「おはよ〜ございます」 あくびをかみ殺しながら、ダイニングに入っていく。 今朝は珍しく早起きした。夏期講習は午後の部だったし、その後、深夜まで集中講座もある。いくら現役高校生、まだ伸び盛りの17歳とはいえ、このハードスケジュールの中で少しバテている。
今までは熟年お手伝いさん「幸さん」がこの家の主である学園理事長・東城政哉、その息子で学園の副理事長の惣哉、そして居候の自分・朔也用にそれぞれの好みに合わせた朝食を作ってくれていた。ホテルの朝食バイキングの如く、「中国粥」・「ミルクティーとクロワッサン」・「みそ汁とご飯の和食」と万国博覧会のテーブルだったのだ。 それが…今日は並んでいるのは5人分がみんな一緒。 …こんな事をする人間は一人しかいない。
「あ、朔也君〜おはようございます。…今日は学校で夏期講座? 久しぶりね、制服だ〜」 …出た。 朔也は朝からどどど〜っと脱力する。 キッチンからコーヒーのポットを手にやってきたのはふわふわした明るい色のおかっぱ頭、小学生と言っても通りそうな体格。身長は150センチ…本人はあると言うのだけど、実際のところ怪しいと睨んでいる。スエット地のみかん色のスカートとベスト、中にはボーダーのTシャツを着ている。多分、まだ家着なんだろう。彼女は一応、惣哉の秘書だから、通勤着はスーツだ(しかし、これがなかなかにして…全く似合ってない)。 「ちゃんと寝た? 昨日も遅かったでしょう…どう? 勉強は進んでる?」 佐倉、千雪。ぽよぽよのひよこ頭、同級生か中等部の生徒かと思ったら、今年大学を出た本物の先生だという。恐るべき記憶力で構内ですれ違ってもきちんと生徒の顔と名前を把握している。 もともとかなり宇宙人だと思っていたが、惣哉の相手に収まってしまうあたりが…また凄い。今は夏休みで皆、この情報を知らないが、新学期になったら一体どうなってしまうんだろう…。きっと全校パニック状態だ。大体、惣哉は同窓会長の娘と婚約するんじゃなかったのか!? また、この「ちゆ先生」、良くしゃべる。現役高校生の咲夜(…一応、朔也の恋人)よりも口数が多い。こっちは連日灰色受験生だというのに…まあ、朝っぱらから「幸せの絶頂光線」発光しまくってることないだろう…?
「あ、ワイシャツは気を付けてよ。朔也君、この前もブルーベリーのジャム、付けたでしょう? ここのお家、生ジャムを使うんだもん、本当にシミが落ちないんだから」 …シミを落とすなら、速攻でクリーニング屋だ。彼女はその辺の基本的な知識が足りない。 何でも自分でどうにかしようとするから、時々、ものすごい失敗をする。 この間はごみの詰まった掃除機を自力で修理しようとしてドツボにはまった。電話をすれば馴染みの電気店から5分で修理に来るのに…お陰でこの修理の人、普通だったら5分で終わる修理に1時間半も掛かった。その上、「ちゆ先生」はその間、隣りにしゃがみ込んでああだこうだと質問している。今度こそは自分で直すんだと意気込んでいる感じだった。可哀想な電気屋さんはすっかり疲れ果て、帰りがけに幸さんに『あの人には壊れたものをいじらせないでください』と念を押してたっけ。
「ち〜ゆ先生♪」 「…なあに?」 ああ、何とも無防備な笑顔。ちょっと、いじめてやるか? 「…キスマーク、付いてる」 「え…? ちょ…ちょっと!? どこ? どこに…?」 「…朔也く〜ん…ねえ、どこなの? 今日は会議に同席するんだから、…ええ〜? スカーフで隠さなくちゃ…」 なかなか存在を確かめられず慌てふためく姿を、朔也はコーヒー片手にゆっくり観覧する。動物園のパンダだってこんなに面白くない。毎朝、天然動物園に来ている気分だ。 「…やだな〜ちゆ先生は。僕が必死に勉強してるときに、そ〜んな楽しいことしてるんだ〜? 信じられないよな〜僕なんか忙しくて、咲夜と話をする暇もないんだよ〜?」 「ねえ、ちゆ先生? 惣哉じゃ物足りないでしょ? …どう、今夜あたり、若い男に溺れてみない? たっぷり可愛がってあげるよ〜」 ばしっ!! 「あ、痛っ!!」 「…アメリカ行きのチケット…」 ドスのきいた声に恐る恐る振り返る。…ものすごく怒っている。それは確かだ。 「すぐに手配しましょうか、朔也? 君はどうにかしてここの家を追い出されたいみたいだな…」 「そ…惣哉さん…」 「あの、頭はまずいです。朔也君、今、大切なときだもの…叩くならお尻です」 …やはり、ちゆ先生はちょっとずれていると思う。さすがの惣哉も面食らっている。こいつはきっと将来、尻に敷かれるに違いない。 「…あの、千雪?」 「普通の服を着て、外から見えるところには付けてないから、安心しなさい」 「あ、な〜んだあ。慌てちゃった〜」 やはり、かなり凄い会話だと思う。金持ちの朝の食卓の話題とは到底思えない。…まあ、話題を振ったのは朔也自身なのだが。
「何だ、みんな楽しそうだなあ…私も仲間に入れてくれるかい?」 「おはようございます!! 理事長先生…今朝は紅茶とコーヒーとどっちにします?」 「千雪ちゃん…(いつの間にかこういう風に呼んでいるらしい)、 駄目だよ…『お父様v』と呼んでくれなくちゃ…パパは哀しいぞ」 …息子が息子なら、父親も父親だ。ダイニングの席だって、さっさと千雪の隣りを陣取っている。先日は自分の秘書の野崎さんと千雪をトレードしようと惣哉に持ちかけ、即答で却下されていた。千雪がこの屋敷にやってきて一番喜んでいるのは政哉に違いない。 「だって〜理事長先生は、まだお父様じゃないです…」 「お、そうか…だったら…やや、今日は大安吉日じゃないか!(…おもむろに手帳を取り出す) 惣哉、私が許可する! 午前中、年休を取って、区役所に行きなさい! 私は早く『お父様v』と呼ばれたい…」 「…父上、午前中は保護者会との会合があります。一体何を考えているんですか!?」 「…だって…大安吉日…それに…千雪ちゃんが生んだ孫の顔も早く見たい…」 惣哉は大きくため息を付いた。 「ほらほら、みなさ〜ん…突っ立って何してるんですか!? 早くお席について召し上がってください! 朝ご飯は生活の基本、ですよ」 キッチンから最後のお皿を運んできて、スペシャルお手伝いさん、幸さんが声高らかに叫んだ。
…朝は和食がいい。朔也は今でもそう思っている。でもそれは千雪のひとことで「日替わりで」みんなの好みの食事を繰り返すことになった。 「…毎朝、こんなに色々作ったら、幸さんが大変です! 男の方はおさんどんをする女性の気持ちを分からなくちゃなりませんよ!! それに同じ食事をみんなで食べるのがコミニケーションです!家庭生活円満の第一歩! 更に家庭は社会の最小単位!! 今叫ばれている世界平和も、家庭の安定から生まれるものなんです!!」 ちょっと話が飛躍しすぎの気もしたが、この家の主の政哉を始め、一同は千雪びいきだ。 …まあ、明日は和食だからいいか。惣哉は実は納豆が苦手で、しかし千雪は毎回「オクラ納豆」を作る。それを凄く哀しそうな顔をして必死に食べるのを見るのが楽しみだ。今度はゴーヤ・チャンプルーも作ってみればと言ってみようか。確か、あれも苦手だったはずだ。 ふと顔を上げると、政哉が奇妙な顔をしながらヨーグルトの中から星形キウィを引きずり出している。…今日は缶詰チェリーが乗ってなかっただけマシか。 「…朔也、勉強の方はどうかね?」 「芳しくありませんね…やはり数学で分野によっては苦手なところがあって…」 「…惣哉の教え方が悪いんだよ〜」 「僕、惣哉より…ちゆ先生の方がいいな〜問題がきちんと解けたら、ほっぺにチューしてくれるんでしょう?」 「…しません!!」 「あ、それもいいかも知れない…その代わり、解けなかったら課題を5倍にしよう…」 「え? …いいの!?」 「…同じ問題を2人で解いて…早く解けた方が勝ち、っていうのでいいんじゃない?」 「…お、おい…惣哉。いくら何でも千雪ちゃんを借金のカタに(かなりたとえが間違っている)…ちょっと可哀想じゃないのか?」 「ご心配なく、父上…」 「千雪の、大学時代の専攻科目をお忘れになりましたか?」 「…ああ、そうか」 2人の間で何やら話が通じたらしく、父子で穏やかに笑い合っている。 「あの〜おじさん、惣哉…?」 「あのな、朔也…千雪ちゃんは学園では小学校の先生だったから知らなかっただろうけど…彼女、中学と高校の教員免許は理系なんだよ」 「…は?」 「…あの〜」 「実は…数学と、物理なんです…」 「…嘘」 「国語の読解とか…駄目なんです〜、小説も長いと眠くなっちゃうから『我が輩は猫である』すら挫折しちゃって…」 「丸暗記は得意なんです〜関連づけて覚えちゃうの。でもお話を追っていったりするのは…」 …だからか。彼女がどこかぶっ飛んでると思ったら、実は理系特有の浮世離れだったのだ。まあ、理系の人間が全て「お星様キウィ」を作るかというと…それは大いなる誤解だが。 …と言うことは…もしや。 「やっぱりいい…数学は惣哉が教えて…」 「男がそうコロコロ、自分の意志を変えるのは良くないね…。朔也、ここは千雪ちゃんのチューを目指して頑張りなさい…」 「えええ〜〜〜!!!」 非情な政哉の一声。 自らが掘った墓穴とはいえ、まんまとはめられた感じだ。ふと見ると惣哉と千雪は何やら楽しそうに2人の世界に入って話をしているじゃないか! 一体朝から何、いちゃついているんだ…。 「あらあら、朔也様…」 「そんなにチューが欲しいんなら…私が差し上げますよ、いくらでも…」
…高校を卒業したら、絶対にこの家を出てやる!! そう思う。 しかし…彼の志望する東京近郊の大学全てはこの屋敷から通学圏内にある。しかも一籐木グループ本社もそう遠くない。もしかしたら…ものすごい家にやっかいになることになったのかも知れないと、今更ながら死ぬほど後悔する朔也であった。
「…はい! 朔也君、お弁当だよ〜」 「…ちゆ先生」 「今日は普通の中身なんでしょうね…?」 「え?」 きょとんとしたボケボケの顔。これに化かされてはいけない。この間の弁当は開けたら「必勝祈願」と海苔でご飯の上に書かれていた。その前は「祈・合格」、またその前は「苦あれば楽あり」はたまた「後は野となれ、山となれ」(これが一番意味不明だった)。 「ふふふ、内緒だよ。お昼を楽しみにね!」 …楽しくない。気になって勉強が手に付かないだろうが! 「あ、そうそう、朔也君…」 「合格したら、どど〜んとお祝いしようね…私、今ね、設計図書いてるの〜」 「…は?」 「こーんな大きな大漁船にね、朔也君乗せて、隅田川くだりって良くない?」 …良くない。ついでに千雪の設計では絶対に浮かばないと見た。
空調の効いた屋内から、外に出る。日差しが照りつけてくる。 朔也は何だかどっぷりと疲れている。それでも咲夜を迎えに行くべく、ガレージからマウンテンバイクを出した。
終わり(020213) ◇あとがきみたいに◇
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