…「11番目の夢」番外… …さえ様、55555hitのキリ番リクエストありがとうございました…
朝、目覚ましがいらない。 それは惣哉にとって、信じがたい事実であった。彼は寝起きが悪い。無茶無茶悪い。起き抜けに人相が変わるほど不機嫌になる、というのは彼のためにあるようなたとえである。 枕元の目覚まし時計を手探りで掴み、目の前に持ってくる。眼鏡がなしだと15センチ向こうがぼやける。全く視力の悪いというのは不便なことだ。 …5時17分。 我ながら、偉い。きちんとこの時間に目が覚めるなんて、身体が学習したと言うことか。起きあがろうとした瞬間、耳元につんざくような泣き声が届いた。かなり遠方から。ぼーっとした脳でそれを受け止める。すると今度はごくごく近くで微かな吐息が漏れた。 「…う…んっ?」 自分とは違う声。ベッドの右側が少しだけきしむ。まあ、しっかりした造りのキングサイズの特注品だ。小さな身体が寝返りを打ったくらいでは、びくともしない。 「あ、あ〜〜〜っ! 泣いてるぅっ!!」 ――ゴンッ! がばっと彼女が起きあがるのと、その音が惣哉の頭に響き渡るのはほぼ同時だった。愛らしい姿をのぞき込もうとしたときにジャストタイミングだった。 「やだ〜、惣哉さんっ! 何、寝ぼけているんですかっ!! ほらほら、私、ミルクの準備をしてきますから、早く行ってあげてくださいっ!!」 ばばばっとすごい勢いで服を着ている。まあ、9月のようやく残暑が過ぎた頃。下着の上に身につけるのも、Tシャツとホットパンツと言った軽装だ。お願いだから、その風呂上がりの子供のように恥じらいもなく身支度をするのはやめてくれと思いつつ、でもすんなりと伸びた腕や、さらさらと流れる髪を見つめてしまう。 「惣哉さんっ!!」 もう一度、名前を呼ばれて、覚悟を決める。ベッドの脇に落ちていた綿シャツを羽織って這い出る。ああ、だるいなあ…関節が痛い。でもまたそんな素振りを見せると、居候の朔也に「おじん臭い」だの「中年の入り口」などと言われるので、しゃんとしてなくてはならない。 「う…」
子供部屋は別にあるのだが、赤ん坊をそんなところに押し込めているわけにもいかない。いかない、と言うより外野が許さない。従って、昼の間はリビングのベッドに転がしておき、夜になるとここに運んでくる。 もともと妻用に用意された部屋。でもほとんど使われていない。寝るための部屋だが、妻が寝るのは惣哉の部屋のベッドだ。彼女が入院で家を空けた時以外、いつもである。郊外とはいえ、東京23区内にこんな無駄な空間があるのは…何とも贅沢な話である。 王様の寝室の如く、カーテンというか、目隠しみたいな布まで付いている白を基調にした乙女チックな柵の中で、両手両足をバタバタとさせて泣きわめいている赤ん坊がいた。どうも寝返りを打ったらしく、片側の柵に突っ込んで身動きが取れなくなっていた。 「…まったく…」 赤ん坊は抱き上げられて一瞬泣きやんだが、すぐに人間が違うと言うことに気付いて、前よりも激しく泣き出した。 「ああん、もうっ…惣哉さんっ! おむつが濡れてるんですよ〜それくらいお分かりになるでしょう?」 片手に熱めに作ったミルクの哺乳瓶を持った妻・千雪が入って来る。すぐに哺乳瓶をこちらに渡し、赤ん坊を受け取る。大人用のセミダブルベッドの上に転がすと、慣れた手つきで紙おむつをぱぱっと取り替えた。汚れたおむつを手にまた出て行ってしまう。片づけて、手を洗わなくてはならないのだ。 とにかく家の造りが大きいので、急いでいるときはどこに行くのも駆け足だ。惣哉はなすすべもなく…でも一応、転がらないように赤ん坊を片手で押さえた。 「ほらほら、…春くん。ごめんねぇ〜、遅くなっちゃって…」 授乳している母親。その姿は聖母の如く。それは千雪も例外ではない。いや、千雪だからこそ、美しいのだと思ってしまう。さすがに出産直後はやつれきっていたが、このごろではもう以前に増してパワーが爆裂している。母は強し、である。 「…やだ、何見てるんですか〜、恥ずかしいから向こうに行ってくださいっ! まだ早いですから、お休みになって宜しいですよ?」 ぼーっと見つめていたら、千雪が眉をひそめてこちらを見た。
それは惣哉にとって、とてつもなくショッキングな出来事だったのである。妻の妊娠を知ってから、ずっと子供は女の子だと信じていた。そして、その子は千雪に似て、愛らしく天使のような赤ん坊なのだ。抱っこして、おろせなくなって、「惣哉さん、抱き癖が付きますから、やめてくださいっ!」とか取り上げられたりして…そう、かなり期待していた。 対面した我が子は真っ赤で、しわしわで、その上異星人のようにひょろひょろしていた。TVや写真で見るのとはだいぶ違う。まあ、現実を知らない惣哉なのだから、仕方もないだろう。赤ん坊なんてみんな赤くてしわしわでサルよりも可愛くない。あんな物体を可愛いなどとのたまうのは親ぐらいだ。それが「親ばか」と言うモノである。ましてや低体重児…さらに肉が付いてない。 「赤ちゃん、どうでした? 名前、考えて頂けましたか…?」 『顔を見てから決定する』などと軽く言ってしまったのがまずかった。ギリギリまでおなかに入れて育てようと医療機関側の必死な努力の上、出産となった。それまでの経緯もあって、お産直後の千雪のやつれようは酷かった。でも、目をキラキラさせて、惣哉の言葉を待っている。 「…う…」 「そうだなあ、春生まれだから、『春哉』でいいかな…?」
その上。 保育器の中で成長し。どうにか人目に出せるようになると。今度は皆が声を揃えて言うのだ。 「惣哉さんにそっくり」 …これもまた、目の前が真っ暗になるほどショッキングな出来事であった。男の子であっても千雪に似た子供だったらまだ良かった。ふんわりと子供らしく、愛らしい顔になっただろう(多分、今の千雪と大差ないと思うが…)。それが、我が妻の胸に抱かれた子供は何とも小憎たらしい顔をしている。横目でちらっとこちらを見る仕草などは殴ってやりたいくらいむかついてしまう。子供なら子供らしくしないかと、問いただしたくなってしまうほど。 「すっげー、ここまで似てると芸術作品…」 「全く…私も嬉しゅうございます。この年になって、また惣哉お坊っちゃまの生まれ変わりに出会えるなんて…ほほ、こちらをご覧下さいませ、朔也様…」 そう言って、スーパーお手伝いさんの幸さんが抱えてきたのは惣哉のアルバムだ。…ちょっと待て。「生まれ変わり」と言う表現は自分が死んでから使われるものではないのか? おいおい、人を勝手に殺さないでくれ…と、突っ込む隙もない。 「うわ〜〜〜〜っ!」 「すげ〜、すげ〜よっ! 春坊にそっくりっ!! 良かったなあ、惣哉。やっぱ、春坊はお前の子供だったんだ…」 「ほほほ、そうでございましょう…幸もたまりませんわ。長生きをしなくてはなりませんね。成人式にはこの家に代々伝わる紋付き袴を着付けて差し上げなければ…」 何とも遠大な計画である。でも幸さんの言い方には聞く人を頷かせてしまう迫力が感じられるのだ。きっとこの人は100まで生きるぞ、と確信してしまう。それどころか、長寿記録を塗り替えるかも知れない。 そもそも、千雪がこの家に嫁いできてからと言うもの(その前から、住んでいたけど。まあ、それは置いておいて)…すっかりと家族の中心は彼女に取って代わっていた。そして、今回の子供の登場である。同じ顔をしていて、大きいのと小さいのがいれば誰だって小さい方が可愛いだろう。 山ほどに買いあさったベビー服・子供服も行き場をなくした。今は開かずの間の子供部屋に突っ込んである。村越夫人の次男のところで4月に子供が生まれるというのでそこに回そうと思ったが、なんとそっちも男の子だったらしい。実はそこでも女の子の服が大量に余っているそうで、皆考えることは同じである。 こうなったら英才教育を施そう、まずは父親の自分自らバイオリンを…とも思ったが、ぷにぷにのえくぼの手を見た瞬間に駄目だと悟った。これはどうみても千雪の手だ。あのつっかえつっかえピアノを弾いているたどたどしさ(よくもまあ、教員採用試験に受かったものだ)、必死で歌っているのにどこか足りないリズム感。目に見えないところが確かに母親の血を引いている。情けない。
千雪はそう言いながら、こちらを見上げる。赤ん坊はたっぷりと母乳を飲んだ後、更にミルクも平らげ、満足そうにあぶあぶ言っている。もう機嫌が良くなったのに、まだ妻の腕に抱かれているのが気に入らない。そんなことでライバル意識を持っても仕方ないのだが、ついムラムラと湧いてきてしまう。 「また、会議の途中で寝ちゃいますよ? 2代目は情けないって思われたら恥ずかしくないですか…?」 惣哉の父である学園理事長の政哉はいつかの「引退する」とか言う言葉はどこへやら、初孫の誕生にますます仕事に熱が入っている。惣哉が情けないと言うよりも、あの父親がやりすぎなのだ。全くいい迷惑である。ちなみに今はオーストラリアに視察旅行に行っている。自分が「高齢者」と呼ばれる年代なのをすっかり忘れている模様だ。 「今から寝たら、逆に中途半端になるだろう…? もう眠気覚ましにコーヒーでも貰って…」 「…惣哉さん?」 「ねえ、春はちょっと置きなさい。こっちを見て…」 千雪は少し考える素振りをしてから、息子をベビーベッドに下ろした。そして、にぎにぎのおもちゃを与える。赤ん坊とは何とも不思議な生き物で、自分の手や足がおもちゃになる。握りしめた手を顔の前に持ってきて、飽きることなく眺めている。 日に日に成長してる。でもそれに大して親は鋭気を吸い取られるように疲れ切っているように思える。朝は決まってこんなに早い時間に起こされる。夜もようやくまとまって寝るようになったと思ったら、いきなり夜泣きしたりする。貴重な夫婦の親密な時間を中断されたのは2度や3度じゃない。 千雪は昼間、授乳の合間を見て秘書の仕事を再開している。もう生後6ヶ月。これから離乳食が本格的に始まればもう少し家を空けられるようになるだろう。何しろ、家の隣が学園なので、通勤時間は1分だ。ドアからドアまでも10分なのである。 怪訝そうに自分の隣りに座り直した妻を抱き寄せると、そっと口づける。 「やだ…子供がいるのに。やめてください…」 「何を言ってるの? 父親と母親の仲が良いことが子供にとっても幸せなんだよ…?」 「惣哉さん…」 「駄目だよ? 春の方を見たら。今は僕のことを見て、僕のためだけの千雪でいて…」 我ながら、情けないなと思う。でも言わずにはいられない。千雪の中に「母親」の部分が増えると「妻」の部分が減っていく気がする。それが何とももどかしい。この腕に抱きしめて、全てを自分のものにしたつもりだったのに、どうしてそんな風になってしまうのだろう…? 「…もう、嫌だ、惣哉さんは…」 でも。それから、ふとその動きが止まって。しばらく、じっと何かを考えていた。 「千雪?」 「あの…惣哉さん…」 「私、惣哉さんのためだけの自分にはなれないんですけど…」 「…え?」 意外な発言に身体が固まる。それは…春哉のことを言っているのだろうか? でも、今だけ、今だけは子供のことを忘れて欲しい。一瞬でも自分だけのものであって欲しいのに――。 惣哉が寂しそうな目をしたのが分かったのだろう。千雪が慌てて訂正する。 「あ…あのっ。あの…、そうなりたいのは、山々なんですけど。惣哉さんのそういうお申し出はとても嬉しいんですけど…でも」 そこまで言うと、真っ赤になって俯いてしまう。自分でも恥ずかしいことを言っているのだと気付いたらしい。惣哉の綿シャツを小さな手で握りしめて、そのまま大きく深呼吸をした。 「どうも、私。また、赤ちゃんが出来たらしくて…」 「――え…?」
「あ…ああ、そうか。そうなのか…はははは…」 腕にふたり分の重みを感じながら、惣哉は頭の中でぱちぱちと計算する。いつ生まれるんだ? 今度は…学年が一緒にならなくて良かった…。 そんな情けない思考とともに、また新しい一日が始まろうとしていた。
おしまい(20030408)
…惣哉さんとちゆ先生の赤ちゃんのお話。そう言うリクエストでした。春坊が3歳くらいになった話はあったのですが、それじゃあ駄目だろうなと、強引に作りました。惣哉さんの一人目の赤ちゃんが男の子、というのはかなり前から決めてまして、今までの番外編のてんこ盛りのベビー服の話題を書きながら、ひとりで笑ってました(←極道…)。いいな〜、惣哉さん。父親になりきれてない辺りが作者にそっくり(あ、いや…私は女ですので、父親になるわけはないのですが…)。 Novel Top>「11番目の夢」・扉>気ままな日常
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