これから熱が、ぐわーっと上がるかも知れないよ? 

 くるっと、振り返って。一歩踏み出そうとした瞬間。

 ざざざっと背後から足音がして、気が付くと目の前にスケッチブックがあった。……忘れてた、コイツって、バスケのレギュラーだったんだっけ。

『フルネームじゃなくていい、「樹くぅん」と呼べ』

 それから、もう一枚めくって。

『もう、あそこに屋根が見えてる。自分が言い出したんだから、玄関まで送れ』

 

 ……何よぉ、それっ! 偉そうにっ、偉そうにっ、偉そうにっ……!!!

 

 背高のっぽのマスク男は、憤慨する私の隣をさっと通り過ぎて、また坂道を登っていった。

 


 ……まあ。奴の言うことにも一理ある。

 確かにこのところ、私は慢性的に機嫌が悪かった。だけど、それだって全部がこの男のせいよ。何さ、人のことは色々文句言うじゃない? クラスの男子とちょっとおしゃべりしただけで、あとからネチネチとそりゃあしつこいの。すっかり仲良くなったバレー部のみんなからは「愛されてるね〜いいなぁ」何て言われるけどさ。そう言う問題じゃないと思う。

 それなのに、よ。

 フライングだか、フライドエッグだか知らないけどっ! 2月の声を聞いた途端に、槇原樹の身辺はいつもに増して騒がしくなった。ひと目で「それ」と分かるブツを持って、電信柱の陰に廊下の柱の陰、とにかくそこら中に女の子たちが潜んでるのだ。あのねー、あなたのカレンダー間違ってますよ、まだ14日じゃないってばっ……とか、イライラしてる私が隣にいることもお構いなし。

「樹くぅん、これ、受け取って下さい〜v」

 とか何とか、お決まりの台詞と共に奴の腕には瞬く間にカラフルな包みが山となる。それをにこやかな笑顔でかわし、用意していた紙袋に入れてるのだ。そんなモノまで準備してくるなんて、嫌な奴よねっ。

「何よ〜、『彼女に悪いから、受け取れないよ』とか、言えないのっ! そのうちチョコの雪崩に巻き込まれたって、知らないからねっ!!!」

 そんな風にこっちがブチ切れてもお構いなし。それどころか、ますます嬉しそうに喉の奥で笑うのだ。

「何言ってるの? 俺って、博愛主義だし〜。彼女たちだって、そんな大袈裟な風でもなくてくれるんだよ。こんなの、友チョコだから心配するな」

 

 ……って、妬いてないしっ! そんなこと、絶対にないしっ……!

 

 そうそう、この間の児童館でも女の子たちに取り囲まれていたわよね。鼻の下、絶対に延びてたっ! 本当に嫌な奴よっ……!!

「何かさ〜、カオリンって、手作りとかしなそうだよね。イッキ、かわいそ〜。お嫁さんは、お料理上手じゃないと虚しいって、パパが言ってたよ〜っ!」

 おいおい、そこは笑う場所じゃないだろう。……あ、「カオリン」って言うのは、いつの間にか付いてた私のニックネーム。今でも何だかんだと理由を付けられては、週に一度の学童保育に一緒に通ってる。子供たちともすっかり仲良しだ。

「そうか〜、困ったなあ……。悪いけど、ミホちゃんが教えてあげてよ?」

 そんな無駄なひとことでさらに笑いを取ってるし。相変わらずのアフロなピエロの後ろ頭を、あのときどうして叩かなかったのか、自分でも不思議だった。

 

 もう、すっかりとやさぐれて……今日が13日。まだ本番が残ってるんだよ〜、もう仮病で休みたいくらい。駄目だよなあ、古文の小テストもあるしな……。

 

『通り過ぎるな、ほら着いたぞ』

 思考を中断する文字が目の前に並ぶ。

 ふと見れば、手前にはグリーンの壁に白の窓枠っていう、いかにもカントリーな可愛い雑貨屋さん、そして奥にはこれまたイギリスの片田舎風の外装の素敵な一戸建て。
 真冬だというのに、ここはまるで春爛漫。うわ〜、このピンクのも可愛いっ! フラワーポットから顔を覗かせるのは、すずらんみたいな変わったかたちの花。目隠し用のラティスには、それこそ数え切れないほどの花が飾られていた。何か目新しくて、いちいち見とれてしまう。

 

 ……そうよねえ、前に来たのは夏だったもん。変わっていて当然よね。

 何かここに来るのは緊張して、あれこれと理由を付けては避けていた。だってさ、付き合い始めてすぐの夏休みに、いきなり御両親主催のホームパーティーに参加する羽目になったのだ。ほとんど、だまし討ちって感じで。あのときは、その後三日間も高熱で寝込んだわ。それだけ、すごかったってことなんだけどね。ひとりでももてあます感じなのに、束になって来ないでって思う。

 あ、――そうか。今日は日曜日だし、どなたか在宅してたりするのかな? お玄関先で遭遇しちゃったら、ご挨拶くらいはしなくちゃならなかったか。うわあ、失敗。そこまで考えてなかったよっ……!

 

『ほら、入れよ』

 あたふたしているうちに、彼はドアを開けていた。振り向きざまに新しい台詞。

「え……、いいよっ、ここで帰るから」

 慌てて首を横に振っていた。そうよそうよ、今ならまだ間に合う。私はあんたを無事に家まで送り届けたかっただけなのよっ、それだけなんだから……! 私は何度も言ってるけど、ウチの兄とは別人種なのっ。カリスマファミリーなんて、全然興味ないんだからねっ……!

『お茶くらいいれるから、飲んでいけ』 

 そんな文字と共に、ひらひらと奴の手元で揺れるもの。うわわっ、ちょっと待て。いつの間に私のバッグを持ってるのよっ! 財布ごと持って行かれたら、私は帰れないじゃないのっ……!

 

 玄関先のフラワーポット。三色スミレの根元で『Welcome!』のくまさんプレートが微笑んでいた。 

 


「ねえ、本当。無理しないでよ、早く横になった方がいいよ?」

 リビングのソファーに案内されたのはいいけど、やっぱり落ち着かない。さっき彼は自分で玄関の鍵を開けた。だから今はこの家には他の家族はいない。でも……いつ戻ってくるか分からないじゃないのっ……! もう手のひらの内側は汗でべっとり。もう、何してるんだろ、私。

 サイドボードの上、たくさん並んだファミリーの写真たち。何かすごいなあ……とか見惚れちゃう。小さい頃に天使のように可愛らしくても、大人になるとただのむさいおじさんになっちゃう人ってたくさんいるでしょ? 芸能界の子役とかでもありがちだよね。は〜、でも私、槇原樹が普通のおじさんになるのって想像出来ない。きっとお父さんか、それ以上に格好良く老けるんだよ?

 で……、当の本人は???

 私の忠告になんて聞く耳を持つはずもない男。かちゃかちゃとキッチンで音を立てていたかと思ったら、紅茶のポットとカップをトレイに乗せてやってくる。それから……何コレ?

『樹様の試作品だ、食え』

 真っ白くてフチがひらひらと花びらみたいになってるお皿。その真ん中にちっちゃな一切れが乗っている。名刺のさらに半分くらいのサイズで、ほとんど一口大。ええと……、これってチョコレートのケーキなの?

『丁度良かった、家族はもう食いたくないって言うし。OKなら、明日から父親の店で出してもらえるんだよ』

 なみなみと隣では紅茶がカップに注がれていく。その手つきのスマートなこと! うわあ、何だろうこっちの食器もすごいぞ。私、そっちの方にはあまり詳しくないんだけど、この花模様はどこかで見たことある気がする。イギリスとかには有名なメーカーとかがあるんだよねえ……。

「はあ……、そうなの」

 試作品って、自分で作ったんだよね? 何か、料理の腕もなかなかなんだもん、コイツ。それはバーベキューの時に実感した。普段からやってる人って、手つきが違うのよね。やっぱ、ケーキとかも作っちゃうのか。何段もの層になっていて、結構本格的っぽいところが憎たらしい。

 良かったわ、私は明日渡すの市販品のチョコにしといて。危ない危ない、またあれこれと批評されるとこだった。そう言えばお昼もまだだったしねえ……おなかすいたし、頂こうかな?

「あら、……おいしい」

 ああ、ゴメン。また間の抜けた言葉になっちゃった。でも、すごいかも。チョコがぎっしりで濃厚って感じなのに、舌の上でほろほろっと崩れていくの。何かとってもリッチな気分。落ち着いたインテリアの室内もいい感じでうっとりしちゃうわ。何というか、やっぱ隅々までセンスがいいわよねえ。

『何、上品ぶってんだよ。一口に食え』

 紅茶をゆっくりと味わっていたら、またもや目の前に白いページとふてぶてしい文字。何よぉ、人の食べ方にまで文句付けないでよっ、失礼しちゃうわ。もう、いいわよ。そんな風に言うんなら、ぱくっと食べて帰るからっ……!

 

 そうよっ、ぱくっと……、あれ? あれれれ……?

 

「なっ、何っ……!? ちょっと待って、槇原樹っ!」

 思わず叫んでみたものの、すでに舌は上手く動かなくなってる。うわぁ、喉がっ! 一気にケーキを飲み込んだら、喉が焼けるように熱いんだけどっ……!?

「ふふ、ちゃんと食ったな。……ご苦労さん」

 背後から声がするんだけど、何だか頭まで朦朧としてきて駄目だわ。

「内側に思いっきりブランデーを仕込んでおいたからな。一気食いすれば、たまらないだろう。たしかお前って、チョコボンボンでも酔うんだよな?」

 

 ……あれ? ちょっと待て。

 

「あっ、あんたっ……! 何よ、声――!?」

 くるっと振り向いたら、また頭がぐわんぐわんする。船酔いみたいに気分悪い〜っ! だけどだけど、どういうことっ!? 何よ、声が出ないって嘘だったのっ? 出てるじゃないの、普通にっ! ……って言うかっ! あのでかいマスクはどこに行ったのよっ!!

「ホント単純なんだからな、薫子ちゃんは。全く疑わないで付いてくるとは思わなかったよ。こんなでいて、そのうち悪い男に騙されたって知らないぞ?」

 ――うわっ、うわわっ……! 何よ、いきなり後ろから抱きついてこないでよっ!  ぬめぬめって、舌が首筋を……ひやぁっ!

「なっ……、待ちなさいよっ! いやぁっ……!」

 一応抵抗してるんだけど、身体がぼーっとして上手く動かない。そうしているうちに、胸元からどんどんはだけてきて、とんでもない格好になっていく。

「誰かがっ、……そのっ、誰か来たらどうするのっ! ふざけないで……やだってばっ、やめてよっ……!」

 そうよ、ここってリビングじゃないのっ! 少なくてもこの家の人だったら、自由に出入り出来るのだよ。私たち高校生だしっ、こんなことしていい身分でもないはずだし……! どうでもいいけど、嫌だよっ、見られるのはっ……!!

「な〜に焦ってんのかなあ……、見なかった? 俺、玄関にはちゃんとチェーンしてきたけど。ふふ、いいねえ、肌がこんなにピンクになっちゃって。久しぶりにおいしく頂きましょうか? 何、慌てるなって。ここなら時間制限もないし、ゆっくり行こうよ……」

 ぺろぺろって、胸元を舌が這っていく。何か、すごく変。いつもよりも身体が敏感に反応していく。触れなくても固くなってるのが分かるその部分なんて、もう痛いくらい。きっと吸い付かれたら、すごい声が出ちゃう。

「だっ……めぇ! こんなとこでっ! ……嫌だってばっ……!」

 もうっ! こんな真っ昼間のパブリックスペースで、こんなことをしてる人間なんてあり得ないわよっ! やだっ、普段は涼しい顔をしているくせに、いきなり始まるんだからっ! こんな風に押し切られるのは初めてじゃないけど、今度だけは絶対に許せないっ。だってだって、……嫌だよっ!

「ふうん、……じゃあ。俺の部屋なら文句ないだろ? 面倒だけど、運んでやりますか」

 

 ……って。普通、こういうときって、お姫様抱っことかじゃないの??

 嫌だっ、ちょっと! 情けない格好させないでっ……! 悪いことした子供みたいに肩に担がれて階段をのぼってく。何よっ、鼻歌なんか歌うんじゃないわよっ、いい加減にしなさいよっ……!

 


 ふわふわっとした階下のインテリアからは一転。初めて入る槇原樹の部屋は、どこまでもシンプルだった。

 縦長6畳は普通の個室の広さよね。突き当たりに机と本棚。そして手前にベッド。ほとんど黒に近い濃紺のカーペットで、家具も全てシルバーのパイプ仕様だ。ついでに壁もブラインドも空色。どことなく船底のイメージ。

 

「前は母親の趣味で揃えてあったんだけど、中学にはいる時に自分で選び直したんだ。でも、全部リサイクルなんだぞ、見つけるの苦労したんだから」

 情けないけど、ベッドの上に転がされても起きあがる気力すらない。身体中が何か変なモノでも塗りたくったみたいにじんじん熱くて、何も考えたくないのに頭の隅っこだけが妙にはっきりしている。しゃべってる内容は世間話だったりするけど、奴はどんどんスタンバって来た。いつものことだけど、脱ぐのも脱がせるのも早いわよね。

「な〜に、情けない顔してんだよ? バレンタインってのは、女からプレゼントを貰える日だろ? だったら、俺が薫子から貰うのはこれっきゃないの。それくらい、猿でも分かるぞ」

 そう言いながら当然のように覆い被さってきて、キスする。何度も何度も、数え切れないくらい。腕が前後するたびに、肩の盛り上がりが動いて不思議な気分。彼の方はどこまでも自然に振る舞ってるけど、私は毎度のことながらすっごい躊躇いを感じてしまう。「愛される」と言うことをもっとも直接的に感じさせられる行為は、まだまだ生々しさの方が上回って。

「お前もな〜、もうちょっと現実見た方がいいぞ? いつだって隙だらけで歩いてるんだから、もうこっちはたまらないんだからな。あんまり我慢させると、そのうち暗がりに連れ込んで押し倒すぞ」

 耳元で囁かれてるはずなのに、全然別の場所が反応してくるのってどうしてなんだろう? 本当に、今日の私って変。おかしくなっちゃったみたい。早くしてって、身体じゅうが叫んでる。

「ふふふ、こんなにビンビンしちゃって。ホントはお前も期待してたんだろ? そんな切なそうな目をするなよ。そう言うのが男をそそるんだからな、分かってんのか?」

 そっ、そんなじゃないって言い返したいのにっ……! 指先でつんつんと触れられるだけで、ぞくぞくって感覚が身体中を突き抜けてく。こんな風になっちゃうのが信じられない。いつもコイツのペースに巻き込まれるのが口惜しくて口惜しくて、それなのに気が付くと従っちゃうんだ。

 

 自分勝手な男なんて大嫌いだし、だから槇原樹の側にいるといちいち腹が立ってたまらない。

 こんな奴、嫌いだ、大嫌いだって百回叫んでも、それでも離れられないのってどうしてなんだろう。中には「いい気になってる」とか陰口言ってる人もいるの知ってるよ。あとどれくらい保つのかって、賭けてる輩もいるらしいし。正直、自分でも馬鹿だなあとか思うこと、いっぱいある。

「そんなに気に入らないなら、いつだってやめていいんだから」

 あんまりイライラが募ると、そんな風に突き返してしまうこともある。自分でも可愛くないなって分かってるけど、やたらと突っかかってくるんだもん、言いたくもなるわよ。だけど、憎たらしいことに、何を言っても全然動じないの。

「素直じゃないな、薫子は。ストレス溜めるとシワが増えるぞ、気をつけろ」

 ……てな感じ、口元には笑みまで浮かべてさ。そのくせ、その日のキスはいつもよりもずっと濃厚なの。いつまで続くんだろうって感じで、頭なんてぼーっとしちゃって。

「俺の側にいればいいんだ。そうしたら、誰も文句が言えないほど綺麗にしてやる」

 一体、その自信がどっから出てるのか。一度、頭の中を分解して確かめたい気分だわ。

 

「駄目っ……、そんな風にしたら……!」

 びくびくって、ふいに身体が揺れた。無意識のうちに脚が閉じて、腰が引ける。何か、すごく変なんだもん。どんどん頭の中が泡立っていって、違う人間になってしまいそう。飲み込まれては駄目って思うのに、踏ん張りきれなくなりそうで怖い。

「はっ、……はうっ……」

 私の声、壁に反響して何倍にも響いてる。すごい、恥ずかしい。こんな声を出してしまうことも、聞かれてしまうことも。駄目って言ってるのに、全然聞いてくれないんだもの。強引な指が執拗にその場所を探っていく。何かがとろんと溢れ出てくる感触があって、もっともっと恥ずかしくなる。

「……すごいな、これもサービスか?」

 そっ、そんなじゃないもんっ! ひどい、どうしてそんな風に言うの……! やだよ、恥ずかしいよっ……っ、そんな風に微笑まないでよ。こっちが泣きたい気分なのに、どうしてそんなに嬉しそうなのっ!

「そんなに誘うなよ、……大丈夫だ、すぐ行くから」

 

 準備を終えた彼が、私と繋がっていく。

 ぬるっとした感触が下半身に広がって、やがて私たちはひとつになる。ひとつの感覚をふたりで感じる物体に変わっていく。いつものことながらすごい存在感の彼が、私の中でぴくぴくといっている。感じ取った私の内側が無意識のうちにきゅうっとそれを包み込んでいた。

「あっ……、いやぁっ! ……あんっ……!」

 急に身体を起こされて、向き合った状態で下から突き上げられる。そうされるともっと深いところまで届く気がして、どうしようもない気分になる。すごくすごく切なくて、もう二度と離れたくないみたいな。時々、身体と心はバラバラになりそうになる。

 何度も心の中でせめぎ合いが続いて。そして最後は必ず、不安な気持ちがどこかに吹き飛んでいるんだ。私は愛されるだけの存在になって、ふわふわの心地でどこまでも漂う。

 

 背筋を突き抜けていく感触に、一瞬我を忘れて。その後、自分の心がどこにあるのか、しっかりと確かめてた。

 


「……何だよ、その不審そうな目は」

 リビングのテーブル、紅茶のカップ。それから、ケーキプレート。カーテンの向こうはすっかり夕暮れ。名残の赤がテーブルの端っこに映ってる。

 疑うなという方が、無理だと思う。さっきよりもずっと大振りなガドーショコラを見つめながら、フォークを持つ手が震えた。

「んじゃ、俺のと交換してみるか。……あのな、考えてもみろ。連続で三回もやれば、いくら何でもこっちも疲れるの。もうお前に泣いてお願いされたって、無理だから」

 そして、一口頬張って、う〜んこっちも上手いなとか言ってる。本当におめでたいったら、いい加減にしなさいよ。

「……あ、でも。呪われるかも知れないな」

 お皿がほとんど空になるくらいになってから、そんなことを言い出すんだもの。焦るじゃない。

「もらい物のチョコを片っ端から突っ込んだからな……心して食べないと駄目だぞ。それから、お前。ホワイトデーのお返しの時はしっかり手伝えよ。前日に一日がかりでクッキーを焼くんだから。最近は姉貴たちが手伝ってくれないから、人手不足で困ってたんだよな〜」

 

 ――ちょっと待て。……ってことは、来月もここに来いってこと?

 待ちなさいよ、何よそれ。信じられないっ……! どーして、いつもこうなの? 勝手に自分でシナリオ書いちゃって、私はいつも乗せられてるだけじゃない。ああ、腹立つっ……!

 

「もうっ、いい! 今日で前払いだから、明日は何も出ないからね? 何よ、何よ、バレンタインなんて、馬鹿みたいっ!」

 素直じゃないのは、分かってる。でもね、ちょっと口惜しかったの。自分の気持ちをラッピングして渡したいなとか思ってたのに、こんな風に抜け駆けみたいにされちゃうんだもん。

 用意してあったのに、新作のストラップ。男性が付けてもおかしくなさそうなデザインを見つけたから、レザーと一緒にシックに編み込んだんだよ。すごい時間掛かったのに……!

 

『やだ』

 すると、また。あのスケッチブックが目の前に。

『そうやって、むくれるな。あんまり可愛くて、また食いたくなるぞ』

 

 こっちが何か言い返そうとしているうちに、彼はぱたんとページを閉じて立ち上がる。ポケットの中にペンを押し込むと、「送るよ」って笑った。

 

おしまい♪(050222)
あとがきっぽいもの >>

 

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