ぽかぽか。 うららかな日差しが斜め上空から注ぎ込んでくる。 王宮の一室。とは言ってもさほどの広さもない。 そんな夢の中では。 「お待ちしておりましたわ。我が王、愛しいあなた」 彼女の流れる黄金の髪はさらさらと音を立てて、そのたびに光沢の輝きが変化する。ふわふわと踊るような足取り。蝶の羽のように広がる羽毛の如く軽く優美な衣。 「これからは……いつまでもお側に置いてくださいませね」 この上なく都合のいい、ありがちな夢である。 ひゅん。 小さな竜巻が起こる。 「この〜馬鹿兄上!! いい加減に起きないと太陽の神にお仕置きされるんだから!!」 ベッドの中の王子と同じ漆黒の髪の少女が呆れた顔で、情けない姿の兄を見下ろしている。彼女が叫んだところで目覚める様な兄ではない。そんなに簡単に起こせるなら、新入りの侍女でも出来る。わざわざ妹君が登場するのはそれだけの意味があるのである。 「お父上が、お呼びですよ〜!!」 そう叫んで、一呼吸。彼女はおもむろに両手を高く振り上げた。 ごおん、とひときわ大きな竜巻がベッドの上に現れて、トリィの抱きしめていた毛布を吹き飛ばす。それでも効果がないので、ついでに兄君自らも飛ばしてやった。 どさり。 一瞬浮き上がった身体は、そのまま床に叩き付けられる。 「……ってえ、何なんだよ。ユリィ、人がいい気分で寝てるところを邪魔すんな!」 「邪魔すんな、じゃないでしょ? よだれを流して寝ている所を、城下の娘たちに見せてやりたいものだわ! ほおんと、兄上は顔だけが取り柄の人間なんだから。父上がさっきからお部屋でお待ちよ。馬鹿兄上に朝っぱらから付き合わされるのも楽じゃないわ〜」 「……うっせえなあ……」 聞こえるはずもないけど、捨て台詞。二日酔いの頭がガンガンする。昨日は何時まで呑んでたんだろう? 家臣であり悪友であるアルフにそそのかされて、王が禁じている酒場に毎度のことながら出入りしてしまった。 「あ〜、かったりいな〜」
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とたんに一陣の風がトリィを直撃した。とっさにマントを翻して身を避けたが、それでもものすごい風圧に足場が揺らぐほどだ。もっともそれは故意に起こしたものではなく、怒りの余りに魔法の制御が抑えきれなかったのであろう。 「トリィ、そなたは次期国王としてふさわしい気質をしっかりと身につけ、この『風の小国・ミラナ』を治めるものだ。それが……大酒をかっくらったあげくにあろうことか酒場の主人の奥方を誘惑したとは何たることか!!」 げ、そこまで話が伝わっているのか。横を見ると、昨日酒場で一緒に馬鹿騒ぎをしたアルフが笑いをこらえている。全く、いい気なもんだよ。お前だって同罪じゃないか! 「おっしゃることはもっともですが―― あれは、ほんの戯れではありませんか。別に何をしでかした訳でもないですよ」 そうじゃないか。酒場で店の女の子たちと盛り上がっていて、気分もノリノリだった。酔い覚ましにちょっと席を外したとき、すり寄ってきたのはあっちの方じゃないか。面倒くさいしどうしようかと思っているところで、かの店主がやってきて、大騒ぎと言うくだり。 「何かあったら、どうするんじゃ!! あってからじゃ遅いんじゃ!! ……まったっくもって、お前は。亡き母君に似ているのはその容姿だけ。中身はどこかに忘れてきたようだな。母君は、マリィは『風標(かぜしるべ)の国・マーディア』の悠久の姫君と歌われたお方。見目美しいだけでなくお心映えも優れたお方じゃった。それがお前は……神官学校でたたき上げようとしても魔法能力がゼロ。仕方なく剣を仕込めば、毎日、山で熊狩りをしては城下で売りさばき、その金で家臣と酒場で騒ぐ。何たる低落、情けない限りじゃ!」 国王は頭を抱えた。 彼がそう言うのも無理はない。漆黒の髪、象牙の肌にすっと鼻筋通った彫りの深い顔立ち。憂いを帯びた濃緑の瞳は見つめられて落ちない娘はいないと言われるほど。城下に轟く美少年で、アイドル的存在。そうなると本人もいい気になるのは致し方ないか。しかしながら。このままでは小国とはいえ、この国の行く末が危ぶまれる。 「父上にはいつまでもお元気でいていただかなくてはなりません。ですからふがいない私のことなどにお気を煩わせず、心ゆくまで政務に没頭してください。さすれば私は――」 そう言うと、トリィは跪いていた姿勢からすっと立ち上がった。そろそろ熊が水場にやってくる時刻だ。そこを狙うのがポイント。今の時期の熊は一年で一番脂がのっていると言うことで驚くほど高値で取り引きされる。こんなところで油を売っている暇はない。 背後で「ほお……」と言うため息が漏れる。チラと目をやると、新入りの侍女が頬を赤らめているではないか。可愛いな、今夜はあの子を……と思ったとき、父王の一撃が飛んできた。 「この馬鹿が! まだ話はすんどらんわ!!」 「え、まだあるんですか?」 くるりと振り向くと、鷹のような金の瞳に睨み付けられた。若き頃には武道・妖術共に優れた「風の王」として諸国にその名を轟かせたこの王は、今でもその鋭さを失ってはいない。その鋭い眼差しに見つめられたら異を唱えられるものなどいないのだ。剣の腕では家臣にも敵う者がないと言われるトリィも、実は父王に勝つ自信はなかった。 「そなたは、16になったのだな」 「そうですが?」 「そろそろ、妻となる姫君を迎えて落ち着かれたらいかがかな?」 「……は?」 「恐れながら。まだまだ私など、妻を娶る甲斐性はないです。だいたい、同い年の家臣のほとんども独身ではありませんか。そう言うお話は、今しばらく……」 「しばらく、とはいかん。お前はこのまま放って置いたらどうなるかしれんからな。どうじゃ、ここはひとつ私が諸国の姫の中からお前にぴったりの姫君を選んでやろう」 早くこの場を立ち去りたかった。しかしどうしたことか身体が全く動かない。ふと床を見ると国王はトリィのマントの裾をしっかりと踏んづけていた。 横暴だ! 時代錯誤だ!! そして、熊が逃げてしまう!! 早急にこの場をどうにか取り繕わなくてはならない。ぐるぐるといつもは回したことのない思考回路を巡らして、はたと思いついた。 「父上の仰ることはごもっともです、ご命令とあれば素直に従いましょう。それでは私にもお願いがあるのですが……」 「おおお、ようやくその気になってくれたか。父は嬉しいぞ! 良い、何なりと申せ! 聞いて進ぜよう。」 「それでは……」 「私の妻となる姫君は―― 母君の祖国『風標(かぜしるべ)の国・マーディア』から迎えては頂けませんか? あちらの姫君は代々、見目麗しく聡明な方ばかりと聞いております。現国王にも多くの姫がいらっしゃるとか。是非ここは伯父上にお願いして頂けますか?」 刹那。広間は水を打ったように静まりかえった。 その言葉を聞いて、国王はもとよりその後ろの槍持ちや侍従、トリィの後ろに控えた家臣たち―― 部屋の隅で様子をうかがっていた侍女たちまでが、あんぐりと口を開けたまま次の言葉を言えなくなった。要するに皆があきれかえっていたのである。 「おおお、おぬしは……おぬしは自分の言葉の意味が分かっているのかね?」 「もちろんでございます」 「こちらは小国、あちらは十倍百倍もあるような大国ではないか。何事にも分相応というものがある。ここは身の程をわきまえて貰いたいものだ」 「そのように仰いますが。父君こそが、またとない生きた証人。見事に母上を射止めたのでございましょう?」 言い放つその微笑みが母君と瓜二つ。国王は言葉に詰まってしまった。彼は長いため息を付くとゆっくりと口を開く。 「承知した。ただちに使いを送ろう。しかしながら必ずとの約束は出来ないぞ。あちらの姫君の中にはすでに嫁ぎ先が決まった者も多いと聞いている」 「期待しておりますよ」
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次の朝がやってきた。またもトリィは惰眠をむさぼっている。 昨日の父王の慌てぶり!! あれは本当に面白かった。 ああ、これでまたしばらくの自由が保証された。あと数年は存分に独身貴族を楽しもう。そうだ、綺麗どころを何人か妻に迎えるのも悪くないな。正妃はどこぞの国の姫君がいいだろうが、その他の妻はおとなしやかな城下の娘がいいな。さて、どの子を口説いてみよう? そんな不謹慎なことを考えつつ、にへらにへら笑っていると―― ばうん! と毛布が舞い上がった。 「……何だよお、ユリィ。今日は一段と乱暴だなあ。もう少し、寝かせてくれよ。昨日は父上のお小言ですっかり時間が潰れてしまったんだ。いい加減にして欲しいもんだよな。ま、ユリィ。あの父上の慌てぶりはおかしかったよなあ」 思わず笑いがこみ上げてしまう。しかし、傍らの人影はカナリヤの鳴くような声で応えてはくれなかった。 「何がおかしかっだだと?」 がば! 慌てて起きあがる。―― まさか? 「え? こ、これは父上!! おはようございます!! 今日もいいお天気でなによりですねえ〜」 「トリィ、昨日お前が言ったことに一切の嘘偽りはないのだろうな?」 「はいはいっ、それはもちろんです〜」 「では、すぐに出かける支度をしなさい」 「は?」 父上は一体何を仰っているのだろう? 寝起き頭で考えてはみるが、思い当たることもない。 「国境のフォン山の麓に…姫君がお着きだそうだ」 「え?」 冗談かい? だって、父上から結婚話があったのは昨日のことではないか? どうして昨日の今日で姫君がやってくるんだよ!? 「またまた〜父君も下手な冗談で私を起こそうとして〜」 「冗談などではない。やんごとなき姫君を待たせるとは失礼この上ない、すぐに出発するのだ」 「つかぬ事をお伺いいたしますが……どうしてこんなに姫君の到着が早いんですか? よもや、私をだまそうと偽物を仕立てたんではないでしょうね!?」 そうとしか思えない! いくら何でもこれは無理だ。『風標(かぜしるべ)の国・マーディア』までは馬を飛ばしても数日かかる。 「お前は飛竜・ムトゥの存在をお忘れか? 昨日、昼頃にマーディア王のムトゥが偶然、上空を通りかかった。丁度水を頼まれたので、こちらも親書を届けて貰ったと言う訳じゃ」 そんな馬鹿な! 都合の良い漫画みたいなことがあっていいものか?? 「妻となる者を出迎えに行くのは夫の務め。家臣も連れてはならぬ、ただ一人で行くのだ。ああ、ただし馬は使ってよろしい」 そう告げた父王の表情が何だかとても楽しそうで、トリィはこの上なく不安になった。
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それは魔術が使えるか、否かと言うことである。王族には血筋的に魔術使いの者が多い。トリィの妹、ユリィ姫なども御歳12歳だが、すでに中級の魔法を習得している。そのうちに神官学校で鍛えて貰おうと父王が期待しているくらいだ。女で神官学校の門を叩く者は少ない。ふたりの母君であるマリィ姫も優れた妖術使いだったが独学であったという。そして父王も制御しないと自然に出てきてしまうほどの妖術をいとも簡単に使いこなす。 しかし、だ。 世の中にはすべからく「例外」と言うものがある。 このようなことは生まれ持ってのもので、練習したところでどうなるものでもない。父王も心得ており、トリィにはありとあらゆる武術をみっちり仕込んだ(それを熊狩りにしか発揮しないのだから、呆れかえったものであるが)。
トリィは軽快な手さばきで愛馬を乗りこなし、国境へと急いだ。手綱を取りながら自然とにやけてしまう。 本当に『風標(かぜしるべ)の国・マーディア』の姫君がいらっしゃったのだろうか? マーディアと言えば女人の美しさで抜きんでている国だ。国の財力も申し分ない。縁故を求めて求婚者が後を絶たないと聞く。 その中の姫君のお一人が、本当に、自分の妻となるべく……。 美しい姫君、と噂は多く聞いていても彼女たちのお顔を直に拝見したことはない。しかし、伝え聞く噂に寄れば年頃の姫君たちはその美しさだけではなく、それぞれがある属性の妖術を極めて免許皆伝の域に達していると聞く。 女性を前にして、自分の虜に出来ないことはない―― トリィはそう自負している。本当に馬鹿馬鹿しい自信だとは思うが、こういう人間なのだから仕方ない。 砂煙の向こうにうっすらと人影が見えてきた。思ったより、小柄だな? 遠目のせいかな? 埃よけのマントを頭からすっぽり被った人影はお付きの者も側にいずに一人きりで待っていた。 少し手前で馬から下りて、傍らの木に繋いだ。そしてゆっくりと進んでいく。 あれ? 人影に歩み寄ろうとして、トリィは一瞬動きを止めた。 しばし、その後ろ姿を覗いて考え込んだが、やがて「そうか!」と思い当たった。 この者は姫君が連れてきた幼い侍女なのだろう。考えてみればやんごとなき姫君が砂嵐の中で突っ立っていることもない。ご本人はどこかの岩場にでも目立たないように隠れて風よけをしているのだろう。 「ちょっと、そこの者。おたずねするが」 「はい?」 「お前は『風標(かぜしるべ)の国・マーディア』の者か? 私は『風の小国・ミラナ』の第一王子・トリィであるが」 「まあ、あなたが!」 「お待ちしておりましたのよ、ささ、早く出発いたしましょう!」 「え?」 「あ、あの」 「何でしょうか?」 「行くって……そちらは城下の方向じゃなくて山道だよ。君は? あの、姫君は何処にお出でなの?」 「あ……」 「ご挨拶が遅れまして申し訳ございません。……わたくしは『風標(かぜしるべ)の国・マーディア』の第五王女、ヒナと申します」
「え……?」
その後。たっぷり三分ほど、トリィは次の言葉が出なかった。 姫君? 確かに身に付けている服も素晴らしく上等だし、みめかたちも整ってはいる。だが、いかんせん子供だ。 彼が呆然としている間、対する姫君はニコニコと微笑んでいた。確かに可愛らしい、だが……。 「え……ええと君が、私の」 「そうです、ご理解頂けましたか? 私が王子の花嫁候補として参りましたの」 そう言うと、彼女はもう一度満面の笑みを浮かべた。可愛い、確かにあと数年すれば……だが、今は(くどいので反芻するのは辞めておく)。 「け、聞いたとおりですね…お脳の足りない、顔だけ王子!」 「―― え!?」 トリィの驚くのも無理はない。 「あはは、何たる間抜け顔! 姫様、こんな奴やめて、さっさと国に帰りましょうよ? すぐにでもムトゥを呼びましょう、何まだそんなに遠くは行ってませんから訳なく戻りますよ」 唯一生き物らしきもの。それは姫君の足下に横たわる大きな黒ヒョウ。これが、まさか……嘘だろ? トリィがあまりのショックに口をぱくぱくしているので、ヒナ姫はしゃがんでその黒ヒョウの背をなでながら歌うように言った。 「この子はライといいます。彼が人の言葉を操るのは当然のことですから、いちいち驚かないで下さいね? トリィ様」 「は、はあ……」 「全く、小国の荒くれ者が……だいたい身の程知らずなんですよ。本来ならばあのような書状、鼻先で笑われておしまいで当然です。ヒナ姫様が来て下さっただけで感激して、ひれ伏して貰わなくちゃ、こっちの気が済まないですね」 「う……」 「話を戻すけど。どうして、さっき君は山道に向かおうとしたの?」 「ご存じないのですか?」 「……う、うん」 「ほら、やっぱ、馬鹿だ」 「私たち『風標(かぜしるべ)の国・マーディア』の王家の姫を妻に娶る者はこのフォン山の頂上にある祠に奉られている宝剣を風の神に捧げると言う習わしがあるのです。皆様、当然の如くご存じのことと思っておりましたが」 その言葉に、トリィは目をむいた。 「だって、フォン山と言ったら人食い猛獣と妖怪と―― とにかく入ったら出てこられないと言われてる秘境じゃないか!? さすがに私も踏み入ったことがない。……あれ?」 「はい、もちろん。ミラナの王様はとても勇敢に猛獣と戦われたと聞いております。やはり愛の力は違うんですね……」 「……そんな」 聞いてないぞ!? 父上だってそんなこと、ひとことも言わなかった。伝える時間はいくらでもあったはずなのに。 ―― 謀られた!? さーっと血の気が引いた。きっと顔面蒼白、と言う感じになっているだろう。あああ、何とも漫画じみてる。 「どうしました? 早く参りましょうよ?」 ぎゅいーんと、体中の血液が逆流してくる気がする。 「い、行かないぞっ!? 何が悲しくて好きこのんで死にに行くような真似を……ああ、馬鹿馬鹿しい!! もう帰るぞ! 君もそのヒョウとふたりでとっとと国に帰れよっ! 大体なあ、美しい姫君と一緒ならいざ知らず、こんなお子様じゃやる気も何も出やしない! 大国様か何だか知らないけど! 人をコケにするのも、いい加減にしろよな!」 辺りは見渡す限りの砂原。そこら中に響き渡るような声で、思わずそう叫んでしまった。でも全くの本心だった。自分は父王にまんまとはめられたのだ。マーディアの姫君って言ったって―― これじゃあ、騙された様なものじゃないか。 戻って、酒場に繰り出してやる〜〜〜とばかりさっさときびすを返すと、ぐいっとマントが引っ張られた。 「……ひどい、わたくしだって気にしているのに……」 ちなみにマントを引っ張ったのは、黒ヒョウだ。マントをくわえているために、無駄口を叩かない。しかし、目つきがとてつもなく怖い。その大きな口で噛まれたら、一瞬であの世まで行けそうである。 「そりゃ、わたくしは姉様たちと較べたら……まだまだ半人前かも知れないわ。でもっ、いつもいつも子供扱いはひどいじゃないの〜〜〜〜〜!」 この泣きに訴えること自体がお子様じみている、と言えないこともないのだが……とにかく顔面のすべてが涙に埋もれてしまったヒナ姫はだだ〜〜〜〜っと一目散に走り出した。 (この主要キャラが訳もなく走り出す、と言うのも定番な気もするが…気にしない、気にしない…ね?) 「おい、ちょっと!! そっちは―― !」
「本当にお前は馬鹿だな」 「ううう……」 「でも、本当に馬鹿なのは姫様なんだよな……」 「―― え?」 「他の姫君様は小国の荒くれ王子なんて冗談じゃないと聞く耳も持たなかった。それなのに我が姫様だけは喜んでお受けすると仰った。本当に何をお考えなのやら……とても正気の沙汰とは思えなかったよ、俺も必死でお止めしたんだからな」 「そうだったのか」 悪いことをしてしまった。トリィは心から反省した。 「で、反省する気持ちが少しでもあるんだったら、とっとと後を追ったほうがいいのでは? あっちは山道ですよ、フォン山は三歩歩けば猛獣がお目見えする素晴らしい場所だと聞いていますが」 と、その時。大地を裂くような悲鳴が聞こえてきた。 「ひ、姫!?」 ふたり……じゃない、ひとりと一匹は飛び上がってその声の方向に急ぐ。 「うわあああ〜〜〜っ!!」 大きさで言えばダンプトラックくらいの大きさの、頭がふたつ足が六本ある猛獣がその赤黒い巨体をうならせて今にもヒナ姫に襲いかかろうとしていた。 「どうしたんですか!? 早く姫様をお助け下さい!」 「……そ、そんなこと言ったって……」 「ええ〜〜〜ん、怖いよお……っ!」 「ええい、……ポム!!」 ぼん! 猛獣に向かってヒナが掲げた両手から小さい炎が吹き出た。しかし、そんなものは少しの役にも立ってない。大体、この猛獣は見るからに炎系である。むしろ逆効果というものだ。 「姫様〜、こいつには氷系です〜っ!」 「ええっ? ……じ、じゃあ、ガチ!!」 今度は掲げた手のひらから製氷皿の氷くらいの氷の粒がバラバラと吹き出した。……十粒くらい。 「あの……ライ?」 「何でしょうか? トリィ様」 「もしかして……もしかしなくても……ヒナって、魔法が……」 「はい、残念ながら。何でも使えるんですが、いかんせんお若いのでまだすべてが初期魔法で……」 いたいけな姫君がたったひとりで苦戦していると言うのに、外野のふたり(…じゃない、ひとりと一匹)は何とも間の抜けた会話を続けていた。 「……仕方ない、まあ、やってみるか?」 「姫! 下がってて下さい!!」 「トリィ様!?」 「……と」 腰の宝剣を素早く抜いて、ざっと身構える。首が2つあっては攻撃がしにくい。まずは片方を切り落とすことから始めるか。 「えい!?」 トリィは地を蹴って大きくジャンプすると左側から剣を大きく振り下ろした。 ざしゅ!! 頭が飛んだ。しかし、そのダメージもないのだろうか? もう片方の首がもの凄いスピードでトリィに襲いかかった。 「う、……うわああああ〜っ!」 食われる!! と思った瞬間。ふわっと身体が宙に浮いた。 「……え?」
ライ!? ジャンプした黒ヒョウが後ろからトリィの上着の襟をくわえた。 ライの身体が、瞬時に黒ヒョウから……黒鷲にと姿を変える。いつの間にか、足の爪でがっちりと捉えられていた。 「おい」 「俺が誘導します、あなたは奴の目を」 「わ、分かった!!」
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「いえいえ、何のこれしき。姫様のためならば」 ……面白くねえの。 すっかり暮れた晩秋の夜、王子であるトリィはさっき倒した猛獣の肉を焼いていた(ちなみに火はヒナの『ボム』でおこした。そこらじゅうから薪やたき付けになりそうなものを集めたのはもちろんトリィ)。 「おーい、焼けたぞ〜」 「ご苦労様〜わあ、おいしそうですね!」 「ライ、お前は…生肉でいいんだろ?」 「さすがに貧乏国の王子は何でも出来るんですね、肉の焼き加減も合格です」 「そう言うこと、言うなら食わなくていいんだぞ?」 「おやおや…これをしとめることが出来たのは、俺の活躍があったからでしょう? 俺の助けがなかったら、今頃、おふたりとも仲良くあの世行きでしたよ」 ばちばち、とふたりの間で火花が散った……気がした。 「あらあら、ふたりともくつろいで。こんなに早くライが人に慣れるのは珍しいですよ。やはりトリィ様は素晴らしいお方なのですね」 「トリィ様は野性的だからでしょう? 何しろ、ちまたでは山猿と言われているくらいですから」 ぐしっとその黒い足を踏んでやると、お返しにぱしりと尾で叩かれた。 「……で、どうするんです?」 「どうするって?」 「お城に戻るんですか? ―― それとも山に登りますか?」 「うーん……」 こんな生活も楽しいかな、と思った。のんびりしたお城の生活もいいが、いささか退屈すぎた気がする。ここらで、ちょっと頑張ってみようかな? 少なくとも暇つぶしにはもってこいだろう。 「山頂までは歴代の挑戦者の皆さん、平均して三月から半年はかかると言われてますよ」 「……なあ、聞いてもいいか?」 「ヒナって、あと半年したら……もっと綺麗になるかなあ?」 答えはなかった。その代わり、ライの尾がトリィの頭を後ろから今度は思い切り叩いた。
Fin(011126)&(20071031・改稿)
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