TopNovel「並木通りのシンデレラ」扉>千雪さんのお買い物



…番外編「千雪さんのお買い物」…

…NONNON様、20000hitのキリ番リクエストありがとうございました…

 

「うむ〜〜〜」

 シックな色彩で彩られた大海原。…あ、実際にはそうじゃないんだけど、少なくとも彼女にはそう見えた。

 確かに。ここは新幹線の駅を降りてから、数分も歩いていない場所な筈だ。それなのにどうしたことだろう。天井が異常に高く遠く感じるのは自分の身長が人並みよりずっと低いとか、そう言う問題じゃない(…と、思いたい)。向こうが見えないぐらい奥行きがあるというのもオーバーな形容ではない筈だ(多分)。
「大手スーパー」ではなく、デパートあるいは百貨店という場所に足を踏み入れてしまった彼女はその場違いな空気にすっかり飲まれていた。ひよこみたいなおかっぱ頭を震わせる。

 アイスブルーのスーツ。柔らかいカッティングのまあるい襟の上着にプリーツのスカート。真夏であってスーツの下は襟なしの半袖ブラウスだが、襟元にはスーツと色を揃えた細めのスカーフを綺麗に結んでいる。足元はスーツと同系色のブルー地に白い縁取りのパンプス。はっきり言って服が歩いている。いまいち、七五三ファッションであるのは否定できないが、まあ似合っていないこともない。

 

 服に合わせてスカーフや靴を替えるなんて以前の自分には想像も出来なかったことだ。靴は黒と白。それで大抵の服に合わせる。そう言うもんだと思っていた。だからこの服を仕立てて貰ったときに、一緒に靴とスカーフとブラウスを購入すると言われて唖然とした。そう言い放った人が、当然のようにカードケースから何やらキンキラのカードを取り出したときはもっとびっくりした。そう言う行為を受け入れてしまう自分が少し口惜しい。でも、彼はしれっとした感じで言う。

「君は、僕の秘書なんだからね。きちんとした格好をしていないと、僕だけでなく学園の恥にもなりかねない。そこを承知して貰わないと…それに」

 戻りの車の中で。ドライブがてらと気持ちのいい郊外まで足を伸ばしていた。安全運転が信条の筈の彼が、ふっとハンドルから左手を離すと彼女の膝の上に置かれた手を握りしめた。

「君は…単なる秘書、と言うだけではないでしょう? …千雪?」

 思わず顔を上げて、声の主を見た。

 運転中で視線は前を向いたまま。助手席の彼女…千雪からはその綺麗な横顔のラインしか見えない。口元にはいつものように淡く笑みを浮かべて。柔らかい髪に控えめな縁取りの眼鏡。プライベートだからとワンピース姿でいる自分に対して、仕事中のようにきちんとスーツを着込んでいる人。ベージュの優しい色に、中からブラウンのワイシャツとクリーム色のネクタイ。スーツは無地だが、よくよく間近で見れば何とも形容のし難い変わり織りになっていて、それだけで高級感が漂う。もちろんコレも中に着たシャツもオーダーだ。

 服を自分の身体に合わせて作るなんて、信じられないことだった。きついのとかぶかぶかのに自分が身体を合わせるのかと思っていたのに。包み込むように無理のない、しかも自分が綺麗に見える服があるなんて。

「違うの…?」
 何も答えない千雪に対して、彼はさらに言葉を重ねる。重ねられた手の指が自分の指に絡んできて、さらに深く触れ合う。それだけで全てが支配された気分になる。

「え…でも」
 気恥ずかしくて、真っ赤になって俯いてしまう。男の人なのに触りたくなるぐらいすべすべと綺麗な手の甲が目の前にある。

「君は僕の物だからね。たとえ君がどう思おうと、一生手放すつもりはないから…それを叶えるためにならどんな手段を使っても君を僕の元に縛り付けてみせるよ」

 柔らかい口調で、恐ろしいことを言う。コレがベッドルームでの一幕ならそれでも納得できる(まあ、ものすごい言葉なのは時と場所を移しても変わりない)、でもここは昼下がりの車の中で…窓の外は緑の溢れる山間の道。キラキラと陽ざしに輝く湖。ゆったりとその湖畔を滑っていく国産高級車。

「そ、惣哉さん…私…」

「それ以上は、言わないの」
 言葉は優しいが、きっぱりと言い放ってこちらの言いたいことを制する。有無を言わせぬ一撃。

「僕は千雪を一番近い場所に置く。誰が何と言おうとね…」

 車が道の端に寄って静かに止まる。惣哉がこちらを振り向いたのが感じられた。でも、その視線を受けることは出来ない。きっと飲まれてしまう。するりと逃れるように、窓の外を見る。湖面に輝く光の揺らめきが心の中に静かな波を起こす。自分たちの間に深くて重いものがたくさんあるのを千雪は知っていた。それは惣哉の側から、自分の側から注ぎ込んでくる。溝は深くなるばかりな気がする。

 

「馬鹿な子だね、あんたは」
 昨日、受話器の向こうで叔母が呆れ声で言うのを黙って聞いていた。

「そんな話、おとぎ話だってあり得ないよ。騙されているんだよ、真に受けちゃ馬鹿を見る。早く目を覚ましなさい、戻っておいで」

「叔母さん、でも…私」
 自分のことを考えてくれているのはよく分かる。でも、だからといって同意するわけには行かない。自分の部屋に引かれた電話で誰にも聞かれてないとは知りながら、ついつい声を潜めてしまう。

「まあね、ちゆちゃんも大人なんだから。自分のことは自分で決めたらいいよ。でも私は分かる、あんたはそこにいちゃ、駄目だよ」

 痴呆の症状が進む父親を面倒見てくれている叔母。彼女が何を望んでいるのが分かっていた。彼女の息子である従兄と結婚して家業を継いで欲しい、面と向かって言われたことはないがそれは言葉の端々から容易に感じ取れた。

 惣哉は自分の身内に会いたがっている。忙しい仕事の合間をぬって、自分の故郷である街まで行って叔母夫婦に会いたいと。会って…結婚の承諾を貰いたいと。それを叔母はかたくなに拒んでいる。

 

「千雪…」

 ふんわりと背中が暖かくなる。エアコンから吹き出してくる冷気。それが半袖から出た腕に直接当たる。叔母に何と言われようと自分の気持ちは後戻りできないところまで来てしまっていると思う。全てを投げ出してしまいたい。でもそうするにはこの人と自分が違いすぎる。あまりにも大きく違いすぎる。

 

 それに、惣哉の方だって。例の婚約者とのゴタゴタが片づいていないのだ。

 

 惣哉の家に居候するようになって早半月。そこの住人達は自分を快く受け入れてくれ、誰から見てもここの屋敷での待遇は早くも若奥様になってしまっている。惣哉の父親である学園理事長も優しい。もっとも、彼は以前から千雪のことを気に入っていて、今回のなりゆきを心より歓迎している感じだ。惣哉の母親はすでに亡くなっているが、その代わりのスペシャルお手伝いさんの幸さんがいて、彼女も両手放しで喜んでいる。それに伴い、家の使用人達も好意的に接してくれる。

 何もかもが上手くいっているような錯覚。見事なまでのからくり。

 現実とのはざまで心が少し疲れている気がした。


 

 惣哉が2泊3日の出張に出掛けると言う。

 スケジュールにはもう2月前から載っていた予定だったし、千雪自身も彼の秘書として心得ていた。惣哉が不在な時はとりあえず学園の副理事長室にいて、電話の番をしたり書類をまとめたりする。夏休み中のことなので、あまり大事に渡ることはないが、やはり上に立つ人間は多忙である。また、惣哉は一籐木グループのお嬢様である咲夜の身辺警護も任されているのだ。学園の仕事が主になってきた今では学園への送迎ぐらいしかしていないが、そのこともありそちらとの連絡も欠かせない。

 それでも、気が抜けてぽーっとしてしまう。副理事長室の自分の机の前に座って、一応パソコンを立ち上げはしたが、その画面はずっとスクリーンセーバーがくるくると回り続けているだけだった。

 実は惣哉とこういう関係になってから、一人で夜を過ごすのは初めての経験だった。改めて考えると自分でも驚いてしまうが、惣哉は一晩たりとも自分を解放してはくれない。でも、長い夜。彼の腕の中に包まれていれば余計なことを考えずにいられる。悲しいことも辛いことも忘れられる。愛だけにすがって生きられそうな気もしてくるのだ。

 

 …今夜は、色々考えちゃいそうで嫌だなあ…

 

 そんなことをぽつりと考えたとき、ふいに電話が鳴った。

「…あれ?」

 電話の表示画面には惣哉の携帯のナンバー。それを確認してから受話器を取った。

「お仕事、お疲れさまです。副理事長さん」
仕事上の声でてきぱきと対応する。受話器の向こうから、ふふっと苦笑いが聞こえてきた。

「もう、会議が終了するお時間ですね。…あの、こちらの方は…」
 時計は2時半を指していた。昼食を摂りながらの親睦を兼ねた会議が行われていた筈だ。この後、夜までいくつかの面会が入っている。その場所と時間は前もって伝えてあるので心配ない。今のところ変更の連絡もなかった。千雪は机の上にまとめてあった今日の分の電話の伝言メモを手にした。

「…千雪」
 笑いながら、かろうじて声を出した感じ。ふふっと息が受話器からこぼれてくる。

「副理事長さん、勤務中はきちんと…」
 どうして、この人はいつもこうなの? 精一杯冷たいいい方をして、たしなめる。

「ううん、『千雪くん』ではなくて、『千雪』に頼みたいことがあるんだけど…」
 くすくす笑いが止まらない。そんなに小馬鹿にしなくたっていいのに。自分としては必死で秘書の仕事をこなしているつもりだから口惜しい。思わず、唇を噛んだ。

「何でしょうか?」
 言葉を崩すことなく受け答えするのが、ささやかな反抗だ。

「今朝、急いで出てきたから。部屋の机の上に書類を忘れて来ちゃったんだ。明日の午前中の会議で使用するもので機密文書だから控えもないそうで。今夜のうちにもう一度目を通したいから、今から持ってきてくれないかな?」

「お、大阪までですか?」

 今回の出張先は大阪市内だった。駅の近くのホテルに宿泊しているはずだ。その手配も自分がしたのだから。

「ついでに青のスーツも持ってきて。右から3番目の奴を。自宅に行って僕のプライベートルームに入って、書類や服を用意するのは普通の秘書じゃ出来ないでしょう?」

「…まあ、それは…」
 スーツの所在だけではない。惣哉の背中、右肩甲骨の下の辺りに小さなほくろがあることだって知っている。

「これから来れば…東京駅まで1時間と考えても、7時前には着くよね? 僕は8時に仕事が終わるから、食事でもしようよ。泊まる支度をしておいで」

「え?」
 戻るんじゃないのか、トンボ帰りで。だって、自分が大阪に行っちゃったら、どうするのよ、こっちは。

「そんなこと。理事長秘書の野崎さんに電話の子機を渡してお願いしなさい。君が来るまでは彼女が父と僕と2人分の秘書をしてくれていたんだから、何てことないよ。父にも僕から連絡しておくから」

「はあ」

「荷物が多いんだから、東京駅までは電車じゃなくて送って貰いなさい。園田さんに頼んで」
 惣哉は理事長である自分の父親の専属運転手の名を出した。

「え? そんな…申し訳ないです!! 大丈夫ですよ、私は力持ちですから、電車乗り継いで行けます!!」
 慌てて言い返す。もう、どうして、この思考回路。付いていけない。

「千雪…」
 楽しくて仕方ない、と言うような声。てのひらの中に自分の全てが包み込まれている気がする。

「僕のスーツと自分のバッグを抱えて駅の階段を上っている君を想像しただけで痛ましいよ。園田さんに送って貰うのは僕の荷物で君はおまけとして便乗しなさい」

 さすがにこの言い方には引っかかる物があったが、仕方ない。渋々承諾した。

 

 


 駅を出てすぐのホテル。誰でも知っているとても有名な全国チェーンの一流ホテル。あ、全国、と言うのは少し違うか。確か海外にもあるんだ。

「はい、承っております。東城様でいらっしゃいますね?」
 フロントで惣哉の名を告げると綺麗なお姉さんがてきぱきと対応してくれた。

「御部屋は最上階、33階でございます…あの、東城様より伝言のメモを預かっておりますが」
 クリップで留められていた二つ折りのメモをはがして、こちらに渡してくる。爪が綺麗なピンク色。濃すぎず、控えめなマニキュア。それだけでドキドキする。

「はい…」
 両手に抱えて持っていた荷物を下に置いて。と思ったら、傍らにいたボーイさんが床に着く前にささっと受け取る。忍者みたい。

 広げたメモを見て、千雪はぎょっとした。

 


「ええと、多分…ここでいいのよねえ…」

 数十分後。千雪は取るもとりあえず荷物をフロントに預けて、ここにやってきた。ショルダーバッグに貴重品だけ持って。

 仰々しいほどのエントランスを抜けて、どこまで行ったら売り場に着くんだろうと言う感じで歩いて。1階はまあ、お決まりに簡単なアクセサリーとお財布とハンカチと、と言った感じ。エレベーター脇の案内図で売り場を確認する。紳士服売り場…だよなあ、ええと、6階。ここかなあ。だろうな、他に紳士物を売っている場所もない感じだもの。

 すっと目の前で開いたエレベーターは辞めて、案内表示を見ながらエスカレーターに向かう。上りと下りが一箇所に集まった贅沢な造り。その流れを必死で確認して上に向かっている物に足をかけた。婦人服売り場、デザイナーズコレクションのフロア、子供衣料…硝子張りの壁から様々な売り場をぼーっと見る。とてつもなく場違いな場所に来ている気がする。

 この間、自分と入れ違いに産休に入っていた小宮先生の出産祝いの購入を頼まれて近所のデパートまで行った。普段足を踏み入れたことのない子供服のフロア。その中でも一段と華やかで可愛らしいベビー用品のコーナー。お金を包んでもいい気がしたが、友達もまだまだ独身でこう言う機会でもないと赤ちゃんの服なんて見られない。ウキウキしながら眺めていたが、ふと手にした帽子のプライスタグに唖然とする。デニムの何てことのない帽子が5800円。しかも頭回り48センチ。一体いつ頃まで被れるんだろう? セーラーカラーのブラウスにカバーオールとくつしたで15000円。嘘でしょ? 夏物だよ? バーゲンはしないの? 赤札も付いてない。

 頭の中にぎゅうぎゅう詰めのクエスチョンマークを増殖させて、東城家の屋敷に戻った頃にはげっそりとしていた。

 

 そして、今足を踏み入れた紳士服売り場にしたって同様だ。

 千雪の父親は母親と離婚したあとも自分の服は自分で揃えていた。だから千雪は紳士物の買い物とは縁のない生活をしていたのだ。スーパーの紳士物売り場だって素通り、それがいきなりデビューが超有名百貨店の馬鹿広いフロア。ショーケースの中に宝石のように飾られたネクタイにハンカチ。スーツはそんなになくて、壁際に布見本がずららっと並んでいる。そう、寸法を測ってオーダーするのだ。ワイシャツも同様の場所がある。そこに書かれた値段も千雪の頭の中の数字よりゼロが二つも多い気がする。そう言えば、今自分が身に付けているスーツだって一体いくらするのか知らない。金のカードで惣哉が買ってしまうから。その支払いの心配をしたこともない。

 靴下。え、靴下が何で2000円もするの? 5足で1万円?? 何なのよ!! 5万円のポロシャツ、7万円のベスト。横目で見ながらずんずんと奥に行く。途中からは意識して値段を見るのを辞めた。それだけで気分が悪くなりそうだ。

 それでも、ギフトのコーナーで素敵な小銭入れを見つけた。惣哉に似合いそうだ。でもコレがまた、素晴らしいお値段。千雪の給料の2倍近い。何なんだ、どういうことなの。スーパーで2980円で売っている物とどこが違うんだろう。すり替えたら何人の人が気付くだろうか。

 よろよろと足取りも重く、ようやく目的地にたどり着いた。


『慌てていて下着を持ってくるのを忘れていました。買っておいてください、サイズはLでいいです』

 どうしてくれようかと思った。何でそう言うことを、電話で話したときに言ってくれなかったんだ。惣哉のクローゼットに行ったのに、それくらい引き出しから出せばすぐだったのに。今になって言い出さないでよ!

 紳士物の下着なんてまじまじと見たこともなかった。父親の洗濯物は見ていたが、父はいわゆるグンゼのアレである。しかも色は白。シャツもズボン下もそれ。男の人はそんなもんだと思っていた。

 トランクス、と言うものを認識したのは前の彼との行為の現場である。いきなり派手な柄の下着姿が現れて、初めての恥じらいも吹き飛んでしまった。今でもその柄を思い出せる自分が悲しい。自分の勝負下着の方はどんなだったかすっかり忘れているというのに。

 

 …さて。

 

 大きく深呼吸する。面倒なことはさっさと済ませてしまおう。色とりどりの商品は綺麗にラッピングされている。サイズと形を示したシールが貼られて。とにかく恥ずかしくて、もう値段なんて気にならない。ハンカチは恥ずかしくないけど、同じくらいの大きさのこっちは滅茶苦茶恥ずかしい。透明な棚や引き出しをあちこち開ける。よく考えたら、下着なんて、人に見せる物じゃない。だから柄なんてどうでもいいんだ。それにこんなに恥ずかしい思いをさせて買い物させて、文句なんて言わせない。何度も何度も自分に言い聞かせると段々気分が落ち着いて集中してきた。

 あちらのカウンターの中では綺麗なお姉さんがこちらを見ている。でも近寄ってこない。まさかとは思うけど…怪しい高校生だとは思われてないだろうな。きちんとスーツだし、メイクもしているし。

 あ、これ。いいかも知れない。Lサイズと前開きであることを確認して、3つの商品を手にした。

 

 


「…千雪!」
 日の落ちた町並み。でもネオンの輝きでまぶしいぐらい。体力と精神力を使い果たして、ボロボロになってホテルの入り口まで戻ると。長身の惣哉がその前でニコニコ笑いながら待っていった。

「そ、惣哉さんっっ!!」

「やあ、少し早めに終わったから。入れ違いになっても行けないし…ここで待っていた」

「…え!?」

 何ですって!? だったらどうして携帯に電話くれなかったの? そうしたら私は恥ずかしい思いをして下着売り場を徘徊することもなかったのに!!

 思いっきり恨みがましい視線で見上げると、惣哉は相変わらすゆったりと微笑みつつトランクスとデザイナーズブランドのTシャツの入った百貨店の手提げ袋を受け取った。

「どうもありがとう、助かったよ」
 そう言われてしまうと、言い返せなくなってしまう。この人には何でも許してしまいたくなる部分があって、いつも丸め込まれてしまう。

「とりあえず。荷物も部屋に運ばせたから…ちょっと休む?」
 ちょっとだけネクタイを緩める仕草。

 おなかもすいていたが、それよりも疲れの方が上だ。千雪はその言葉に素直に従った。

 

 


「…わああ、すごい…!!」

 外に面した壁の一面が硝子張り。レースのカーテンを開くと足元の遙か下は光の洪水だった。夜のとばりの中に沈んだシャボン玉みたいに浮いている光の粒。動いているのは車のライトだろうか? 電車が移動するのも光の帯のように見える。向こうには大阪湾。

 …ドキドキして、見入ってしまう。意識して後ろは見ないようにした。

 想像していたけど。部屋はやはり一緒で。いいんだけど恋人同士なんだし…いいんだけど。この部屋は一体何??

 入り口を入って右手の奥にベッドルームが見えた。そして目の前が洗面所とトイレとバスルーム。シャワールームなんてしけた物じゃない。二人で入っても十分すぎる広さ。バスタブだって泳げちゃうぐらい広い(いささか誇張表現)。タオルがぞくぞくするぐらい手触りがいいのは洗面台で手を洗ったときに分かった。二人で使い切れない量の石鹸やらシャンプーやら…ひげ剃りから、女性用の髪のゴム、ヘアピンに至るまで。至れりつくせり、とはこのことか。

 で…? ベッドルームがあるのに…どうして畳の寝室まであるの?きちんと布団が二組引いてある。床の間には綺麗に花が活けられて、ほんのりと蜂蜜色のコーナーライトが浮かび上がる。リビングは表に面して横に広がっていて。右手の奥に大きめのテーブルと椅子。手前の方に座り心地の良さそうな応接セット。6人ぐらい座れそう。小さめのキッチンには電磁調理器まで付いている。冷蔵庫には飲み物とデザート、おつまみが一通り。あちこち開けて見てしまう千雪を惣哉が後ろで面白そうに笑った。

 ああ、コレがいわゆるロイヤルスイート? でも…私が頼んだのは普通のツインルームだったんですが。それでも一人で泊まるのにどうしてツインなんだと思った。でも惣哉さんがそう言うから。

 何もかもに疲れてしまった千雪の背後で惣哉はせっせとスーツをクローゼットに下げていく。ふと見ると…あれ? 今着てる上着も脱いでネクタイ外して…?

「…千雪も、スーツがシワになる前に脱ぎなさい」
 さらりと言う。

「え? だって、これから夕ご飯を食べに行くんでしょう? 着替えちゃったら困りますよ?」

 ホテルのレストランだったら正装しなくちゃ。そう思ったからこの暑い盛りにこうしてスーツで来たんじゃないか…まあ、普通にワンピースを着ていると高校生に間違えられて色々と支障が出るわけだが。きっとさっきのフロントでも「お父さんかお母さんは?」と聞かれてしまうんだ、それは23歳の自分として許せない。

「いいじゃない、食事はレストランから運ばせてここでとろうよ。だったらガウン姿だって食べられるよ、気兼ねもないし…」

「は…?」
 そんなことをしていいのだろうか? 惣哉はさっさとシャワーを浴びる準備。

「あれえ…どうして、パジャマなんて持ってきたの?」
 千雪のバッグを覗き込む。

「あ、駄目! 人の荷物を見ないでください!! …だって、惣哉さんが泊まる支度って…」
 慌てていたから下着だってそのまんま入っているんだから。中を見られたら恥ずかしい。いや、いつも見られているんだけど、下着姿…でも恥ずかしい。意識の問題だ。

 ロイヤルスイートのフカフカのソファーの上。ぎゅうっとカバンを抱きかかえた千雪を見て、Tシャツ姿の惣哉が楽しそうに笑う。

「何? ホテルにはちゃんとバスローブやナイトガウンがあるんだから必要ないよ? それとも…そんな物着る暇があるとでも思ってたの? 大体、僕は千雪のパジャマ姿って今まで見たことないよ?」
 背後からすり寄られて耳元で囁く。やだ、どうにかしてよ! この人…。

 千雪はカーッと顔に血液が登っていく気がした。そして、ふと気付く。

「…そ、惣哉さん?」

「何?」
 自分の荷物をごそごそしながら、返事する。

「もしかして…あの、書類とか。下着とか…みんなみんな…最初から、計算してませんでした!?」

「そんな風に考えてるの?」
 そう言いつつ、惣哉の荷物からぱっと現れるTシャツとトランクス。

「……っ!!!」
 千雪は声にならない叫び声を上げていた。その表情をなぞるように惣哉の瞳が移動する。包み込むように、優しく。

「だって、最初から大阪に一緒に行こうって言ったら。千雪は断ると思ったし」

「…惣哉さんっ!!」
 真っ赤になって叫ぶ。全く、何て人なの!!

「ひどいですっ!! こんな回りくどいことっ…」

「でもさ…」
 すすっと背後に回って。きゅうっと抱きしめられる。首筋に吐息がかかってぞくぞくする。

「たまには、こんな風に千雪とふたりっきりでゆっくりと過ごしたかったんだ…」

「…惣哉さん…」

 胸がきゅんとする。そりゃ、そうか。ベッドルームではさすがに二人だけだけど、東城の家では何かと邪魔者が多い。ふたりっきりで食事も出来ないし、ベッドで朝ご飯なんてもってのほか。きちんと身支度を整えて食卓に着く。そんな風に考えていたんだ、何だか嬉しくて…切ない気分。

「…で、一緒にシャワー浴びない? 隅々まで綺麗に洗ってあげるから…いつもやりたかったけど、部屋のバスルームの隣りは朔也の部屋だから、一応自粛していたんだよな」

「…結構です!! お一人でどうぞっ!!」
 悪ふざけが過ぎる!! ぱっと身を剥がす。

「それに…!! 惣哉さんっ!?」
 千雪は必死で叫んだ。

「私、すっごく恥ずかしい思いをして…ようやく買ってきたんですよ? 下着。責任とって、それを着てください…そうしなかったら許さないから…」

「…許さないって?」
 楽しそうに聞き返してくる。

「このまま、パジャマを着て寝ます!!」

「はいはい…」
 目は笑いながら、惣哉はさっきの紙袋をがさがさとした。

「…え?」
 思わず、動きが止まる。

 トイレットペーパーの芯が一回りぐらい大きくなった円筒形の透明なケースにラッピングされたトランクスが3つ。

「ちょっと、何? コレ…」

 

 迷彩柄の中のスヌーピー・渦巻き柄の中のトトロ・ペイズリーの中のニョロニョロ。

 

「可愛いですね〜男の人の下着って。楽しいです、他にもムーミンとか、ミッキーとか、ドナルドとか…ウルトラマンやバルタン星人もいましたけど…そっちの方が良かったでしょうか?」

「…どうしても、これはくの? 朔也にあげちゃ、駄目?」

「パジャマ着て、寝ちゃいますよ? ベッドルームは鍵が中から掛かりますから。惣哉さんは和室でどうぞ!」

「…千雪〜!!」

 

 …で。結局のとこ。惣哉がどれを選んだのかはご想像にお任せするとして。大阪の夜は静かに更けていくのであった。


 

 

終わり(20020528)

 

 

 

 

◇あとがきらしいです◇

はあ、楽しかった。下着ネタ。もちろん、最後のくだりをはじめに考えたのは言うまでもありません。男性の下着姿、やっぱ恥ずかしいんですけど。知り合いが結婚したとき。その人はお父さんが早くになくなっていて、弟はいたけど小さくて。男っ気のない感じの家にいたらしいんです。いきなり嫁ぎ先で…お舅さんと、ダンナとその弟2人がトランクス1枚でどかどかと家の中を徘徊していて、どうしようかと思ったとか(笑)。すごい家に来ちゃった、帰ろうかしらと考えたと言うから下着問題は結構深刻。私も気付いたら弟の下着が変わっていたのにはびっくりしたなあ。

今回、大阪と地名を出しちゃったので。ネットで駅の周辺を調べ、ホテルのサイトを見て一通り調べて書きました。何でも分かるネット。でもあんまりにおかしかったら訂正しますので大阪在住の方、ちょっとフォローをお願いします(え!?)。

コレを受けて、「並木通り」も完結編に突入です。それほど長くはならないと思うんですが、私のことですから。アンケートで人気があったから…「さかな」とどちらを先にしようか悩んでます。え? 同時に書けって? それもアリか…。

最後になりましたが、このような機会を与えてくださったNONNONさん、本当にありがとうございました。キリ番踏んでくださって申告を下さるのはやっぱうれしいです♪ お待たせして申し訳ございませんでした。今後ともよろしくです!

 

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