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第一話


「ツイン・ビルの秘密を知ってますか?」
 落書きはそんな文章で始まっていた。

 地学室の机は普通の教室のものとは違う。折り畳み式の長机にパイプ椅子で無理矢理3人が座る。
 去年、市内にあった二つの私立高校が生徒数の減少のために閉校した。そのため、周囲の高校にそこの在校生達は成績に合わせて転入している、新入生の数もそれと同じく増えている。
 ウチの高校も今まで8クラスだった一学年が10クラスになった。そうなると教室も机も足りない。子供の数はどんどん減少しているので、当座の処置として業者からレンタルしたこんな備品でしのぐことになったみたい。
 でもさ、勉学に励む高校生に使い古してぎしぎしと言う長机にパイプ椅子はないと思う。街の進学塾の方がずっと環境がいいもの。
 長机は廊下側・真ん中・窓際の三列に並んでいる。私の席は窓際の前から3番目。3人並びの一番左端だったから、ふっと横を向くと4階の高さからの街の風景が傍観できる。
 開けはなった窓からGW開けの心地よい風。生成のカーテンを揺らす。広い校庭の向こうは大きな森林公園。そして、その向こうに小高い山に包まれている地方都市が佇む。
 都心まで特急電車で1時間、普通の電車なら2時間、車なら1時間半…ギリギリの通勤圏と言われているここは、人口10万人の市だった。校庭のフェンス越しギリギリに走っているJRが吸い込まれていく先に、ひときわ大きな双子のビルがそそり立つ。他に大きな建物がないので大袈裟なぐらい目立つそれがここの市役所…通称「ツイン・ビル」であった。地上20階、地下2階。最上階は展望スペースになっている。天気のいい日には海に浮かぶこの半島がぐるりと一望できるそうだ。
 お弁当の後の眠い授業。来年定年だというおじいちゃん先生の声が子守歌みたい。隣りの中道君は始業3分で夢の中。地学なんて受験に使う人、少ないもんな…1年生の必修授業だからみんな仕方ないなあと言う感じで受けてる。ちなみに2クラス合同だ。先生の労力まで軽減されている。
 その落書きに気付いたのも、こんなぼんやりした気持ちでいたからだろう。午後の日差しにかすんだ風景から教室へと視線を戻したとき、ベージュの合板加工の机のはじっこに本当に小さな字で書かれたそれを見つけた。
「ツイン・ビルの秘密を知ってますか?」
 思わず、読み始めてしまった。

 私は高校入学に合わせて、今年の春からこっちに越してきた。それまではもっと東京寄りのビルのたくさん建っている街にいた。電車もJRだけじゃない、私鉄が何本も通っていて、駅前にはたくさんのデパートや銀行が並んでいた。
 父親がリストラのあおりで会社を繰り上げ退職になり、こっちで再就職することになる。それに母と共に付いてきた。大学生の兄は東京の郊外で一人暮らしだ。高校はこの辺りでも進学率の特にいい私立を選んだ。こんな田舎に若い娘を引き込んでしまった両親のせめてもの罪滅ぼしなのかも知れない。
 こっちに来て初めて気付いたんだけど。空気が違う。公害で汚れているとかそう言う意味ではなくて、この土地に生活する人々から発せられる気質そのものが違うみたい。穏やかでのんびりしていて。住みやすい環境なのかも知れない。
 ただ話が大学受験となるとちょっと違う。こののんびりに飲まれてしまっては、成績もずるずると下降線を辿りそうだ。予防線を張る意味でこのご時世、毎週土曜日のあるという奇特な私立に通っている。放課後は別料金で課外授業もある。さすがにそれは遠慮して、その代わりに週末に元通っていた予備校にそのまま通わせて貰うことにした。土曜の夜は親戚の家に泊まる。
 …これには別件で理由があったりするんだけど。もちろん、親には内緒。
 両親の郷里であるこの街は年に何度か訪れるだけの場所で、全然親しみが湧かない。まあ、今時のこと。ファーストフードもCDショップも品揃えに差があるモノの日常生活に困るほどのこともない。TVだって映るチャンネルがかえって多いぐらいだ。友達だってできた。
 でも、この街のことは何にも知らない。「ツイン・ビル」が数年前にそれまでの古ぼけた2階建ての市役所に変わって建設されたことは知っていても、「秘密」…って?
「僕はあの建物のことは自分のことのようによく分かります。何故なら、あそこは僕自身だからです。そう言っても支障がないほど、近い存在なのです。」
 真面目そうな小さな形のいい文字が並んでいる。でも、何だかその内容が変。妙にSF入っているんですけど? …もしかして、文芸部とかそう言うたぐいの人間なのかな?
「ツイン・ビルは今から15年も前に建設の計画が立ち上がりました。そうです、君が産まれる頃のことです。
 当時、まだバブルに湧いていた世の中で贅沢を極めた設計図が引かれました。融資してくれる銀行もたくさんあったし、これからのこの街の繁栄にふさわしい建物を造ろうと皆が張り切ってました。
 特別の部署が設けられて、その者たちはぞくぞくするほどの期待に胸を躍らせていたのです。夢のような立派な建物を自分たちがイメージして作り上げるのですから。」
 君が、と限定されるのがおかしいなあと思った。ここの教室は1年生と3年生が使うはずだ。不特定多数のこの席を使う人間に書かれたのであれば、「15年前に産まれた」という記述は少しおかしい。
 私はふうん、と小さく鼻を鳴らすと、頬杖を付いていた手を戻した。そして今まで開けてもいなかった筆入れからシャーペンを取り出す。
「それから、どうなったんですか?」
 途切れた文章の下に1行開けて、そう書き足した。今まで書かれていた文字に較べて丸っこい字体だなあと思った。


「ごめん、待った!?」
 慌てて駅の階段を降りてきた私を見上げるようにして、噴水のフチに腰掛けていた人が顔を上げた。短く切りそろえた前髪がつんつんしていて、ガキ大将っぽい感じだ。日に焼けた健康そうな肌に白い歯がこぼれる。彼が大好きな目を細めて笑うとき、この人はタバコを吸わない方がいいなあと思う。ヤニで歯が黄色くなるのは嫌。
「ううん、メール見たから。凄いところに引っ越したんだなあ、真帆(まほ)は。1本乗り過ごすと、15分も待つのか…」
「私もびっくりしちゃった。もう、貴彦に会えないかと思っちゃったわ〜」
 彼は手にしていた携帯をポケットに突っ込むと立ち上がった。そうするとぎゅんと身長差が生まれる。白いシャツの胸元が視線の先に来る。ちょっとどっきりするけど、嬉しい一瞬だ。
「相変わらず、オーバーな奴…」
 そう言いつつ貴彦も嬉しそうだ。肘置きに丁度いい高さの私の頭をぐりぐりと手のひらでなでてから、すっと自然な感じで肩に手を置く。
「昼飯、まだなんだろ? いつものとこに行くか…もうすいてきてるだろうし」
 今日は土曜日。授業が終わると速攻で駅に走って電車に飛び乗る…のつもりだったけど、鼻の先でドアが閉まった。ちょっと躊躇して、もう一度開いてくれたドアにどうして滑り込まなかったのかと後で後悔した。まさか、次の電車があんなに待たないと来ないなんて。
 放心状態で水色のベンチに座り込むと貴彦に携帯からメールを打った。
 貴彦は公立の高校に通っている。今年から完全週休二日制。確か入学と同時に部活に入ったものの、先輩と折り合いがあわず2週間で退部。まあ、すぐ熱くなる性格だから容易に想像が付いちゃったけど。
 だから今日だって朝から暇していた筈。ああ、本当にもう1本早い電車で来たかった。どれくらい待っていてくれたんだろう、申し訳ない。
「お前、ようやくメールが上手になったじゃん。変な変換も途中送信もしなくなったし、今日は絵文字まで使っちゃって。画面見て爆笑しちゃったよ…」
 向かい合って座るピザやさんのテーブル。二人がお気に入りの中庭に面したいつもの席。3時までの食べ放題に私の3倍ぐらいのピザをお皿に積んだ貴彦。そんなにこぼれるほど盛らなくたって、といつも言うのに。
「そこまで言うことないでしょう〜むかつくぅ〜」
 だってさ。ウチの親、中学の間は携帯を持たせてくれてなかったんだよ。今時テレカ。駅前の緑の公衆電話から電話して迎えに来て貰う人間なんて珍しかったんだから。学校の授業で一応パソコンは触っていたけど…携帯のメールって、大変なんだもん。
 友達がちゃっちゃっとやっていたから、すぐに出来ると思えば「貴彦・おはよう」と打つのに最初は15分もかかってしまった。
 それでも、携帯があって良かった。高校が別れるとは思っていたけど、まさかこんなに遠恋になるとは思わなかったよ〜。オーバーじゃないわよ、高校生で電車で1時間の距離があれば、立派に大変なの!!
「でさ」
 右手はせっせとピザを口に運びながら、もう一方の手がするするっと伸びてきて、テーブルに置いていた私の手を上からふわっと包む。ごつごつして大きな手。私の両手が入っちゃうぐらいだもん。
「今日は、これからどうする? 俺んちに来る?」
 さり気ない口調で、指先にぎゅっと力が入る。私の身体が一瞬、固まった。
「…え? あ…だって、3時半から予備校じゃないの? ここで時間を潰せばすぐだよ…」
 テーブルが間にあるんだけど。無意識に身体を引いていた。
「そうやって、逃げるなよ。サボればいいじゃん、んなもの…」
 周囲を気にした、押し殺した声がいつもよりも凄んで聞こえる。ううう、貴彦って高校に入ってから人が変わったよな…どうしたんだろ??
「駄目だよ…こっちの予備校に通うからって、土日に出てこられるようになったんだから。あそこには叔父さんが勤めているんだから、休んだら親にばれちゃう。そんなコトしたら、もう貴彦に会いに来られなくなっちゃうわ…」
 怖いような悲しいような自分でもよく分からない気持ちで、涙腺が緩む。それを見て取ったのか、貴彦の指の力がすっと抜けた。元の通りの柔らかいぬくもりに戻る。すごく、ホッとした。
「あ〜あ、もう。真帆には敵いません、…で、何だっけ? 何か話があるって言っていなかった?」
 3切れ重ねて一気に口に放り込んだピザは何を意味していたんだろう? とにかく、貴彦が話題を変えてくれたので、私はおずおずと話し出した。

「…ふうん」
 私の話を一通り聞いて。貴彦は何だかよく分からない反応をした。
「どうしたの? ミステリー大好きな貴彦だもん、もっと喜んでくれると思ったのに…」
 そんな、私の問いかけにも曖昧な顔をする。
 この前の落書き。
「それから、どうなったんですか?」
 そう書き足した私の文章ごと、次の地学の時間には消えていた。地学の授業は週に2回で火曜日の5限と金曜日の1限だ。落書きを読んだことも書き足したことも忘れていた私は、机に座った途端にぎょっとした。
 机の左端にずらずらっと新しい落書きが書かれていたのだ。1時間目の授業はホームルームが終わって、移動してくるので時間が押している。先生がイライラしながら生徒の着席を待っている。ぎゅうぎゅう詰めの机の間を身体を横にして通り抜け、どうにか一番奥の自分の場所までたどり着いた。
 座る前にふっと窓の外を見る。キラキラとまぶしい日差しに「ツイン・ビル」が反射して輝いていた。
 教科書を開く音が教室中に響いて、授業が始まる。私も一応、指定の頁を開いてルーズリーフを一枚出したが、心はもう落書きに向いていた。
「新庁舎の建設。
 そのプロジェクトには新採の職員も一人配置されました。地元農業高校の建築科を出た後、大学に進んで卒業したばかりの若者で、メンバーの中でもひときわ張り切っていました。彼の斬新なアイディアも随所に散りばめ、建設の青写真が作成され…企業の入札が行われて建築が開始されました。
 この入札に際しては一度、談合の疑いがあり、日程が延びています。このことは全国にニュースでも取り上げられた程です。市役所側は一度出した数字を取り下げて、新たに金額を設定しました。建設に携わるいくつかの企業が決まり、基礎工事が始まりました。10年ほど前のことです」
 お役所のやることに対しての談合疑惑などはまあ、お約束だろう。でも、私にとっては子供の頃の話だ、全然記憶にもなかった。
「水道管やガス管が地下に埋め込まれ、コンクリートが流されて、一応基礎が完成した頃…市役所に当てて怪文書が届きました。『建築を中止しろ、さもないと大変なことになるぞ』と言う内容のものでした。
 そうは言っても始まってしまったこと、そんな裏付けの取れないような曖昧なことで取りやめることは出来ません。新庁舎の建設のために立ち退きさせられた民家は20件近く…すでにそれらの家屋は取り壊されて、道路や建設地のための整備が完了していました。
 最高権限者である当時の市長は、建築を続行することにしました。それに対する反対意見もありましたが、それよりも追い風の方が強い感じでしたから。そして…運命の日が来ました。」

「…と言うところで、切れたの。その文章…」
 私は貴彦の反応が知りたくて、小首を傾げるとじっとその表情を見つめた。でも、相変わらず、変な顔をしている。
「でね、それだけじゃないのよ。もっと変なの〜」
 何もいってくれない貴彦に尚も話を続けた。

 運命の日って、何だろう…? そんなことを考えながら、次の移動教室へと向かった。
 芸術選択で音楽だ。地学室が2棟の4階で、音楽室も同じフロアにある。一度、1棟の教室まで戻るのも面倒なので2時間分の教科書を持ってきていた。音楽室に入って気付く。あれ? 筆入れがない。
 地学室に忘れたんだろうと思って戻ると、もう次の授業の子たちが来ていた。
「あれえ、朋子ちゃん…」
 私の使っていた席に、同じ美化委員会の朋子ちゃんが座っていた。
「そこ、私の席なの。同じとこに座っていたんだね…」
「やだ、じゃあ、もしかしてこれは真帆の? 誰が忘れたんだろうと思ってたところよ?」
 朋子ちゃんが笑いながら青い筆入れを手にする。ああ、良かった。やっぱりあった。
「ねえねえ、そうだ。朋子ちゃんは読んだ? 『ツイン・ビルの秘密』…」
「え? 何よ、それ…」
 やだなあ、同じ席に座っているのに。朋子ちゃんてば気付いてないの?
「ほらほら、ここにあるでしょう…」
 そう言いながら、朋子ちゃんのノートをどかしてみる。でも、次の瞬間、自分の目を疑ってしまう。

「…だって、その落書きが消えていたのよ!? それに朋子ちゃんも消してないって言うし…たった5分足らずの間にふっと消えちゃったの…ねえ、聞いてる? …貴彦?」
 あの時。
 背中を冷たいものが流れたのは事実だ。今まで何度もこの机を使った朋子ちゃんはここに何か書いてあることはなかったという。消しゴムのかすすら残ってなかった。机から浮き出てきて、吸い込まれたとしか思えない。あれ以来、ちょっと気味の悪い気持ちでいた。誰かに話して、すっきりしたかった。
 しばらく横を向いて何かを考えていた彼は、すっと向き直るとちょっと怖い目で私を見た。
「あのさ、真帆」
「…何?」
「お前さ…もしかして、自分が何を話しているか分かってない?」
「へ?」
 瞬きを何度か繰り返す。貴彦だったら、どんな風にこの続きを推理して答えてくれるだろうと思っていた。不思議なことばかりなんだもん。何なのよ? この反応は…。
「その…字の感じって、男なんだろ?」
「うん、多分。僕は、って書いてあったし。筆圧とかも強いし…それが?」
「それが、って…なあ…」
 がりがりがり。頭をかく。ご飯中にマナー違反な気もする。これは、どうにかして落ち着こうとしているときの貴彦のクセだ。
「真帆」
「はい?」
 ようやくこっちを向いてくれた貴彦に呼ばれて、思わず背筋を伸ばして返事する。
「男とメール交換…じゃないけど…そう言う感じのコトしてるって自分の彼女から言われて、どんな気持ちになるが分からないか? …お前は…」
「え…ええっ!? あの…っ?」
「この、ボケッ!!」
 ぴん、とおでこをはじかれた。でも目をぱちくりさせて見つめると、彼は困ったように笑ってる。
「離れてるってだけで、心配なんだからさ。もう少し、気遣ってくれないかな。このお嬢さんは…」
「…う。ごめん」
 そんなことまで考えてなかったもん。貴彦ってば、勘ぐりすぎだよ…。
「どこかに、真帆のことを狙ってる奴がいるんじゃないの? ちょっとミステリーっぽく演出してさ。そう言う状況だと人間は情に流されやすくなるし…」
 貴彦の長い腕がテーブルを越えて私の輪郭をとらえる。そのまま、すすっと頬から髪に指を入れて、シャギーの入った毛先まで滑っていく。ちょっと明るく色を抜いた、結構お気に入りの仕上がり。高校生っぽくなったと自分で思っていた。
「真帆はちんまいけど、結構可愛いし、ムネもあるしさ。あんまり、男を誘うんじゃないぞ〜」


 貴彦との話はそこで終わってしまって。何だか、曖昧なまんま…また、火曜日になった。気になってしまって、4限の授業の後に地学室に行ってみた。鍵が閉まっている。そうか、授業のないときは開いてないんだ。きっと私たちの午後の授業に向けて、先生がお昼休みに鍵を開けに来るんだろう。仕方なく、早めにお弁当を終わらせると再度、向かう。ガラガラガラ…誰もいない教室に私の引き戸を開ける音が大袈裟なぐらい大きく響いた。
 そのまま、まっすぐに机に行ってみる。ドキドキしながらその場所を見た。…あった。
「あのビルは、たくさんの人間の人柱で出来ているのです」
 あの、無表情な文字が並んでいる。
 思わず。ポケットの中の携帯を握りしめていた。さあああああっと、血の気が引いていく。そのまま、顔を背けたのに、次の言葉が目に入ってしまった。
「僕も、その一人ですよ」

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